尻拭いの日常
朝から、頭が痛かった。
正確には、朝から晩までずっと痛い。
机の上に広げられた帳簿は、三冊目に突入している。
婚約破棄をされたとはいえ、行く宛てなどないレアナは今日も帳簿と向かい合うしかなかった。
インクの染み。擦り切れた紙。赤字の数字。
どれを見ても、ため息しか出ない。
「……はぁ……」
レアナは、無意識に額を押さえた。
アシュフォード子爵家。
先代までは由緒正しき家門としてそこそこ名を馳せていた。今となっては首の皮一枚繋がってるだけの斜陽家門。
原因は単純だった。
両親、ミリアの金遣いの荒さ。
父は賭博。母は宝飾品。妹は社交とドレス。
家計破壊の三種の神器。
結果……
使用人は最小限に減らすしかなく、馬車は売られ、銀食器は消え。
残ったのは、借金だけ。
「……今日も洗濯三回目か……」
レアナは帳簿を閉じ、袖をまくった。
本来なら令嬢がやる仕事じゃない。
でも。
やらなければ、誰がやるのか。
(……私しかいないでしょ)
家令も疲弊している。先代からアシュフォード家に尽くしてくれた老忠臣だ。残った使用人も既に限界。
だから。
帳簿、交渉、家事、雑務、全部。
全てレアナがやるしかない。
ブラック企業も裸足で逃げる環境だった。
昼過ぎ。
ようやく帳簿を片付けていると、扉が勢いよく開いた。
「お姉さまぁ~!」
礼儀作法が全く染み付いてない内股走り。
甘ったるい声。
ミリアだ。
また見た事もないドレスを着飾ってる。
「今日のお茶会、ほんと大変だったの……」
「はいはい」
レアナはペンを動かしながら相槌を打つ。
「みんなに色々言われて……」
「そう」
「作法がどうとか……」
「そう」
「私、すごく傷ついて……」
「うん」
レアナは適当な相槌だけで全く聞いてない。
だがミリアは止まらない。
「新しいドレスも必要で……」
「……いくら?」
「え?金貨三百枚くらいかなぁ?」
動かし続けてたペンが止まる。
「……は?」
「え、安いでしょ?」
その悪びれない笑顔に、レアナは遠い目になった。
(三百……三百……?)
今月の食費と使用人の給金が吹き飛ぶ額だ。
「お父様とお母様は何て?」
「ミリア可哀想って言ってくれた♡」
はい。
知ってた。
「…ミリア」
「なに?」
「もう少し、家のこと考えて」
「えー?」
何もわかってませんといいだけに小首を傾げるミリア。
「でもお姉ちゃんが全部やってるんでしょ?」
無邪気な爆弾。
レアナの心に直撃。
(……はいはい。そうですよ)
搾取子、ここに極まれり。
その日の夕方。
屋敷に、見慣れない男が訪ねてきた。
黒い外套。無表情。無駄のない動き。
嫌な予感しかしない。
「アシュフォード子爵家のご令嬢、レアナ様ですね」
「……はい」
「ローゼン商会の者です。本日は返済の件で」
――来た。
レアナの背中に、冷たいものが走る。
応接室に通すと、男は淡々と書類を机に置いた。
「現在の未返済額は、金貨2000枚です」
「……2000?」
思わず声が裏返る。
「期限は、来週までです」
「ま、待ってください!」
レアナは慌てて立ち上がった。
「必ず……必ず何とかしますから……!」
「はい、必ずお願いします。でなければ差し押さえです」
男はそれだけ言い残し、去っていった。
扉が閉まった瞬間。
「どうして……どうしてこんなことに……」
一連の流れを見てただけの、母が泣き崩れる。
父は顔を青くしたまま、何も言わない。
(どうしても何も……原因は全部あなたたちです)
そう思いながら、レアナは黙って拳を握った。
その夜。
さらに追い打ちが来た。
「……お姉ちゃん」
不安そうにミリアが近づいてくる。
「なに?」
「今日……商会の人に会ったんだけど……」
嫌な予感がした。
「……全部、お姉ちゃんが管理してるって言っちゃった」
「……は?」
「だって本当でしょ?」
悪びれない顔。
「私、お金のことよくわかんないし……」
レアナは、思わず頭を抱えた。
(信用問題、完全終了だわ……)
「ミリア……どうして相談しないの……」
「えー? そんなに怒ること?」
きょとんとした妹。
この温度差が、何より辛い。
その場で、父が言った。
「レアナ……お前が、何とかしてくれ」
「ミリアに負担をかけるな」
母も続く。
「お姉ちゃんなんだから……」
(ああ……出た。いつもの)
レアナは、心の中で乾いた笑いを浮かべた。
結局。
責任は、全部自分。
そういう家だった。




