居場所
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「ん………あ」
気絶していたテテが目覚めた時、見知らぬ天井が目に映った。
それと大きな音と微かな振動。
まだはっきりとしない意識のまま、首だけを動かして周りを見てみると
どうやら輸送ヘリに乗っているらしい事が解った。
「お、起きたな。
気分はどうだ?体のどこかにおかしい所は無いか?」
「あ…ジグさ…私…?」
担架に寝ていたテテは体を起こそうとするが、ジグに止められた。
「まだ寝てろ、ここは安全だ。
全て終わって今は街に帰る所だ」
「終わった…?そうでした、私気を失って…
あの後何かあったんですか?
そうだ!ナンシーさんは?!」
ジグに止められはしたものの、だからといって大人しく寝ている気には
なれなかったテテは、結局担架から身を起こした。
体のあちこちに治療の後が見受けられたが、
どれも小さな傷で特に大きな異常は感じられなかった。
ただ、ジェスキンに刺された胸はじくじくと痛かったが、
これも大した痛みではない。
ジグはどうせこうなると思っていたので、これ以上止めるのは諦めた。
「ナンシーならほら、あっちにいる。絶対安静だがな」
テテはジグの視線を追って、そこに自分と同じように治療を受けて眠っている
ナンシーの姿を確認した。
自分とは違い簡素とはいえベッドに寝かされているのを見て、傷の具合を察した。
「良かった…無事だったんですね…他の人達は?うさぎは?
皆無事なんですか?あの後何かありました?」
「そうだな、順を追って話そうか」
ジグはテテに、彼女が気を失った後に起こった事を掻い摘んで話した。
「そんな事が…すいません、お役に立てなくて…はぁ…」
テテは下を向いて盛大にため息を吐く。
その様子を見たジグは、テテの頭に手を乗せた。
「何を言ってる、お前はいい相棒だ、
初仕事とは思えないくらい良くやったよ。
とんでもない初仕事になっちまったが、頑張ったな」
褒められて照れくさかったのか、テテは下を向いたまま少し耳を赤くして言う。
「………いい秘書、です」
「…そうだったな」
ジグは頭から手を放し、今度はそっと肩を叩いた。
「あ、そういえば、うさぎさん達はどうなりました?」
「さぁな…この後捕獲を試みるそうだが、
殆ど捕まえられないんじゃないかな」
「じゃあ…あの辺りで野生化ですか?まさか駆除とか…?」
「もちろん駆除の可能性もあるが、貴重な動物だ。
捕獲の試みを続けつつ、様子見といった所じゃないかな?」
「そうですか…」
考えてみれば何とも勝手な話である。人間もこの星では外来種で
ここの生態系を乱しているだろうに、他の異星種は自らが持ち込んでおいて、
やれ駆除だのといった話が出てくる。
「他にも生き残っている動物がいると思うが、
それらは発見次第エデンの保護区行きになる。ただ…」
少し言い淀んだジグを見て、テテはすぐに察した。
「…あ、あの大きなワニですか?」
「ああ。あれは大きすぎる。
どうやってエデンまで運ぶか、飼育スペースはどうするのか、
誰が世話するのかといった問題が出てくるのは間違いない。
なので暫くはうちの街で預かることになりそうだ」
「預かるって…あれをですか!?どこで!?」
「さぁな。それは俺達の考える事じゃない」
「だ、大丈夫なんでしょうか…?」
テテはあのワニが目の前にいた時の事を思い出し、身震いした。
「まぁ大丈夫だろう。よほど腹を空かせるか刺激を加えるかしなければ、
無為に暴れる事もあるまい。街のいい観光スポットになるかもな?」
殆どの者が実際に目にした事の無い、地球種の動物。
その上あの巨体。見物にやって来る連中はごまんといるだろう。
「いや、それはやめたほうがいいと思いますよ?
映画じゃそういうのって大概失敗して、逃げられて大惨事になります」
「ひょっとしらた、だ。
さすがにあれは危険すぎて一般公開なんて出来んだろう」
「その方がいいと思…あ!」
二人の元に小さな動物が駆け寄って来た。例のウサギだ。
「あれ、この子…?」
「ああ、お前が助けたウサギだ。えらく人馴れしていて逃げようともしない。
ほら、抱いてみろ。俺もさっき堪能した。最高だぞ?」
ジグはそう言うと、足元にいたうさぎをひょいと抱き上げ、
脇を抱えてテテの方に腹を見せる形で差し出した。
「こいつは紛れもなく、お前が救った<命>だ」
「はわわわゎゎ……」
目の前にあるモフモフとした腹の毛を目にして、テテはくらくらしてきた。
そしてゆっくりとウサギを受け取り、思う存分モフったのだった。
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無事に帰還した二人だが、街に帰って来てからが更に大変だった。
ナンシーを病院に運び、ジャックを市政に引き渡し、
未知種との遭遇及び接触による病理学的検査…検疫。
生き残っていた動物達を一時収容する為の小屋を突貫で建てたり、
殉職した隊員達の遺体の収容と葬儀、壊れたナンシーのラボータを運んだり、
あのワニの捕獲と移送及び飼育スペースの確保。
その上、何があったのかの報告及びその書類、
事情聴取にナンシーとジャックの処遇についての口利き。
そういった山積した事後処理に加え通常の任務もあり、
それらが落ち着いてきた頃には、事件から数か月が経過していた。
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某日。
ジグとテテはとある施設にトレーラーで来ていた。
陽炎はそのトレーラーに寝かせてある。
レイダーの街中での長距離移動は、この車両で行うのが基本なのだ。
「やっぱりやらないと駄目なんですか?」
トレーラーの助手席に座っているテテは、
珍しくテンション低めで今からの仕事に対して後ろ向きだった。
「誰かがやらないといけない事だ。
それにはレイダーが必要だし、恐らく俺たちが適任だ」
ジグは運転席に座り、トレーラーを専用スペースへと
駐車しながら淡々と言う。
「…ひょっとして、楽しんでます?」
「実はちょっとな。共に戦った仲間と言えなくもないしな」
「もー、動物好きっていっても限度をわきまえて下さいよー、
あれは動物じゃなくて怪獣です!口から熱線吐くやつです!」
ジグには動物も怪獣も同じ生物だし、何が違うのかよく解らなかったが、
テテには明確な線引きが出来ているようだ。
「それはもっとデカイんじゃなかったか?
確か100mを優に超えていたような…?」
「揚げ足をとらないで!ああ、もう私怖くてちびりそう…」
「まだ中に入ってもいないのに?大丈夫だ、心配するな」
そう、今日の二人の仕事は、ジェスキン事件で発見され保護された、
あの巨大ワニの飼育スペースの掃除だった。
埋め立て予定の作業用の溜池をそのまま利用、
街の建設用に用意していた資材を使い、
ワニを一時隔離保護しておく為の施設を突貫で作ったのだ。
現在あのワニはそこで放し飼い状態になっている。
そんな状態で掃除をする為に、ワニの体に発信機を付けて位置を常に把握し、
近づかない様にしながらレイダーで作業を行うのだ。
敷地がかなり広い上にワニも危険な為、
とても生身の人間には出来ない作業だった。
「近づいてくるようならさっさと逃げればいいだけだ。
あの巨体ではさすがにレイダーより速く走るのは無理だろうし、
いざとなればジャンプして壁を飛び越えればいい」
「まぁそれは解っているのですが…」
「何なら俺一人でやろうか?無理強いはしないがどうする?」
「ぬ…ぐぬぬぬ…
や…やります。後ろで探知機を見てるだけです。
な、なんて事はありませんよ!」
最後の方は声が裏返っていたが、ジグはスルーしてやった。
「よく言った、それでこそ俺のコパイだ」
「…一応秘書です」
心なしか、このツッコミも今一つ鋭さが無い。
「どっちだっていいさ。ほら、降りるぞ」
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トレーラーから降りた二人は、まずここの管理人に会い、
ジグが具体的な仕事内容を確認し、必要な書類をテテが書いた。
そしてジグは陽炎をジャッキアップし、乗り込む準備が済んだ。
「あああああ、何かよく観る映画でこういうシーン、一杯観ましたよ…
この後トラブルが起こって、アレが逃げ出して暴れて、
私たちは最初の犠牲者AとBになるんですよ!」
いざ陽炎に乗り込もうかという段で、またテテがぐずりだした。
やはり頭では理解していても、人間の動物としての本能には抗い切れない様だ。
「映画ならお前はヒロインなんだろ?なら大丈夫だ」
「ヒロインならそうですが、最初の犠牲者で一番多いのは
いちゃくつバカップルなんですよね…」
「俺達はカップルでしかも馬鹿なのか?」
「まぁ…違いますけど似たようなもんですし…」
「似てねぇよ。ほら、行くぞ」
ジグは持っていた探知機を自分のベルトに引っ掛けると、
背後から両手をテテの脇に入れて、そのままひょいと持ち上げた。
「ひゃぁっ!何?!何です?!ちょっ、ちょっと待って下さーい!」
テテの足が地面から30cm近く浮いた。
「嫌な事ならさっさと終わらせるに限る。
グズグズしてるなら強制連行だ」
「えええぇぇぇーー?!」
ジグはそのままテテを抱えて歩き出した。
「おー、軽いな。もっと食べた方がいいんじゃないか?」
「これ以上食べたらヤバ…ってこのセクハラ上司ー!!」
じたばたともがくが、足が浮いている上に両脇を固められているので、
大した抵抗は出来なかった。
「あははは!くすぐったい!は、放してください!」
もがいたのでジグの手が少しずれ、
腋の下の敏感な所に指が食い込んでしまった。
暴れるものだから余計にくすぐったくなるのだが、
解っていてもこそばゆくて動いてしまい、
そうなるとまたくすぐったくなるという悪循環。
「暴れるんじゃない、余計にこそばゆいぞ?
我慢しろすぐに済む」
「はっ、発言がどことなく卑猥です!
っていうか私達バカップルっぽい!?
ワニさんに食われるーーーッ!」
「はいはい、ソウデスネ」
結局テテは、陽炎のコックピットに押し込まれるまで、
確保された猫のようにぶら下げられたままだった。
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「ううう…ここから生きて帰ったらコロス…」
笑い過ぎて過呼吸になり、頭部コックピットのシート上で
涙目になって放心状態だったテテは、物騒な事を小声で呟いていた。
「何か言ったか?」
計器のチェックをしながら、ジグは気のない風に聞く。
「ジグさんがひどいって言ったんです!
無理強いはしないって言ったのにーー!」
テテは乱れた髪と衣服を整えながら口を尖らせて抗議、
そして涙と涎を拭いて鼻をかんだ。
「お前がいつまでもグダグダ言ってるからだ。
でも気は楽になっただろう?」
「う…それは…まぁ…はい」
ぎゃあぎゃあ騒いでいるうちに、恐怖心が和らいだのは確かだった。
「ではそろそろ無駄口叩いてないで行くぞ?探知機、頼む」
ジグは操縦桿を握り込み、陽炎の側に立てかけてあった巨大な掃除機を持たせ、
電源コードを引き出して陽炎側の電源プラグに差し込んだ。
これで大まかにゴミを取って回るのだ。
「へっ?あ、すいません、ちょっと待って下さい、
今準備します…」
テテは慌てて管理人から預かっていた、探知機の操作を始めた。
「ん?まだやってなかったのか?」
「誰のせいですか誰の…はい、終わりました!」
ちょっと拗ねたような口調でテテは報告する。
「了解、出る」
ゆっくりと歩き始めた陽炎は、大きな引き戸のロックを外し、
そこを通って中に足を踏み入れ、後ろ手に戸を閉めた。
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「うわぁ、広いですねー!…という事は、
掃除が大変って事ですか…」
敷地内は程よく緑が生い茂り、地面もいい具合に凹凸があり下草が生えている。
あちこちに水場があり、いかにもワニが好みそうな環境だ。
ただ、地形と植生のせいで視界はあまり良く無い。
探知機に気を付けていないと鉢合わせするかもしれないので、
注意が必要である。
「土地だけは無駄にあるからな…さて、始めるか」
ジグは会話をしながら早速ゴミ(どこからか飛んできた紙屑)
を見つけ、掃除機で吸った。
この掃除機もサイズがサイズだけに注意しないと、
人間を吸ったりしたら大変な事になる。
勿論ここには誰もいないのだが、それでも常に足元に注意を払う。
レイダー乗りの常識である。
「アイツは今どこにいる?動くような様子はあるか?」
「えっと…この位置は北の溜池ですかね。じっとしてるみたいです」
その様子を確認して、テテはほっとした表情を見せた。
「だろうな。
ああいう待ち伏せを基本スタイルにしている動物は、
決まった間合いに入らない限り、わざわざ攻撃しに来る事はまずない。
腹を空かすか子育てでもしていない限りはな」
「な、なるほど…これならまぁ安心ですかね…」
しかしテテがそう言った直後。
「って、あれ?!動き出しました!池から出たようです!」
「たまたま日光浴でもしに、陸に上がっただけなんじゃないのか?」
ああいう爬虫類は、よく日光浴で体温の調節と寄生虫退治等を行う。
あれほどの大きさなら体温はそうそう下がらないから、
恐らく寄生虫対策だろうとジグは踏んだ。
「いえ、こ、こっちに真っすぐ向かってます!
早く逃げましょう!」
「本当か?この距離で?
こちらの出す音や振動を感知していたとしても、
わざわざ寄って来るのか?なぜだ?」
「そんなこと知りませんよ!とにかく来てます
戻りましょう!!」
その方角を見てみると、ワニの姿は見えなかったが、
確かに木々が揺れたり倒れたりしていて、それがどんどんと
近づいて来ているのが確認出来た。姿が見えないのが逆に恐ろしい。
「………解った、戻ろう」
まだ始めたばかりだというのに、いきなり作業を中断する事になってしまった。
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「おや、もう済んだのかい?早かったな」
他所で仕事を済ませて来たのか、清掃道具を持った管理人が
詰め所に入ってくると、手持ち無沙汰にしている2人を見てそう言った。
「それが………」
テテは、じっと窓の外を見て考え込んでいるジグに変わって説明を始めた。
「私達が作業を始めると、あのワニさんはどこにいても
すぐこちらに向かって来るんです。
で、仕方なく作業を中断して外に出てるとまたどこかに行っちゃうんですけど、
作業を再開するとまた向かってきちゃって………
おかげで作業が全然進まないんです」
「はぁ?あんたらそんなに大騒ぎしたのか?」
「いいえ、普通に掃除機動かしただけです。
他の人の作業時はどうだったんですか?」
「あんた達がこの仕事を初めてやる人だよ。
あいつはここに来てまだ一か月程度だからな」
「お腹空かせてるんですかね?」
「いいや、それだけは気を付けておる。儂も命が惜しいからな。
ちゃんと専門家の先生に教えて貰った通りの量に加えて、
時々オヤツまでやってる位じゃ」
そう言って、窓から見える囲いの中にいる
ノア産の草食動物(テテは名前を知らない)を指差した。
「餌を上げる時はどうしてるんです?」
「アイツの位置を確認して、そこから一番遠い出入り口から入って、
その場に大量の肉を置いておくのさ。
本当は生餌がいいらしいが、あの体の胃袋を満足させる事の出来る動物なんて、
牧場にはいないからな。その代わりオヤツは生餌にしている。
ちょっと物足りない大きさかもしれないが、オヤツには丁度いいじゃろう」
「その時にはどうです?向かってきますか?」
「いいや、ピクリとも動かんよ。暫くして痛んで来た肉の臭いにつられてか、
のそのそとやってきて平らげておるようだがな」
「その……おやつの時は?」
「普段とほぼ同じじゃ。おやつの動物を縄で繋いでその場に置いてくる。
暫くして見に行くと、千切れた縄だけが残っておるが、
食べていない時もあった」
テテはおやつにされた動物に同情したが、
今はそんな事を気にしても仕方がないと思い質問を続けた。
「最近卵を産んだとか?」
「あいつはオスって聞いてるがな………」
「発情期でメスを探してるとか?」
「それは専門家にも注意されたな。だが今は時期じゃないらしいぞ」
一通り考えてみたが、どうにも原因が良く解らない。
「どうします?これじゃ仕事になりませんよ。
一旦戻ります?」
「んー………」
まだ考え事をしているジグは気の無い返事を返すだけで、
代わりに管理人が答えた。
「それでもいいんじゃないかね?ここは一般人立ち入り禁止だし、
ほぼ自然のまま壁で囲っただけにすぎん。
おかげでゴミなんて殆ど無いし、奴の糞とかも自然と同じで土に還る」
「池の水も浄化装置で常に一定の水質を保っておるし、
こまめに掃除と整備をしようと決まりはしたが、
この様子なら月一でも多いかもしれん。
浄化装置のメンテナンスなら、儂一人でも十分だしな」
「だそうですよ?」
そう言われたジグは、漸く窓から視線を戻して答えた。
「………そうだな、一度戻るか。この件に関しての報告は頼む」
「了解しました!」
「儂からも言っておこう」
「はい、お願いします」
ジグはまだ何かを考えながら、テテはどこか嬉しそうにしながら、
ここを立ち去った。
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「あー、何か拍子抜けしちゃいましたね」
二人は自分達の詰め所に戻って来ていた。
テテはぼやいているが、その口調はさっさと終われてラッキー、
とばかりに弾んでいた。
「次の予定はどうなっているんだ?」
「空いてますね。今日一日さっきの作業に当てていましたから。
各所に連絡を入れて、他に回れそうな所を聞きますね」
「ああ」
テテがコンソールを操作して仕事を探している間、
ジグはデスクで思案にふけっていた
勿論考えていたのはあのワニの事だ。
そんな時、詰め所に一人の女性が入って来た。
テテの見た事無い顔で小綺麗なスーツに身を包み、手にはフォルダを持っている。
緩いウェーブのかかった明るめの茶髪をポニーテールにしていて、
かなりの美人だ。
とてもレイダライダには見えなかったが、そこはテテも同じである。
歳は40前後だろうか?
着ているスーツのせいか営業職を連想させたが、これもまたテテと同じ。
声をかけて挨拶するべきかどうかテテが迷っていると、
その女性はジグの傍まできて先に声を掛けて来た。
「久しぶりねジグ。今、時間いい?」
「ん?」
考えに耽っていたジグは今女性の存在に気付いた様で、
顔を上げて彼女を確認する。
「おお、どうした珍しいな、ここに来るなんて。
えらく気合の入った格好してるじゃないか?」
どうやらジグの顔見知りらしく、口調からしてかなり仲の良い相手にみえる。
テテは俄然この女性に興味が沸いた。
「ちょっと訳アリでね…座っても?」
「勿論ですよ、どうぞ!」
そう言ってテテが素早く近くの未使用デスクから椅子を持って来ると、
女は軽く会釈してから座る。
「ありがとう。えっとあなたは…」
「テテです、見習いでジグさんの秘書やってます!」
「ああ、あなたがそうなの?報告書で知ってたけど、
こんなに若い子とは思って…って、秘書?」
女性は怪訝な顔でジグの方を見た。
「そいつが勝手に言ってるだけだ、気にするな」
「そうです、自称ですのでお気になさらず」
「はぁ…まぁいいわ。
あたしはキーファ、キーファ・シュルツよ。
生体調査部で部長をやってるわ。
よろしくね」
テテと握手するキーファ。
「はい!…ってあれ?シュルツって確か…?」
「市長の娘さんだ」
「え!?あ、そうなんですか?!
お父さんにはスゴクお世話になりました!」
テテは握っていた手をぶんぶん振って喜びを表現した。
「で、今日はどうしたんだ?」
「その前にちょっと待って…」
キーファはそう言うと座ったままで屈んで
履いていたハイヒールを脱いだ。
「あー、やれやれだわ。もう嫌この靴、拷問器具か何かなの?
こんなの履いて歩くとか罰ゲームよね」
「同感です。私もヒール苦手です」
そう言うテテはいつもローファーを履いている。
「なんだ、そんな愚痴を言う為に来たのか?」
「そんな訳ないわよ。
えっと…実はこれから父を含む、お偉いさん集団の所へ報告に行くんだけど、
その前にあなた達二人に先に話しておくのが筋かと思ってね」
「俺達に先に話すのが筋?何の事だ…?」
「これよ」
キーファは手にしていたフォルダを開き、中のファイルをジグに渡した。
大きくトップシークレットと書いてある。
「見ていいのか?」
キーファが無言で頷いたので、ジグはファイルを開けて中を見た。
テテも後ろに回って覗き込んで来た。
「これは…ジェスキン?」
ファイルの中には陽炎のカメラ映像をプリントアウトしたジェスキンの写真や、
よく解らない化学式などが書かれていた。
陽炎やラボータに付着していた細胞や、ナンシーが千切った尻尾とその毒、
巨大ワニの食べ残した残骸や遺留物から色々と調べたのだろう。
「そう。
この後そいつの事でお偉いさん達に色々と報告を入れに行くのよ」
「なるほど…で、ジェスキンに関して
俺達に先に話しておく事とは何なんだ?」
キーファは背筋を伸ばして、きちんと椅子に座りなおした。
が、ヒールは履かなかった。
「えっと…難しい事は置いといて、単刀直入に言うとね…
あのジェスキンの遺伝子には、明らかに誰かが手を加えた痕跡があったの」
ジグとテテは数秒程、その言葉の意味を吟味した。
「え……?と言う事は、
あいつは誰かが遺伝子工学的に作った生物なのか?!」
「そう言う事」
「待て待て、あいつは未知種だったんだぞ?
それが人工的に生み出された生物だったって…どういう事だ?」
ジグは思わず前のめりになっていた。
「あたしも最初は信じられなかったけれど…私達の出した結論はこうよ」
キーファは机上に広げられていたファイルに手を置いて、言い切った。
「この生物は、人類以外の知的生命体によって作り出された、
生物兵器の末裔である」
ジグとテテはその言葉の意味を考えるのに、数秒間を要した。
「…………それは…本当なのか?」
「異星人…?の仕業、と言う事ですか?」
2人とも信じられないといった感じで言葉を絞り出した。
「ええ、私もちょっと信じられないけどね…
脱走したのか遺棄されたのかは分からないけど、
それらが野生化して今の姿になったものかと」
「むぅ…確かにあの能力は、自然界において行き過ぎた力だとは
思っていたが…そうか、生物兵器…なるほど」
「あくまでもその末裔、だけどね。
オリジナルはもっと強力だったと思うわ。
尻尾には進化途上で消えたと思われる、幾つもの孔の痕跡が残っていた事から、
毒針よりもこの孔から毒霧としてまき散らすのが、
本来の使い方だった可能性がある。
多数の敵を纏めて支配下に置けるから、この方が効率的だしね。
肩の副腕も皮膜の痕跡が画像で確認出来た事から、
元々は大きな翼だと推察出来るわ。
これで空を飛んだり、毒霧を相手に向って吹き付けたりしたのかも?」
それを聞いたテテは思わず呟く。
「アレが空を飛ぶとか…最悪です…
でも、何で飛ばなくなったんです?飛べた方が絶対便利だと思うのですが」
ジグはファイルからジェスキンの写真を一枚取り出し、
しげしげと眺めながらテテの疑問に対する自分の推察を語った。
「野生化してこの星で暮らす際に、行き過ぎた能力は維持するコストに見合わず、
弱まるか、同種との生存競争の為に変化した、といった所だろうな…
本来は狂暴化した動物は全てのジェスキンの意のままに操られ、
大きな翼で空を飛び、吸引性の毒を空中からばら撒いていた…
のかもしれない」
「だが、創造主のコントロール下を離れ、野生化して自然で生きていく上では、
あの毒で目の前の敵や獲物を無力化出来れば十分だ。
空中にばら撒くなんて無駄遣い、必要な時に必要な分だけを使った方がいい」
「それに飛行能力は、移動及び兵器として
攻撃対象に損害を広げる為の物だろうし、
逃げたりするのにも便利だろうが、元々俊敏な上、
飛んで逃げないといけないような敵が側にいなかった。
だから使わなくなって消えた…」
「というよりは、翼は強力な爪を備えた腕になった、というべきか。
翼に割いていたリソースを爪と筋肉に回して、毒の効き目が薄い相手や、
皮膚が固くて毒針が通らない相手に対する武器として」
「フェロモンだって、意のままに操る必要はない。
自分が攻撃されなければそれでいいからな。
恐らく最大の敵は、同じジェスキン同士だったに違いないから、
毒を使った個体のフェロモンにだけ反応する様に、
個々のフェロモン成分が変わっていったんだろう。
生物兵器なら、当然自分の毒には免疫を持っていた筈だが、
ライバルを倒す為に成分が変化し、その結果自分自身にも
最後の手段として使えるようになった…?」
ここでジグは言葉を切り、改めて自分の発言を心中で検証しはじめた。
テテもこの説に異論は無かったが、新たな疑問が湧いてきた。
「じゃあ、あの皮膚は…?あれって銃弾には強いでしょうけど、
銃を使ってくる相手なんていなかった筈ですから、
翼と同じ様に無くなるのでは…?」
この疑問には今度はキーファが答える。
「あのゲル物質については色々解った事があるわ」
「ほほう、ぜひ聞かせてくれ」
考えに耽りつつも二人の会話をしっかりと聞いていたジグは、
キーファの話に興味を示した。
「あれは維持するのに大量の水分が必要だけど、
あらゆる細菌やウイルスから体を守っていたみたいね。
勿論打撃に対する防御としても機能するし、電気を散らし、
温度変化にも強く環境の変化を受けにくい」
「長い進化の過程で大分能力が落ちてると思われるけど、
もしかしてオリジナルのジェスキンは、ゲル物質から酸素を得て
何時間でも水中に潜れたかもしれないし、
もしかしたら真空中でも活動出来たかもしれないわね」
この話を聞いたジグは、思わずため息が出た。
只の憶測・推測だが、実際にジェスキンに相対した身にしてみれば、
十分にあり得そうな話に思えたからだ。
「それは何ともまぁ…凄まじいな。
銃弾に対する耐性は副次的な物で、本来の目的はそっちだったのか…?
俊敏で空を飛び、相手を強化・狂暴化して意のままに操る毒を撒き散らし、
ゲル物質で病気や毒、打撃・銃弾を無効化し、
水・電気・高温・低温も効かない。最悪だ」
ここでテテが新たな疑問を投げかけた。
「でも…そんなに凄い生物なら、
なぜこの星で今まで見つからなかったんでしょう?
それだけの能力があれば、この星はジェスキンが支配しているのでは?
地球を人間が支配していた様に…」
これも最もな話だった。
現在のジェスキンでも十分ヤバイのに、
当時のオリジナルならさもありなん、である。
ジグの推察していた通り、同族以外には敵などいなかったと思われるからだ。
「そこは生物兵器故の悲しい宿命ね。
単為生殖が可能だったみたいだけど、どうやら強力な能力と引き換えに
繁殖能力は著しく低かったみたいなの。あの施設に子供の検体が残っていて、
それを調べて解った事よ」
キーファはそう話しながら該当するファイルを探し出し、
ジグに差し出してきた。
それを受け取ったジグはざっと目を通す。
「なるほどな、免疫関係をゲル物質に頼っているから、
それが未発達の子供は体内に悪い細菌が入りやすく、
病気や感染症で死んでしまう訳か。
創造主の元で栄養を与えられている分には問題無くても、
他の動物を獲物として経口摂取しなければならない状況では、
かなり厳しかったに違いない。
そもそも繁殖能力自体、無かったのかもしれんな。
必要に応じてクローン培養でもしていたとか?」
「その可能性の方が高いと私はみているわ。
こんなのに勝手に増えられたら洒落にならないでしょ」
キーファはジグからファイルを返して貰い、フォルダにしまい込んだ。
「で、でも、それじゃあどうやってこの星で…?
無理…ですよね?」
そんな状況で子孫を残す事は出来ない筈で、テテの疑問も当然だ。
「俺もそう思う。
だが、生命ってのはその発生からして謎だらけの存在だ。
いくら異星人達が優れた科学力を持っていようとも、
ゼロから生命を作り出したとは思えない。
体は勿論、各能力のベースとなった生物達がいた筈だ。
その生物達のDNAが創造主の想定を超えて何かを発揮し、
思ってもいなかった進化を遂げても、俺は全然驚かないよ。
きっと辛辣を舐め、地を這い、死に物狂いで命を繋いだに違いない。
それならあいつが子供に執着していたのも頷ける。
まさにやつらの種にとって、子供は宝だった訳だ」
子供は宝という言葉を聞いて、テテは急に悲しそうな顔をした。
「何だか悲しいですね…作った異星人?の
都合でそんな事になって…」
「だがそのおかげでこの星はジェスキンに支配されるのを免れ、
豊かな生物相を維持している。
ま、我々がジェスキン以上の脅威にならなければの話だがな」
「それにしても異星人か…宇宙のどこかにいるとは思っていたが、
彼らの残した痕跡がここで見つかるとは思っていなかったな。
それも自分達が見つけるとは…
本当に何が起こっても不思議じゃないな、この星は」
「そうですよ!これは凄い事じゃないですか!?」
テテが急に息巻き出した。漸く事の重大さに気付いたらしい。
「大発見じゃないですか!?人類が宇宙に進出した時から現在まで、
知的生命体は見つかってなかったんですよ?
ひょっとして私達、歴史に名が残るかもしれませんよ!」
しかしテテに比べると、ジグとキーファの反応は薄かった。
「あー、まぁそうなれば嬉しいんだが…な」
ジグはチラッとキーファに視線を投げた。
それを受けてキーファはテテに説明を始める。
「異星人そのものとか、使っていた宇宙船とか、
そういうもっと直接的な物ならともかく、
今回のは彼らが作ったと思われる生物の末裔、だからね」
「しかも遺伝子に残った僅かな痕跡が唯一の証拠。
私はうちの部の力を信じているけど、
エデンにいるこの分野の大御所的な人達は、田舎勤務の無名の研究員達が
言う事になんて取り合わないでしょうね」
「でも、サンプルは幾らでもありますよね?
それを提出してきちんと調べて貰えれば…」
「だからそれすらして貰えないのよ。妊娠検査みたいにはいかないの。
時間もお金もかかって簡単には調べられないから、まず無視されるでしょうね。
過去にもいろんな新発見、大発見がこうして日の目を見ずに埋もれていた、
なんて事がどれだけあったか。
それに仮に調べて貰えたとしても、手柄を横取りされるのがオチよ。
一部の権威が幅を利かせていて、彼らの言う事は絶対、そういう世界だから」
一度滅びかけた際に、そういうしがらみを全て捨てて協力しあった人類だったが、
過去に何度も戦争を繰り返していたように、
時が過ぎた現在またしてもそういう悪習がエデンでは復活しているのだ。
「そんな…」
「だから今回の報告も、[知的生命体による生物兵器の末裔ではないか?]という
仮説で報告するつもり。証拠を提示して断定したりはしない。
部内でもそう話をつけてあるわ」
キーファがぴしゃりとそう宣言すると、ジグも同意した。
「それが無難だな。下手に騒いで悪目立ちするのは避けたい所だ」
その言葉を聞いてもテテは食い下がる。
「でも、そうだとしても、異星人の存在は人類の脅威になるかもしれないし、
その存在が確実となったのなら、やはり公表して対策を取ったりしないと…
手柄なんてどうでもいいじゃないですか!?」
「それも最もだが、考えてもみろ?今の人類では現在のジェスキンすら作れん。
仮にその異星人共が攻めて来ると解っていたとしても、何が準備出来る?
事前に逃げる?とても逃げ切れるとは思えない。
それ位、彼我の技術力の差は大きいだろう」
「我々に出来る事は常に心構えをしていて、その時が来たら話し合いを持ちかけ、
友人になる事だ。それが出来なかったら人類は終わりだ」
ジグは他人事の様に軽く言い放った。
こんなスケールの話では、自分に出来る事は何もない。
「…………」
テテは不安そうな顔で黙り込んでしまった。
「何、心配するな。
ジェスキンのオリジナルがいたのは、きっと遥か昔だ。
作った連中がまだ近くにいるのなら、とっくに邂逅してるさ」
そのテテの様子を見て、キーファもフォローに入る。
「そうね、例えこの星で大都市を築いていたとしても、
跡形もなく全て塵に還るくらいの年月だと思うわ」
このフォローを受けたジグは、テテに言った。
「作った奴らは既に滅んでいるか、もしくは遥か遠くへ行っているか。
或いは、この星に水や食料の補給に立ち寄ったか近くを通った時とかに、
ジェスキン達が脱走しただけなのかもしれない」
「まだまだ調べが進んでいる訳ではないが、
現在の所どこにも異星人の痕跡は無いんだ。
だから今回の事は我々だけの秘密にしておいて、心の準備だけしてればいい。
口外しても何も良い事は無い、余計な不安を煽るだけだ。
今のお前みたいにな」
そう言われたテテは、少し考え込むような様子を見せてから、
背筋を伸ばし、居住まいを正した。
「解りました…お二人がそう言うなら。
何だか釈然としませんけど…」
「なぁに、探査先でもっとガッツリとした証拠を見つけたら、
大体的に発表して世の中をひっくり返してやろうぜ。
存在が確実なら、どこかにまだ痕跡が残ってるかもしれないしな。
楽しみが増えたってもんだ」
ジグはテテに拳を突き出しつつ言う。
「でも、ひっくり返すのはどうかと思いますよ?」
そう言いながらもテテは、
仕方ないですねとばかりに、微笑みながら拳を合わせる。
「やば、そろそろ行かないと!」
キーファは時計を確認し、慌てて机上のファイルをしまって立ち上がった。
「そんな訳だから、あんた達には教えといたわよ?
また何か見つけたらそん時はヨロシク!じゃあね!」
そう言って敬礼したキーファは、あっという間に去って行く。
「あの、ヒール忘れてますよーー!」
テテは慌てて後を追ったが、キーファからは「いらなーい。あげるー」
という答えだけが帰って来た。
「いらないって…あのまま報告に行く気でしょうか?」
「流石にそれは無いと思うが、
あいつならやりかねんな…遠慮なく貰っとけ」
「いや、私もヒールはちょっと…そもそもサイズ合わないでしょ…」
テテとキーファの身長差を考えるとまず履けないが、
そういいながらもローファーを脱いで、一応確認する為に履いてみる。
「あれ?ピッタリです。
キーファさん、サイズ合ってなかったみたいですね。
どうですか?似合います?秘書っぽい?」
くねくねと体を動かしてジグにヒール姿を見せつける。
本人は色っぽく振る舞っているつもりだろうが、足元がふらついていて
あまり成功しているとは言い難い。
「そうだな…背伸びしているティーンエイジャーって所かな」
「若く見られるのは基本的に嬉しいのですが、釈然としない感想ですね…」
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キーファが去った後、再び暇になったので
テテは仕事探しを再開し、ジグはまたワニの事を考えていた。
「お、丁度良いのがありますよ?
さっき入った通報らしいです。場所を送ります」
「ん…?」
「なに気のない返事してるんですか!
ほら、行きましょう!」
ワニが気になって乗り気になれないジグに、
ワニ以外ならと張り切るテテ、
最初とは逆の展開になっていた。
とはいえジグもプロなので、やる事はやる。
送られてきた住所を確認した所…
「学校…学校だと?
こんな所でレイダーが必要なのか?」
「なんでも、プールに巨大な怪魚が現れたとかで」
「なんだそりゃ?プールに巨大な魚?」
「はい、そう言ってました」
ジグは好奇心をそそられ、俄然やる気が出て来た。
「よし、向かおう」
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陽炎をトレーラーに載せ、現場に向かった二人は暫くして件の学校前に到着した。
周りは閑散とした住宅街で、プールの周りには見物人が集まっていた。
こんな田舎街のどこからこんなに集まって来るのか、不思議な位の人だかりだ。
その人だかりに対し、テテは拡声器で呼びかけた。
「皆さん、これからレイダーを使って作業をします。
危険ですので下がって下さい!この警告を無視して死傷した場合、
自己責任の元で裁かれます。場合によっては業務妨害で罰金も科せられます。
直ちにこの場より離れて下さい!」
テテのアナウンスを聞いた野次馬は、蜘蛛の子を散らすように離れて行く。
「このやり取りは今だ慣れませんね…」
エデン出身のテテには、少々乱暴すぎると思える警告だった。
「いいんだよ。エデンと違って、ここではこれが普通だ。
こうでもしないと、街中でレイダーなど使えんよ」
こうして見物人をかき分け、トレーラーは校庭のど真ん中で停止する。
二人が降りると、教師と思われる男が二人寄って来た。
「初めまして、私ここの校長のジムと言います」
恰幅の良い老人がそう言って手を差し出して来た。
「ジグです。こちらは部下のテテ。校長なのに事務ですか?」
ジグは手を握り返しながらテテの紹介を済ませ、軽い冗談を飛ばす。
「ははは、よく言われますよ。若い頃は事務職でしたから、
事務のジムでした。ややこしいったらありゃしない!ワハハ」
校長は笑いながらテテとも握手を交わした。
「どういった状況で?」
「いやそれが私もさっき来たばかりでして、ちょうど説明を聞こうと
しておった所へ、あなた達が到着されて」
するともう一人の男が前に歩み出て来た。
「生徒指導担当のヨシダです。自分が説明します」
ヨシダと名乗った男はいかにもな体育会系の中年男性で、
生徒達から恐れられているであろう、厳つい風貌の持ち主だ。
「お願いします。テテ、記録を頼む」
「了解です」
テテは持っていた端末を操作し、録画を始める。
録画されていると思うと緊張するのか、ヨシダは少し居心地が悪そうだ。
「えっと…まずはここのプールから説明しますと…
ここのプールはいろんな競技に対応する為、水深が1m35cmから5mまで
変更出来るようになっております。
で、シーズンオフの時は一番深くして水を溜め、
中に魚や水棲昆虫、水棲植物等を放ち、
それらの生態を授業で観察するといった事をしております」
「ではその中に…?」
「そうです。しかも三匹。
そろそろプール開きも近いので、水を抜いて水位を下げ、
生き物達を保護して野生に返してやるのですが、
その作業を始める為に生徒達と一緒にここへ来てみると…」
「大きな魚がいたと?しかしそれは…」
「疑問はごもっとも、私も同感です。
とりあえず現物を見てもらいましょう。
質問はそれからで」
ヨシダはジグが疑問をぶつけてくることを解っていたのか、
言葉を遮って先制を期した。
「解りました。案内を頼みます」
「ではこちらへ」
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「あれです」
先頭に立っていたヨシダが立ち止まり、
脇にどいて指差した先にそれは見えていた。
プールの水面から少しだけ背中を出した巨大な魚が、
ごくゆっくりと泳いでいる。
色は派手な赤色で、苔や水草で緑一色の水面では、否が応でも目に付く。
「あれか…確かにでかいな。一番でかいのは6m、
後の二匹は5mといった感じか?
それにしても…」
「臭い、臭いです!」
「こりゃたまらん!鼻が曲がりそうだ!」
テテと校長は辛抱たまらんとばかりに、鼻を摘んで喋る。
「そうなんです、ここへ来て既に気づいておられたとは思いますが、
この腐敗臭はどうやらあいつから出ているみたいで…
ほとほと困ってます」
ジグは巨大な魚影を睨みながら、自身の感想を漏らした。
「ふむ…死骸…な訳はないか。動いてるしな」
ジグは改めて巨大魚を観察した。
水が濁っていてよく見えないが、何となくどこかで見たような形をしていた。
一番大きいのは赤っぽい体色で、他二匹は地味な茶色。
この大きさと色からして雄雌の違いかもしれない。
それにしても泳ぐのが遅い。まるで雲だなとジグは思った。
じっと目を凝らしてみると動いているのが解るが、
一瞥しただけでは止まっているようにも見える。
「こんなはた迷惑な魚、さっさと駆除して下さい!おええっ!」
校長がえづきながらジグに訴えかけたが、ジグは無視して観察をしていたので、
テテが代わりに答えた。
「ライブラリ検索した所、未知種である事が判明しました。
姿の似た既知種はいますが、こちらは体長5cm程で大きさが全然違います。
それに原生動物は余程の危険が無い限り、駆除することはしません。
基本は捕獲です。未知種なら尚更です」
「どっちでもいいですから、早く何とかして下さいよ!」
「自分も校長と同意見です。
近隣からの苦情も出ていますので、早急に対処して頂きたい」
校長とヨシダにとっては早く何とかして欲しい所なのだろうが、
あまり事を急く訳にはいかない。
「まぁ待って下さい、相手は未知種です。どんな防御行動に出るか解りません。
下手に手を出すと更に酷い事になるかもしれない。少し時間を貰えますか?」
未知種相手では慎重になるに越したことはない。
恐ろしい毒を持っていたり、中には爆発までするのもいる。
近隣住民達には悪いが、今少し時間を掛ける事にした。
「所でヨシダさん、幾つか聞きたい事があるんですが、いいですか?」
「自分が答えれる事なら何でも答えましょう」
「プールに放った生物ですが、何をどれだけ放したか解ります?」
「聞かれると思ってリストを持って来ています。
当たり前ですが、あんな物は放っていませんよ」
ヨシダはポケットから折り畳まれた書類のコピーを出し、ジグに渡した。
ジグはそれを拡げて目を通すが、
特にこれと言って変わった物は書かれてはいない。
この辺りにいる普通の魚や昆虫、植物で、大きくてもせいぜい20㎝に
なるかならないかといった所で、数も多くは無い。
「ここの警備は普段どうなってます?誰でも好きな時にここへ来れる?」
「先ほど通った鍵付きの扉がありますが、
プールは屋外で簡素なフェンスがあるだけです。
そこを登れば誰でも入れると思います」
「なるほど…では誰かがイタズラで投げ入れたのかも…?いやしかし…」
「うちの生徒達を疑ってるんですか?」
「生徒達だとは言ってません。
ついでに聞きますが、このプールでの観察というのはどれ位の頻度で、
いつ頃までやってました?」
ヨシダは少し思い出すような仕草をしてから、はっきりと言った。
「生物を放ってから二週間後位から始めて、各学年の各クラスがローテーションで
観察の時間を取ってましたから、休日以外はほぼ毎日ですね。
観察授業が終わったのは一週間程前です」
「その観察中、アレは確認できなかったのですか?」
「そこが不思議なんですよ。
自分は殆どの授業で監督と監視を行っていましたが、
あんな物は一度も見ませんでした」
「水深が5m近くあるし、水がかなり濁っていて見落としていたとか?」
「それはありえません。
水が濁ってきてからはドローンを使って隈なく観察していましたから、
いくら水が濁っていても、あれほどの巨体を見落とすはずはありません。
あいつが観察終了から今日までの一週間程で、
急に巨大化したなら話は別ですが」
「なるほど、その線もありか…?いや、流石に無理か?
あるいは最近誰かがアレを、なんとかしてプールに放り込んだか?」
「あんな大きなものを、誰にも気づかれずにコッソリ放り込むなんて無理ですよ。
一応その場にいた生徒たちに怪しい人を見たか、
変わった事が無かったかと聞きましたが、何もありませんでしたし
そんな形跡も無いです」
「まぁそうですね、重機やレイダーを使えば痕跡が残るし、
もとより目立ちすぎる上にこんな所に遺棄する理由も無いでしょうし…
ならやはりここで育ったのだろうが、何を食ってあんなに大きくなったのか?
プール内で摂れる栄養などたかが知れてるだろうに」
「誰かがコッソリと餌をやっていたかもしれませんが、
それでも今まで見つからなかった事の説明にはなりません。
見つかる見つからないといえば、あいつは発見時からずっと水面付近にいて、
餌を摂るでもなく、背中を出して浮いてます。
今までどうにかして隠れていたにせよ、今度は見つけてくれと言わんばかり。
訳が解らない」
「プールの水をギリギリまで抜いて、よく見えるようには出来ませんか?
せめて口が見えれば食性が解るんですが」
「それは自分も考えたのですが…
排水弁が故障しているようで、動かないのですよ。
修理は簡単に出来るそうなのですが、プールに潜らないといけないらしく、
あんな物がいる中に潜る訳にはいきませんので…」
「大人しく見えても、獲物とする物を見つけたら
どんな反応をするか解らない、か…賢明な判断です。
そういえば、プール内の他の生物の数はどうです?」
「異常無しです。放った種が順当に育ち、繁殖した位の数です」
「本当に?だとしたらさっきも言ったが、何を食ってあんなに大きくなった?
肉食じゃないのか?それともやはり、誰かがどこかから持ってきた?」
「私は誰かがイタズラ目的で、精巧なロボットを使ったのではないかと
思ったのですが…」
「なるほど、それはあるかもしれない。
殆ど動いていない所とかそれっぽい…」
「しかし、そうだとしたらあの臭いが意味不明になるんですよね。
イタズラってのは、それを見た人のリアクションが見たいから
やるもんでしょう?あんな悪臭を付けたら誰も近寄りません。
三匹いるのも悪戯だとしたら不自然です。一匹で十分でしょう?」
ジグはもとより、このヨシダもこういった授業を受け持っているだけあって
生物が好きなのか、議論が白熱してきていた。
その様子を見ていた校長は、もう我慢ならんとばかりに話に割って入った。
「あの、よろしいかな?あいつが何でどうやってここに入ったかとか、
なぜ見つからなかったのか、何を食うのかとか、ロボットとか、
そんな事は後で学者か警察にでも任せればいい事です!
あなた達はとにかくアレをここから出してよそへ持って行って下さい!
このままでは掃除も出来ずにプールが使えないし、
臭くて近隣住民の迷惑です!」
それに合わせるように、今度はテテが口を開く。
「ジグさん、この方の言う通りです。我々は学者や調査員ではありません。
まずは対象の捕獲を最優先し、調査はその後で行うべきかと」
「う…そうだな、その通りだ。
とりあえずはロボットではなく生物として捕獲を試みるか」
「了解です」
校長とテテに痛い所を突かれたジグだったが、
確かにここでうだうだと議論をしていても
答えは出そうになかったので、ここらが潮時だ。
二人は巨大魚を捕獲すべく、陽炎に向った。
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「すいません、楽しまれている所を邪魔してしまって…」
陽炎に乗り込むなり、いきなりテテが謝ってきたが
ジグには何の事だか解らなかった。
「…………なんの話だ?」
「先ほど校長と一緒になって話を遮った事ですよ。
私個人としてはジグさんに味方したい所でしたが、
校長の言う事も最もでしたし、
後でクレームでも付けられたらかなわないですからね」
「ああ、そういう。
いや、あれで正解だ、何を謝る必要がある?
調子に乗って大して実の無い話を長々としてしまった俺が悪い。
よく言ってくれた」
「なら…良かったです」
「さてと、網を使うか麻酔を使うか…お前はどう思う?」
「網では他の生物も一緒に攫ってしまいますから、
まずは麻酔を試すのがいいと思います。
あの大きさで水面にいて浮いてるだけなら、当てるのは簡単です」
「だな、俺も同意見だ」
「あの…今更聞くんですけど、
プール周りに陽炎入れます?床を壊しそうですが…」
「あまり派手に動くとヤバいが、静かに動けば大丈夫だ。
この街ではレイダーを運用しやすいように、色々と頑丈に設計されている。
でないとレイダーの運用に大きな制限がかかるし、
地面に足を取られて転んだりすると危険極まりないからな」
「なるほど了解しました」
「近くに人はいないな?」
「はい、機体各所のカメラ映像確認、全てOKです」
陽炎は大きくフェンスを跨ぎ、プールの縁に立った。
そして捕獲任務用の麻酔銃で大きい方に狙いを付ける。
バシュ!
撃ち出された筒状の弾は綺麗に対象の背中に刺さった。
さすがにこの距離で、あの大きさと動きでは外しようがない。
だが体に弾が刺さっても、巨大魚は微動だにしなかった。
普通なら驚いたりするものだが。
「さて、効くか…?」
効けば横になって浮いてくる筈だが、暫く待ってもその様子は無く、
全く変化が無かった。
「ん?効かない…のか?」
「みたいですね。動きが全く変わっていません」
「弾が刺さっても何の反応もしなかったし、神経が鈍いのか?」
「ならいっそ手掴みしてみます?」
「……ふむ。
確かにあの動きなら余裕で捕まえられるな。
流石に陽炎で接近すれば、何らかのアクションを起こすか…?
よし、やってみよう」
麻酔銃を置いた陽炎は、ゆっくりとプールに入り、
腰の辺りまで水に浸かった状態でそろそろと巨大魚に近づいて行った。
「入った時にかなり水面が揺れたのに、相変わらずだな、コイツ…」
「寝てるんでしょうか?」
泳ぎながら寝る魚というのも、実は珍しく無い。
「動かないならその方が都合がいい。捕まえるぞ」
すぐ傍まで近づいた陽炎は、
ゆっくりと巨大魚の胸の辺りを両手で挟む様にして掴んだ。
が、それでも大きな動きは無い。
「逃げようともしない上に、暴れることもしないとは…
本当に生きてるのか?」
ジグはそのまま水面上に持ち上げて、今まで見えなかった部分を観察した。
「な…何だコイツは?」
ジグは信じられない物を見たような声を上げる。
「ど、どうしたんですか?!」
頭部コックピットからではまだ背中と一部体側しか見えないので、
ジグが何を見て驚いたのか、テテには解らない。
「口と目が無い。それどころかエラも無いし、ヒレがあるのは背中と尾だけで、
胸と腹には何やら大量の髭状の物がびっしり生えている」
「……うえぇ、それは気持ち悪いですね…」
その様を想像したテテはちょっと寒気がした。
「一応口や目・エラに見えなくもないディティールはあるが、
全部ダミーのようだ。擬態なのか?」
劇毒持ちの危険な魚になりすまして敵の目を欺く、ありそうな話だ。
「一度戻してみるか。何か違う反応をするかもしれない」
陽炎は手を放して巨大魚をプールに返す。
が、やはりその場で浮いて、ごくゆっくりと進むだけであった。
「一度掴んで放した後も、逃げるでもなくゆっくり浮かんでるとか…
麻酔も効かない…となるとやっぱりイタズラ目的のロボットか?」
こんな危機意識のない動物はさすがのジグも見た事が無い。
「三枚に下ろして食ってみるか?
バラせばロボットかどうかもハッキリする」
「こんな臭いのを食べてみるかとか、よくそんな発想が出ますね…」
ドン引きするテテだったが、ジグは怯まない。
「臭いは強くても旨い、という物は結構あるらしいぞ?
発酵させた魚とか、いい酒の肴になるって話だ」
「発酵させた魚?ああ、シュールストレミングですか?」
「そんな名前だったかな?元は地球の食べ物を
エデンで再現したとか何とか…とんでもなく臭うらしいな。
……ん?臭い…食い物…?」
このどうでもいい無駄話で、ジグの頭に何かが引っかかる。
「どうしました?」
「……あ…ひょっとして…そうか、それなら…」
「ジグさーん?」
「テテ」
「なんでしょう?」
「突然だがクイズだ」
「はい?本当に突然ですね…」
「自分を食う敵がいても逃げず、
その敵に触られても動かず無抵抗な生物とは?」
「ええ…そんなのいますか?
えっと…」
「心臓も無ければ脳も無い。口も無いし胃も無い。
糞もしない」
「何ですかその無い無い尽くしは?!」
「植物だ」
「え…ああ、確かに植物はそう…ですね。
でもこれ、ゆっくりとはいえ動いてますけど…?」
「稀にだが動く植物はいるぞ。虫を捕まえて食ったりな。
こいつは魚に見えるが多分擬態した植物だ。
へし折ってみれば分かるだろう」
「殺してもいいんですか?」
「構わない、現場の判断ってやつだ。
それにこいつはいわゆる[果実]だろうから、
殺すも何もない」
そう言うとジグは陽炎で今度は小さい方の魚を掴み、
棒を折るようにへし折った。
パキッ
魚は子気味良い音を立てて真っ二つに割れた。
断裂面は黄色で、種と思しき黒い粒がびっしり付いている。
「ほらな」
「ほんとですね…果物みたいな…
という事はこの臭いは…他の動物を呼ぶ為の物ですね?
寄って来た動物に自身を食べて貰って、種を遠くに運んで貰う…ですよね?」
「おお、よく勉強してるじゃないか。
そうだその通りだと俺も思う。果物と一緒だ。
甘い匂いで動物を呼んで食べてもらい、種を運ぶ」
「果物は解りやすいですが、こんなくさい臭いにつられて来る
動物なんているんですか?」
「いるぞ。スカベンジャー、だな。つまり腐肉食い。
主に動物の死骸を食べている掃除屋だ。
ただ、動く必要はないよな…スカベンジャーが相手なら
動いてない方がいいはずだ。弱っている演技をして、
普通の動物も引き寄せているのか?それとも…
いや、なんにせよこいつは植物であるのは間違いない。
細かい疑問点は学者連中に任せることにして、
さっさと回収しよう。
グダグダ考えてたらまた校長に怒られるからな」
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「結局どうだったんです?アレの事、解ったのですか?」
プールから戻り陽炎から降りたジグは、ヨシダに詰め寄られた。
ヨシダは早く知りたくてうずうずしている様だ。
この男とはうまい酒が飲めるかもしれないな、とジグはどうでもいいことを考えた。
「かいつまんで説明するとですね…アレは魚ではなくて植物でした」
「「はぁ?植物?あれが?」」
校長とヨシダは綺麗にハモった。
「この一週間程で、花が咲くみたいに一気に形を変えて
浮かんで来たものと思われます。
多分それまでは、底の方でひっそりと目立たない形状で育っていたんでしょう。
水中ドローンの記録映像をよく見ると、
きっとそれっぽい物が何かみつかると思いますよ。
動いてなければ案外解らないものですから。
つまり今回の騒動は、プール内にどこからか紛れ込んだ種子が育ち、
実を付けてああいう形になり、自身を食わせて種を運ぶ為に動物を引き寄せる
臭いを発していた、という事だと思われます」
ジグの言葉を噛みしめる様に聞いていたヨシダは、話を聞き終わると
憑き物が落ちたみたいにスッキリした顔をした。
「な、なるほど…そういう…後でドローン映像を確認してみます。
しかし、植物があんなに動きますか?」
ヨシダは信じられないといった顔をしていた。
魚としては遅い動きだが、植物だとすると動きすぎなように思える。
「地球やエデンでは殆どいませんが、こっちではそれなりにいますよ。
うねうね動いて、積極的に捕食行動を起こす物も見た事があります」
ジグは過去に未踏地で見た、変わった植物達を思い出して言った。
「そうなんですか…でも、スカベンジャ-が相手なら動かない方がいいのでは?
あいつらは完全に標的が死ぬまで近寄ってこないでしょう?」
ヨシダもジグと同じ疑問を持ったようだ。
やはり気が合うかもしれない。
「ごもっとも。これは俺の推測ですが、我々の知らない動物の中に
腐肉でも生餌でも何でも食べる奴がいて、そいつをキャリアーとして
想定しているのかもしれません。
地球にいたハイエナやサメみたいな感じの」
「あー、確かにそう考えると…」
「オッホン!!」
議論していると急に校長が大きな咳払いで割り込んできた。
「おっとすいません、さっさと回収しますよ。
あ、ドローンの映像、良ければ送って下さい。
俺も興味ありますんで」
そう言ってジグは名刺を出してヨシダに渡す。
こうしてこの事件は解決した。
…のだが、これをきっかけにしてこの日の夜、
惨劇が繰り広げられることになったのである。
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怪魚の件を終えた帰り道、二人は遅れた昼食を摂るために
最近出来た店に入っていた。
陽炎を載せたトレーラーは店の駐車スペースに停めてある。
ただ、あの魚植物を引き渡すために、陽炎を覆う為のシーツで包み
そのまま引き渡したので、今の陽炎はむき出しのままトレーラーに寝ている。
レイダーが物珍しいエデンでこんな事をすれば、人だかりの山が出来るが、
ノアのこの街では当然そんな事は起こらない。
せいぜい小さい子供(男の子)が何人か遠巻きに見て、目を輝かせている位だ。
ジグとテテは窓際隅っこのボックス席に陣取り、
料理が運ばれて来るのを待っていた。
「それにしても、何度見てもシュールな画ですね…
店の駐車スペースに巨大ロボって…」
窓から外にある陽炎を見て、テテがしみじみと言う。
「そうか?
こっちじゃトレーラーに載せないでそのまま
店先に立ってる事もあるぞ?
エデンではセイバーでどこかに行ったりはしなかったのか?
コンビニとか飯屋とか」
「出動でも無いのに、そんな所にセイバーで乗り付けたら大問題ですよ…」
「ふーん、何かめんどくさそうだな。そういや何て機体に乗ってたんだ?」
「セイバーですか?言って解ります?」
「すまん、解らんわ。はっはっはっ」
ジグはレイダーには詳しいが、セイバーは全く知らない。
ごく初期の陽炎を改造した物なら知っているが、
これらはすぐに姿を消した。
「お待たせしましたー」
そんな話をしているうちに料理が来た。
料理を運んできたウェイトレスはカジノのディーラーを思わせる様な
黒いスーツ姿だった。スカートの丈とか胸元の開き具合とか、
明らかに狙っている感じで、ジグは思わずチラチラと見てしまった。
「結構色々と凄いな。こんなコンセプトの店だったのか」
ウェイトレスが去った後、その後姿を見ながら
ジグは正直な感想を口にする。
「ジロジロ見ない!みっともないですよ。
見たいなら私のを見せて上げますよ。有料で」
「いいのか?いくらだ?」
「………ボケだと解ってはいても、ちょっと引きますね…」
「……慣れない事はするもんじゃないな」
2人の間に微妙な空気が流れた。
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「所で、この後どうしましょうか?
ざっと調べましたが、さっきみたいな話も今は無いみたいですし、
パトロールでもしながら詰め所に戻ります?」
途中、少し食事の手を止めて、テテは質問をしてきた。
聞いた後はまた食事に戻る。
ジグは料理を咀嚼しながら少し考え込み、答えた。
「…実はあのワニの行動について、ひょっとしらたという考えがあるんだ。
それを確かめたいんだが…かなりの危険が伴う」
「まだその事かんがえてたんですか?」
「ああ。
俺の推測が正しければ危険は無いんだが、
そうじゃなかった場合、最悪死ぬ事になるかもしれない」
「…………………………………!!」
食べながらジグの話を聞いていたテテは、食べていた麺を
口から垂らしたままで固まってしまった。
「この推測が正しいと確信する為に、調べたいことがあってな」
テテは何か言おうとしているが、麺を口に咥えたままでは当然
うまく喋れない。
「まずはそれ食ってからにしろ」
テテは慌てて麺を啜り上げ、飲み込んだ。
「し、死ぬって………何しようとしてんですか!!」
「かもしれない、だ。
それを「まず間違いなく大丈夫」のレベルにまでしたいから、調べるんだよ」
テテは一度コップの水を飲んで、口の中を綺麗にしてから話始める。
「大丈夫だと踏んだらどうするんです?その推測が正しかったと確かめる為に、
危険な事するんですか?!」
「まぁ、そうだな。そのつもりだ」
「なぜ?」
「好奇心………かな?それだけじゃないが、
かなりの割合を占めているのは認める」
テテは呆れたとばかりに、両手で額を覆って項垂れた。
「も~、なんでそんなにやんちゃなんですか………
そんな好奇心を満たすために命賭けるなんて、馬鹿のする事です!」
テテは盛大にため息を吐きながら、そのまま頭を振る。
が、すぐに訂正した。
「いえ…違いますか。
そういう体を張る人がいたから、いるからこそ、
安全とか危険とか、私達の知る所となって
それは大事な情報になるんですよね…」
「俺もそう思う。
そういう訳でもし俺の推測が正しかったとしたら、
あのワニをあのままにしておくのは、かえって危険な事になるかもしれない。
検証して確かめ、対策を取っておかないとな」
「……………はぁ、言っても聞かないですよね………
解りました、私もその片棒を担ぎましょう。死なば諸星です!」
「モロボシ?誰だそれ………諸共な」
「で!その推測ってのと、それを確かめる方法ってのは、どんなのです?」
「それは後で話そう。今は食事を済ませる事にしようや」
「焦らしプレイですか……まぁいいでしょう」
こうして二人は食事を済ませた。
料理自体はシェフがまだ修行中といった所なのか、
悪くも無く良くも無いといった感じだ。
今後に期待、という意見の一致を見た所で二人はその店を後にした。
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「で、具体的にどこへ行って調べるんです?」
「警察だ。レオに用がある」
「では連絡を入れておきますね。
レオさんと捜査資料の閲覧申請、ですかね?」
「さすが、解ってるな」
「当然です!」
「それにしても、本当にやるんですか?
話は解りましたし、確かにそうかもしれません。
でも、もし万が一違ってたらシャレになりませんよ?」
テテは既にジグの推論を聞いていたが、それでも不安を拭えなかった。
「それはこれからの検証次第だな。
取り敢えず調べる事調べてから考えよう」
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警察に来た二人は案内された部屋へと入った。
その部屋は沢山の大きな棚と、簡素な長テーブルとイスだけが置いてあり、
いかにも資料室然とした部屋である。
そのテーブル上には蓋の開いた大きめの箱が一つ置かれていて、
レオがその箱に入っていたのであろう書類を、
険しい顔つきでパラパラと捲っていた。
入って来た二人に気が付くと、見ていた資料を箱に戻して二人に向き直る。
その顔はいつも通りの普通の顔に戻っていた。
「よう、来たな。頼まれていた物は用意したぞ」
レオは先日の任務とは違い、普通の警官制服を着ている。
彼らは基本警官で、有事の際には特殊部隊となるのだ。
ジグはレオと握手を交わした。
「あの時以来だな。調子はどうだ?」
「悪くないと言いたい所だが…今でも時々夢に見る。
俺と一緒に生き残った二人も退職してしまった」
何人もの仲間が目の前で猛獣の餌食になってしまったのだ。
無理もない。
「…大変だな。
そういえばスコットはどうしてる?」
「彼も辞めたよ。責任を取る形でな」
ジグは微妙な気持ちになった。
彼はあの作戦でジグ達を蚊帳の外へ置いた。その事情も分からなくはないが、
それであれだけの死者を出してしまっては、責任を感じても無理はない。
「あれ?じゃあもしかして………確かレオさん副隊長でしたよね?
ということは………?」
テテがジグの後ろからぴょこんと現れる。
「あはは、ま、そう言う事になった。棚ボタみたいで気が引けるが………
今は俺が隊長だ」
「わ!それはおめでとうございます!」
「そうだったのか?それは…隊長なのにこき使ってすまなかった。
ちょっと調べたいことがあってな」
「そういうのはよしてくれよ。こちらも少し君らに話があったから、
丁度よかった所だ。で、何を調べているんだ?」
ジグはレオに事情を話した。
「あのワニか………あの時の事を思い出すだけでも寒気がする」
その言葉通り、彼は少し体を震わせる。
レオはあの事件の際にワニに遭遇した、たった四人のうちの一人だ。
他の三人はレイダーに乗っていたが、彼だけは生身で遭遇した。
その恐怖は推して図れる。
「貴重な動物なのは解るが、危険すぎる。
あいつは処分すべきだと思う」
そんなレオがこう言うのも無理は無い。
そう思ったジグは特に反論をせず、スルーを決め込んだ。
「この箱の中身がそうなんだな?見せて貰っていいか?」
「勿論、いいからこうして用意したんだしな。
ただ、まだきちんと整理してないから、
分類がぐちゃぐちゃで探すのは大変だぞ?俺も手伝おうか?」
「いや、その言葉は嬉しいが、用意してもらっただけでも大変だったろうに、
これ以上迷惑をかけられない。そこで見ていてくれ」
本音を言うと手伝って貰った方がいいのだが、
先程この資料を見ていたレオの表情を見る限り、
あの時の事を思い出してしまっていたのだろう。
目の前で何人もの仲間が狂暴化した動物に殺され、食害を受けたのだ。
その事件資料を見て平気な訳が無い。
こうしてジグとテテはレオが見守る中、
次々とジェスキン事件の捜査資料を机に並べ、
一つ一つに目を通していった。
事件後に鑑識が入り、ざっとではあるが色々と調べた事が記録されている。
しかしざっと調べただけの物とはいえ、その量はかなりの物で、
中々二人の目当ての物は見つからない。
「これ、コンピュータに入ってないんですか?検索したーい」
テテのぼやきにレオが答えた。
「年月が経って、その資料を破棄する事が決定したら、
デジタル化されるんだよ」
「デジタルデータってのは便利だが、色々弊害もあるからな。
簡単にコピー出来、流出したり改竄されたりしやすい。
その点紙の資料なら、中々そうはいかないからな」
ジグもどちらかと言うとアナログ人間なので、
レオの言葉に無言で頷いていた。
「なぁ、やっぱり俺も手伝おうか?見ているだけじゃ暇なんだ」
レオはそう言うが、強がりだと判断したジグは断るつもりで言葉を選んでいたが、
幸いその必要は無くなった。
「あ、これ、これじゃないですか!?」
テテが漸くそれと思われる個所を見つけてくれたのだ。
「どれどれ、見せてくれ」
ジグはテテの後ろから、手元の資料を覗き込む。
そこには何枚もの地面の写真とイラストが載っていた。
テテは資料を肩越しにジグに手渡し、それを受け取ったジグは
じっくりと目を通して、そこに漸く見つけた。
ジグの推測が正しかったと確信出来るに至る証拠を。
「見ろ、これだ」
テテとレオはジグの指した個所を覗き込む。
それはあのワニがいた建物内の見取り図と、現場にあった物や痕跡を
詳細に書き記したページだった。
「ここは…俺と君らが会った場所だな。ここに何があると?」
何が重要なのか全く解らないレオ。
「この写真と…こっちのイラストだな。
写真の方は俺達が機関砲で動物達を撃った際に床に開けた大穴だ。
イラストの方は陽炎が付けた足跡の位置を示していて、
ご丁寧に大きさや深さまで記録されている」
事件の本質とは殆ど関係ない事柄なので、
記録されているかどうかすら怪しかったが、
幸い担当した鑑識員はかなりマメというか真面目だったのか、
詳細に記されていた。
「こういうのは担当した者の性格が出るよな………で、これが?」
この資料ならレオも平気なようで、素直に疑問を投げかける。
ジグはすっと指先を、機関砲で開いた地面の穴の写真に持って行く。
「この写真、重要なのはこの穴じゃない。
ここ、写真の端っこにたまたま写ったと思われる、この大きな足跡だ」
それは僅かな痕跡だったが、動物達の血が溜まっていたおかげで、
何とか写真でも判別出来た。
あの場所は、ワニの為に床がむき出しの地面のままだったので、
容易に足跡が付いた訳だ。
「足跡………?ああ、確かにあるな。陽炎の物だろ?」
「そうだ、確かにこれは間違いなく陽炎の足跡だ。
だが………」
「これは俺達の陽炎の足跡じゃない。別の機体だ」
「別の機体だって?」
レオが怪訝な顔で聞き返した。
「何でそんな事が解るんだ?
普通に考えたら、これは君らの付けた足跡じゃないのか?
連中の施設には、レイダーを保有しているような
痕跡は無かったという話だぞ?」
広大な施設内には色んな建物があったが、レイダーは勿論、
レイダーを整備したりする道具や機械も無かったのだ。
「だが、俺達の陽炎はこの場所に移動していない。
俺はハッキリと覚えている。テテ、どうだ?」
「え?えっと………ハイ、確かに。私もそう記憶しています。
念の為に記録していた映像を確認します。少々お待ちを………」
テテはテーブル脇に置いていたルーズリーフの中から仕事用端末を取り出し、
外に留めてある陽炎にアクセスして、
あの時録画されていた陽炎のカメラ映像を呼び出した。
「ハイ、これです」
三人は端末を中心に顔を突き合わせ、早送りで確認した。
所々映像が激しく乱れたりしていたが、確かに問題の場所には
踏み入っていないように見えた。
「これじゃ何とも言えないんじゃないか?画像が乱れている個所が結構多いし、
アングル的に足元は死角だ。
おおよその位置は解るが、踏んでいたかもしれない」
レオの言う事も最もだったが、ジグは引かない。
「ではこれを見てくれ。足跡の深さが記録されている」
ジグはイラストで示されていた足跡の、下に書いてある数値を二人に見せた。
「幾つかある俺達の覚えがない場所の足跡と、そうでない足跡の深さを比べると、
覚えがない物は全て明らかに浅い」
レオとテテは交互に資料を手に取り、数値を確認した。
「確かにそうみたいだが………こんな物、体重の掛け方次第で何とでもなる。
レイダーは二足歩行をしているんだからな」
「それも最もだが、それならもっと深さにバラツキがあるはずだ。
それが無いのは、明らかに二機のレイダーの重さに差があったという事だ」
それを聞いたテテが、急に頭を上げて手を打った。
「ああ!あの聞かん坊?でしたっけ?きっとあれのせいですね!?
あれが重かったから、私達の付けた足跡は深いんですよね?」
ジグは無言で頷いたが、「機関砲な」と一応フォローを入れる。
しかしレオはまだ納得していなかった。
「仮にその通りだったとして、何か問題なのか?
あそこは元々は違法とは言え鉱山だった。
レイダーの一機や二機、どう調達したか分からんが、
作業に使っていたとしても何もおかしくはない。
結構な大企業もいたらしいからな」
「確かにそうだが、記録を見る限りそこまで古い足跡には見えない」
「じゃあどういう事なんだ?」
レオは頭が混乱してきた。
ジグはレオの肩とテテの頭に手を置いて、こう言った。
「あのワニの世話をしていたのはレイダーで、俺達と同じ陽炎だったんだよ」
「……………………………………」
「……!そ、そうか!言われてみれはそうだ、あんなデカイ奴の世話を、
生身の人間が出来る訳が無い!」
自然環境のまま、広大な敷地を与えたこの街の飼育スペースならともかく、
あそこは鉱山の倉庫だ。定期的な掃除や手入れは不可欠だっただろう。
それが人の手で可能かどうかというだけなら可能だろうが、
ただその場合、多大な労力とこの上ない命の危険が伴う。
「いや、しかしそれは…………レイダーを運用する為の
道具や設備は無かったんだぞ?」
「恐らくレイダーを使って非合法な事をしている奴がいて
依頼していたか、或いは………考えたくはないが、
我々の様な立場の者と通じていたか……」
「お、おいそれは………」
「一度ちゃんと調べた方がいいかもな。
だが俺が犯人の立場なら、こんな状況で自分のレイダーを
使ったりはしないから、本職のレイダライダではないと思うがな」
「でも、よっぽどお金に困っていてどうしようも無い人かもしれませんよ?
足が付きやすいのは解っていても、それでもやるしかない、みたいな………」
「…レオ、頼めるか?」
「あ、ああ。上に報告しておこう。
何かしらの動きがあれば、君らの所にも調べが及ぶが、いいのか?」
「問題無い。
俺達は勿論、他の連中も潔白だろうが、念には念を、だな。
多分ナンシーの様に、どうにかして入手した陽炎を使っている奴が
どこかにいるんだろう」
「しかし………この事実とあのワニのおかしな挙動が、
どう繋がるんだ?」
テテは事前にジグの話を聞いていたのですぐに納得出来たが、
レオはまだよく解っていなかった。
「それはだな、あの見た目からは信じにくいだろうが、
あのワニは………陽炎に甘えたかっただけだと思う」
これを聞いたレオは、少しの間頭の中が真っ白になったが、
何とか言葉を絞り出す。
「……………………はぁ?甘える?!」
「私と同じリアクション!」
レオのリアクションを見て、テテが妙に嬉しそうにはしゃいだ。
「ですよね?そう思いますよね?私もそうでした!」
テテはレオに向ってサムズアップを送った。
「あ、甘えるって……つまり、犬がやるような感じでか?」
「まだ確認した訳じゃないが、恐らく間違いないと思う。
ジャックが言っていたが、あいつはあそこで卵から孵ったらしい。
ここの資料にある押収品の中に孵化器があったからな。
なら人間に懐いていてもおかしくない。
ある程度の大きさまでなら、人の手で世話出来ただろうが、
成長促進剤によって子供のまま急激に巨大化したあいつは
すぐに人の手には負えなくなり、その世話をレイダー、陽炎だな。
が受け持つことになり、そのまま陽炎を親代わりにして育った」
「だから俺達が陽炎で作業を始めると、そのリアクター音か何かを聞きつけて、
嬉しそうに寄って来たんだと思う」
「そう考えると初遭遇の際、陽炎にちょっかいをかけて来たのは、
単に構って欲しかっただけで、俺達が無視を決め込むと諦めて水中に戻った」
「最後に俺がジェスキンと一緒に水中に飛び込んだ際、
迷いもせずにジェスキンの方を襲ったのも当然だった訳だ」
「な、なるほど………しかし、犬や猫ならともかく、爬虫類が人に懐いて
甘えたりするものなのか?そんな知能があるとは思えないが……」
レオは地球の生物については殆ど知らなかったが、
爬虫類は哺乳類に比べるとそんなに知能の高い動物ではない、位の知識はある。
「それは偏見だな。特にワニはあの見た目から誤解されやすいが、
他の大多数の爬虫類とは違い、ちゃんと卵を守り孵して、子育てまでする」
「そうなのか?それなら確かに………あるかもな。
甘えたかっただけ、か」
「ま、そう言う訳だ。行くぞテテ」
散乱した資料の束を箱にしまいながら、ジグはテテを促した。
「行くって………確かめに行くのか?」
レオは信じられないといった顔で聞く。
「実際にアイツの前に立って、相手をしてみればはっきりする事だ。
おっとそういえば、俺達に何か話があると言って無かったか?」
テテを連れて部屋を出ようとしていたジグは、
その事を思い出して立ち止まる。
「ああ、そうだった」
レオもすっかり忘れていたらしい。
「ええと………何かそっちが忙しそうなので簡単に説明するが、
実は今度、警察でもレイダーを導入しようかという話が持ち上がっていてな」
「ほう」
「ほんとですか!?それはすごいじゃないですか!」
「以前からそういう話は出ていたが、導入しても殆ど出番は無いと判断され
お流れになっていて、実際そうだったんだが………あんな事があったからな」
レオはここでまた思い出したのか、少し表情に影が落ちたが、
すぐにその影は消えた。
「で、そのレイダー隊が出来たら、俺が隊長になるそうだ。
そこで、これから色々と君らに協力して貰う事になりそうなので、
その時は宜しく頼む」
そう言ってレオは手を差し出してきた。
ジグはその手を握り返して返事をした。
「もちろん、喜んで協力させてもらうさ。なぁ?」
「当然です!」
そう言ってテテは、空いてる方のレオの手を握った。
「ありがとう。レイダーの扱いに関して俺達は素人だから、
専門家の協力があるのは心強い」
「俺達も街中のトラブルを警察に任せる事が出来れば、
かなり楽になるからな。大歓迎だ」
こうしてジグ達は、警察とのパイプを強固な物にしつつ、
ここを出た。
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「さて、いよいよ最後の仕上げだな」
ジグはトレーラーでワニの所へ向かいつつ、
テテにとっては不穏な発言をしていた。
「あの……一応止めますね。
止めておいた方がいいと思いますよ?
状況証拠だけで、あのワニさんが人馴れしてる筈だとするのは、
やはり危険すぎると思います。
別に確認なんてしなくてもいいじゃないですか?」
テテはダメ元で止めにかかるが、ジグの返事は思った通りだった。
「いや、ハッキリさせておかないと駄目だ。
あのままではストレスでイラついて、壁を壊しかねない。
あいつにそのつもりは無くとも、ちょっとした憂さ晴らしで
尻尾でも振るおうものなら、あの程度の壁位容易く破壊出来るだろう」
「今の壁であいつを完全に封じ込めるのは無理だ。
今問題無く囲えているのは、単にあいつがその気になっていないだけで、
このまま慣れない環境と寂しさでストレスを抱えると、
どうなるか解るだろう?」
それこそテテの言っていた、「その手の映画」さながらの大惨事も起きかねない。
「ま、流石にこれは俺一人でやる。万が一ということもあるからな。
リスクは最小限に抑える」
「その万が一の為にコパイがいるんですよ。
ジグさんに何かあっても、私が無事なら戻れます。逆も然り。
覚悟を決めました、お付き合いします」
「無理するな。
離れて作業する前提でも、あんなに怖がってたじゃないか。
今度はあの時と同じで、正真正銘最接近するんだぞ?」
テテは黙り込んでしまったが、暫くしてから口を開いた。
「………ここを克服すれば、この先何を目の前にしても頑張れると思うんです。
あのワニさんより迫力のある相手なんて、そうそういないでしょう?」
「迫力と言うならあの時のダイノアも大概だと思うがな」
二人が初めて会った日に遭遇したダイノアの事で、
あの時テテは冷静に立ち回り、自分自身で追い払ったのだ。
「あの時の私は覚悟が決まりまくってて、
ジグさんとあの子さえ無事なら他はどうでもいい、
私の命を使ってとにかく二人を助けたい、の一心でしたから。
でも今は…」
「いや、あの時のお前が異常で、今が健常なんだからな?」
「はは、もちろん解ってます。
でも、戦闘の時に何も出来ないまでも、少なくともパニックになって、
ジグさんの足を引っ張ることだけはしたくないです…
だから、行きます。残れと命令されても聞きませんから」
そのテテの決意を聞いたジグは、可笑しそうに言った。
「………ほんと、よく出来てるのか出来てないのか解らない秘書だな。
命令は聞かないとか言い切るし」
「なんちゃって秘書ですからね」
ジグにしてみれば足手纏いなんてとんでもない。
彼女がいなければ、ジェスキンには勝てなかっただろうし、
最近では事務系の仕事は任せきりで、本物の秘書めいている。
彼女が自分のレイダーに乗って独り立ちしてしまうと、
ジグの仕事に支障を来す可能性が高い程に頼り切っていた。
謙虚なのはいいが、もう少し自信を持ってもいいのにと思ったが、
それは彼女自身の問題なので、口には出すまい。
「あの……せめて何か武器を持っておきませんか?
万が一に備えて」
「動きは遅いだろうから、スタンハンマーによる電撃で怯ませれば
十分逃げれるだろう。だからこのままで大丈夫だ」
「………了解しました。その時は頼みます」
この後は二人無言のまま、やがて今日二度目になる場所に到着した。
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「おやおや、どうしたんだ?まだ何か用があるのか?」
トレーラーに気付いた管理人が、二人が降りる前に外に出てきて、
降りてきた二人に早速質問を投げかけた。
「仕事を途中で投げるのは嫌いでね。もう一度やってみる事にしたんだ」
「そうなんですよ、すいませんがまた探知機貸して貰えます?」
テテが恭しく頭を下げると、管理人は特に何も言わずに
腰に下げていた探知機を差し出した。
テテはそれを受け取り、ジグに渡した。
「すいません、ちょっと準備してきます。
すぐ戻りますから、待っててください!」
「ああ、こちらも道具の準備がある。ゆっくりでいいぞ」
テテは軽く会釈だけして、そのまま詰所へと入っていった。
「ええ子じゃのう」
管理人がしみじみそう言った。
「俺もそう思う」
そう言い残してジグは陽炎に向かった。
「おい、彼女を待ってなくていいのか?」
ジグは手を軽く上げただけで、そのまま陽炎に乗り込んだ。
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テテはこの施設のトイレで聞き慣れた音と振動を感じた。
「あれ?陽炎………?」
慌てて外に出てみると、既に陽炎はそこになく、
管理人だけが立っていた。
「え?!え?」
「待たなくていいのかって聞いたんだがね。さっき一人で入っていったよ」
「な………!」
なんで!?と続けそうになったが、理由なんて考えるまでも無かった。
「ど、どこからか中を見れる所ありませんか!?」
「壁の上に出れる個所が幾つかあるが………」
「案内して下さい!お願いします!」
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「アイツ、おいてけぼりにされて、めちゃくちゃ怒るだろうな………はは」
ブラシを片手に持った陽炎は、ゆっくりとワニの居る所へ近づいていた。
まだこちらには気づいていないのか、探知機に動きは無い。
その時ふと、ジグは少し離れた壁の上に人影を確認した。
あんなところに登れる個所があったのかとカメラをズームしてみると、
やはりというか、テテだった。管理人もいる。
何やら喚いてる様だが、ここまでは聞こえない。
が、おおよその見当はつく。
ジグは陽炎で問題無し、とのゼスチャーを送った。
その時。
「む?動き出したか……」
探知機の光点がゆっくりとこちらに近づき始めた。
陽炎はその場で動きを止め、空いてる手でスタンハンマーを
取り出し、ワニが来るのを待つ。
まずは遠くにある木々や、草が揺れるのが見えた。
そしてそれがこちらに近づいてくるにつれ、その動きが大きくなっていく。
やがて這いずる音が聞こえて来たかと思うと、はっきりとした足音が聞こえた。
「あ、あれが……!!儂も……こんな距離で見るのは初めてじゃ………!」
いつも探知機で位置を把握し、近づかない様にしていた管理人は
初めてその全貌を目の当たりにし、戦慄していた。
「何で逃げない?!もうそこまで来てるぞ!」
管理人はテテに詰め寄ったが、今の彼女には説明する余裕など無く、
ひたすら心の中でジグの無事だけを祈っていた。
が、同時に沸々と、置いてけぼりにされた怒りもこみ上げて来ていた。
足手纏いはいらない、とでも言われたような気がしてきたのだ。
その間にもワニはどんどんと距離を詰めて来ている。
ジグは動きは遅い筈だと言っていたが、とてもそうとは思えない動きだ。
やがてワニはジグの視界に姿を現した。
以前もこうして邂逅したが、やはり30mというサイズは並みの迫力ではない。
大きさだけならもっと大きい動物がいるが、
大半は大人しい草食動物で見た目も優しい。
陸上動物の捕食者でこのサイズは類がなく、しかもこの狂暴そうな見た目。
流石のジグも、今すぐ逃げ出したくなる衝動を抑えるのに苦労を強いられる。
だが考えようによっては、身長2mの人間(陽炎)が全長6mのワニに
相対していると思えば、少しは気が楽になった。気休めもいい所だが。
「さて、どうだ………?」
ジグは陽炎の腕を広げて、ワニを受け入れるようなゼスチャーをした。
爬虫類と言うのは表情が無く、見ただけでは
こちらに敵意を持っているのかどうか解りずらい。
この時ジグは、急に一人でいる事が不安になってきた。
今までも何度か危ない橋を渡ったり、危険な目に遭った事はあったが、
こんな気持ちになる事などなく、
テテが後ろにいるかいないかでここまでメンタルが変わるとは、
ジグ自身も驚いていた。
ふと壁の上にいるテテを見る。
パニック寸前の管理人とは違い、口を真一文字に結んで
しっかりとこっちを見ている。その姿を見ると不安がすっと消えた。
この時、テテが大きく口を開いて何か一言ずつ喋り始めたので、
唇を読んでみると…
「………ば……か……た……れ?」
思わずジグは吹き出した。余程腹に据えかねているようだ。
ビンタどころかグーで殴られるかもしれない。
ワニが動く。地を這い、陽炎の目の前まで来る。
ここで噛みついてこられたら、躱しようのない距離だ。
操縦桿を握るジグの手に冷や汗が流れ、見守るテテも膝が震えていて、
手摺に掴まって立っているのがやっとだった。
管理人は見ていられなくなり、その場から姿を消していた。
ワニはそのまま陽炎の横を通って行く……と思われたが
すっ……と地面に伏せ、その場で動かなくなった。
その様はまるで、飼い主の傍に寄って来て座り込んだ、犬か猫の様。
「ふ………ふぅ……は、ははは」
敵意は無いらしい。
ほぼそうだと思ってはいたが、万が一を考えると肝が冷えていたジグは、
安堵の笑いを漏らす。
陽炎が手にしたブラシで、恐る恐る背中を擦ってやると、
うっすらと目を閉じて気持ちよさそうにしているワニ。
その様子を見たテテも、安心してその場でぺたんと座り込んだ。
いつの間にか目に溜まっていた涙を、眼鏡を外して拭う。
陽炎は一通り背中周りをブラシで軽く撫ぜ終わると、
今度は本格的にゴシゴシと掃除を始めて、汚れと寄生虫を落としにかかる。
その間もワニはされるがままで、だらしなく全身の力を抜いているのが解った。
尻尾の先まで終わると、そこで反対側に回ってもう一度尻尾から
背中、そして頭の方にかけてブラッシングしていく。
それが済むと今度は、腹を見せてひっくり返る。
ここもして欲しいということだろうが、これにはジグも驚いた。
動物が急所である腹を晒すという行為は、
余程信頼している相手にしかしない事だ。
ここまで人馴れ?レイダー慣れ?しているとは思ってもいなかった。
調子の出てきたジグは期待に応えて、
そのまま今度は体の裏側をブラッシングする。
それも済むとワニは体を起こし、陽炎の方を向いたと思うと、
いきなり口を開けた。
この動きにはジグも一瞬ビビったが、口を開けてそのまま動かない様子を見て、
すぐに悟った。口の中も掃除して欲しいらしい。歯磨きである。
歯並びが悪いので、あちこちに餌の肉片が挟まって残っている。
本来ならこういう物は水辺の鳥や水中の魚に掃除して貰うのだろうが、
今の環境ではそれは望めない。
これからも定期的に陽炎で掃除してやる必要があるだろう。
或いはそういう鳥や魚を、この施設で一緒に放し飼いにするとか。
歯磨きが済むと、ワニは満足したように、
ゆっくりと奥にある溜池に戻って行った。
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「ふー、やれやれだ。漸く仕事らしい仕事が出来たな」
ワニの世話後、敷地内を一回りして点検を済ませて戻ってきたジグは、
陽炎から降りて一人で呟いた。
だが、次はテテによるお説教タイムが待っているだろう。
そう思っていると、詰所からテテが出て来て無言でこちらに向って歩いて来た。
(ひえー……ワニより恐)
下を向いていて、眼鏡の反射と前髪でその表情はよく解らなかったが、
相当怒っているのであろうことは容易に想像できた。
「まぁなんだその、悪かった。お前が無理してる様に見えたんで、な?」
目の前まで来たテテに対して一応言い訳を試みたが、
当のジグもこれで済むとは思っていない。怒られる前の通過儀礼みたいな物だ。
「最初から………」
下を向いたままでテテがぼそりと言った。
「え?」
「最初から…私を置いていくつもりだったんですか…………?」
顔を上げて声を絞り出すテテの目には、
決壊寸前のダムみたいに涙が溜まっていた。
「私は……足手纏いなんでしょうか?」
「違う、さっきも言ったが、お前が無理をしていると思ったからだ」
「………私を気遣ってくれたのはとても嬉しいです………
でも、何も言わずに一人で行くのは………駄目です」
更に近寄ってきたテテは、額をこつんとジグの胸辺りに当てて、
肩を震わせながら言葉を絞り出した。
「…の……背中を……守らせて下さい」
「テテ………?」
「……どんな危険があろうと、私の居場所は………
もうそこにしかありませんから………
泣き言は二度と言いません………だから」
「…私を置いて…行かないで………!」
ここでテテの目に溜まっていた涙が決壊した。
いたたまれなくなったジグは、テテをそっと抱き寄せた。
「すまん。相棒を信じてやれなかった俺が悪かった」
「いえ、私が……ジグさんに依存しすぎなんです。
自分でも解ってるんです………でも、どうにもこうにも………」
普段からは見て取れないが、
やはりまだ精神的に不安定な所があるのだろう。
「人生、上手くいかない事の方が多い。
ゆっくりでいいんだ、ゆっくりでな。付き合ってやるよ」
「それで………ジグさんはそれでいいんですか?迷惑なら………」
「迷惑なものか。
実を言うとさっき、後ろにお前がいないことで妙に不安な気持ちになったんだ。
上手く言えないが………こう、落ち着かないというか
違和感があるというか………」
ジグは体を放し、テテの頭に手を置いて、
撫でながら顔を自分の方に向けた。
「だから自分はいらないんじゃないかとか、迷惑かけてるとか考えるな。
お前はよくやっているよ。俺の方が依存しそうな位にな」
「もう勝手に置いて行ったりはしない。約束する」
テテの顔がぱっと明るくなり、さっきまでとは別の感情の涙が溢れてきた。
「…………はい!」
ジグはこのテテの様子を見て、少し笑いを漏らした。
「………?何です?」
ジグに頭を撫でられながら、テテは首を傾げた。
「いやすまん、何だか昔、ヴィクスの開拓中に寮で飼ってた犬を思い出してな」
無許可で持ち込まれた外来動物を、一時的にどこかで預かるというのは、
開拓地では珍しい事ではなかった。
その犬は色々あって結局寮で飼う事になり、皆で世話をしていた。
寮生の中でも特にジグによく懐いていたのだ。
「い………いぬ?」
そう言われてテテは、今の状況が急に恥ずかしくなってきた。
いい大人が、嬉し涙を流しながら頭を撫でられているのだ。
まさに犬。
そんなテテの様子なんて気にするでもなく、ジグは頭を撫で続けていた。
サラサラの銀髪がとても心地よく、いつまでも撫でていたくなる。
「あの……そろそろいいですか?」
テテがそう促した時、ジグはかつて犬にそうしていたように、
思わず耳を撫でた。
「ひゃっ!」
いきなり耳を触られたテテは、思わず変な声を出してしまい、
膝から力が抜けてその場でペタンと座り込んでしまった。
そして慌てて自分の口を塞いだ。
「えっ?あ、スマン、つい昔を思い出して……
そんなにくすぐったかったか?」
テテは顔どころか耳まで真っ赤にして、
俯きながら撫でられた耳を両手で隠した。
テテは体のどこよりも、耳が一番くすぐったい箇所だった。
そんな事ジグには知る由もないが。
「この………セクハラ上司ーー!!
ガルルルル………!!」
耳を押さえながら犬の鳴き真似をし、歯で噛みつく動作をするテテ。
小柄な体躯に座り込んでいるという姿勢も相まって、
その様はまさにポメラニアン。
「うおっ、可愛いな!どうどう………」
ジグは犬に対してするように、ステイのゼスチャーを繰り出す。
「うう~~~!!」
しかしテテは、唸りながら歯を噛み鳴らして威嚇する。
二人共、重かった場の空気を和らげようとして、少しふざけ始めていた。
「人に噛みつこうとする悪い子は………こうだ!」
ジグは一気に腕を伸ばした。
テテもそれに反応して手で防御をするが、力の差は歴然としていて
あっさりと弾かれてしまい、ジグはテテの両頬を掌に収めた。
「にゃあぁぁ!!」
「お?今度は猫か?」
頬を包んだジグの両手の指先が、絶妙な加減で耳に当たっていて、
とんでもなくくすぐったいのだ。
そんなテテの事情を知らず、のんきな事を言ってふざけるジグだったが、
テテの方はそれ所ではなかった。
やがてジグは、犬や猫の頭を耳ごと撫で散らかすのと同じノリで、
テテの両側頭部を髪と耳ごとくしゃくしゃとやり始めた。
「やっ………!」
テテは思わず手足をばたつかせて暴れた。
そのうちの一発が、ジグのみぞおちにクリーンヒット!
「ぐふっ!?」
ジグはうめき声を発し、その場で膝から崩れ落ち地面の上でのたうった。
テテはテテで、解放されたものの余韻で体に力が入らず、
その場で倒れてぐったりとしていたが、何とか言葉を発した。
「……ざ、ざまぁ……です」
「ぐ……ちょっとフザけ……すぎたな……はは……すまん」
「あの……大丈夫ですか?
かなりいい手応えがしたんですけど……?」
「な、なに、調子に乗った罰……だ。
甘んじて受け入れよう………うぐぐぅ」
「罰ついでと言っては何ですが……今日の晩ごはん奢って下さい」
「い、いいだろう………了解した。もう………そんな時間か」
いつの間にやら日は落ちて来ていた。
「お主らは何やっとんじゃ、さっきから?」
「「!!!」」
急に管理人に声を掛けられ、二人とも飛び上がった。
「いやまぁ、レクリエーションみたいなもので………はは」
「やだもー、いつから見てたんですー?あはは」
二人共気まずい思いで、乾いた笑いを交えて答えた。
「…………何も見とらん、儂は何も見とらんよ。お幸せにな」
そう言って管理人は詰所に戻って行った。
「そ、そろそろ行くか。今日はもう上がりだ」
「そ、そですね、そうしましょう」
少し離れた所にある陽炎を見た二人は、ふざけていた自分たちを見て、
陽炎が呆れた顔をしているような気がした。
陽炎には顔なんて無いのだが。
これから数日後、ジグ機含む街にある三機の陽炎が
ワニの世話係に正式に任命され、ワニは「イリス」と名付けられた。
(イリエワニという種類だったのでそこから)
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そしてこの日の夜、事件は起こった。
場所は男子寮、ジグの部屋。
狭くは無いが決して広くは無い部屋に、
この時7人の男女が詰めていた。
事の発端は、テテがジグの驕りで夕食を食べていた時に、
学校の怪魚の時に話していた「シュールストレミング」を持っているから、
今晩これを肴にして呑みませんか、と言い出した事だった。
テテ曰く貰いものらしく、いつ食べようかと思っていたので、
今回丁度良い機会と相成った訳だ。
ただ、二人きりでどちらかの部屋で飲むというのは流石にアレだったので、
何人かの同僚に声を掛け、合計7人が集まった。
皆酒を飲みたいから来たというより、地球発祥の珍しいツマミが目当てで、
一体どれほどの臭いがするのか興味津々、怖いもの見たさでここに来たのだ。
そして宴が始まる。
大本命の缶詰[シュールストレミング]は最後に回し、
まずは普通に各自が持ち寄った酒を飲んでつまみを食べて騒いだ。
だが、この「先に飲み食いを進めた」のが、
この後の悲劇を悪化させてしまう事になった。
宴もたけなわな頃、そろそろ本命を食べようということになり、
テテが持ち出した缶詰の周りにジグ以外の6人が集まった。
ジグはいつもの慎重な性格もあって、少し距離を置いていたのだ。
こうして惨劇の幕は、持ち主のテテの手によって上げられた。
彼女が缶のプルタブを一気に引き剥がした瞬間、
発酵により溜まっていたガスが液体と共に吹き出し、
いや、それはもう爆発といっていい勢いで、
円陣を組んで覗き込んでいた6名の顔面に勢いよく飛び散る。
そして6人の鼻梁に信じがたい臭いが飛び込んできた。
テテは人の声とは思えぬ絶叫と悲鳴を上げ、それは部屋中に響き渡り、
続いてテテの口から迸ったゲ●が勢いよく宙を舞う。
他の者もテテと同じ様に缶詰の臭いでゲ●、何とか耐えていた者も
目の前で迸る新鮮なゲ●を見て貰いゲ●をぶちまけ、
それがまた次のゲ●を誘発し、花火が弾ける様に次々とゲ●の花が咲いた。
その場に居合わせた一人は、後にこう証言している。
「1か月洗わずに履き続けた下着が、花の香りに思える程の臭いだった。
あれは科学兵器だ」
後で冷静に考えてみると、すぐに鼻を摘んでしまえば良かったのだが、
それが出来たのはジグだけで、他の者は皆かなり酔っていた上に、
油断していた所に不意を突かれ、一気にパニックに陥り気が回らなかった。
そして逃げようと出口に殺到してしまい、詰まって動けなくなってしまったのだ。
顔面や髪の毛にこびりついた汁は、どこへ逃げようとも付いて来て、
毒ガス室と化した密室で逃げ場を失い、
事前に色々食べていたのが仇になり、部屋は吐しゃ物にまみれ、
全員がそれらを引っ被った。
こうして楽しかった宴は、あっという間に阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。
臭いは開けた窓やドアの隙間から漏れ出し、近所を汚染。
騒ぎを聞きつけた近隣住民からの通報で、警察や救急隊が駆けつけ、
除染車まで出動する大騒ぎ。
後にこの事件は「深夜の毒ガス魚事件」として
永く語り継がれることになったのだった。
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6話 終