真相と決着
「もう一体…!!本当ですか?!」
「まだ分らんが、念の為そのつもりでいた方がいい、という事だ。
可能性は低いと思うが…」
「それは一体どういう…?」
「話は後だ、まずは奴をあそこから引き剝がすぞ!!」
もうすぐそこに、ジェスキンの背中が見えていた。
すると向こうもこちらの接近に気が付いたらしく、
建物の破壊を止めてこちらに振り向いた。
効かないのは解っているが、牽制の為に機関砲を撃った。
やはり先ほどと同じ様な結果に終わったが、
ジェスキンにとっても全然平気、という訳ではないらしく、
嫌がる素振りを見せて建物から離れた。
取り巻きの動物達は全て陽炎を追って来ていたのだろう、一頭も居なかった。
あのラボータが上手く足止めをしてくれている様だ。
陽炎は機関砲をパージしてスタンハンマーを右手に持ち、ジェスキンに迫った。
「タイマン勝負だ!」
ジェスキンの方も逃げるでもなく陽炎を迎え撃つつもりなのか、
肩から伸びた副腕の爪を振りかざし、威嚇の体勢を取る。
長い尻尾の先も陽炎に向いてピタリと止まった。
「奴もやる気満々だな…行くぞ!」
「はい!」
陽炎はハンマーに電流を流し、シールドを前方に構えて突進した。
ジェスキンはその場を動かず、長い尻尾の先に付いている棘で攻撃してきた。
しかしこの程度の小さな棘では、陽炎のシールドはおろか
本体の装甲すら破れず、虚しく弾かれた。
その間に肉薄した陽炎はハンマーを振るったが、
ジェスキンはすんでの所で素早く跳びのいた。見かけ通りの敏捷性だ。
「ちっ、速いな…!」
ジェスキンは陽炎の攻撃範囲外から、再び尻尾の棘による攻撃を繰り出したが、
結果は変わらない。
「毒でしょうか?先ほどと今の攻撃で、機体に何やら付着した様です」
「なるほど、毒か。
見た目からして如何にも使ってきそうな感じだ」
どんな毒性があろうとも、陽炎には当然通用しない。
やがてジェスキンは毒針?が通用しないと解ったのか、
尻尾を下ろして肩の腕を大きく振り上げ、
おぞましい威嚇の声を上げて跳びかかってきた。
あの腕の爪はまともに喰らうとやばそうではあるが、
こちらとしても接近しなければ攻撃出来ない。
ジグはあえて陽炎を前に出し、シールドで爪を受けていなした。
爪を受け流されたジェスキンは、勢い余って体制を崩す。
ジグはこの機を逃すまいと、脇腹辺りにハンマーを接触させて
最大出力で電流を流した。
「入った!」
並みの生物なら間違いなく黒焦げになるレベルだが、
音もしなければ煙も出ず、火花すら散らなかった。
「バカな!?……そうか、絶縁体か!?」
どうやら全身を覆うゲル状物質が、電流をシャットアウトしたようだった。
ならばと今度は、ハンマーを背中に向って打ち下ろした。
ハンマーはゲル物質を叩き、ドボンという鈍い音がしたが、
全く手ごたえが無かった。
「こ、これは…!」
ジグが驚愕の言葉を発するのとほぼ同時に、
テテの注意が飛んできた。
「後ろから来ます!」
密着状態だったジェスキンは上体を大きく捻り、陽炎の背面に爪を振るった。
ジグは慌てて陽炎を離したが、躱し切れなかった。
嫌な音がして背面を大きな衝撃が襲い、近くの建物に倒れ込んで
その一角を崩したが、おかげで転倒して大きな隙を晒すのは免れた。
ジグはすぐさま体勢を立て直し、後ろに跳んで距離を置いた。
ジェスキンもこちらに向き直りつつ姿勢を低くし、お互い睨み合いになった。
「被害は!!?」
「背部装甲に損傷!しかし行動に支障はありません!」
「何とか急所は外した、って所か…
まともに喰らったらそう何度も耐えられないな。
関節部なら一発で持って行かれそうだ」
キャノピーもと言いそうになったが口を噤んだ。
テテをいたずらに不安にさせる事は無い。
「それとあのゲル状の皮膚、厄介だな…
どうやら機関砲もあれで防がれたみたいだ」
ジグは陽炎の武器をハンマーからダガーに持ち替えた。
「あんな物でですか?なんか柔らかそうに見えますけど…」
確かにテテの言う通り、スプーンですくって食べれそうな見た目で、
とても銃弾を防げるようには見えない。
「そこが曲者だ。
あれはかなり抵抗力の大きい物質みたいで、強い弾力もある。
電気も通さないみたいだし、水ゴムとでも言えばいいのか…?」
「水?ゴム?だとしても、やっぱり銃が効かないのはよく解りませんが…」
機関砲の威力を目の前で見たテテには、
あんな物であの攻撃を凌げるとは、到底思えなかった。
「海や川の水面に向って銃を撃った場合、水中で弾丸が砕けてしまい威力を失う。
水は抵抗力の高い物質で、弾速が速ければ速いほど
かかる抵抗力も大きくなるから、弾丸はその力に耐えられなくて崩壊する。
だから水中銃は、銛を弓の様に撃ち出す形になっている」
「な、なるほど…ではあのゲル状物質も、その水と同じ様な働きを?」
「多分な。
俺達の知らない未知の物質か何かなんだろうが、要するにそう言う事だ。
だから機関砲はその威力の大半を失い、掠り傷程度しか与えられなかったんだ」
「じゃあ、どうすればいいんです?」
「爆発物で吹き飛ばすか、槍のような鋭利な物で刺すとか…切るのも有効だろうが、
このダガー程度の刃渡りではあまり期待できない」
あの物質の下の皮膚が、あまり固くない事を祈るばかりだ。
これで刃物を通さないのであれば、現状では大質量の岩か何かで
押し潰す位しかない。
「ああっ!?」
急にテテが悲鳴?を上げた。
「どうした?」
「あそこ、うさぎです!さっき崩した建物!」
見ると、先ほど陽炎が崩してしまった建物の中から、
小さい動物がちょろちょろと外に出て来ていた。
それは確かに兎で、どうやらあの建物の一室で管理されていたようだ。
「ああー、みんな逃げちゃう…」
「いいんだ、ここは危ない。
見た所病気ではない様だし、後で探せばいい。
今は正面に集中しろ」
そうやって暫く睨み合っていた陽炎とジェスキンだったが、
先にジェスキンが動いた。
先ほどと同じ様に飛びかかってくるかと思いきや、
すぐに止まって陽炎の様子を見る。フェイントだったようだ。
「コイツ、結構頭いいな。さっきみたいに突っ込むと、
隙を晒されてしまうのを学習しているのか?」
お互い動くに動けず、じりじりと睨み合っていた。
実力の拮抗している野生動物同士の喧嘩などで、よく見る光景だ。
こういう時はお互いが少しずつ距離を取り、やがて離れるものだが、
ジェスキンは引く様子が無い。勿論ジグも引くつもりはない。
ジグはナイフの一撃を仕掛けてみた。が、攻撃は簡単に躱された。
かなりの俊敏性で、もっとリーチのある武器でもないと当てるのは難しそうだった。
陽炎も重装甲ゆえに動きはあまり速く無いので、尚更だ。
ジェスキンも時折攻撃をしてくるが、あまり踏み込むと危険だと判断したのか、
威力の乗っていない牽制のような攻撃で、当たりはするが
陽炎のダメージにはならなかった。
やはり先ほどの様なカウンターを警戒しているのだろう。
回避に重きを置いており、陽炎の攻撃で捉えるのは至難の業だった。
「ちっ、埒があかんな…」
ジグもジェスキンも、お互いに攻めあぐねている形になってしまった。
が、ここでテテから大胆な提案が来た。
「ジグさん、ここは敢えて背中を見せて逃げましょう!」
「ほう。その理由は?」
「一つは、まだ皆さんのいる建物が近い事です。
もっと離れないと、先ほどのウサギがいた建物みたいに、
巻き添えで破壊しかねません」
「確かにな。それは俺も気になっていた」
勢いにもよるが、もし陽炎が激突すれば、流石に頑丈なあの建物も壊れるだろう。
それでレオ達を潰してしまっては洒落にならない。
ジグが今一つ、思い切りよく突っ込んで戦えない理由だった。
「もう一つは、向こうの警戒心を解く事です。
このままでは埒があかないですから、あえて背中を見せて逃げます。
すると狩猟本能的な反射行動で飛びかかってくるでしょうから、
そこにカウンターを入れましょう。
衝突時に機体にかかる衝撃は、あのゲル状物質のおかげで
かなり緩和されると思います」
ちゃんと動物の事を勉強していたのか、
テテの最もな意見にジグは少し嬉しくなった。
だがその案は思い付きはしたものの、不安があったので
ジグの中では却下した物だった。
「悪い手じゃないと思う。
が、言うは易いが、後ろを見せて走りながらなのに、
都合良くカウンターなんて出来るか?」
向こうが跳びかかってくるタイミングから少しでも早いと気付かれるし、
遅いと後ろからやられる事になるのだ。
「大丈夫ですよ、あいつがいくら賢くったって、
こちらが二人いるなんて理解出来っこないです。
まだジグさんは姿を見られていませんし」
「…なるほど、そういう事か」
一人では困難でも、役割を分担すれば成功の可能性も上がるというものだ。
「はい。私がコントロールして逃げますので、
ジグさんはその間、後方モニターであいつの動きに集中していて下さい。
飛びかかってくるタイミングを見極めたら、操縦に割り込んで
ダガーを後ろ手で突き出せばOKです。
陽炎はマシンなので、人間と違って腕関節の回転軸には制限がありませんから、
わざわざ振り向く必要もありません。どんな態勢であれ威力は十分な筈です」
コントロールの優先権はジグの方にあるので、
好きなタイミングで操作に割り込める。
確かに行けそうに思えた。
「やってみよう。
逃げ出すタイミングはそちらに任せる」
「了解です!」
ジグはテテにコントロールを渡した。
後はタイミングを見計らってこちらで操作すれば、
その瞬間にコントロールはジグ側に移る。
テテは大きく深呼吸をして、改めてジェスキンを見据えた。
「何でしょうね、あの巨大ワニの迫力に比べたら、
今の相手は子犬に見えてきました」
「ハハ、違いない」
「では…行きます!」
テテのその言葉の直後、皆のいる建物から離れるように、
陽炎は背中を見せて駆け出した。
ジェスキンは一瞬迷ったような仕草を見せたが、
背中を見せて逃げる陽炎を見て、それを追わずにはいられなかった。
「よし、来てるぞ!そのまま真っすぐだ!」
「はい!」
陽炎はフットローラーを使い、ジェスキンの方が少し速くなる位に速度を調節、
すぐに彼我の距離が縮まってくる。
ジグはその様子を後方モニターでじっと見ていた。
ジェスキンは後一跳びといった距離で跳ぶ筈なので、
それに合わせてタイミングを計る。
そしてその瞬間は間もなく訪れた。
ほんの僅かな跳びかかる予備動作をジグは見極めた。
長年様々な動物を相手に培ってきた観察眼の賜物だ。
「来る!」
ジグはすぐさま機体に制動をかけつつ、後ろ手にダガーを突き出した。
完璧なタイミングだった。
ジェスキンにとっては、自身の速度が裏目に出た形で、
二体はそのまま衝突した。
これだけの勢いながら、陽炎の方がかなり重量がある上に、
ジェスキンの皮膚が緩衝材となり、二体はほぼその場で絡まりあって転倒した。
「ぐっ!?」
「きゃぁあ!」
激しい衝撃が陽炎を襲い、同時にエアバッグが作動して視界が白一色に染まった。
ジェスキンのうめき声だと思われる不快な音も聞こえたが、すぐに止んだ。
「テテ、無事か?」
エアバッグに包まれたままでジグはテテに呼びかけた。
陽炎はうつ伏せに横たわり、その上にジェスキンが覆い被さる形になっていた。
「は、はい…何とか…
やれましたか?」
テテは軽い脳震盪を起こしていたが、ケガは無いようだった。
「手ごたえはあったが…手からダガーが離れてしまった様だ。
今確認する」
やがてエアバッグが元に戻り、視界がクリアになる。
上に乗っているジェスキンの上半身を押しのけつつ、
陽炎は上半身だけを180度回転させた。
ダガーはジェスキンの胸に突き刺さっており、黒い血と思われる液体が滴っていた。
呼吸はしている様だが、体はピクリとも動かない。
「まだ生きている様だが、動いてはいない。
死にかけてるのか、気絶してるのかは不明だが、
さっさと止めを刺したほうがいいな」
「そ、そうですね…あ!!
待って、動かないでください!」
視界の端に何かが見え、それが何か解ったテテはジグを止めた。
「何だ?」
「そこ、さっき逃げたうさぎがいます!」
陽炎の脚のすぐ傍、瓦礫の陰に
そのウサギは恐怖で固まって縮こまっていた。
潰されなかったのは奇跡に近い。
「助けて来ます!」
ジグが止める間もなく、テテはキャノピーを開けて外へ出て、
ウサギの元に向った。
「戻れ!まだこいつは生きてるんだぞ!」
ジグはせめて、ジェスキンの体を陽炎の上からどけようと思ったが、
テテがすぐ傍で動き回っている状況で迂闊に動くのは、
かえって危険だと判断した。
「ええい、早くしろよ!」
ジグはジェスキンが少しでも動いたら、自分が囮になるつもりで
ハッチを開ける準備をした。
「ほらほら、怖くないですよ~いい子ですね~」
テテはウサギを刺激しない様に、ゆっくりと話しかけながら近づいて行った。
幸いウサギは恐怖故か、単にここで人の世話を受けていて人馴れしているのか、
逃げる事なくテテに確保された。
「ひゃー、すごく気持ちイイです!」
テテは初めて触るモフモフとした毛と、心地良い体温と
柔らかい手触りに酔いしれ、その体重すら愛おしかった。
「早く戻れ!モフるのは後だ!」
「はっはい、すいません!」
テテはウサギを片手で抱え、陽炎の体を登り始めた。
そして無事に頭部まで辿り着き、ウサギと一緒に乗り込もうと
身を屈めた瞬間だった。
「ひゃっ!?」
何か黒くて細い鞭の様な物が
テテの脚に絡みついた。
「な、何!?」
ジグがその動きに気付いた時にはすでに遅く、
それはそのままテテを引っ張り上げ、宙吊りにしてしまう。
長い尻尾の先はジグの視界外にあり、その動きに気づけなかったのだ。
「逃げて!」
テテは慌ててウサギを頭部コックピットへ放り投げた。
ウサギは無事にシートの上に着地して、そのまま中のどこかへと身を隠す。
その様子を見てテテはほっとしたが、
すぐに自分の置かれてる状況に気が付き悲鳴を上げた。
「キャーー!!離せ、このエッチ!!」
片脚を絡め取られて宙吊りになっているので、
スカートが捲れて下着が丸見えになっていた。
この時はまだ余裕があったが、直後テテは恐怖で声も出なくなった。
ジェスキンが起き上がり、テテの目の前にその恐ろしい顔を持って来ていたのだ。
黒い鞭はジェスキンの二本ある尻尾の片方で、それを使ってテテを捕らえていた。
もう片方はその先にある棘をテテに向け、今にも彼女を串刺しにしそうな動きで
ユラユラと動いていた。
ダガーの刺さりが浅かったのか、単に重要な臓器の無い場所だったのか、
まだ十分動けるようだ。
ジェスキンは値踏みするかの様に彼女を眺め回している。
どうやら陽炎が動いていないのを見て危険は無いと判断したのか、
動き回っていたテテに興味を示したようだ。
ジグは陽炎を動かそうと思ったが、思い止まった。
今少しでも動けば、ジェスキンはテテを連れたまま離れるだろう。
そうなったらもう助ける手段は無い。
ここはハッチを開いて自分の姿を晒し、奴の気を引いた隙に
テテを陽炎で掴み取るしかない。
下手すれば握りつぶしてしまうかもしれないが、
他に方法は無さそうだ。
だが、ジグが意を決してハッチを開けようとした時、
間の悪い事にジェスキンがその上に前脚を置いてしまった。
「なっ!?くそっ、どけよコイツ!!」
いくらジグが悪態をついたところで、
ジェスキンは脚をどけてくれそうには無かった。
「い、いや…いやーーー!!やめろぉーー!!」
何とかテテは我に返り、もがいて振りほどこうとするが、
無駄な足掻きに終わった。
一通りもがき、疲れて動きを止めた時、テテは胸に鋭い痛みを感じた。
見ると、右乳房の外側に深々とジェスキンの尾棘が突き刺さっていた。
続けて何かが中に注ぎ込まれるような感触が。
「あ…ああ…」
確かこいつは尻尾に毒と思われる物を持っていたが、
それを今、注入されてしまった。
未知の毒素で当然血清やワクチンなんて無い。
どのような症状に見舞われるかは不明だが、
まず生きてはいられないだろう。
コックピット内でこの様子を見ていたジグは、
叫びそうになるのを必死で堪えていた。
万が一声の振動がジェスキン伝わり聴かれてしまうと、
突ける隙も付けなくなってしまうからだ。
しかしもう、一か八かでテテを掴み取るしかないと覚悟を決めた。
一刻も早く彼女を救出し、手当をしなければならない。
テテに刺さっていた尾棘が抜かれた。
その時の振動からか、宙吊り状態の彼女の胸元から
何か丸い物がこぼれ落ちてきた。
「!?」
テテが捨てずに持っていた、スタングレネードだ。
それに気付いたジグは、すぐに耳を塞いで目を伏せる。
当のテテも自分の胸元から落ちたグレネードを見て、素早く防御態勢を取った。
その直後、グレネードは陽炎の体に当たって炸裂した。
防御態勢を取ってなお強烈な光を瞼に感じ、
耳を塞いだ手を抜けて不快な音が頭の中に響く。
ジェスキンは閃光と轟音をまともに食らい、たまらずテテを放り投げる。
グレネードの光と音が止んだ後、ジグはすぐにテテがどうなったのか確認をした。
「いた!…よし、無事だ!それにこれだけ離れていれば…!!」
テテは陽炎から20メートル程離れた地面にうつぶせになっていて、
よろよろと立ち上がろうとしている。
派手に放り投げられてしまったが、たまたま尻尾が低い位置にあったのが幸いした。
ちゃんと受け身を取った様で、軽い傷で済んだようだ。
その事を確認したジグはすぐに陽炎を立たせ、
もがいているジェスキンに掴みかかる。
「おおおおーーーー!!」
ジグは雄たけびを上げて、ジェスキンに刺さったままになっている
ブリッツダガーの柄を狙って、陽炎の膝蹴りを繰り出す。
ガン!と強烈な一発が、ダガーの刃をさらに深くめり込ませ、
さすがに効いたのか恐ろしい悲鳴を上げて地面に倒れ込んでもがき、
やがて動かなくなった。
「テテ!」
本来ならジェスキンの生死確認を行う所だが、そんな時間さえ惜しかったジグは、
すぐにテテの元に向かうべく陽炎を反転させた。
しかしその時、不意に何かが建物の影から現れた。
焦っていたジグは咄嗟に陽炎でパンチを繰り出したが、
それは難なく受け止められた。
謎のラボータだった。
動物達を片付けて、合流しに来たのだろう。
ラボータは倒れているジェスキンを見て、何か思案しているような感じだったが、
ジグにはそんな事はどうでも良かった。
ラボータを無視してさっさと陽炎をテテの側に停め、
救急キットを持って陽炎を降りる。
そしてふらふらと立っていたテテの側へ行き、
肩を貸してやって近くの瓦礫に座らせた。
「大丈夫か!?すぐに手当てを!」
テテは刺された個所を左手で覆い全身砂埃まみれだったが、
大きな怪我をしている様子は無く、そこは不幸中の幸いだった。
「い、今の所は大丈夫ですけど…あの…手当てって…」
「早く服を脱げ!刺された所を見せるんだ!」
「え、えっ!?」
「恥ずかしがってる場合か!?」
「それはそうですけど、心の準備が…それに多分、もう…」
助からないですから、と言いそうになったのを何とか抑え、
テテは立ち上がって胸を両腕で隠し、
もじもじと体を動かしながらジグから少し離れた。
「ええい、四の五の言うな!見せるんだ!」
ジグはテテに掴みかかり、無理矢理上着を剥ぎ取ろうとした。
「ちょ、ちょっと、落ち着いて下さい!」
「暴れるな!毒がまわ…がっ!」
ジグは急に後頭部を押さえて屈みこんだ。誰かに殴られたようだ。
テテはきょとんとして、屈んだジグの後ろに立っていた人物を見た。
そこにいたのは背の高い赤髪の女で、肌は浅黒く日に焼けており、
引き締まった筋肉質の体躯をしていた。
タンクトップに迷彩柄のズボンというラフな格好をしており、
年齢は恐らく30歳前後といった所か。
如何にも姉御、といった出で立ちである。
「デリカシーの無い男だねぇ」
女の言葉に対して、テテは激しく何度も頷く。
「ここはあたしに任せな」
そう言って女はジグから救急キットを取り上げる。
「お、お前は…ラボータの!?」
敵か味方かまだよくわからない相手を前に、
ジグは銃を抜こうとしたが、迂闊にもコックピットに置いて来ていた。
「どこをやられたんだ?見せてみな」
女は意外と優しい口調でテテに話しかけてきた。
「えっと…あの、ここです」
テテは上着をはだけると、刺された右乳房が良く見える様に横を向く。
白いブラウスに赤いシミが広がっており、痛々しい。
「ほら、あんたはしばらくあっち向いてな!」
謎の女はジグの背中を押して、テテから遠ざけようとする。
女はこちらに危害を加える気は無いようなので、
言われた通りに後ろを向いたままで少し離れた。
手当というと、多分毒を吸い出したりするのだろうが、
刺された個所を考えるとかなり刺激の強い絵面になっていると思われ、
いくら焦っていたとはいえ、そのような行為をテテに対して
行おうとしていた自分が少し恥ずかしくなった。
「終わったよ」
どれ位待っていたのか解らなくなっていたが、
背後から女に声を掛けられたジグはすぐにテテの元へ駆け寄る。
全身にかぶっていた砂埃は綺麗に落とされていて、
最初に座った瓦礫の上にまた座っていた。
「どうだ、どこか痛いか?呼吸は苦しくないか?
体は動くか?」
屈んでテテと目線を合わせ、ジグは色々質問する。
この矢継ぎ早な質問にたじろぎつつも、テテは答えた。
「それが…以外に平気で、私も驚いてます。
ただ…」
「何だ?」
「ちょっと前からこう、気分が高揚して来てるといいますか、
ハイになってる?そんな感じがしてきていて………んあああああっ!」
テテは喋ってる最中に急に叫びを上げたかと思うと、
両腕で自分の体を抱き、その場で体をくの字に折り曲げた。
「お、おい?!どうしたんだ!?」
毒が効いて来た?!最悪のシナリオがジグの頭をよぎったが、
だからと言って何も出来ない。
血が滲みそうになる位、きつく拳を握る事位しか。
息を荒くして俯いたままのテテはしばらくそのままだったが、
やがて口を開いた。
「だ、大丈夫です…ちょっとびっくりしただけで…」
その声は意外にしっかりとしたもので、取りあえずジグは安堵した。
「……どんな具合なんだ?」
「な、なんと言えばいいのか…凄い快感?が襲って来たかと思うと、
頭がボーっとしてきて…なんだか酔っ払っているような…」
「快感…?覚醒剤の様な物なのか?」
この星の生物にとっては猛毒でも、人間にはそういう風に
作用するのかもしれないが、そんな都合の良い事がそうそうあるとは思えない。
「まぁ…苦しいと言えば苦しいです…というのも、
何故かは解りませんが…怒らないで下さいよ?」
「ああ」
「こう…体に凄い力が漲ってきて、目の前にいるジグさんとか、
そこのパイロットさんとかを…こ、攻撃したい衝動が…
殺したい程の強い衝動が…」
「攻撃!?殺す!?」
ジグは反射的に女の方を見た。
「いやいやいや、あたしは何もしてないよ!?」
女はとんでもないとばかりに手と首を振る。
その様子はとても演技には見えず、そもそもそんな事をする理由も無ければ、
それを可能にする方法も思い付かない。
「そう…です。その人は…何もしてません…うっ!
がぁっ…!!」
テテの口から大量の涎が流れ出てきて、呼吸もどんどん荒くなってくる。
「その衝動を抑えるのが大変で…苦しいです…」
ジグはこのテテの様子を見て気が付いた。
「この症状…!あの動物達に似ている…?そ、そうか!!」
ジグは急に立ち上がると、宙を見つめてブツブツと呟きだした。
「という事は、この場合…あいつが…それで…」
いきなり自分の世界に行ってしまったジグを見て、
女二人はしばし唖然としていた。
テテが声をかけようとした時、ジグが急に振り向いた。
「そういえば、あんた何者なんだ?どこの所属のレイダライダだ?
助けてくれたことは感謝するが、一体なぜこんな所に?」
テテの側に立っていた女に問いかける。
「…ナンシーだ。
あたしの名前」
「解った、ナンシー。
俺の名はジグ、こいつはテテだ」
「そうかい」
「で、どうなんだナンシー?所属は?」
ジグは改めて彼女の事を聞いた。
「そんな物は無い。
あたしゃしがないハンターさ」
「ハンターだと?どういう事だ?」
「そのままの意味さね。子供でも知ってる言葉だよ」
ナンシーはやれやれといった仕草を見せる。
「そんな事を言ってるんじゃない、
レイダーは厳重な管理の下で運用されている。
所属も無い一個人が、狩りに使えるようなシロモノじゃないんだ」
「知ってるよ。
いつもパーツや燃料の調達には苦労してるからね」
ここでジグは彼女の正体に思い至ることが出来た。
「そうか…あの男が言ってた密猟者ってのがお前か?
たまたまここに顔を出したらこんな事になっていて、
首を突っ込んだと?」
「だったらどうするんだい?」
「拘束する、と言いたい所だが今はそんな事どうでもいい。
お前がその密猟者なら、聞きたいことがある」
「へぇ…立場的にそんな事言っていいのかいダンナ?」
「いいわけないが今はいい。
こんな状況で内ゲバなんてアホのすることだ。
今は協力するしかない、
だからお前も俺達に手を貸してくれたんだろう?」
「そいつはちょっと買いかぶりすぎだがまぁいいか。
で、何が聞きたいんだ?あたしの好みのタイプかい?」
ナンシーは楽しんでいるのか、ジグをからかうような事を言うが、
ジグは無視して話を続ける。
「あそこで死んでる動物なんだが、見たことは無いか?
お前が件の密猟者なら、絶対に知ってると思うんだが?」
「あれねぇ…ああ、知ってるさ。
いつだったか、もっと小さいやつで…尻尾の棘は無かったが、
同じやつだと思う。その死体を見つけて…」
「ここに持ってきた?」
ナンシーは言おうとしていた事をジグに先に言われ、
不思議そうな顔をした。
「簡単な推論だ。
なぜそんな事を?やはり金か?」
聞かれても答えたくない事なのか、
ナンシーは少し迷ったようだが、結局口を開いた。
「…死体とはいえ、未知種はここのやつらに売ればいい金になるんだよ。
本当は自分で仕留めたヤツしか売りたくはないが、
まぁ見つけたのはあたしだし、いいかなって」
「ハンターとしての矜持はあるが、背に腹は代えられない、ってか?」
「こっちにも色々あんだよ、ほっとけ」
他にも色々根掘り葉掘り聞きたい事はあったが、
取り敢えず最低限知りたかったことは聞けたので、
ジグは会話を打ち切った。
「よし、急いで皆の所に戻るぞ。
テテ、行けそうか?」
「はい…何とか」
フラフラと立ち上がったテテにジグは肩を貸してやろうとしたが、
身長差がありすぎてジグは中腰にならざるを得ず、上手くいかなかった。
「あ…」
なので思い切ってテテの体を抱え上げた。
要するにお姫様抱っこというやつだが、こっちの方がずっと楽だったし、
彼女への負担も少ないだろう。
「す、すいません…重くないですか?」
テテの顔は毒のせいなのか、照れのせいなのか解らないが、
真っ赤になっていた。
「この程度重い内には入らん。
ナンシー、お前はどうする?
ここの奴ら…パトロンか?は全滅したみたいだぞ?」
「…そうさね、
ここでの事がさっぱり解らないのは気持ち悪いし、
あんたらに付いてきゃ解るのか?」
「ああ」
「なら行こう」
ナンシーはそう言うと、ラボータに向かって駆け出した。
ジグもテテを抱きかかえて陽炎に向かう。
「すいません、迷惑かけて…うっ」
「気にするな。
俺も若い頃は周りに迷惑ばかりかけて、その度に自己嫌悪になったもんだ」
「……わたし、どうなっちゃうんでしょうか…?やっぱり…」
「そうだな、このままなら危ないかもな。
だが、大丈夫だ」
ジグはきっぱりと言った。
「…なんですかその根拠のない自信…こうしてる今にも、
ジグさんの首を絞めてやりたい衝動を抑えるのに必死…なんですよ…」
今は体勢上、テテのすぐ目の前にジグの喉笛があった。
絞めるのも噛みつくのも実に容易い位置関係だ。
「根拠ならある。俺を信じろ」
またしてもきっぱりと断言した。
ジグにはテテが助かるという根拠は確かにあったが、絶対ではない。
しかしここでそんなあやふやな事を言って、テテを不安にさせたくなかった。
「そう…ですか…なら、信じます…」
「ああ、そうしてくれ」
こうして二人も陽炎に乗り込み、ジェスキンに刺さったダガーと
パージした機関砲を回収してから皆の所へ向かった。
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戻って来た陽炎が、ラボータを伴って正面の大扉から入ると、
物陰に隠れていた五人は次々と姿を現した。
「皆無事か?先ほど建物が攻撃を受けていたが…
どうやら問題無さそうだな」
ジグは陽炎に降着ポーズを取らせ、テテを降ろす為にハッチを開けて出て、
頭部へ上った。
「こちらは無事だ、例のワニも出て来ていない。
で、済んだのか?それと…あれは援軍か?うちでは見たことない型だが…」
スコットはラボータを顎で差しつつ、この場の全員が知りたい事と、
聞きたい事を同時に聞いてきた。
「ああ、済んだ。
だがテテがかなり深刻な怪我をした、降ろすのを手伝ってくれ!
それとあいつは…ちょっと説明が難しいがとりあえず敵じゃない」
すると誰に言われるでもなく、レオが陽炎に登って来て手を貸してくれた。
ジグはテテの両脇に手を入れて、シートから引きずる様に持ち上げ、
曲げた陽炎の左腕に登って来ていたレオに渡し、レオは慎重にそこから降りて
テテを地面に立たせる。
「どうしたんだ、彼女は?
怪我をしているようには見えないが…具合が悪いのか?」
降りて来たテテの様子を見たスコットは、これまた皆の思いを代弁する。
テテは目が虚ろで、それでも時々目に光が戻る、といった感じで
口からは涎を垂らし、体を抱いてブルブルと震えていた。
恐らく攻撃衝動を抑えているのだろう。
「この様子は…!!貴様、どういうつもりだ?」
テテがここの動物達と同じ状態に陥っていると気付いたスコットは、
彼女に銃を向けてジグを問い質した。
「やめろ、確かにこいつはここの動物と同じ状態になっている。
だが大丈夫だ、二次感染はしないし、こちらを襲ったりもしない」
「なぜそう言い切れる?!」
ここの動物に散々酷い目に遭わされたスコットは、銃を下ろさなかった。
仕方ないとばかりにジグはテテの前に立ち、自らの体で射線を塞いだ。
「その説明は後にさせてくれ。今はこいつの症状を治したい」
「治せるのか?!どうやって?何でお前がそれを知っている?!」
「だから、後にしてくれ」
ジグはそう言うと、スコットのライフルのバレルを掴んで下へ向け、
皆から少し離れた所でスクラップに座っていた、
白衣の男の所に行き目の前に立った。
男は下を向いていたが、ジグの足元に気付いて顔を上げた。
ジグはそんな男の目を見ながら語りかける。
「あんた、名前は?」
「……ジャックだ」
「OK、ジャック、単刀直入に言う。彼女を治してほしい」
そう言われたジャックは驚いたような顔をしたかと思うと、
皮肉めいた表情になり、わざとらしいため息をついた。
「…僕は獣医だ。人間は専門外だし、あの病気の正体も解らないんだ、
治し方なんて知る筈もない。さっさと帰って専門医に診せた方がいい」
ぞんざいな言い方で断るジャックに対して、
ジグはさっきと変わらない調子で言う。
「もう一度言う、三度目は無い。彼女を治せ」
今度は命令形になっていた。それにカチンと来たのか、
ジャックは立ち上がって叫んだ。
「しつこいな!僕には治せないと言っている!
いい加減に…」
ジグはジャックに最後まで言わせず、
胸倉を掴んで引き寄せ他に聞こえない様、耳元へ小声で囁いた。
「もう解っているんだ。
ここでの事は、半分はお前が引き起こした事だ。
そっちの境遇には同情するが、責任追及は免れんぞ。
突入隊員の殆どが死んでるんだからな」
「だが、彼女を治してくれれば…俺は街の上層部に強力なコネがある。
それを使って悪いようにはしない。
どうだ?これでもまだシラを切るか?」
「う…」
「俺はこの後、事の真相を皆に話す。
その時、仲間の大半がお前のせいで死んだと知った連中が、
どう出るかな?」
ジャックの顔に恐怖が浮かんだ。
あと少しで落ちると踏んだジグは、畳みかける。
「そうなった時、俺が彼らを止めるかどうかは、お前の返事次第だ。
さぁ、どうする?今すぐ決めろ!」
ジャックは目が泳ぎだし、悩んでいる様子だった。
本当に知らない、治せないなら、こうはならずにすぐ反論してくるだろう。
正直言うと、この男がテテを治す手段を持っているかどうかは解らなかった。
だが、状況証拠を考えるとその確率は高いと思い、
カマをかけてみたのだが、この反応を見る限りビンゴだったようだ。
やがてジャックは諦めたように、解った、言う通りにしようと言った。
「ありがとう、感謝する」
ジグはジャックを開放し、テテの所へ連れて行く。
皆が事の成り行きを静かに見守る中、ジャックは白衣のポケットから
小さな箱を出し、その中からアンプルと注射器を取り出して、
アンプルの中身を注射器で吸い上げた。
「動かないで」
そう言われたテテは不安そうな顔でジグを見て、
この注射を受けてもいいのか?と目で問い掛けた。
それを受けたジグは無言で頷く。
テテも無言で頷き、より一層力を込めて体の震えを抑え、
それでも震える肩を、ジグは後ろから持って支えてやる。
針がテテの腕に刺さり、薬液を注入していく。
この時、テテは全く痛みを感じなかった。
痛覚が麻痺している様だ。
ジャックは慣れた手つきで注射を終えると、肩の荷が降りたのか、
その表情はどこかスッキリとしていた。
「済んだ。
すぐに効いてくるだろう」
ジグはテテから手を放してジャックに向き直り、気になっていた事を聞く。
「別個体の毒でも効くのか?」
「多分大丈夫だ…
連中の識別は固有のフェロモンだと思われる。
毒そのものは同じ物の筈だ、症状が全く同じなんだからな」
「解毒しないとどうなるんだ?」
「あの状態では、いくら食べても消費エネルギーを賄い切れず、
やがてハンガーノックを起こして衰弱死する」
「只の獣医がよくそんな物を作れたな?」
「獣医になる前は…ど、どうでもいいだろう、そんな事は」
ジャックはこの問いに答えそうになったが、慌てて誤魔化した。
ジグとしても気になると言えば気になったが、
確かに今はどうでも良い事だったので、深く追及はしなかった。
後でじっくり聞けばいい。
「ちょっと待てお前ら!何をさっきからよく解らん事を話している!?
我々にも解るように説明しろ!」
事の成り行きを見ていたスコットだが、
とうとう我慢出来なくなって二人を問い質した。
レオ含む他の隊員達も頷いている。
「そうだな、どこから話せばいいか…これはあくまで状況から
推察した俺の憶測なのを断っておく。
何か間違いや補足があれば訂正してくれ、ジャック」
ジャックは返事をしなかったが、好きにしろとばかりに手を軽く振ったので、
ジグはそのまま話を続けた。
「事の発端は、あいつが未知生物の死骸を売るために、
ここに持ち込んだ事から始まる」
ジグはそう言ってラボータを指さした。
隊員達は一斉にラボータを見る。
「あたしかい?」
ナンシーは外部マイクで聞き返した。
「そうだ。その生物は四肢と二本の副腕を持つ六肢の動物で、
細長い二本の尻尾に毒を持っていて、体をゲル状の物質で防護している。
全長約10メートル、俺たちはジェスキンと呼んでいる」
「そのジェスキンというのはひょっとして、装甲車を破壊した奴なのか?」
スコットの問いかけにジグは頷いた。
「そいつが生き返って、病原菌をばら撒いたとでもいうのか?」
「いや、違う、ここを襲ったのは別の個体だ。後で説明する」
スコットは解った、続けろと仕草した。
「その持ち込まれたジェスキンの死体を検分したのがそこの男、ジャックだ。
そう言ってたよな?未知種の死体を検分していたと?」
ジャックは何も言わなかったが、ジグは話を続ける。
「死体を調べたジャックは、ジェスキンが尻尾に毒を持っている事に気づき、
実験動物にでも投与してその毒を調べたのだろう。
その結果、その毒は投与した相手の身体能力と狂暴性を劇的に向上させ、
目に付く動く物全てを攻撃させた」
これを聞いた四人の隊員達はざわついた。
「じゃああれは、ウイルス性の病気とかではなく……毒?
麻薬やドーピングの様な物なのか?」
そう言ってスコットはテテを見た。
注射が効いて来たのか、テテは先程よりは幾分落ち着いた感じだったが、
まだ辛そうにしている。
「そう、さっきテテが刺されて同じ症状を見せるまでは、
俺もてっきり感染症か何かだとばかり思い込んでいたが、
そうじゃなかった」
症状からして真っ先に狂犬病を連想してしまい、
その結果思い込みに陥ってしまったのだ。
それはジグに限らず、ジャックを除くこの場の全員に言える事だった。
「あれは尻尾の毒によって引き起こされた物だった。
そうなると当然、一つの疑問が湧いてくる。
この建物内の動物達は、どうやってあの毒を受けたのか?
普通の病気なら色々な感染方法が考えられるが、
今回のは毒針による直接投与だ。
この建物は入り口が二つしかなく、
そのどちらも破られてはいなかったし、壁や窓も無事だった」
ジグが大きな扉を指さすと、隊員達は入って来た時の事や、
途中で見かけた窓などを思い出し、確かに破損していなかった事を
各々が心中で確認した。
「持ち込まれたジェスキンは死体だったし、
もう一体のジェスキンはこの建物を襲うのに失敗している。
なら誰だ?誰が動物に毒を投与した?
答えは簡単だ、それが出来て、そうする事に意味がある奴は他にいない」
この話を聞いたスコットは、ハッとなって
素早くジャックの方に振り向いて言った。
「こいつか!?」
他の隊員達にも動揺が走る。
「そうだ、この男だ。
彼はこの毒を使ってここの動物達を暴れさせれば、
ここから脱出出来るかもしれないと思った」
「さらに詳しく調べ、同じ毒を投与した動物同士は
攻撃し合わない事も発見したんだろう。
これなら動物同士で潰し合わないから、更に好都合だ」
「後はこの毒を適当な理由を付けてこの建物、病棟かな?
ここの動物達に同時に症状が出る様に、濃度や量を調節するなりして投与すれば、
建物内は一気に大パニックだ。
毒の効くタイミングを自分が外に出されている時間に合わせれば、
逃げ出すチャンスはいくらでも出来る」
ここでジグが一呼吸置いた時、
レオが聞き捨てならないとばかりに話に割って入り、
ジャックに銃口を向けた。
「ちょっと待て、じゃあやっぱりここがこうなったのは、
コイツのせいなんだな!?仲間が皆やられたのも!」
たまたまレオが先に動いただけで、他の隊員も皆同じ気持ちだったのだろう、
誰もレオを止めようとしなかったので、ジグはジャックとの約束通り止めに入った。
「やめろレオ、彼も我々が来る事を知っていたら、
こんな事は起こさなかっただろう。
ここから逃げようとして必死だったんだ、そこは理解してやれ。
それに、何かしらの償いをさせるにしても、
それを決めるのは俺達じゃない。解るよな?」
「そ、それは…クソッ!」
頭では納得出来ても、気持ちの整理がつかないのであろうレオは、
悪態をついて天を仰いだ。
そんなレオが銃を降ろしたのを確認してから、ジグは話を続けた。
「話を戻そう。
そういう計画を立てたはいいが、一つ大きな問題があった。
こんな状況の中、自分だけが無事にここから出れるかどうかだ」
「無理だな。
訓練され、武装していた我々ですらほぼ全滅した程だ。
こんなモヤシ野郎一人ではどうにもならんだろうな」
スコットはジャックを馬鹿にするかのような口調でぼやく。
彼もかなりご立腹の様だったが、レオの様に銃口を向けたりはしなかったので、
そのままジグは話を進めた。
「そこで彼が考え付いたのが、恐らく次の二つの方法だ。
まず一つ目は、監禁部屋にいる時に毒の効果が出る様に細工し、
自分はそのまま頑丈な部屋に閉じこもり、ブローカー共が全滅して、
その後発症した動物が立ち去るか餓死するのを待つ事だ。
しかしこれは不確定要素が大きすぎる。
動物の大きさや襲った相手を食べた量、固有の代謝等によっても
餓死するタイミングが違うだろうし、ここから立ち去る保証もない。
監禁部屋に水や食料があったとは思えないから、
立て籠れてもせいぜい三日が限度だろう。
そもそも、監禁部屋は内側から出る事が出来ないだろうしな。
だから必然的に、もう一つの方法を取らざるを得なかった。
先ほど同じ毒を受けた者同士は攻撃し合わないと言ったが、
それを利用する事だ」
そこまで聞いたスコットは狼狽した。
「…おい、まさか!!」
「ああ、ジャックは自分にその毒を投与し、動物達の攻撃対象から外れたんだ」
「いや、しかしそれでは…!」
「勿論、そんな事をしたら自殺行為だ。
だから、ジャックはあらかじめ解毒剤を作り、それを使った。
毒成分と敵味方の識別が別々なら、毒の症状だけを消してしまえばいい。
どうだ?そんな所なんだろう?」
ジグがジャックに問いかけると、彼は口を開いた。
「あの毒を受けると、症状の他に唾液腺から
ある種のフェロモンが分泌される様になる。
連中はそれで識別しているらしい。
このフェロモンは解毒後も数日は分泌が続く。実験動物で確かめた」
「しかし、監視下でよくそこまでの事が出来たな?」
本筋とはあまり関係ないが、単に気になったのでジグは聞いてみた。
「あいつら、僕を舐め切っていたからな。
学のある奴もいなくて、ただただ治せだの診ろだの薬を作れだのしか言わず、
僕がしていることを理解しようともしなかった。
こちらが要求した機材や薬剤も何に使う物なのかとか、ろくなチェックも無い。
下手な事をしたら殺すぞ、の一点張りの野蛮人。
そのおかげで事をうまく運ぶことが出来たわけさ」
それを聞いたジグはなるほどと小さく呟き、話を続ける。
「こうして彼は事を起こした。
目論見はまんまと成功し、地獄絵図と化した建物の中を悠々進み、
後はここの扉を開けて外に動物を放ち、外が大混乱になったのに乗じて
車を奪って逃走すれば完了だった」
「だがこいつはここの地下にいたぞ?なぜ逃げなかったんだ?」
スコットは不思議そうに聞いた。当然の疑問だ。
「それは、逃げたくても逃げれなかった。なぜならその時外には、
ここを襲撃していたもう一体のジェスキンによって、
凶暴化されたノアの肉食動物達がいたからだ」
「いや、だからそれをやり過ごすために自ら毒を受けたのだろう?」
これにはジャックが答えた。
「フェロモンが効かなかったんだ。
あいつらはどうやら個体別のフェロモンを持っていて、
違うフェロモン同士は殺しあう。
最初にここから出た動物は外にいた動物に襲われたんだ。
そこで僕は仕方なく、扉を閉めてここに立て籠もるしかなかった。
そんな時、あんた達がここに来た」
スコットは漸く合点が行ったらしく少し晴れた顔をしたが、
すぐに元の顔に戻る。
「そう言う事だったのか…だがそのもう一体のジェスキンとやらは、
何でここを襲撃したんだ?ただの通りすがりではあるまい?」
「子供か」
ナンシーだった。ラボータの外部マイクから急に聞こえた声に、
一同はラボータに顔を向ける。
「あたしが見つけてここに運んだ死体は、
せいぜい5メートル程で尻尾に差異があった。
あれはあいつの子供だったんだな?」
「ああ、間違いないと思う。匂いかフェロモンか何かを辿って
子供の死体を取り返しに来た、そう考えるのが一番自然だろう。
俺はテテが連中を所属の違う軍隊だと比喩した際に、
違うフェロモンを持った、別のもう一体がいるかもしれないと思ったが、
その最悪のシナリオは杞憂に終わったようだ」
「死体を取り返す?動物がそんな事をするのか?」
「するさ。
あんただって大事な人が病死でもして、その遺体を棺桶に入れていた所、
獣に盗まれて巣に持ち帰られたらどうする?
そのまま餌としてくれてやるか?」
「それは…人間だからだ。動物はそんなことするまい?」
「大半の動物はしないが、ジェスキンはした、
それだけの事で間違いのない事実だと思う。
まぁ、子供の死を受け入れられなくて、
まだ生きていると思っていた可能性もあるが、
どちらにせよジェスキンは子供が目的でここを襲ったんだ」
「しかし、自分の毒で凶暴化した動物は子供を襲うだろうから、
やはり子供が死んでいるのは解っていて、死体を取り戻しに来たのかもな。
あるいは幼体時には親と同じフェロモンを同時に持っていて、
子供の頃なら襲われないようになっているのかもしれない」
「子供には尻尾の棘がなかったというから、この棘が生えてきた頃が
親離れの時期だったのか?
子供の毒で狂暴化した虎は、親ジェスキンを襲っていたからな。
子育て中の子供に棘があったら親が危ないから…
「あの…」
一人で考察に耽り始めたジグに対して、解毒剤が効いてきたのか、
大分落ち着いた様子のテテが疑問を口にした。
「どうしてあの狂暴化した集団に人間や草食動物が
混じってなかったのでしょう?私は刺されたのに…?」
「ん?ああ、お前の場合は少し特殊だが、それ以外は実にシンプルな理由だ。
人間やここの草食動物達は、弱くて手駒として使えないからだ」
「弱い?という事は…私が言ってた、強い動物ばかりだというアレですか…?」
「そう、あれが正解だったんだよ。人間は言うに及ばず、
ここの草食動物はウサギと羊と山羊だ。どれもそれほど強くはないだろう?
毒の量にも限りがあるだろうから、なるべく強い動物に投与した方がいい。
それはジャックも親ジェスキンも同じことだ。
そうだろう?」
最後はジャックへの問いかけだ。
話を振られ、彼は少し戸惑った様子を見せたが、
ジグの機嫌を損なうのは得策では無いと思い、素直に答えた。
「ああ。死体から入手した毒にも限りがあったから、
なるべく強い動物を選んで投与した。
自分に使った時はすぐに解毒したから、
人間がどうなるかは未知数だった。
狂暴性と知性が両立していれば、この上ない戦力になりそうだが、
刺されたという彼女を見た限り、人間には効き目が薄いみたいだな。
狂暴性を知性と理性で抑えてしまっている」
「なら、何で私は刺されたのでしょうか?」
ジグとジャックの話を聞いたテテは、不思議そうな顔で聞く。
「これは推測の域を出ないが…陽炎から顔を出したり、
頭部から降りてきたりした事によって、
ジェスキンの興味を惹いたのだと思う。
人間をちゃんと見たのがテテが初めてで、
試しに刺してみるか?とかそんな感じ?」
「試しにって…試供品ですか私は…
あ、じゃあ、あの大きなワニさんには…?」
テテは今度はジャックに向き直り聞いた。
「僕があれに毒を使わなかったのは逆の理由だ。強すぎる。
あんなのを暴れさせたら、例え攻撃対象から外れていても、
巻き添えを喰らいかねない」
強い動物というワードで、ジグはあることを思い出したので聞いてみた。
「そうだ、ついでと言っては何だがジャック、
ここの連中はダイノアを扱っていたのか?
或いは最近捕まえたとかそういう話なんだが」
「ダイノア?幾らここの連中がバカでもそれは無い…と思う。
少なくとも僕は見ていないな」
「そうか、最近この近辺に出没してな。生息地域が全然違うから、
ここの奴らが持ち込んで逃がしてしまったのかと」
ダイノアの名を聞いて、隊員達の間に動揺が走っていた。
そういう話は聞いていたが、誰も本気で取り合わなかったのだ。
「あー、そりゃあたしだ」
ラボータのスピーカーからナンシーの声。
「何?お前が?!」
「ここのボスがよ、そいつを捕まえてきたら言い値で買い取ってやるとか
言ったからさ、捕まえて持ってきてやったんだ」
「捕まえたのか?どうやって?」
ダイノアはなぜか麻酔が殆ど効かない。
どうやら毒物全般に強い抵抗力があるみたいだが、
なぜそんな体質なのかは謎だ。
「企業秘密だ」
「…………まぁいい。
それを連中がヘマこいて逃がしてしまった訳か…」
「あたしが今日ここにきたのはその金を受け取る為さ。
額が大きいから後日って事だったんだが、
残念ながらとりっぱぐれちまったな」
思わぬところでダイノアの謎が解けたが、
未だ行方不明なのであまり意味は無い。
ただ、ナンシーが捕獲方法を知っているのなら、
必ず聞き出さねばなるまいとジグは思った。
「お前ら、いつまで無駄話をしてる気だ?
外の危険は排除したんだろ?ならさっさとここから退散するぞ!」
スコットはあのワニを見ていないし、ダイノアも任務の範疇外だから、
どうでもいいと思っている様だ。
だが、確かに外の危険が無くなりテテが治ったのなら、
こんな所に長居は無用だった。
「だな、その通りだ。
長々と話し込んでしまったが、急いでここを出よう。
ナンシー、外の動物は全部倒したんだよな?」
「ああ、丸焼きにしてやったよ。
残っていても数匹だろう」
「よし、では少し離れた所に最初俺達が隠れていた場所がある。
そこで救援を待とう」
皆が一様に頷き、ここを出る事になった。
スコットがナンシーの事をスルーするとは意外だったが、
今回の任務とは関係ないと割り切ったのか、どの道相手がレイダーに
乗っていてはどうしようもないと思ったのか。
もし「レイダーに乗っているお前が捕縛しろ」とか言われたら
どうしようかと思っていたので、ジグにとってはありがたかった。
今回の話を聞いて、ナンシーが堅気でないのは解っているだろうが、
彼もそこまで頭の固い人間ではないのかもしれない。
対して、ジャックは逃げられない様に二人の隊員に挟まれていた。
彼も意図した訳ではないとはいえ、多くの隊員が殉職した直接の原因を作った男だ。
何かしらの処罰が下るかもしれない。
テテは何とか自力で陽炎に乗り込み、それを見届けたジグも後に続き、
全員が外に出た。
ナンシーが丸焼きにしたと言った通り、もう動物の姿はどこにも見えなかった。
あるのは黒コゲの死体のみ。
陽炎を先頭にした一行は、暫く慎重に様子を見ながら進んだが、
やはり動物の気配は無い。やがて敷地の外へ出た。
「よし、もう安全だろう、教えた場所に行っててくれ。
俺はあいつに話がある。何、すぐに追いつく」
ジグはそう言って陽炎を止め、殿のラボータを指す。
生き残った隊員達は無言で手を上げて、ジャックを連れて先を急いだ。
それを確認したジグは、陽炎をラボータの前まで歩かせた。
「さて、これからお前はどうする?」
「一緒に来ませんか?お礼もしたいですし!」
テテが会話に加わってきた。
その胸には保護したうさぎを抱いていて、撫で散らかしている。
順調に回復しつつあるようで、ジグは一安心した。
「礼なんざ要らないよ。
第一、あんたらに付いて街まで行ったら、逮捕されるじゃないか。
そいつは願い下げだね」
「そうか…なぁ、聞くだけ聞くが、
そんな非合法な事をしてないで、うちでまともな仕事に就く気は無いか?
俺が市長に口を効いてもいい。
駆除や捕獲、家畜候補探しをメインにしてもらえば、
ハンター生活とそう変わらないと思うぞ?」
「それは中々に魅力的な提案だけどね、あたしゃ今の生活が
気に入ってるんだ。野良猫生活が性に合ってる」
「そうか…では達者でな。
だが次に会った時は…解るよな?」
「もう、ジグさんったら!嘘ですよ、また会いましょうねー」
テテは抱いていたウサギの前脚を掴んで、ラボータに向けて振らせた。
ウサギも嫌がるそぶりは一切見せず、かなり人馴れしているようだ。
「フフッあんたら面白いねぇ。
だがもうシマを変えるとするよ。だって…」
ナンシーはこの先を言えなかった。
なぜなら、ラボータは急に背後から激しい衝撃に見舞われ、
宙を舞って陽炎の目の前に落ちてきたからだ。
「きゃあぁぁぁ!!」
いきなりの事にテテが悲鳴を上げた。
ウサギはそれに驚いてコックピット内のどこかへ姿を隠した。
ラボータを吹き飛ばした犯人はすぐそこにいた。
「ジェスキン!?」
胸から血を流しながら、大きな副腕を振り上げていた。
あれを下から振るい、ラボータを吹っ飛ばしたのだとしたら、
とんでもないパワーだ。ラボータは全高こそ9m程だが、重量は
陽炎並みにある。ましてやナンシーの機体は色々改造してあった様だから、
さらに重いはずだ。
もう終わったと思い油断していた。
その当のジェスキンは口をだらしなく開き、そこからは大量の涎がこぼれ落ち、
呼吸は荒く大きく肩で息をしている。
「こ、こいつ…!!自分に毒を使ったのか!?」
「そんな…!!」
それはきっと、ジェスキンにとっても最後の手段なのだろう。
自分の死の間際、せめて相手を道連れにするつもりで、
自らに毒を使ったのか?
或いは、まだ生きていると信じた我が子の為に、
一つでも脅威を排除したかったのか?
後者であって欲しいとジグは思ったが、何となく違うような気がした。
根拠など無いただの勘だが、そう感じた。
「おい、ナンシー!生きてるか!?返事をしろ!」
返事は無かった。
倒れたラボータは脇腹の辺りが激しく損傷していて、
ラボータのコックピットは確か腹にある。
生きているにせよ、かなりの重傷を負っている可能性が高い。
「テテ、いざとなったら外に出て逃げろ!お前はあいつの毒を受けたから、
攻撃対象にはならないはずだ!」
それを聞いたテテは「嫌です!」とだけ言った後、閃いた。
「あ!もしかして、キャノピーを開けて私のフェロモンを感知させれば、
陽炎は攻撃されないのでは!?」
「そ、そうか!確かに!…いや待てダメだ、それがうまく行ったとしたら、
ジェスキンが次に狙うのは…!!」
「どうした?!凄い音が聞こえたが?!」
騒ぎを聞きつけたのか、レオが様子を見に戻って来た。
「来るなレオ!皆に知らせて早く逃げろ!」
ジグの逼迫した様子から何があったのか察したレオは、ジェスキンを見て驚愕した。
その大きさ、凶悪な見た目は勿論の事、何よりも恐ろしかったのは、
明らかにここの猛獣共と同じ状態になっているのが解ったからだ。
レオは一瞬で事態を把握し、言われた通りに皆の元に走った。
「という訳で、その手は使えないな」
「ですね…」
「まずは皆の向っている方向から離れる!行くぞ!」
「了解です!」
ジグは効き目の無い機関砲を捨て、盾を構えたままで機体を横に動かし、
そこにあった建物をジャンプで跳んだ。
姿勢制御スラスターを最大出力で使い、一気に跳ぶ。
ジェスキンは当然の様に追って来た。
狂暴化しているので、警戒したり知恵を働かせるといった事は
恐らくしないのだろう。
皆が逃げた方向の反対側に跳び、敷地の端あたりの開けた場所に着地した陽炎は、
傍に自生していた幹の真っすぐな樹木を引っこ抜き、
左手で根の辺りを持って右手で握り、そのまま刀を抜くような動きで
一気に枝を払った。
これをダガーで斜めに切り、槍にした。このリーチがあれば
あの皮膚を貫いて体の深部にダメージを与えれるだろう。
この手製の槍と盾を構えると同時に、ジェスキンが跳びかかってきた。
それに合わせて心臓があると思しき辺りに木の槍を突き出すが、
同時にジェスキンの右副腕の爪が盾を抉り、その衝撃で狙いが逸れる。
槍は刺さるには刺さったが、体の外側の方でいまいち手ごたえがなかった。
一度抜いて、また刺しなおそうとしたが、
陽炎の上半身にしがみ付く形になっていたジェスキンが、
左の副腕を振り下ろして来たので、ジグは槍を捨てて右腕で
副腕の肘あたりを受け止めた。
「くっ、すごいパワーだな…!!」
陽炎の関節の軋む音がコックピット内に響く。
ジェスキンは左の副腕を封じられても、残る右で何度も殴り掛かってくる。
そっちは盾で受け止めているが、長くは持ちそうにない。
最大の武器を両方封じられたジェスキンは、今度は前脚を使って
胸部ハッチの辺りを殴り始めた。こちらの方はそんなに威力は無いが、
繰り返し繰り返し同じ所を攻撃されると、そのうち装甲が剝げ落ち、
コックピットがむき出しになってしまうだろう。
「ずるいー!!こっちは腕二本しか無いのにーー!」
テテが悲鳴交じりにぼやく。
ジグも全く同感だったが、よく考えたらこちらは頭が二つあるのと同じなので、
おあいこかもしれないとも思った。
「何とかして引き剥がさねば…!」
ジェスキンは今度は首を伸ばして、頭部に嚙みついて来た。
キャノピー辺りに嚙みつくが、滑ってうまく牙がかからない様で、
ガラスを引っ掻くような嫌な音が響いた。
「きゃーー!何か嫌な音がしてます、割れる、割れちゃう!?」
「大丈夫だ!あの細長い顎の構造なら、
噛む力はそう強くない筈だ!
陽炎のキャノピーなら耐えられる!」
顎はテコの原理と同じで、顎関節から顎の先が遠いほど、噛むスピードは
速くなるが、力は弱まる。逆だと噛む速度は遅いが、力は強くなる。
ジェスキンは前者で、長い顎をしていた。
とは言え、まずい状況なのに変わりはなかった。
すぐにではないだろうが、いずれキャノピーは破壊されそうだし、
胸部ハッチも同様だ。
「ええぃ!!これでどうだ!」
ジグはジェスキンを張り付かせたままで陽炎を走らせ、
近くの建物に突っ込んだ。
建物は大きく崩れ、倒れ込んだ二体に瓦礫の山が降り注ぐ。
ジェスキンは背中を強く打ち付け、あちこちの骨が折れたと思われる音もしたが、
一向に怯まず、まだ頭部に噛みついたままだった。
やはり心臓か脳を破壊しなければ、効果は薄いらしい。
そしてあろうことか、この衝撃か瓦礫の一撃かで、
キャノピーの正面が割れ落ちてしまった。
「しまった!テテ、何とかしてこっちに来い!」
ジグはコックピット内の隔壁を開いた。
テテが危ないのは勿論だが、毒によるテテのフェロモンを探知されると、
標的をレオ達に移すかもしれなかった。
当のテテは転倒の衝撃でフラフラとしていたが、やがて気を持ち直し、
割れたキャノピーを見て青ざめた。
「ひゃっ!?割れて…!…あ!」
割れたキャノピー越しにジェスキンの咥内を見たテテは咄嗟に思い付き、
ジグに渡された拳銃を取り出し、安全装置を解除して不格好に構えた。
「うああぁぁ!!」
乾いた銃撃音が、何度もコックピット内に鳴り響いた。
さすがに咥内はあのジェル物質で覆われてはおらず、
弾丸は威力を減じる事無く咥内から頭部へと食い込んでいく。
銃撃音を聞いた時には、すわ何事かと冷や汗をかいたジグだが、
すぐにテテの意図を理解した。
「俺のも使え!ありったけぶち込んでやれ!」
ジグは自分の拳銃を持って後ろに腕を伸ばし、
丁度弾を撃ち尽くしたテテはすぐにその銃を受け取り、
それも弾切れになるまで撃ち続ける。
飛び散ったジェスキンの血液が、テテの顔と眼鏡を黒く汚した。
やがて弾が尽きると緊張から解放されたのか、
テテはふっと意識が遠のき、気を失った。
そして最後の一発が無くなる頃には、とっくにジェスキンは動いていなかった。
「やった…のか?」
咥内から30発程の弾丸を浴びた頭部は、血で真っ黒に染まっている。
陽炎が引き剥がしにかかると、なんの抵抗も無く離れ、
ジェスキンは力なく建物の瓦礫の山に倒れた。
「おい、テテ!大丈夫か?」
後ろに首を伸ばして覗くと、弾切れの拳銃を持ったままで
眠ったように座席にもたれいるテテが見えた。
かすかに胸が上下しているのを確認したジグは、安堵の息を漏らした。
「よくやった、頑張ったな…
そうだ、ナンシーは!?」
ナンシーの事を思い出したジグはすぐに陽炎を立たせ、ジェスキンを陽炎で蹴り、
動かないことを確認してからラボータの元に向う。
「おい、生きてるか?!返事しろ!」
ラボータの傍に跪き、機体を揺すりながら呼びかけてみる。
するとかすかにだが、返事があった。
「ああ…何とかね。痛いから、揺するの止めろ」
「おっとすまん、ケガしてるのか?降りろ、手当してやる」
「…いらん世話だよ。
肋骨が折れてるみたいだけど、これ位大した事ない」
「いや、それは重症だろ!?」
「…平気さ。よっ…と」
ナンシーの掛け声と共にラボータが体を起こし、立膝状態になった。
だがその動きはぎこちなく、破損した部分はショートして火花が出ていた。
「ぐっ…うう」
ナンシーが苦しそうに呻いた。
やはり我慢しているだけなのだろう。
普通は肋骨なんて折ったら痛みで声も出せないはずで、ましてや動ける訳も無い。
「やっぱり降りろって」
「いいって言ってんだろ…それより…
あたしをやった奴は…倒したのかい?」
「ああ、テテが頑張ってくれてな、あっちで死んでる。
牙の一本でも持って帰るか?」
「…フッ、そうかい」
ナンシーがそう言うと、ラボータは陽炎に向って掌の銃口を向けた
「!?」
ジグはどういうつもりだと叫ぼうとしたが、
それより前にオレンジ色の火球がジグの視界を覆いつくし、
ジグは思わず目を瞑った。
だが熱くは無く、代わりに大きな爆発音が響いた。
ナンシーの放った火球は、陽炎のすぐ後ろにいたジェスキンの
左副腕を吹き飛ばしていた。
それを確認したジグは、心底驚いた。
「こ、こいつ?!バカな!!」
「詰めが…ぐっ…甘いねぇ旦那…」
頭部にあれだけの弾丸を受けて、なおも動くとは信じられない。
「こいつ…頭部はダミーなのか?」
しかし、それでは先ほど動きが止まったのは何だったのか?
頭がダミーで脳が別の場所にあるとしたら、
あのままこちらを攻撃し続けていた筈だ。
狂暴化し攻撃する事しか出来ないだろうから、死んだフリなんてする筈もない。
「!!そうか、副脳か!?」
体の何処かにもう一つの脳、副脳を持っていて、
メインの脳が破壊され一度は動きを止めたが、
副脳に切り替わって再び動き出したのだろう。
それしか考えられない。
手足の多い種には、その制御用に副脳を備えている物も少なくない。
ジェスキンは片方の副腕を失いつつも、残る右側を陽炎に向って繰り出してきた。
咄嗟にシールドで防御したが、この一撃でとうとう盾は破壊されてしまった。
「ちっ、シールドが!なんてしぶとい奴だ!
おい、さっきの火球でコイツをやれないか?!」
「…残念、今のが最後の一発さ。胴体を狙いたかったけどね、
ダンナに当たりそうだったからさ」
「お気遣いどうも。お前は逃げろ!そんな体では戦えんだろう」
「それこそ余計な気遣いさ!コイツはあたしがやる、さっきのお返しだ!」
ラボータは大きな右腕の爪を振りかざして殴りかかった。
が、それはジェスキンの残った副腕とぶつかり合い、
力比べの様相を呈した。
ここでナンシーはすぐに左腕の爪でジェスキンの脇腹を狙った。
向こうは片腕しかないので、受けるにしても貧弱な前足でになる。
あれならラボータの爪の方が強いだろう。
だが、左腕は少し動いただけで、攻撃を繰り出せなかった。
「ちっ、さっきやられた時、どこかイカレたか!?」
ジェスキンは前足でラボータを攻撃するが、ラボータは
少しだけ動く左腕の爪で、何とかそれを防御する。
が、元々壊れた腕だ。あのままではじきに動かなくなるのは明らかだ。
「よし、そのままでいろ!俺が…!!」
陽炎はブリッツダガーを抜いて、組み合っている二体に接近した。
今ならジェスキンの動きは止まっている。
どこを刺せば殺せるのかは別問題だが、チャンスには違いなかった。
「手を出すな!あたしがやるって言ってんだよ!
聞こえなかったのかい?!」
「し、しかし…!!」
「ダンナは嬢ちゃんの手当てでもしてな!」
ジグはここで、頭部キャノピーが破損している事を思い出した。
ナンシーと共闘するにせよ、まずはどこかで気絶しているテテを
降ろした方がいいのは確かだ。
「手を出すなってのは断る!だが、テテの手当てには同意する。
彼女を降ろしたら戻って来るから、それまで死ぬなよ!」
「あたしゃ殺されたって死なないよ!」
「すぐ戻る!」
陽炎は組み合う二体に背を見せて、レオ達の方に向かって
フットローラーで走り出した。
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レオ達は既に目的の場所に到着しており、
そこに陽炎が戻って来たので皆で出迎えてくれた。
「終わったのか?」
スコットが聞いてきたが、ジグは「まだだ」とだけ答え、
陽炎を屈めてキャノピーを開けた。
「テテを降ろす!キャノピーが破損して、本人も気絶している。
このまま戦う訳にはいかない!」
ジグは胸部ハッチを開け、胸の前に持って来ていた掌に乗った。
すると自動でその手は頭のすぐ側まで上がった。
そこで外から操作してキャノピーを開け、テテを降ろしにかかる。
その様子を見たレオが、先ほどと同じように手伝いに登って来てくれた。
「アイツはどうしたんだ?」
レオが言うのは勿論ジェスキンの事だろう。
「ナン…あのラボータが食い止めてくれている。
俺もテテを降ろしたらすぐに戻る!」
まずはレオにテテの上半身を預ける。テテはジェスキンの返り血を浴びており、
それを見たレオが不安そうな顔をしたが、ジグが下半身を持ってそのまま二人で
テテの体を持ち上げ、そっと掌に降ろして寝かせた。
「心配ない、奴の返り血だ。おっとそうだった、こいつも頼む」
そういってジグは再びコックピットに戻り、少しして腕にウサギを
抱いて出てきた。こんな状況ながら、そのモフモフとした手触りに少し酔いしれた。
「地球産の希少動物だ、丁寧に扱ってくれよ?」
そっとレオにウサギを渡す。
「あ、ああ、解った。こいつ、噛みついたりしないよな?」
ウサギを渡されたレオは、おっかなびっくりとその頭を撫でた。
「口の前に指を持って行くと危ないらしいぞ。
本能的に草を食むつもりで噛みついてくるらしい。
臆病な動物らしいから、驚かしたりして逃げられない様に注意してくれ」
「り、了解した」
そして陽炎の手は、再び三人と一匹を乗せて胸部コックピット前まで行き、
そこでジグはコックピットに乗り込む。
次にそのまま二人とウサギを乗せた手を地面に降ろす。
すると二人の隊員が駆け寄って来て、一人がウサギを受け取り、
もう一人とレオは一緒にテテを降ろした。
それを確認したジグは、色々と聞きたそうにしているスコットを尻目に、
陽炎で戦いの場へ引き返していった。
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ナンシーの元へ戻って来たジグだったが、ここに二体の姿は無かった。
地面にはジェスキンの血と、ラボータの装甲の一部と思われるものが落ちている。
「戦いながらどこかに移動したのか?」
周りを見渡すと、少し離れた場所に砂煙が舞っているのが見えた。
「あっちか!?」
ここでジグは使用を控えていたスラスターを全開にして、
陽炎を思い切りジャンプさせる。
推進剤が残り少なかったので、ここぞという時の為に取っておいたのだ。
跳躍の頂点で、戦っている二体が目視出来た。
「あそこか…?よし!」
場所を確認したジグは着地後もう一度跳び、そのまま二体の傍に着地、
この時丁度ジェスキンとラボータは距離を置いていて、
陽炎はラボータのすぐ隣に着地する形になった。
見ると、ジェスキンもラボータもあちこち傷だらけだが、
まだどちらも致命傷は負っていない様だった。
「て、手を出す…な…」
ナンシーは傷が痛むのか、虫の息みたいな声がスピーカーから流れてきた。
肋骨を折っていながら、レイダーを操縦して戦っていたのだから無理も無い。
まだ意識があるのが不思議な位だ。
「それは断った筈だ!そんな事より作戦がある、協力してくれ!」
ジェスキンは二体になった敵のうち、
どちらに攻撃を仕掛けようか一瞬迷うような仕草を見せたが、
すぐに陽炎に飛びかかってきた。単に陽炎の方が近かったからのようだ。
陽炎は右に避けて、素早くジェスキンの背後を取って組み付こうとしたが、
さすがにそう簡単に背後は取れず、左横から組み付く形になった。
とはいえ、怖いのは右の副腕なので、この形なら右副腕でいきなり致命傷を
喰らってしまう事もないだろう。
ジェスキンはもがきながら四肢と副腕を振るい、陽炎を殴打した。
が、組み合った体勢が悪く、あまり威力が乗らない。
陽炎も重装甲で頑丈な作りゆえ、暫くは持ちこたえれるだろう。
「今だ!俺が抑えているから、
何とかしてこいつの二本の尻尾を破壊してくれ!」
「……はぁ?ぐっ、う…な、何だい…そりゃ?」
ナンシーは訳が分からなった。
あんな細い尻尾、レイダーに乗っていればなんの脅威にもならない筈だ。
そんな事が出来る位なら、奴の腹にでも爪を揮った方がいいのではないか?
そう思った。
「いいから頼む!長くは持ちそうに無い!」
「……解ったよ…」
何か考えがある様だったので、乗ってみる事にした。
ナンシーも最早限界で、痛みで意識が朦朧としていたのだ。
そこを最後の気力を振り絞って、ラボータで接近を試みる。
ジェスキンは陽炎に集中している様で、ラボータが接近してきても
特にリアクションを起こさずに、陽炎との格闘を続けている。
なので簡単に背後に回る事が出来、すぐ目の前には二本の尻尾が。
この時ナンシーはジェスキンの隙だらけの背中に、
爪を打ち下ろしたい衝動に駆られたが、
これで倒せるかどうかは解らないし、ジグにやると言った手前もあり、
尻尾の破壊に専念した。
激しくうねる尻尾の先を狙って右腕で掴みかかり、
一本を見事に捉え直ぐに爪で破壊、残る一本も同様にして破壊する。
だが当のジェスキンは、毒が効いていて最早痛みを感じないのか、
全くダメージは無い様だ。
「済ん…だよ!これでいいのかい?!」
「恩に着る!後は休んでてくれ!」
「は!お断り…だね…」
と悪態を付いたものの、限界だったナンシーはもはや戦闘が出来る状態ではなく、
ラボータはふらふらと少し離れ、そこで動きを止めた。
「ちっ…後は見物するしかないか…譲ってやるよ…しっかりやんな!」
「ああ!今度こそ引導を渡してやる!!」
ジグは頭部コックピットとの隔壁を閉じ、
陽炎でジェスキンを掴んだまま、その場でスラスター噴射と脚を使って真上にジャンプした。
あまり高くは跳べなかったが、スラスターで少し前に進み、
傍にあった建物の屋上に落下、屋上は着地の衝撃に一瞬耐えたが
すぐに崩落し、陽炎とジェスキンはもみ合ったまま階下に落ちていく。
「うおおおおお!!」
ジグの雄叫びの直後、聞こえて来たのは階下に落下した音ではなく、
派手な着水音だった。
「いくらお前が毒でおかしくなっていても、
呼吸が出来なきゃどうしようもあるまい!?」
水はかなりの深さがあり、陽炎でも足が付かない。
陽炎はジェスキンをガッチリと抑え込み、そのまま一緒に沈んでいく。
戦いのダメージからか、気密のはずのコックピットのあちこちから、水が漏れてきた。
このまま溺死させるつもりだったのだが、ジェスキンがもがいた際に、
陽炎の左腕が肘関節からもげてしまった。
シールドを持って何度もあの右副腕の攻撃を受けていたせいで、
とうとうガタがきてしまった様だ。
「くそっ、こんな時に!」
左前腕部が取れたことで、ジェスキンは拘束を逃れ、水面に向って泳ぎだす。
対して陽炎は動きを止めて沈んでいくが、ジグは落ち着いていた。
「まぁいいか…こっちはついでのプランBだ」
そう呟いたジグの視界を、巨大な黒い影が覆い尽くした。
これが本命のプランAだった。
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ナンシーはラボータの中で事の成り行きを見守っていたが、
陽炎とジェスキンが建物を崩したかと思うと、大きな水飛沫が上がり、
二体とも沈んでいってしまった。
意識が朦朧としていたナンシーは、なぜこんな所に水があるのか分からなかったが、
水中で勝った方が浮かんでくるだろうと思い、水面を凝視する。
すると間もなく水面が泡立ち、ジェスキンが潰れた頭を出す。
「…何だ、やられたのかい、旦那?」
ナンシーはほんの少しだけ残念そうな表情を見せたが、すぐに気を取り直し、
気力を振り絞ってもう一度ラボータを動かそうとした。
その時だった。
ジェスキンの背後の水面が大きく波打ったかと思うと、
大きな牙がびっしりと並んだ、恐ろしく巨大で長大な顎が現れ、
これまた恐ろしい速度でその顎が閉じ、あっという間にジェスキンを捕らえた。
「!!!!」
あまりに現実離れした光景にナンシーは驚き、そのショックで意識が少し戻る。
「ワニか!?」
実はナンシーは、以前にここのワニを見ていたことがあったのだが、
今見たワニはその時よりもさらに大きかった。
暫く見ないうちにあそこまで巨大化していたとは。
当然ジェスキンはもがきながら反撃を試みるが、
相手に背後から噛みつかれ保持されているので、上手く行く筈も無い。
そしてワニは、通称デスロールと呼ばれる回転運動を始める。
さすがのジェスキンもこれには一溜りもなく、
断末魔を残してそのまま水中へ消えた。
その跡には黒い血が水面を漂っていた。
「…………」
暫く呆然と水面を眺めていたナンシーだったが、その目が再び水面の動きを捉えた。
そこから現れたのは陽炎で、右手に自分の左前腕を持っていて、
陸地に上がるとゆっくりとした足取りでラボータに近づく。
「まだ生きてるか?」
「…殺されても死なないって…言ったろう?」
「どうだ?やってやったぞ。残念ながら証拠の品は無いがな」
「…いいさ、さっきちぎった尻尾がある」
見るとナンシーは、ちゃっかり機体にちぎった尻尾を巻きつけていた。
今回の戦利品だ。
「二本あるな…片方俺にくれないか?中に残っている毒を調査に回したい」
ナンシーは何も言わず、尻尾の一本を陽炎に向って投げてよこした。
「敢闘賞だよ。
それにしても無茶しすぎだ…
あんたが食われてたかも…しれないだろうに…」
「それは大丈夫だ。
事前に顔合わせした時、陽炎は食い物じゃないと解って貰ったみたいだったしな。
動かなければ、間違いなくあっちを襲うという確信があった」
この建物の傍でナンシーが戦っているのを見た時、咄嗟に思い付いた事で、
事前にテテを降ろしていたのは僥倖だった。
キャノピーが破損している状態で彼女が乗っていたら、水中には入れない。
「あたしに…尻尾を破壊させたのは…この為だった訳かい?」
「ああ。
狂暴化しているから毒を使ってきたりしないとは思ったが、
何かの弾みで毒針があのワニの咥内や体内で刺さらないとも限らない。
念には念を、だな」
「なる…ほ……ど…ね」
「……………」
「?おい、どうした?しっかりしろ!」
「……………」
「ナンシー?ナンシー!?」
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5話 終