校正者のざれごと――心癒される仕事
「ああ、次の仕事なんだけどね、カレンダー2冊、いいかな」
いま担当している仕事のめどが立ったので、校正プロダクションへ連絡する。するとさっそく次の仕事の依頼が来た。2026年のカレンダーの校正。
カレンダーの校正は、月、日付、曜日、祝日、六曜、月の満ち欠けなどを確認する。もちろん、カレンダーにミスがあってはいけないので、慎重に一字ずつ確認し、細かくチェックを入れる。見る観点がはっきりしているので、さほど難しい仕事ではない。
「ただね、ちょっとめんどうなことがあって……」
校正物は「フラワーカレンダー」だそうだ。各月ごとにフラワーアレンジメントの写真があり、そこに書き添えられた花の名前がすべて合っているか(その花が使われたもので間違いないか)確認するという。花、かあ。正直言って私は花よりだんご派なので花にあまり馴染みはないのだが、もちろんそんなことは口に出せるはずもなく、二つ返事で引き受ける。ネット検索で、花の名前と写真を見れば確認できそうだ。
校正の作業には、やはりネット検索は欠かせない。調べ物にはほんとうに便利だ。
だが、あえてネット検索を使わない場合もある。たとえば、歴史ものの校正。
一時期、戦国時代をテーマにした本の依頼が続いたことがあった。大河ドラマなどで扱われたこともあり、巷は戦国ブーム。すると、そういった本が数多く出版される。
その頃に私のところに来たのは、有名な戦国武将を何人か取り上げて、その生涯のできごとや、鎧・兜の特徴、旗印などをビジュアルでくわしく説明する、という本だった。
歴史ものは、あまり得意ではない。たぶん、それほど興味がないのかもしれない。何度も同じ時代を扱った本の仕事をしているのに、一向に内容を覚えない。毎回、終わるとすぐにきれいさっぱり忘れてしまう。
そして、調べることがとにかく多い。年号(和暦と西暦)、名前(この時代の人たちは、生涯の間に何度も名前を変える。父親と子が同じ名前だったりもする。本当にやめてほしい)、戦いが行われた場所、城の名前、などなど……考えただけで気が遠くなる。
こういった内容を調べる場合、なるべくネットは使わないようにしている。ネットにはたくさんの情報があるが、歴史好きな個人が書いたようなものは、本当に正しいかどうかわからない。だから、戦国時代の歴史人物事典、日本史大事典など、分厚い本を何冊も用意して、一つひとつ調べていく。今回の本では、鎧や兜の絵や写真も必要なので、そんな本も用意する。合計すると10冊を優に超える。
名前や年号が違っているのを見つけたときは、他の資料も何冊かあたってみる。そして、資料名とともに、正しいと思われる内容を書いておく。これをひたすら繰り返す。根気のいる作業だ。
私のまわりにも、歴史好きな友人が何人かいる。きっとその人たちならこんな仕事は楽しいんだろうな、と思う。でも、私にとっては苦痛でしかない。何でこんなに同じような名前が出てくるんだろう。この人、さっき出てこなかったっけ。兜の形の微妙な違い。それぞれに立派な名前もある。たとえば「阿古陀形筋兜」。毛利元就の兜だそうだ。ふう。思わず、テレビでコメンテーターもしている某有名脚本家の方の顔を思い浮かべ、あなたのせいで私はこんな苦労を……などと勝手に恨んでみたりする。ストレスの行き場がほかにないのだ。
とにかく、遅々として進まない仕事を何とかやり終え、すべて納品することができた。もう、当分歴史ものにはふれたくない。そして、いま頭に入っているたくさんの戦国武将たちの情報は、すぐにどこかへ消えていってしまうだろう。
翌日。届いたゲラ(校正紙)を確認する。
フラワーカレンダー。A3サイズのゲラにはバラやカーネーションやひまわりや、名前のわからないたくさんの花の写真が載っている。へえ、きれいだな。書かれている花の名前をネットで検索すると、そこにも美しい花の写真が次々と出てくる。花なんて興味ないし……と思っていたが、何だかちょっと楽しくなってくる。そうか、こんなふうに美しいものの調べ物なら、苦痛じゃないのね。むしろ、心癒される。新しい発見をしたような、そんな気分。こんな私にも、少しは花を愛でる気持ちがあったんだな。
ちなみに、カレンダーに関して言うと、祝日というのは「国民の祝日に関する法律」に定められている。その第3条第3項に「その前日及び翌日が『国民の祝日』である日は、休日とする」とある。祝日にはさまれた平日は休みになるのだ。2026年は11年ぶりにこの条文が適用になり、9月に大型連休がある。気になる方はぜひチェックを。
翌週の月曜日。納品に向かう途中、駅ビルにある花屋が目に留まる。たまには、花でも買って帰ろうかな。事務所へ寄ってから、出版社へ納品に行く。出版社を出て帰る途中に目に留まったのは――ミスタードーナツ。
うん、やっぱり私は花よりこっちだな。いつの間にか、花を愛でる気持ちはどこかへ消えていってしまった。結局、手に持ったのは花束ではなく、ドーナツの入ったあのおなじみの箱。お土産に持って帰ったら、子どもたちも喜ぶかな。いや、本当に喜んでいるのは私。ドーナツ、好きなんだよね。