第06話 嵐子VS蛮カラ番長
また一年五組の本宮龍虎は、今時MUA並に珍しい破れた学帽を被り、肩に学ランを引っかけ、足には下駄、そして口には四葉のクローバーをくわえた昔気質の蛮カラ学生なのだが、やはりというか、気性が災いして目立つ転校生を放っておけなかったのだろう。廊下で擦れ違い様、わざと嵐子に肩をぶつけて「われ、謝罪せんかぁ~!」と難癖を付けたのだ。
「あら、ごめんあそばせぇ~」と即座に謝った嵐子だが、その直後、口笛で、ーーぴっぴぴぴぴぴぃ、ぴぴぴぴぴぃ~♪ と青い山脈を吹きながら立ち去ったのだ。
そんな古い曲を知っている嵐子も嵐子だが、それをカラオケの愛唱歌としている本宮も本宮だ。
おのれ~、わしを舐めくさって!
その行為を、自身の古風なスタイルを侮辱するものと受け取った本宮は、その場で嵐子に果し状を突き付けたのだ。
「そうこなくっちゃ!」
二つ返事で決闘を承諾した嵐子。
相手が同じAランクの生徒であれば、事前の準備に時間を割くのが通例だが、彼女はどこ吹く風。
通りすがりの社会科教師、小田栄一に立ち会いを頼むと「さあ、どこからでも掛かってきなさい!」とピコピコハンマーを正眼に構えた。
おっしゃ~! と雄叫びを上げて、竹刀片手に跳びかかろうとした本宮だが「おっと、タンマ、タンマ」と履いていた下駄を脱ぎ捨てると、それを手に取って、
「いや~、すっかり忘れてたけど、これ、鉄下駄なんだよね。もう、小学生の頃から履いてるから、ほんと、身体の一部みたいになっちまって。何て言うか、素足で歩いてるって感じ? まったく重さを感じねえんだ。でも、ほんとはこれ、重いんだぜ。五キロだよ、五キロ。ほら、こうして床にコンコンと打ち付けてみれば、なっ、良い音するだろう? ほら、コンコン、コンコン……、あっ、やべ! 床のタイル、割っちまった」
嵐子も屈んで、脱ぎ捨てられたもう片方の鉄下駄を手にすると「あら、ほんとに重いのね」と目を丸くした。
「だろ?」
自身の苦難に理解者が、それも美少女の理解者が現れたのだ。
宮本の顔に喜色が走った。
「そりゃ、最初は辛かったわ。小一だよ、小一。親父がさぁ、スポ根マンガの大ファンでさぁ、「剣士の星を目指すのだ!」とか言っちゃってさぁ。ほんと、虐待同然に鍛えられてよ。あん時ゃ随分親を恨んだもんだが、まっ、そのお蔭で冥王に入れたんだし、誰と闘っても負けねえ自信も付いた。今じゃ、あれこそが親の愛情ってやつかな、なんて、そう思えるんだ。ほんと……、親父には感謝してるよ」
遠くを見つめる本宮の目に涙が滲んだ。
脳裏に蘇る幼い頃の記憶。それは台風の日に傘を射して、重い鉄下駄を引きずりながら、歯を食いしばって登校する己の姿だった。
道行く級友たちに、指さしバカにされつつ、ーーわし、なんでこんな目に合わなきゃならんのじゃ。と悔し涙を流した、あの苦難の日々。
嵐子も同情頻りにうんうんと頷くと、
「あなた、とても辛い体験をしてきたのね。でも、もう大丈夫。おネエさんが、あなたを苦しみから救ってあげます」
「ほ、ほんとかぁ?」
「さあ、遠慮せずに、おネエさんの美しいバストでお泣きなさいな」
両腕を広げて誘う嵐子の、その間でぷるんぷるんと揺れる大きなバストに魅せられて、硬派本宮は呆気なく陥落した。
ネエやん、好きやあああああ~!
滂沱の涙を流して、嵐子の胸に飛び込んだ本宮。そのぷるんぷるんに顔を埋めているうちに、心の底まで癒されたのだろう。嗚咽は次第に収まっていった。
誰の目にも、そこで十分勝負あったの感じなのだが、敗北を宣言するか、失神するか、若しくは立会人の判定が下るまで闘いが続けられるのが決闘の規則なのだ。その点、嵐子は抜かりがなかったといえる。
お~、よしよし。と赤子をあやすがごとく、本宮の頭をナデナデしていた嵐子だが、彼が微かに寝息を立てた瞬間、それを好機とみたのだろう。手にした鉄下駄を高々と掲げ、頭蓋骨を砕かんばかりに、本宮の頭頂部を引っ叩いたのだ。
ゴ~~~~~ンと境内で鐘を搗く音がして、龍虎は嵐子に抱かれたままズルズルと床に這いつくばった。
勝負あり! 一番合戦嵐子!
すかさず立会人の小田教諭が右手を挙げて判定を下す。
だが沸き上がった拍手は疎らだった。
見物人の誰もが、複雑な表情で、鉄下駄を手にはしゃぐ嵐子を見つめていた。
「これ、戦利品として頂いておきますね。悪しからず」
伸びた本宮の耳元で、そう囁くと、嵐子は鉄下駄の音をガランゴロンと高らか響かせながら、廊下の角へ姿を消した。と思ったら、その向こうから、彼女の美声が高らかに鳴り響いた。
「あ~した、天気にしておくれ! ガタンゴトン(鉄下駄が床に転がる音)あっ、明日は雨だ。残念。でも、血の雨なら大歓迎なんだけど」
彼女が残した言葉は、その場にいた全員の心胆を寒からしめた。
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と、いう訳で、わずか一週間の間に決闘に四連勝。それは冥王学院開校以来の快挙であり、彼女の名前を全校に轟かす壮挙となった。
上級生との対戦も噂される中、早くもSランクの生徒が動き出したとの情報もある。
五月は焦っていた。
自分の実力に自信のある者は、より上位の挑戦を受ける傾向がある。
このままでは自分が果し状を突き付けても、彼女に無視される恐れがある。
教師で構成された認定委員会に仇討として決闘を申請すれば、優先権が与えられるのだが、それが了承されるのに一か月はかかる。
その間に嵐子が敗北すれば、イクの名誉が回復する機会は失われ、また同時に仇討の機会も失われる。
ウカウカしてはいられない。親友の仇は何としても自分が取るのだ。それにはまず、あの得体の知れない得物、ピコピコハンマーを封殺しなければ。
それと三国志の知識も……、出来れば三国志検定一級に受かるくらいの。
関君が彼女を仕留められなかったのは、きっと敬愛する関羽公を侮辱されたからで。確かに相手の動揺を誘うのは、宮本武蔵の巌流島の例に漏れず、兵法の条理なのだけど、それをああも巧みにやられては、関君でなくとも心を乱すに違いない。
自分はどうなんだろう? 何を言われると頭に血が上るんだろう?
先祖にこれといって有名人はいないし。父親は観光会社勤務で、母親は茶道の先生。別に難癖つけられる謂れはないし。
では身体的特長は? 気になるところは鼻が少し低いこと、そして体毛が少し濃い目なことぐらい。まっ、いずれにせよ、美的特長においては、あの女と比べられたら、それこそ裸足で逃げ出すしかないんだけど。
五月があれこれ思案していると、不意に背後から人影が射した。
「それ、もしかして十期生のアルバム?」
春の木洩れ日のような囁きが優しく耳朶を打った。
振り返ると、そこには意外な人物が。
生徒会長の清流院靖先輩だ。
身長182センチ、体重65キロ(ファンクラブの公式記録)のスレンダーな身体から発せられるのは漲る闘気ではなく、溢れんばかりの優しさ。それ故に彼に稽古を申し込む女子生徒は後を絶たない。
その涼しげな瞳に見つめられて、五月は思わず頬を赤らめた。
ドキンとハートがよろめいた。
彼の周辺で噂された、そよ風の瞳の噂は本当だったのだ。
「あの、何か?」
超イケ面の先輩とこんなに間近で話せるなんて、今日はラッキーデイかもしれない。
会長の口元からキラリと光る白い歯が零れた。
「もし良かったら、そのアルバム、貸してほしいんだけど」
「ええ、用は済みましたのでどうぞ」
「いや、すまないね」
会長はアルバムを小脇に抱えると、他のテーブルへ足早に移動した。
五月は小さくため息をついた。
たったの20秒。学院きってのイケ面生徒会長との邂逅は余りにも短かい時間だった。
わたしも稽古、申し込んでみようかな。
五月は知らなかった。
靖の稽古相手が既に一年先まで予約で一杯なことを。




