第05話 嵐子と蘭子 二つの影
放課後の図書室に、人影は疎らだった。
五月は部屋の片隅で、一人黙々と卒業アルバムを捲っていた。
図書委員であり、読書を趣味とする彼女がそこに居ても何の違和感もないのだが、閲覧しているのが一六年前の卒業アルバムであれば話は別だ。
掲載された記念写真に写っているはずの一番合戦という人物。
五月はその人物の手がかりを捜していたのだ。
事の発端は家庭における母親の一言にあった。
「これ、読める?」
夕食後のひと時、何気に訊いた一番合戦という名字。
誰もが、ーーいちばんがっせん。と読むところを、母親の五月雨浮子はいともあっさりと、ーーいちまかせ。と読んだのだ。
「ええっ~! 何で読める?」
青天の霹靂! どうして正確に読めたのか、五月でなくとも気になるところ。
「それはね、高校時代の後輩に、そういう名字の娘がいたからよ」
一度、聞いたら忘れられない名字。
浮子は皿洗いの手を休めると懐かしそうに遠くを見た。
彼女も冥王学院の卒業生なのだ。
五月がテーブルから身を乗り出した。
「ねっ、ねっ、その人、どんな人だった?」
「そうねぇ、とても美しい人ね。でも蓮っ葉ていうのかしら? それこそ絵に描いたようなお転婆で、剣術道場の娘さんでね。開けっ広げでよく笑う人だった」
「その人、強かった?」
「ええ、見かけとは大違い。薙刀を持たせれば学院一の使い手って言われてたわ。確か格闘順位でもSクラス一位を外したことはないはずよ」
「へぇ~、そんなお嬢様が。正直、信じられない」
「薙刀部の後輩で、二、三度手合せしたけれど、お母さん、一度も勝てなかったなぁ」
「それでお母さんは対戦順位、最高何位までいったの?」
「……ええと、私?」
娘の不意の質問に、浮子は戸惑った笑みを浮かべた。
「そうね、三十位は超えられなかったかしら?」
勝った! と思ったのも束の間、話がずれたことに気付いた五月は、
「で、さっきの続きだけど、その後輩、一番合戦」
「……蘭子」
「えっ、嵐子?」
「花の蘭に子、よ」
「その蘭子さんの写真が観たいんだけど」
「あら、随分と御執心ね。でも卒業アルバムに載ってたかしら?」
「薙刀部の記念写真は?」
「それが彼女、撮影の当日、学校を欠席したらしくって記念写真に写ってないのよ」
「それは残念。出来れば顔を確認したかったんだけど」
浮子が小首を傾げた。
「何か気になることでも?」
「ええ、実は」
五月は躊躇いつつも、先の決闘で親友のイクを破った生徒が、一番合戦という名字であることを告げた。
「そうなの、確かに珍しい名字だけど」
浮子は少し考え込むと、
「それで、その一番合戦さんの得物は?」
「それが……、ピコピコハンマー」
「えっ、ピコピコハンマー?」
「ねっ、笑えるでしょう?」
二人がクスリと笑うには程よい冗談話だった。彼女たちに限らず、大勢の人がピコピコハンマーで遊んだ記憶を共有している。が、その得物のせいで重傷者が出ているのだ。母娘はすぐに笑顔を収めた。
「で、イクちゃんの容態は?」
浮子も娘の友人として何度か言葉を交わした相手だ。
五月のお母さん、美人で羨ましいわ。とイクが話しているのを何気に耳にしたこともある。
やはり容態は気にかかる。
「それが意識は取り戻したんだけど」
頭蓋骨骨折で二週間の入院。あれから三日が経つが未だに面会謝絶状態。精神的ショックが癒えず、付き添いの母親の話によると、当人はベットの中で毛布に包まって泣き暮らしているという。
「イクには早く良くなってもらわなきゃ。そのためにも、あの女は必ず私が倒す!」
「あら、決闘するの?」
「当然でしょう? 親友がやられたのよ。仇を討たなきゃ!」
「仇討ちは冥王学院の伝統だけど。相手は強いんでしょう? もし返り討ちにでもあったら」
「大丈夫だって! そのために色々調べてるんだから。ーー彼を知り、己を知らば、百戦殆うからず。そう孫子にも書いてあるし」
五月の笑顔は少し強張っていた。
あの女、一番合戦嵐子の戦闘力は反射神経、跳躍力、パワー、その他、どの項目でもイクを上回った。翌日、気の早い者は、--もしかして左馬之丞より強いんじゃないか? などと囁く始末。
自分はイクより格下のBクラス28位。剣術の稽古では三回に二回は不覚を取った。
そんな自分が一番合戦嵐子を倒せるだろうか?
不安に駆られた娘を気遣うように、浮子が声をかけた。
「そうそう、例の写真の件だけど、学校の図書室を当たってみたら? 卒業アルバムが保管されてるはずよ」
「そうだった! それで、その一番合戦蘭子さんって何期生なの?」
「私の二期下だから、確か十期生のはず」
「分かった。早速、明日、探してみる」
■■■
五月のページを捲る手が、ふと止まった。
第十期卒業生の顔触れの中に、嵐子とそっくりの顔を見つけたのだ。
見つけた!
名前は一番合戦蘭子。きっと彼女の母親に違いない。
我が子を冥王学院に入学させようとするOBは後を絶たない。
質実剛健な校風が人格形成に大いに資することを、彼らは身を以て理解しているのだ。現に五月やイクの母親も同校の卒業生で、入学は自身の意思というよりは親の意思による。
だが武術で男子と渡り合い、あまつさえ打ち倒すことが許される本校の教育制度を、彼女たちも甚く気に入っている。
本来は大和撫子の育成を目標としたものではあるが、そこは21世紀の学院。第四代校長が、ーー男女一五歳にして席を同じうせず。を実行しようとしたところ、生徒総会の総意で否決され、第五代校長が、ーーそれならいっそ男子校にしてしまえ。と理事会に諮ったところ、ーーそれは罷りならぬ。と頭越しに文科省からお達しがきた。
古来よりの武士道を極めつつ、決して男尊女卑の悪風には染まらない。
そんな訳で文武両道を極める女子にも人気があり、親子二代で冥王学院の卒業生なんて生徒が、全体の約三割にも上る。
一番合戦嵐子も、きっとそんな生徒の一人なのだ。だが、それなればこそ疑問は尽きない。
なぜ、彼女は悪意を以て人と闘うのか?
学院内において、最上ランクの実技試験である決闘が行われるのは、精々年に一度ほど。それは最上級者が互いの誇りを賭けて執行されるものであって、決して憎悪の捌け口として行われるべきではないのだ。
それなのに彼女ときたら週に二度も決闘を行い、三人を病院送りにしたのだ。イク以外の犠牲者は、一年三組の佐山修一と一年四組の矢代義一。そして一年五組の本宮龍虎の三人。
うち二人は格闘順位一二八位と一四八位というCランクの生徒で、イクに代わってAランク二十九位に昇格した嵐子に果し状を受ける義務はないのだが、彼女はいともあっさりと「ようございますとも、お受けいたしましょう。でも日を置いて、お二方を相手にするのは面倒なので、今ここで纏めて相手をするというのであれば」と澄まし面で言ってのけたのだ。
その瞬間、決闘は私闘に早変わり。冥王学院生の誇りを甚く傷つけられた二人は、怒りに我を忘れて嵐子に襲い掛かった。
が、二人の得物、ーー刀の切っ先と槍の穂先が届く寸前、嵐子は軽やかに跳躍すると軽やかに空中で一回転、二人の後頭部へピコピコッと軽やかにピコピコハンマーの連打を加えたのだ。
二人が倒木のごとく前のめりに倒れるまで僅か三秒。
「どなたか~、校医を、いえ、救急車をお願いしま~す」
そう言って両腕を前に組むと、ピコピコハンマーを高らかに掲げ、勝利の美少女ポーズC型を決めてみせたのだ。
スマホのシャツターが一斉に切られ、その映像は多くの男子生徒の待ち受け画面と化した。
格下相手とはいえ、余りの鮮やかな勝ちっぷりと美少女振りに、心酔した一人の男子生徒が「嵐子ちゃ~ん、今度は水着姿でお願いね!」と叫ぶと「それは夏までお預けよ!」とウインクしてみせたから堪らない。
その場にいた男子生徒の八割が彼女のファンに、そして女子生徒の八割が彼女の敵となった。