第23話 嵐子 デートを申し込まれる
一年一組岡田礼次郎は悩んでいた。
彼は"嵐子ちゃん゛の大ファンであり、出来ることならお付き合い願いたいと考えている、その他大勢の男子生徒の一人なのだが、嵐子の性格が明るみになるに連れ、引いてしまった彼ら同様、告白することを思い止まった一人でもあった。
だが状況は一変した。
五月雨との決闘の最中、突如現れたもう一人の嵐子に、彼は心を奪われてしまったのだ。
あんな美しい女、見たことねえや。彼女、本当に高校生?
普段の嵐子に対しても、ーーあんな可愛い女、見たことねえや。等と、その容姿を誰よりも高く評価していた岡田だが、ここに至りその評価は鰻登り。
片や最高に美しく、片や最高に可愛いとくりゃ、こりゃ一粒で二度美味しいってか! 等と彼女が同一人物であるにも拘わらず、二人の女性と同時にお付き合いする、いわゆる二股交際の期待に胸躍らせて、いよいよ告白を決意したのだ。
で、決闘の翌朝。
岡田に限らず、大勢の生徒が、ーー果たして、どちらの嵐子が現れるのか? と期待と不安を胸に今や遅しと待ち構えていたのだが、意に反して現れたのはお馴染みの嵐子、あの天然嵐子の方で、佐馬之丞を除く男子全員が、ーーなんだぁ~、可愛い方の嵐子ちゃんかぁ~。等と可愛いにも拘わらず男子に失望されるという、摩訶不思議な珍現象を引き起こした。
その気配を察した複数の女子は、ーー男は可愛い女より、美しい女に惹かれるものなのね。と大人への階段を緩やかに昇り始めた。
そんな失望と絶望の嵐の中、礼次郎が教室で嵐子に対して「昼休みに一寸、屋上まで来てくれない? 話があるんだ」と言ったもんだから話題騒然。教室中の耳目が二人に蝟集した。
「ええ、いいですわよ~ん」と嵐子もお気軽にOKしたものだから話題沸騰。口さがない女子などは早くも二人の恋の成否を話題にする始末。
男子も男子で、
「流石は冥王のナンパ師。怖い物知らずだな」
「う~ん、彼女、見た目は超可愛いんだけど、一寸性格がねぇ」
「天然なのに結構きつい性格してるから」
「迂闊に手を出して、ピコハンで頭を叩き割られるのが落ち」
等々、二人の将来を悲観する者が続出した。
ただ佐馬之丞だけが孔子の論語に目を落としつつ、耳だけはしっかりと欹てて、級友の意見を一通り吟味したところで、ーー何をバカなことを。まだ一番合戦が岡田の申し出を受けると決まった訳ではあるまいに。と無関心を装いつつ、内心この現状を憤慨している者もいた。
で、昼休み。
礼次郎が校舎の屋上で待っていると、ほどなく「あっ、いたいた」と声がして包みを下げた嵐子が姿を現した。
「やあ、来てくれたんだ?」
「うん!」
嵐子は元気よく肯首して「あれ? 岡田君、お昼どうしたの?」と彼が手ぶらなのを訝しんだ。
「いや、もう喰っちまったんだ。四時間目の授業中に」
そう言って照れ笑いを浮かべる礼次郎の目の前に、一膳の祝箸が差し出された。
「それ、使って」
「うん?」
「一緒にお昼食べましょう」
嵐子が包みを紐解くと、そこには黒漆塗り二段重ねの重箱が鎮座していた。
蓋を開ければ牛肉しがら焼きと合鴨ロースを主菜に、鮭幽庵焼き、さつま芋の蜜煮、真薯、玉子焼き、菜物、香物、果物等々、一般人の礼次郎から見れば、ーーなんだぁ! この豪華な晩餐はぁぁぁぁぁ~! と雄叫びを上げたくなるほどの豪華なお昼だった。
「ほ、本当に食べていいの?」
「どうぞ、ご遠慮なく」
小刻みに震える祝箸でまず玉子焼きを摘まんでみる。
こ、これが噂の京風だし巻き玉子。
あのお淑やかな木田幸代が、松茸の香ばしい香りに釣られて、思わず級友の目の前でお口をア~ンしてしまったという、伝説の玉子焼き。
その絶妙な食感は一口食べただけで、彼の心を、いや、舌と胃を虜にした。
う、美味い! お、俺、こんな美味いもん、もう一生食えねえかも。
礼次郎が感極まって尋ねた。
「これ、作ったの、もしかして嵐子ちゃん?」
「まさかぁ~、私にこんな美味しいもん、作れる訳ないでしょ」
「じゃあ、誰が?」
「京都の料亭からお取り寄せしたんですよぉ~」
「り、料亭!?」
「私ぃ、玉子焼きぃ、大好きですからぁ~」
こんなもんを毎日のように食えるなんて、一体、どれだけ金持ちなんだよ。
冥王学院は超一流の進学校なので、金持ちの子弟が多いのだが、それでも弁当箱が重箱というのは、彼女以外では三年の神崎玲花唯一人だった(尤も彼女の重箱はその美しい痩身に相応しく、一段だけで構成されていた)。
「でもですねえ~、これとこれとこれは私が作ったんですよぉ~」
そう言って嵐子が箸の先で示した物は、牛肉しがら焼き、合鴨ロース、鮭幽庵焼きの、重箱の主菜を飾る三品だった。
「えっ、マジ!?」
その出来の良さに思わず目を見張った礼次郎だが、それを口に放り込んでまたまた吃驚!
俺、こんな美味いもん、異世界に転生した後も食えないかも。
未だ中二病の尻尾を引きずる彼が、不覚にも涙した瞬間だった。
その後はもう箸が止らないという感じで片っ端から手を付けたもんだから、ふと気付けば料理の半分を平らげていた礼次郎であった。そして残りの半分は既に嵐子が綺麗サッパリ平らげており、普段はこれを一人で平らげていることを考えれば、その栄養価は一体どこへ行ったのやらと、彼女の痩身を眺めながら呆れるやら感心するやら。世の多くの女性が彼女の体質に嫉妬するはずだ。
嵐子が不安げに尋ねた。
「あの~、美味しかったですか?」
「えっ、ああ、最高~、こんな美味いもん、喰ったことねえよ」
「本当ですかぁ、嬉しい!」
「嵐子ちゃん、きっと良いお嫁さんになれるよ」
「キャ! 恥ずかし!」
喜んだり、恥ずかしがったり、瞳を輝かせたり、頬を赤らめたり、猫の目のようにくるくる変わる嵐子の表情は、冥王のナンパ師ですら観ていて心和むものがあった。
こりゃあ、もしかしたら拾いもんかも。
そんな礼次郎の不躾な思惑を他所に、嵐子は静かに祝箸を置くと「御馳走様でしたぁ~」と両手を合わせて自然の恵みに感謝した。
「で、岡田君。お話って、なんですかぁ?」
「ああ、そうだ。実は今週の日曜日、一緒に映画なんてどうかなと思って」
「ええっ! それってもしかして、デェ~~~~~トォ! なんですよねぇ?」
「まあ、そのつもりだけど」
「ーー!」
一瞬、喜色満面の笑みを浮かべた嵐子だが、直後、頬を真っ赤に染め上げると恥ずかし気に俯いてしまった。
「ど、どうしたの?」
「そ、その、私ですね、デェ~~~~~トに誘われるの、初めてなんですよぉ。だから、その、なんか恥ずかしくってぇ」
「えっ、それ、本当?」
その可愛い容貌からすると意外な言葉だが、その不思議ちゃんな性格からすれば、それもアリかなと思った礼次郎。
鉄柵に凭れ掛かると、努めて気さくな態度を装った。
「まっ、気にしなくってもいいんじゃね? 誰でも経験することだしさ」
「で、でもぉ~」
「冥王のナンパ師といわれたこの俺が、ちゃんとエスコートしてあげるから」
「冥王のナンパ師ぃ!?」
「あれ、知らなかったの? 俺の渾名」
目をくりっと丸めて、うんうんと首を縦に振る嵐子。
礼次郎は照れ笑いを浮かべると、
「ハハッ、なら、言うんじゃなかった」
「岡田君って、そういう人だったんですかぁ?」
「あっ、もしかしてがっかりした?」
「……」
伏せ目がちに礼次郎を見つめる嵐子。
その疑惑に満ちた視線を受け流すように、礼次郎は晴れ渡った空を見上げた。
「その渾名の由来なんだけど。俺さあ、中坊の頃、デートしたことあって。たった三回なんだけど」
「えっ、三回もぉ!」
「えっ、やっぱ多いかな?」
今度はううんううんと首を横に振る嵐子。
礼次郎は苦笑いを浮かべると、
「で、付いちまったのさ。冥王のナンパ師って。まあ、三回とも違う彼女ってところが、冥王の連中に妬まれたんだろけど」
連中、頭固えから。そう嘆く礼次郎の横顔はどことなく寂しげで、嵐子のような天然女子でも思わず胸キュンしてしまいそうな哀愁を秘めていた。
しばし沈黙の時が訪れた。
空へ視線を向けたばかりに、初夏の眩しい光にジリジリと網膜を焼かれた礼次郎。
あの~、いい加減、この姿勢、解除したいんだけど。
少しばかり眩暈がして視界が橙色に変色しかけた頃、ようやく嵐子が面を上げた。
「あの~、私、観たい映画があるんですけどぉ~。"小熊物語゛って知ってますぅ?」
「いや、知らねえけど」
「もし良かったら一緒に観に行きません?」
「えっ、てことはデートの件」
「勿論、OKですぅ」
やった!
ダメ元と思っていただけに喜びも一入。話してみると意外に普通の女子という気がして、その見目の良い外見と相俟って、好事家が掘り出し物の骨董品を見つけたような、そんな気分を味わった礼次郎であった。
で、放課後。
他人の色恋沙汰に首を突っ込みたがる複数の男子が、礼次郎を取り囲んで恋の行く末を問い質した。
「いや、ダメ。まったく相手にされなかった」
その一言に納得顔の男子達。各々慰めの言葉をかけると、彼を包囲した輪は直に解散となった。
無論、先の言葉は虚偽であり、二人のデートの一件は当分の間、級友達には秘匿されることとなった。




