第02話 嵐子対佐馬之丞 爆笑 三国志対決!
こやつ、意外にやる。
ピコピコハンマーという玩具のごとき得物に惑わされていた、己の見識の甘さに気付いたのだ。
冥王学院に得物として持ち込む以上、それが玩具である訳がない。
相手の素性が不明である上に、得物の特性まで判別不能とくれば、ここは試合を控えるのが賢明な判断といえる。
だが、ここまできたら後には引けない。
お互いに教師の前で名乗りを上げた以上、最早試合は学力考査として承認されたことになり、それを現時点で回避すれば惰弱な者、無思慮な者として(それは本学院において、最も忌避されるべき価値観)、内申書に著しいマイナス評価が付く。
学年トップの左馬之丞からすれば、それこそが赦されざる失態なのだ。
彼本来の原初的欲求たる戦闘本能が、ーー柄の長い偃月刀の方が遥かに有利。という常識的判断に偏った。
握り締めた青龍偃月刀は、ーー冷艶鋸。かの関羽公より伝えられし天下の大薙刀だ。並ぶ者なき猛者のみが帯刀を許される天下の大業物だ。
自身を冷艶鋸の正統なる持ち主と自負する彼にとって、それは命にも代え難い代物だった。
「関羽公の名にかけて、貴様を成敗してくれる!」
冷艶鋸を脇に構えると、胸ポケットから生徒手帳を取り出した。
対戦に際して、身分証の提示が校則により義務付けられている。
嵐子もおずおずと俯き加減に、制服のポケットから真新しい生徒手帳を開示すると、
「あの、ちょっと、お尋ねしてよろしいでしょうか?」とピコピコハンマーを抱き締めて、科を作ってみせたのだ。
美少女の媚びた姿に、真面目一筋の左馬之丞が狼狽えたのは、その手の媚態に免疫がないからであり、闘志の萎えるままに「なんだ、言ってみろ」と言い放ったのは正に失態としか言いようがない。
彼は見逃したが、そのとき嵐子の瞳がキラリと怪しい光を帯びたのだ。
「あのぉ~、関羽ってぇ、もしかしてぇ、三国志の人のことですよねぇ~」
「それがどうした?」
「なぜぇ、関羽なんですかぁ? ああ、分かったぁ~! もしかしてぇ、憧れの人だったりするんですかぁ」
左馬之丞は冷艶鋸の石突を後ろの机に引っかけつつ、切っ先を突き出した。
「これは冷艶鋸。我が愛刀にして、関羽公より直伝の大業物である!」
「直伝? でもあなたぁ、日本人でしょう? なぜぇ、中国人の武器なんかぁ。それもぉ、大昔の人の……」
「御先祖様が大陸よりの渡来人なのだ。そして俺は関羽公の直系の子孫なのだ」
先祖の誇りに、左馬之丞の厳つい顔がわずかに綻ぶ。
「へえ~、そうなんだぁ」と感心頻りの嵐子。
何を思いついたのかピンと一本、指を立てると、
「それでは質問です。関羽公の出身地は何処でしょう?」
余りにも場違いな質問に、ぐっとたじろいだ左馬之丞。
普段なら、ーーこの期に及んで何を下らぬことを! と一喝するところだが、敬愛する関羽公のことであれば話は別。
瞑目して気勢を整えると「河東郡解県」と押し殺した声で呟いた。
「はい、正解ぃ!」
大きな瞳からキラキラ星を噴水のごとくまき散らして、嵐子はさも楽しげに叫んだ。
そして悩ましげに小首を傾げると、やおら面を上げて、
「では次の質問です。関羽が劉備、張飛と兄弟の契りを結んだ……」
「桃園の誓いだ」
何を下らぬことを。とばかりに左馬之丞は首を振った。
男子生徒の間に失笑が漏れた。
高校生に1+1を質問しても間違える者は1人もいない。そんな初心者問題を出題する時点で、嵐子の敗北は決定的だ。その軽率な質問は、この後に執行される決闘において、彼女に大きな精神的負荷を与えるはずだ。
案の定嵐子ときたら、ーーえーと、えーと、と早くも出題に困る有様。
彼女が三国志オタクでないことは明らかだが、それでも記憶の底を掻き回し、問題を作成しようと苦悩するその艶姿(?)は、彼女が美少女なだけに見ていて痛々しいものがある。
なんだ、彼女、痛い娘だったんだ。
女子生徒の間に何やら妙な安堵感が流れた。美少女の出現にメラメラと嫉妬の炎を燃やした彼女たちも、今では孫を見守る祖母にも似た優しい瞳に変わっていた。
「白馬の戦いで、関羽が打ち取った袁紹の部下の名は?」
「顔良」
「関羽が千里行で跨った馬の名は?」
「赤兎馬」
「酒が冷めぬ間に関羽に瞬殺された、董卓の部下の名は?」
「華雄」
「虎牢関で、関羽、張飛と闘った董卓の部下の名は?」
「呂布」
「張飛、趙雲、馬超、黄忠、五虎のもう一人の名は?」
「……関羽」
設問に四苦八苦する嵐子。どうやら三国志にまったくの無知という訳ではないようだが、かと言って三国志検定三級に受かるレベルでもなく、所詮は付け焼刃。関羽を敬い、関羽のように生きたいと願う左馬之丞の敵ではないのだ。
「関羽が愛用した、大薙刀の名は?」
いい加減、ネタの尽きた嵐子が放ったやけくそな質問は、ーードン! と冷艶鋸の石突で床を突いた、左馬之丞の無言の圧力によって跳ね返された。
「どうした、それで仕舞いか?」
逆八の字に吊り上がった太い眉毛には、無謀な挑戦を試みた者への激しい怒気が滲み出ている。
前の席の女子生徒など、振り返って思わずオシッコをチビりそうになったほどだ。
誰もが正視できないその憤怒の形相を、しかし嵐子は平然と受け流した。
大胆にも担任教師の目の前で、教壇机の上にピョンと飛び乗ると、
「いえいえ、今のは小手調べですぅ。必殺技は最後まで取っておくものでしょう?」
そう言うと、腰と背中に手を回してモデル並みの美しいポーズを決めてみせたのだ。
真っ白な透過光の中で、輝きの美少女オーラを放つ嵐子の肢体は、女子生徒ですら息を飲むほど美しく、それは一個の芸術品と言っても過言ではない。
「エネルギー、フルチャージ! さあ、いっくわよぉ~!」
教壇机の上でビシッと佇立すると、左馬之丞に向けてピコピコハンマーを振り下ろした。
「で~は再び質問です。関羽が劉備と出会う以前にやっていた商売は?」
「塩の商いだ」
「正解! と言いたいところだけど。それでは片手落ちよね。正解は塩の密売でしょう?」
「……」
左馬之丞の口元が微かに歪んだ。
関羽はこの時、密売仲間を殺害して、犯罪者として郷里を追われたのだ。
それは英雄関羽の人生における闇歴史の部分なのだが、ーーそれを、この女は知っている。
「さてと、次の問題。虎牢関で関羽と張飛が二人掛かりでも敵わなかった英傑の名は?」
「……それなら、先ほど答えたであろう」
「あら、そうでしたっけ? なら、もう一度ぉ」
「……」
「ブゥ~! あら、残念。時間切れぇ~。正解は方天画戟の使い手、三国志最強の武将、三英戦呂布様ぁ~! キャァァァァァ~!」
一人で勝手に盛り上がり、机の上をピョンピョン飛び跳ねるその狂態に、イラッと来たのはどうやら学級の女子だけではないようだ。
左馬之丞の片頬がピクピクとひくついた。
関羽の華やかな戦歴において、唯一黒星をつけられた相手がこの呂布なのだ。しかも弟分の張飛と組んで二対一の対戦による敗北となれば、関羽の面子が丸潰れになったことは想像に難くない。
今、彼の脳裏には、呂布に敗れて這う這うの体で退散する、御先祖様の哀れな姿が蘇ったはずだ。
嵐子はそんなことにはお構いなし。
傍らに佇む泉田の頭をピコピコハンマーでエイッと叩くと(ぱふっ)、
「さ~て、次の質問です。単刀赴会において、関羽を遣り込めた呉の軍師は?」
「…………魯粛」
苦しげに呻く左馬之丞。
文人気取りの関羽だが、意外に交渉下手で、呉との境界線問題では魯粛相手に不利な条件を飲まされた経緯がある。彼の支配地、荊州失陥の遠因となった。
「は~い、正解です。さすがは関羽の末裔を自負するだけのことはありますわねぇ。ホホホホホ……」
口元に手を当てて嫌味たらしく微笑む嵐子。
そんな屈辱に左馬之丞が耐え得たのは、日頃の古武道における精神修養の賜物であろう。