第16話 決闘の時きたる
翌朝、五月雨浮子はキッチンのテーブルの上に娘の置手紙を発見した。
御両親様へ
一週間ほど、北海道の大雪山へ修業に行って参ります。
決闘の期日までには必ず帰りますので、どうか娘が帰宅するまで心健やかにお過ごしください。
五月
その文面を一読するなり、父晴夫の顔から血の気が引いた。
「大変だ~! 母さん、娘が、娘が~!」
慌てふためく夫を尻目に、浮子はいつもと変わらぬ様子で朝食の支度を整えると、
「大丈夫。そんなに慌てないで。行先は分かってるんだから」
「でも大雪山だぞ。広いんだぞ! それに羆が出るんだ! そんな所へ娘を遣れるか!」
旅行代理店勤務の晴夫は以前北海道支社に勤務していたことがあり、観光名所である大雪山のことは相応に熟知していた。
それでも浮子は動じない。出来立ての朝食を「お父さん、これ、持ってって」と夫に押し付けると、自身もエプロンを外してテーブルに着座した。
「五月は冥王の生徒で私の娘です。その程度で挫折するような娘じゃありません。だから、あの娘を信じて待ちましょう」
晴夫がテーブルを叩いた。
「いや、だから挫折とかいう以前に生命の危険すら考えられるだろ? うちの娘が羆と闘って勝てるとは、とても……」
「大丈夫。私の娘ですから」
「大丈夫って、君! 冥王の生徒って、そんなに強いのか? 彼らだって人間だろ?」
「あら、知らなかったんですか? 私、虎と闘ったことがあるんですよ。残念ながら、勝負の途中で逃げられてしまいましたが」
「……」
晴夫は絶句した。
もし婚前にその話を聞いていたら、彼女との結婚は考えなかったはずだ。
浮子は何食わぬ顔でお茶を一口啜ると、
「ですから五月にとって、羆は良き稽古相手となるはずです」
「ハハッ、まるで金太郎だな」晴夫は苦笑いを浮かべつつ、「で、君の話だけど、いつ、どこで虎と闘ったんだ?」
「冥王の修学旅行で、インドに行ったとき」
「本当なんだろうな、その話?」
「あら、疑うんですか? 級友の中には、ヒマラヤまで足を延ばして、雪男と闘った猛者もいるのに」
「……!?」
「あら、嘘ですよ。嘘」
浮子がクスッと小さく笑った。
「?????……」
一体、どこからどこまでが本当で、どこからどこまでが嘘なのか、晴夫には判別が付かなかった。
■■■
その日のうちに、五月雨失踪の噂は校内を駆け巡った。
朝のHR時、保護者より提出された一身上の都合。という休学届の内容が坂田により明らかにされた。
その瞬間、多くの級友はまず五月の敵前逃亡を疑った。
果し状を突き付けたものの、身の程知らずの挑戦に後から怖じ気づいたという説だ。
が、果し状は期日内に撤回できるものであり、病気,怪我等を理由にすれば公傷扱い、ポイントが減点されることもない。何も雲隠れする必要はないだろうと、伝説のOB太田健一を引き合いに出して、そう主張する複数の生徒により、敵前逃亡の可能性は薄いと判断された。
(病院長の息子、太田健一は父親の立場を利用して診断書を乱発、戦わずして多くの挑戦者を斥けた。結局、三年間Aクラス上位の立場を死守。見事、学校伝説にその名を刻み込んだ。因みに付いた徒名は不戦勝の健一である)
その次に論じられた可能性は血と汗と涙の修業説である。
強敵との闘いを前に己の肉体と精神を鍛え直す。冥王の生徒なら長期休暇等を利用してごく普通にやっていることなのだが、平日に休学してとなると前例はほとんどなく、伝説のOB左文字三蔵の秋季における三か月の米国修業が最長の記録となっている。
が、わずか一週間の修業では精神及び肉体の改造など及ぶべくもなく、その効果に疑問符が付くのは否めない。
(有名な忍者俳優の息子左文字三蔵は、父のハリウッド映画の撮影に同行し渡米、ナイアガラ瀑布に打たれたり、イエローストーン公園でハイイログマと闘ったり、挙句の果ては地下闘技場の異種格闘技戦に参加して優勝。大金をせしめたまでは良かったが、そのことが学院側に発覚。アルバイト禁止の校則に抵触すると判断され、結果無念の退学処分となった)
結局、大切斬の総仕上げという正解を言い当てたのは複数の薙刀部部員のみである。が、彼女達が朋輩の不利となる情報を流す訳もなく、また全員に緘口令が敷かれていたため、その情報が外部に漏れることはなかった。
そして決闘当日。
学校側もこの決闘を重視。特別試合に指定して、全校生徒に観戦を義務付けた。
Aクラス以下の生徒の対戦では極めて珍しい事例で、記録上においても数えるほどしか確認できない。
対戦時刻は四時間目。十一時十五分。
これから起こるであろう前代未聞の対戦に、多くの生徒がそわそわと授業に身の入らない様子なのだが(その証拠に授業中、教師に質問されても心ここにあらずの生徒が続出した)、当事者である嵐子だけは相も変らぬマイペース。
一時間目から居眠りしたり、二時間目には漫画を読んだり、三時間目には朝弁したりと、授業を無視してドロドロと炉心溶融している有様。その癖、英語教師に指名されると美しい発声で教科書をスラスラスラ~と読みまくり、留学生の忍者研究家J・スミスに「Oh,Wonderful! 」と賞賛されて珍しく照れ笑いを浮かべたりした。
そんな日常の連続性の中にあって、良い意味でも悪い意味でもまったく緊張や動揺を見せない彼女こそ武士道の要、平常心の体現者と喝破したのは意外にも関佐馬之丞なのだが、その説に首を捻る者も多く、クラスで唯一彼女に好意を寄せている岡田礼次郎などは「あの落ち着き様、俺には圧力感の裏返しにしか見えねえがな」等とこれまた首を捻る見識を述べる者もいたが、大方の意見はその天然ボケの性格ゆえに緊張も動揺も感じないのだろう。とまあ、そんな中道的な意見に落ち着いた(その性格をして大物武術家の片鱗を見せている。とも佐馬之丞は指摘した)。
そうこうしているうちに三時間目が終了。
とうとう決戦の時は迫った。時は十一時〇五分!




