第13話 打倒! 一番合戦嵐子
佐藤郁恵が入院して今日で一週間目。
見舞いに来た友人知人の波も一段落して、今日は付き添いの母親だけが話し相手だった。
その母親も昨日は安静の必要な娘を放っておいて、どこかへ出かけた御様子で、ーーもしや、お父さんの出張中に浮気でも? と例の天然ボケな性格で訝しんだりもしたのだが「昨日、どこへ行ったの?」と訊いても母親は「うむ、ちょっと野暮用でな」と言葉を濁すだけだった。
結局、事の真相は分からず仕舞い。
気もそぞろに書物を手にしてみたものの、それが吉川英治の「宮本武蔵」や井上雄彦の「バカボンド」ではいくら武闘派高校の女子生徒でも、ーーさすがに宮本武蔵の価値観にはついていけんわ~。と頁を飛ばし気味に読む始末。
同時に購入した宮本武蔵の「五輪書」に至っては未だ手付かずのままだ。
(因みに、関佐馬之丞は「五輪書」を全頁諳んじることができるといわれている)
気分転換に友人の持ってきたファッション誌に目を通すも、そこに掲載された可愛らしい洋服のお値段に、出るのはため息ばかり。入院している今がチャンスとばかりに、傍らに付き添う母親に「お願い、退院したらこの服買って!」と懇願してみたものの「おまえの入院費用を工面するのが大変でな」と逆に泣き付かれる始末。
半日もベッドで横になっていると身体が疼いてくるのだが、医師から安静を言い渡されており、リハビリすら儘ならない。
あ~、早く復学して、あの女をぶちのめしたい!
目を閉じれば、あの女のすかした笑顔が瞼の裏に浮かび上がる。
耐えがたい屈辱感に頭の傷口がズキズキと痛み出す。
あの女とは無論一番合戦嵐子のことなのだが、見舞いに来た級友の話に因ると、転校以来無敵の快進撃を続け現在九連勝中。早くもSクラス入りに王手をかけたとのこと。
見舞客の一人、級友の田中春代などは前日行われた一番合戦嵐子VS春日総一郎戦を興奮気味に語った挙句、「春日君の秘剣つむじ風で、あの女のスカートが捲れたのよ。そうしたら何て言ったと思う? OH,モーレツ! だってさ。なによ、それ! 真剣な試合に古いギャグなんか言っちゃってさ。勿論女子には大ひんしゅくよ! 大和撫子にあるまじき破廉恥な行為ってね。上級生の中には顔を背ける人もいたくらいだし。でも一部の男子には受けてたみたい。ほんと、男って……」
男子に媚を売るがごときその態度も問題だが、それよりも問題なのはAクラス三位の強豪に余裕で勝利できるその実力の方だ。
春日総一郎の刀が空間を切り裂く度に発生する"つむじ風"を、古典ギャグを交えて躱すその敏捷性は、間違いなくSクラス級のものだ。以前、春日と稽古の経験があるイクからすれば、それは必敗を意味するレベルであり、再戦しても恥の上塗りで終わるのは火を見るよりも明らかだ。
彼女に勝利するには、Sクラス生の能力に匹敵する必殺技が必要だった。
が、その目当てはある。
強敵相手に徒手空拳で挑むほど彼女は天然ボケを患ってはいない。が、それはまだ未完成であり、実戦の使用に耐えられるものではない。あの業には致命的な欠陥がある。そこを工夫しないかぎり一番合戦嵐子は疎か、Cクラスの生徒のすら通用しないだろう。
まずは身体を治して、それから五月と一緒に業の改良を。
そう思うと身体がムズムズして仕方がない。
傍らに木刀があれば彼女はすぐに素振りを始めたはずだ。
だからドアが軋む音と共に、五月が病室に姿を現したときは正直、ーー救われた。という思いで胸が一杯になった。
笑顔のイクを見て、五月も安堵の笑みを漏らした。
「どう、体調の方は?」
「うん。もう、大丈夫。早く闘いたくて腕がムズムズするわ」
「そう? 良かった」
それから話題は先日のVS本宮龍虎戦に及び「えっ、お母さんが学院へ!」とイクは吃驚しつつも、ーーよかった。浮気じゃなくて。と安堵に胸を撫で下ろしたものの、その内容が二人で編み出した必殺技大切斬に及ぶと、ーーさすがはお母さん。あの業の弱点を瞬時に見抜くなんて。と薙刀部員の少なからぬ者が瞬時に気付いた弱点を、さも重大な秘密を見抜かれたがごとく感心してみせたのだった。
彼女が母親の雪江に劣るのは身体能力ではなく、正にその天然ボケの入った思考回路にあるのだが、それを愛すべき長所と感じている五月にとっては、敢えてツッコミを入れることなく、そっとしておくことが友情の証なのだ。
だが決闘の対策となると、イクの口調は俄然熱を帯びてくる。
「で、この業を有効たらしめるには、相手を狭い場所に追い込んで避けられなくするか、もしくは相手が業を受けざるを得ない状況へ持っていくしかないと思うの」
「狭い場所かぁ」
五月は考え込んだ。
学校内で狭い場所といえば、トイレ、体育倉庫、保健室、校長室、理科室、音楽室等々、意外に思い当たる場所は少なかった。
第一、長柄の武器である薙刀は狭い場所での闘いには不向きであり、嵐子のピコハンより自在性において劣ることは明白だった。それにトイレや体育倉庫での決闘なんて、今まで一度も聞いたことがない。そんな場所でもし敗北でもしたら、それこそ先輩から後輩へ受け継がれる学校伝説となって、末代まで恥を晒すことになる。さすがにそれだけは御免被りたい。
決闘に直接関係のない学校伝説の件は胸に秘め、閉所における薙刀の扱いにくさだけをイクに諮ると、
「そっかぁ、薙刀だと刃身が天井や壁に突き刺さるかもしれないし」
何とも恰好の悪い様だが、それを未然に防ぐために刃身の短い小刀や脇差を使用すれば、大切斬の威力は格段に落ちてしまう。それは長柄物でこそ最大限威力を発揮する業なのだ。
結局二人は残された最後の手段、ーー大切斬を受けざるを得ない状況へ相手を追い込む。を検討することになったのだが、そこではたと行き詰った。
あんな大上段からの大振りな業、余程膂力に自信のある者か、若しくは余程のアホでないかぎり、真っ向から受け止めようとは思わないはずだ。
つまりだ。女性であるが故に膂力が弱く、転校生としてあっさりと編入テストにパスしてしまう秀才さんの一番合戦からすれば、そんな大業に引っかかる可能性は限りなく0に近いのだ。
机上の空論。
五月の脳裏にそんな言葉が思い浮かんだ。
イクが自棄気味に呟く。
「いっそのこと身動き取れないように、一番合戦さんを金縛りにしてしまおうか」
「どうやって?」
「彼女の怖がるものを見せつけるのよ」
「例えば?」
「うーん、カエルとか」
「却下」
「毛虫は?」
「却下」
「なら、ゴキブリとか?」
「きゃ~☆」
五月が小さな悲鳴を上げたのは、何もゴキブリという単語に恐れをなしたからではなく、病室の片隅に本物のゴキブリがサササッと小走りに走るのを目撃したからだ。
気を取り直したところで「今の作戦、まさか本気じゃ」と言いかけた五月は、イクが窓外をジッと凝視していることに気が付いた。その視線の先には病院の職員と思しき白衣を着た二人の男性が、昼休みを利用してキャッチボールを楽しんでいた。
不意にイクが振り返った。その顔にニンマリと笑みを浮かべながら。
「私、うまい作戦、思い付いちゃった!」




