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62話 大好きよ

 



「恭哉の母さんって、なんていうか逞しそうな人だな……」


 真人の言葉に、真司はそうだな、と言って笑った。

 声を上げて笑う父親を見るのは、初めてかもしれない、と真人が小さな声で呟いた。


「……ここからは、桜が死んだ時の話だ。俺が直接見聞きした訳じゃないから、桔梗さんと桔梗さんが哉斗さんから聞いた事をまとめてある」


 そう言うと、真司がしわくちゃの日記をぺらりと捲った。




 *




「お久しぶりです、哉斗さん」


「……君か」


 月の照らす夜道で、桜と哉斗が相対していた。

 哉斗の金属の右手が、月明かりに照らされて鈍く輝いた。


「その姿……その身体……全部、機械ですか?」


「脳味噌だけはどうしようもなかったから自前だけどね、心臓や手足は全て機械だよ」


「どうして……」


「無事、恭哉も産まれたからね。見た目さえ今までと同じであるなら、この方が効率がいいだろう? もう、人間の肉体に用は無いんだから」


 何も分かっていなさそうな哉斗に、桜はふるふると握った拳を震わせた。


「桔梗さん……悲しんだんじゃないですか」


「うーん、どうだろうね。悲しんでいたかはわからないけど……。少し不便だけれど、今のままでもいいんじゃないかとは言われたね」


「その気持ちが! ……わからないんですか!」


「僕にはもう、わからないよ」

 声を荒らげた桜に、哉斗が自嘲気味に微笑んだ。その表情は、普通の人間とは違う自分への諦めからか、どこか寂しげだった。


「わかってあげようと、思わないんですか……」


「別に桔梗の身体を変えたわけじゃない、僕の身体を変えただけだ。彼女の嫌がることはしないさ」


 本心から言っているであろう哉斗に、桜は小さな声でふつふつと込み上げる思いを語り出した。


「私は、哉斗さん達の背負ってきた責任の重みも、苦しみも、滅亡しかけた世界も知りません。だけど……今の平和になったこの世界に……貴方達の創った記憶を失う法則は、いらないと思います!」


 はっきりと告げた桜の言葉に、哉斗は少し苛立った様子で目を細めた。


「……それは君一人の、この平和な世界で、たった数十年生きただけの小娘の考えだろう?」


「……はい。だからこそ、今の時代には必要ないと言っているんです」


 真っ直ぐ見つめてくる桜の視線を受け止めて、哉斗は苛立ちを隠すこともせず、次第に語尾を強めていく。


「……桔梗に何かを吹き込んだのも、やっぱり君か。……君に出会ってから、どんどん僕の知っている桔梗ではなくなっていくんだ」


「それは、桔梗さんがちゃんと自分で考えてくれたから……!」


「少し、黙ってくれるかな?」


 ぐじゅり。


 ナイフが肉を抉る音が聞こえる。

 聞いていたのは、哉斗だけだ。


「この感触……やっぱり、気持ちがいいものではないね」


「……ぁあ! ……ぁあぁあああ!」


 桜の悲鳴が、淡々と語りかける哉斗の声をかき消した。


「……僕はね、真司くんの事も気に入ってたんだ。でも、君が来てから……彼も研究者らしくなくなった」


 悲鳴を上げたまま膝を折る桜を見下ろして、哉斗がぶつぶつと呟いた。


「……桔梗の様子もだんだんとおかしくなっていったし、なによりも最近の彼女は辛そうだ。君が、変な事を吹き込むから……。僕は、彼女の辛そうなところは見たくないのに」


 もっと早くにこうしていれば、変わらずにすんだのかな、なんて小さな声で言うと、桜へと目線を合わせて哉斗は小さな声で囁いた。


「……だから、君には消えてもらおうかな? そうすれば、桔梗も真司くんも、誰も悲しまずに元通りだ。君が来る前の僕らに戻るだけだ」


 満足そうにそう言う哉斗を見上げて、桜は自身の血のついた手を伸ばした。


「そん……な……、貴方は……間違ってる……!」


「……君には、そう見えるんだろうね」


 見下ろす視線は、まるで不要な物を廃棄するような、桜が今まで見た哉斗のどの表情よりも冷たくて、無機質だった。


「哉斗! 今の声って……な……に…………?」


 愛する人の足元に、血塗れで倒れている親友。

 そして、血に濡れたナイフを持ったまま、何食わぬ顔で眺めている自分の愛する人。

 異様な光景に、桔梗は声にならない声で叫んでいた。


 そんな桔梗を抱きしめて、落ち着かせようとする哉斗の手を叩き落として、桔梗は呼吸を荒らげる桜を抱き上げた。叫ぶこともままならないのか、ヒューヒューと呼吸音だけが聞こえていた。


 桜を抱きしめたまま、キッと睨みつけると、哉斗は困ったような表情で頬をかいた。


「ごめんね、桔梗。変なところを見せてしまって。……ただ、この子の思想は危険だよ。僕達は、この世界の管理者でいなくてはいけないんだから」


 そう言うと、哉斗は迷子の子供を諭すかのような穏やかな口調で桔梗に語りかける。


「今は悲しいだろうけど、大丈夫だよ。すぐにこの子の記憶は消してあげるから……。管理者である僕と君だけは記憶を維持してしまうから……ちゃんと僕が消してあげるね」


 記憶を消せば元通りだよ、と本気で言っている哉斗に桔梗は絶句する。


「だから、すぐに悲しくなくなるから。……ね?」


「ふざけないで…………っ!」


 桔梗の剣幕に、哉斗が息を飲むのがわかった。


「違う。ふざけてなんかいないものね……。貴方は本当にそう思ってる、ただ、それだけ。……貴方は、桜ちゃんに出会わなかった、もう一人の私なんだもの」


 そう言うと、桔梗は抱きしめている桜へと視線を落とす。


「やっと、答えが出たわ。こんな形で出したくなんてなかったけれど……。今のこの世界に、私も貴方もいらないわ。……私達は間違っている」


「何を、言っているんだい?」


 瞳にいっぱいの涙を滲ませて、桔梗は小さな声で呟いた。


「私はもう、桜ちゃんの事を忘れたくない。……忘れない」


 まだ意識のある桜が、そっと弱々しい力で桔梗の手を握りしめた。あまりに弱っている握力に、桜の命の終わりを悟った桔梗は苦々しい表情で目を伏せた。


「貴方は私が止める。だから今は……。さようなら、哉斗。…………愛しているわ」


 呆然と立ち尽くす哉斗を残して、桔梗は桜を抱き抱えると、後ろを振り向かずに歩き出した。


(薄情ね……。桜ちゃんがこんな事になっていても、私はまだ、哉斗を愛しているの……)


 溢れそうになる涙を堪えながら、桔梗は無我夢中で歩いていた。もうすぐ忘れてしまう、真司の元へと桜を会わせる為に。


「桔梗……さん、泣いて……いるの……?」


「……泣いてないわ」


「そっか……よか、った…………でも、嬉しい……。私のこと……忘れたくない……って言って、くれた…………」


「忘れないわ。……本当は、何もかも忘れてしまいたいけどね……」


「ふふ……正直、です……ね」


「桜ちゃんは残酷だわ。……酷い子よ」


「……はい。わた、し……我が儘……なん、です」


「……知ってるわ」


 桜は嬉しそうに、力なく微笑んだ。




 *




「桜の意識があるうちに、桔梗さんは俺のところまで辿りついた」


 父親から語られる父と母の過去は、重く、苦しく、真人は静かに聞いていることしか出来なかった。

 その後の結末が、母親の『死』であることが確定しているからだ。


 重々しくなる空気の中で、莉奈は嗚咽を押し殺す。

 この中で唯一、話している側の人間である真司が、柄にもなく空気を変えようと、おかわりはいるか? なんて、皿を持とうとする始末だ。


 こんな話を聞きながら、残りの夕食が喉を通るはずもなく、真司がゆっくりと事の顛末を語り出す。


「桜からは、微かに息遣いが聞こえるくらいで、今にも死にそうだっていうのに、あいつは俺のところまで帰ってきたらしい」


 ふっ、と真司が哀しそうな表情で笑うと言った。


「必死だったんだろうな。読めるか読めないかわからないくらい汚ぇ字で、桜との最後の会話が、日記の最後のページに書いてあった。……俺はもう、何一つ、桜のことを覚えていないんだがな……」




 *




「…………桜っ!」


 ぐったりと横たわる桜を桔梗から渡されて、真司は強く強く抱きしめた。

 このまま消えてしまわないように、願っているようだった。


「………桜、……桜。なぁ、何してるんだよ……。なんで、こんな…………」


 桜の瞳から溢れる涙を掬いとると、桜は口を開いて弱々しい声で言った。


「真司……さん、私、ね……やっぱ、り……この世界は……間違っていると……思うの…………」


「あぁ、そうだよ……。間違ってる。こんなの……間違っている」


「うん……。だって、ね……」


 透き通るような桜の白い掌が、そっと真司の頬を撫でる。桜の冷たい手に熱が移るように、真司はそのまま桜の手を取ると優しく握った。


「私……真司、さんに……忘れられたく、ない……の……」


 そう言うと、桜の瞳から一筋の涙がつぅ、と流れ落ちる。


「俺も、忘れたくないよ……」


 真司の震える声に、ふふっ、と桜が笑みをこぼす。


「……ふふ。ごめん、ね……。冗談、だから……忘れて……いいよ……」


「……忘れない。絶対に、忘れない……!」


 絶対に、そう言おうとして、これから忘れてしまうであろうことが頭を過り、真司の声が僅かに詰まる。


「……嘘のつけない人ね。そういう、とこ……嫌いじゃないわ……」


 顔を歪ませる真司を見つめて、愛おしそうに桜が微笑んだ。


「…………大好きよ」


 ぼろぼろと大粒の涙が、桜の頬を優しく撫ぜた。




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