ヴィヴィアーナからルベルとして生きていきます
「え……あ~……ほんとにやったんだ……」
あ~あ、と呟いては金色の髪を乱雑に掻き上げる気怠い雰囲気を隠そうともしない男に、私はニコリと微笑んだ。
「うん! 見目は変わってしまったけれど、中身は変わってないよ!」
「有言実行とは言ったものだな。家を捨てて俺のとこに来るなんて」
ベッドに腰掛けたままの男に近付くと大きな手が頭に乗った。
「ヴィヴィアーナ」
「もう私はヴィヴィアーナじゃないの」
「はは。じゃあ、今のお前は?」
「ジェーン・ドゥ?」
「名無しねえ……ふむ」
男は私の見目をまじまじと下から上まで見つめた後「ルベル」と紡いだ。
「前の黒い髪も嫌いじゃないが今の赤い髪も嫌いじゃない」
「ルベルって赤って意味よね?」
「ああ」
「なら、今日から私はルベル。あなたのお嫁さんになる為に来たの!」
「はいはい」
本気にしてないわね! まあ、彼は大人(年齢不詳)で私は子供(十一歳)だから仕方ないのだけど。
「お前さん、ヴァレンティン公爵家のご令嬢だったろう? いいのか、家を出て来て」
「いいのいいの」
ヴァレンティン公爵家は帝国の筆頭公爵家。父は現皇帝の弟で、母は公爵家の長女。幼い頃から両想いの二人は婚約関係から後に結婚。一年後に兄を、二年後には私を儲けた。
でも私だけが違った。
父は皇族にしか伝わらない白銀の髪に皇太后譲りの美しい翡翠色の瞳。
母は栗色の髪と青の瞳の清廉な見目の美女。
兄は父の髪色と母の瞳の色を受け継いだ美少年。
対して私は、両親とも両家ともにいない黒い髪に黒い瞳を持って生まれた。
帝国において黒は不吉の象徴とされ、最初私は呪われた赤子として父に始末される筈だった。けれど母が必ず原因がある筈だからと私を必死に庇ったと聞いた。
帝国中の医師や魔法士に診てもらうも私の髪と瞳が黒い原因は誰も分からなかった。
魔法士から生まれる子供は、稀に両親ともにない特徴を持って生まれる時があると言われている。ただ、黒の色を持つ子は滅多に生まれない。
私も突然変異だと判断された。
が。正直言って、生活は良いものじゃなかった。
「私がいなくなったところであの人達が気にするとは思えないの」
「魔法で見てやろうか?」
「うん! どうせ、勝手にいなくなって清々してるわよ」
まず、父からはとても嫌われていた。私を出産して以降、母は体を壊してしまいよく体調を崩すようになった。兄を出産してもそうはならなかったのに。
次に兄。名前なんだっけ。忘れた。お兄様と呼ばれるのも嫌な程私が嫌いなようで、人前では一応呼ぶけどそれ以外だとお互い存在を無視している。表立って何かを言われる事もされる事もないから楽で良い。
母だけは私を気に掛けてくれた。母付の侍女や父が良い顔をしないからあまり部屋に行けないが一日一回は会えた。私に会えないと母が私を心配するからだ。
「せめて、お母様には私が家を出て行く事を話しておけば良かったかも……」
体が弱い母に精神的負担を掛けたくはなかった。が、何時までもいたくなかった。私を冷徹な瞳で見下ろす父や私を妹とも家族とも見ていない兄の側になんていたくない。
「ルベルの話を聞いていたら、言わなくて正解かもしれないぜ?」
「どうして」
「お前の母親だけがお前を気に掛けていたのなら、何不自由なく育てられたお前が一人で外の世界で生きていける筈がない。父親や息子、なんなら周囲の人間にお前を止めるよう言うはずだ」
「あ」
彼に指摘されるまですっかりとその考えが抜けていた。
なら父に言えば良かったのだ。
と彼に言うと「そればっかりは実行しないとな」と返された。
「あの男なら、すぐに出て行けって言うわよ」
「俺はルベルの事しかよく知らないからなんとも」
「長生きしてるのに?」
「長生きしてるのに何でも知ってるっていうのはないぜ? 俺より歳が若くても、俺より物知りな奴なんて探せばいる」
「そういうものなの?」
「そういうもの」
「ねえルキス」私は彼の名を呼んだ。
「ん?」
「私十一歳の子供だけど、ちゃんとお嫁さんにしてね? ルキスが言ったのよ」
ルキスは帝国に属する年齢不詳の魔法士で、帝国法とは違う独自の司法を持つ『魔導』の最高責任者。
……らしいけど、初めて会った時、私の見目が珍しいからって声を掛けてきた場所が公爵家で使っていた私の部屋のテラス。両親や兄の部屋と違ってかなり遠い。離れの方が近いと思えるくらいには遠い。
私に付きたい侍女もお世話をしたい使用人も殆どいなかったから、一人で気が楽だった。『魔導』の最高責任者らしく、公爵家の結界を誰にも感知されずに通り抜けられるのは素直にすごいと感動した。ルキスいわく、結界という物質を通り抜ける術を持っているから可能なだけで、普通は無理なのだとか。『魔導』は帝国、なんなら大陸最高峰とも名高い魔法のスペシャリストが揃うところ。一癖も二癖もある魔法士を束ねる最高責任者は十癖くらいはあるのだ。
「今失礼な事考えなかった?」
「気のせい!」
「そう?」
「うん」
いけないいけない。つい思考が失礼な方へ舵を切るところだった。
でも私は感謝している。珍しい黒髪黒瞳に惹かれて私の前に現れたルキスに。
『魔導』の最高責任者なのに、毎日帝国や大陸をフラフラしているらしく、皇帝から強制帰還命令を出され渋々『魔導』に戻る最中に私を見つけたらしい。
「私をルキスの所に来ないかって誘ってくれたのはどうしてなの?」
「今更?」
初めての出会いは初めて見た魔法士に私が興奮し、ルキスは筆頭公爵家の令嬢が随分離れた場所を部屋にしているのを怪訝に思って声を掛けてくれた。以来、ちょくちょく現れてはルベルに様々な話をした。
私の生活が黒髪黒瞳のせいで不憫だと知ったルキスが「俺のところに来るか?」と誘ってくれた。冗談でも何でもいい。私は私を蔑む人達から逃げたかった。ルキスは迷いなく差し出した手を取った私に吃驚していたが、本気で来るなら二度と戻れない覚悟を持てと言った。
「私の代わりをしてくれる子、大丈夫かな」
「大丈夫。あれ、俺が作った人工生命体」
「ホムンクルス……?」
曰く、錬金術で人間を作る超最高難易度の錬金術らしく、禁術指定されている。
作るのに膨大な時間と知識が必要で、更に材料も新鮮さが最も大事だとされているとか。
「人間を造る……材料って、も、もしかして死体とか?」
「アホか。それこそ禁忌だ」
「じゃ、じゃあ何を使うの?」
「触媒となる魔石、人間の子種、それから後はなんだっけ……」
「人間の子種? どうやって手に入れるの?」
「あ、あー。ルベルが大きくなったら教えてあげる」
「そう?」
なんだろう。
ルキスが言い難そうにするなんて珍しい。余程、入手しづらい材料なのね。
私が身代わりで置いて行った子が私ではないとあの人達が気付く日は来るのだろうか。完璧に私に擬態したあの子に驚きつつも、ルキスの力に感嘆とした。幸い、父譲りの魔力量のお陰で普通の人よりかは強くて量が多い。ルキスの側にいたら、私もルキスのような凄い魔法士になれるかな。
「ルベル。見てみ」
ベッドサイドテーブルに置かれていた白紙を取ったルキスが左手の人差し指を切り、傷口から垂れ落ちた一滴の血から波紋が広がった。血を吸い取った白紙に私がよく知る屋敷の外観が映し出された。
ルキスに促され、覗き込んだ。
「ヴァレンティン公爵邸……」
白紙に映し出されたのは十一年間育ったヴァレンティン公爵邸。
私に擬態しているホムンクルスがどうしているかを見る為という。
邸内を映すと使用人達がてんやわんやとしており、口々にヴィヴィアーナ様、ヴィヴィアーナ様と私を呼んでいた。
うん? とお互い顔を見合わせるとルキスは心当たりがあるのか、頭をガシガシと掻いた。
「あいつ……面倒臭くなって逃げたな」
「え?」
「その内『魔導』に戻るだろうから、会ったら説教しとく。お前の代わりを無期限でしろと言ったのに」
「無期限が駄目だったんじゃない?」
「うーん。どうだかな」
基本命令に忠実だが、偶に命令を無視する事があるそうな。今回がその偶にのケースとなってしまった。
「私がいなくなったからって大騒ぎし過ぎ」
「母親の心労を増やしたくないからだろう?」
「あ」
そうか。私がいなくなったと知れば、お母様がショックを受けてしまう。
だから……必死に探しているのか。
『まだ見つからないのか!!』
「この声は……」
険しい声を放ったのは私の父。白銀の髪を揺らし、探し回る使用人達を叱るつけようと私はもういないのだ。
『子供一人何故見つけられない!!』
『そ、それがヴィヴィアーナ様の魔力痕跡も監視魔法の記録も何もないのです! と、突然姿を消してしまわれたようで……』
『! それでは、ヴィヴィアーナは攫われた……? いやそんな筈はない。公爵邸には強度な結界が張られている。侵入者がいてもすぐに感知される』
「俺が渡した変装道具が役に立ったな」
「うん」
私は屋敷を出る時、お母様から貰ったハンカチやぬいぐるみ、サファイアで作られた髪飾りを鞄に仕舞って、ルキスから渡された変装道具で屋敷を抜け出した。変装道具のお陰で誰にも見つからず、ルキスが用意していた転移魔法陣によってルキスがいるところまで飛べたのだ。
変装道具を一度使えば、二度と元の髪や瞳の色には戻れない。色はランダムと言われ、少し怖かったがルビーのように煌めく赤は嫌いじゃない。髪も瞳も赤色となった私の見目は完全に変わった。きっと、誰もヴィヴィアーナと気付かない程に。
「お母様に手紙を出しても大丈夫かな?」
私がいなくなってお母様の心労しか心配していない父やその他大勢を見ていると、せめてお母様だけには安心してもらいたい気持ちが湧いた。ルキスは簡単だと頷き、早速私は便箋とペンを借りて椅子に座った。
“お母様へ。十一年間、私を育てて下さりありがとうございます。私はこれからヴィヴィアーナ=ヴァレンティンとしてではなく、名も姿も変えて新しい自分となって生きていきます。お母様と会えた日は少ないですがお母様に愛してもらえて幸せでした。お母様が私を庇ってくれたから私は生きていられます。遠い地から、お母様の健康と幸せを心から願っております。
追伸。戸籍と血縁上父だった人と兄だった人には、私は死んだ者として処理して下さいとお伝えください。”
「うん。完璧」
「どれ」
ルキスに渾身の手紙を見せると「後悔はないか?」と問われた。
「二度と大好きな母親には会えないぞ」
「言ったでしょう。ルキスのお嫁さんになる為に来たって」
「はは」
大きな手で頭を撫でられる。封筒に便箋を入れたルキスは、他の使い魔を使って郵便に出すと言ってくれた。
「じゃあ、今度の生活にして話そうか」
「はい!」
――七年後。
帝国法において女性の成人は十六と指定されている。二年前に十六になった私も例外じゃない。
七年前、押し掛け同然にルキスの許へ行った私は今少し大きくなったお腹に手を当てながら、皇帝に引き摺られて『魔導』へ行ったルキスを訪ねた。
あれから七年。成人を迎えてすぐに私はルキスの妻になった。『魔導』に属する魔法士は魔力が高くても貴族だったり平民だったりと身分は重要視されず、結婚も婚姻届にお互い署名して役所に提出するのみ。出自不明の孤児も中にはいる為家名がなくても可能だ。ただし『魔導』に属する魔法士限定で。
私もヴィヴィアーナ=ヴァレンティンから、身元不明のルベルとなったので家名は存在しない。ただ、ルキスの妻になったから彼のフローレンスを名乗るようになった。
今の私はルベル=フローレンス。
しかし、皇帝陛下直々に迎えに来て『魔導』へ引き摺られていくルキスを七年間で何度見ただろうか……。これを次期皇帝たる皇太子殿下もしなくてはならないようで、皇帝と『魔導』の関係が良好だからいいものを険悪だったらどうなっていたか。
ルキスは皇帝陛下には私の事情を話したようで、もしも自分に何かあったら私を守ってほしいと頼んだ。ルキスに限ってないと思いたいが世の中万が一がある。
初めは大層驚かれた。何せ、私の父は皇帝の弟だから。
黒髪黒瞳を持って生まれた私を不憫に思っていたらしい皇帝は、何もしてやれなくてすまなかったと頭を下げた。家族と言えど、既に家庭を持つ者同士。知らなくて当然だと慌てたのはまだ覚えている。
母に手紙を送った後、もう一度ヴァレンティン公爵邸を見せてもらった。
母は私からの手紙をとても大事そうに抱き締め泣いていた。
父や兄が後悔しているらしいが、母を悲しませてしまった原因にちょっとだけ自分達の事があるからだろう。
未だに私を探している父や兄にドン引きしつつも、これからも会うつもりはない。
「……それ以前に」
一年前、ルキスの妻になったので私も皇帝主催のパーティーには出席しないとならなくなった。皇族への挨拶を済ませた後、兄だった人は私達夫婦に声を掛けた。
後から父も来た。
どっちも私がヴィヴィアーナだと気付かなかった。
笑いを堪えるのにどれだけ大変だったか。
私を視界に入れるのも嫌なくらい、私を嫌っていた二人だから、私だと気付かなかったのだ。
それなのに未だ探し続けるなんて。馬鹿らしい。
ルキスが缶詰にされている『魔導』に入り、最高責任者の部屋へと案内される。私が身籠っているのは目に見えてあきらかで。慎重に案内してくれるのは有り難いが何度も後ろをチラチラ見ないでも大丈夫……。
到着すると扉は開いており、大量の書類を部下達にどんどん渡しては減らしていくルキスと目が合った。
「ルベル?」
「ルキス!」
小走りしたい気持ちを抑え、書類仕事をするルキスの側へ。
「そろそろお昼の時間だから、昼食に誘いに来たの。難しい?」
「いや、休憩する。殆ど終わらせた」
「皇帝陛下が突撃する前に終わらせればいいのに……」
「やる気が起きない」
「もう」
ルキスの中のやる気スイッチは中々入らない。だから私は成人したと同時に、お酒の力を借りてルキスに迫った。
作戦は成功。ルキスの妻の座を手に入れた。
年齢不詳の為、成人したばかりの私を妻にしたとすぐに知れ渡り、散々幼妻を娶ったと揶揄われたらしい。
「体の具合は大丈夫なのか?」
「今日は調子が良いの」
「そうか」
優しい瞳が細められ、私のお腹をそっと撫でた。
「もう少し育てば性別が判明する。その時に名前を決めよう」
「ええ」
よく知りもしないまま、差し出された手を取ってルキスの側に行った私の思いきりは全然間違ってなかった。
お母様には、年に何度か手紙を密かに送っている。一応、私の生存確認を報せた方がいいだろうというルキスの提案で。
他二人にはない。未だに探し続けているのが謎。顔を合わせても私が誰か分からないくせに。
「何を食べる?」
「妊婦に良い物って言ったら……」
ルキスのエスコートを受けて『魔導』内にある食堂へゆっくりと向かった。
読んでいただきありがとうございます。