邂逅
「って何で地下?」
「朝なので。……何とか間に合ったようですね。聖女さん、動かないで、それと声を出さないで下さい。……認識阻害の魔法を掛けます」
(大丈夫ですか!?)
転移したのはなぜかどこかの地下道だった。しかもそこに着いた途端、リベルさんは頭を押さえてうずくまってしまった。
私の口パクに肯いてくれたので大丈夫だと思うが、苦しそうだ。何もできないことで気まずい雰囲気が広がっていたが、しばらくして何かを感じ取ったようにリベルさんは立ち上がった。
「もう大丈夫です。認識阻害は掛けたままですので、私達を注視しているのでなければ誰にも見つからないはずです」
(誰か見つかりたくない人でもいるのかな)
「あの、本当に大丈夫ですか?私を連れて転移したのが負担になってたのなら、すみません。私を連れて転移してくださってありがとうございます」
「いえ、転移ではなく、私が使っていた他の魔法の副反応ですのでお気遣いなく」
私は国外だと思っていたが、リベルさんによると、実はここはまだレトナーク国内なのだそうだ。声を潜めながら私達は地下道を進む。
「もうすぐ結界に着くと思いますので、結界に着いたら人が通れる大きさの穴を開けてください。そこからは私にお任せを」
「はい。ついに決行ですね」
結界に着くと私は人が通れるくらいの穴を開けた。まずリベルさんが通り抜け、私が結界をくぐってから元に戻した。
「……今は朝食ですね」
「何ですか?」
「いえ。まずは私達も朝食を食べましょうか」
私は気付くことができなかった。結界を通り抜ける時に、黒くて小さい影がレトナークの中に入っていったのを。
「何だ。これは」
今日までリベルがいないので、私は他の従者の給仕で朝食を食べながら新聞を読んでいた。リベルは数日人間界へ出掛けている。
思わず呟いたのは一面記事が原因である。
「一位シニス様、二位と同盟、序列下位との引き離しはかる。」
内容は題名通り一位が元三位(現二位)と軍事同盟を結んだというものだ。両者には力の差があるので、実質一位が元三位を自派閥に引き込んだものと見て間違いあるまい。眉間に皺が寄るが、従者が駆け込んできたことで、新しい情報に塗り潰されてしまった。
従者が手にしていたのは号外だった。
「何だ!これは!!」
「レトナークの聖女、王国全土に結界。領内に大量の魔物、九位関与か。」
魔界日報報道部は、人間界の王国レトナークで、国土を覆う結界が構築されたことを確認した。結界は聖女の手による物で、結界構築後は聖女の姿は確認されていない。また、王都を含む王国の主要都市では、魔物の群れが現れたとの情報もあり、調査を進めている。なお、信用の置けるある情報筋によると、一連の出来事には一切動きを見せなかった「沈黙の」九位が関与しているとのことであり、情報が確かであればこれで魔界の序列戦に主要な王族が全て参戦したことになる。
「〈社説〉 聖女は九位デクス様と通じているのか。」
なぜ、今まで沈黙を保ってきた九位デクス様が、ここに至って動きを見せたのか。かのお方は、以前は頻繁に人間界へ降りていたことが知られているが、序列争いの激化と派閥の誕生を境として人間界へ関与することはなくなっていた。一方聖女は――
「事実確認をしろ、最優先だ!」
私が放った新聞を手に、従者はあたふたしながら部屋を出て行った。
「リベル!聞こえるか!――駄目か」
人間界にいるはずのリベルに呼び掛けたが返答はない。私も今朝レトナークを覆う結界は確認していた。確かに魔物もいたようだが、私には身に覚えがない。魔界には青空も雷もないが、「青天の霹靂」とはこのことだろう。試しに目を閉じて人間界をざっと視てみたが、リベルも、そしてレトナークにいるはずのつむぎも見当たらなかった。
気付けば食後のコーヒーがすっかり冷めてしまっていた。
「ちッ、次から次へと」
屋外へ転移すると、全方向から無数に魔法が飛んできた。
「躱しただと!ぐはっ」
「ぎゃあ!」
「魔法が当たらないぞ!ひぎゃっ」
「ターゲットだ!大剣を所、持――」
「黙れ。無駄な声を発した者は膾切りだ。誰の差し金だ」
無造作にリーダー格を数名屠ってから、周囲の羽虫共に問いかけた。
「誰がい――」
「そんなに膾になりたかったのか」
望み通りに卸してやると、声を発する者はいなくなった。手近な者の首を絞め上げ問いかける。
「首を縦に振れ。単独行動か?序列の者の手配か?……序列の者の手配か」
少しばかりきつく絞め上げると、魔族は壊れたように首を振ってきた。隙と見たのか後方から魔法が飛んできたので、その魔族を盾にして全て躱す。
「なんで当たらねぇ!――ぎゃ」
「何だよ、この魔力……聞いてないぞ……かはっ」
「鶏は三歩歩けば忘れる、だな。貴様らが私を侮ったのは魔力が原因か……魔力を抑えんと余計なものが視えて煩わしいのだ。ああ、外周の者達よ、逃げようとしてももう遅い。ここは私の固有領域の中だ」
そこからは蹂躙だった。虫の居所が悪いので、大剣で遊ぶように一凪ぎにしていく。敵が半数になった頃、傍らにリベルがやって来た。心なしか顔色が悪い。
「我が君」
「呼びかけたが返答がなかった。何かしていたのか」
「申し訳ありません。この状況も含めて私の不手際でしょう。後はお任せください」
「任せる。事情は後で聞こう」
「ありがとうございます。御身はひとまず屋敷の図書室へお越しください」
そこへ行けば事情が分かると言われ、返り血を魔法で清めてから、私は屋内へ転移した。
図書館の扉を開ける。ふと、人間界へ降りた時のような、花と太陽の香りがした気がした。
私はいつものようにロッキングチェアの方へ回り込もうとし、ぎくりとした。
誰かいる。
覗き込むと、ロッキングチェアで気持ちよさそうに寝息を立てていたのは、今話題の聖女、つむぎ本人だった。
つむぎが、私の屋敷の、図書室の、私のロッキングチェアで、気持ちよさそうに寝息を立てている。なぜ彼女が魔界に……?
「ん……」
完全に止まってしまった思考を揺さぶったのは、つむぎの声だった。我に返り、肩を控えめに揺すってみる。
「……んん?……きれいな人が目の前にいる」
「起きろ」
「……初めまして?……デ、デクスさんですか?!おお、お邪魔してます!」
「何しにどうやってここに来た?」
思いの外不機嫌な声が出た。最大限に頭を働かすが、答えは出ない。つむぎはぺこりと頭を下げた。
「急に図書室にいてすみません!私、知ってるかもしれないけど、交換日記をしていたつむぎです!」
「私の質問に――」
「デクスさん!!」
つむぎが言葉を遮った。イライラしているのはこちらなのに、つむぎも形のいい眉を吊り上げている。私は気圧された。どこか既視感があったのだ。
「単刀直入に言います!交換日記やめようなんてひどいです!私、せっかくこっちの世界で本のことを話せる友達ができたと思って、すごく嬉しかったのに。急に……急に交換日記を止めようだなんて!私が、私が聖女だったからですか?!聖女だったから、交換日記してくれないんですか?」
「おい……」
「わ、わたし、せいじょ、なんて、好きでやってるわけじゃ、ないのに……」
聖女だったから交換日記をやめたのか。そう問われて私は何も言い返せなかった。気丈にまくし立てていたつむぎも、ぽろぽろ涙を流し始めた。
「……私、リベルさんから聞きました。デクスさんは魔界の王族の偉い人なんだって。でも人間界の文化が大好きで、平和な世の中が好きで、本が好きで。本当は争いなんて巻き込まれたくないんだって。デクスさんなら私の気持ち分かってくれると思いました。肩書だけで判断されて、やりたくないことをやらされるのがどれだけ辛いのか。交換日記だけだったんです。「聖女」の肩書を捨てて「つむぎ」でいられるのは。デクスさんだけだったんです。「つむぎ」を見てくれたのは」
私が彼女を肩書だけで判断したのは言い逃れできない事実だった。肩書だけで判断されて行動が制限される、それはまさに私の状況だった。私はその孤独を、虚無感を、やるせなさを、知っている。
「すまなかった、つむぎ」
私の口からは自然と言葉が出てきていた。
恋愛ってなんだったっけ。
ハイファンタジーな気がしてきました。