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2 森は静かすぎた。狩人である彼らに森の異変はすぐに感じ取れた

 森は静かすぎた。狩人である彼らに森の異変はすぐに感じ取れた。アイル達は警戒して歩いた。

 その静けさは異様だった。冬の森でもここまで静かではなかった。生い茂った木立すら沈黙しているようだった。夏場の緑盛んな木の幹は陽の光も音も遮った。彼らは外界から孤立した。彼らは道を進んだ。


 やがて彼らは森に潜む危険を確信した。この異様な感覚は危険な魔物のそれだった。狩人の本能が彼らの足を鈍らせた。ただ村から託された責務が彼らに後退を許さなかった。前進すると異様な気配はさらに濃くなった。

「一旦村に戻るか?」ゲイルが聞いた。

「いやこのまま進む」ヤゴーが答えた。「ここまで森が嫌な感じだと村の皆もすぐに気づくだろう。あの兵には義理立てがある。砦の兵にもだ。はやく訃報を知らせなければ」3人はそのまま進んだ。


 道が峠に差し掛かり上り坂になるところ、大猪の死体が道を塞いで横たわっていた。首から上は両断され頭は持ち去られていた。そして何万という蝿がたかっていた。静まり返った森に蝿の羽音だけが響いていた。何万と集まった羽音のうねりはありえない重低音となってアイル達の体に地響きとなって伝わり、彼らの心胆を冷たく凍らせた。3人は距離を開けて死体を迂回し峠を登った。


 やがて彼らはオト川の谷に掛かる吊橋にたどり着いたが、道の異様はますます濃くなっていた。吊橋がなにか大きなものを支えたかのように大きくへたり込んでいたのだ。そして底板の何枚かが抜け落ちていた。明らかになにか大型の獣のようなものが吊橋を渡ったのだった。3人は先を急いだ。


 やがて北のパルパット砦の城壁が見えた。

 砦からは火の手が上がっていた。

 砦はカマラン山脈を住処とするオークの侵入を防ぐために谷の隘路に立てられた古い砦だった。酸化して黒く濁った細かい石積みの壁が深い谷に向かって斜めに張り出していた。カマラン山脈の奥地へと続く道を遮る関所の門は、打ち壊され炎が上がっていた。アイルたちは左手の森に入ると、気配を沈めて砦に近づいた。やがて砦の中庭が見渡せる崖上まで来ると、3人は腹ばいになり息を殺して下生えの隙間から砦を覗き込んだ。


 砦の城壁には幾つもの死体が吊るされていた。そして城壁の狭間から突き出された槍にはいくつもの生首が掲げられていた。

 砦の中庭では人間が食われていた。それもただ食われていたのではない…人間が料理されていた。調理されていたのだ。豚の丸焼きのように両手両足を棒に括り付けられた人間が炎の上に吊るされていた。奥では腹を割かれた女の裸体にオークが大口をあけてかぶりついていた。鋭い犬歯で腸を引きちぎり、白目をむき恍惚の叫びを上げた。

 そしていま広場の中央に子供が引き立てられてきた。子供は服を全て脱がされ泣き叫んでいた。子供は大声で母を呼んでいた。彼は大きな壺の前に立たされた。壺にはいっぱいに血が溜まっていた。

「やめろ!」子供が何をされるか気づいたヤゴーが思わず立ち上がりかけた。だがゲイルが彼の腕を引っ張り押し留めた。

 子供は髪を後ろ手につかまれ首を反らされると、剣で喉を一線に断ち切られた。決壊した土石流のように血が吹き出した。子供は首をサバ折りにされると、逆さに宙吊りにされ血の一滴まで搾り取られた。

 オークたちはそれぞれ杯に壺の血をすくうと、それを飲んで爆笑していた。ヤゴーは歯ぎしりした。ヤゴーの目は血走っていた。

 突然後ろで物音がした。3人は凍りついた。

 恐怖で身がすくみまったく動けなくなった。

 アイルは恐る恐る振り返った。

 後ろに立っていたのはアカシカだった。

 3人は戦場の雰囲気に飲まれ全く気づかなかった。

 アイルが砦に向き直るとオーク連中がこちらを凝視していた。

 そして一人のオークが大弓を引き絞った。

「動くなよ」ゲイルがいった。「動くなよ!」

 放たれた矢はアイル達の頭上を一直線に切り裂いた。

 矢はアカシカの眉間に直撃し頭が砕かれ脳みそが吹き飛んだ。

 意識を永遠に失くしたアカシカは痙攣したダンスを踊るとそのまま走り出し崖を転がり落ちた。

 小麦の袋を床に落とした時のようなどすんとした嫌な音がした。

 オークはまだ痙攣している鹿の後ろ足を掴み勢いよく振り回して城壁に叩きつけた。鹿は口から内臓と血反吐を吐き動かなくなった。

 オークたちは爆笑した。

 アイルは恐怖に震え思った。一体何が面白いのかと。

「あい、あそこを見ろ」ゲイルが指差していった。視線の先には尖塔があった。尖塔の窓から女が這い出てきた。

 紅蓮色の髪をした女だった。アイルはその女に見覚えがあった。

「あれは砦の領主の娘…?」アイルがいった。北部連隊が村の視察に訪れたときに見かけたことがあった。父親と同じ真っ赤な色の長髪をしていた。女は窓枠の縁に足をかけると、尖塔の屋根の縁に掴まり体を持ち上げた。そして急峻な屋根の縁によじ登ると、小さな足場に足を引っ掛けかろうじて立った。屋根から地面までは60フィートはあった。女は屋根瓦によりかかり息を潜めた。するとオークが真下の窓から顔を出した。窓から左右を睥睨すると、顔をひっこめ窓を閉めた。女はその頭上で震えていた。瓦に顔を押し付け泣いていた。

「助ける」ヤゴーが言った。

「助ける?どうやって?」ゲイルが言った。

「わからん。壁をよじ登る。縄もってきてるだろう。下でお俺達がひきつけてる間にアイル、壁を登って女を助けろ」

「ダメだ」ゲイルが首を振って反対した。「危険すぎる」

「だがあの兵士には義理立てがある。陽が落ちてから行動しよう。なんとかあの女に合図できるか?」

 アイルは短剣を抜いて陽にかざした。そして刃を鏡のように反射させて女に光を当てようとした。しばらく刃を細かく動かした。

 女が気づいた。

 アイルは森の奥へ少し下がると、姿を現して手を振った。そしてそこにとどまるよう手で合図した。

 女はうなずいたように見えた。

「夜まで待とう」ヤゴーが言った。「他に生き残りがいるかもしれん。手分けして探そう。アイルはここから奴らを見張れ。塔の壁面を観察して登攀ルートを予め決めておけ。じゃあ一旦別れるぞ」

 3人はその場で一時別れた。アイルは縄を引っ張り出し傷がないか調べ始めた。そして明るいうちに壁面に目を凝らした。


 夜の帳が降りた。谷間の砦は暗黒に包まれた。櫓の炎だけが唯一の光だった。それと高地特有の深緑の夜空と星々だけが。あいかわらず森は死んだように静まり返っていた。ただ谷底の渓流のせせらぎだけが静かに響いていた。

 森の奥から甲冑の足音が聞こえた。

 ヤゴー達が戻ってきた。生き残りは3人だけのようだった。

 一人の兵士が進み出た。その兵士は40手前ほどの顎髭を蓄えた細面の男だった。

「アマンダ様が生きておられると聞いた」男がいった。アマンダとは領主の娘のことだろう。

「そうです」アイルが答えた。「あの尖塔の屋根に掴まっています」

「さっそく行動したい」兵士はいった。「準備はできている。いつでも命を賭けられる」

 彼らは作戦を話した。そして楡の木に紐を括り付けた後、その紐を伝いアイルたちは静かに砦へ降りていった。


 アマンダは自殺を考えていた。

 縁に引っ掛けた足はしびれてもはや感覚はなかった。暗闇に閉ざされた砦は地面すら見えず、アマンダは世界の暗黒にひとりで宙に浮いている感覚になっていた。

 彼女は塔の窓から見ていた。弟は喉を引き裂かれ殺された。そして焼かれて食われた。

 父はアマンダを塔に押し込んだとき、オークの大槌で叩き潰されて死んだ。

 兵も女中もみんな殺された。

 今アマンダは暗闇に一人だった。森に潜んでいた人影は今どこにいるのだろうか。彼は身振りでここに待つように言った。しかし彼一人でこのオークの群れの中なにができるのだろうか。

 足のしびれは限界に達した。彼女は地面を覗き込んだ。暗闇の底にはなにも見えなかった。

 彼女は目を閉じた。そして徐々に体重をつま先にかけた。胃がせり上がり息ができなくなった。彼女は首をもたげ意志の力を集め、いままさに飛び降りんとした。

 その時足下の暗闇から物音がした。

 人の荒い呼吸音がした。力を込める小さな声が聞こえた。

 屋根の縁に左手が現れた。すぐに右手も現れた。男は懸垂で屋根の尖塔によじ登ってきた。彼は屋根の縁に立ち彼女を見つめた。そして言った。

「助けに来ました」


 彼は尖塔をぐるりと廻るり縄を引っ掛けたかけた。そして彼女の体を縄に結んだ。そして礫を2つ地面に落として合図した。縄が緩んだ。

「ゆっくり体重をかけてください」男はいった。男の金髪が櫓の炎に金色にきらめいていた。顔の半分は影になって見えなかった。堀の深い美しい顔をしていた。瞳の色は緑だった。

 彼女は言われたとおり縄に体重をかけた。そして宙に足を浮かせた。体を支えるものがなくなっとき恐怖心で一瞬パニックになった。彼女は目を閉じひたすら時間がすぎるのを待った。真っ暗闇の中オーク達の笑い声だけが響いていた。そして気がついたときは地面に下ろされ、二人の男に介抱されていた。

「お嬢ちゃん、もう大丈夫だ。」濃いひげの体の大きい男が言った。北方人特有の彫りの深い顔と毛深い腕をしていた。もうひとりの男が彼女の紐をはずしていた。彼も背が高く痩せて尖った鼻をしていた。男は縄をはずし終わると、その縄を大く揺らして合図した。縄は上に引っ張られていった。

「ありがとう」アマンダは言った。男はうなずいた。しばらく沈黙が流れた。

 やがてひげの男の持つ縄が引っ張られた。男二人は紐に体重をかけると、ゆっくりと上の男をおろし始めた。

 彼女は待った。男たちはゆっくりと紐を送り込んだ。その時塔の影から物音がした。そして明かりが近づいてきた。彼女たちは凍りついた。痩せた男は手振りでアマンダに紐を持つよう指示した。そして剣を抜き腰を落として物陰からくるなにかを待った。


 それは胴を着込んだオークだった。顎の肉が肥えた間抜け面の太いオークだった。

 ゲイルは呼吸を殺してオークの懐に潜り込むと一閃刃を首元に突き刺した。オークは目玉を剥き驚愕の表情で刃を見下ろした。空いた口の乱杭歯の隙間からゲイルの剣先が銀色にきらめくのが見えた。オークはカンテラを取り落した。蝋燭が倒れ明かりが消えた。ゲイルは素早く剣を引き抜くと喉仏の真下を再度突き刺した。それでもオークの喉を潰すのに十分ではなかった。

「ぐおおおおおおおお!!!」オークが血の泡に溺れながら濁った雄叫びを上げた。

 一瞬の静寂があった。何も起きないのではないかという期待。

 中庭で、オーク達が動き出す音がした。

 ゲイルは一瞬ためらった後指笛を鋭く吹いた。

 途端門の方で大きな物音がした後、激しく剣を打ち合う音が聞こえてきた。兵士達が囮として騒ぎを起こし敵をひきつけているのだ。

 ゲイルは上を向いて小声で叫んだ。「アイル、急げ!」

 次の瞬間何かが砂利を踏みしめる音がした。ゲイルは身構えた。痩せた若いオークが建物の影からぬっと顔をだした。

 オークは3人を一瞥すると、剣を抜きヤゴーに切りかかっった。

 ヤゴーは片手で剣を抜きオークの剣を受け流した。重い剣同士がぶつかり合う硬い激しい金属音が響いた。「アイル急げ!」ヤゴーが鋭く叫んだ。すると手に持った縄がゆるんだ。おそらくアイルが壁に取り付いたのだろう。ヤゴーは両手で剣を握り直した。そして鋭く上段に振りかぶり全力で剣を打ち下した。

 オークは腕当てで剣を受けた。そして素早く踏み込んで剣を突き出した。

 剣はヤゴーの右足に突き刺さった。ヤゴーは片膝をついた。

 音もなく近づいたゲイルがオークの右目にむかって鋭く突きを入れた。

 しかしオークは首をそらして頬で剣先をうけた。剣はオークの頬を突き破った。その剣の腹をオークは歯でがっちりと咥え込んだ。剣は抜けなかった。

 オークは下からゲイルに向かって剣を払った。ゲイルは剣を離して飛び退いた。

 オークはヤゴーに向き直った。そして剣を高々と掲げ今まさに打ち下ろさんとした。

 そのときオークの後ろ首に何かが刺さった

 それは皮膚を突き破り筋肉を切り裂き頚椎の隙間に滑り込んだ。

 そしてそのまま喉仏を突き破った。

 オークは首の後から喉仏まで短剣で一閃に貫かれた。

 アイルが落下の勢いをつけてオークの頚椎を突き破ったのだった。

 オークは喉と口から血反吐を吹き出し死んだ。

 3人は顔を見合わせ頷いた。そして崖に向かって走り出した。



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