【短編版】ルディローザは逃げられない
処女作です。
お手柔らかにお願いします。
「ルディローザ・アクアティア、貴様はもうすぐ殿下に婚約破棄されるのだ!」
「おっしゃってる意味が分かりませんわ」
ルディローザ・アクアティア侯爵令嬢。
ブルエーム国の外交大臣を父に持ち、第一王子の婚約者でもある。
10歳の時に王城で開かれたお茶会で、どうやら適性と判断されたようだ。政略結婚なので燃えるような恋情はなかったが、特に問題もなく、良いパートナーとして切磋琢磨してきた。学園に入るまでは。
艶やかな蜂蜜色の髪は波打つようなウェーブがかかっており、いつも緩く纏められている。藤色の瞳は切れ長で、すっと通った鼻筋、薄い唇にはいつもやんわりと微笑が浮かんでいる。第一王子の婚約者として恥じないよう、淑女の鑑として立ち振る舞う彼女に憧れる者は多い。
ここは貴族の子息令嬢が通うスチュアート学園。
もうすぐ初学年が終わるというある日の昼休み、ほとんどの生徒が集まる食堂はいつもと違い、静まり返っていた。
事の発端は、ランチを終えて友人の令嬢たちと歓談していたルディローザに大声で話しかけてきた、この男女3人だ。注目を浴びているのに気付かないのか、それともわざとなのか。
野次馬は半数以上、残りは貴族らしく静かに行方を見守っているとルディローザは感じ取った。
「ふん!そうやってしらばっくれられるのも今の内だ!」
「婚約破棄されてから泣いて謝っても遅いんですよ!?今マリアに謝って下さい!」
目の前で煩く喚いている男子生徒2人と、彼らに守られるようにして瞳を潤ませているマリアと呼ばれた女子生徒。
マリアンナ・ロゼッタ子爵令嬢。
薄桃色の真っ直ぐな髪を腰まで伸ばし、同じ色のぱっちりと大きな瞳。形の良い小ぶりの鼻とぷっくりとした唇は彼女の可憐さをより強調している。小柄な身長により上目遣いになる視線と仕草は、同性から見ても可愛いと思う。そこだけ見れば、見目麗しい男性たちが小動物のような愛らしい女性を守っているように見える。
ルディローザはこの学園に入学してからというもの、この庇護欲の塊のような彼女に何かと絡まれ、目の前でなぜか泣かれて走り去るという、至極迷惑な寸劇を繰り返されてきた。
「そうおっしゃられましても…わたくし、ロゼッタ子爵令嬢に謝るようなことをした記憶はございません」
「とぼけるのもいい加減に…!」
「もういいの、トム。きっと私が悪いの。私はただ、みんなと仲良くしたいだけなのに…!!」
マリアンナの目元を拭う仕草に、男子生徒2名――正確にいうと、宰相の三男トーマス・アイルド侯爵子息と、この国で3番目に大きいラムリエ商会の次男ウィロビーが甘い声で慰めていた。
ルディローザの感想はというと、「今日は3人だけなんだな」これだけである。
入学して数ヶ月後には、令嬢たちのお茶会ではこのマリアンナの話で持ち切りになった。最初に彼女の虜になったのはラムリエ商会の次男だと言われていたが、実はもっといるのかもしれない。その次がトーマス・アイルド侯爵子息で、両名とも少し前に婚約破棄をしたと聞く。
その様子を見て、ルディローザの友人であるセリーナとエマが些か呆れ気味に口を開いた。
「だからと言って、婚約者のいるご子息ばかりと一緒にいるのは如何なものかと思いますわ」
「ルディローザ様はどなたかとは違って、品行方正な方ですわよ」
「酷い!そうやってルディローザ様はすぐ私を悪者扱いなさる…!」
「…わたくし何も申しておりませんのに」
「この2人に指示したことくらい分かっている!」
溜息が出そうになるのを堪え、微笑みを崩さず3人を見つめる。心の中で「馬鹿だなこいつら」と思っていたとしても。
辛くて辛くて辛い御妃教育の賜物だ。
「それがどうしてわたくしと殿下の婚約破棄に繋がりますの?」
聞くべきか聞かざるべきか迷って、結局聞いてしまった。聞かなくとも返答に想像はついた。こんなに目立つ場所ではなかったが、どうせこの男子生徒2人の時と同じだろう。
「ルディローザ様にヴィー様は相応しくないからです…!」
…やっぱり。
勝ち誇ったようなマリアンナと、よく言ったと言いたげな男性2人。この3人と、ヴィクトル殿下、ルディローザの兄で側近のグレアラン、殿下の護衛騎士ジェルバートが一緒にいるのを誰もが知っている。揃いも揃って美男ばかりである。
ヴィクトルを含める全員が彼女に御執心なのだという噂を耳にしたのは一度や二度ではない。1歳年上のヴィクトルとは学年が違うため、学園で話すことは滅多になかった。
それでも、婚約してから月に二度ある殿下とのお茶会では何も言われなかったから信じていた。これまでこのお茶会がなくなることなく開催されていたことや、手紙が定期的に届いたことも信じる理由の1つだった。
けれどこの2週間、手紙はおろか、恒例のお茶会ですら中止になった。それも、前日に父から聞かされたのだ。
揺らいでいたところにこの騒動。しかもその相手は王子を愛称呼び。
ルディローザはもう一度、溜息を飲み込んだ。
「では、ロゼッタ子爵令嬢なら相応しいとおっしゃるのかしら?」
「それは…!正直にお話したら、また、お怒りになるんでしょう…!?」
「いいえ。ぜひ正直にお話になって」
「私なら…親身になってヴィー様を支えられます…!ルディローザ様よりも!」
セリーナ様とエマ様が口を開く前に視線だけで制する。言いたいことは分かる。
彼女はうるうると瞳に涙を浮かべながらも強気だ。ルディローザが何か話す度に、彼女に危害を加えられないようにと前に出ようとする2人。
「貴女が無理矢理婚約者になったって、みんな知ってるんですよ…!私、私、愛してもいない婚約者に縛られているヴィー様が可哀想で…!」
「あらまあ。それは初耳ですわ」
「ヴィー様は、貴女との婚約破棄を肯定しておられました…!謝って下さるなら、悪いようにはしないでと、私からヴィー様にお願いしてあげますから…!」
「そちらも初耳ですわ」
ポロポロと涙を零しながら訴えるマリアンナ。演劇の世界に入れば一躍有名になれそうな程の名演技だ。噛み付かんばかりにこちらを睨んでいたトーマスとウィロビーが、優しく彼女の細い肩を包み込んだ。
「一体何の騒ぎだ」
煌びやかな食堂に、凛としたオーラのある声が響いた。
視線を向けなくても分かる。ブルエーム国第一王子のヴィクトルだ。すぐ後ろには兄のグレアランと護衛騎士ジェルバートが控えている。すぐさま食堂にいた全員が立ち上がり、頭を下げる。ただ1人、マリアンナを除いて。
すぐさまマリアンナがヴィクトルに駆け寄ると、潤んだ上目遣いのまま彼の腕を取った。
「ヴィー様…!助けてください…!」
「何の騒ぎだと聞いている。ルディローザ嬢、説明を」
マリアンナからすっと腕を躱すと、温度の感じられない表情のまま、ルディローザを見据えた。ルディローザも同じ様な表情で彼を見つめ返す。
金髪碧眼、絵本の王子様以上の美男子だ。すらりと長い手足には程よく鍛えられており、どんな仕草も絵になると言っては過言ではないくらいに、所作全てが美しい。
お似合いの2人だとは思う。麗しいヴィクトルと可愛いマリアンナ。
だからと言って、ルディローザは決して劣等感は持っていなかった。彼女にないものが自分にはあると自負している。両親や侍女たちが惜しげもなく自分を磨いてくれ、また自分も自分を磨いてきたと自信を持って言える。
彼女の持つ天真爛漫さは自分にはないが、叩き込まれた礼儀作法なら負けない。それぞれに良さがあると思う。
「ヴィクトル殿下にわたくしが婚約破棄されると、この方たちが教えに来てくださいました」
「それは本当か?トーマス・アイルド」
「その通りです。その前に、これまでマリアに行ってきた極悪非道ないじめの数々を謝っていただこうと…」
睨むトーマスに目もくれず、ルディローザはただ澄ました顔をして微笑んだままだ。
万が一ヴィクトルがマリアンナを信じるというのならそれでもいい。そんな男なんてこちらから願い下げだ。身の潔白はきちんと晴らし、自由になった暁には…
不意に緩みそうになった頬に力を入れる。危ない危ない。
「ほう。ルディローザ嬢、心当たりは?」
「全くございません」
「酷い…!私はただ謝って欲しかっただけなのに…!」
両手で顔を覆って泣き出すマリアンナだが、ヴィクトルが何も言わないからか、指の隙間から彼を覗き見るのが分かった。それでも彼はルディローザを見つめたままだ。
「ヴィー様もお辛かったですよね…!優しいヴィー様が婚約破棄まで思い悩まれて…!」
はらはらと涙を流すマリアンナの言う通りだったとしても、ルディローザはヴィクトルから直接婚約破棄をするというまで信じるつもりはなかった。
なぜなら、こんなことは慣れっこだからだ。
「わたくしよりもロゼッタ子爵令嬢の方がヴィクトル殿下には相応しいそうですので、アレをお試し頂いてみてはいかがですか?」
「…その間、君は?」
「もちろん、お暇をいただきますわ」
ルディローザがにっこりと笑うと、ヴィクトルは大袈裟に溜息をついた。お暇という響きだけでもウットリしてしまうルディローザは、どれをやろうかと妄想を始める。
「酷い!私に分からないように話をするなんて…!ルディローザ様はいつもそうやって!」
「必要ない。婚約破棄などするわけがないからな」
「え…っ、どういうことですか!?」
言葉を遮って言い切ったヴィクトルに、マリアンナは驚愕の表情を浮かべた。ルディローザは舌打ちしたい衝動を必死に抑えていた。そんなルディローザに気付いているヴィクトルは、輝かんばかりの笑顔を彼女に向けた。その余波を受けて倒れる令嬢が数名、視界の端に映った。
「私は君以外を妃に迎え入れるつもりはないよ」
「視野は広い方がよろしいですわよ、ヴィクトル殿下」
「君を繋ぎ留めるだけで精一杯だよ、ルディ」
「お戯れを」
「動くな」
次の瞬間、護衛騎士であるジェルバートが剣を抜き、マリアンナの喉元に剣先を向け、食堂にいた全員が息を呑んだ。
彼女の右手には大ぶりのハートのペンダントが握られている。
「な、なんなのよ!ヴィー様、助け…ひっ!」
「動くなと言ったはずだ」
剣先が僅かに揺れたかと思えば、マリアンナのペンダントチェーンだけが器用に切れていた。次に剣先を向けられたラムリエ商会のウィロビーは、腰が抜けたのかどさりと尻餅をついたまま動かない。カタカタと震えるマリアンナに近付いたのは、ルディローザの兄グレアランだ。すっと彼女からペンダントを取り上げ、慎重に袋に仕舞った。
「無事確保しました」
「みな、騒がせて済まない。詳しい話は追って伝えるが、簡潔に言うとロゼッタ子爵令嬢が持っていたこのペンダントの中には、人を惑わせる劇薬が入っている。何か知っていることがあるものは教員にすぐに伝えるように」
食堂の入り口から近衛隊が入ってくる。それに加え、いつの間にか入ってきた学園長が「午後の授業はなしだ。速やかに帰るように!」と告げると、途端にざわざわと騒がしくなった。
セリーナとエマと共に帰ろうとしたルディローザを、ヴィクトルは笑顔で制した。
「ルディ、君にはまだ残ってもらうよ」
「折角のお休みは有効活用したいのですが」
「私と一緒でも?」
「時間は有限ですから」
腰に手を添えられ、ぐっと引き寄せられる。物理的にも逃がさないつもりのようだ。
近い。ヴィクトルが人前でこんなことをしたのは初めてだったため、ルディローザは珍しく驚きを顔に出してしまった。
そんな彼女をマリアンナは恐ろしい顔で睨みつける。
「何でよ!もう少しでヴィー様は私のものだったのに!!」
「愛称で呼ぶことを許した覚えはない。はっきり言って不愉快だ。それに私やジェルバード、グレアランは最初から君たちの罪を明らかにする為に近付くよう仕向けたんだ。決して君の魅力云々じゃない」
「そんな…嘘、嘘よ!!」
「俺は関係ない!この女に操られてただけだ!!」
「そうだ!いくら殿下でも、アイルド侯爵家が黙ってないぞ…!」
近衛隊が3人を縛り上げている最中も、口々に喚く。
マリアンナはもう、何十枚も被っていたであろう猫は全て脱いだようだ。貴族のかけらも感じられない。
「ところで、アレって何だ?お試しがどうとかって言ってた」
「アレというのは、御妃教育のことですわ。お兄様」
「はぁ?意味分かんない!馬鹿にしてんの!?どうして私がそんなもの…!」
マリアンナの言葉に、今度はルディローザが絶対零度の微笑みを浮かべた。
それを見たトーマスとウィロビーは「ひっ」と声を漏らす。
「馬鹿にする?それは貴女たちの方じゃありません?」
「はあ!?」
「よろしいですか?」
ずいと前に出ようとしたルディローザだったが、ヴィクトルにまだ抱き寄せられたまま離してくれなかったため、仕方なく顔だけ彼女に近付けた。
「そもそもなぜ御妃教育も受けずに、簡単にヴィクトル殿下の婚約者になれるとお思いなのかしら。しかも皆、揃いも揃って『婚約破棄されろ』など笑止千万。そんなことも分からないような可愛らしいオツムじゃ到底無理だと分からないのかしら。本当にヴィクトル殿下を慕っているのなら、私の方が所作も教養も完璧に出来るから御妃教育代われくらい言えばいいものを。それでしたらいつでも代わって差し上げるのに。それとも御妃教育なんて造作もないくらいにお思いなの?四六時中、一挙手一投足厳しくチェックされて、小指を曲げる角度ですら注意されてみればいいのよ」
「おい、ルディローザ…その辺で…」
「あら、お兄様。まだまだ言い足りませんわ」
「ちょっと…皆って何よ!」
「皆は皆ですわ。ロゼッタ子爵令嬢でそうね…ちょうど20人目かしら」
「はあ!?」
そう、こんなことを言われるのはもう慣れたのだ。
人の血を吐くような努力を何だと思っている。自分の時間も少なく、常に御妃教育という名の監視に指導、嫌がらせだってあった。
何度、逃げ出したいと思ったことか。何度、代われるのならさっさと代わってくれと思ったか。
それなのに、何も知らない令嬢たちは、簡単に自分こそ婚約者に相応しいと宣う。
だから毎回、ヴィクトル殿下にお願いするのだ。
『そこまで言うなら彼女にも御妃教育を受けさせてあげて』と。
結局誰もひと月と持たなかったが。
「皆様、最初はきちんと受けて下さるのですよ?貴女のようにそんなものと仰った方は初めてですわ」
「だって…私はヒロインで…」
「ヒロイン?喜劇のヒロインだか何だか知りませんけど、そんなもの第一王子の婚約者になることと何の関係もありませんわ」
「違うわよ!私はこのゲームのヒロインなのよ!!そんなもの、ゲームのシナリオになかったわ!」
それを聞いたルディローザは、マリアンナへの興味を失った。
これ以上話したところで、彼女は絶対に御妃教育を代わってくれることはないのだ。
ヴィクトルに許可を取って席に着き、ポケットに忍ばせていたミニ辞典を取り出すと、栞を挟んだページを開く。
「お前というやつは…!」
「隙間時間の有効活用ですわ」
「ちょっと!私を無視するな!!」
ルディローザの手にあるのは古代ブルエーム語辞典だ。
彼女は自他ともに認める語学狂だ。現在完璧に使いこなせる言語は10種類以上。日常会話程度を入れれば20種類を優に超える。
厳しくて辛い御妃教育を逃げ出さなかったのも、ひとえにマニアックな外国語でも好きなだけ学べるからだった。
お暇が出れば、好きなだけ外国語の海に溺れようと思っていたのに。
まだ喚き続けるマリアンナの声は、ひとかけらもルディローザの耳には届いていなかった。
「ふふ、また語学の世界に入り浸ってしまったようだ」
「こんな妹ですみません、殿下」
「そこが彼女の魅力だろう?さて、ロゼッタ子爵令嬢。ゲームとはどういうことか、答えてもらおう」
ルディローザが顔を上げた頃には全て終わっていたようで、マリアンナもトーマスもウィロビーもいなかった。兄グレアランだけが溜息をつき、ヴィクトルはルディローザに手を差し出し、立つように促した。
帰り道、馬車に揺られながら事の顛末を聞く。
マリアンナは前世の記憶を持ち、この世界は前世のゲームの中で、自分はそのヒロインだったという。“偶然”ラムリエ商会で買ったペンダントを身に着けたところ、ウィロビー、トーマスと攻略できたらしい。次はヴィクトル、グレアラン、ジェルバートを攻略しようと思っていたのに、なかなかイベントが始まらない。悪役令嬢のルディローザも何も仕掛けてこない。だから無理矢理こんな騒ぎを起こしたのだそうだ。
一方ヴィクトルたちは、一度マリアンナが話しかけてきた時に起こった自分たちの変化に疑問を持ち、内密に調べる為に彼女たちに近付いたそうだ。そしてラムリエ商会が闇組織と繋がっている疑いが浮上し、その証拠集めに奔走していたらしい。証拠は既に揃っていたらしく、この週末にでも査問委員会が開かれる予定だったという。
「そうだったのですね。お疲れ様でございました」
「思うことはそれだけかい?」
「ええ」
ルディローザはさしたる興味も湧かないまま話を聞き終えた。だから疑問点があろうがどうでもよかった。どうせまた今日も変わらない1日を過ごすだけなのだから。
「俺は、今回のことで色々と思うことがあったよ」
「まぁ。そうでしたか」
ヴィクトルが一人称を変える時は決まってプライベートの話の時のみだ。それなのに彼は、貼り付けた王子スマイルをより輝かせ、王子様そのものの動きで横に座るルディローザの手を取った。
その上馬車内の温度が一気に下がったのはなぜなのか。
向かいに座るグレアランとジェルバードが視線を逸らしたのはなぜなのか。
「一番は、君に俺の気持ちが少しも届いてなかったことだよ。ルディ」
「何のことでしょう」
「これまでは君たってのお願いだったから聞いていたけれど、この際だからもう一度はっきり言っておこう。俺は、ルディ以外を妃に迎え入れるつもりは決してないから」
そもそもヴィクトルは分かっていて、彼女に言われるがままその他の令嬢にも御妃教育を受けさせたのだ。どうせ辞めていく。辞めた後は、お茶会でどれだけ大変かを勝手に語ってくれる。そうすれば、ルディローザがどれだけ第一王子の婚約者に向いているのか、勝手に広めてくれることになると。
どんどん近付いてくるヴィクトルの顔に、危機を感じたルディローザはじりじりと後ろにさがっていく。いくら王家の馬車といっても、さほど逃げられるはずもなくすぐに壁に追い詰められた。それでもなおヴィクトルは近付いてくる。
「ヴィ、ヴィクトル殿下?」
「エスコートやダンス以外では触れないようにと我慢してきたけど、もうそれも止めることにしよう。俺がどれほどルディを愛しているか、これからは言葉でも態度でも分かってもらわないとね」
「ちちち近いです!ヴィクトル殿下!」
「ヴィーと呼んでくれるまで止めないから」
壁に手をついてルディローザの逃げ道を完全になくし、とうとう額までくっつけてきた。ルディローザは慌てて兄と護衛騎士の名前を呼ぶ。2人からの返事はない。
ルディローザの鼻にヴィクトルのそれが付けられた時、彼女は御妃教育なんて忘却の彼方へと飛んで行った。
「ヴィー様!!お呼びしましたからもう…!」
「この状況で俺以外の男の名前を呼ぶなんて、お仕置きが必要かな?」
鼻先にキスが落とされる。ルディローザは叫び声をあげそうになるのをどうにか堪えた。顔をこれでもかと真っ赤にした彼女を見て、ヴィクトルは満足そうに笑った。それはもう、愛おしそうな目で。
「そこまで驚かれるのも心外だな。本当に伝わってなかったみたいだね?」
「ど、どうしてって…そう、そうですわ、あの3人が申してましたもの。ヴィクトル殿下が婚約破棄を肯定していたと…!」
「ああ、そんなこと」
壁についた手とは反対の手で、ルディローザの頬を優しく撫でる。ルディローザは固まり、ヴィクトルにされるがままだ。
「破棄してはどうかと聞かれたから微笑んだだけだよ。向こうが勝手に勘違いしたようだね」
その場にいた全員がわざとだと気付いたが、指摘できる者はいない。
ルディローザは思った。
マリアンナのいうゲームの方が良かったかもしれない。御妃教育を「そんなもの」扱いしたような世界なら、こんなことにはならなかったのではないか。
一体どんな国か知らないが――…
「…ヴィクトル殿下。そういえば、ロゼッタ子爵令嬢は前世の国名は話しましたか?」
「ああ。確かニホンと言っていたな。」
「ニホン…聞いたこともない国の名前…」
ルディローザの瞳が急にキラキラとしたものに変わった。それを見たヴィクトルが笑顔のままこめかみに血管を浮かばせようが、残りの2人が震えようが気付かない。
「あぁ…どんな言語の国なのかしら…。で、殿下、ヴィクトル殿下!何を…!」
「ヴィーだと言ったよね?体で覚えてもらうしかないね」
「ひゃあ!」
唇以外へのキスと愛撫の雨嵐が降ってくる。ルディローザは王子相手に抵抗などできる訳もなく、息も絶え絶えに終わるのを待った。羞恥で心臓が物凄い速さで鐘を打つ。
漸く満足したのか、恐ろしく艶やかな笑顔をルディローザに向け、はっきりと言った。
「…ルディ。俺はもう手加減しないから、覚悟してね」
その週末の査問委員会にて、マリアンナ達の処遇が決まった。
宰相の三男トーマス・アイルド侯爵子息は勘当し、ウィロビーと共に騎士見習いに。ラムリエ商会は取り潰しの上、商会の役員は全員絞首刑か禁固刑となった。
マリアンナ・ロゼッタ子爵令嬢は半年後に僻地の修道院へ送られることが決まっている。
「何で私が修道院に送られなきゃならないのよ…!シナリオ通りに行けば、あんたがそうなるはずだったのに!!そもそも何でちっともシナリオ通りにいかない訳!?しかもなんで半年後なのよ!!」
牢に入れられたマリアンナが騒ぐ。鉄格子を挟んで向かいにいるのはルディローザだ。にこにこと微笑む彼女の後ろでは、侍女たちがてきぱきと机と椅子を運んでいる。
「あら。それはわたくしがお願いしたからですわ。」
「はあ!?あんた私に同情してるつもりなの!?」
「いいえ。ロゼッタ子爵令嬢に聞きたいことがあったからです。前世はニホンという国にいたと聞きましたが。」
「そうよ、それが何なのよ。」
「どんな言語を使っていましたか?」
「ニホンゴよ。一体何なわけ!?」
にっこりと深く微笑むルディローザを見て、マリアンナは初めて嫌な汗を流した。
思わず後退るも、逃げる場所などどこにもない。
「取り調べですわ」
ルディローザによるニホンゴの徹底追及により、マリアンナは修道院送りを早めるように懇願したのが1か月後。その願いは決して叶わず、約束の日までみっちり問い詰められたという。
ヴィクトルはあの日の宣言通り、ルディローザへの愛を一切隠さなくなった。ぐいぐい迫る第一王子と、顔を真っ赤に染めながらも受け入れるその婚約者。
その姿は多くの人に好意的に捉えられ、もう彼女の座を奪おうとする者は現れなかった。
連載版も書きました。
もしよろしければ、そちらも読んでみて下さい。
https://ncode.syosetu.com/n4929gw/