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泡沫の緑

作者: eyecon




――1986年、とある夏のこと。



 それは、私が高校を卒業して、都会へ上京する前の話。その日の夜空には、流星群の光がまるで火花を散らすように舞っていたのを、私は確かに覚えている。芝生の緑が広がる丘を、悠然と吹き抜ける夏風に煽られながら、私はその光景に圧倒されていた。その場に一緒にいた幼い弟、「拓也」と、友達の「篠原佳奈子」は、空に広がる流星群を同じく夢中で眺めていた。



「UFOがいっぱいだ!!」



 そう言ってはしゃいでいる弟を見て、佳奈子は一生懸命笑いをこらえていた。私も思わず笑いながら、弟の頭を撫でる。



「あれはUFOじゃなくて、たくさんの流れる星なんだよ」



 私は弟にそう言うと、丘の上の芝生を力強く踏みしめながら背伸びをし、星降る夜空を指さした。



「ああやって空を流れる星を、「流れ星」って言うの。流れ星に向かって願い事をすると、その願いが叶うって言われてるんだよ」



 弟はその言葉に瞳を輝かせながら、再び星を眺め始める。私はその様子を横目に、大きく深呼吸をした。



「もうすぐここともお別れだけど、この日の光景は、絶対に忘れないよ」



 私は佳奈子へ向けてそう言った。その瞬間、彼女は少し寂しそうな表情を浮かべながらも、大きく頷いた。



「私はずっとここにいるから。お互い夢に向かって、頑張ろう。聡美」



 友達はそう言って、私に微笑んだ。先の未来に希望を抱くかのような、澄んだ瞳を私に向けて。私自身も理想と夢に思いを馳せながら、心の中で何度もこう祈った。



 幸せに生きれますように。







――そして、2000年になった今。



 幻想は見事に打ちのめされた。現実はノンフィクションだった。


 私が見てきた社会的風景の変遷は、あまりに目まぐるしいものだった。特に80年から90年にかけての急激な通信技術の進歩によって、社会は大きく変わったと私は思う。その年代はバブルを迎えた時期でもある。その時期を例えるなら、正に盛りのついた犬だ。

 だが、それもやがて去勢された。バブル崩壊だ。彼らにとっての「夢」と「未来」の時間も止まり、人々の意識が現実主義の色へ変わっていくのを、私は見ていた。



『無知によって作られた幸福など欲しくない』



 誰かはそう言っていたが、例え間違っていても無知な方が幸せに生きれるのは確かである。この社会が変わっていくのを間近で見た私にとっては、それの方が楽に思えてしまうから。


 私はその時期、大学へ入るため都会へ上京し、そこで不動産学を教わっていた。卒業後すぐに不動産屋へ就職したが、時期がまずかった。

 1990年、日本がバブルで浮かれている中、政府が不動産融資総量規制を行った。その結果、十分な融資が受けられなくなり、地価も低下。不動産の株価も一気に暴落した。倒産の危機に晒された私の会社は、間もなく他の大手企業に吸収された。共産主義に万歳した会社は、膨張した人員の削減に伴い、そこで私に下されたのは。



「クビだ」



 リストラだった。会社の上司は淡々と言いのけてみせた。彼は陰険なハラスメンターを具現化したような酷い人間だったが、この言葉で更に嫌いになった。死滅した彼の頭皮に落書きしてやりたい気分だった。

 その日、彼への怒りを引き摺りながら会社のエントランスを抜けると、不思議なことが起きた。なぜか私は、先ほどの事が無かったかのように、冷静になったのだ。そう、まるで呪縛から解放されたような、そんな気分。悟ったのだ。企業という社会構造は私にとって、毒でしかないと。


 私は今、フリーランスで働いている。インテリアコーディネーター。公共施設のインテリアについてあれこれアドバイスを行う仕事だ。最初は、不動産会社に勤めていた時の友人の力を借りて、仕事を貰っていた。当時は自ら探さないと、仕事など全く舞い込んでこなかったが、時が経った今になって、徐々に名も広まり、自然と仕事の依頼が増えるようになった。流石に富豪とまでは言えないまでも、安定した生活を送れている。個人経営だけあり、自由に休暇を取れるというのも魅力的だ。

 ただ、これだけ人の多い都市に揉まれていると、神経も病んでしまうものだ。だから時々、田舎が恋しくなった。都会の住人の波に揺られながら生活を送るというのは、かなり窮屈なもので。


 だから今、私は電車に揺られている。故郷へ癒しと安らぎを求めて。


 コバルトブルーが美しいシートモケットの椅子に座りながら、車窓から覗く風景を私は眺めていた。

 始まりは都会の街並みだった。RC構造のインテリジェントビルが厳かに列を成し、カーテンウォールに初夏の太陽光が乱反射。ジャパニーズジェントルマンのお堅い印象が見事に表現されている様子。それはやがて色を変え、のどやかな緑に段々と彩られていく。しばらくすると、周りには風情溢れる田舎町が広がる。その光景はあまりに懐かしく、まるで時間旅行でもしているような気分だった。

 上京して以来、私は一度も故郷へ顔を出したことは無かった。変遷していく社会へ溶け込むのに必死で、そんな事は頭に無かったからだ。一ヶ月に一度両親に電話をしていたが、疲れのせいか冷たく接してしまっていた自分がいた。両親はいつも温かい言葉や励ましをくれたが、それが逆に重荷に感じていた。次第に私は、電話をするのも嫌になっていた。なんだかこんな自分が、情けなく感じて。

 だけど今日は違う。何十年ぶりに会う家族、友人達と会い、一度その頭を休めるのだ。


 しばらくして故郷へ着くと、懐かしい駅のホームが待ち受けていた。ああ、帰ってきたのか。私は強くそう思った。

 女性のアナウンスと共に電車の扉が開くと、懐かしい匂いと澄んだ空気が、真昼の風と共に私の体へ流れ込んできた。それを体全体へ感じながら、皺になったベージュのカーディガンを整え、ゆっくりと駅へ踏み出した。







 駅のホームを抜けると、周りには建物一つ無かった。辺り一体は畑で広がっていて、びっくりするほど視界が良好だった。人々の喧騒も、代わりに鳥の鳴き声が風に乗って聞こえてくるのみ。日陰はほとんどなく、鋭い日差しが私に直接浴びせかけられてくる。実に蒸し暑い。

 しかしこの村は、私が昔見たこの町の記憶と、なんら変わっていなかった。それがなんだか妙に嬉しくて、思わず感涙しそうになった。カフェや専門店、娯楽施設などがこの村に全く無いことを嘆いていた当時の自分が、酷く馬鹿らしく思えるほど、この見通しの良い景色と静寂に心地よさを感じていた。


 私は昔懐かしさを背負いながら、舗装されてない傷だらけのアスファルトの上をしばらく歩いていると、遠くの方に古びた駄菓子屋があるのを見つけた。



――ああ、あそこは子供の頃、よく通っていたところだ……。



 そう理解した私は、少し興奮気味に駄菓子屋へ小走りで向かっていた。

 入口の前まで着くと、私は店内を覗いた。しかし、休日だというのに、中は閑散としている。私の記憶では、子供たちが屯し賑やかだったのに。



「いらっしゃい」



 私が店内を見渡していると、老人男性がゆっくりと奥から出てきた。私は持っていたハンドバッグを肩にかけ直しながら、彼の顔を凝視する。その顔に、私は見覚えがあった。



「名取……さん?」



 私の記憶から、一つの名前が口から零れる。それを聞いた彼は、驚いた顔して私に聞き返す。



「あれ……私の知り合いかな?」



 彼は奥の居間から、草履を履いてこちらへ降りてくると、掛けていた老眼鏡を整えながら、私の顔をまじまじと見つめていた。



「私のこと、覚えてないですか? 子供の頃、ここでよくコーラガムを買ってた、桜井聡美です」


「えーと……」



 彼はまだ分かっていない様子だったので、私はある言葉を発した。



「『高級コーラガム100万円』」


「……アッハッハ、あの聡美ちゃんか」



 彼はやっと分かってくれたようで、笑いながら私の方へ近づいてきた。彼は昔、よく商品棚の値段表示に100万円と書いていた。なんでも商品は全て高級菓子だったらしい。もちろん真っ赤な嘘だ。



「綺麗になったねぇ」


「名取さんも随分渋くなられて」


「美人さんにそう言われると照れちゃうねえ、ハハッ……ああ、今は確か聡美ちゃん、都会に住んでいるんだったかな?」


「ええ、東京の方でインテリアコーディネーターを」


「おお、そうなのかい。なら、ここのインテリアも"こーでねーと"してもらいたいね」


「ここのインテリアを直すとしたら、値札だけで十分ですよ」


「ハハハ」



 私は彼と談笑しながら、なんとなく奥の居間を覗く。すると、『整理用』と書かれたダンボール箱がいくつも並んでいるのを見つけた。



「……あれ、どこかへお引越しされるんですか?」


「ん? ああ……実はこの店を、閉めることになってね」



 その言葉を聞いて、私は自然と顔を伏せてしまう。不穏を感じていたが、やはりあの昔の賑わいは、既に亡きものになってしまったのだろう。



「……そう、だったんですか。残念です」


「いやいや、特に悔いはないからね、私は充分ここで楽しませてもらったから」



 名取さんは笑顔でそう言うと、更にこう続けた。



「なんでも近くにデパートが建つらしくてね、この町も進化したもんだ」


「え……?」



 私はその言葉を疑った。こんな人里離れた田舎に、デパートを建てる?あまりにも浮きすぎるのではないのだろうか。スーパーならまだしも。



「あ、あの、なぜデパートが……」


「なんでも、ここの一帯の土地を開拓して、新しいショッピングエリアを作るみたいだね。結構大規模な計画らしいから、まだ目処は立っていないみたいだけれどね」


「は、はぁ……」



 ショッピングエリア?土地を開拓?私は、彼の言っていることが少し、理解出来なかった。どうしてこんな場所に、そんなものを建てる必要があるのだろうか。ここは田舎町、周りもこの通り、人の気配すらあまり感じないような場所であるのに。



「この静かな田舎町も、賑わいそうで嬉しいよ」


「え、ええ……」



 彼の言葉が、酷く奇妙に感じた。なぜなら、名取さんはデパートが建つことを、とても嬉しそうに話していたからだ。

 きっと、その件もあって駄菓子屋を畳むことにしたのだろう。こんな場所にデパートなんて建ってしまえば、誰も駄菓子屋など見向きはしないだろうから。

 まさか、彼は本気で喜んでいるのだろうか。駄菓子屋をしまうことを。デパートがここに建つことを。いや、そう思っているのだろう。彼の顔からは、疑念を持っているような様子は全く感じられなかった。



「……じゃ、じゃあ、私はこれで」



 私はなんだか薄気味悪くなって、名取さんとの話を強引に切るように、そう言った。そして体を翻し、私は入口を出ようとする。



「なんだ、もう行くのかい?」



 名取さんにそう声をかけられたが、私は目を合わせることをせず、少し振り返りざまに「……はい、実家へ寄らなくてはいけないので」と告げた。



「そうか、また来てくれ」



 その言葉に、私は軽く頭を下げ、駄菓子屋を出た。結局、駄菓子屋では何も買わなかった。あの高級コーラガムでさえも。

 私は汗でへばりついたシャツをぱたぱたと扇ぎながら、改めて周りを見渡した。そこには、以前と変わらない故郷の姿。緩やかな静寂、優しげな緑に包まれた、田舎町。この町もしばらくすれば、都会のように人々の喧騒で溢れ返るのだろうか。


 いつの間にか、この町に置いてけぼりにされた気分だった。







 まだ拭いきれない不穏を抱えながら、しばらく歩いていると、緑が茂る広い高原にたどり着いた。そして目の前に、また一層高く盛り上がった丘が見える。その頂上付近に、ベンチが一つだけ、青い空に浮かぶように置いてある。ここはあの日、流星群を見た場所だ。

 そして、そのベンチへ目を凝らすと、長い黒髪の女性が座っていた。私はその女性へ向かって、高い丘を登っていく。

 雑草を一歩一歩、確実に踏みしめるように登っていき、遂にベンチの真後ろまでたどり着いたと言ったところ。私はその女性に向かって、こう声をかけた。



「久しぶり、佳奈子」

 


 ベンチに座っていた彼女は、驚いた様子でこちらを振り返る。そう、彼女は、あの時一緒に流星群を見ていた、篠原佳奈子だ。私たちはここで、待ち合わせの約束をしていた。



「聡……美……?」



 何十年ぶりに会ったためか、やはり私の姿にピンとこなかったようだ。私も正直、振り返った彼女の顔を見て驚いていた。佳奈子はあの時と見違えるほど、大人な女性に変わっていたから。



「うん、私だよ」



 私がそう言うと、佳奈子はようやく分かってくれたようで、「久しぶり!」と嬉しそうに返しながら、ベンチから立ち上がると、私を抱き締めた。



「めちゃくちゃ綺麗になってたから、一瞬誰か分からなかったよ」



 佳奈子はそう言って笑いながら、私を見つめていた。



「佳奈子も凄く「大人」って感じになったよね」


「どうせ私は子供っぽいですからねぇ」


「アハハ、そういう意味で言ったんじゃないって」


「怪しいねえ」



 佳奈子はそう言って、私に疑いの目を向ける。なんだか、学生時代に戻った気分だった。都会でも友達は何人かいたが、やはり昔からの友達と話すのは、何か違うものがあった。



「久しぶりに来たよ、この場所」



 私は空を仰ぐ。すると、佳奈子も同じように空を仰ぎながら、こう言った。



「ここで聡美と弟ちゃんと、一緒に流星群見たよねぇ。綺麗だったなぁ」


「うん……すごく綺麗だった」



 あの日のことは、未だに忘れない。私がまだ、未来に希望を見据えていた頃。子供の頃、描いていた理想の生活。それを願ったはずなのに、それは叶うことは無かった。



「私たちも……随分歳を重ねちゃったね」



 自然に、そんな言葉が私から零れた。



「もうアラサーだよアラサー。もう世間じゃオバサン扱いだしさぁ」



 佳奈子はそう言って笑った。私もつられて、思わず笑ってしまう。こんな風に他愛もない話で盛り上がるのが、あまりに懐かしく、嬉しかった。







 私たちは歩きながら、都会に出てからのこと、お互いの仕事について彼女と話した。久しぶりに佳奈子と話した為、悩みの溜まっていた私の口は止まらなかった。佳奈子も静かにそれを聞いてくれた。

 だが話の途中で、彼女の口からこんな言葉が発された。



「世の中も変わったよね、どんどん便利になってくというかさ。かなり過ごしやすくなったというか」



 その言葉を嬉しそうに話すのを聞いて、私はとてつもない疎外感を覚えた。彼女は別に、特別な意味を込めて言ったわけでは無いだろう。だけれど、そう話している彼女の事が、変に遠く感じた。



「……急に世の中が進歩しちゃって、追いつくのに必死だよ。今だって追い続けてる。便利すぎるのも、なんだかね」



 私がそう言うと、佳奈子の顔は変わった。



「……じゃあ、溶け込むのに大変だったよね」



 佳奈子の声は低かった。私の気持ちを察したのだろうか。しまった。こんな風に反発したかったわけではないのに……。



「……でも、もう大丈夫」



 佳奈子はそう言って、私の方へ顔を向ける。



「あなたを溶け込めるように、私が手伝ってあげるから」



 彼女は、笑っていた。

 その笑みを見た瞬間、私は、強烈な悪寒を感じた。今までの佳奈子のイメージが一変するほど、綺麗だが、何かを含んだような笑み。それは私を困惑させるのには、十分だった。



「佳奈……子……?」



 私がそう言ったのと同時に、突然私たちの後ろに、一人の女性が現れた。



「聡美も、私たちと一緒になろう?」



 彼女を横目に、現れた女性を見つめる。背格好は私と同じぐらいで、髪も私と同じほど、そして私と全く同じ服装で、そして……。



 私と、瓜二つの顔をしていた。



「え……ね、ねぇ、これ一体……」



 状況の整理が追いつけずにいた。それはあまりに突然だったから。彼女は誰?なぜ私と同じ姿をしているの?一緒になろうって?



「聡美の悩みを、全部消してあげるんだよ」



 佳奈子は一言そう告げたあと、そのまま話を続けた。



「……私たちはね、銀河系のテクノロジーの発展のため、この地球に降り立ったの。所謂、宇宙人みたいな存在だとでもいえばいいかな? だけど、地球の住民はあまりに各々の我が強く、文化を巡っての争いが多い星だった。この銀河系の中でもね? だから私たちが、彼らを形成する「個性」そのものを消し、人類が仲良く共存できる世界を作ろうと決めたの」


「ね、ねぇ佳奈子……何の話をしてるの……?」



 そう聞いても、佳奈子……いや、佳奈子の姿をした「何か」は、気にする素振りを見せず、また話を続けた。



「90年代にかけて、急にテクノロジーが発展していったでしょ? それは、私たちがこの地球人に手を貸したからなの。全ては、皆が過ごしやすい世の中を作るため」



 彼女は私と瓜二つの女性に近づくと、こちらを向いて、こう言った。



「あなたの悩みだって、あなたの個性が生み出したもの。あなただって、辛い思いはしたくないでしょ?」


「わ、私は……」


「この星の住人が強烈な個性を持つ限り、本当の意味でも自由は手に入らない。だったら、個性なんて消してしまえばいい。そうだよね?」



 私は、彼女の言っていることがあまり理解出来ていなかった。だが、彼女の言葉を必死で整理して、私自身の言葉を紡いだ。



「……で、でも、この世界は誰かの個性を持って、発展に繋がったはず」


「そんなのは、ただ思い描いたものを実現できる力がなかったからだよ。本当は皆、望んでいるのは同じもの」



 佳奈子は私の肩へ手を置くと、こう告げた。



「それに、もうこれは決めた事だから。あなたの意見を私が聞く道理は、ない」



 その言葉を佳奈子が言い終えた瞬間、私と瓜二つの姿をした女性の姿が、体の形を変え、液体のように溶けた姿を模して、私へ近づいてきた。



「い、いや……!」



 私は逃げようとしたが、佳奈子に肩を掴まれ、全く動けなかった。



「大丈夫、その恐怖も、すぐに消えてしまうから」



 彼女はそう言った後、薄気味の悪い笑顔を浮かべた。



「……ま、待ってよ佳奈子! こ、これって、何かの間違いなんだよね? 目を覚ましてよ!」



 そう必死で訴える私を、彼女は気にしていなかった。そして突然に、私の意識は遠のいていく。まるで深い闇の底に、落ちるように。



「目を覚ますのは、あなたの方だよ」



 彼女は私にそう言って、その場から離れる。

 朦朧とする意識の中で最後に見たのは、液体を模した化け物が、私を取り込もうとしている姿だった。







 コンコン。



 私は引き戸を優しく叩く。ここは私の実家だ。木造建築の、古びた一軒家。佳奈子と二人でドアの前に待機していると、勢いよく玄関がガラッと開いた。



「……姉ちゃん。おかえり」



 玄関のドアを開けたのは、私の弟、拓也だ。もう何年かぶりの再会……ということになるだろう。私、「桜井聡美」にとっては。

 玄関で微笑んでいる拓也。私はそんな彼に向けて一言、こう告げた。



「ただいま」




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