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第三章 【終】

 ふたりを自宅へ返し、史郎さんはスーパーへ向かい、私と姫島屋先生は自宅の借家へ向かって歩いていた。

 本日二度目の帰宅だし、時間は遅くなったが、それでも姫島屋先生と一緒にいられる喜びを噛みしめた。

「きみは、私が浮気をすると思うか?」

「はい?」

 唐突な質問に、顔をあげる。

 どことなく鋭い目をした姫島屋先生と目があって、慌てて返事をした。

「いいえ! 先生はそんなことはしません。ほかに好きな人が出来たら、はっきり告げてくださると思ってます。……そんなの、嫌ですけど」

 ぽそり、と付け足した言葉に、姫島屋先生が笑った。

「そうか、嫌か」

「当たり前です。どれだけ、先生のこと好きだと思ってるんですか。高校生の頃からだから、結構年季はいってますよ」

「……菜緒子」

 人生二度目。

 姫島屋先生が、名前で呼んでくれた。

「私は浮気などしないから、心配しなくていい」

「だから、心配してません!」

「ほかの者に心変わりもしない」

 姫島屋先生は、照れたように微笑むと、やたら色っぽい流し目で私をみてきた。むちゃくちゃ心音が高鳴って、そわそわと無意味に指先を動かす。心臓に悪い、男前の笑顔は。

「先生は、格好いいから、周りが放っておかないだろうし、ちょっとは不安ですけど」

 ぽつり、と本音をこぼした。

 姫島屋先生は、軽く目を見張ったあと、さりげなく視線をそらした。頬が赤い。

「格好いいなんて言うのは、きみくらいだ。私は、暗くて話していても面白みもない、退屈な人間でしかない。周りが放っておかないというのなら、きみのほうだ。明るくて、前向きで、きみの周りにはいつも人がいた」

 いつも、というくだりは、昨日今日のことではないだろう。

 まだ先生と私が、教師と生徒だったころのことだ。確かに友達は多いほうだったし、自分から積極的に声をかけたりもした。告白も何度かされたけれど、見た目的には正直、よいほうとは言えない。普通も普通。

 メイクをしても、さして栄えない平凡な顔立ちなのだ。

「先生は、私を誤解しています。前向きだけが取り柄なんですよ、たまにそりゃ、不安になったりもしますけど。周りにひとがいても、それは、そういう関係の人じゃないですし」

「私は、ひとりでいることのほうが多い人間だ。親しい友人は、ひとりいれば充分だし、恋や愛だのにも興味がない。……きみは、私とは違う世界の人間だと、思っていた」

 思っていた、というのも、高校時代の話だろう。

 姫島屋先生がそんなふうに思っていたなんて知らなくて、私は少なからず驚いた。

 先生は口数が少ないし、こうしてお互いのことを話したことはなかった。教師と生徒だから、喧嘩になるようなこともない。

 ただ、平和で穏やかな日々だった。

「……私、先生とこうしてまたお会いできて、本当によかった。どうしてあのとき、押しかけなかったのかって、後悔してたから」

 振り向いた姫島屋先生の表情に、微かな動揺が走る。

 私は、慌てて言葉を飲み込んだ。

 あのとき、というのは、連絡手段をすべてブロックされたときの話だ。なぜブロックされたのか、聞くのはまだ怖い。

 今でこそこうして話してくれる先生も、当時は私のことを鬱陶しく思っていたのかもしれないのだから。

「ええっと、それで、ですね。さっきのことなんですが」

「なんだ」

 露骨な話題変更にも、姫島屋先生はすんなり了承してくれたようだ。

 やはり、ブロックされた当時の話は、まだ持ち出すには早いのだろう。

「その、結果的にはよかったんですよ。おそらく、結局電気系統のトラブルが原因だって、わかったんで。でもですね、先生。……ひとりで校舎裏に行ったって聞いて、心配したんです。走って戻ったんですからね」

「すまない。今回の件の真相を調べたかった」

「言ってくれたら、一緒に行ったのに」

 むぅ、と子どもっぽく拗ねてみせると、姫島屋先生は苦笑した。

「きみは、消えた死体を気にしていたようだった。それを解決できれば……菜緒子の心配事が、ひとつ減ると思ったんだ」

 え。

 それはつまり、私のことを考えて行動してくれたということか。

 図書室での調べ物も、放課後に校舎裏へ向かったのも。

「具体的な原因解明については、優秀なきみの生徒たちが動いてくれるらしいから、ある意味いいところを持っていかれた気分だ」

「あのふたりは、なんていうか、意外に似てますね」

 ふと、姫島屋先生が真面目な表情になった。

「菜緒子」

「な、なんですか」

「生徒と浮気をするなよ」

「はい⁉ なんでそうなるんですかっ、生徒ですよ空閑くんは!」

「違う、妹のほうだ」

 妹のほうって。

 益々意味がわからない。

 でも、なんとなくヤキモチを妬いているのはわかった。今日も、私のことを考えて行動してくれたという。

 こんなに想われて、私は幸せすぎる。

 この反動で、明日世界が滅んだりしないか、心配になるほどに。

「先生」

「……なんだ」

「名前、呼んでもいいですか」

 思い切って、一歩だけ踏み出した。

 先生は私を下の名前で呼んでくれた……まだ、三回だけだけど。私も、ふたりきりのときは、名前で呼んでみたい。

 返事がないので、怒ったのかと心配になって、振り向くと。

 赤い頬を隠すように口元を押さえて、ぷるぷると震える姫島屋先生がいた。

「ど、どうしたんですか。そんなに嫌でした⁉」

「ち、ちが」

「ち⁉ 血がなんですか⁉」

「ちがう。……そうじゃない。名前か、名前な。……ああ、そうだな」

 よくわからないが、姫島屋先生のなかで葛藤があったらしい。やはり元生徒から名前で呼ばれることに抵抗があるのかもしれないし、急ぐことではないだろう。

「今日はやめときます」

 時間をかけて、関係を深めていけばいい。

 そう思っての言葉だったけれど。

 そわそわしていた姫島屋先生は、急に憮然とした。

 なんで?

 先生の気持ちスイッチのようなものが、私は未だに、わからないままだ。




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