片桐ちゃんは発情期。
本作品はエロ・グロ表現を含みます。
登校中、しゃがんでスマホを構える片桐を見かけた。
彼女は少し変わった噂のあるクラスメイトなのだが、その噂にちなんで、陰では「カントク」と呼ばれている。現場監督でも、試験監督でもない。では映画監督ならどうかと言えば、ちょっと惜しい。
さて制服姿の片桐は、空き地の前でしゃがんでいる。どうやら、何かをスマホのカメラ機能で撮影しているようだった。一見したところ、草の生い茂る空き地はいつも通りの様子……だが。その奥で、何が起きているというのか。
ろくでもない想像は付いていたが、俺は彼女の横で、同じようにしゃがんでみることにした。幸い、始業までは十分に時間がある。
「よお」
声をかけても、片桐はスマホから目を離さない。だが聞こえなかったわけではないらしく、その証拠に口元が僅かに動いた。
「静かに」
被写体に気付かれるから黙れ、ということか。それが何者なのかは、聞くまでもなかった。彼女の視線の先をたどると、なるほど。被写体が判明した。同時に、俺の予想が当たっていたことも知る。蠢く二つの影。
小さくて分かりにくいが、確かにそこでは、情事が繰り広げられているらしかった。
生殖行為。
そりゃ、もう、くんずほぐれつだ。
「朝っぱらからよくやるぜ」
空き地は、通学路から少し離れた位置にある。人目に付きにくいから、その手の話題では有名な場所だった。使用済みの避妊具が落ちていたという話もある。
しかし、だからと言って、
「趣味が悪いぞ」
「うるさい。志斧」
片桐のやつ、舌打ちしやがった。
学校ではあまり目立たない存在である彼女の、「カントク」というあだ名は、つまりそういうこと。男子学生の間では、これまた有名な話だ。片桐に頼み込めば、アダルトビデオを譲ってもらえるとか。はたまた出演歴があるとか、自分で撮ったりもするとか。だからカントク。
まあ実際は噂の域を出ず、本当に頼みにいった勇敢な若者の話は聞いたことがない。これでも片桐は、西洋人形のように整った顔立ちで、さらには人形よりも無愛想なので、そもそも話しかけづらいのだろう。
「もう少し見ていくよ」
俺は対象を刺激しないよう、息を殺して言った。「ここからが面白いんだろう?」
「そうね」
声音だけは何でもない風だったが、明らかに片桐は、感情を高ぶらせているようだった。
これは、おかしな状況になった。
片桐はスマホ越しで、俺は目を凝らして、草むらの中の嬌態を眺めている。クラスメイトの女子と二人きりで、まして早朝からすることではない。よくよく考えてみれば、変な気の一つでも起きそうなものだが、早朝だからか、特に何も感じない。
「なあ片桐」
「なによ」
平坦な中に少量の不機嫌を混ぜて、片桐は呟く。
「小さくてよく見えないんだが、どっちがどっちだ?」
片桐はスマホから視線を外し、信じられないと言った表情になった。が、それも一瞬のことで、すぐに冷徹な科学者――いや、監督か――の眼差しに戻る。スマホの画面を目で示すと、後はずっと画面を凝視していた。
お言葉、というか好意に甘えることにした。顔を近付け、画面を覗き込んでみる。うん、なるほど。よく見える。
さらに片桐は、こっちが女でこっちが男だと、ご丁寧にも順に指さしてくれた。好きなこととなると、彼女の行動はやや豊かになる。ええと、大柄な方が彼女で、後ろから覆い被さっているのが彼氏、と。
「けなげで可愛い」
小さく呟いた。こいつの趣味嗜好は、よくよく分からない。俺はふうんとだけ呟いて、ぼんやりと情交の様子を眺める。
監督兼カメラマンの腕が良いのか、画面越しだと様子がよく分かった。顔つきまではっきり見える。小さな彼が腰を動かす度に、大きな恋人は身を震わせる。それに負けぬよう、彼は暴れ馬を乗りこなすような調子で、彼女を責め立て続ける。
よく見れば彼女の顔立ちは外人風で、彼氏の方は純和風という感じがする。よし、則夫と名付けてやろう。彼女はキャサリンでいいかな。
勝手なことを考えながら、盗み見を続ける。
則夫は優秀なジョッキーのようだ。ツボをよく分かっているのだろう。体格で劣っているはずなのに、うまくキャサリンを手玉にとっている。だがキャサリンも負けていない。隙あらば則夫の身体を掴み、そしてその淫靡で凶暴な口を、舌先を、則夫の肌に這わせようと窺っている。吸い付かれたら最期。則夫は身もだえ、腰砕け、バラバラにされてしまうに違いない。
聞こえはしないが、彼らの荒い息づかいが伝わってくるような、緊迫した取り組みだった。
これは闘いだ。己の技量を振るい、全身全霊をかけて闘う。先に息果てたものが負け、文字通り死を迎える。命を賭した闘い。新しい生命を宿すための、遺伝子を後世に残す聖戦。いや性戦かな?
などとくだらないことを考えていた、その時。
「しおの」
背筋がぞくりとした。舌足らずな声が、鼓膜を撫で回し、脳を濡らした。
片桐は、さっきまでとはかけ離れた表情を浮かべていた。恍惚。頬を赤らめ、荒く息を吐き、瞳を潤ませている。ぎゅうっと、皺が寄るほどスカートを握りしめて、両足をむずむずと動かしている。何かを必死に押さえるように、小さな手に力を込めている。
「しおのっ」
呆けたような笑みを浮かべて、その手を、今度は俺の太ももへ這わせる。スラックスの生地越しにも、彼女の熱い手のひらが感じられた。
撮影してるうちに、その気になったのだろうか。上気した片桐は、その美貌にますますの磨きがかかっていた。クラスの男どもが見たら、1秒だって正気を保っていられないに違いない。艶やかな唇。細い首筋。浮き出た鎖骨。ブレザー越しにはっきりと分かる胸。丸みを帯びた腰つき。スカートから覗く膝小僧――。
だけど、俺は。
「阿呆」
俺は片桐の手に、そっと自分の手を重ねた。熱い身体には、さぞ気持ちよかったろう。冷えた俺の手は。
まるで爬虫類か昆虫のような、冷血な俺の……。
我に返ったように、片桐は手を引っ込めた。動揺したらしく、肩がビクッと跳ねた。瞳は揺れていた。少し、悪いことをしたと思う。
はずみでスマホも落としてしまった。「ばか志斧」と毒づきながら、片桐は慌てて拾いあげる。被写体のことも今思い出したという有様だったのだ。
「あ」
と、再びカメラを覗き込んだ片桐が声を上げた。俺も画面に視線を戻し、同じように驚きの声を上げてしまった。
「則夫ー!」
勝敗はすでに決していた。健闘むなしく、則夫は破れたらしかった。
行為の後、則夫はキャサリンの魔の手から逃れること叶わなかった。がっしりと体躯を掴まれ、頭部を引き千切られたのだ。
キャサリンは無感情な瞳で、則夫の頭を咀嚼している。バリボリと、骨まで残すことなく、凶暴な口と舌で我が子の父親を貪っている。則夫の身体は、司令塔――いや、司令頭――を失ってなお、びくびくと痙攣していた。キャサリンの大腕によって、もはや逃れることは出来ないと見えた。あばらはバキバキになり、尻からは内臓のようなものが飛び出していた。
噂には聞いていたが、まさかこれほど凄惨な光景だとは……。朝からとんでもないものを見てしまった。
気分の悪くなった俺とは対照的に、片桐はいつもの調子を取り戻したようだった。すっかり平坦な口調で、だけど口の端を愉快げに歪ませながら、立ち上がった俺に見送りの言葉をかけた。
「カマキリちゃんは、発情期なの」
それが今朝の会話の中で最も長い発言だったと思い返し、俺は苦笑いしたのだった。
あとがきにかえて
このお話を投稿した日の午後、道を歩いていたら立派なカマキリが目の前に降り立ちました。タイミングの妙に、思わずまじまじと見つめてしまいました。