第三節 悪魔の目覚め
試験的に描き方を変えています。読み辛かったら縦書きにしてみてください。手間をかけてしまい申し訳ありません。
ノーヴァは自宅に戻り、眠りについていた。一人だけで過ごす夜。彼はどうしても、師匠の温もりが忘れられない。少し体が震えているのは、見間違いだろうか。
彼はいつか、ふらっと師匠が帰ってくるのではないかと考えている。確証はないが、彼女の気質を考えれば、十分に可能性はあるだろう、というのが彼の意見だ。しかし、そうやって自分を騙していても、孤独は毎晩襲ってくる。暗闇がノーヴァを侵食してゆくようで、彼はとても怖かった。
ノーヴァの師匠の名前は、アレクシア・トーラ・リンドバーグ。数十年前に突如としてマグナ王国へ来訪し、王国立魔法学園の教授を務めていた。当時、至高の美姫と呼ばれた女性すら嫉妬するほどの人間離れした美貌に、底が見えない魔法技能。国王の求婚を拒絶したという話は、伝説として残っている。ノーヴァは孤児であり、ある日貧民街にふらっと現れたアレクシア・トーラ・リンドバーグ――アレクシアによって拾われ、育てられた。なぜ自分だけを、とノーヴァは聞いたことがある。彼女からの返答は『貴方を野放しにはしておけない』だった。
アレクシアがなぜノーヴァの力を感知していたのかは、ノーヴァも知らない。彼女はノーヴァの力――特異魔法を、暴走しない様に封印した。封印の形式は自己封印。道具などに頼るのではなく、自分自身の力で、絶えず自分を押さえつける仕組みを、アレクシアはノーヴァに埋め込んだ。彼に集中力がないのはこれが原因の一つなのだが、特異魔法は制御が難しく、ノーヴァが扱えばまず間違いなく暴走する、とアレクシアは判断した。
彼女はノーヴァに、魔法の手ほどきをした。しかしその教えはあまり良いものではなく。腕の立つ魔法使いを何人も輩出してきたアレクシアの功績に反して、彼は一向に成長しなかった。――あるいは、アレクシアにノーヴァを成長させる気はなかったのかもしれない。それでも最低限の能力は身についたので、アレクシアは自分が所属する学園に、ノーヴァを入学させる。しかし入学式の日、彼女は突然、マグナ王国から失踪した。何が起こったのか、ノーヴァには知る由もない。手紙の一つも残さず消えたアレクシアが、彼はとても心配だった。
彼女の名を穢さぬように、ノーヴァは学園で必死に魔法を学んだ。しかし自己封印による制約とアレクシアの教えが感覚頼りの適当なものであったが為に、夏頃には成績不振者として、学園から目を付けられることになる。今までずっと見様見真似、感覚頼りで鍛錬してきたノーヴァにとって、『魔法理論』は全くの未知であり、対応しきれないものであった。特異魔法持ちと言う事もあり、ノーヴァはなんとか、退学を免れている。しかしこのままでは、ただの飼い殺し。学園もノーヴァも、事態の解決を求めていた。――そしてそのきっかけは、イデアからではなく、別のところからもたらされた。夢の中、『時間だよ』という謎の声を、ノーヴァは確かに、耳にした。
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ノーヴァは、日の出前に目を覚ました。早朝の王都は未だ静けさに満ちているが、太陽と共に騒がしさが訪れることは間違いないだろう。彼は朝に強い方で、起床から一分もすれば、冷静な思考を取り戻す。――逆に言うと、一分は寝ぼけているというわけで。彼は目の前にいる有り得ないものに、反応を示さなかった。角があって、翼があって、黒い髪をなびかせた、ノーヴァの師匠にも劣らぬ美女。その女性は、そこにいるのがさぞ当たり前のように、ノーヴァの寝顔を見物していた。
「……師匠?」
その泰然とした佇まいに、ノーヴァはアレクシアの姿を幻視する。すると女性は不機嫌そうな表情で、
「あの女と一緒にしないでくれ」
とだけ答えた。その反応を見てようやく、ノーヴァの頭が彼女を認識する。――正確には、彼女の角と翼を認識する。驚きのあまり固まってしまったノーヴァを見て、女性ははぁ、とため息をついた。
「――」
「今更、その反応か。長い間封印されていたから、顔も覚えられていない様だな」
「誰だ、お前は」
がたっ、と跳ね起きるノーヴァ。しかし、ベッドは彼の部屋の隅にあり、逃げ道は殆ど無いに等しかった。女性はそんなノーヴァの行動を見て、苦笑を漏らす。
「おいおい、慌てるな。別に、取って食おうってわけじゃない」
「誰だと聞いている」
ノーヴァが女性のことを警戒しているのはバレバレだ。
「私か? 私は、そうだな。『乖離』とでも呼んでくれ」
「カイリ? 変な名前だな」
「そむき、はなれることの意だ。こんなことも知らんのか」
ノーヴァは知るか、と答えた。女性――カイリはあーっ、と天を仰ぐ。カイリの予想では恐らく、ノーヴァはもう少しだけ頭が良かったのだろう。幻滅するカイリに向けて、ノーヴァが問いかけた。
「それにしても、その角と翼はなんだ。飾りか?」
「そんなわけがあるか。正真正銘、私の角と翼だ」
パタパタと翼を動かして見せるカイリ。勢いよく動かしているのに、不思議と風が起こらない。ノーヴァは翼に目を取られているために、その事実に気づかなかった。
「いやいや、人間にそんなものが生えるわけがない」
「私が人間だと? 面白い冗談だな」
ははは、とカイリは薄笑いを零す。そして彼女は、さも当然のように言った。
「私は悪魔だ。お前たち人間が契約した、『常識外の存在』ってやつさ」
その瞬間、ノーヴァは何か、恐ろしいものの片鱗に触れた感覚に襲われた。目の前の現実が、うまく認識できない。信じられない自分と信じられる自分が、混ざり合っている。
「……悪魔って、確か」
「言ってしまえば、私はお前の中に眠っていたもの、封印されていたものだ。刻限がやってきたから、長い眠りから覚めたというわけさ」
「刻限? なんだそれは」
ノーヴァの頭の中に、いくつもの疑問符が浮かぶ。カイリは話が通じないことで、若干苛立っていた。
彼女としては、刻限の意味くらい、魔法使いなら知っていて当然だったのだ。しかしノーヴァは――この時代の魔法使いは、昔から受け継がれていた、多くのことを忘れてしまった。
「刻限というのは、その名の通り世界の刻限だ。言い換えれば、もうすぐ世界は滅びる、と言う事だな」
「世界が滅ぶって? 一体、なぜ」
「私みたいな存在が、世界を滅茶苦茶にするから」
そう言ったカイリの顔は、罪悪感など全く感じていないようだった。興奮もしていない。彼女にとっては、それが当たり前のことであったのだ。ノーヴァとカイリの常識は、あまりにもかけ離れている。先ほどから何度も、ノーヴァはそれを感じていた。
「何故か、って聞きたいだろう。本来なら教える義理もないんだが、今日は久しぶりの覚醒で気分がいい。特別に教えてやろう。
私たち悪魔は、現実には存在していない。今お前が見ている『私』は、幻覚だ。私たちは、幻を現実のものにする魔力がなくては、現実に存在できない。だから私たちは、現実を侵食して、自分たちの存在を確立するんだ」
「現実を侵食するって、どうやって」
「そうだな。私の魔法でいえば、世界から現実を切り離す」
「現実を、切り離す?」
ノーヴァには、言葉の意味が理解できない。彼の知る魔法では、世界から現実など切り離すことができない。――そもそも、世界と現実の違いを、ノーヴァは理解していなかった。
「そうだな。……例えば、本があるとする。この世界は本そのもので、現実は本に記された文字だ。私はこの状況で、本と文字を分離する。文字は本が無ければ存在できないから、自然に形が崩れ、やがては消滅してしまう。そして、文字が無くなった白紙の本に、私たち悪魔が好き勝手に書き込めるようになる」
「例えがよくわからない。もう少し簡単に頼む」
「これではわからんか……。要は、私達が好き勝手にするために邪魔なものを、この世界から切り離す、と言う事だ。これを切り離すと、お前たちは消滅する」
「何でだ、それは」
「……そういうものだと覚えておけ。取り敢えず、私の魔法は、世界を破滅させる」
そう言うものだと暗記しなさい、と言う言葉を、ノーヴァは思い出した。どうやら、彼女の言う事はノーヴァには理解できないものであるらしい。
「そこまで説明していいのか」
「自慢くらい良いだろう。これ程大きな力を持っているというのに、今まで封印されていたせいで全く使えなかったんだ」
カイナは残念そうにぼやく。「というか、今でも使えない」
「今でも?」とノーヴァは聞き返す。
「私は目覚めただけで、私の力を封じている、封印は健在なんだ。だから私は、自分の魔法を使うことができない」
「なるほど。……となると、お前は俺が封印を解くように誘導する必要があるんだな」
「それできたら苦労はないさ」とカイリは首を振る。「あの女ーーアレクシアがお前に施した封印はお前にしか解けず、さらに誰かや何かに唆されたお前が解くことはできない。……流石にここまでされれば、私には手の施しようがないね」
ノーヴァが思っているよりもずっと、彼に施された封印は強力なものだった。どんな人も、悪魔も、彼の封印に触れることはできない。彼の封印を解くのは、彼自身でなくてはならない。
「では、お前が世界を滅ぼすことはないと?」ノーヴァは尋ねた。「俺が封印を解かない限り、世界は破滅しないということだな」
「いや、そうでもない」とカイリは答える。「確かに私は、このままでは世界を滅せない。ーーしかし、悪魔は私だけではない。刻限が来たことによって、この世界にて眠っていた、多くの悪魔が目覚めたことだろう。彼らもまた、世界を滅ぼそうとするはずだ」
ノーヴァは、どうしていいのかわからなくなった。頭を抱えて、ベッドに蹲る。
「まぁ、私は若干他の奴らとは違う。進んで世界を滅ぼそうとは思っていない」カイリがそう言うと、ノーヴァがガバッと顔を上げた。「どう言うことだ?」
「悪魔の中にも、ただ暴れたい奴とか、人の役に立ちたいやつとか、色々と変な奴がいるんだ。私もそっち側で、この世界の行く末を見ていられればそれでいいと思っている」
「では、お前は敵ではないと」
「敵か味方かで言えば、味方の部類には入る」
そうか、とノーヴァは喜色を浮かべるが、すぐにハッとなって表情を険しくする。「いや、確証がない」
「そうか。まぁ普通の反応だとそうなるだろう。
……わかった。では私は、お前に助言を与えることとしよう」
「助言?」とノーヴァは聞き返す。カイリはいかにも賢そうなオーラを出しながら、こう答えた。
「あぁ。君の生活が豊かになるよう、ささやかだが協力させてもらう事にする。
……それで、最初の助言だが。今、何時だと思う?」
その助言は、とても効果的だった。ノーヴァは部屋の時計を見て、今すぐ出なければ学校に遅刻すると理解する。
「ーーやばい!」
抱えていた疑問。感じていた不安を全て放り投げて、彼は制服に着替え家を飛び出した。