- 合戦 -
翌朝。
まだ寝ているビットブルガーを起こさないようにそおっと着替えた私は、静かにビットブルガーの部屋を出て、こっそりと自分の部屋に戻る。
奇跡的にも通路では誰にも会わず、自分の部屋に着くことができた。あとはこのまま部屋に入るだけ……
だったのだが、このタイミングで、隣のヘレスさんが部屋から出てきてしまう。
「サオリ殿、ここで何をしているのです?」
まずい。私はとっさに返す。
「ああ、いや、昨日お風呂に入ってないから、行こうかなあって思ってたら、着替えを持っていくのを忘れちゃって……」
「昨夜はお疲れの様子でしたから、やはりお風呂には行ってなかったんですね」
とりあえず、こんな適当な言い訳で納得された模様。
「じゃあ、私も浴場へ行きます」
「へ? ヘレスさんもお風呂いくの?」
「私も昨日、疲れてそのまま寝てしまったので、入浴はまだなのです。一緒に参りましょう」
ということで、2人揃って朝風呂に行く。
それにしても、昨日のことは感づかれてはいないのだろうか?
そもそも、酔いが冷めているにもかかわらず、半ば強引にビットブルガーさんの部屋に押しかけてしまった。どう考えてもあれは「軽率」だった。
どうして、あんな行動をとったのだろうか? 自分でもよく分からない。先日の失恋の反動なのか、それともあの宴会で口説いてきたビットブルガーに心を許してしまいたくなったのか。
昨日の出来事に後ろめたさを感じつつ、ヘレスさんと共に風呂場に行く私。エレベーターに乗り、風呂場のある階に向かう。
「ところでサオリ殿」
「はい!」
「……どうされました? 大きな声を出して」
「あ、いや、ちょっとぼーっとしてただけなの。大丈夫ですよ。うん」
「そうですか。で、サオリ殿。この艦は明後日、宇宙に向けて出発することになったそうですよ」
「 えっ!? これ、宇宙に行くの」
「これでも宇宙艦隊の戦闘艦ですからね、宇宙に行くのは当然です。そろそろ補給を受けなくてはならないため、一度、大気圏外に出ないといけないんですよ」
「へえ、そうなんだ。そういえばこれ、宇宙船だったわ」
この星では、宇宙といえば選りすぐりのエリートが、血の滲むような訓練を受けて、しかも打ち上げ時にものすごい加速度に耐えながら行くものと相場が決まっている。なのにこちらはあっさりと宇宙に行きます、で済んでしまう。なんというギャップだろうか。
そういえば、この宇宙船が宇宙に行くときには避けられない、あのものすごい加速度はどうしているんだろうか? 正直言って、ヘレスさんがバリバリに訓練を受けているようには見えない。重力の3倍だか4倍だかの荷重がかかったら、こんな華奢な身体では、さすがに耐えられない気がする。
いや、そもそもこの船の中はとても加速度に耐えられるような配置になっていない。部屋の中の机なんて、ただ部屋の中にポンと置いてあるだけだし、食堂もテーブルや椅子が固定されていないから、打ち上げの衝撃が加わればすぐに吹っ飛んでいきそうだ。
一体どうなっているのだろうか、この船は。なにか特別な仕掛けがあるのだろうか? 気になる。
などと考えていたら、お風呂場についた。脱衣所で服を脱ぎ、あの自動身体洗い機の前に立つ。
いつものように機械的にごしごしと体を洗ってもらう。楽なのだけれど、なんだかちょっとわびしいこの機械。さっと洗った後は、湯船に入る。いつもは私がヘレスさんに話しかけるのだが、今日は珍しくヘレスさんから話しかけられた。
「サオリ殿。好きな男の人には、どうやって自分の想いを伝えればいいのですか?」
なんだ急に? いつものヘレスさんらしからぬ発言だ。
「あの……急にどうしちゃったの?」
「サオリ殿ならば、男慣れしているのではないかと思ったので、失礼ながらお聞きしたい。一体、どのようにすれば男性は女性に振り向くのですか?」
「いやあ……私だってよくわからないよ……だいたい私は男からふられてるし」
「そうでしょうか? 昨晩のあのような行動、私などはさすがだと感服いたしました」
あれ……もしかして昨晩、やつの部屋にいたことがばれているのだろうか? ヘレスさん、私の顔をじーっとにらむように見つめている。
「いや、昨晩は私、そんなつもりはなくって…」
「そんなつもりがなくて、あのようなことができるとは! 私などには到底できません!」
うわぁ……間違いない。絶対ばれてる。私は恥ずかしさのあまり、その場に倒れそうになった。
「あのとき、シンジ殿と私が会話できるようにうまく誘導したあの見事な話術、今まで私はあのような話術を見たことがありません。サオリ殿がいらっしゃらなければ、私はシンジ殿と話すことなどできませんでした。本当に、サオリ殿には感謝しているのです」
……あ、そっちの話。なんだ。私の考え過ぎだった。
「いえ、あれは大久伝川の合戦の話に、シンジが反応しただけで、話術という程のものじゃないよ。でもほんとに、シンジと話ができてよかったよね」
「はい、私が初めて心許せる男性です。それまでの私は、男など全て敵だ獣だと思って生き続けてきたので、彼との出会いは、間違いなく私の人生を大きく変える出来事でした」
やはりへレスさんの境遇について、一度じっくり聞いてみたい気がする。どういう環境に置かれたらこうなるのだろうか? とても気になる。
「やはり、あの合戦のことで盛り上がったの?」
「はい、ですがシンジ殿、謙虚でありながら、それでいて正確で膨大な知識をお持ちの方。あれほどの男性がこの世にいるなどとは、思ったこともありませんでした」
「へえ、でも、シンジの方はどうだったの?」
「はい、私の手を握って、一緒に資料館へ行こうと誘ってくださいました。ですが、それっきりです」
なんだ、あのシンジが手を握るとは、あっちもへレスさんのこと気に入ってるんじゃないか。これはどう見ても、すでに両想いだろう。なのになぜ、これ以上男性の気を引く方法など必要だと言うのだ?
「ですから私、一体どうすればあの方の気を引くことが可能なのでしょうか?」
いや、だからすでに気を引くことには成功していると思うんだけど。でも、どうやらヘレスさんにはその自覚がないらしい。初心過ぎるへレスさんに、私はこう応えた。
「何度か会えば、おのずと相手もヘレスさんのことを気に入ってくれるはずだよ。そんな気がする。だから、今は素直にシンジと向き合っていればいいんじゃないかな」
「素直に……ですか。分かりました。では、素直に接してみることにします」
そういうとヘレスさん、がばっと風呂から出て言った。
「サオリ殿。私は昨日の宴会に参加できて良かったです。世界がこのように広く深いものだとは知りませんでした。誘ってくれたサオリ殿には本当に感謝致します」
「あ、いや、いいのよ。私だって楽しんだだけだから」
あの居酒屋も、商店街も、それに相手をしたシンジも、この宇宙に比べればたいして広い世界とは言えないけれど、ヘレスさんにとってそれは、深い場所だったようだ。にしてもヘレスさん、このような人格を形成するのにどういう生活を歩んできたのか、私の世界を広げるためにぜひ知りたいものだ。
お風呂から上がり、2人で食事に向かう。食堂にはビットブルガーがいた。
「やあ、サオリ。どこ行ってたの?」
一晩を共に過ごしただけなのに、この男は私に急に馴れ馴れしくなった。私は不機嫌そうに応える。
「お風呂よ、お風呂。昨日は入れなかったから、ヘレスさんと一緒に入ってきたのよ」
「へえ、そうだったの。そういえば、昨日は入れなかったよね、お風呂」
「そうよ、まったく……」
その会話を聞いて、ヘレスさんが突っ込む。
「なぜビットブルガー中尉は、サオリ殿がお風呂に入っていないと知っているのですか?」
ヘレスさん、いきなり核心を突いてきた。ああもう、ビットブルガーめ、どうすんのよ、これ。
「ああ、いや、昨日部屋まで送っていったら、疲れた様子で何も言わずに入っていったから、多分そのまま寝たのだろうって思ってね」
「そうですか。そういえば昨日は、中尉殿がサオリ殿を抱えて歩いてましたね」
危ない危ない。馬鹿正直男にしてはナイスなフォローで、その場をなんとか切り抜ける。
相変わらずバター漬けのあの黒パンを食べるビットブルガー。毎日ビットブルガーが美味そうに食べる姿を見て、私もそれを頂くことにした。
「このブレートヒェンは、なるべく真ん中の方にバターを塗るといいよ。こんな感じに」
「こんな感じって言われても、あんたのパンはすでに全体がベタベタじゃないのよ。全然参考にならないわ。全く……」
私は持ってきたパンを持つ。バターを塗りやすくするためか、パンは少し熱くなっている。端をちぎってバターを塗り、一口食べてみた。
ああ、これはライ麦パンだ。そういう味がする。少し密度が高めで、見た目通り硬い。でも、悪くはない。
バターの方は、少し柔らかくて甘い。これ本当にバターか? バターっていうのはもっと固めで、かつ甘みなどないはずだ。砂糖でも混ざっているのだろうか?
「砂糖? いや、そんなものは入ってないよ。ここのバターはそういう味だよ」
「そうなの? ふうん、でも不思議な味ね」
毎日これを食べろと言われたら困るが、たまに食べるには美味しい、そういうパンだった。
その日の昼は、昨日の分の「観察ノート」を書き上げて、夕方になってから街に繰り出す。昨日の面子を連れて、シホ達と合流するためだ。待ち合わせ場所は、商店街の入り口。
各自、21時まで行動して再びここに集合することになった。4組のペアが、それぞれ行動を開始する。
私はビットブルガー担当。そういえば今まであまり聞いたことがないのだが、ビットブルガーはどんな場所が好きなのだろうか?
「あんたさ、行きたい場所や興味のあるものって、何かあるの?」
「もちろんあるよ。ねえ、こういうのって、この星にもあるのかな?」
そう言ってスマホを取り出し私に見せてくれたのは、何かの紋章の写真だった。
「何これ? 紋章か何か?」
「そう。昔の屋敷や、お城の門などについているやつ。こういう紋章の写真を集めるのが趣味なんだ」
「へえ、これ全部、地球399のものなの?」
「そうだよ。うちの近くや、別の王国のものもいくつか集めたんだ。あ、これはピルスナーの家にあった紋章で、そしてこっちがうちのやつね」
そう言ってビットブルガーが見せてくれたのは、獅子のようなものが描かれた盾に、剣と槍がクロスしている紋章だった。
「へえ~、ビットブルガーの家にもこんな紋章がついてるんだ……って、ちょっと待って! 紋章がある家って一体どんな家なのよ!?」
「ああ、うちは子爵家だよ。400年続くドルツ王国のドゥンケル子爵家の次男なんだよ」
「ええっ! あんたもしかして、貴族だったの!?」
なんてことだ。衝撃的な事実をたった今、知った。黒パンにバターを滴るほど塗りつける品のない食べ方をするこの男が、貴族だって?
「で、あんたさ、いつから貴族だったのよ……」
「いやあ……そりゃあもちろん、生まれた時から貴族だよ」
そりゃそうだ。動揺して、ついうっかり変なことを聞いてしまった。
「じゃあ、なんだってあんた、軍隊に入ってるのよ!?」
「ピルスナーも言ってたでしょう、貴族の家というのは長男が継ぐものから、その長男が健在である限り、次男以降はお払い箱。体良く『星に尽くせ』と言われて、軍学校に入る人が多いんだよ」
「はあ? それでいいの、あんたは」
「まあ、そういう伝統だからしょうがないし」
「でもさ、せっかく貴族に生まれたのに、次男だからって何にも残らないなんて、なんだか不憫だよ」
「そう思ってくれるサオリがいるだけで、私は幸せだよ」
そう言いながら肩を抱き寄せるビットブルガー。こんなところで調子がいいことを言ってくれる。どうしてくれるんだ、ますます惚れてしまうじゃないか。
さて、話を紋章に戻す。紋章をつけた家など、この辺りにはない。ただし、そういうものがたくさんあるいい場所を知っている。
そこで私はビットブルガーを連れて、商店街のあるお店に連れて行った。そこはとある土産物屋。店の奥に、その場所はあった。
「うわぁ、紋章がいっぱい! なにここ?」
「ここでは『家紋』て言うんだけどね。300年前の戦乱時代、全国にいた主な武将の家紋を、こうして商品にして売ってるのよ」
「へえ~、ハンカチにキーホルダー、この額縁には家紋がたくさん並んでいるし。面白いなあ、ここ」
ビットブルガーは大喜びだ。一箇所にこれほどの家紋が集まる店などそうそうない。ここは歴史マニアご用達のお店。噂には聞いていたが、私も来るのは初めてだ。
で、家紋がたくさん載っているポスターを買うことにした。嬉しそうなビットブルガーに、そこの店主も話しかけてくる。
「お客さん、嬉しそうだね。そんなに家紋が好きなのかい」
「ええ、こういう紋章を集めるのが大好きなんです。うちの星には、こんなにたくさんの紋章を集めた商品を売っている店はないですからね」
「えっ? 星?」
まさか相手が宇宙人だとは思わなかったようだ。そこでこの店主に、あの船から来たという話をする。
「ふうん、そうなんだ。でもその地球399って星の人にとっては、ここは珍しいのかねぇ」
「人によりますけど、私は気に入りました。また来ますよ」
「いいよ、また来てよ。私もまさか生きているうちに宇宙人相手に商売をすることになるとは、思ってもいなかったよ」
などという話を店主をしていると、別の客がやって来た。
「……でね、ここは珍しいお店なんだよ。ここには大久伝川の合戦以外にもいろいろと揃っててね」
「あ!」
私はつい声が出てしまった。その客は、シンジとヘレスさんだった。
「あれ、サオリ殿、こんなところで何をしてるのですか?」
「いやあ、こいつが紋章集めしてるっていうから、ここに来たのよ」
「ああ、そうですね。ここには家紋がたくさんあるので有名ですからね。他にも全国の武将のグッズが充実しててですね……」
シンジのやつ、自分のテリトリーだけに、うざいぐらいに説明してくれる。でも、そんなシンジの話をうっとりとした表情で聞いているヘレスさん。間違いなく、この2人は相性がいい。
それにしてもシンジ、このヘレスさんのことが本当に好きなようだ。いつもは会社で仕事以外に話す相手もほとんどなく、黙って1人で帰ることが多いシンジ。そのシンジがここまで饒舌になるとは。ヘレスさんという女性は、そんなシンジのもとに舞い降りた、まさに天使のような存在だろう。やや機械仕掛けな天使ではあるが。
で、時間はあっという間に21時になり、お別れの時間だ。私は、機械仕掛けな天使と貴族2人、それにチャラ男と共に駆逐艦に帰る。
「ピルスナー様、いつかは私の家にご招待いたします。それまで、お元気で」
「はい、リョウコ殿、楽しみにしております」
もう一人の貴族とお嬢様は、名残惜しそうに別れの挨拶をしている。この二人、いかにも上流階級な雰囲気だ。
一応、ビットブルガーも上流階級なんだけどなあ……こいつからは、あの雰囲気が感じられない。家柄と風格というものは、無関係なのだろうか?
「じゃあ、またね、シュパーテンさん」
「ではシホ殿、次は今度はベッドの上で」
「何言ってんのよ! そんなに軽くないわよ、私は」
う……と、いうことは私はやっぱり、軽いのかな? シホとシュパーテンさんの会話に、いちいち反応する私。
シンジとヘレスさんも、名残惜しそうに話しているのが見える。よく考えたら、私だけがこの中でペアと一緒の場所に帰れるのだ。これはきっと、幸せなことなのだろう。
そういえばあの船が来て、もう1週間が経つ。宇宙人に対する世間の反応はまだ懐疑的なものが多いようだが、今の我々を見れば、いずれ打ち解けていくはずだ。
そして翌々日、この駆逐艦は補給のために宇宙に出る日がやって来た。航海は1週間ほどの予定。宇宙に行って戦艦に寄港し、補給を受けて再びここに返ってくることになっている。
宇宙に出る直前、私はエノキダ外交官と会う。会議室にて、ここ数日間の宇宙人観察ノートを手渡した。それをパラパラとめくって一読する外交官殿。
「うーん、なかなか面白いな。彼らの思想や背景がよく分かる。あの星には、貴族制度というものもあるのだな」
「はい、意外と多いらしいですよ。貴族出身の士官。私が知る限りでは2人ですが、1万隻の船がありますからね。一体何人の貴族がいることか」
「そうだな。それはそうと、これから宇宙に行くのだろう。艦長には、君がこの国の代表だと話しておいた。そういうことで、よろしく頼む」
「はい……えっ!? 代表?」
聞けば、戦艦に寄港中、あちらの人達に会うことになっているそうだ。どおりで、行って帰ってくるだけで1週間もかかると思った。そういう面会の時間もあったのね。
しかし、急に代表などと言われても、私にたいしたことができるわけがない。前から思うのだがこの外交官、私にあれこれと期待と負担をかけ過ぎではないだろうか?
そんな思いとは裏腹に、私は宇宙に向かうことになった。ビットブルガーと共に、私は艦橋に入る。
ここに入るのは初めてだ。正面には大きな窓があり、眼下には大久伝川が見える。その窓の手前に、だいたい20人ほどの乗員が座っている。それぞれ、レーダーサイトのような画面や、カメラ映像、数字の一覧のようなものが表示されている目の前のディスプレイを見ていた。
私は、艦長に座る一段高い椅子の横に用意された客人用の椅子に座る。その横に、私の「世話係」ビットブルガーが立った。
「機関始動、出力3パーセント。第1、第2機関、共に正常。問題なし」
「艦隊司令部より返信、『駆逐艦5137号艦の離陸を許可する』です」
「この星の航空管制より通信です。こちらからも、離陸を許可する、貴艦の航海の無事を祈る、とのことです」
「了解、航空管制に返信、『離陸許可に感謝する、これより当艦は離陸する』と」
「周囲10キロ以内に機影無し、進路クリア」
「離陸準備、完了しました!」
「了解した。ではこれより当艦は発進する。両舷、微速上昇!」
「機関出力10パーセント、両舷微速上昇!」
いつもの雰囲気とはまるで違う、ピリピリとしたやりとりがなされる艦橋。やはり彼らは、訓練を受けた軍人だ。私だけが、この中では浮いた存在である。
この船はゆっくりと上昇する。修理されたエンジンで、この船もやっと宇宙に旅立てるようになったのだ。
そういえば、宇宙に行く際はものすごい加速がかかるんじゃなかったっけ? 私の椅子はどう見ても固定されておらず吹っ飛びそうだし、ビットブルガーに至っては突っ立っている。大丈夫なのだろうか? 私は小声でビットブルガーに聞いてみる。
「ねえ、ちょっと」
「なに?」
「宇宙に出るときって、ものすごい加速するんじゃないの?」
「するよ。秒速300キロ程度まで一気に加速して……」
「いやいや、そんなに加速したら、この椅子は吹っ飛んで、私なんてすぐに気絶しちゃうじゃないの! 大丈夫なの!?」
「大丈夫だって、慣性制御っていうのがあるから」
聞けば、慣性制御という、その加速度の衝撃を打ち消してくれるという仕組みがあるんだそうだ。だから、この艦内の人のいる場所は全てこの慣性制御のおかげで、加速中も普通に過ごすことができるという。
さらに、宇宙に出ても慣性制御というやつが重力を作ってくれるため、無重力でふわふわと浮き上がることがない。宇宙でも、地上と同じ生活をすることができる。やはり宇宙人だけに、そういうものをちゃんと持っているんだ。
どんどん上昇する駆逐艦5137号艦。ちなみにこの5137号艦というのは、地球399の遠征艦隊の5137番目の駆逐艦という意味だそうだ。数が多すぎて、駆逐艦は番号でしか呼んでもらえないらしい。
それじゃああまりにも不憫だということで、この艦内では無線通信の時などの仲間内のコールサインで、この駆逐艦5137号艦のことを「ブレートヒェン」と呼んでいるそうだ。これはあの硬くて黒いライ麦パンの名前。それだけ皆、あのパンのことが好きなのだろうか? いや、その前になぜこの大きな船に食べ物の名前を付ける?
で、このバカでかい灰色のライ麦パンは、結構高いところに到達する。そこは宇宙の境目だというが、空はもう真っ暗で、その下に大気の青い層が薄っすらと見える。
「規定高度、4万メートルに到達!」
「前方、300万キロ先まで障害物無し! 進路クリア!」
あ、今のは長距離レーダー担当のヘレスさんの声だ。さすがは軍人、ピリッとした声で状況報告しているなぁ。
「艦長、大気圏離脱準備完了しました!」
「よし、ではこれより大気圏離脱を開始する。機関最大、両舷前進一杯」
「機関最大! 両舷前進いっぱーい!」
この艦長と航海士のやり取りののち、急にこの艦橋内の雰囲気が変わる。
なんていうか、騒がしくなった。まるで地下鉄の電車がホームに一度に何台も入ってきたような、ゴォーっというけたたましい大きな音が響き渡る。
それと共に、私の椅子がびりびりと揺れる。窓を見ると、すごい速度で景色が流れていく。なにこれ、もの凄い加速してるんじゃないの?
だが揺れは大きいものの、後ろに吹っ飛ばされることなく座っていられる。旅客機だってもう少しシートに押し付けられるものだが、あれだけの速度を出しながらこの程度で済んでいるのだ。素人の私でさえ、これがすごい技術だと分かる。
だが、それにしてもうるさい。耳を塞いでも、頭の中までビリビリと響いてくる音だ。これほど大きな音だというのに、どうして皆、平気でいられるのか?
などと私一人が悪戦苦闘しているうちに、あっという間に真っ暗な空間に飛び出した。ああ、ここは宇宙だ。とうとう宇宙についてしまった。
私の星では、宇宙に行った人間はまだ100人といない。ところがその一人に、図らずもこんな私が加わってしまった。つい先日まで満員電車に揺られて商社に通うだけの、入社2年目のごく平凡な会社員である私が、いきなり宇宙飛行士である。目の前の真っ暗闇を見ながら、私はそう考えた。
だが、慣性制御のおかげで、ふわふわと浮かんだりしない。まるで地上にいるときと同じで重力を感じる。素晴らしい技術だ。改めてこの船が優れた宇宙船だということを痛感させられた。
しばらくすると、艦内は静かになった。どうやら、軌道に乗ったらしい。窓の外はすっかり真っ暗だ。後方を映しているカメラの映像を表示するモニターがあったので、それを覗き見て私は愕然とする。
そこには、青くて丸い地球が映っていた。地球は青いと言った宇宙飛行士がいたが、本当に青い。だが、その青い地球はずいぶんと小さくなっていた。こうして見ている間にも、みるみる遠ざかっていく。私のいた街、国、いや、星がどんどんと離れていく。
「安定軌道に乗ったようですよ、サオリさん。そろそろ、お食事に行きませんか?」
私が自分の星との別れに心揺らいでいるこのときに、なぜこの男はご飯の話をするのだろうか? そういう想いを、彼らは感じたことがないのだろうか?
でも宇宙人にとっては、宇宙空間に出ること自体がたいしたことではないのだろう。思えば、彼らの故郷は私の星よりもはるかに遠い、200光年も先にあるのだ。
地球から離れて、ちょっと寂しい気分でいる時に、食堂にはあのチャラ男がいる。
「サオリ殿! どうしたんです? しょんぼりしちゃって」
「別に、関係ないでしょ!」
ついつい冷たくあしらってしまった。私は手打ちうどんを注文して、そのまま席に座って黙々と食べ始める。ビットブルガーが、心配そうに私に話しかける。
「サオリ、本当に大丈夫? なんだかちょっとピリピリしてるよ」
「大丈夫よ。ただ、自分の星があんなに遠くなったのを見たので、ちょっとショックを受けていただけのこと。すぐに立ち直るわよ」
「そういえばさ、この星の人って、自分の星からどこまで離れたことがあるの?」
「そうね、月っていう、この星の衛星があるじゃない。あそこが、うちの星で人間が一番遠くにたどり着いた場所よ」
「そう、じゃあ今は、サオリが一番遠くにたどり着いた人間ってことになるね」
「えっ!? じゃあ、月は……」
「食堂に来る前に、もう通り過ぎたよ。もうすぐこの星系の第4惑星軌道に到達するころだね」
なんと、私がこうしてうどんをすすっている間に、私はこの星で最も遠くまで旅した人間になってしまった。なんてことだ。
第4惑星というのは、我々が「火星」と呼ぶ星のことだろう。もうすぐその惑星の軌道を通過してしまうらしい。火星に人類を送り込むために新しい宇宙船を作ってるとかどうとかいった話をしていた気がするが、そんな場所に私は、まるで大久手川の遊覧船の感覚で辿り着いてしまった。もうそんなに遠くに来てしまったのか。そこを通り越して、たくさんの小惑星のある「小惑星帯」まで行くそうだ。
途中で300隻の駆逐艦小隊と合流する。その300隻と共に1万隻もの遠征艦隊と合流し、そこで補給を受ける。
私はそこで、この星の代表者として何人かの人と接触することになっている。一体、誰と会うのかと聞いてみたら、政府関係者、企業の代表、その他もろもろ、地球399で私の星に進出しようと考えている人々と会うことになっているそうだ。
ひえぇ……そんな凄い人々と会うことになるの? 私。いいのかなぁ、私、入社2年目の普通の商社の平社員だよ? もっとお気楽な宇宙の旅を描いていたのに、なんだってそんな緊張する場所に行かなきゃならないのよ。
地球から離れた寂しさと、要人に会うというプレッシャーで、少し憂鬱な気分でうどんをすする私。
だがそこに突然、けたたましい音が鳴り響いた。
一体これはなんだろうか? ビーッという警報音のような音が鳴り続ける。しばらくすると、艦長の声で放送が入る。
『達する、艦長のラーデベルガーだ。艦隊司令部より通信、アステロイドベルト外縁部、艦隊主力より約2000万キロ先に敵艦隊発見の報が入った。5時間後に接触の予定、我々は艦隊主力に合流し、戦闘に参加する。艦内哨戒、第1配備! 各員、戦闘準備!』
急に艦内が騒がしくなる。あのチャラ男のシュパーテンさんも、この放送を聞いて慌てて食事を終え、走り出す。私も食器を片づけて、ビットブルガーと共に艦橋に向かう。
「敵艦隊捕捉! 1時の方向、距離2000万キロ。3列横陣形にて進軍中の模様。艦隊主力とはあと5時間後に会敵の見込み!」
艦橋内では、敵艦隊の位置を知らせるへレスさんの声が響いている。皆すでに臨戦態勢のようで、各々が何かを艦長に報告している。
「小隊司令部より入電、電波管制開始、近接通信と指向性通信以外の電波機器をすべて遮断せよ、とのことです」
「了解した。ただいまより、電波管制、開始」
いくつかのディスプレイが真っ暗になった。へレスさんの担当する長距離レーダーも、この電波管制というやつで使えなくなってしまったようだ。
大きなディスプレイには、敵味方の艦隊の陣形が映されている。横に広がる2つの集団が、どんどんと接近しているようだ。
この両者の距離が30万キロまで近づくとお互いの主砲の射程距離に入るため、両者の戦闘がはじまるそうだ。まだ両者は1000万キロ以上離れており、戦闘までまだ時間はあるとのこと。ただし、敵は後退する気配もなく、こちらに進軍中、戦闘は避けられそうにないようだ。私は不安になって、ビットブルガーに聞いてみた。
「あのさ、戦闘になると、どうなるのよ」
「うーん、それが私にもわからないよ。なにせ戦闘経験がないからね……」
「もう、あんたそれでも軍人なの!? しっかりしてよ!」
だめだ、この子爵の次男はまるで役に立たない。でも、このままでは私、軍人でもないのに戦闘に巻き込まれてしまうようだ。
戦闘ということは、下手をすれば死ぬってことでしょう? 100万エンの電子マネーぐらいじゃ、元が取れないほどのブラック職場じゃないのよ。なんだって私が代表者なのよ。外交官め、私が死んだらどうしてくれるのよ。
そんなことばかり考えていたら、突然へレスさんが立ち上がって、艦長に向かって言った。
「へレス少尉、意見具申!」
あまりしゃべりかけることのないへレスさんが突然口を開いたものだから、艦長は驚いた様子だ。
「意見具申、許可する。どうした、へレス少尉」
「はい。我が小艦隊の戦術上の策について、妙案があります」
「なんだ、妙案とは」
「はい、あの星で『大久伝流し』と呼ばれる策です」
「お……大久伝流し!?」
「はい、300年前のことですが…」
へレス少尉、大久伝川で行われた8度目の大合戦の、丸太を流して敵を混乱させたというあの話を、艦長に説いていた。
「……で、それがどうしたのだ。まさかそれを参考に、敵艦隊の横に丸太を流せというのではあるまいな」
「いえ、この合戦は、要するに敵側面から意表を突くことで混乱に陥れた策です。この故事にならい、小官は丸太の代わりに『眩光弾』の使用を進言いたします。これを使って……」
そこから先は正直、軍事的な用語ばかりで何を言っているのかわからない。だが、どうやら聞くべきところがあったようで、艦長はうなずいて応える。
「なるほど、確かに有効かもしれない。小艦隊にとっては、多少リスクはあるものの、うまくタイミングが合えば、敵をかく乱できるかもしれないな。分かった、少尉の意見、直ちに小艦隊司令に具申してみる」
かくして、軍事史オタクのレーダー担当の案が、すぐさま小艦隊司令っていうところに伝えられる。
ところで、小艦隊司令って何だろうか? ビットブルガーによれば、駆逐艦300隻で1つの小隊というのが、宇宙での彼らの編成らしい。さらに10隻ごとに「戦隊」と呼ばれる編成が組まれており、下一桁が0(ゼロ)の駆逐艦の艦長が、その戦隊のリーダー、戦隊長を務めるという。この駆逐艦5173号艦の場合は、駆逐艦5180号艦の艦長が戦隊長を務める戦隊に属するという。
……ちょっと待って。そういえば今、ここに300隻もの駆逐艦がいるってことよね? そう思って、私は窓の方に歩み寄って外を見た。
真横には、無数の駆逐艦がずらりと並んでいた。前ばかり見ていて気付かなかったが、すでに300隻の船と共に宇宙を飛んでいたのだ。
それにしても、ずーっと同じ形の駆逐艦が並んでいる。これ、本当に300隻なの? なんだかもっとたくさん並んでいるように見える。とてもこれが「小隊」だなんて、信じられない。
やがて、艦橋にはへレス少尉の提案した作戦を実行する旨が知らされた。艦隊司令部からの決定だという。なんと、軍事史オタクの意見が、1万隻もの艦隊を動かす司令部を動かした。なんてことだ。でも、私とたいして歳の変わらない女性士官の意見をもとに、1万隻もの船を動かしちゃって大丈夫なのだろうか? 私はこの艦隊に、少し不安を覚える。
外を見たが、目の前には真っ暗な闇が広がるだけで、敵なんてどこにいるのか分からない。しばらく、その真っ暗闇をただ進むだけの時間が過ぎる。
だが、その暗闇の向こうには、彼らのいう敵がいるのだ。見えない敵を前にして、何もすることがない私。これは、かなりストレスだ。お腹が痛くなる。
だが、艦橋内はそんな私に構っていられない様子。電波管制中のため、レーダーサイトには何も映っていないが、どこからか敵味方の艦隊位置情報が送られてきて、大型ディスプレイに映し出されている。これを見ているしか、私にはすることがなかった。
しばらくすると、艦長から「船外服着用」が命令された。ワゴンに入れて艦橋に運び込まれた船外服、要するにこれは宇宙服だ。宇宙に投げ出されても、これさえ着ていれば7時間は生きていられるらしい。でもこれって、宇宙に投げ出される危険があるってことでしょ? いよいよやばい戦闘が迫っていることを実感させられる。
その暑苦しい船外服を着たあたりから、艦橋内がまた一段とあわただしくなってきた。乗員の言葉からは、戦闘が目前であることを知らされる。
「敵艦隊位置、我が艦隊主力の前方35万キロ! あと10分で、射程内に入ります!」
「我が小隊は、敵艦隊左後方30万キロ! こちらは、射程内に入りました!」
「小隊司令部から入電! 全艦、雷撃戦用意! 『丸太作戦』開始に備え、です!」
それまで黙って報告を聞いていた艦長が、急に立ち上がる。
「来たか。砲撃管制室に伝達! 雷撃戦用意! 眩光弾、全弾装填! 急げ!」
急に艦内が慌ただしくなった。ばたばたと走り回る乗員。下の方から、ウィーンという機械音が響く。これから戦闘が始まるようだ。艦長がマイクを手に取って話し始めた。
「達する、艦長のラーデベルガーだ。戦闘開始前に、改めて作戦の概要を説明する。当小隊は現在、敵艦隊左後方30万キロに位置している。艦隊主力と敵艦隊の距離が30万キロ、主砲射程内に入り砲撃開始をする直前に、我々小隊は眩光弾を全弾発射し炸裂させる。その後、炸裂した光の球に向けて主砲発射。あたかも敵艦隊左後方より奇襲を仕掛ける艦隊が現れたかのように振る舞う。タイミングが合えば、混乱した敵艦隊に我が艦隊主力が放火を浴びせ、敵を撤退に追い込める。だが、我が小隊はわずか300隻。一歩間違えば、1万隻もの敵艦隊の反撃を受け、ひとたまりもない。各員、それぞれの任務を全うし、作戦成功に尽力せよ! 以上だ!」
艦長が艦内放送で檄を飛ばす。相変わらず窓からは敵が見えないけれど、いよいよ戦闘開始が近いことが分かる。私も緊張する。
ここで出てくる眩光弾とは、簡単に言えば目眩まし用の砲弾だそうだ。炸裂すると、ものすごい光と電磁波を発して、敵の目とレーダーを封じる防御用兵器で、本来は撤退支援のためのものらしい。が、今回はこれを敵の横で炸裂させて、あたかも伏兵が現れたかのように装うために使うとのこと。さっき、ビットブルガーが教えてくれた。
艦長の艦内放送以降、急に艦橋内が静かになった。何かの合図を待っているようだ。静まり返る艦橋に、通信士の声が響く。
「小艦隊司令より入電! 『丸太作戦』開始!」
「雷撃開始、撃てっ!!」
この作戦名はどうにかならないものかと感じたが……ともかく、艦長の合図とともに、駆逐艦の左右からバスッ、バスッという音が何度か響く。何かを撃ち出しているようだ。しばらくすると、目の前にたくさんの光の球が現れた。
私はその光に圧巻する。多分、この駆逐艦の何十倍もの大きさの光の球。それが横一線に、無数に現れた。この光を合図に、艦長が次の指令を出す。
「電波管制解除! 続いて砲撃戦用意!! 敵艦隊方向に向けて発射する!」
今度は艦橋内にキィーンという甲高い音が響き渡る。
「こちら砲撃管制、装填完了!」
「よし、撃ち方、始め!!」
艦長が叫んだ瞬間、ゴゴォーンという雷が何十個も落ちたような激しい音が鳴り響き、目の前は青白く太く眩い光の帯がまっすぐに放たれるのが見えた。なにこれ、これが以前、ビットブルガーが言っていた「街をも消滅できる」威力を持った主砲ってやつ!?
あまりの大きな音と光に、思わず私は頭を抱えて塞ぎこんでしまった。だが、すぐに第2射が放たれる。またあの音と光が襲う。
こんなもの、あの河川敷で撃ったら、ビットブルガーの言う通り街が消滅してしまう。これほど恐ろしい武器をつけたまま、この船はあの河川敷に、まるで大きなススキのように突っ立ってたのね。私はここで、この駆逐艦の本当の力を思い知らされる。
周りを見ると、皆平気な顔をして自身の持ち場についている。あのへレスさんはともかく、ビットブルガーも平気な顔をして立っている。これほど大きな音と光を放ってるというのに、まるで意に介してはいない。ここにいる人は皆、慣れたものだ。
でも、慣れていない私は砲撃のたびにビクッとしてしまう。こんな大きな音、皆よく平気でいられるものだな。何度か聞けば、慣れるものなのだろうか?
目の前に光っていたあの光の球は、徐々に消えていく。それと共に、レーダー画面に光の点が映るようになってきた。どうやら、レーダーが使えるようになったらしい。
「レーダー回復しました! 現在、敵艦隊と艦隊主力で交戦中!」
「敵艦隊の動きは!?」
「敵艦隊左翼に動きあり! 約1千隻、こちらに向け回頭中!」
「まずいな、こちらに向けて撃ってくるつもりのようだ。艦橋より砲撃管制室! 敵が撃ってくるぞ、防御優先!」
ええっ? 1千隻って、こちらの3倍強じゃん。これから、3倍の敵を相手にするってこと?
「1千隻の敵艦隊左翼、エネルギー装填中! こちらに向けて撃ってきました!」
「直撃弾、来ます!」
「バリア展開! 急げ!!」
今度はこちらが大混乱だ。あちらが撃ってきたようで、無数の光の帯があちらから飛んでくるのが見える。あれ一本一本が、さっきこちらが放ったあの強烈な雷みたいな奴なんでしょう? 当たったら一体、どうなってしまうの?
などと思っていたら、本当に当ててきやがった。窓の外は真っ白になり、艦内にはギギギッという、急ブレーキをかけた電車のような音を、さらに何倍か大きくしたような音が鳴り響く。
さっきの砲撃音より、こっちの音の方がいやだ。不快極まりない音。だが耳を抑えてくても、船外服のヘルメットが邪魔をして耳を塞げない。頭を抱えてしゃがみこむより他に方法がない。
が、その時、ビットブルガーが急に私に抱きついた。抱きつくというより、私をかばうかのように覆いかぶさってきた。とっさのことだが、彼が私を守ろうと反応したようだ。
音が鳴りやみ、辺りが暗くなった。顔をあげると、艦橋内は無事のようだ。皆持ち場について、黙々と任務をこなしている。ビットブルガーが私の肩を持ち、声をかけてきた。
「大丈夫?」
この殺伐とした戦闘の最中、艦長以下乗員が皆ピリピリとしているというこのときに、緊張感のない声で私に話しかけてくるビットブルガー。
だが、逆に私はこの声に救われる。まるで発狂したように叫ぶ艦長や乗員、大きな砲撃音にさっきの不快な音。狂気のるつぼに落ちていく私を引き上げてくれたのは、まさにこのビットブルガーのゆるい一言だった。
「うん、大丈夫、多分……ね」
「そうか、よかった」
そういうと、ビットブルガーは何事もなかったように私の横に立つ。その姿を、私は見上げる。
初めてこいつと会ったとき、なんだか細かいやつだとか、馬鹿正直の鈍いやつだとか思っていたが、この大混乱であの冷静さは、鈍いというよりは器が大きいからこそなせる業だと思った。しかも、とっさに彼は私をかばってくれた。私のことを本命だと言ってくれた彼のあのときの言葉は、嘘じゃなかったということを行動で示してくれたのだ。
だがここは戦場。今は戦闘の真っただ中。私はこの人と一緒にここで死んでしまうかもしれない。でも私、それでもいいと思った。もし私だけが生き残って、この人だけ死ぬようなことがあれば、そっちの方がその後苦しい人生を歩むことになる。生きるも死ぬも、一緒にいたい。そんなことを考えてしまう。
外はまだ無数の光の帯が飛び交っている。あれ一本一本が、私の住む街をも焼く尽くせるほどの強烈なビーム。でも、私とビットブルガーの間を引き裂くことは、あのビーム砲をもってしてもできないだろう。
などとまるでドラマの解説に出てくるようなことを考えていると、中距離レーダー担当が叫ぶ。
「味方艦隊右翼が前進を開始! 敵艦隊左翼を崩しにかかったようです!」
「やっと味方が動いたか。この敵の陣形の乱れを突いてきたようだな。よし! こちらも反攻に転ずる! 砲撃続行!」
再び砲撃音が断続的に起こる。雷を落したような、あの大きな音が10秒おきくらいに鳴り響く。だが、急に私はこの音に慣れてしまい、冷静に周りと窓の外を見られるようになった。
時折、敵のビーム直撃を受ける。そのたびにあのギギギッという鉄輪の急ブレーキのような不快な音が響く。そのたびに人生の終わりを覚悟するが、運よく何とか切り抜ける。そんなことが、何度か続いた。
それからどれくらい経っただろうか、急に敵のビームが少なくなってきた。
「艦隊司令部より入電、敵艦隊、撤退を開始しました!」
「小艦隊司令よりさらに入電、『全艦、直ちに後退し、戦線を離脱せよ』、以上です!」
「そうか、では、我々も後退する。砲撃中止、両舷、後進一杯!」
あの砲撃音が鳴りやんだ。艦首の方に青白い光がみえる。どうやら先端から後ろ向きにエンジンを吹かしているようだ。
ビームの帯も見えなくなり、辺りは急に静かになった。窓の外には、真っ暗な宇宙空間が見えるだけ。さっきまで戦闘をしていたとは思えないほど静かな宇宙だ。
敵艦隊は後退を続けているとの報告が時折入ってくる。このまま戦闘が終わって欲しい。大型モニターに映る敵艦隊の位置を見守りながら、私はそう願っていた。
しばらくすると、船外服着用解除の放送が入った。私はこの暑苦しい服を脱ぐ。
「お疲れ様。暑かったでしょう、この服」
まるでサウナからでも出てきたような能天気な声かけをするのは、ご存知ビットブルガーだ。
「暑いなんてもんじゃないわよ……しかも何時間も緊張しっぱなしよ、全く」
「何時間? いや、戦闘時間はせいぜい30分だよ」
「……えっ!? 30分!? あれが、たったの30分なの!?」
なんと、何時間も撃ち合ったと思われたあの戦闘は、たった30分の出来事だという。時計を見せてもらったが、確かに船外服を着たときから時間はそれほど経っていない。せいぜい1時間ほどだ。
いそいそと船外服を脱ぐ私。その服を受け取るビットブルガー。そのまま、艦橋にやってきた回収担当が受け取って、ワゴンにのせて外に運び出していった。
「はあ……たった30分の戦闘だったの……でも、もうぐったりだよ」
「そうだよね、訓練もなしに、いきなり砲撃音を聞かされたんだもん。それだけで疲れちゃうよね」
「まったく! なんでこのタイミングで敵が攻めてくるのよ! 何考えてるのかしら!」
「そうだよね、私もびっくりしたよ」
「でもさ、あんたが私をかばってくれた時は、ちょっとうれしかったかなぁ」
「そう? あの時とっさに動いちゃったけど、でも私がかばったくらいでビーム砲は防げないんだけどね」
「……あんたさあ、こういう時は『君のことを守りたかったから、かばって当然だよ』とか、もっと気の利いたことを言えないわけ?」
「うん、そうだよね、でもそういう気の利いた言葉をかけるのは、昔から苦手だから」
「まあいいわよ、そういうところも含めて、あんたのこと好きになっちゃったんだから」
思わず、私は彼に向かって乞うしゃべってしまった。だが、ふと周りを見渡して凍り付く。
ここは20人もの乗員がぎっしり詰め込まれた艦橋の中。戦闘は終了し、艦橋内はすでに静けさを取り戻していた。そんな最中、今の会話は筒抜けだったようだ。
斜め後ろには、艦長が座っている。明らかに今の私の台詞を聞いて、目のやり場に困っている様子だ。通信士はこちらを見てにやにやしているし、すぐ前にいる近距離レーダー担当の中尉は、ディスプレイを見ながらも薄っすらとにやけているのが分かる。へレスさんに至っては、こちらを見て唖然としている。
……しまった。もうちょっと場所を考えて話せばよかった。私は、艦橋にいる全員に向かって、ビットブルガーのことが好きだと公言してしまったようなものだ。
ああ、なんてこと。穴があったら入りたいという心境だ。さっきの船外服、もうちょっと着ていられれば良かった。多分、今の私の頬は真っ赤になっていることだろう。
「ちょ、ちょっと、どうすんのよ……思わず、変なこと言っちゃったじゃない!」
小声でビットブルガーに抗議する私。だがビットブルガーは気にすることなく突っ立っている。
「いいんじゃない? 別の悪いことをしているわけじゃないし。私はむしろ、皆に知られた方がうれしいなぁ」
まったく、よく言えば器が大きい、悪く言えば無神経、そんなビットブルガーは周りの視線など気にせず、平然と私の横に立っている。
気まずい空気が漂う中、艦隊司令部より通信が入った。戦闘の詳細報告である。
『……現在、敵艦隊は距離200万キロまで後退、徐々に加速し、ワームホール帯に向けて撤退中の模様、現在も哨戒艦による監視を続行中。なお「丸太作戦」により敵艦隊左翼1千隻に陣形の乱れが発生、味方艦隊右翼による集中砲火を行い敵艦隊は瓦解、撤退行動に移行。短時間での戦闘終結に貢献した。損害は、我が方は58隻撃沈、12隻大破。敵は120隻以上が撃沈の模様。これより、警戒体制から、警戒準備態勢に移行する。以上』
この報告を受けて、艦長から指示が飛ぶ。
「現時刻を持って、戦闘配備は解除。艦内哨戒、第2配備に移行する。交代時間の過ぎているものは、直ちに交代せよ。あと、ビットブルガー中尉!」
「はい」
「貴官は直ちに休憩に入り、そちらの姫様を食堂までご案内せよ」
「はい、ビットブルガー中尉! サオリ姫を連れて、これより休憩に入ります!」
艦長殿の御配慮だろうか? 私とビットブルガーに休憩に入るよう指示を出してくれた。しかし姫様とはまた大げさなことを。ますます恥ずかしくなる。私とビットブルガーは、艦橋から外に出る。
そういえば、安心したらお腹が空いてきた。そういえばうどんを食べたのは今から6時間以上前。私のスマホを見ると、すでに夜の7時を過ぎている。
私とビットブルガーは食堂に向かう。そこで私はショウガソース付きステーキを頼む。私がここにきて初めて食べた、あれと同じものだ。
トレイをもって並ぶ私とビットブルガー。だが、気のせいか周りの視線を感じる。まさかさっきの会話のことが、もう艦内に知れ渡ったのだろうか?
周りの視線を浴びながら、席に座って食べ始める。相変わらずビットブルガーはバターたっぷりの黒パンだ。よくまあ毎日、こんなくどいパンを食べられるものだ。
そこにへレスさんが現れた。私の横に座るや否や、へレスさんが私にこう言ってきた。
「サオリ殿、さきほどの艦橋での、あの殿方の心をつかむ言葉、いただきました!」
ああああっ! ヘレスさん、それを今ここで言わないでぇ! おかげで、ますますこちらを見る視線が増えてしまった。みんなこちらを見てにやにやしている。
こうして「合戦」は終わった。へレスさんの作戦提案に救われ、へレスさんのこの一言で窮地に追い込まれた、私の初の戦闘体験は、こうして幕を閉じた。




