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 玄関からまっすぐ伸びた廊下は、突き当たりで左右に分かれている。其処そこに至るまでに、左手には扉が二つと二階へ上がる階段の入口とがあって、一方で右手にある扉はひとつだけ――そちらを開けてみると、中は広いリビングだった。

 乱れた息を整え終えた五人は、ゾロゾロとリビングに這入はいって、家具の少ないサッパリした室内を見回し始めた。

「個人の山荘だな。誰か住んでるんだ……」

 三嶋は何かしら不思議な気持ちで呟いた。

「ふむ」掛川かけがわが眼鏡のふちを押し上げながら相槌を打った。「空気はいささか悪いものの……埃が積もっていないね」

 彼は三嶋と同じ三年生で、ひょろりと背が高く、髪を肩の下まで伸ばしている。気取った態度を取ることが多く、いまもそうだった。

「家具はどれも手製のようだ。なるほど、山の中にホームセンターなんぞないからね」

「でも、こんな不便な場所で生活なんてできるんスかね?」

 二年生の長泉ながいずみが首を傾げた。都会的な好男子だが、仕草に軽薄なところがある。

「別荘なのかも知れない。狩りが趣味で、そういう期間だけ使うとか」

 三嶋はそこまで云ったところで、やっと思い至って「すみませーん!」と声を上げた。しばらく待ったが、反応はなかった。

「……留守か。玄関が施錠されてなかったから、いるんじゃないかと思ったんだが」

「ちょっと出ているだけかも分らんよ。それこそ狩りにね……ふむ、君のこの推理は大いにあり得る。ご覧よ、あれは成果の一部じゃあるまいか」

 掛川が顎で示した壁の一画には、鹿の頭の剥製が掛けられていた。他にも、棚の上には梟、暖炉の上にはアナグマの剥製も飾られている。

「ふふ……頼もしいじゃないか。さっきの熊だって、数日後には此処ここの住人のコレクションに加わっているかもしれん!」

 この大声に触発されでもしたのか、あるいは緊張の糸が切れたのだろうか、

「ああっ、清水くん!」

 紅一点の二年生――キル子が突然、その名を叫んだ。続いて貧血を起こしたかのようにヨロめいたが、隣に立っていた長泉がその肩に手を回して、ひとつだけある椅子に腰掛けさせた。

「死んでしまったわ。食べられたのよ!」

 両手で顔を覆い、泣き出さんばかりのキル子。緩くウェーブの掛かったツインテールも乱れている。

「清水は……残念だったな」

 三嶋は何か気の利いたことを云い掛けたものの、何も浮かばなかった。彼もショックを受けていることには違いなかった。あの断末魔の叫び声は、記憶に鮮明に刻まれていた。

「だ、だけどさ、」

 そこでおずおずと口を開いたのは、二年生の裾野すそのである。

「彼があそこで絶叫しなければ、こんな酷い有様ありさまにはならなかったんじゃないですか……? あれが熊を興奮させたわけなんだからさ、つまり……」

「自業自得だって云うんスか?」

 長泉がギョッとした。それを聞いたキル子もまた「そんな! 酷い!」と叫んだ。「死んだ人を悪く云うなんて!」

「ぼ、僕はそんなつもりじゃあ……」

 何やら弁明しようとした裾野だが、口をモゴモゴさせるばかりであった。思春期のようなニキビ面が、羞恥で赤くなった。

「実に尊い犠牲であった。心配いらんよ、私の実家は寺だからね、弔ってやるさ」

 掛川はしかつめらしくそう云った。しかし、どこかふざけているかのようで、三嶋は内心で反感を覚えた。間抜けな清水のおかげで自分が助かりラッキーだ……そんなふうにしか考えていないんじゃないだろうか、と。

「あたし達は、これからどうするんです?」

 キル子が顔を上げた。瞳は潤み、小さな唇はまだ震えている。

 三嶋はテーブルの上に灰皿を見つけ、ポケットから取り出した煙草に火を点けたところだった。どっと紫煙を吐き出してから、

「そうだな……さっきの熊がまだ近くにいるかも知れない。下山するにも、しばらく此処にいた方がいいだろう。此処の住人が戻ってきたら、事情を話して、護衛を頼むことにしようか。本当に狩りが趣味なら、銃を持ってるだろうから」

「そりゃいいや! いっそのこと、こっちから探して撃ち殺してやりましょうよ。清水の仇討ちッス」

 にわかに興奮した長泉の腕を、キル子が「嫌よ!」と掴んだ。「もう二度と遭いたくないわ、殺人熊なんて! レスキューを呼びましょう? 清水くんは殺されちゃったんだから、知らせないと……」

「落ち着きたまえよキル子くん」

 ニヤニヤと笑う掛川。

「失念しているようだね。私達には連絡手段がないではないか」

 廃村を訪れるにあたって、携帯電話のような文明的な機器は無粋であるとして、持って来るのを禁じていたのだった。その提案者であった三嶋は唇を噛んだ。

 キル子は蒼白になり、黙り込んだ。その背中をさすってやっている長岡は辺りをキョロキョロ見回しながら「此処に固定電話はないッスかね。それとも、此処の人が携帯を持ってるかも……」

 その時、所在なさげに窓際に立っていた裾野が「うわあ!」と情けない声をあげた。

「どうした?」

「く、熊がっ、ついて来てます……」

 キル子を除いた全員が窓際に集まって、外を見た。森の中から、先ほどの熊がのそりのそりと姿を現していた。口元にべったりと付着している、清水の血……。

「大丈夫だろう」掛川がやや引きつった表情で述べる。「石造りの家だ。かの有名な狼でも吹き飛ばせはすまい……」

「開いてる窓があったりしないスかね?」

 長泉の疑問に、みながハッとした。

「手分けして、確認して回ろう。それに此処の住人も、寝室かどこかで寝ているだけかも知れない……固定電話の有無も確かめたいな。俺と裾野で二階、掛川と長泉で一階だ。開いてる窓があったら閉めるんだぞ」

 三嶋はすぐに指示した。仕切り役としての判断力や責任感が、この状況下でも生きていた。

「あたしは!」

 ヒステリックに問うたキル子には「此処にいろ! 窓から熊の動向を見張ってるんだ!」と云い捨て、彼はリビングを出ると階段を上がった。後ろからオドオドと裾野がついて来る。

 二階の廊下は、一階のそれと同じかたちをしていた。両側に扉が並び、突き当たりで左右に分かれている。裾野が「僕、奥を見て来ます……」と云って突き当たりを左に曲がって行った。

 三嶋は手前の部屋からあらためていくことにした。

 最初に這入ったのは寝室だった。手造りのベッド、無地のシャツが数枚掛かったハンガーラック、箪笥、古いラジカセ……確かに人が住んでいることは分かるものの、あまり個性が窺い知れない。目に付いたのは、ベッド脇の円テーブルの上に乗っている鎌だった。刃はカバーで覆われているが、どうしてこんなところに置いてあるのだろう。

「用心のためか……?」

 山奥にポツンと建っている山荘だ。万が一、賊が侵入してきたら、自分で身を守らなければならない。ならば寝台の横に護身用の武器を常備しておくのは自然である。

 三嶋は一人合点すると、廊下に出て隣の部屋に移った。其処は書斎だった。書棚に収められている多くの書物、そのタイトルに、彼は読書家のさがで目を走らせようとして、

 その時、男の叫び声が耳に届いた。

 長泉だと分かる。声は一度響いただけで止まったが、何かあった、あるいは見つけたのだろうか。三嶋は急いで向かおうとし、ふと思いついて先ほどの寝室に這入ると例の鎌を手に取って背中側のベルトに挟んだ。それから階段を下りて行き、途中で「三嶋さんっ、いまの声は?」と裾野もおっかなびっくりやって来た。

 一階に下り、まず扉が開きっぱなしになっていたリビングに駆け込んだ。左斜め前の方向にもうひとつ扉があって、開け放たれており、其処にキル子が立っていた。

「どうしたんだ? 長泉は?」

「わ、分かんないです! そっちに、その中に這入って、叫び声を……」

 キル子は廊下を挟んで向かいの方を指差した。この廊下とは、玄関から見て突き当たりを右に曲がったそれだった。

「おやおや、事件発生かい?」

 廊下に出ると、掛川も左の奥から駆け付けてきた。どうやら掛川と長泉は突き当たりをそれぞれ左と右に分かれて、長泉はキル子が示す問題の部屋へ這入って行ったということらしい。

 三嶋は「長泉!」と名前を呼びながら、その扉を開けた。横に細長い脱衣所を挟んで、擦り硝子の引き戸が目の前に現れた。そちらは開けられたままになっていて、奥の浴室まで見通すことができた。長泉の二本の脚が見えている……。

 三嶋を先頭にして、一同は意外と広い浴室に足を踏み入れた。

 長泉は空の浴槽にもたれるようにしてうつ伏せで倒れていた。九の字に折れ、下半身は洗い場、上半身は浴槽の中という格好だ。

「おい、長泉」

 その背中に手をあてて揺すったが、ピクリとも反応しない。

「ふむ、このタイミングで発作だろうか?」

「長泉にそんな持病はなかったはずだぞ」

 三嶋はその胴に腕を回して抱き起そうとした。完全に脱力した人体は重く、上手くバランスを取れずに、彼は長泉を抱えたまま尻餅をついてしまった。長泉は洗い場で仰向けとなり、それを見て誰もが息を呑んだ。

 長泉の額に、小さな矢が刺さっていた。少量の血が一筋、逆様になっていたために生え際へと続いていた。両目を剥き、口を半開きにし、そして血の気が失せている。

「吹き矢だぞ、これは!」

 掛川が興奮を露わにした。ひとり脱衣所に留まっているキル子は「何、何、どういうことっ」と混乱している。裾野は怯えた顔つきで黙り込んでいる。三嶋とて、眉を顰めざるを得なかった。それでも最優先の行動として、脈を確かめた――止まっていた。左胸に手をあててみた――動きはなかった。口元に手をかざしてみた――呼吸も、なかった。

「……死んでいるな」

 口ではそう云ったが、信じられないという思いが表情に出ていた。いや、状況が呑み込めていないのだ。ただひとり、掛川だけが「ふふふ、夏休み、学生、秩父、山荘、吹き矢とは……まるでライラック荘だね」などと呟いている。

「掛川、お前は何を云ってるんだ?」

「おや、分からないかい? これは殺人事件に他なるまい!」

 彼は両手を広げた。三嶋、裾野、キル子による奇異の視線が注がれると、彼はさらに勢い込んだ。

「明らかなことだよ。此処には私達しかいない。犯人は私達の中にいるのだ。そう、しくもこの状況は、私達が愛してやまないクローズド・サークルじゃないか。〈嵐の孤島〉〈吹雪の山荘〉……ふふ、此処はいうなれば〈熊の山荘〉だね。熊のおかげで外部犯の可能性が排されるとは、なんて斬新なのだろう。事実は小説よりも奇なり、というやつさ」

 三嶋は理解した。まさしく自分達は閉じ込められているのだ――熊によって。その中で殺人事件が起きた。

「だけど、誰に長泉くんを殺せたって云うんですか?」

 キル子は扉の枠に掴まって、なんとか立っているという有様だ。

「長泉くんは其処の……リビングの扉を開けて、それからこの浴室に這入って行きました。私、それを見てました。ひとりでいるのが怖かったから、其処の戸口のところに立って、長泉くんが出てくるのを待ってたんです。そうしたら中から叫び声がして……後からみんなが来て……」

「そう、そういうわけだから一見すると容疑者筆頭は君だよ、キル子くん」

 その言葉に、キル子は絶句した。

「ふふふ、しかし安心したまえ。凶器は吹き矢なのだ。犯人はこの現場に這入らずして長泉くんを殺害し得た。ご覧、窓が開いているだろう?」

 浴槽がある側の壁には窓があって、掛川の云うとおり、開いたままになっていた。窓の外には井戸があり、その向こうに、この浴室と同様に出っ張ったこの家の壁が見えている。

「あちら側は私が調べた。炊事場だったよ」

 つまり浴室と炊事場と廊下とで〈凵〉の形をしているのだ。こちらを向いた炊事場の壁にも、この浴室と同じく窓と勝手口がついている。浴室の勝手口は浴槽の隣にあって、これは外の井戸から水を汲んで出入りするためだろうが、内側から施錠されていた。

「向こう側から狙ったというわけか」頷いた後で、三嶋は首を傾げる。「ということは、犯人はお前ということになるだろう、掛川」

「早計だなぁ三嶋くん。私だけではない。叫び声があったとき、二階のあそこにある部屋にいたのはどちらかな?」

 掛川は炊事場の上を指し示した。そこにも窓があった。三嶋が裾野に視線を遣ると、彼は頭を左右に振った。

「ぼ、僕はやってませんよ! 冗談じゃない!」

「そう動揺するなよ、裾野くん。まるで自白じゃあないか? ふむ……見ると矢は長泉くんの額にほぼ垂直に刺さっているが、それで二階から射られたのではないと決め付けられはすまい。おそらく長泉くんは身を乗り出す格好で、開きっぱなしになっていたこの窓を閉めようとしていたのだ。そこで二階の窓辺で吹き矢を構えている裾野くんに気付き、顔を上げた。そこに矢が命中した……どこか不自然な点があるだろうか?」

「不自然だな」

 三嶋が応えた。冷静さはだいぶ戻ってきていた。

「俺達は初めて此処に来たんだ、それも偶然に。この家の構造も分かっていなかったのに、この犯行の手口を発想しようがない。さらに長泉が浴室に来るとも、その窓が開いているとも限らなかったんだ。そもそも吹き矢なんてどこから出てきた?」

「裾野くんはあらかじめ、毒を塗った吹き矢を用意して来たのだ。はじめから今回の廃村探検の中で長泉くんを殺害するつもりでね……廃村に着けば別行動にもなるはずだから、隙を見てやるのは可能だと考えたのだろう。まぁこうして展開は変わりこそしたが、二階のあの部屋で窓から此処にいる長泉くんを見とめ、いまがチャンスと考えてそれを実行したということだよ」

出鱈目でたらめですっ! ひ、酷い中傷だ!」

 裾野は耳まで真っ赤になっている。

 そんな彼を擁護しようとしたわけではないが、三嶋は中立の立場を取り「だが、裾野にも可能だったということは、単に容疑者のひとりに加わったという以上のことを意味しないだろう」と冷静に述べた。

「いかにも。論理に従うなら、容疑者は私と裾野くん……それにキル子くんも外れはしないさ。吹き矢だからと云って、至近距離で使ってならないという法はないのだからね」

「私、違うわ!」

「そう云っても仕方ないのだよ、立証できない限りはね。誰にせよ、持ち物検査をしたところで凶器はもう持っていないだろう。窓から外へ投げ捨てたかしたに違いない……外には熊がいるのだから、探しに出るのも難しいね」

「キル子、熊はどうした?」三嶋が思い出して訊ねた。

「分かりませんよ! それどころじゃなかったんですから!」

 彼女は怒鳴った後で涙目になり、身を翻すとリビングへ戻って行ってしまった。

「やれやれ。理性的に振る舞ってもらいたいものだね」肩をすくめる掛川。

 三嶋は溜息を吐き、自分達もリビングに戻ろうと云った。これ以上、死体の傍で口論していたくはなかった。窓だけ閉めて、死体はそのまま、浴室に残された。

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