残る影
「凄い……」
圧巻だった。
火炎放射器が如く勢いで噴射されたオレンジ色の炎が、ほんの一瞬にして闇に呑まれていった。熱いはずなのに、全く熱さを感じさせない、それどころか見ていると背筋が凍ってしまいそうな、底冷えした炎。
――漆黒の、炎。
見たことのない、見たことなどあるはずもない黒い炎はまるですべてを吸い込むブラックホールのようにオレンジ色の炎を喰らい、その先にいる小柄な少年までをも捕食した。
響く、若々しく痛々しい悲鳴。
しかし、不思議と聞いていて不快に思うことはなかった。それは、彼がこれまでしてきてことを考えれば当然であるし、第一、今耳に届く悲鳴はどこからどう聞いても悪魔の声にしか聞こえなかったからだ。
「う、ぐ、あぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
闇の中に、少年の体が完全に消えていった。もはや、その姿を捉えることはできない。
「……終わったな」
消えゆく少年を見ながら、玲は静かにそう呟いた。
******
「またまた来ましたヒイロ・シンドールですっ! イェイ!」
と、どこに誰に向けてかはは知らないがポージングを取る少女が一人。リィの後輩であり、異界専門能力封印特殊部隊とやらの第十二部隊副隊長らしいヒイロ・シンドールだ。ヒイロは少しばかり鋭い目元を優し気に閉じ、以前訪れてきたときと変わらず明るいというかテンションが高い……いや、前回はこんなポージングは取っていなかった。二度目なため多少は慣れたのか、輪をかけてテンションが高い。
そう、ヒイロは以前にも玲の家に訪れてきたことがある。理由は戦闘不能にして捕えた《アカノメ》の一員、ライラックを異世界に行けないリィの代わりに本部とやらに届けてもらうためだ。本来はあまり異世界の、しかもリィと同じ立場にある人間との接触は避けたいのだが、リィによれば信頼できるらしいので仕方なしだ。ライラックを放置しておくわけにもいかなかったし。
そして、現在ヒイロが再び玲宅に訪れているのもその時と同じ理由だ。
「それにしても、短期間に《アカノメ》の構成員を二人も捕まえるなんて、凄いですねぇ~」
「ふふふ、そうじゃろ? さすが妾、エリートじゃ」
「……お前なんかやったっけ?」
薄い産毛に包まれた胸を張るリィに、玲はジト目で返す。
ヒイロの足元には、一人の少年がロープで縛られ気絶している。見た目こそ十歳前後の子共だが、その実凶悪な犯罪組織の一人、セピアだ。例によってリィは異世界まで届けに行くことはできないので、前回同様ヒイロに連行を頼んだのだ。
それにしても、リィの一報で即座にこんなところにまで駆けつけるなんて……一体これのどこを尊敬しているというのか。玲は今や小さな子猫と化したリィの、本来の姿を想像しながらリィを眺める。
「それに、エル先輩! よくご無事で」
「心配をかけてしまったようですまなかった、ヒイロ」
「いえいえ! でも、お怪我は大丈夫なんですか?」
そう、心配気に瞼を伏せるヒイロの視線の先には、グルグルと包帯で巻かれた箇所が多数存在している。まだ前の怪我が完治していないにもかかわらず、今回の怪我。この先しばらくは休養が必要だろう。しかし、エルは痛みなど一切感じさせない笑みでもってヒイロに返す。
「これくらいなら平気だ。二、三日も経てば治るさ」
「それなら、よかったです!」
と、そんなエルの様子を見て安心したのか心配に彩られていた表情を明るい笑みに変えるヒイロ。玲はそんな二人を見て、そっとため息をついた。
エルの言った、二、三日休めば治る、というのは完全に嘘だ。ヒイロを心配させないように言ったのだろうが、実際は早くて三、四週間程もかかる。これだって、エルの回復能力が高いため、早い方なのだ。となれば当然、それ相応の痛みを伴う。今だって、気丈に振舞ってはいるが相当な痛みがエルの体を襲っているはずなのだ。元後輩のためとはいえ、そこまでできるエルには称賛すべきだろう。
そんなことを思っていると、ふと視線を感じる。
「? どうかしたのか、琴吹?」
「え!? い、いや、その……」
玲に視線を向けていたのは相も変わらず中二な格好に身を包んだ琴吹だ。
琴吹は指摘されるや否や、右手と左手のひさし指をツンツンとさせながら口ごもってしまう。一瞬わけが分からず首をかしげる玲だったが、琴吹の表情と視線の先を見た途端言わんとするところを理解し、軽く肩をすくめて見せる。
「平気だよ。俺は異能を使えばすぐ治るし、今は痛みもそれ程感じない」
「そ、そう? それならいいんだけど……」
そう言う琴吹は、まるで今さっきのヒイロが如く明らかな安堵を見せる。心配気に傷に視線を向ける様や安心する様は、ヒイロも琴吹もあからさますぎて分かりやすい。まるで子供の様だ。
とはいっても、エルとは違い俺の言っていることは嘘でもなんでもなく事実だ。俺の異能である『身体能力向上』を使い回復力を向上させれば、傷はすぐに癒える。とはいえ、今回はさすがに刺されすぎたため治癒には時間がかかる。今は動かすと少しばかり痛みが響くぐらいなので、明日にならないと完璧には治らないだろう。まぁそれとは別に『身体能力向上』を行使しすぎた代償は、しばらくついて回るだろうが。
「では、私はそろそろこいつを本部まで届けに行きますが……エル先輩はどうするんですか? よければ私が向こうまで送りますけど」
「……そうだな」
「よっこらしょ」という少々年寄り臭い掛け声とともにセピアを肩に担ぐヒイロ。そんなヒイロの申し出に、エルは迷う素振りを見せる。
そもそも、エルがこの世界に留まっていたのはセピアを放っておけないからであり、そのセピアは無事に捕らえることができた。であれば残る問題は一つ、今のエルの状態では上手く魔法を扱うことができず、異世界へつながる《ゲート》を作ることができないのだ。しかし、それもヒイロと一緒ならば問題はないだろう。エルからすればこの世界に残る理由はないはずだが……。
「……私は、こっちに残る」
「何じゃと?」
と、エルの答えにいち早く反応したのはリィだった。
「何故じゃ。お主がこっちの世界に残る理由はないはずじゃが」
「別に、理由を話す必要はないと思うが」
「何じゃと……!?」
「まぁまぁ、落ち着いてくださいリィ先輩、エル先輩」
二人の喧嘩には慣れているのか、いがみ合う二人の仲裁に入るヒイロ。やはり、二人は向こうでもこんな風だったのだろうか。
未だ睨みをきかせるリィとは対照的に、澄ました顔で息を吐くエルは静かに続けた。
「理由は二つ。一つは、こっちの世界で少し、調べたいことがあります」
「調べたいこと?」
「はい。そして二つ目は……危険だからです」
エルの言わんとするところが理解できず、その場にいる全員が首をかしげる。ちなみに、リィにではなく玲たちに対して話しているつもりだからか、口調が丁寧なものになっている。
「《アカノメ》の情報収集能力は非常に高いものです。セピアを倒したのがここにいる人間たちであることに気づくのは、時間の問題でしょう。そしてそうなれば、理由はどうあれ奴らは必ずこの場に現れます。そうなった時、戦力が圧倒的に足りません」
「それは、確かに……」
エルの言葉に、この場にいる全員が押し黙る。
エルの言っていることは正論であるし、玲とて危惧はしていた。エルが行ってしまえば、戦える戦力は玲のみ。それも、戦闘経験がほとんどない玲では相手にならないだろう。それは、今回玲、エル、赤塚、そして琴吹が力を合わせてやっとセピアに勝てたことからも容易に想像がつく。それに、セピアは言っていた。《アカノメ》にたてつけば、絶対的存在を知ることになると。それは少なくとも、セピアをもって絶対的と言わしめる相手がいるということだ。そんな相手と戦うことになるのかは今は分からないが、それを置いておくにしても戦えるのが玲だけというのは不安しかない。エルが戦力として力を貸してくれると言うならば、これほど心強いことはないだろう。しかし……。
「いいのか? 王女専属のメイドなんだろ?」
「はい。私の代わりなど、すぐに見つかるでしょう。それに、今回の件で王女様の警備はより一層強固なものとなるはずです。いくら《アカノメ》といえど、王国が全力をもった防衛を突破することは困難でしょう」
「そうか……」
玲の疑問に対し、言われることを前もって想定していたかのようにすらすらと答えるエル。きっと、こっちの世界に残ることは少し前から考えていたのだろう。
エルの方はこっちに残っても問題はないようだし、玲もそうしてくれるならばありがたい。
話にかたが付いたところで、ヒイロが再び声を上げた。
「それでは話がまとまったようなので、私はこれで! また何かあれば呼んでください。すぐに駆け付けます!」
「うむ。すまないが頼んだぞ」
「気をつけてな、ヒイロ」
「はい! では、お邪魔しました!」
セピアを軽々と担いだヒイロは、まるで子供のように大きく手を振りながら出ていった。
「あ、でもこっちの世界に残るって言っても、どこに住むんだ?」
ふと浮かんだ疑問を、玲は口に出す。
エルはあっち、玲たちからすれば異世界の人間だ。当然こっちの世界に住んでいないのだから家などあるはずがない。かといって、ホテルなんかに泊まるための金も持ってはいないだろう。泊めてもらえる知り合いもいないだろうし……。
まぁ、エルのことだし何か考えがあるのだろう。そう思いエルに視線を向けるが……エルは先程のように即答するどころか、何を言うでもなく黙り込んでしまう。顎に手を当てて視線を落とす様は……なるほど。考えていなかったようだ。
「……かくなる上は、野宿でも」
「いやいやいや! ダメだろ!」
最終的に絞り出した案に、速攻ダメ出しを入れる。
当然だ。最近はだんだんと暑さが見え始めてきたとはいえ、まだ夜はいくらか肌寒い。それでなくとも、エル程の美人が野宿などしていたら、よからぬ輩が寄ってくるに違いない。無論エルならば一瞬で無力化できるだろうが、それはそれで問題だ。エルは加減を知らなそうなので、寄ってきた輩の方が心配になる。それになにより、エルは怪我人だ。外に放り出すわけにもかないだろう。
とはいえ、結局はエルの事なので玲に口出しする権利はない。エルがどうしても、というのであればそれを否定することはできないだろう。
と、アホなことを言い出すエルを見て、リィが呆れたようにため息をついた。
「ここに住めばいいじゃろう?」
「はぁ!?」
「えっ!?」
「ちょ、それは……」
こっちはこっちで何を言い出すやら。
リィの提案に、思わず声を上げる玲……と、琴吹。そして、今までずっと黙っていた赤塚。
「いや、何でお前らまで……?」
「え!? いや、それは、その……」
「し、思春期の男子がいる家に女子が住むって言うのは、その、あんまりよくないんじゃなかと……」
「そ、そう! そうだよ!」
何故そんなに必死なのだろうか。口早に言葉を紡ぐ二人に、首をかしげる玲。とはいえ、二人の言っていることには同意だ。玲は現在高校二年生の十六歳。思春期も真っ盛りだ。これがまだあまりに年上というのであれば話は別だろうが、一見大人びて見えるとはいえエルはまだ十八歳。たった二つしか違わないのだ。絶世の美女と言って差し支えないエルと、一つ屋根の下など何か間違いが起こらないとも限らない。玲だって男。性欲ぐらいある。今まではエルの状態が状態故仕方がなく止めてはいたが、今は状況が異なる。この前とは話が別だ。
そんな心配をするこっちの世界の人間三人をよそに、リィは至ってあっけらかんとした様子で続ける。心配するような間違いは絶対に起こらないと確信しているのか、はたまた単に理解していないだけなのか……。
「ここなら部屋も余っておるし、人が二人住んでも窮屈しない広さじゃ。そしてなにより、玲、お主は一人暮らし。親に迷惑をかけるということもないじゃろう」
「い、いやそうだけど……っていうか、エルは? やっぱり、男がいる家に住むなんてゴメンだよな?」
「住まわせていただけるというのであれば、私に文句をいう資格はありません。……まぁあえて言うのであれば、そこの子猫がいることですが」
「何じゃと!? 妾がせっかく口添えしてやったというのに!」
「それとも、やはり迷惑でしょうか……?」
「無視するんじゃない!」
わーわー喚くリィはひとまず置いておくとして、コクンと小首をかしげるエル。クールに伏せられたその瞳は心なしか少しばかり潤んでいるようにも見える。玲の可愛いの基準となる幼さは欠片もないが、それでも、その様は可愛いと思えてしまう。というより、これを可愛いと思わないのはもはや人間ではないだろう。とてもじゃないがノーとは言えない。もしかして狙ってやってるのか……? 一瞬そう思うも、これまで見てきて分かったが、エルはそこまで器用な人間ではない。素だろう。
エルを直視しているのがつらくなり、玲はチラリとは黙り込む二人に視線を向ける。せめてどちらかの家でも、と思うが、それは困難だろう。その一番大きな要因として挙げられるのは、先程リィも言ったが親がいるということだ。琴吹も赤塚も、家には両親がいる。何も事情を知らない親からしたら、見知らぬ人間を住まわせるなんて絶対にゴメンだろう。かといって親に隠して住まわせるわけにもいかないし、第一二人にそこまで頼むことはできない。その点、一人暮らしの玲なら親の目をきにすることなくエルを住まわせることができる。三人の中では玲が一番適任なのだ。そも、この中では一番かかわりが深い玲が請け負うのが当然だろう。
……まぁ、家にはリィもいるわけだし、性欲よりゲームを優先する玲だし、想像するような間違いは起こらないだろう。それに、エルの言う通り野宿させるわけにもいかない。
玲は観念すると、少々重たげに息を吐いた。
「分かった。エルがそれでいいなら」
「ありがとうございます。玲様」
「気にしなくていいよ。……ん? 様?」
ふと聞きなれない敬称が聞こえた気がして、玲はエルに視線を向ける。
エルは玲たちに対し敬語を使っている。とはいえ、さすがに様とまで言っていなかったはずだ。しかし、エルはさも当然、と言う風に頷いて見せる。
「メイドが主を様と呼ぶのは当然のことです」
「メ、メイド……?」
「はい。私はこの家に住まわせていただく身。ですから、主である玲様のために何かできないかと考えたのです」
「その結果がメイドだと?」
「はい」
「いやいやいや……それは少し短絡的じゃないか……?」
「すみません。私にできることと言えばこのくらいしか思い浮かばず。ですが、安心してください。これでも一国の王女を相手に専属メイドをやらせていただいてました故、色々と慣れています」
「いや、そういうことじゃなくてだな……」
さすがに家に住まわせるというだけで家の雑用全てをやらせるのは気が引ける。同じく居候しているリィは一切何もしていないのだし。
とはいえ、エルの性格上簡単に引き下がってはくれないだろう。この家に住んでいる以上、是が非でも雑用を手伝おうとする未来が見える。……それに、よくよく考えてみればいいことの方が多い気がする。今まで家事等は玲が自分で適当にやっていたり、幼馴染である風祢にやってもらったりしていたのだが、エルがやってくれるとれば玲が楽できるのはもちろん風祢に迷惑をかけずに済む。エル自身言っているように経験ありなのできちんとやってくれるだろうし……。
玲はそこまで考えると、一度咳ばらいをし、改めて口を開く。
「まぁ、そう言うなら。悪いけど頼む」
「はい。では……」
そこで言葉を区切ると、エルはゆっくりと立ち上がり玲の前まで歩いてくる。すると、その白い指でスカートの裾をちょこんと摘み、少しばかり持ち上げ、そっと頭を下げた。
そして、よく透き通る凛とした声で言った。
「エルローレ・G・スワロ・シェイリア。この身この全てを御身に捧げ、忠誠を誓います。我が主、黒木玲様」
******
「…………」
「…………」
辺りを闇が支配する歩道。唯一の光源である街頭は弱々しく光り、足元を微かに照らしている。
そこには一切の会話がなく、ただただ気まずい空気と二つの足音だけが流れ続ける。もっとも、気まずいと感じているのは玲の方だけかもしれないが。
「はぁ……」
玲は隣で歩く少女、赤塚早希に気づかれないよう、静かに息を吐く。
玲が赤塚と二人で暗い道を歩いている理由、それは暗いからこそ家まで送ってやろう、という紳士の行動故だ。まぁ、もちろん玲がそんな器用なことをしようとするはずもなく、リィに言われて仕方なく、だが。
ちなみに琴吹も同様に送ろうとしたのだが、赤塚とは家が別方向だったのと、私はいいから赤塚を送ってってくれと言われたので、琴吹には悪いが赤塚を家まで送ることとなったのだ。
玲はチラリと赤塚に視線をやった。
赤塚は先程から黙々と歩いており、口を開く気配はない。かといって、玲から声をかけようとしても、何を言っていいのか分からない。元々コミュニケーションが壊滅的に苦手というのはあるのだが、こと赤塚においては似通った部分が多いためかさほど気にはならない。赤塚相手に気まずくなってしまう理由、それはもっと別の理由だ。
そう、赤塚は玲のことが好きなのだ。
玲からすれば到底信じられるようなことではないが、今となっては疑う余地もないだろう。
玲とて好意を向けられたことは当然ある。異能を奪った青麗院と琴吹は確実だろう。しかし、だからといて慣れているわけではない。むしろ、それ以外での女性との関りがほとんどなかった玲にとっては新鮮なものだ。故に、自分に好意を向けてくれている相手と二人きりで、何を話したらいいのかが全く分からないのだ。
しかし、これはいい機会かもしれない。ずっとこのまま、というわけにはいかないだろうし。
玲は赤塚に告白された。それは事実だ。しかし、その告白に対して玲は返事を言えていない。あの時はタイミングがタイミングだったし、赤塚も返事を貰いたくて言ったわけではないと言っていたために返事をしなかった。が、やはり、はっきりとさせておくべきだ。できるだけ早いうちにそうさせておかないと、玲の性格上最悪逃げ続けるという選択肢を取りかねない。幸いと今は二人きりであるし、赤塚の告白の返事をするには絶好の機会だろう。
玲は緊張を抑えるように何度か呼吸を繰り返すと、意を決して口を開いた。
「なぁ、赤塚……」
「何?」
「え、と……昼間のさ、告白の事なんだけど……」
「えっ!? こ、告白!? っていうか今!?」
告白、という言葉を出した途端、明らかな動揺を見せる赤塚。どこかあっけらかんとていたため分からなかったが、どうやら赤塚も意識はしていたらしい。
赤塚が驚いたことによりそれまで進んでいた足が止まり、自然と玲と赤塚は向かい合う形になる。玲は今一度、赤塚を正面から見やった。
正直に言えば、赤塚の事をどう思っているかは玲自身にも分からない。が、少なくとも嫌いではないことだけは確かだ。趣味は合うし、話も合う。少々幼い見た目とはいえ美人であることは間違いなし。価値観を含め赤塚とは似通った部分が多いため、つまらないことで言い争うこともないだろう。そして何より、玲が初めて自分の事を理解できるかもしれないと思えた人間だ。当然玲にえり好みする権利などないが、それを置いておくにしても玲にとってこれ以上いないと思われる理想的な相手。赤塚の告白を受け入れて付き合うという選択肢は大いにアリだろう。
しかし……。
玲は、ぎゅっと瞼を閉じた。すると瞼の裏に映し出される人影が一つ。やはり……。
――まだ、残っている。
玲はその人影を見て、そっと息を吐いた。
思い出したくない、しかし決して忘れたくはない思い出が、まだ玲の中に鮮明に残っている。赤塚と付き合うという考えが頭の中を巡れば巡る程、当時の記憶が次から次に思い起こされる。
やはり……無理だ。
それが今だ玲の中に残っているというのであれば、玲は誰かと付き合うことなどできない。できはしない。相手にも悪いし、なにより、付き合っている間ずっと過去にまとわりつかれる苦痛など、決して耐えられない。
玲は、今目の前のことはおろか、昔のことですらまだ決着をつけていないのだ。きっと玲が過去に決着をつけない限り、それは永遠に残り続けるのだろう。だが、少なくとも今の玲には過去と決着をつけることなど到底できない。つまり、玲がこの先誰かと恋仲になれる日など、来ないのだ。
そんな玲に、誰かと付き合う権利など、あるはずがない。
「赤塚、俺は――」
付き合うことはできない。その言葉は、紡がれることはなかった。
理由は単純。それは――。
「――――」
――玲の唇に、赤塚の唇が重なっているからだ。
玲は驚き目を見開くが、自分から唇を離すことはできなかった。
柔らかい唇の感触、すぐそこにまで迫る赤塚の瞳、必死に背伸びしようと地面から離れる踵。それら全てが、今の玲には酷く愛おしく思えたのだ。
ふと、唇だけでなく体全てをを温かい感覚が襲った。
今まで何度か経験したことのある感覚……異能の奔流だ。だが、今までとは違うところもある。それは、異能と同時に流れてくる赤塚という存在。玲と似て暗く、しかし玲と違ってとても温かい存在。それは、玲にとってとても心地がいいものだった。
――これは、赤塚だ。
他の誰とも重なることのない、赤塚早希という唯一無二の人間。気づけば、先程まで脳裏を支配していた人影、そして記憶は嘘のように消え去っていた。代わりに今、脳内を支配するのは赤塚のことだけ。
赤塚という存在が、玲を満たしていった。
「……ん」
と、どれくらい互いの唇を重ねていたのだろうか。二つの唇は、自然と、どちらからともなく離れていった。
見れば、赤塚の頬は赤く火照っていた。いや、きっと赤塚から見れば玲も同じようになっているだろう。今までキスの経験があるとはいえ、決してなれるものではない。それに……今回のキスは、今までとは何かが違った。
「赤塚、お前……」
少しばかり肌寒い風が前髪を揺らし、我に戻った玲は赤塚を見やる。
すると赤塚はそっと唇を笑みの形にすると、二歩ほど後退した。
「分かってる。っていうか、何となく分かってた。きっと、玲は好きって言ってくれないんだろうなって。……だって、見えちゃったから」
「見えた……?」
「うん。私、玲の心の声を聴いたことがあるでしょ? その時にね、見えたの。一人の女の子が。声を聴くっていうのに見えたって言い方は変だと思うけど、あの時は見えたんだ。玲っていう存在が私の中に流れてきたから。そして、その子玲にとってすごく大切な人だっていうのは、すぐに分かったから」
「じゃあ……」
何で、告白なんてしたんだ?
喉から出かかったその問いを、玲はなんとか抑え込む。
赤塚が玲の心の声を聴いたのは、告白する前の事だ。赤塚の言う存在が流れてきた、というのが本当なのであれば、赤塚にも分かっただろうう。その女の子が玲にとってどのような人物であるかを。そしてそれが分かってしまえば、普通告白をしようだなんて思わないだろう。
しかし、それは玲の口から入ってはいけないことだ。赤塚の告白した勇気を無駄ということと同義であるし、何より赤塚の気持ちを踏みにじることになる。
だが、そんな玲の心を知ってか知らずか赤塚は笑みを浮かべながら続けた。
「でも、でもね。だからって諦めたくはなかった。私が玲の事を好きなのは事実だから。それに、たとえ玲の中でその女の子がどれだけ大きな存在だったとしても、今、こうして玲のそばにいるのは私だから」
「っ……!」
赤塚の言葉に、玲は息を呑んだ。
今、自分のそばにいる人。そしていない人。誰だって簡単に分かること。だが、玲にはそれが、見えていなかったのかもしれない。
「いつか、振り向かせて見せる。いつか、私という存在を玲の中での一番にして見せる。だから、その時まで返事は保留ね。私まだ、直接玲の口からフラれたわけじゃないからっ」
そう言う赤塚は、ニッと口元を吊り上げて笑った。
しかし、玲は気づいていた。先程から浮かべていた笑みも、そして今浮かべている笑顔も無理やりなことに。口元がピクピクと動いていたし、肩は震えていた。本人は隠しているつもりなのだろうが、誰見ても分かるほどバレバレだった。
「だけど、今日は、ちょっと……」
「赤塚……」
しかし、ついに隠し切れなくなったのだろうか、赤塚はボソリと呟くと、クルリと後ろを向いてしまう。
「今日はありがと。もう遅いし、ここまででいいよ」
「あ、ああ……」
「それじゃ」
それだけ言うと、赤塚は駆け足で行ってしまう。
一瞬追いかけようと手を伸ばすも、即座に引っこめる。赤塚を悲しませたのは玲だ。玲に追いかける資格など、あるわけがないだろう。
「ごめん、赤塚」
徐々に小さくなっていく背中を見つめながら、玲は小さく呟いた。
いくら言葉にしていないと言えど、あれでは半ばフラれたようなものだ。赤塚は隠そうと努めていたが、悲しくないはずがないだろう。赤塚には、無理をさせてしまった。
それに……。
玲は、ゆっくりと顔を持ち上げ空を仰ぐ。
完全に夜のとばりが下りた空は闇に支配されており、ところどころ小さな星たちが自らを主張するように光を放っている。
「星って、こんなだっけ……」
いつか、誰かと一緒に見た星はもっと……。
「――ごめん、黒奈」
無意識のうちに出たその言葉は、無限に広がる夜空に消えていった。




