表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
天才引きこもり少年の女子攻略  作者: 太田裕
エルローレ編
58/59

中二病


 全身から血の気が引いていく。無数に空いた穴からはドボドボとおびただしい量の血が流れていき、地面に血の池を作っていく。


 もはや、感覚など残ってはいない。痛みなどとうに消え去ったし、全身を赤く染める血の冷たさも感じられない。ただただ全身を寒気が襲い、視界が霞み、意識が徐々に薄れていく。死を体験したことのある玲でなくても、悟ることのできる確実な死。玲は遠く耳鳴りがしながらもどうにか音を拾える聴覚で、半ば無意識的にセピアたちの会話を聞いていた。と――。



 ――ははははははははははははははっ!


 

 薄れゆく意識の中、そんな叫び声が耳に届いた。

 玲は閉じかけた瞼をわずかに開き、その声にわずかに残る意識を向ける。この場にそぐわない高笑いは、セピアのものでも、エルのものでも、もちろん玲のものでもない。野太くなければ力強くもない、高くどこか可愛らしいその声は、まるでか弱い少女のものの様だ。もちろん、安心感など欠片も与えることはできないだろう。しかし、玲は不思議と遠のいていった意識が帰ってくるのを感じていた。


「こ、琴吹……?」


 ゆっくりと動かした唇から、かすれた声が漏れる。

 この場にいるはずのない人物。しかし、玲の脳裏には眼帯で片目を隠し、漆黒のローブを羽織り、指ぬきグローブに包まれた小さな手で魔法杖を持ちながら高らかに笑う琴吹の姿が浮かんでいた。

 自分の見当違いであってほしい。玲はそう思いながら、遠のく意識を必死に引き戻し、ゆっくりと声の方へと視線を向ける。するとそこには玲が重い描いた通りの、中二病丸出しの恰好をした琴吹が立っていた。


「何で……」


 と、問いかけるも、玲自身ですら聞き取ることのできない程小さく掠れた声が琴吹に届くはずもなく、答える者は誰もいない。


「ぐっ……」

 

 玲は今一度力を込めて、必死に体を動かそうと試みる。

 会話でもしているのか、琴吹とセピアの声が鼓膜を震わせるが、今は気にしている余裕などない。琴吹は以前異能を持っていたが、今それは玲の中にあり、彼女はごくごく普通の女の子なのだ。そんな彼女とセピアがもし戦闘でも始めようものなら、どのような結果が待っているかなど考えるまでもない。琴吹が何故ここまで来たのかは不明だが、戦闘が始まる前に、玲がどうにかしなくてはないらない。しかし……。


「く、そ……」


 震える体は、指先一つ動いてくれない。いくら動かそうと力を込めても、まるで自分のものではないかのように、言うことを聞いてくれないのだ。玲は悔しさに拳を叩きつけることすらできずに、ただただ掠れた声で漏らした。


 チラリと眼球だけを動かし見てみれば、エルは琴吹の登場に対して驚きを隠せないようだ。まぁ無理もない。彼女からすれば、突然意味の分からない恰好をした中学生程度の女子が、意味の分からない言葉を吐きながらセピアの前に立ったのだ。もしかすると琴吹の恰好はこっちよりもファンタジー要素の強いエルたちの世界ではさしておかしくはないかもしれないが、それを差し引いても琴吹はあまりに怪しすぎた。エルにしてみれば、未だ敵か味方かも判別がつかないだろう。

 もっとも、琴吹が玲たちの味方だと分かったとしても今の彼女の状態では琴吹に加勢することは困難だろうが。


「どうす、れば……」


 玲は視線を地面落とし、必死に思考を巡らせる。

 玲、エルともに琴吹に加勢できる状態ではない。セピアと戦闘を繰り広げる程体力など残っていないし、第一それ以前に体すら動かない。玲に限って言えば、今こうして意識を保っていられるだけで奇跡のようなものだ。体がダメなら異能を、と思ってもそれも無意味。玲の異能も使えるようなものは残っていない。『魅惑の囁き』は声が届かない時点で無理であるし、『身体能力向上』は今どれだけ身体能力を向上させたところで傷が多すぎてまともに動くことすらできない。かといって他の異能は言わずもがな。正直、八方ふさがりだ。


 とにかく、セピアの異能を防がなければ……。

 考えるも、セピアの異能を防ぐ方法など数える程度しかない。その内玲が試した方法、つまり赤塚に意識を逸らしてもらう方法だが、それは正直難しいだろう。行うこと自体は簡単だが、如何せん琴吹と赤塚は面識がない。琴吹が赤塚の言葉に耳を貸すか不明であるし、赤塚も琴吹の気を逸らすことなど知りもしないだろう。

 それに、もしセピアの異能を防ぐことができたとしても、セピアの武器は異能だけではない。琴吹が相手ならば、ナイフ一本で十分だろう。つまり、琴吹にはセピアの異能を回避しつつ逃げるかセピアを倒してもらわなくてはならない。言うまでもなく無理だ。


「どうしようも、ないのか……」


 玲は強く瞼を閉じる。

 どうしようもない状況。もはや無理だと内心悟っているのか、琴吹がセピアにやられる光景が瞼の裏に映し出される。どうして、どうして琴吹が……。


 まだ短い付き合いとはいえ、琴吹とはキスもした仲だ。そのうえほぼ毎日家に入り浸られていれば、他の人間とは違う感情くらい生まれるものだろう。ただでさえ玲からすれば関わりのある数少ない人間の一人だ。子供みたいに拗ねる顔も、少しウザいドヤ顔も、屈託のない笑顔も、一つ一つが記憶に残っている。


 それに、彼女は玲に対して『好き』という感情を抱いてくれたのだ。玲としては理由も定かではないが、それは琴吹の異能を奪えたことから明白。まぁそれはあくまで異能を奪った時点での話になるので今はどうか知らないが、毎日家に来ているところを見れば、悪い感情を抱いてはいないのだろう。


 青麗院も、赤塚も、そして琴吹も――『彼女』と同じく、玲に好きという感情を抱いてくれた人物。どうしても影が重なって……。



 ――また、失う?



 玲の頭の中に、そんな言葉が浮かんでくる。

 同時、蘇ってくる記憶。もう数年も前の事なのに、まるでついこの間のことのように鮮明に思い出される。

 また、目の前で。どうすることもできずに。ただ、ただ黙って見てる。


「い、や、だ……」


 必死に言葉を紡ぐも、どうしようもないのが現実。


 所詮、こんなものなのかもしれない。一度、《アカノメ》の二人から琴吹を守ることができたからって、調子に乗っていたのかもしれない。あの頃と、何も変わってなどいない。玲は――俺は、どうしようもなく無力だ。


「は、はは……」


 玲は全身から力を抜くと、諦観するように掠れ声で笑った。


「今思えば、あの……中二病も、悪くはなかった、かな……」


 玲の瞼の裏には、バサッとマントをなびかせる琴吹が描かれていた。いつもはうざったいとばかり思っていた中二病だったが、いざ最後と思うと、少しばかり寂しく思えてくる。

 今ここで意識を途切れさせても、玲だけは生き残るだろう。目を覚ました後のことは考えてないし、考えたくもないが、きっとあれほど強烈な奴とはもう会うこともないだろう。きっと、一生忘れることはないだろう。


「中二病、か……」


 そう小さく呟いた言葉が、玲の頭の中をぐるぐると回った。


「……中二病。中二病……?」


 と、玲はふと何かに引っかかりを感じ、何度も同じフレーズを呟く。


 中二病。

 玲は琴吹しか例を知らないが、他人には理解しえないような世界を自分で作り、その世界に忠実に則り訳の分からないセリフを吐いている。そのうえ眼帯に黒マント、指ぬきグローブに杖と、お前はファンタジー世界の人間かと突っ込みたくなるような装い。正直玲には理解しがたい。ネットでは思春期に起こりやすいと書かれてはいたが、何分こんな性格だ。玲には訪れる影すらない。

 かといって、その全てを否定できるわけではない。全ての中二病がそうなのかは知らないが、少なくとも琴吹は、全力で中二病をやっていた。あんなんだ。今まで誰かに否定的なことを言われたことは一度や二度ではないだろう。それでも決してやめることなく、琴吹は今の今まで中二病を立派に貫いてきた。

 自分を信じ、自分の中にある世界を信じる。その様は、とても玲に真似できるものではない。

 そしてそれはある意味……。


「……そうか。それなら、もしかしたら……」


 玲は小さく呟くと、ゆっくりと瞼を持ち上げた。

 必ずうまくいくという確証はない。しかし、もとより何の打開策もないこの状況、やってみる価値はあるだろう。


 先程までの諦観はどこへやら、玲は目つきを鋭く細めると、静かに息を吐いた。そして――。



 ――赤塚、頼みがある。



******



 足がガクガクと震えている。いや、それを言うならば足だけではない。全身という全身が、恐怖を訴えるように酷く震えている。

 しかし、琴吹は決して負けない。震えを吹き飛ばすように、もう何度目かも分からない叫びをあげる。


「どうした、我の偉大さに恐れをなしたか!? まぁ無理もない。何せ相対しているのがこの我なのだからな! はははははははっ!」


 琴吹の言葉に対し、セピアは静かに黙り込む。本当に琴吹に対し恐怖を覚えたのだろうか。


 しかし、本当に恐怖を感じているのは琴吹の方だ。

 予想はしていた。異能、異世界に関係していることであれば、危険が……それも、最悪死に至るほどの危険があると。それは、ヴァニラ、ライラックと先日琴吹を攫いにきた奴らを見れば想像がつく。

 そして事実、この場に来てみれば死という恐怖が蔓延していた。そこかしこに滲む赤い染み、深く抉れた地面、誰かは分からないがその身をボロボロにし地面に伏せる金髪の女――そして、見るも痛々しい傷跡で身を汚し、血だまりに倒れ込む玲の姿。思わず目を逸らしたくなる光景に、琴吹は酷い吐き気を催す。そして、今まで感じたこともない恐怖が身を襲った。


 以前、ヴァニラとライラックが襲ってきたときも、当然恐怖は感じた。それは琴吹自身が殺されそうになった時もだし、玲がヴァニラに殺されたと思った時もだ。

 しかし、今はその時とは状況が異なる。それは、まだ誰も死んでいないということだ。

 あの時、琴吹は玲が死んだものだと思っていた。それ故、どこか琴吹の心の中には虚無感らしきものがあった。死への耐性、なんて言っていいものかは分からなないし、第一言いたくもないが、どこか死を達観していた節があったのだ。と言っても、死にたくないとは思うし、恐怖もあったわけだが。


 だが、今はどうだ。

 金髪の女は敵か味方かは分からないが、その女も玲も、まだ死んではいない。そう、死んでいないのだ。その分、どうしても琴吹に付きまとうのだ。自身の死とはまた別の恐怖――目の前で、人が死んでしまうかもしれないという恐怖が。

 ある意味自分の死よりも恐怖を感じるそれは、もちろん誰にでも感じるわけではないだろう。曲がりなりにも知り合い、好意を抱いた玲だからこそ、より一層感じてしまうのだ。


 もちろん、玲は『不死身』の異能を持っているのだから確実に死ぬことはない。しかし、そうと分かっていても、だったら大丈夫かと安心できるわけがないだろう。たとえ死なないとしても、傷を受ければ痛いし苦しいのだ。それは、死に至るほどのけがをしたことのない琴吹には推し量ることのできないものだろう。 それに、琴吹はまだ玲が死なないのだと信じ切れていない。琴吹自身の目で見たことがないからかもしれないが、心の底から生き返るなど考えられないのだ。あの時、ヴァニラに刺された時だって、琴吹は死んだと思ったが、実際に死んだかどうかまでは分からない。『不死身』が発動した保障などどこにもないのだ。


「玲……」


 琴吹はセピアにも聞こえないくらい小さく呟き、玲に視線を向ける。

 酷い……などと言う言葉では決して表せない状態。無数に開けられた傷穴は真っ赤に染まっており、おびただしい量の血液が流れ出ている。本当に生きているのかと疑いたくなる状態。

 だが、玲の瞳は虚ろながらもまだ開いている。生きている。


「そう、そうだ……まだ生きてるんだ」


 玲が死ぬかもしれないという恐怖?

 確かに今、琴吹を蝕んでいるその恐怖はとてつもなく大きいが、それは逆に言えばまだ助けられる道があるということだ。


 確かに、何の力もない琴吹が玲でも勝てなかった相手に勝てるとは思えない。しかし、だからといって何もしないわけがない。一パーセントでも勝てる可能性があるのなら、それに縋らないわけがない。


「ふふっ、そうだ! 我は漆黒の黒魔導士。この身に宿す漆黒の業火で貴様を焼き払ってくれよう!」


 そう言い、琴吹はマントをなびかせる

 と、そんな琴吹を見てセピアは珍しく唸るように声を上げた。


「……うーん、どうやら話が通じないみたいだねぇ……これ以上聞いてても時間の無駄だし、ぱっぱとやっちゃおうかなぁ」

「ふっ……何だ? 我とやる気か?」

「正直その格好じゃこっちの世界の人間かあっちの世界の人間か判別できないし、その他にもいろいろと聞きたいんだけどなぁ……まぁいいっか。あの人間を庇うってことは敵だし、今はあっちの世界に帰ることが先決だしね」

「先程から何をぶつぶつと喋っている? よもや戦う前から負けを認めているわけではないだろう?」


 何やら小さくぶつぶつと独り言ちるセピアに、琴吹は懐疑の視線を向ける。しかしセピアはこれ以上琴吹とまともに取り合う気がないのか、俯かせる視線を上げると、黙ってまっすぐ琴吹のことを射抜いてくる。


「っ……」


 瞬間、全身を走る悪寒。間違いない。殺気だ。

 琴吹が殺気を感じたことは一回だけ、ライラックの時だけだが、ライラックの放つ暴力的でまっすぐな殺気とはまた違う。べっとりと全身にまとわりつくかのような粘着質な殺気。琴吹は思わず全身をわなわなと震えさせる。


「来てもらったばかりで悪いけど……終わりだよ」


 ゆっくり、平坦な声でそう言うと、セピアはそっと右腕を琴吹にかざした。

 ビクッと震える琴吹。しかし、ここで引くわけにはいかないと、琴吹もまたまっすぐセピアに視線を向ける。


「ここに来るくらいだから異能について君も知っているだろう? 君が持っているかどうかは知らないけどさ、僕は……そうだねぇ君も言っていた、火を操るんだよ。僕が手をかざしただけで大量の火が噴射し、ここら一帯を火の海に変えることもできる」


 ここに来て悠長に話すセピアに、琴吹は眉根を寄せる。


 ――無論、セピアの言うことは全てハッタリだ。琴吹にそう想像させるための、ブラフでしかない。しかし、そんなこと琴吹が知るはずもなく、セピアの言葉通りセピアの手から放射された炎が身を襲う展開が脳裏で展開される。

 

 このままでは、死ぬ。

 そう思う琴吹だが、どうすることもできすただ立ち尽くすしかない。杖をぎゅっと握り、来る炎に備える。いくら逃げたところで無駄だろう。セピアの言い方からすれば、かつて琴吹が持っていた異能のように言う程熱くもなければ野球ボールサイズしか出せないというわけではないのだろう。正真正銘本物の炎。その気になればここら一帯を火の海に変えられるとすら言うし、琴吹ごときが何をしようと同じだ。待っているのは黒く焦げる未来だけ。


「でも、諦めない」


 セピアをまっすぐ見据え、琴吹は立つ。

 たとえ逃げられなくても、どうしようもなくても、諦めることはしない。

 そも、琴吹ではどうすることもできないというのは、ここに来る前から分かっていたことのなのだ。今更慌てることではない。


「どんと来いっ!」


 もはや中二病さえ忘れ、琴吹は素でセピアの火を迎え撃つ。

 そんな琴吹を見て、セピアはニヤリと笑った。


「無駄さ。君は成す術なく僕の火に焼かれる」

「そんなの分からない!」

「はぁ……本当にそう思っているのかねぇ。君がどう取り繕うと、無駄だというのに。本心で、一瞬でも死を感じてしまえば、それは死なんだよ」


 セピアは呆れるように息を吐くと、もう話すことはないというかのように、琴吹にかかげた手に力を込めた。自然、琴吹も身構える。


「まぁやってみれば分かることさ。死ねぇ――!」

「っ!」


 来る――そう感じた瞬間、琴吹を不思議な感覚が襲った。

 意識が途切れるような、頭がボーとするような。こいういのを浮遊感というのだろうか。と、そんなことを考えていると琴吹の頭の中に何かが響いてきた。


 ――?


 琴吹は不思議に思い、頭の中に響く何かに全神経を向ける。すると、初めは聞き取れないノイズのように響いていた何かが、形を帯び始める。これは……声?


 ――聞――るか、――吹!?


 と、ところどころ途切れてはいるが、間違いない。声だ。しかも、琴吹のものではない。琴吹の脳内で響いているにもかかわらず琴吹のものではないというのも変な話だが、事実、琴吹の声では決してない男の声なのだから仕方がない。というよりこの声は……。


 ――玲……?

 ――あぁ、聞こえたか。よかった。

 ――って、うぇえ!?


 今度こそはっきりと聞き取ることのできたその声に、琴吹は脳内で驚愕の声を漏らす。


 ――え、えぇ!? 玲……? っていうか、えぇ!?

 ――……とりあえず落ち着いてくれ。話ができない。

 ――え、え? だって、玲はあそこで倒れて……っていうことは、これは私の幻聴!? 私ついにそこまで……!?


 と、玲の声などそっちのけで混乱する琴吹。まぁ無理もない。つい先程まで、いや今でも少し離れた場所で瀕死の状態で倒れている人物の声が脳内で響くなど、あり得ないことが起きているのだ。それも、本人の自覚なしで、勝手に言葉を紡いでいる。幻聴と考えるのが妥当だろう。

 しかし……。


 ――琴吹落ち着け! これは本物だ。えーと、詳しい説明は省くけど、こういう異能なんだ。今はそれで納得してくれ。

 ――い、異能……?

 ――ああ。


 ひとまず、脳内で響く異能という玲の言葉に、琴吹は心を落ち着かせる。詳しくは知らないが、玲はテレパシー的な異能でも持っているのだろうか。とりあえず、今は静かにしていた方がよさそうだ。

 すると、玲がどこか急いだ様子で言ってくる。


 ――時間がないから、言いたいことだけ伝える。

 ――時間がないって?

 ――物理的にも俺の体力的にも……っと、いいか琴吹。一度しか言わないからよく聞いてくれ。……多分、この先も言わないだろうし。


 琴吹は眉をひそめると、といっても実際に眉をひそめたわけではないが、玲は何か大事なことを言おうとしているのか脳内にスーハーという深呼吸が聞こえてくる。そして――。





 ――自分を信じろ。お前は立派な黒魔導士だ。お前の思い描く、世界を支配する者なんだ。だから、疑うな。信じろ。お前ならやれる……俺も、信じてるから。






「――っ!?」


 と、気が付けば謎の浮遊感めいたものは消えていた。

 脳内に響く声も聞こえず、あるのは絶対絶命という現実のみ。今までも映っていたはずなのに、まるでなかったかのようにセピアのニヤリ顔と向けられる掌が視界に入ってくる。


 現実だったのか、はたまた夢だったのか。

 琴吹は今しがた自身に起こったことを考える。玲は異能と言っていたが、それは本当に玲が言ったことなのだろうか? もしかしたら、本当に琴吹が作り出した幻なのではないだろうか。

 琴吹はわずかに首をかしげる。が、即座に横に振った。


 ――違う。私の中の玲は、あんなこと言わない。


 そう、玲は自分を信じろと言ったのだ。

 琴吹は、玲が琴吹の中二病を鬱陶しがっていたのを知っている。琴吹の中二的行動や言動をスルーしたり、軽く流したりしていた。それでも本気で嫌がっていなかったのが琴吹としても嬉しいところなのだが

、決して肯定はしないだろう。

 しかし、先程脳内で玲は信じろと言った。琴吹の、自分自身の中二病を。もし、琴吹自身が作り出した幻聴であるとするならば、そんなことは言わないはずだ。


 ――いや、本当はそんなことどっちでもいいのかもしれない。


 玲は言ったのだ。自分を信じろと。そして、信じていると。

 たとえそれが本物だろうと偽物だろうと変わりはない。琴吹がすることは、たった一つだ。


 瞬間、琴吹が想像した通り、セピアの掌からオレンジ色の炎が勢いよく噴射される。あまりの勢いに轟音が生まれ、あまりの熱さに大気が震える。少し触れるだけでも、火傷では済まないだろう。ましてや、あんな炎に身を包まれれば、死は確実だ。

 しかし、琴吹は一ミリたりとも臆することなく、バサッとマントをなびかせた。


「ふははははははははっ! 我は漆黒の黒魔導士。いずれ世界をこの手に収めるものだ。そんな我にそんなちんけな炎を向けるとは、笑止! ならば! 貴様に見せてやろう。本物の炎と言いうやつを。本物の獄炎をな!」


 叫び、手に握る魔法杖を炎に向けてかかげた。


 もう、恐怖などない。あるのはただ、自分自身を信じる心。そして、こんな自分を信じると言ってくれた玲を信じる心だけだ。


「もう一度、我に力を貸してくれ『黒炎の覇王』よ――《終焉の劫火(オブ・ジ・エンド)》!」






 ――瞬間、漆黒の炎はセピアの炎を喰い――セピアをも、喰んでいった。

 


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ