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天才引きこもり少年の女子攻略  作者: 太田裕
エルローレ編
56/59

セピア


「ぐっ……」


 あり得ない、あってはならない状況を前にして、セピアは酷く焦っていた。

 奥歯をこれでもかという程強く噛みしめ、握る拳からはやや長めの爪が皮膚に食い込み薄っすらと血が滲んでいる。先程まで全身を襲っていた打撲の痛みも、今は全くと言っていい程感じられない。


 ――何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ……!?


 疑問が、セピアの頭の中を一杯に満たす。


 ――何故、僕の異能が効かなかった……!?

 

 今まで、自身の異能に絶対の信頼を置き、もはや依存と言っていい程頼ってきたセピア。そんなセピアからすれば、絶対的力である異能が効かなかったなど信じたくない。いや、信じることができないのだ。それが単なる現実逃避であるなど、今の半ばパニック状態に陥っているセピアに分かるはずなどない。セピアはただ、目の前で起こった現象を信じまいと大きくかぶりを振った。


「そうだ、そうだ……。僕の力が効かなかっただなんてありえない。今のはただの偶然……そうに決まっている!」


 わなわなと震える腕を押さえ、セピアは頭の中を駆け巡る最悪な妄想を吹き飛ばすかのように大きく叫ぶ。はたから見ればさぞ滑稽なことだろう。今までさんざん余裕ぶってきたセピアも、たかが異能をなくすだけでこの体たらく。もはや、薄っぺらい悪魔の笑みなどどこにも存在しなかった。そこにあるのはただ、認めたくない現実から逃避する子供だけ。


 狂気も、余裕も、残虐性も、その全ては絶対なる異能により生まれたもの。

 強力すぎる力をもって生まれてきてしまった故に、セピアはその力に溺れ、依存するしかなかったのだ。いつ、いかなる時でも自分が絶対の強者である。その、セピアにとって当たり前の状況が今、崩されかねないのだ。セピアが焦り余裕をなくしてしまうのも、無理はない。


「……もう一度だ。もう一度やれば、絶対に成功するはずだ……」

「…………」


 もはや、別人。

 セピアの顔に張り付くのは、狂気じみた悪魔などではない。見えないものにすがり続け、自身の弱さを何より恐れる……ただの人間だった。いや、それもある意味悪魔なのかもしれない。


 憐み、だろうか……?

 平常時とは別の意味で狂うセピアを前に、玲はただただ黙って立ち尽くしている。その陰に隠れる表情は読み取ることができず、セピアを憐れんでいるのか、気味悪がっているのか……。しかし、そんな玲をどう受け取ったのか、セピアは口元を大きく吊り上げた。


「ははぁ……! 怖いのか? そうだろ、そうだろう。だってたまたま、まぐれだもんねぇ。さっき僕の異能が効かなかったのはまぐれ……だから、次は確実に効く。それが怖いんだろう……!?」

「…………」

「まただんまりか……ほんと、黙ったり喋ったり意味わかんないねぇ。そういえば、そもそも君は何なんだ?」


 ふと、今更ながら玲の存在に疑問を浮かべるセピア。

 今までセピアの邪魔をする故に戦ってはきたが、見る限り玲はこの世界の人間。セピアを邪魔する理由も、力も、本来ないはずなのだ。とはいえ、ここまでセピアを追い詰めた人間。その身体能力も脅威のものであるし、何等かの異能を持っているのはほぼほぼ確定だろう。この世界には、向こうの世界から流れ込んだ因子を取り込むことで異能を身に着けてしまう人間がいる。セピアが聞く限りその人間はほとんど女だったはずだが……それでも全てではないし、玲は恐らくそうなのだろう。それに、どういう関係かは不明だがセピアの探す、あの金髪メイドとも知り合いの様だし……。


 案の定というかなんというか、セピアの疑問に対して、玲は答える様子を見せない。さすがに慣れたか、はたまた気にするような精神状態ではないのか、セピアは玲に激昂するわけでもなく、狂ったように笑みを浮かべるだけだ。

 結局玲の正体については不明だが……まぁ、どちらにせよ殺すことに変わりはない。玲の正体に関してはあとでじっくりと調べればいいわけだし、今は玲を確実に殺す方が先だ。


「もちろん、僕の異能でねぇ……。そうさ、やれる。殺すんだ。僕は、僕の異能で……やってやる! 効かないなんてあり得ない! 絶対に……殺す!」

「っ……」


 自分に言い聞かせるように繰り返すセピアは、気味の悪い壊れた笑みから一転、憎しみのこもった瞳で玲を射抜く。そして、その細い腕を玲に向けた。まるで、一度玲の生命活動を止めたあの時……心臓を奪った時のように。

 ゾクリ、とセピアから放たれる殺気を感じ取ったのだろう。セピアの異能を予感したであろう玲は、咄嗟に身構える。


「死ね、死ね、死ねぇ! 僕の異能が効かないはずなんてないんだぁ……!」


 叫び、玲に向ける腕に力を込める。

 歪み、壊れた狂気。その狂気は、セピアのみならず玲をも侵食し、玲の心臓をその手につかみ取り――。




 


 ――はしなかった。


「――なんてね」


 瞬間、セピアは全力で地面を蹴ると、玲との距離を一瞬で縮める。

 

「なっ……!?」


 当然、それまで異能が発動するものだとばかり思っていたであろう玲はセピアに対して反応することができず、懐に入ることを許してしまう。

 セピアは懐から愛用のナイフを取り出すと、玲の二の腕を深々と抉る。


「ぐあぁっ!」

「こんなんで済むと思ったら大間違いだよぉ?」

「な、に……」


 苦痛に顔を歪める玲を見て、セピアは楽し気に笑った。

 その笑みは先程までとは全く違う。狂っていても、狂気に満ちていても、壊れてはいなかった。そう、まるで純粋な悪魔のような笑みをその童顔に張り付けるセピアは、懐からもう一本ナイフを取り出すと、今度は太ももに刺し込んだ。


「がぁ……!」

「ははははっ! いいねぇ……? 何? もう一本欲しい?」

「ぐ……」

「もう、欲しがりだねぇ。いいよ、一本と言わず何本でもあげるよ」


 そう言うと、セピアは三度懐からナイフを取り出す。一本、二本、三本……合計五本ものナイフを、セピアはわざとバラバラの場所に刺していく。腹、胸、掌、肩、脛。一本刺されるごとに、玲の苦鳴が重々しく響く。


 愉しい愉しい。やはり、自分にはこうして人を弄って遊んで喜んで、良い方向に狂っている方が似合っていると、セピアはナイフを弄りながら心底思った。肉を抉る感覚、流れる血の赤い色、鼓膜を震わせる悲鳴。それらすべてが、セピアの気持ちを昂らせ、酷く愉快な気持ちにさせてくれる。


「あぁ……いいねぇやっぱりいいねぇ。さすが僕愛用のナイフ、気持ちいいくらいに抉れるよ。いつも、ちょっと邪魔かなって思ってたけど、やっぱり大量に懐に入れといて正解だった。ほら、まだ耐えてよ。あと三十は残ってるんだからさ」

「……ぐ、お、お前……」

「何さ? ……あぁ、さっきのアレ? やだなぁ、演技に決まってるじゃないか」


 苦鳴を漏らしながらも、何やら視線で訴えてくる玲。そんな玲の言いたいことを察したセピアは、あっけらかんと肩をすくめる。


「大体僕くらいになるとねぇ、異能が効かないことの二度や三度は体験しているもんなんだよ。たとえ異能が効いたとしても、絶対に倒せない奴もいるしね」


 そう、セピアは知っているのだ。

 異能に満ちた世界であるが故に、絶対の力である異能を封じられる状況というのがあること。その状況下では、自身の純粋な身体能力と冷静な判断力が必要になることを。そして、たとえ強力な力を持っていたとしても、それより大きな力というものは顕然と存在し、セピアの力など軽く吹いただけで飛ばされてしまうことを。その、小さな身をもって。


 セピアとて、初めからそうだったわけではない。無論、セピアの力が強力な力であることは変わりないし、大きすぎる信頼を置いていた時期もある。セピアが貴族の出であり、周囲に褒めそやされていたこともその信頼や依存を助長させていただろう。

 そして、狂った。まさに、先程のように壊れた。生まれて初めて絶対的な壁を前にして、セピアは齢十二にしてその心を壊した。今でこそ、世界を知り、最強を知り、自分の弱さを知った故に成長することができたが、当時は相当に酷かったと、セピア自身思っている。

 ……まぁ、その時の経験があったからこそあれほどまでリアルに演技できたのだから、皮肉というものだが。


 それに、そもそもセピアが本当に自分の力に絶対的自身を持っているのだとすれば、怯える必要などないのだ。セピアが組織の命令を遂行するのも、失態がバレないように急いで金髪メイドを探しているのも、全ては自分が消されることを防ぐため、自分よりも絶対的に強い存在に対して、怯えているからなのだ。


 異能に対する絶対的信頼? 異能による自信? 異能による余裕? 

 あるはずがない。そんなもの、とうの昔に捨ててきた。


「さすがに効かなかった時は驚いたけどさ、そんな時の対処法だって考えてるんだよ。結果、こうして意表をつけたわけだし。こういう時のために、本来必要のない体術なんて覚えたわけだしね」

「く……」

「まぁ、僕にもいろいろあったっていう話さ。君がこのまま僕に、ひいては《アカノメ》に逆らうって言うんだったら知るかもしれないね。絶対的存在ってやつを」


 ブルッと。ナイフを通して玲の震えが伝わってくる。

 セピア自身気づいてはいないが、玲は分かったのだろう。愉し気に歪められるセピアの瞳の中に、微かな怯えの色が存在していたことを。そして感じ取ったのだろう。微かながらに、セピアの感じた恐怖や絶望というものを。


「まぁ、君は今ここで僕に殺されるわけだから……知ることはないだろうけどね」

「…………」

「じゃ、再開しよっか。少しは痛みもひいてきた? まぁそんなわけないか。ははは!」


 いつものように嗤うセピア。しかし、今の嗤いに関しては決して心からのものではなかった。

 話始めたのは自分であるし、完全に自分の責任ではあるのだが……。今の話で少しばかり昔のことを思い出し、同時に嫌な思い出も蘇ってきた。愉しかった気分に水を差されたようで……少しばかり不愉快に感じるセピア。そんなセピアは未だたくさんあるナイフを懐から取り出すと、若干の苛立ちも込めて玲に突き刺した。が――。


「?」


 いつまでたっても聞こえてこない悲鳴にセピアは首をかしげる。

 肉を抉る感覚もきちんと感じたし、見れば血も溢れてきている。ナイフは間違いなく刺さっており、鋭い痛みが玲を襲っているはずだが……。

 再び懐に伸ばしかけた手を引っこめると、セピアは玲の様子を伺う。身長差故に見上げなくてはならないのが少しばかり気に入らないセピアだが、この年齢になったのは自分だ。仕方なしと思うほかない。


「っ……?」


 と、生じた疑問を解決するために玲を見上げたセピアだったが、その様子に疑問が解消されるどころかまた新たな疑問が生まれてくる。


「何で、笑ってるのかな……?」


 そう、玲は気を失うでも痛みをこらえるでもなく、笑っていたのだ。口元を少々吊り上げる程度で、セピアに比べれば笑みとも呼べないものだが、それでも笑っていることに変わりはない。

 自分が圧倒的優位にもかかわらず、セピアは嫌な予感が生まれてくるのをひしひしと感じる。


 ――何だ? 何なんだ?


 謎の笑み。セピアは必死に思考を巡らせながら、玲に対し最大限の警戒を向ける。

 いつもなら余裕ぶるところではあるのだが、正直玲に対してはセピアも未知数であるところが大きい。先程、セピアを一方的に打ちのめした玲の身体能力は驚異のものであったし、それ以前に玲は一度殺したはずだ。にもかかわらず、何もなかったかのようにセピアの前に現れた。何をしてくるか分からないし、何をしてきても不思議ではない。


 そんな、若干の焦りを見せるセピアを見て、玲はその口元をさらに吊り上げた。


「終わりだ、セピア……」

「何だって……?」


 まるで、勝利を確信したかのような玲の発言。その表情は、自信に満ちている……が。やはり、セピアのナイフが効いているのだろう。玲は明らかに痛みを我慢しているようで、吊り上げる口元はひくひくと動き、全身はわなわなと震えている。まぁ、無理もないだろう。何せ先程からセピアとの戦いで披露し、怪我を負っているこの状況で更に七本ものナイフを生やされているのだ。むしろおかしいのは、そんな状況下での余裕の勝利発言だが……。

 いや、だからこそ、いっそう不気味に感じるのだ。


「……ずいぶんなことを言ってくれるねぇ? そんなにボロボロで、痛いでしょ? 一杯血も出てるしねぇ」

「ぐ……」

「ほら、終わりなのは君の方なんじゃないかなぁ?」


 明らかに満身創痍な状態の玲。確かに何をしてくるかは不明だが、さすがにこの状態で何ができるとも思えない。となると、玲の発言はブラフか……。


 ブラフである可能性を考慮し、セピアは少しばかり警戒を緩める。

 考えてみれば、玲が何をしてこようと関係ない。玲は満身創痍で、ほぼ死に近い状態。一方こちらはまだ動けるし、懐には約三十の武器がある。相手の力を考慮していないようで、褒められた手段ではないが……やられる前にやる。今は、それだけのことができる状態なのだ。

 そう決断すると、セピアは素早く懐に手を伸ばす。手繰り寄せるのは、一本のナイフ。これで心臓を一刺しすれば終わりだ。

 警戒を完全に解き、セピアは一度の攻撃にのみ意識を集中させる。ナイフを取り出し、そして、玲の心臓へと――。


「いや、お前だよ……セピア」


 ――ゾクリ。


 瞬間、セピアを何かが襲った。

 脳内でけたたましく響くのは、まるで危険を知らせるアラートのようだ。全身を悪寒が走り、心臓の一センチ前でナイフの切っ先が止まる。あと一センチ、ナイフを動かすことができれば勝ちなのに……その一センチがどうしても動かせない。気づけば、自分でも意識しないうちに大量の汗が出ていた。これは――。



 ――これは、死の予感?



 理解すると同時、玲の大声が響いた。



「今だっ、エル! 撃て――!」



 キラリ、と。

 視界の端で、あの忌々しい金髪が煌めいた。鬱陶しい輝き。それを認識したときにはもう、真っ赤に染まった銃弾がすぐそこまで迫っていた。避けることも、受けることもできない。

 セピアはただ、迫りくる血弾を見ていることしかできなかった。そして――。


「――」


 深紅に輝く血の弾は、易々と貫いていった――。









 ――地面を。

 

「っ……!」


 当たらなかった――そう認識したと同時、セピアは反射的にその手に持っていたナイフを投げつけていた。標的はもちろん、十数メートル離れた場所の金髪メイド――エルへと。

 いくら小柄で細身の体型と言っても、常人に比べれば圧倒的な力を持つセピアだ。そのうえ、半ば無意識的に投げたナイフは手加減などできるはずもなく、セピアの持つ全力で投げられた。銃弾とまでは言えないまでも、それに迫るほどの速度。誰もが呆気にとられている中、そのナイフだけが空を切り、エルのすぐ目の前まで迫って――。


「ぐあぁっ!」


 玲の背中を、深々と抉っていった。


「なっ、いつの間に……!?」


 驚愕するセピアは、思わず先程まで玲が立っていた位置に視線をやる。先程まで玲がいたのはセピアのすぐそばのはずだが、当然、そこには何もなく……玲は今の一瞬で、十メートル近く移動したことになる。これにはさすがのセピアも目を見開くが、すぐにかぶりを振って意識を戦闘へと戻す。考えてみれば、玲の身体能力はセピア目線からしても馬鹿げているというのはすでに知っていたはずだ。今更どのような芸当を見せられようが驚くことではない。


 セピアは落ち着きを取り戻すと、懐へと手を潜らせ一本のナイフを構える。今の一撃こそ防がれてしまったが、幸いにも玲を無力化することができた。結果オーライというやつだろう。

 すでに満身創痍だった玲は、今の一撃でほぼ瀕死。今も短い苦鳴を漏らし、何とか意識は保っているようだがとても動ける状態ではないだろう。一方エルは、玲ほど酷い状態ではないとはいえ、相当無理しているのは確かだ。現に今は地面に膝をつき、四つん這いの状態になっている。こちらもまともに戦闘ができるとは思えない。もっとも、たった今絶好の機会を自ら逃した彼女は精神面でももうダメだろうが。


 エルの血弾は焦ったが、状況は一瞬にして好転。玲、エル両名満身創痍で、あとはセピアがとどめを刺すだけだ。それで、全てが終わる。


「……案外、長かったように感じるねぇ」


 発した本人ですら驚くほど、感慨深さを孕んだ声。時間にすれば一週間程度でしかないが、まるで長年に及ぶ宿敵をこの手で仕留める時のような感慨深さがある。

 思えば、王国の王女を攫ってくるという簡単な任務のはずだったのに、こんな別次元の世界にまで来てしまった。何やらヤバい異能を持っているらしいが、そんなものセピアにとってはどうでもいい。正直に言えば、組織の目的にだって興味はない。ただ、やれと言われたからやるだけだ。当初の予定では王女を攫うついでに、趣味である住民の悲鳴でも聞こうかと思っていたのに……元凶を辿れば、王女のメイドが想像以上にやり手だったことが全ての始まりか。


「金髪メイド……名前は確かエルローレ・G・スワロ……?」


 と、そこまで言いセピアは眉をひそめる。

 別に名前が思い出せないわけではない。ただ、引っかかるのだ。G……詳しいことは何も思い出せないが、このGという名前に微かな既視感を感じる。そう、どこかで聞いたことがあるような……あれはまだ貴族だったころだろうか。G……Gとは確か……。

 セピアは手を顎に当てながら微かに残る記憶を辿り、既視感の正体を探る。


「ぁ……そういえば。G……そういうことか。なるほどねぇ、どうりで」


 独りでに納得するように頷くセピア。

 ゼピアは地面に伏せるエルの金髪に目をやると、次いで地面に滴る血液を見る。……やはり、記憶の中にあるソレと同一。


「まぁいいや。君がどこの誰であろうと僕には関係ないしね。どうせ今から死ぬんだし」


 セピアは気を取り戻すようにナイフを持ち直すと、一歩一歩ゆっくりと近づいていく。感慨深さはもうない。今あるのはただ、勝利への喜びだけだ。余裕は持つが、気は抜かない。セピアは一見飄々した態度でナイフをくるくる回しながらも、最大限警戒を緩めない。最後の最後、ここで気を抜いてやられるのは馬鹿がすることだ。何度それで失敗したか分からない。

 すると、まだ体を動かす程度の体力は残っているのかエルが手をセピアに向けてくる。


「何?」

「止まれ……一歩で動けば撃つ……!」


 そう言うエルの掌には、真っ赤な血が見て取れる。自身の血だろうか。恐らく、先程もあの血を使ってセピアに血弾を飛ばしてきたのだろう。彼我の距離は十メートル足らず。この距離で撃たれれば、銃弾が如く速度で迫ってくる血弾を避けることはできない。心臓や脳にでも喰らってしまえば、一撃死も十分ありうる。しかし……。


 セピアは、エルの制止をものともせず、再び歩みを再開する。その視線はもはやエルにはなく、時折苦鳴を漏らす玲に注がれている。


「止まれっ……!」

「あのさぁ、今更そんなのが効くと思ってんの? さっきの血弾、正直終わったと思ったけど結局当たらなかった。けどさ、変な軌道だったんだよねぇ。真っすぐ僕の方へ飛んできたかと思ったら急に落ちてさ。まるで血弾にかかる力がなくなったかのように」

「…………」


 黙り込むエルに、セピアは口元をぐにゃりと歪ませる。


「あれでしょ? もう異能で血液を操れる程の力は残っていない。さっきも途中で力尽きて、惜しいところで血弾が異能から解放されて地面に落ちた。確かに、液体である血を操るのなんて相当に体力削られそうだもんねぇ。あと気力も」

「ぐ……」

「そういうわけだからさ、君はそこで見てなよ。この人間が殺されていくのをさ」


 言い返す言葉も気力も残っていないのか、エルはただ悔し気に歯噛みするしかない。

 エルは今、やるせなさや無力感で一杯だろう。エルの心の中を想像すると、全身を震えが走る。玲が殺されるところを見て彼女の表情がどう染まるのかが見たい。絶望か? それとも発狂か? 想像するだけでニヤけが止まらない。

 セピアの頭の中で早く玲を殺したいという思いが強くなっていくが、まだだ。まだ足りない。もう一つ、追い打ちをしてあげないと。

 玲との距離はもはや一メートルもない。殺そうと思えばいつでも殺せる距離。しかしナイフを構えるセピアは、見るからに演技がかった声を上げると、視線を玲からエルに移す。


「あ、そういえば。僕がここに来たのは君が原因だったよね? でもこの人間は見るからにこっちの世界の人間……あれ? こっれてもしかして……」


 そこでわざとらしく言葉を区切ると、ニヤリと口元を吊り上げ、精一杯狂気に満ちた顔をエルに向けた。その様は、まさしく悪魔で――。


「――君が僕をここに連れてこなければ、この人間は死なずに済んだんじゃないかなぁ?」

「っ――」


 セピアの言葉に、エルは悲痛の表情を浮かべる。セピアのことで頭が一杯だったのだろうか、エルは今気づいたかのように目を一杯に見開く。

 これで、彼女の心の中に責任という感情が生まれたはずだ。玲が死んだ瞬間、絶望と、後悔と、責任と……その他もろもろの感情にさいなまれることだろう。その様が早く、見たい……。


 セピアはエルの表情を十分に堪能すると、改めて玲に視線を落とした。

 体は微かに動いており、苦鳴も聞こえる。意識はあるだろうが、こちらに視線をやる体力すら残っていないか。表情を見られないのは残念だが、玲からしてもセピアは見えないはず。いつ殺されるか分からない恐怖を感じさせているともいえるので、それはそれでナイスだ。


「じゃ、あんまりのんびりしてるとロクなことが起こらないからねぇ……終わらせよっか」

「待て……」


 エルのすがるような、弱々しい声が聞こえるが気にしない。セピアは愛用のナイフを振りかぶると、玲に向かって垂直に下ろし――。




「――スト――――――――プ!」



 

 ピクリと、反射的にナイフを振り下ろす手が止まった。

 また邪魔が……そう鬱陶しく思うも、相手からすれば自分が無防備な状態でいる以上無視するわけにもいかない。獲物を仕留める瞬間が一番隙ができるというだろう。セピアはナイフを玲から引くと、声のする方へと体を向けた。


 そこにいたのは、無論玲でもエルでもなければ、セピアの会ったことのある人間ではなかった。

 眼帯で片目を隠し、その体を覆うのははためく黒マント。手には魔法杖と思われるものが握られており……セピアやエルと同じ向こうの世界の人間だろうか。


「はぁ、はぁ、よかった……じゃなくて! ゴホン……ふ、はは、ははは、はははははははははははっ!」


 黒マントはバサッとマントをなびかせると、その高い声で高らかに笑って見せた。どうやら女らしい。

 どうした? と眉をひそめるセピアだったが、チラリと見ればエルも呆気に取られている。確かに初めて会った人間がいきなり高笑いし始めたら呆気にとられるのも分かるが……ということは、あの黒マントとエルたちは仲間ではないのだろうか。

 しかし、当の本人はお構いなし。呆気に取られる二人を前にして、黒マントは堂々と仁王立ちして見せた。


「随分と遅くなってしまったが……これも神が定めた宿命か。それにしても、貴様。見たところ幼いが異界の者の様だな。これまた随分とやらかしてくれて……こう見えて我は相当怒っているぞ。当然、我が身に宿す漆黒の劫火にその身を晒す覚悟はあるのだろうな?」

「…………」


 仁王立ちのうえに堂々たる物言い。これまた二人して呆然とするしかない。

 何を言っているのか理解できない部分が多々あったが、何やらかっこいいことを言おうとしているのは伝わってきた。しかし……見たところ中学生程度にしか見えない小柄な少女がこのような物言いをしたところで、ミスマッチ感はどうしても否めない。これがもし大柄な男性だったならまだ威厳や威圧感があってマシだっただろう。しかし、彼女がやってもただふざけているようにしか見えない。そのうえ、言ってやったぜみたいなドヤ顔で言ってくる辺りもあまり頭のいい印象は受けない。


 そういえば、向こうの世界にもこんな奴いたなぁ、とセピアは頭の片隅で思い出す。

 わざとかっこつけたような物言いをし、いちいち鬱陶しいアクションを介さないと会話できない奴。周囲は煩わしいと思っているのにもかかわらず、自身はかっこいい思っているからたちが悪い。セピアの経験則でいうと、そういう奴は大抵バカだ。今、目の前にいる黒マントもバカなのだろうか……? よく見れば要所要所にバカさが滲み出ている気がしないでもないが……。


 セピアは大きく息を吐くと、一度目頭を押さえる。

 いきなり出てきて何のつもりかは知らないが、相手が誰であろうとセピアがすることは一つだ。登場早々派手なばかりに主導権を取られてしまったが、取られたならば取り返す。そして、邪魔するならば殺す。それだけだ。


「君は一体誰だい? いきなり出てきて意味の分からないことを言っているようだけどさぁ」


 少々苛立ちを込めたセピアの質問。しかし黒マントはそれをどう受け取ったのか、ふふふと不敵に笑い始めた。失敗だったか……と、早くもこの先の展開が読めたセピアは自身の質問に後悔しだす。


 黒マントはバサッとわざとらしくマントをひるがえすと、杖を上空に掲げて、その指部分の布がないグローブで顔を覆った。まるで決めポーズかのように。そして――。


「よくぞ聞いてくれたな! 我こそは漆黒の黒魔導士! 闇を従え、闇に誘う者。そして、いすれこの世界を手中に収める混沌の覇者である!」

「…………」


 声高らかに、堂々と、胸を張って、叫んだ。

 そんな黒マントの顔はやり切った、というように達成感に満ちており、周囲にキラキラと輝きが幻視できてしまう。鬱陶しいことこの上ない。

 

 いきなり現れた、謎の黒マント。そんな彼女を見て、セピアは思った。





 やっぱりバカだったなぁ、と。



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