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天才引きこもり少年の女子攻略  作者: 太田裕
エルローレ編
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エルサイド


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 呼吸が荒い。心臓は今までにないくらいドクドクと脈打ち、体の限界をまるでサイレンのように知らせてくる。先程から立ち止まり呼吸を整えようとしてはいるのだが、よほど無理をしたのだろうか。荒い呼吸は一向に収まらず、方は大きく上下したままだ。


 それに……体が重い。先程まではどこか意識がぼんやりとしたままながら、通常時よりも体が軽く感じられた。走る速度も、いつもよりだいぶ速かっただろう。しかし、理由は不明だが突然体を重力が襲ったのだ。まるで巨大な固形物に叩きつけられたかのように、背中に重みを感じた。それと同時今までしっかりと体を支えていた両脚がガクリと折れ、そのまま地面に倒れてしまった。

 まるで今まで何等かの力が働いていて、それが急にきれてしまったかのような……。エルは息を整えつつ思考を巡らせるも、当然答えなど出てくるはずはない。


「はぁ……それより、ここは……」


 エルは諦めて周囲を見回すも、残念なことに見覚えはない。というより、エルはこの世界の人間ではないのだ。見覚えのある場所などこの広い別世界にはほとんどない。せめてどう走ってきたかでも覚えていればいいいのだが……如何せん意識がはっきりしていなかったために分からない。


「確かセピアと戦っていたはず……それで……」


 記憶をたどって思い出されるのは、自分が玲と赤塚をセピアから逃がすためにセピアと対峙していたということだけ。

 表面上は二人が逃げるための時間稼ぎだが、エルはあの時、本気でセピアを仕留めるつもりだった。が、どうやら自分が思っていた以上に疲労が積もっていたらしく、結局セピアを倒すことは敵わなかった。戦闘の途中で意識を失ってしまったため定かではないが、恐らくセピアに負けたのだろう。その後状況がどう動いたのかは分からないが、何かがあったのは確かだ。


 だが、その何かが思いだせない。こうして離れた場所まで走ってきている以上、エル自身にも何かがあったのだろうが、その時の記憶が全くと言っていい程思い出せないのだ。何がきっかけでエルは走り出したのか、そもそも疲労困憊だったはずの体がなぜあれほどまでに動かせたのか。


 今唯一の手掛かりは、靄がかかったかのように脳が機能しなかった中、唯一頭の中に浮かんだ『逃げろ』という言葉だけだ。


「逃げろ……」


 状況から察するに、考えられるのはセピアから逃げろ、という意味だろうが……誰が、何のために?

 玲かリィかはたまた知らない誰かか……しかし、この状況でエルを逃がしたところでなんの得があるのだろうか。エルの体はすでにボロボロで、まともに戦闘など行える状態ではない。セピアがそう簡単に逃がしてくれるはずはないだろうし、今エルを逃がしたところで、エルを逃がすためにセピアと対峙したであろう誰かが犠牲になるだけだ。そもそも、それでは先程までの異常ともいえるエルの状態に説明がつかないし、頭の中に『逃げろ』という言葉が浮かんだ理由も不明だ。


「ダメだ。とにかく、今は考えるよりもセピアを探さないと……」

 

 やはり、いくら考えたところで答えなど出ては来ない。エルは頭を振って思考を切り替える

 黙っていると、すぐに頭を動かし物事を考えてしまう癖がある。周りからは冷静沈着だなんだと言われてはいるが、多少頭の回転がいいだけだし、いくら頭を動かせても行動に移さないのでは意味がない。以前はそんなことを思うことなどなかったのだが……いつからか、自分にはない行動力を持つリィを見てそう感じるようになってしまった。まぁ、考えなさすぎなのもどうかとは思うが。


 何の目的でエルを逃がしたのかは分からないが、その目的をエルが知らない以上セピアの下へ向かうだけだ。たとえ体がボロボロで、歩くだけで精一杯だとしても、エルには黙って待っていることなどできはしない。そも、あの怪物セピアはエルがこの世界へと誘ってしまったのだ。あの状況ではそれしかなかったなどと言う言い訳は通用しない。自分の落とし前は自分でつける。たとえ地面にはいつくばってでも、必死にかじりついてやる。


 エルは改めて覚悟を決めると、未だうるさい心臓をぎゅっと握り、震える脚を前に――。



 ――その瞬間、エルを奇妙な感覚が襲った。


 頭の中をノイズのようなものが走り、急激に思考が薄れる。体はあるのに、意識だけが切り離されていく感覚。頭がボーッとし、今、この場に立っているのかいないのか、生きているのかいないのかさえも分からなくなっていく。

 そんな中、明らかに自分ものではない言葉が形となり、頭の中に響いてくる。


『――――』


 言葉を紡いでいる、というのは理解できる。

 しかし、それが何なのか、何を言っているのかは理解できない。言葉が形として脳に届く前に霧散していく。


「う……」


 奇妙な感覚。自分で言うのもなんだが、今まで一般人とは比べ物にならない程壮絶で過酷な人生を歩んできたと思っている。そんな濃い人生の中には、もちろんエルの想像を超える出来事がたくさんあったし、人間が覚えるようなものではない感覚にその身を晒されたこともある。

 だが、そのどれとも違う。身の危険は感じないし、不気味だとも感じない。ただただ奇妙な感覚。だが、エルは直感的に思った。この感覚は、一生慣れるものではないだろうと。


 しかし、エルの意思とは別に体はある程度慣れていくものなのだろうか。人間の適応力は素晴らしく、エルを襲う奇妙な感覚はだんだんと薄れていく。決してなくなったわけでも、慣れたわけでもない。幾分かマシになった程度。それでも、エルの思考が回復するには十分だった。


『――。――える?』


 脳が機能を再開すると同時、今まで靄がかかったように聞き取ることのできなかった言葉が、きちんとした言葉でエルの頭の中に響いた。

 当然、自分の頭の中に響いた別人の声に驚くが、すぐに平静を取り戻す。言葉としてではなくとも、先程から感じていた感覚だ。今更驚くことではない……と言い聞かせて。


『……き、聞こえてるみたい? 玲の時はもっとスムーズにいったから焦ったけど……。それにしても、もっと驚くのかと思ったけど……まぁ話が早く進んで助かるかな』

「き、貴様は誰だ……? そもそもどうやって……」


 声しか聞こえない、知らない相手。会話をすることに一瞬躊躇するも、こんな状況だ。放っておくわけにもいかず、エルは全力で警戒しながら、慎重に言葉を紡いでいく。

 声を聴く限りでは若い女のようだし、何やら言葉がたどたどしくて悪意のようなものは感じられないが……決して油断はできない。


『今時間がないから手短に説明するけど……いちいち驚いてたら話が進まないから、驚かないで聞いて。まぁ、心配はいらないだろうけど……』

「…………」

『私は今、あなたの脳内に直接話しかけてる。私の思念をあなたに送って」

「脳に、直接……」


 信じられない、と言いたいところだが、現に今こうして脳内で知らない誰かの声が響いているのだ。信じないわけにはいかないだろう。それに、よくよく考えればエルは多種多様な異能が存在する世界にいたのだ。エル自身は直接見たことはないが、テレパシーじみた異能があってもおかしくはないだろう。

 聞きたいことは山ほどあるが、時間がないようだし、今は黙って声の主の言葉を待つ方がいいだろう。味方である確証がないあちらの都合などこちらには関係ないが、まだ敵だと断定できる証拠もない。もしかしたら味方である可能性がある以上、今はそれを見極める方が得策だ。


『だから、あなたも私と会話するときは脳内でかまわない。私自身の思念を送れるように、あなたの思念も読み取ることができるから』

「……分かった」

『あなたの考えてることは分かる。けど、今は私が味方であることを一から説明してる暇はない。いきなりで悪いけど……今の状況を簡単に説明させてもらうと――』

 

 と、どうやら本当に時間がないのだろうか。未だ警戒するエルをよそに、声の主はつらつらと状況を説明していった。


「――――」


 セピアのその後と、奴の異能についての考察。エルが玲の異能によって逃げさせられたこと。今、玲がセピアと対峙していること。そして、エルがセピアにとどめを刺すこと。

 声の主が言葉にしたことはエルが予想したこととは全く別で、今、エルが最も知りたいことだった。当然、こればかりは驚くなと言われても無理な話で、突然すぎる状況の説明に驚きと混乱を禁じ得ない。エルからすれば声の主が味方であるか否かも不明なのに、いきなりこんな話をされても……だが、今はなされたことが全て嘘だとも思えない。


『そんな……そもそも、貴様は一体誰なんだ……?』


 声の主が味方なのか敵なのか。今話されたことが真実なのか嘘なのか。それを知りたい故の質問ではあった。が、正直なところいきなりの情報に混乱しきった頭を一度落ち着かせるために、何か別のことに思考を切り替えたかっただけだ。

 エルの質問に対し、どう答えたらいいのか迷っているのか、頭の中にうんうんと声が響く。


『えと、赤塚早希って言っても分からないだろうし……さっき、逃げるために時間を稼いでもらった、赤い髪の……』

『赤い髪……? ……! そういえば!』


 赤塚の曖昧な説明に記憶をたどるエルだったが、玲と二人でセピアと対峙していた際、一人の少女を見たのを思い出す。確かに、今頭の中で響いているどこか可愛らしい声に合った容姿だったし、赤い髪だった。

 しかし、見た限りこちらの世界の人間だったはずだ。テレパシー系の異能を持っているとなると……こちらに流れ込んだ因子に適正のあった人間か……。

 

 とにかく、一度も会話をしたことがないとはいえ、一応見たことがある人間であったことにエルは安堵の表情を浮かべる。――が、それもつかの間。エルは瞬時に気を引き締める。確かに声の主が言うようにあの女の子だった場合十中八九敵ではないだろう。しかし、相手は脳内に直接声を送ってくる故に、その姿は見えない。今、エルにの頭の中に思念を送る声の主が、その赤髪の女の子である確証はないのだ。

 再びエルが警戒したことを心の声から分かったか、声の主は少々の落胆を見せる。すると、あちらで何かあったのだろうか。声の主が慌ただしく独りでに話し出した。


『え? うん、うん。え!? ……確かに試したことはないけど、できるかどうか……。やってみなきゃ分からないって、確かにそうだけど……。うん。できるかな……でも、それができたら一番早いだろうし……。うん、うん。……分かった、やってみよう……』

「……?」


 むこうで直接誰かと会話をしているのだろうか……? 明らかにエルに向けられたものではない、会話に対する返答や思考がエルの頭の中で響く。雰囲気から察するに、何かを試そうとしているようだが……。

 エルには理解できない状況に、首をかしげるエル。



 ――その瞬間、エルの中に声が響いた。



 先程までの声ではない。

 可愛らしくもどこか落ち着いた声ではなく、明るく、どこか抜けているところを感じさせる声。懐かしい……いつも聞いていたはずなのに、何だか酷く懐かしく感じられる。それを初めて聞いたのはいつだったか。気が付いた時にはもう、隣にあるのが当たり前になっていた。


 エルの脳裏を、一人の少女がよぎる。

 薄くも綺麗な緑色の髪をなびかせる彼女は、いつも先走っては馬鹿をして。かと思えば、今度は何もせずにだらけて。正直ダメなところだらけで、何度フォローしたか分からない。それでも、普段は揺るぎっぱなしでも、いざという時は確固たる意志を持つ、エルの尊敬する少女――。


「――リィ」


 気づけばエルは、無意識のうちにそうこぼしていた。


『――なんじゃ、成功したではないか。やはり、物は試しでやってみるものじゃのう』


 と、脳内に響く呑気な声。

 あっちの世界にいたときと変わらず緊張感の欠片もないその声に、エルは自然と笑みをこぼしていた。その呑気さを何度注意したかは分からないが……今は酷く安心させられる。それに……エルには分かる。一見呑気さしかないその声には、エルを心配する色を帯びていることを。


『無事じゃったか……相変わらず悪運の強い奴じゃのう』

『お前ほどじゃない。それにしても……聞いたぞ。何故行かせた……?』

『行かせたというと……玲のことかのう?』

『それ以外にないだろう。いくら作戦があるとはいえ、彼は一般人だぞ? 彼に《アカノメ》を相手にさせるなんて……』


 エルは、自身の無力さを悔いるように、強く拳を握った。

 エルがセピアをこっちの世界に連れてきた張本人だからというのもあるが、こっちの世界の人間にセピアを相手させなくてはいけないこの状況を、エルは許容することができないのだ。本来ならば無関係であるはずの人間を、自分の都合で巻き込んでしまう。元の責任感の強さも相まって、エルはそれが許せない。

 ましてや、玲はエルをセピアから逃がすためにセピアと対峙したのだ。今のエルには、ただただ自分の無力さを恨むことしかできない。


『うーむ、確かに妾も玲に任せるしかない現状に負い目を感じておる。元をたどれば、巻き込んだのは妾であるしのう』

『だったら……』

『それでも、妾たちにとっては唯一の希望なのじゃ。今回のセピアの件に関しては、あやつは自分が動く必要はなかった。にもかかわらず、協力してくれておる。あやつが何を思ってセピアと対峙しているのかは分からんが、妾たちはあやつに感謝するしかないのではないか?』

『…………』


 リィの珍しい正論に、エルはただ黙ることしかできない。

 玲を巻き込みたくない、頼るべきではないというのは、エルの感情論に過ぎない。結果として、今、玲がいなくてはどうにもならない状況になっている以上、玲を頼りにするしかないのは確かだ。

 だが、それと納得できるかは別問題だ。別問題なのだが……今は、納得しなくてはいけないのかもしれない。


 エルは握った拳を解くと、弱々しく空を仰いだ。


『私は、自分が憎いよ……』

『じゃったら、今はおぬしのやるべきことをやるしかないじゃろう』

『やるべきこと……』


 リィの言葉に、エルは自身の拳に視線を落とす。


 そうだ。今、エルがすべきことは自身の無力さを恨むことでも、悔やむことでもない。一刻も早くセピアの下へ向かい、自身の血液を操る異能で奴を仕留めることだ。


「…………」


 エルは心を落ち着かせるように、二、三度深く深呼吸をする。そして――。




「絶対に仕留める……私がだ……!」



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