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天才引きこもり少年の女子攻略  作者: 太田裕
エルローレ編
44/59

決断


「ぐっ……!」


 鋭い痛みが走り、玲は思わず表情を歪める。

 チラリと視線をやれば、左の二の腕には赤い線が一つ、深々とつけられている。中々にえぐい傷跡。宙には、スローモーションのようにゆっくりと血の玉が数十舞っている。


「あれれ、避けられちゃった?」


 と、玲の鼓膜を悪魔の囁きが震わせる。

 見た目十歳そこらの少年は、その口元をぐにゃりと歪め、手に持ったナイフを再び突きつけようとしている。ナイフの切っ先は鮮血に染まっており、玲の二の腕を斬ったのは明らかだ。再度構えるセピアを見やりながらも、玲はどうすることもできずただ強く唇をかみしめる。だが。


「させるかっ!」


 少し遠くから凛とした声が響いたかと思うと、宙に舞っていた玲の鮮血が一斉にその場にとどまった。すると、弾丸が如く高速にスピンしながらすぐ近くでナイフを構えるセピアへと放射される、弾とセピアの距離はわずか数センチ。リーチのないナイフで斬り付けたのだからある程度近くて当然だ。そんな距離から弾丸のスピードで迫りくる血弾を避けることなどできるわけもなく、わずか一秒と経たないうちにセピアの身体を血弾が貫いていった。


 血弾に撃たれ動きの止まったセピアを見やりながら、玲は咄嗟に抱く赤塚にダメージを与えないよう考えながら受け身を取る。すると、ドンッと玲の背中を鈍い衝撃が走った。


「いつつ……大丈夫か、赤塚?」


 勢いよく地面にぶつかった背中は痛むが、今まで味わってきた痛みに比べればさほどでもない。軽く背中をさすりながらも、玲は腕の中で抱く少女、赤塚早希に視線を向ける。赤塚を庇うようにしたはずなので、特に怪我はないと思うが、まともに受け身の仕方も知らない玲だ。知らない間に赤塚に怪我をさせていることも考えられる。それでも、咄嗟に一応は受け身と呼べるものをできるようになったのは、伊達に戦闘を繰り返しているわけではないということか。

 しかし……。


 はたから見ても小さい体躯だとは思っていたが、こうして抱いてみると思うより何倍も華奢で小さな体をしている。少し力を入れれば折れてしまいそうなほどか細い体は、しかしどうしてかとてつもなく柔らかく抱き心地のいいものだった。こんなこと感じている場合ではないと理解しながらも、玲は赤塚のあまりの抱き心地の良さに、保護欲というか可愛いものを愛でたいという意欲というか、そんなものが満たされていくのを感じていた。


「だ、大丈夫、怪我とかはない。けど……」


 そう、控えめに言う赤塚は何やら頬を赤く染めているようだった。

 元々、玲と同じように視線を合わせるのが苦手なのかだからは知らないが、赤塚は玲の方を見ようとはせず、何もない方向、つまり地面に視線をやりながら、なんだかもじもじとしている。そんな赤塚の様子に玲は軽く眉ねを寄せる。


「その、離してくれると、嬉しい……」

「え、あっ。悪い!」


 と、赤塚の言葉に玲は咄嗟に赤塚から距離を取った。

 思えば、赤塚がそう言うのも当然か。よく考えれば、玲は赤塚を抱きしめるような態勢を取っていたのだ。赤塚だって女の子。不用意に抱きしめるような真似は嬉しくないだろう。というより、普通にセクハラだ。緊急事態だったとはいえ、たった今自分がしていたことを思い返し、玲はぞっとする。赤塚が先程から玲と目を合わせようとしないのは、玲に対し怒りもしくは不快のような感情を抱いていたからかもしれない。

 と、まぁ頭では理解していても、赤塚の抱き心地の良さは事実なわけで……。玲は自身の失態と名残惜しさ、二重の意味でため息をついた。

 と、思考が冷静になるにつれて、一つの純粋な疑問が湧き出てくる。


「って、何で赤塚がこんなところにいるんだよ? 先に逃げてって……」

「そ、それは……」


 眉をひそめて問う玲に、赤塚はバツが悪そうに口ごもった。

 

 玲は分かれる際に、きちんと赤塚に先に逃げていてくれと告げてからセピアを探しに行ったはずだ。赤塚もただ事ではないと分かっていただろうし、周囲には逃げ惑う人の群れがいた。当然、赤塚も人の波に乗り避難していたと思っていたのだが……。


「……少し、気になって……」

「気になってって……」

「だ、だって、逃げろとだけいっていきなり走ってどっか行っちゃうし。行ってなにができるわけでもないのに、どうして行くんだろうと思って……」

「赤塚……」


 若干しどろもどろになりながらそう言う赤塚に、玲は細く息を吐いた。

 確かにただのネトゲ廃人である玲が、あの騒ぎの中渦中に向かえば気にはなるだろうが、さすがにそれだけで追いかけては来るだろうか。聞こえてきたのは爆発音。空に上がったのは煙。どう考えても穏やかではないことは確かだ。にもかかわらず。玲を追いかけてくるなど一体……。

 心配……はまさかないか。


 とにかく、だ。

 理由はどうあれ赤塚が今この場に来てしまったのは事実。ただの一般人が、このような戦闘の真っただ中にいては危険極まりない。それでなくとも、赤塚は引きこもりで体力がないのだ。それだけならば玲とさして変わらないのだが、無論赤塚が『身体能力向上』のような異能を持っているわけはない。完全な一般市民。この場にいては、確実に巻き込まれ怪我をしてしまう。それでなくとも……。


 玲は、横目でチラリとセピアを見やる。見れば、セピアはたった今玲の血によりつくられた血弾により開けた穴から鮮血を流し、足元がおぼつかないままふらふらと立っている。

 今はまだダメージによりこちらに意識を割いてはいないが、あの残虐極まりないセピアのことだ。この場に一人、何の力も持たない一般市民がいたら、まず間違いなく集中的に狙うだろう。無論そうなった場合においても全力で守るが、得体のしれないセピアの力から、エルと二人で赤塚を守り切れる保証はない。最悪の場合、三人ともやられてしまう。そうなる前に、早く赤塚を避難させなくては……。


「……? どうした赤塚?」


 と、玲はこちらを見つめる赤塚の視線に気づく。

 その瞳は心配そうに揺れており、視線の先は玲の二の腕だった。そこには、たった今セピアにつけられたばかりの傷があった。

 幸い、同時に地を蹴った玲とセピアとでは、玲の方が赤塚に近く、ギリギリのところで赤塚に迫りくるナイフから守ることができた。その結果避けきれず赤塚の代わりに玲がセピアのナイフを受けたうえ、必死に赤塚に向かっため勢いよく抱いてしまうような形になってしまったのだが……。

 斬られた時は気づかなかったが、こうして改めて見てみると、思ったよりも傷が深い。放っておけば治りはするだろうが、『身体能力向上』はあくまで治癒力を向上させるのであって、傷そのものを回復させるものではない。完治するには、しばし時間がかかるだろう。とはいっても、常人ならば即病院レベルの傷に変わりはないし、治るといっても痛いものは痛いのだ。

 赤塚の視線から、言わんとしていることを汲み取った玲はその心配気な表情を安心させるように、ごく自然と赤塚の頭に手をやった。


「このくらいたいしたことない。すぐ治る」

「で、でも……」

「気にするなって。それよりも、だ……」


 今先決なのは、どうやってこの場から赤塚を避難させるかだ。

 今は動く余裕がないようなセピアだが、今までのように、すぐにでも復活するだろう。そうしたら、赤塚を守りながら戦わなくてはならない。であれば、今の内に避難させるのが最善だが……。


「赤塚、動けるか……?」

「え……う、ううん……足が震えて、力が入らない」

「そうか……だよな……」


 考えてもみれば、当たり前の事だ。

 彼女からしたら意味不明な子供に唐突に命を狙われたのだ。幸い赤塚自身は怪我をしなかったとはいえ、玲は二の腕に痛々しい傷を負っている。それが本当に殺されるかもしれなかったという事実をリアルに伝えており、より恐怖感を駆り立てるだろう。彼女は普通の人間。この状況で平然としていろという方が無理な話だ。


 今は恐怖よりも驚きの方が先行しているため普通に会話をしているが、彼女の身体はその恐怖を感じているようで、彼女の言う通りその細くも綺麗な足は小刻みに震えている。

 これでは赤塚だけで逃亡を図ることは困難だろう。


「ごめん……よく分からないけど、私邪魔みたい……」


 そう言う赤塚は戸惑いながらもそっと目を伏せている。

 玲の中で再び、なぜ赤塚が玲を追ってきたのかという疑問が浮かび上がるが、軽く目をつむり追い払う。今はそんなことを考えている場合ではない。


「……謝るのは後だ。今はこの状況をどうやって……」


 打破するのか……だが正直現状は最悪と言っていい。

 今、玲たちがとれる選選択肢としては四つ。


 一つ目は、このままセピアとの戦闘を続けること。

 玲はともかく、エルの戦闘力は恐らくセピア以上だろう。それは今までの戦闘を見ていれば分かる。しかし、セピアの能力が依然として分かっていない以上、エルに勝ち目はない。どれほど傷を負わせても回復するうえに、心臓を奪うような異質な攻撃手段を他に持っている可能性もある。そんな状況で、玲とエルに赤塚を守りながら戦うことは困難だろう。最悪全員がセピアに殺されることもあり得る。


 二つ目は、三人そろって逃亡すること。

 しかしこれはセピアを野放しにするということだ。エルは当然許さないだろうし、玲自身あまり選びたい手段ではない。第一、セピアがそう簡単に逃がしてくれるとは思えない。たとえ逃げられたとしても、セピアがエルを探している以上再び相まみえることになるだろう。ただの時間稼ぎにしかならない。


 三つ目は、玲が赤塚と一緒にセピアから逃げること。

 赤塚が一人で逃げられない以上、誰かが一緒に逃げなければならない。恐らく、玲と赤塚が一緒に逃げれば逃げ切れるだろう。倒せはせずとも、エルなら十分二人が逃げる分の時間稼ぎはできる。しかし、それはエルをこの場に一人残していくということであり、二人が逃げ切った後のエルがどうなるかは分からない。エルと玲の二人がかりですら危ない相手であるセピア。恐らく、エル一人では……。


 であれば、やはり一番妥当なのが玲が、エルと赤塚二人が逃げる時間稼ぎをすることか。

 正直玲一人でセピアを足止めできる保証はないが、玲には『不死身』の異能があるため、死ぬことはない。エルをこの場に残していくような危険はないのだ。他人が苦手だろう赤塚にエルとともに逃げてもらうことになるが、こんな状況だ。そんなことを気にしている場合ではないだろう。


 玲は決意を固め、セピアを挟んで向こう側にいるエルに意向を伝えようと叫ぶ。――が、それより一瞬早く、エルの声が玲の耳に届いてきた。


「黒木玲さん――! あなたはその女の子を連れて逃げてください! セピアの相手は私が……!」

「なっ……!?」


 大きいながらも凛としたその声からは、強い決意のようなものが感じられた。

 それは、遠目からでも見える、エルの普段より一層強く透き通った瞳を見ても分かった。


 恐らくは、自身で落とし前をつけるつもりなのだろう。元々、セピアをこの世界に呼び寄せたのはエルだ。しかし、エルが使える王女を守るために致し方なかったこと。そのことについては誰も言及しなかったが、エル自身は強く気にしていただろう。それは、エルの陰った表情を見ていればすぐに分かった。

 それに、エルはセピアとのことで玲とリィの協力を得ることを拒んでいたのだ。怪我を理由に渋々了承はしてくれたものの、やはりエルは心のどこかで、自分一人で後始末をつけることを考えていたのかもしれない。そんな彼女からすれば、この機会は絶好のチャンスということだ。


 とはいえ、玲としてはおいそれと了承するわけにはいかない。これを了承することはつまり、エルを見殺しにするということだからだ。会って数日なうえに、あまり会話を交わしたのことのないエルだが、それでも死を容認できるほど玲の心は鬼ではない。


「だけどっ……!」

「いいから早く! いつセピアが回復するか分かりません! 早く!」

「くっ……」


 どうにか反論しようとする玲だったが、エルの声に制され強く歯噛みするしかない。

 エルの表情を見る限り、恐らくは玲が何を言ったとしても決意を変えるつもりはないのだろう。玲も譲らないという意思は存在するものの、心のどこかで早くしないとセピアが回復してしまうという焦りが生じてしまっている。もしセピアが回復してしまえば、それこそ終わりだ。玲と赤塚が逃げ出す機会を作ることは困難になるだろう。そう思えば思う程、今こうやって、お互い譲らず平行線な言い合いを続けている場合ではないと思ってしまう。


 玲は割れんとばかりに歯を噛み締める。エルの決意を見れば、この状況、自分がどう動くべきが最善かなど明白。しかし……玲は天才だ。最善を考える頭脳はあろうと、最善を選ぶ決断力はない。ましてや、自身の選択に人の命がかかっているとなると……。


「…………」


 ――玲の脳裏で、嫌な記憶がフラッシュバックする。

 人の死。それは誰にとっても他人事であり、誰にとっても身近にあるもの。それを思い知ったのは……いつだったか。


 ――別にエルを重ねているじゃない。

 ――だけど、もう……知った人の死を見るのは……。


 瞬間脳裏に浮かんだものすべてを、玲は頭を振って放り投げた。

 今は……そんなこと考えている場合じゃない。


 玲は、チラリと赤塚の方を見やった。

 その表情には、未だに困惑した色が見て取れるが、先程に比べれば随分と状況を把握できたようだ。その証拠に、赤塚の瞳が先程以上に不安で揺れ動いている。恐らく、状況を理解したことで自身がの命が狙われていた事実を正確に把握したのだろう。そして、自分がこの後どうなるのか……。

 玲には及ばないだろうが、赤塚は頭がいい。それは、頭脳ゲームにおいての対戦で、天才玲が余裕でいられない程だ。今も赤塚の頭の中では、最悪の状況が浮かんでいるだろう。それが、起こりうる可能性のある未来だとも知って……。


「エル……」


 玲は、小さく息を吐くと、赤塚、次いでエルに視線を向けた。


 ――怖い。


 エルの命と赤塚の命。どちらも天秤にかけられるようなものではない。

 だが、ここで逃げればエルがセピアに殺されるし、逃げなければ赤塚がセピアに殺される。自分の選択によって人の命が消えるということが、玲にとってはたまらなく怖かった。そして、もし、どちらかの命が消えた場合、今度こそ自分がどうにかなってしまいそうで、怖かった。


 ――だって、あの時も……。



「……黒奈」


 気づけば、玲は無意識のうちにそう呟いていた。

 それと同時、玲の脳内に一人の少女が浮かび上がる。黒髪黒瞳のその少女は、真っ白な肌を携え、にかっといつものように笑った。


 そう……もし、もしも、黒奈だったら、どうするだろう。

 そう自問するも、答えはとっくに決まっている。そう、一つしかない。


「がらじゃないな……」


 そう小さな声で呟くと、玲は控えめに笑った。いつもの自嘲的な笑みでも、場に流される苦笑でもなければ、可愛いものを前にした時の幸せな笑みでもない。そう、いうなれば中学時代の……。


「赤塚」


 玲は、改めて赤塚に向き直った。

 すると、玲は赤塚の体に手を回し、一思いに抱き寄せる。いきなりすぎたためか、「きゃっ」という非常に女の子らしい声が聞こえたが、玲は一切意に介さず、すぅっと息を吸った。


「エル……! できるだけ早く戻ってくる! だから無茶はするな! いいな!」


 普段の玲からは想像もできない程、大きな声。事実、玲はたったそれだけで軽く息切れを起こしていた。しかし、珍しいのはそれだけではない。今の大声、玲にしては珍しく、強く感情のこもったものだった。心から切に願う、懇願にも聞こえる声。

 それがエルに伝わったのかは定かではないが、エルは静かに、しかし力強く頷いて見せた。


 そう、赤塚は助ける。この場からできるだけ遠ざけて。

 しかし、エルも助ける。セピアにやられる前に、赤塚を避難させて絶対戻ってきて。


「……これでいいんだよな、黒奈……」




 そして――。


 玲は強く地面を蹴った。


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