死の邂逅
――ドゴォォォォォォォォォォォォン!!!
街中に響き渡る轟音は、玲の視線の先で起きた。
辺り一帯を包む程大きな土煙が上がり、周辺の建物が音を立てて崩れていく。
爆弾でも落ちたか、大型の怪獣でも暴れているのか。さながら、アクション映画のような風景だ。
玲がその方向を見ていたのは、現在の状況を予知していたとか、何となく不吉な予感がした、などという理由ではもちろんない。単に、今まで身をくるめて静かに寝息を立てていたリィが急に起きて、今現在玲が向ける視線の先を、ポケットからちょこんと顔を出して見ていたからだ。
「リィ、何で分かったんだ?」
「いや……何だか妙な魔力の流れを感じてのう……」
「魔力の流れ……?」
すぐそばにいる赤塚に聞こえないように、全力で声をひそめながらリィに尋ねる。幸い、周囲の人たちと同様、謎の異常事態に気を取られているようなので、気づかれるようなことはなかった。
しかし……魔力の流れ、か。正直、玲にそんなことを言われてもさっぱり分からない。
しかし、魔力、という単語が関係しているということは、異世界絡みなのだろうか。少なくとも、怪しい実験の失敗とか、爆弾の投下とか、現代人が行うようなことが原因ではないらしい。
とおなると、一体原因は何か……?
「……まさか」
玲は、今しがた至った予想に、冷や汗を流す。
今頃になって、嫌な予感、というやつが玲の中でひしひしと感じられた。
魔力、という概念に精通しているのは、リィと同じ異世界人だけだ。この世界の人間は、魔法を行使することはおろか、魔力という存在自体を認知することができないのだから。
となれば、リィの言っていることが正しければ、この爆発を起こした原因は魔力に精通する者、つまり異世界人ということになる。そして、今玲が知っている中で、このような事態を起こしえる異世界人は一人しかいない。
「……セピア」
つい先日、エルから聞いたその名を噛み締めるように呟いた。
危惧はしていた。
エルやリィの言うことによれば、絶対的に悪と言える組織《アカノメ》に属しているであろうセピアもまた極悪だ。無関係の一般市民をどうこうすることに、一切躊躇しないだろう。
しかしながら、エルとリィがそのことに触れなかったこと、またエルの話を聞く限りセピアもまた怪我を負っていたことから、急いで対策を練ろうとはしなかった。そんなことよりも、赤塚の異能を奪うことの方が優先だったからだ。
しかし、後回しにしていたつけがここで回ってきた。
玲は聖人ではない。
関係のないところで、人の一人や二人がセピアの被害に遭おうが遭わまいがさして気には留めないだろう。知っていたことに多少の罪悪感は覚えるかもしれ合いが、それでもやったのはセピア本人であるし、こういう言い方はあまり好ましくないが、セピアをこの世界につれてきた責任はエルにある。少しばかりしか関係のないうえに、知っていても止めるだけの力のない玲の知るところではない。
そう、思っていた。
しかし、こうして目の前でやられるとなれば、話は別だ。
勝てる保証はどこにもないし、事実恐らくは勝てないだろう。だが、目の前で建物が破壊され、人々が悲鳴を上げ、誰かが死んでしまったかもしれないこの状況。気にするなという方が無理な話だ。
しかも、このままセピアを放っておけば、いずれ被害は拡大し、学校や玲の家にまで及ぶかもしれない。それはゴメンだ。
「赤塚、先に逃げててくれ……」
「え……? 逃げててくれって、あんたは……!?」
「悪い、俺もすぐ逃げるからっ……!」
戸惑いを見せる赤塚だったが、今は気にしている余裕もない。
こうしている間にも、爆発は二度三度と続き、破壊音と悲鳴が大きくなっている。
玲は逃げ惑う人々とは逆の方向へと走った。
焦りのあまり、逃げる人とぶつかりそうになったり、転びそうになったりもしたが、どうにかバクバクなる心臓を抑え、爆発の中心地まで駆けた。
「はぁ……まったく、あの金髪メイドはどこにいるんだよ。僕一人じゃ帰れないじゃないか……」
と、のんきながらどこか怒気を孕んだ声が聞こえてきた。
玲は近くの崩れた瓦礫に身を隠し、声の主を確認する。
年のころは十歳前後というところだろうか。乱れた髪は色褪せたセピア色で、大きなオレンジ色の瞳はその童顔を一層際立たせている。
どこからどう見ても子供。とてもこの爆発を起こした張本人だとは思えない。が……。
「間違いない……」
玲は確信する。
視線の先で小石を蹴る少年は、エルから教えてもらった特徴そのまま。
セピアその人で間違いない。しかし……。
「どういうことだ……?」
玲はセピアを見て、わずかに眉をひそめる。
セピアは服こそ少しばかりボロボロではあるが、それ以外に変わった点はない。至って健康な男の子そのままだ。そう、健康なのだ。
エルの話によれば、エルはセピアに対して、自身の異能でかなりの深手を負わせたらしい。それこそ、エル程ではないがしばらくは安静にしておかなければならない程の。しかし、今目の前にいるセピアは、怪我など一つも見当たらない。安静にしているどころか、屋外で爆発などを起こす程元気で健康体だ。
あの子供に医療の心得があるとは思えないし、この短期間で完全に完治するとも思えない。エルでさえ未だに激しく動いてはならないのだ。そんなエルも、玲が家で看病をしていたからかそここまで回復したわけで、当然行く当てもないセピアには怪我を治してくれる人などいないだろう。
「一体どうやって……」
考えるも、当然答えなど出てくるわけはない。
唯一考えられるのだとすれば、奴の異能によるもの、ということだろう。
それでも、疑問が残らないわけではないが……。
「リィ、治癒系統の魔法って存在するのか?」
さすがにこの状況でぐーすか眠りこけていられる程図太くはないリィは、玲と同じくセピアをその視線にとらえている。
「妾の知る限りではない。それに、魔法は認められたエリートのみが国から教えられるもの。《アカノメ》なんという犯罪者が使えるとも思えん」
「そうか……」
玲は低く唸る。
が、すぐにふるふると頭を左右に振る。
「考えてても仕方ない、か。リィ、勝てると思うか?」
「そんなこと、妾には分からん」
「だろうな……」
予想通りの答えに、玲は苦笑いを浮かべる。
「とりあえずは、様子見か……」
すると、玲は瓦礫の影から出て、ゆっくりとセピアの前まで歩いていく。
と、玲に気づいたのか、セピアが不機嫌そうな面を玲に向けた。玲は一瞬だけ身構えるが、どうやらセピアはいきなり攻撃を仕掛けてくるつもりはないらしい。こちらに胡散臭そうな視線を向けたまま、小さい腕を組んでいる。
「誰? 君。僕に何か用かなあ? ちょっと僕今機嫌悪いし探してる人がいるんだよねぇ。用がないなら、っていうかたとえあったとしてもとっとと消えてくれる? 邪魔だからさ」
セピアは戦う意思がないことを示しているのだろうか、ひらひらと手を振っている。それは、どっかに行けという合図だろう。
玲としてもできればこのまま帰りたいのが本音だが、そうするわけにもいかないのだ。玲は更に一歩踏み込む。
「誰を探しているのかは知らないが、こんなところで派手にやられちゃこっちも困るんだ」
「君には関係ないだろう? これは僕が僕のためにやっていることさ。それに、僕がこうして君にどんな迷惑がかかるというんだい?」
正確に言えば玲自身に迷惑がかかる、というわけではないが、間接的にはかかってしまう。
もしもセピアがここで派手にやり続ければ、少しばかり離れているとはいえ、玲の家にまで騒ぎは聞こえるだろう。となれば、エルが黙っているとも思えない。恐らく、いや確実にあのメイドはセピアを打倒せんと駆けつける。彼女の今の状態を考えれば、ここまで来るだけでも相当に体力を使うというのに、そのうえセピアと一戦やろうというものならまず間違いなく傷口が開いてしまう。さらに怪我が増えることだってありえるだろう。最悪の場合死だ。
たとえ会ってさほど立ってはいないといえ、それでも同じ家に住み言葉を交わした仲だ。死なれてしまっては寝覚めが悪い。それに……。
彼女は、リィの大切な友人だ。親友と言っても差し支えないだろう。そんな彼女を、みすみす見殺しにするわけにもいかない。そんなことを、玲は思うようになってしまったのだ。
「まぁいいか。邪魔するっていうなら殺すだけだしね。一般人が僕にたてついたこと、後悔するよ?」
「――っ!?」
言うと、セピアはスッと玲に向けて手を伸ばした。
当然、それだけで玲に触れられる程彼我の距離は近くない。
しかし、玲はぞくりと全身に寒気が走るのを感じた。
玲を殺せる手段も、ましてや殺すためになにかをしたわけではない。しかも、相手は十歳前後であろう子供。いくら強大な力を持っていたとしても、所詮は子供。恐れるほどのものではない。
と、頭では理解しているものの、全身を嘗め回すようなべっとりとした何かが玲に纏わりついて離さない。この感覚は、以前にも感じたことのあるもの……。
……死の予感だ。
すると、セピアはその童顔に似つかわしくない怖気を感じさせるニヤついた笑みを浮かべ、口を動かした。
「もしも、さ。この手の中に、君の心臓があったら、どうする?」
意味の分からない問い。
玲は、少々場違いな冗談めいた物言いに、眉をひそめる。
――と、不意に玲に静寂が訪れた。
それは、今までうるさいくらいにバクバク鳴っていた心臓の音が、急にピタリと止んだからだ。
「……?」
玲は不思議に思い、額に大粒の汗を浮かべながら、ぎゅっと自身の胸を掴む。
心臓の音どころか、その鼓動さえも、胸に当てる手に伝わってこない。気のせいか、一瞬視界が霞んで見えた。
「――ぁ」
と、玲は半ば無意識的に視線を上げた。
視線の先は、野球ボールでも握るようにしているセピアの手。しかし、そこには先程まで何もなかったのにもかかわらず、何か、一つの物体が握られていた。
「――」
その物体を目にした瞬間、玲は絶句した。
思わず、両手を胸にやって、自身の鼓動を感じるよう全神経を集中させる。しかし、そこに一切の鼓動はない。音も、振動も、何も感じることはない。
「くく……」
セピアが、薄く笑いを漏らした。
「くはははははっ! これ、なぁんだ?」
声高に嗤い、セピアはわざわざ玲に見せるようにして、指を一本一本ゆっくり開いていき、その手に握る物体を露にする。
べったりと付着した、濃く鮮やかな赤色。規則的に、弱々しく振動しているようにも見える。
薄いピンク色の覗くその物体は、グロテスクな形をしており、とても言葉で言い表せるようなものではない。いや、しいて言うとするならば――人間の心臓の様。
「どう、やって……」
玲は、自分でも驚くくらい掠れた声で呟いた。
セピアの手に握られているのは、紛れもなく玲の心臓そのものだ。
しかし、セピアに玲の心臓を盗む暇など見受けられなかった。セピアはただ、玲の前に手をやっていただけ。一歩も動くことはない。それは、玲自身が確かに見ていた。
いや、そもそも気づかないうちに心臓を盗むということ自体が不可能だ。どうしても心臓をその手に収めたいならば、玲から抉り取らなくてはならない。となれば必然的に、玲には想像を絶する程の痛みが訪れる。言うまでもなく、そんなものは来なかった。
「――」
と、気づけば視界が霞んでいた。
耳は遠く鳴り、手足の感覚もなくなっていく。全身に、血の巡りがない。意識もはっきりとしなくなっていき、ただただボーッと一点を見つめるだけになっていた。
生きているのに、生きているとは到底思えない状態。文字通り胸からすっぽりと何かが抜け落ちたような感覚に、玲は妙な浮遊感を覚えた。
そして、直感した。
これはもう、助かることはない。絶対的な、死であると。
「いいね。いいよその表情。大切なものを取られると人間、そういう表情をするんだねぇ。これはいいものを見せてもらったよお礼をしなくちゃね」
「……」
「とはいえ、いつまでも遊んでいるわけにもいかないんだよねぇ。ま、君はもうじき死ぬけどさ。……そろそろ具体的に考えなくちゃなー」
セピアの言葉を、玲は無意識的に聞いていた。
とはいっても、もはや耳に届くことはなく、玲はその言葉の意味を理解することはできない。
「じゃ、とっとと終わりにしよっか」
そして、存外あっけなく告げられる終わりの宣告。
セピアは再び、一本一本ゆっくりと玲の心臓を握りしめていく。
そのたび、セピアの笑みは酷く愉しむようなものへと変わっていった。この、玲にとって絶望的な状況を愉しむかのような嗤い。
――そして。
「――」
酷く不愉快な音を立てながら、心臓は握りつぶされた。




