訪問
「……赤塚、ですか?」
「ああ。一番近いのがお前の家なんだよ。本当はわたしが行くんだが忙しくてなー」
「……まあ、構いませんけど」
教師とは思えないほど投げやりにそう言うのは、錫原美琴。玲のクラスである二年二組のクラス担任だ。
放課後。
いつも通り授業が終わり、帰ろうとしていた玲は、突然錫原に呼び出された。
なんでも、玲と同クラスの不登校児である赤塚早希という生徒ににプリントを届けてほしいらしい。正直面倒だが、断るともっと面倒なことになりそうなので大人しく引き受けた方がいいだろう。そういう教師なのだ、錫原とは。
以前、玲とはちょっとしたことで面識がある。
「家の地図は渡しとくから」
「はぁ……」
「なんだ? 気になるか?」
「……まぁ、少し」
錫原の手元にあった赤塚に関する資料を見ていると、錫原がそう言ってくる。
「赤塚早希。少し前のお前と同じ不登校児だ」
「……でも、一年の一学期は通ってたんですね。学校」
「まあ、な。赤塚が不登校になったのは去年の二学期から。……ぶっちゃけて言うと、いじめだな」
「いじめ……」
錫原はいつもの飄々とした声音ではなく、少しばかり声のトーンを下げる。
いじめ、という単語に玲はピクリと眉を動かす。
どこで誰がどんないじめを受けようが玲には全く関係のないことだが、その場面を想像しただけで胸のあたりが疼くように感じる。それと同時、脳裏にフラッシュバックする光景。
……正直、嫌な思い出だ。
「……まあいいです。プリント届けるだけですよね」
「……そうなんだが、黒木よ。どうにか学校に来るよう説得してみてくれんか?」
「……なんで俺が?」
こちらの様子を伺うように言ってくる錫原に、玲は思わず苦笑いが出てくる。
なんで、俺が?
脳内でもう一度繰り返す。それほどまでに、錫原の言葉が意外でありえないものだったからだ。担任教師の錫原でも、クラス委員長の倉科でもなく、よりにもよって玲が?
「……学校なんて行かなくていいと思ってる俺ですよ? どう考えてもミスチョイスじゃないですか」
「だからこそだ」
力強く返してくる錫原に、玲は一瞬たじろぐ。
錫原がなにをもって玲にそうさせたいのかは分からないが、その反面なんとなく分かってしまった気がする。ものすごい矛盾だが、そうとしか言えないのだ。
「状況を見て言えそうだったら言います。けど、期待しないでくださいよ」
「はいよー」
そもそも初対面の相手とまともに話せるとは思えないが、ここは適当に返事しておく。すると、錫原も超適当な返事を返してきた。なんともまあ、意図せずため息が漏れる。
すると、錫原は不意に玲の顔を見たかと思うと、ふっと表情を緩める。
「……なんですか」
「いいや。ただ、な。……わたしは嬉しいよ? だが、無理はするなよ?」
「……だから、何の話ですか」
錫原の言葉に一瞬眉をピクリと動かす玲だが、目をそらす。
何を、とはいうまい。まさか赤塚に手紙を届けることではあるまいし。
しかし、と玲は今一度錫原を横目で見やる。
そこには、いつもの適当な教師のそれはなく、ただ一心に生徒を心配する教師の姿だけがあった。
なんというか、少しずるいと玲は思う。普段は教師とかけらも思わせないのに、こういうときだけ素に見せてくる。……これではおちおち小言も言えない。
「ま、お前がそうならいいが。赤塚の件頼んだぞー」
すると、錫原はすぐいつものように適当に手を振ってくる。
ともあれ、頼まれた以上しかたがない。
玲は最後にもう一度だけため息をつき、学校を後にした。
******
「……ここか」
手元の地図と目の前の家を交互に見ながら、玲は小さくつぶやいた。
玲の家からはさほど離れておらず、裏手の道を少し進んだところにある一軒家が、赤塚家だった。たしかに、玲に届け物を頼むのがいいだろう。
玲はとっとと済ませようと思い、そそくさとインターホンを押す。
ピンポーンという呼び出し音がなって数秒。玄関のあたりから音がしたかと思うと、ガチャと扉が開く。
「はいはーい。? どなたさん? ……その制服、紫尾一高の?」
「は、はぃ……。えーと、赤塚早希さんのお宅ですよね?」
扉から出てきたのは二十代くらいの女性だった。
真っ赤な髪は長く伸びており、手足も長い。が、出るべきところはきちんと出ていて……。なるほど、これがモデル体型という奴か。
とはいえ、この女性が赤塚早希ではないのは明白だ。とっととプリントを渡して帰ろう。
玲は、初対面の女性に対して少し緊張気味に話す。いろいろあったせいか多少はコミュ障も改善されたかと思ったが……それでもまだまだだ。
「早希? いるけど……。なに? もしかしてお友達?」
「え? いや、違いますけど……」
「またまたぁ、え? 何? まさかの彼氏?」
「はぁ? まさか……」
赤塚のことと知って途端にテンションが高くなる女性。そのテンションの高さに、玲は思わず後ずさる。
しかし、女性は一切気をくれることなく玲にぐいっと詰め寄ってくる。
「ほんとは? ねえほんとは彼氏なんでしょ?」
「だから違いますって……」
「ほんとのほんとは?」
「……」
「ねぇねぇ」
「……」
女性が寄ってくるたびに離れる玲。
鬱陶しさもあるがしかしそれ以上に女性は美人で玲は男。目と鼻の先まで迫った女性の尊顔を見て何も思わないわけがないだろう。しかし……。
さすがのしつこさに玲はとうとう無言になり目の前の女性に無理やりプリントを押し付けた。
「? 何、これ」
「プリントです。俺は家が近いから赤塚に届けに来ただけです。以上」
「なんだぁ、つまんないの」
「じゃあ、俺はこれで」
「あ、待って!」
本気でつまんなそうにがくりと肩を落とす女性を見ると玲は踵を返してそそくさと帰ろうとする。もう、これ以上この人と関わりたくない。うるさいしめんどくさい。初対面の男子にあそこまでぐいぐい来るなんて一体どういう神経をしているのか。玲には一ミリも理解ができない。
と、足を速める玲の肩を女性ががしっと掴んでくる。
「上がってかない? 早希に会っていってよ」
「いや、ですから俺会ったこともないですし……」
「いいからいいから」
玲の反論も全く意に介さず、女性は掴んだままの肩をぐいっと引っ張ってくる。
突然のことに驚きつつもどうにか抵抗を試みるが、悲しいかな。玲の力では女性の力に勝てないらしい。玲はそのまま赤塚家へと引っ張られた。
「じゃ、お茶出すから~」
「お、お構いなく……」
半ば無理やり家の中に入れられると、玲はリビングらしきところに連れてこられた。
テレビにソファ、テーブルと実に普通で、特別変わったものは何もない。カチカチと動く時計の針の音だけが耳に響いてきて、玲は改めて変に緊張してきた。
初対面の相手と話すのにも結構内心頑張っていたのに、お宅にまでお邪魔することになるなんて……。
無理やりとはいえ緊張する。いや、これは玲でなくとも緊張するだろう。
「ほい。どーぞ」
「はぁ。ありがとうございます……」
と、そわそわしている玲の手元にお茶の入ったコップが渡された。
それを、カランと氷の音を鳴らしながら口に流し込む。
「……」
「……」
「……」
「……なんですか?」
お茶を飲む玲を、にこやかに凝視する女性に問う。こうも一心に見られ続けるのは居心地が悪い。
すると女性は、はははと少し笑うと改めて玲を見やる。
「君、なかなかいい顔してるね~」
「はぁ?」
「寝不足かな? 隈が少し惜しいけど、それ以外は割と整ってるよね~」
「……なんですかいきなり」
「いんや~? ほんとに彼氏じゃないのかなと」
「だから会ったこともないって……」
まだ言い続けるかこの人は。
見当はずれの疑いに、玲はそろそろ呆れてきた。もうあれだ。何を言っても信じてもらえないと思う。
「ははは。そう怒らないでって」
「怒ってないですよ。呆れてるんです」
「えぇ~」
「……もういいですか? そろそろ帰って」
「――待って」
もういいだろう……。
心なしか素早い動きでソファから立ち上がり、帰ろとする玲を女性は今度は声だけで制止する。
これまでのやり取りがやり取りだ。ここで玲は女性になんと言われようと帰ろうとしただろう。声のみの制止などもってのほかだ。しかし……。
今までの会話からは想像もできないほど低く真剣な声に、玲は無意識のうちに足を止めた。先ほどまでの声音が声音なだけに余計そう感じるのかもしれないが、この声は間違いなく本気の声だ。否応なくそう感じさせてしまう。
「……早希に、会っていって?」
「……逆効果化も、しれないですよ」
「それでも」
女性の意図が分かっていたからこそ、玲はそう答えた。
しかし、女性は一切迷いも躊躇もなく玲の答えを否定する。
数秒の沈黙。
その間、玲は後ろを振り向くことはしなかった。
後ろを振り向けば、女性がどれほど真剣か、本気かが伝わってくるだろう。だからこそ。それが、この今の状態ですでに分かってしまうからこそ、玲は振り向かなかった。
「……はぁ」
沈黙を破るように、玲は大きくため息をつく。
これ以上は、何を言っても無駄だろう。もちろん、玲が女性の意思を一切受け付けずそのまま家を出ていれば、そこで終わっていただろうが。玲はそうはしなかった。
別に女性の気持ちがわかるわけでも、同情したわけでもない。ただなんとなく、逃げることはダメだと思っただけだ。
「……分かりましたけど、変な期待はしないでくださいよ?」
「ええ。ありがと」
そう言う女性から、玲は意識的に目をそらす。
やはり、面と向かって礼を言われるのは苦手だし合わない。
それに、女性のために了承したわけではない。玲自身も少々気になることがあるし、錫原先生にも、学校に来るよう説得を頼まれていたのだし。
「気にやさしいね~。よかったらお姉さんとお付き合いしちゃう?」
「遠慮します」
「え~、少しは考えてくれてもいいのに~。自分で言うのもなんだけど、結構美人な方だと思うよ?」
「遠慮します」
本当に自分で言うことではない。まあ、美人なのは認めざるを得ないが。
ともかく、びっしりと断ると女性はぶーとふて腐るように頬を膨らませいる。あざとい。がきか。まあ、女性も当然本気ではなかったのだろう。すぐに元の表情に戻る。
「あ、そういえば自己紹介まだだったね。私は赤塚八希。お姉さん、お姉ちゃんって呼んでいいよー。あ、それとも義姉ちゃんの方がいい?」
「口頭なのでなんとで言い直したのか伝わりませんでしたー。……遠慮しておきます」
「ええー」
「……黒木玲です。一応、早希さんのクラスメイトです」
女性、八希のボケに冷ややかに返す玲。
八希とのやり取りにももう慣れてきて、玲もいくらか余裕を持った返答をできるようになってきたころだ。
「じゃあ、とっとと会って帰らせてもらいます」
「あ、ちょっと待って」
早々に踵を返す玲に、八希から制止の声がかかる。今日何回目だ? このやり取り。
八希は近くに置いてあった鞄に寄ると、ごそごそと何かを取り出す。すると、玲に向ってひょいっと投げてきた。
「……これは、鍵?」
「うん。早希の部屋はいつも鍵がかかってるからね」
「……いいんですか?」
「こっちからお願いしてるんだもん。ダメとは言わないでしょ」
まあ、それは当然だが……。
鍵がかかっているということは入ってきてほしくないということだ。そこに、勝手に入るのはどうかと思うが……。しかも、相手は会ったこともない男。これは少々気が咎められる。
しかし、引き受けたものを今更断るわけにもいくまい。玲は意を決すると、右手を鍵を握りしめてリビングを出る。
「ああ、早希の部屋は階段上ったすぐ手前の部屋だよー」
リビングを出はいいものの、どこに行っていいのか迷う玲の耳に、そんな言葉が聞こえる。そうか、二階のすぐ手前の部屋か。
玲はゆっくりと階段を上がっていき、とうとう目的の場所まで到達する。そして。
――ガチャリ。
緊張気味に、扉の鍵を解いた。




