成長への一歩
「……いつっ……」
玲は、そっと体を上げると全身を走る鋭い痛みに思わず声を上げる。見ると、右腕と左胸が見るも痛々しく真っ赤に染まっている。玲は顔をしかめるが、何とか生きていたことに、取り敢えず安堵の息を吐く。
玲は、辺りを見回すが誰もいない。夜の学校は静まり返っている。いや、もう時間的には夜ではないだろう。空を見上げると、暗い闇の中に一つの光、朝日が見える。どうやら現時刻は明け方らしい。玲がここにきたのが夜の二十二時だから、五、六時間ほど気を失っていたことになる。
「……琴吹だけじゃなく、リィもいないな……」
右腕切断に心臓を貫く。それほどの傷を負わせれば、普通は死んでいると思うものだろう。恐らくはあの二人も、玲は死んだと思い琴吹を連れ去っていったに違いない。となると、リィがいないのは少し気にかかるが……。さすがにただの子猫を殺すとは思いたくないが、もしもリィが言葉を発するところを見られたとしたならば、リィを殺したということもありえるのだが。見る限りリィの死体もない。
玲は、一度大きくため息をつく。昨日だけで二回ほどの死。よくは覚えていないが、腕を斬り落とされたときの痛みは尋常なものではなかった。もう、あんな思いをするのはこりごりだ……。
「……何で俺がこんなめに――」
と、そこまで言いかけて玲はふと思い出す。頭に浮かんできたのは、確か数週間前、図書館に本を借りに行った時のことだ。貸し出し口にいた委員の女子、彼女は、確かこう言ったはずだ。
――……それは、危険。せいぜい死なないようにね……。
確証はない。だが、玲にはこう思えてしょうがないのだ。彼女の言うそれとは、玲がする異能を奪う行為のことではないのか、と。現に玲は死ぬほど危険な目にあったし、事実二回死んだ。異能を奪い続ける限り、これからも危険なめにあう可能性は高いということか……。
「……ますますやる気が削がれるな……」
玲は、静かにそう呟く。
もともと乗り気ではなかったのだ。これを機に、異能を奪うなんてことはやめにしよう。リィだって、今回のことがあれば無理矢理やらせようなんてしないはずだ。……まあ、今はそのリィの安否も不明なのだが。
いいことではないか。またいつものように家にこもり、学校に行かず、ネトゲに没頭する。人との接触を断ち、自分だけの世界に入りこむ。これまでそれが普通だったのだ、最近が少しおかしかっただけなのだ。これを機にすべてを忘れよう。リィと出会ったことも、青麗院から異能を奪ったことも、琴吹に接触したことも。
「……」
玲は、黙って空を見上げる。
それでいい。これでいいはずなのだ。それが、玲が望んだことなのだから。いつものように……過去を振り返ることなどせず、乗り越えることなどせず。ただ、なかったことにする。目を逸らす、逸らし続けるのだ。
「……本当に、それでいいのかな……黒奈……」
玲は、半ば無意識にそう呟いていた。
それでいいのか。そう問うも自分ではとっくに気づいている。それではダメだと。前々から分かっていたのに、分からないふりをしていた。それは、青麗院を見て無理矢理向き合いさせられ、またも顔を逸らしたもの。
リィは、馬鹿だ馬鹿だと思いながらも……まあ、実際馬鹿だ。うるさいしやかましいと思ったら急に冷めるし。相手をするこちらの身にもなってみろって感じだ。だが、思えばリィの相手をするときは余計なことを考えなくて済む。楽に接することができる。リィは、あれでいて勘が鋭く気遣いもできる。恐らくは、俺の胸の内を見透かし、俺以上に理解しているのかもしれない。
琴吹も。青麗院同様、玲が、玲の目的の為に接触したのだ。そこに、異能を奪う以上の感情などなかった。……少なくとも初めは。だが、知ってしまった。青麗院梓という人間を、琴吹藍那という人間を。知って、見て、話したのだ。
リィはともかく、琴吹に関してはそれだけが理由で助けるなんてことはない。玲は、そんなお人好しでも、ヒーローでもない。
だが、と玲は続ける。
――もし仮に、もし仮に二人を助けることができたなら、助けようと思ったのならば……俺は、過去を乗り越える一歩を、踏み出せたことになるのだろうか。
「……はぁ、俺は思ってた以上に、リィに愛着がわいてたのかもな」
最後に、苦笑い混じりに玲はそう呟いた。
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「えーと、特徴とかは……」
「特徴……確か、緑色の髪と瞳の女子だったと……」
「緑……多分、緑奧さんじゃないかな」
「緑奧?」
「うん。二年五組の緑奧李宵さん。図書委員だけど、今日は担当じゃないよ」
「そ、そうか……。あ、ありがとう」
玲は、見知らむ図書委員にお礼を言い、図書館から出ていく。
どうやら、今日は担当ではないらしい。その緑奧がいるとすれば、図書館だと思ったのだが……。なにせ玲は緑奧のことを何一つ知らない。それゆえ、図書館以外に緑奧が行きそうな場所など皆目見当もつかない。
やはり、聞いて回るしかないか……。玲にとっては少々難儀なことだが、そんなことも言っていられないだろう。
玲が、なぜ緑奧を探しているのか。その理由は、緑奧の忠告を思い出してだ。彼女は、危険だと言った。そして、それは玲が今行っている異能を奪うことだと、玲は断定している。だとすれば、緑奧は異能の存在はもちろん玲の能力、リィのことまで知っているということになる。確証は微塵もないが、今玲が思いつくあては緑奧くらいしかなかったのだ。
あの後、あの場所には男二人に琴吹、リィはいなかった。たった一人の、無知な玲にはリィたちがどこにいるのか知る術はない。もしかしたら、そんな小さなものに縋りつくしかない状況なのだ。
「うーん、知らないな」
「ごめん、緑奧って誰?」
「緑奧さん? さあ……」
「彼女目立たないし、気づいたらいないんだよねー」
「教室にはいないぜ? 他探してな」
「は? 知るかよ。行こーぜ」
玲は、思わずため息をつき、校庭の隅にあるベンチに腰を下ろす。一年、二年、三年、緑奧のクラスメイト。誰に聞いても知らない知らない。耳寄りな情報がほとんど入ってこない。
この聞き込みで分かったことといえば、緑奧はクラスでも目立たない存在。そのくらいだ。居場所に関することはからっきし。今は昼休みなので、購買かとも思ったのだが、やはりいなかった。一体何処にいるんだ……。
午前中、授業をさぼり緑奧のクラスを覗きに行ったが、そこに緑奧はいなかった。一度しか会ったことはないが、授業をさぼる風には見えなかったのだが。しかし、朝登校してくるのは見たという証言は聞いた。間違いなく、学内のどこかにいるはずなのだ。
「あらかた探したし、聞きもした。けど……」
有力な手掛かりはなし。玲は、他にあてがないか考える。と、言っても玲の知り合いなどこの学校には風祢くらいしかいない。学内のことに詳しい人物など――。と、玲はそこまで考えてある人物のことを思い出す。今の時間帯なら、まだあそこにいるはずだ。
玲は、校舎を見上げると、全速力で目的地に向けて走り出す。
校庭を突っ切り、急いで上履きに履き替え、階段を駆け上る。向かう先は、屋上だ。玲は何度かつまずきながらも屋上の扉の前までやって来る。扉を、勢いよく開き辺りを見回す。と、
「え、黒木くん!? どーしたの、そんなに焦って……」
こちらを見て驚く少女。クラスメイトの、倉科琥珀がベンチに座って昼食を摂っていた。よかった、いた。と玲は安堵の息を吐くが、すぐに頭を振り倉科に駆け寄る。
「はあ、はぁ……倉科。二年五組の緑奧李宵、知ってるか?」
「え、どうしたの急に? 緑奧さん? 知ってるけど……」
「!? じゃ、じゃあ、何でもいい! 緑奧について知ってること、教えてくれ!」
玲は、勢いよく倉科の肩をガシッと掴む。玲には時間がないのだ。ただでさえ、学校の生徒が登校してくる時間帯まで待っていたのだ。それまでの時間学外を探しても見つからなかった。
琴吹たちがいなくなってから大分時間が経っている。恐らくは半日ほど……。奴らの目的が琴吹の異能と言うことはすぐには殺しはしないだろうが、それも確実とも言えない。それに、目的を達してしまったらまず間違いなく口封じに殺すだろう。琴吹だけではなく、リィのこともある。あまり悠長にしていられないのだ。
この際居場所に関係しないことでもいい。とにかく、情報だ。緑奧李宵に関する情報。そこから、上手く居場所を突き止める。できる、大丈夫だ。玲は、自分でそう言い聞かせる。
「と、とにかく落ち着いて。ね?」
「はぁ、はぁ……。悪い」
倉科の言葉に、玲はふと我に返る。焦りのあまり、周りが見えなくなっていたらしい。玲は、倉科の肩から手を離し倉科の隣に腰を下ろす。
「……それで、緑奧李宵さんのことだけど」
「あ、ああ」
「と言っても、あまり詳しくは知らないよ? 私も、気にはなってたけど……。成績も普通、運動神経も悪くないけど特別いいわけではない。部活にも入っていなく、委員会は図書委員。まあ、ここまではいいんだけど……。彼女、他人とあまり関わろうとしてないみたいなんだよ。いっつも一人で本ばっかり読んでて。一回、クラスメイトに話しかけられたところを見たこともあるんだけど、一言二言でしか返さなくてね。こう言うのもなんだけど、不愛想っていうのかな。でも、そこが少し気になっちゃって」
「……いつも一人。他人と関わろうとしない、か」
「でも、どうして緑奧さんのことを?」
「え、えーと……。まあ、探してるんだけど見つからなくて」
「緑奧さんを? ……そういえば、さっき見かけたよ。確か、体育館に入っていったような」
「ほ、本当か!?」
玲は、倉科の言葉を聞き思わず立ち上がる。まさか、居場所まで分かるとは。偶然ではあると思うが、さすがは倉科。クラス委員長だ。玲はそのまま足早に体育館に向かおうとする。と、お礼を言うのを忘れていた事に気付き、倉科の方に向き直る。
「倉科。悪いな、助かった」
「全然いいよ。でも、なんで私に?」
「……なんで、か。そうだな、何か倉科にはそういうイメージがついちゃってるからかな」
玲は、倉科の質問に少し考えてからそう言う。
玲の中で倉科は学校のことに詳しいなんでも知っている印象を抱いている。事実として、青麗院の時と琴吹の時。二人について詳しく教えてくれたのは倉科だ。いつの間にか、頼ってばっかりになってしまっている気がするな。初めは、苦手なタイプだと思ったりもしていたのだが。
倉科は、玲の言葉に一瞬目をぱちくりさせ、不意に笑いだす。玲は、何か変なこと言っただろうか、と首をかしげるが。
「いいよ、それでも。また、何かあったら言ってね。できる限り手伝うから」
「……ああ。……こっちこそ、何かあったら言ってくれよ。俺が何を出来るかは分からないけど」
玲は、少し目を伏せそう言った。別に他意はない。こちらが一方的に頼ってばかりなのもどうかと思ったからそう言った。それだけのことだ。
玲は、屋上から出て、体育館へ向けて再び全速力で走りだす。
「……何か、知っててくれよ……」




