悲しき少女の物語
「……何だったんだ……」
玲は、今さっき出てきたばかりの図書館を見やる。
貸し出し口にいた少女。
彼女の言葉を今一度頭の中で再生する。
彼女は、それは危険だと言っていた。詳しくは語らなかったので、何が危険なのかは分からない。だが、彼女によれば、その危険度は死ぬかもしれないレベルらしい。
無論、ただの戯言の可能性もある。
というか、いきなり初対面の相手にそんなことを言われれば、悪ふざけと判断して気にしないのが普通の判断だろう。
しかし、玲は不思議と彼女の言葉を蔑ろにはできなかった。
普段なら全く気にせず、数秒後には頭の中から奇麗さっぱり消し去っていただろう。
だが今の玲には忘れようと思っても無意識のうちに彼女の言葉が脳裏をよぎる。
それに、あの目。
今まで玲が見てきた人間という生き物の目とはどれも違う。酷く無機質な目。
しかしそれは生気のない、虚ろな目ではない。むしろ、玲には誰よりもしっかり自分を持っている人間の目に見えたほどだ。
ただ、なんの感情も見えなかった。
否、見えなかったのではない。
それは、玲には一目見た瞬間に気付いた。
彼女は、自分の感情を相手に見せない、伺わせないようにしているのだ。意図的に。
そんな人間の言うことを信じろというのも無理な話だが、一方的に切り捨てるのもまた難しい。
故に――。
「っ?」
「あっつ!」
瞬間、背中に軽い衝撃が走り、前方に押しやられる。反射的に後ろを向くと、そこには同じように衝撃で後ろに弾かれる少女が見えた。どうやら、その少女とぶつかってしまったらしい。
玲は、なんとか足を踏ん張り転ぶことはなかったが、後ろの少女は態勢を整えられず地面に尻をつけて転んでしまっていた。
「痛たた」
「……ああ、大丈夫、ですか」
一瞬躊躇ったが、玲は何とかその少女に手を差し出す。
すると、少女はそれに気づき、あははは、と笑いながら手を掴み立ち上がる。
「ありがとうございます。あの、ごめんなさい、急いでて……」
「……いや、こっちこそ」
ぶつかって来たのは彼女にせよ、道の真ん中で考えごとをしている玲も玲でどうかと思う。そこで、玲は自分の手元に本がないことに気づくと辺りを見回し、丁度足元の地面に落ちているのを見つける。ぶつかったときに落としたのだろう。
「ん?」
本に手を伸ばしかけた時、その本が二つあるのに気づく。
もう一つは、彼女が落としたのだろうか。
ついでにそれも拾ってあげようと手をかける瞬間、もの凄い速さで本が取られる。
驚きつつも少女の方を見ると、少女は酷く焦った様に本を抱きかかえていた。
「あはははは! あ、その、急いでるんで。ほんと、その、すみませんでした!」
すると、少女はわざとらしく本を背中に隠しながら早口でそう言うと一目散に行ってしまった。
酷い汗に目も泳いでいたし、そんなに見られたくない本だったのだろうか……。
それにしても……。
「……はぁ、本。間違ってるし……」
玲は手元の本に目をおとす。
それは、先程玲が借りてきた本ではなく、全く身に覚えのないものだった。
恐らく焦っていた彼女が玲のものと間違ってしまったのだろう。
「……どうすんだ。これ」
玲は今一度その本を見る。
特に変なのところはなく一見普通の小説に見えるが、この本は人に見られたくないようなものなのだろうか……。
玲は、数秒の間本を凝視すると何の気なしにページをめくってみる。
人の本を勝手に見るのはあまり褒められたことではないが、元々は図書館のものだし。
「タイトルは、《悲しき少女の物語》?」
ずいぶんネガティブな名前だな、と思いつつも、玲はページを進める。
内容はありきたりなもので、一国の主を父に持つ一人の少女が主人公であった。
少女は何一つ不自由ない裕福な生活を送っていたが、友達という存在を心から欲していた。
しかし、非道な国王の娘である少女は皆から疎まれ友達など到底できなかった。
そんな少女の下に、一人の悪魔が現れる。悪魔は少女に手を差し伸べると、少女の願いを叶える様に一つのものを授けた。
魔眼。
それは、見る者を魅了し自分に絶対服従を促す能力を持ったものだった。
少女はその眼を使い、街の子供たちを手なずけ一緒に遊ぶように命令を下した。それから少女は毎日のように街で遊ぶようになったという。
しかしそんなある日、少女はふと疑問に思う。
――これで、いいのだろうか……。
――これが、私の望んだ『友達』なのだろうか……。
そうは思いながらも、少女は街に出かける。
そんな日々を繰り返す少女の下に、再び悪魔が現れる。
『どうしてっ……! こんな眼、もういらないわっ!』
『? 何を言ってるんだい? それを望んだのは君じゃないか』
『違う! 私はあんな言いなりの人形が欲しいわけじゃない! 私は……』
『……。何今更綺麗事言ってるんだ? じゃあ聞くけど、それならなぜその眼を使い続けた?』
『っ! それは……』
『なんだかんだ言ってその眼が、言いなりの人形が気に入ってるんじゃないか?』
『そんなことは、ない』
『そう言い切れるのかい? 今の君は微かに残った善を口にしているに過ぎない』
『そんなこと……』
『もう、分かっているんだろ? 君は、たまらないんだ。執事ともメイドとも違う。自分に絶対服従の下僕を見るのが』
『……下僕』
『そうだ。君が欲しいのは友達ではない、下僕だ』
すると突然、少女は狂ったように甲高い笑い声を響かせる。
そんな少女を見つめ、悪魔はニヤッと薄気味悪い笑みを浮かべた。
「……」
最後のページまで読み終わり、そっと本を閉じる。
全体的に玲が、読んで思った感想。それは。
「……感情移入は、できないな……」
その一言に尽きる。
別に物語に難癖をつけているわけではない。少女には少女の心の葛藤があり、それとなく心理模写として書かれているところもあった。それでも、玲からすれば理解はし難い。
まず友達が欲しいというところから玲は共感できないし、下僕も欲しいと思わない。まあ、普通の人間よりかは何の考えも持たない人形の方がましかもしれないが……。……それはないな。
そして何より、欲しいものが友達からいつの間にか下僕へと変わっていた点もよく分からない。
そんなに下僕はいいものなのか……?
そんなもの実際に見たこともないし分からないが。
「……はぁ、たかが作り話で何を……」
いつの間にか創作物に真剣に感想を抱いていることに気付き、玲は本をしまう。
ここでふと、玲は辺りを見回す。
今まで本を読んでいて忘れていたが、今玲がいる場所は図書館への道のど真ん中。
さすがに邪魔化と思い、玲は一旦読むのを中断して場所を変えようと――。
「……あ」
そこで思考を一旦止め、玲はポケットから携帯を取り出す。
時刻を確認すると――。
瞬時に携帯をしまい、玲は急いで学校から出る。
本来は学校のカフェに向かう予定だったのだが、今の時刻ではもうとっくに青麗院は屋敷に帰っている。
玲は焦りつつ猛ダッシュで屋敷に向かう。
遅れるとは言ったがさすがに遅れすぎだ。
読書に夢中になりすぎるあまり時間のことなどすっかり頭を離れてしまっていた。
「……はぁ、はぁ、走るのは、苦手、なの……に……」
******
「……」
「よっ!」
青麗院の屋敷。
その廊下でふと考え事をしていると、突然肩が叩かれる。
反射的にその方向に顔を向けると、そこには金髪を逆立てたいかにもチャラそうな男が立っていた。
「……何ですか」
「つれないなぁ、そんな露骨に嫌そうな態度すんなよー」
そう言うとその男はわざとらしく拗ねるように見せる。
この異常にフレンドリーな男は、古賀将治。青麗院の屋敷で料理を作る、青麗院家専属のシェフである。一応、玲にとって職場の先輩にあたる人物なのだが、初対面の玲に対しても馴れ馴れしく接してくる、見た目通り適当な人間だ。
「……仕事は?」
「休憩よ!」
「……そうですか」
それだけ聞くと、玲はその場を後にしようと古賀に背を向ける。
「おいおい、もう行っちまうのか? どうせ暇だろー」
「……」
古賀の声に足を止めると、玲は軽く頭を掻く。
あれでも一応先輩だ。一方的に無下に扱うのもどうかとは思う。
悪い人ではないのだろう。
勝手の分からない職場で気軽に接してくれる先輩は正直ありがたい存在ではある。
少々、いやかなり悪ふざけのすぎるところが玉にきずだが……。
つまるところ、玲は古賀の好意に甘えている自覚はあった。
だが玲の性格上素直にお礼一つも言えない。それどころか古賀が本当に善人なのか信じ切ってすらいない節がある。
「……ほんと、いい性格してんな。俺……」
古賀にも聞こえないくらいの小声でそう呟く。
普段は全く感じないのに。たまに、本当にたまに自分の性格が自分自身嫌になる。
……それでも玲の心の深い部分が変わらないことには、本当の性格は変わらない。変われないのだ。
「……黒木」
「……?」
「あんま気負うなよ」
「……」
古賀は、笑みを浮かべながらも心配そうに眉を寄せる。
そんな古賀を見て、玲は思わず目を背ける。
本当に、どこまで見透かされているのか……。
普段ならこれ以上ないくらいに不快感を抱くだろう。
玲にとって、心情を見透かされるということはこの上なく不快な行為である。
無論、実際に心が見透かされているわけではないが、それでも古賀には不思議と不快感は湧かなかった。
「……それじゃ、仕事に戻ります」
「……おう!」
古賀に見送られながら、玲はふと思う。
――最近、不思議な感情を抱くことが多くなったな。




