敵意と毒舌
――キーンコーンカーンコーン。
「では、今回の授業はここまでとする」
久々に聞いたチャイムとともに、数学の教師はそそくさと教室を去っていく。
それに伴い教室の空気が一気に弛緩し、ざわざわと周りが騒がしくなっていく。机どうしをくっつける者がいれば、教室を出ていくものもいる。
「……はあ」
溜息をこぼしながら、玲は席を立つ。
現在は午前の授業が終わり、昼食タイムだ。
この学校では昼食は基本自由であり、ほとんどの人は家から弁当を持ってくるか学校の売店で何かを買うかである。
当然弁当など作らない玲は、売店へ向かう。
転校生というものは授業の合間の休憩時間にクラスメイトに質問攻めにされるのが定番だが、転校生ではない玲も一時間目終わりにその目にあった。
その後もどうにか避けようと画策したが、失敗に終わり結果として三度にわたる地獄を見たのだ。
ようやく解放されたらしい玲は午前にして疲れた足取りで教室を出ようとする。
「……」
と、席を離れようとした時同じく立った人物と目が合い、思いっきり睨まれる。
彼女は、玲の隣の席で紺野伊織というらしい。
実は初めて席に座ろうとした際も舌打ちされ、その後目が合うたび睨まれる。
玲からしたら初対面なので何もした覚えがない。
なのに完全に目の敵にされているのだ。
「……ふん」
紺野はしばらくすると、わざとらしく鼻を鳴らして教室を出て行ってしまう。
「……なんなんだよ」
玲は、そう言いながら頭を掻く。
本当はなんでそんな態度取られるのか聞いた方がいいのかもしれないが、正直あまり関わりたくない。というか関わる必要がない。
玲からしたら極力他人とは関わらず生活していきたいと思っているため、自分から行くことはほとんどない。それがたとえ自分に好意を持っていたとしても悪意を持っていたとしても。
「……でもま、苦手なタイプではないな」
あそこまでストレートに敵意を向けられるのは、決して気持ちよくはないが、玲にとって気持ち悪くはない。
そもそも玲の人間不信の理由の一つは相手が何を考えているかが分からないのがある。
それが人間としてごく自然なことではあるが、玲にとってはこれ以上ない恐怖なのである。
何を考えているのか分からない。
表では良い顔していても内心がそれと一緒だとは限らない。
それならばいっそ、他人と付き合わなければいい。その方が気が楽。
初めから深く付き合わず、他人と関わらない。そうすれば常に恐怖を抱くこともないし、真実を知った時傷つくこともない。
――初めから信じなければ、裏切られても平気。
そう考える玲は、人を信じることをしなくなった。信じるという行為を、玲自身が拒むようになった。
風祢に対してもそうである。
確かに他人よりかは関わる機会も多く、玲にとって特別な存在である。
しかし、信頼しているわけではない。
違う。
特別な存在だからこそ、裏切られる恐怖が先だって信頼できないのだ。
そういう人間じゃないとは思っていても、どうしても……。
あの時の様に……。
その点先程の紺野のように敵意、玲自身にとって負となる感情をストレートにぶつけてくるタイプやリィのような見るからに馬鹿なタイプの方が玲は楽なのだ。
反対に朝の倉科のような明るいムードメーカー的なタイプは裏があると思ってしまう。恐怖の対象、とまではいかなくてもあまり近づきたくはない。
「はあ、取り敢えず売店行くか……」
思考を切り替えて玲は売店へと向かう。
******
紫尾第一高校には室内、野外の二ヶ所に売店が存在する。別にどちらがどうということはないが玲は基本的に外をよく利用する。利用といっても数回しかないが……。
「……焼きそばパン一つ」
「あいよ」
そう言うと、代金を払いパンを受け取る。
何人か人はいたが、特別混んでいることもなくすんなり昼食を買うことができた。
あとは一人になれる場所に行って食べるだけ……。
「……ん」
「? あ、れーくん」
売店から離れようとしたその時、丁度すれ違ったのは風祢であった。
「れーくんもお昼?」
「ああ……。もってことはお前もか?」
「うん」
意外だな、と玲は思う。
いつも甲斐甲斐しく飯を作りに来ているのだから昼食も弁当を持参しているものかと思ったが……。
売店に来たということは昼は買って食べているということだ。
「……いつも昼は買ってるのか?」
「うん。あ! でもれーくんも来るならお昼お弁当作って来るよ」
「は? いいよ別に……」
「いいの! 一人分も二人分も変わらないんだから!」
「……いや、おかしいだろそれ」
ぐいっと顔を寄せてくる風祢に玲は顔を逸らす。
そもそも今まで売店だったならこれからも売店でいいんじゃ……。
そう思う玲だが、風祢の顔を見てはあ、と息を吐く。
「……分かった。じゃあ頼むよ」
「うん!」
はあ、ともう一度観念するように息を吐く玲とは対照的に、風祢はニコニコと嬉しそうに承諾する。
玲が諦めた理由は単純。
もうこうなった風祢は絶対に意見を曲げないからだ。
いつもニコニコにている割に変なところで頑固。玲も以前夕飯を作ると言い出した風祢を説得するのに四時間という壮絶な時間を費やしたのだ。その割にはたまに夕飯を作りに来ているが……。
ともあれ、それが彼女の魅力でもあるのだろう。
以前のようなことが過去何回もあり、玲は風祢が頑固だということをいやというほど知っている。
第一、今玲は昼休みの間に青麗院に関する情報を集めようと思っていたので、風祢にかまっている暇はない。
「じゃあ、これで――」
これ以上いると面倒なことになると踏んだ玲は早くも風祢に別れの挨拶を、というところでふと気づく。
後ろの方、売店から異常に騒がしくなったからだ。
振り返ってみてみると、先程は数人しかいなかった売店を大勢の生徒がぐるっと囲むように集まっている。
そして生徒たちが集まって来た理由、それは全員の視線の先を辿ると分かった。
「……あれは」
「ふふふ。こんにちは皆さん」
視線の先、そこには玲が今回能力を奪取、攻略しなくてはならない少女。青麗院梓が立っていた。
朝見た時と変わらず取り巻きを連れた様はなるほど、いやでも目立つ。そんな取り巻きをつけるお嬢様がこんな平凡な売店に現れれば、物珍しさに集まって来るものもいるだろう。
「……あいつ、毎日ここで?」
「うーん、私は毎日ここでお昼買ってるけど、一回も見たことないよ」
「……そうか」
風祢が玲の質問に答える。
毎日来ているという風祢が見たことないというのならばここに来るのは初めてか……。
しかし一体なぜお嬢様ともあろう金持ちが売店なんかに。
不思議に思いながらも玲は青麗院に視線を向ける。
「店員さん、このお店のオススメは何ですか?」
「はい? ああ、オススメというほど大したもんじゃないけどここではこの焼きそばパンが人気かな」
青麗院は人の波をさきながら売店へ向かうと、おばちゃん店員にオススメを訪ねる。
大したことをしていないはずなのに、青麗院がするだけで目を引くのはなぜだろうか。
対しておばちゃん店員は特に気にすることなくいつもの調子で接客をする。青麗院を前にして者応じないその態度はなんというか、さすがとしかいいようがない。
「それではそれをお一ついただきますわ」
「あいよ」
すると青麗院は普通に焼きそばパンを買って売店に背を向け歩き出す。
というか青麗院ほどの奴も小銭持ってるんだな……。と思う玲は案外肩透かしを食らった気分だった。
五大有名人などに数えられるほどのことだからどんな変人化と思っていたのだが、思いのほか普通に買い物をしただけだ。
玲の想像だと、店の物すべて買い占めたり店ごと買ってしまうこともあり得ると思っていたのだが、普通に常識人っぽいことにひとまず安心する玲。
「あ、そうだ」
すると、何かを思い出したかのように声を出すとぱっと優雅に一回転し、群衆の方に向き直る。
制服姿にも関わらず、その回転は見る者を魅了するほど奇麗で美しい。生徒の中にも何人か青麗院に見とれている者もいるほどだ。
「私の為に道を開けてくれてありがとうございます。ゴミのような愚民どもでも思いやりの心があるとは。私は感動しました。これからもせいぜいミジンコ程度の小さい知能でよく考えてあなた方豚ともゴキブリとも同然の薄汚さを少しでもましなレベルにしてくださいね」
「……」
満面の笑みでそれだけ言うと、取り巻きを連れて青麗院は行ってしまう。
「……」
一方玲は黙ったまま固まって動けない。
何を言った?
ゴミ。愚民。ミジンコ。豚にゴキブリ。
それらの単語をもう一度脳内で再生し、玲は先程の自分の耳を疑った。
先程の青麗院の表情は完全に笑顔で人見下すようにはとても見えなかった。
「……」
しかし反面、玲は納得もしていた。
青麗院はたまたま声に出して表に伝えるタイプだったが、人間誰しも心の中は負で埋め尽くされている。
それは青麗院とて、例外ではない。というか、例外などいない。
むしろ青麗院のような一見ニコニコして人当たりのよさそうな奴ほどそういう奴が多い。
「……やっぱり、な……」
そして玲が一番驚いていたのは、そんなもうすでに分かり切っていたようなことなのに、それを目の前にして落胆している自分だった。