久々の登校その2
「……」
玲は今、内心えぇ……。という感じだった。
玲の目線の先には一人の少女、青麗院梓がいる。
しかし問題はそこではない。
玲が梓を見ていた理由、それは青麗院から青いもやのようなものが出ていたからだ。しかも、そのもやは青麗院の体から出て周りの取り巻きにかかっている。
恐らくあのもやが異能のしるしなのだろうと玲は思った。
それにもやは他の人へ伸びている。
玲のとっさな推測通りならあの青麗院梓が異能者で、取り巻きに異能を使っている。
そう思う玲だが、まだまだ不明な点は多い。
なぜ自身の取り巻きに異能を使うのか、異能の能力は何か……。
だが、青麗院梓が異能者だというのなら玲のとる行動は決まっている。
決まっているが。
「あれをおとすって、無理くさいだろ……」
玲は誰にも聞こえないくらいの声で呟く。
一番の問題点はあの青麗院を玲が惚れさせることができるかだ。
その前提がなされないと青麗院自身のことまでたどり着いたとしても意味がない。
しかし名前も知らない一生徒風情がお相手できる存在とは玲には到底思えない。
あちらは金持ちのお嬢様で容姿も申し分ない、むしろ物凄く美人だろう。
それに比べて玲はお金もちでもないし容姿も大分ましになったとはいえ青麗院に釣り合うほどの顔とは思えない。
この時点で玲は半ば諦め状態に入っていた。
「それに、紫尾一五大有名人の一人だしね」
「は?」
隣で同じく青麗院に視線を向ける風祢は、感嘆している様に言った。
しかしさらっと言われても玲にはその五大有名人というものが何なのか分からない。
いや、字面からなんとなくは想像がつくが……。
「この学校に在学する生徒の中で他校にまで名が知られる有名人たちのことだよ」
「はあ……」
やはり予想通りの回答に玲は呆れる。
それこそ学園モノの漫画やアニメの世界でのみ存在するような呼び名である。実際五人もそんな有名人なんて一つの学校に集まるとは思えない。この学校には存在するらしいが。
ちなみに紫尾一とは玲の在学する学校の正式名称、紫尾第一高等学校の略称である。
高校にしても広い敷地を有し、同じ紫尾市内の紫尾第二高等学校と比べても非常に充実した学校である。また、生徒が学校の中心になる方針を取っており、大体のことは生徒任せで教師は基本放任主義。校則も緩めでのびのびとしている。
ちなみに玲はこの学校の説明を聞いて、そんなに自由だから五大有名人なんかができるんだよ、と思った。
「取り敢えず教室行くか……」
「うん、あ。でも」
教室に向けて歩きを再開したその時、風祢が何かを思い出したかのように声を出す。
「れーくんも、五大有名人の一人だよ!」
「……は?」
一瞬、風祢の言っていることが理解できなかった。
そして、理解した後の玲の反応も、は? だった。
玲は必死に考えるが、自身が有名人に数えられるようなことをしたとは思えない。そもそも、玲は今までずっと家に引きこもっていたのだから。
「なんで俺が……」
「簡単だよ。だってれーくん頭いいでしょ?」
「それが……」
「紫尾一五大有名人その四! 滅多に姿を現さない天才生徒、黒木玲」
「……」
「他生徒の前には滅多に姿を現さないけど、テストは必ず全教科満点。そんな生徒がいたら有名になるのは当然だよ」
説明を聞いて納得した玲は、はあ、と息を吐いた。
確かに考えてみれば当然だ。
テストの結果一位、しかも全教科満点となれば誰だという話になる。それが更にほとんどの生徒が見たことないときた。
正直今まで考えていなかったが明らかに怪しいな、と今頃理解する玲。
そして玲は分かっていないが、玲が普通に登校していてもまず間違いなく有名人になる。
玲は天才なのだ。
勉強は、授業に出ていなくても風祢のノートを流し見しただけでテスト満点の実力。将棋やチェスなどでは何十手先までの動きを読み切り、頭の回転も速い。
これだけ聞くと、長所しかないように思えるが実際玲はこの才をよく思っていない。
それも、天才であることが今の玲自身を作り上げる要因の一つであったからだ。疎んですらいる。
「……行くか」
意味不明な事態に、少し頭痛がしてきた。
取り敢えずもたもたしてると間に合わなくなるので一旦思考を放棄して教室へ向かう。
「私はこっちだから」
「ああ」
そう言って、風祢と別れる。
教室へ向かう途中で聞いたが玲は二組、風祢は三組ということだった。
クラスに知り合いがいないことに少々足がすくんだが、何とか自分の教室に向かう玲。
「……」
そして教室の扉を前にして、玲は深呼吸をする。
しかし緊張は取れない。
先程までは風祢と二人だったため楽にしていたが、一人だと意識した途端気が重くなっていく。
ここで悩んでいても仕方がない。
そして玲は、ええい、と腹を決めて扉を開く。
「……」
「……」
すると、教室内の空気が一瞬にして固まる。
全員が玲の方へ視線を向けたまま呆然としている。
いきなり大勢の視線を受けて尻込みする玲だが、考えてみれば当然である。
今までは知らない生徒で済んだがさすがにクラスメイトを知らない人はいない。
視線に耐え切れず、下を向きながらとっとと自分の席に着こうと急ぎ足で……。
自分の席に……。
席……。
「……」
ここで、玲は重要なことに気が付いてしまう。
学校に行っていない。クラスメイトも知らない。自分のクラスも教室も知らなかった。
つまり、自分の席を知らないのも当然である。
「……」
玲は、自分の頬に汗が伝うのを感じる。
どうすればいいかは簡単だ。
誰か他の人に聞けばいいのだ。他の人に。
そう思い、玲は顔を上げて周りを見回す。
見ると男子も女子も玲の方を変わらずじっと見ている。
無理だ。
玲は、一秒でそう結論付けた。
ただでさえ知らない人に話しかけるだけでもきついのにこんな大勢に見られている状況で自分から話しかけるなんて……。
身体から変な汗が出る。
目の前も真っ白になり、頭がくらくらする。
もう、どうしたらいいのか考えられない。
視線視線視線。
危機的状況に耐え切れず、ついに玲がパニックを起こす。
そして、ついには体から力が抜けて倒れようとした瞬間、肩を叩かれるような感覚があった。
「!?」
反射的に意識を戻し、足に力を込めて倒れそうになっていたところを踏ん張る。
恐る恐る方の方を見ると、ひとりの少女がいた。
「君、黒木玲くんだよね?」
「……あ、ああ」
少女の問いかけに玲は全力を振り絞り、なんとかそれだけを言葉にする。
「そっか。あ、私は倉科琥珀。クラス委員長やってるの。よろしくね!」
「よろしく……」
なんとか落ち着いた玲はにっこりと明るい笑みを浮かべる少女、琥珀の方へ向き直る。
見ると、少女は明るい色の茶髪を短く切り揃えていて、なにより琥珀色の奇麗な瞳が印象的だ。背丈は普通で胸も特別大きくない、と思う。
特出して美人というわけではないが、可愛いことに変わりはない。
そして何より屈託ない笑顔。
玲は、その笑顔を目の前にしても自分に向けられているとは信じられなかった。
「席、こっちだよ!」
「あ、どうも……」
そう言うと、玲を席に案内する琥珀。
玲の席は、一番窓側の一番後ろ。
その席を見て、玲は少し安心する。他の人に囲まれながらの授業はあまり、というかかなり集中できない。それに比べてこの席は一人にはもってこいだ。
「困ったことがあったら相談に乗るから! みんなも! ね!」
そう他の人に大声で問いかけると、今までずっと見ていただけだった人たちも次第に頷いたり歓迎するような態度を見せるようになった。
戸惑いの雰囲気をたった一声で吹き飛ばす人徳にクラスの代表として率先して動く行動力。恐らく、倉科琥珀という人間はこのクラスの中心人物なのだろう。
クラスの委員長とも言っていたし、と玲は考える。
そこで、玲は改めて倉科を一瞥する。
とても明るく気さくでムードメーカー的存在。
席まで案内してくれたことは感謝するし、いい人なのだろう。だが……。
「……苦手なタイプだな……」
誰にも聞こえないくらいの小さな声で、一人そう呟いた。