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寒椿  作者: 日向あおい(妹の方)
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8.だから絶対、助け出す!

 アヤメの手を引いていた時也の足が、不意に止まった。辺りは闇に覆われ、降り積もる雪の音だけが静かに響いていた。

 どうしたのだろう? と時也を見上げるアヤメ。そのアヤメの顔を時也は、じっと見つめた。

「ツバキじゃない」

 小さく漏れたその言葉にアヤメは青ざめる。時也はアヤメの手を振り払った。

「どうして……?」

「違和感があったのです、あなたの手を握りしめた時。それが次第に強くなって」

「なんで!」

 アヤメは咽が裂けるほどに叫ぶ。

「私とツバキなんて、どっちだっていいじゃない!どっちだって一緒じゃない!」

「違う!」

 時也は忙しくなった息遣いを整えて、もう一度アヤメの言葉を否定する。

「あなたじゃない。僕が愛しているのは、あなたじゃなくて、ツバキだ」

 アヤメは頭を殴られたような衝撃を受けて立ち尽くした。

 次第に雪が強く降るようになってきていた。視界が悪く、すぐ近く、手を伸ばせば届くくらいの距離にいるはずの時也の表情さえ、アヤメには分からなかった。

 雪のせいだけではない。熱く、潤んだ瞳のせいでもある。

 一旦は時也の方へ伸ばしかけた手を、諦めるかのように、アヤメは下ろした。

「アヤメさん!」

 不意に呼ばれて振り返ると、そこに直久が息を切らせて、前屈みに立っていた。

 なぜだろうか?

 側にいるはずの時也の姿は全く見えないというのに、少し離れた直久の姿ははっきりと浮き出ているように見える。

「アヤメさん。やっぱり、俺さ。どんな格好をしていても、どんなにうまくツバキの振りしていても、アヤメさんはアヤメさんだと思う。ツバキがこの世にツバキ一人しか存在していないように、アヤメさんだって一人しかいないんだ。――だから、もし、何百っていう人がさ、アヤメさんの振りをしていて、それがもう、すっげぇそっくりだったとしても、アヤメさんを捜し出すことができる人は必ずいるんだ。ツバキにとっては、その人が時也さんだったんだよ。――だから、アヤメさんが、どんなにうまくツバキの振りをこなしていても、時也さんにはバレてしまうんだ。ダメなんだよ」

 直久はそう語りかけながら、ゆっくりとアヤメに歩み寄り、その肩にそっと手を置いた。

「やめようよ。自分を押し殺すようなことなんかさぁ。アヤメさんにとっても、たった一人の誰かが絶対、必ず現れるから。その時にアヤメさんがアヤメさんじゃなくて、どうすんだよ!」

 静まりかえった闇の中で、直久の言葉は教会の鐘の音のように高らかに響き渡った。

 直久の必死の言葉にアヤメは少し俯く。そして、そのまま小さく頷いた。

「……分かったわ。ツバキを解放してくる。でも、逃げることないわ。父を説得して、生け贄なんてやめさせるから」

「そんなことが?」

 いつの間にか、視界がはっきりとして、時也の顔もはっきりと見える。

 アヤメはその顔を見つめて、言い切った。

「できるわ! やるしかないもの。時間はかかるかもしれないけど。でも、そうね。父が納得するまでツバキをどこかに隠さなければならないわ。やっぱり、しばらく村から出ていた方がいいわね、二人で」

 アヤメは時也にくるりと背を向ける。

「ここで待っていてください。必ず、ツバキを連れてきますから」

 きっぱりと言い切った彼女の顔は、まるで憑き物が落ちたようにすっきりと綺麗だった。



▲▽

 

 直久は真っ黒い空を見上げた。 四方から吹き付けてくる雪は、冷たいと言うより、むしろ痛い。

 まるで、何千何万本という針が降り注いでいるかのように。

 直久は前を駆けるアヤメの姿に目を細めた。

 ツバキの部屋にたどり着くと、アヤメは時也から受け取った部屋の鍵を手にして直久に振り返った。

 直久が頷いてやると、アヤメは震える手で鍵を鍵穴に差し入れた。

「ツバキ?」

 扉が重々しく開く。

「いるんでしょ? ごめんね、ツバキ」

 部屋に入っていくアヤメの後に続こうとした直久だったが、なぜか体が動かない。金縛りにあったみたいに、声さえ出ない。

 ――なんだか、嫌な予感がする。

 遠ざかっていくアヤメの姿が妙に目に焼き付いた。アヤメはツバキの姿を見つけて駆け寄る。

「ツバキ、ごめんね。もう、いいの、あなたが犠牲になることないのよ。協力するわ。時也さんと一緒に逃げて。ねっ」

 アヤメは今まで、そうできなかった分も込めて、心からの笑顔をツバキに送った。そして、伏しているツバキに手を差し伸べる。

「さあ、立って。時也さんがあなたを待っているわ」

「ありがとう」

 その手を取って、ツバキは、ふわっと微笑んだ。

「ありがとう、もう一人のツバキ」

「え?」

 暗闇に、キラリと赤い光が見えた気がした。 それがツバキの瞳であったのだと分かるまで、ずいぶんと時間がかかった。 その間に強く手を引かれ、その場に倒れる。

 床に打ち付けられ、状況が理解できずに横たわっているアヤメから、ツバキは鍵を奪い取る。そして、扉に駆け寄った。

「ツバキ!」

 よろめきながらも、咽が裂けるほど、アヤメは叫ぶ。

 どうして? なんで?

 少し振り向いたツバキは、ぞっとするほど綺麗な笑みを見せて、アヤメを絶望の淵に陥れた。

 パタン。

 閉められた扉に鍵がかけられる。 あまりのことに、自分の身に何が起きたのか分からずにいたが、その音に、はっとなり、この部屋唯一の扉に駆け寄る。

「待って! ツバキ、待って!」

 何度も、何度も、扉を叩く。

「お願い、出して!出してよ!」

 ツバキの部屋――生け贄にされた何人もの少女たちが使っていた部屋だ。

 静かな闇に支配された部屋。

 怖い。

 アヤメは自分の身体をぎゅっと抱きしめた。

 嫌、こんなところにいたくない。  

 ツバキ、どうしてこんなことするの? なんで?

 お願いだから出して! お願いよ!

 

 直久は部屋から出てきた少女を見据えた。アヤメそっくりな少女。

 だが、アヤメではない少女。

 少女、ツバキは扉に鍵をして、直久に向き直った。

「今までの私の苦しみを、味わって貰わないとね」

 ふふっ、と可愛らしい笑みを浮かべるツバキに反して、直久は青ざめる。

 ツバキには見えていたのだ。直久の姿が!

 ずっと見えていたのか? 見えていて、見えない振りをしていた? 何のために?

「あなたをここに呼んだのは、私よ。あなたを必要としていたのは私。べつに、私に協力してくれるのなら、あなたじゃなくても良かったのだけど、結果的にあなたで正解だったかもしれないわね。ありがとう」

 そう笑って、ツバキは直久に背を向けて時也の元に駆けだした。取り残された直久はその場に膝を折る。

 ――そんな…まさか……。

 俺をここに呼んだのが、ツバキだったなんて。

 ツバキは知っていたんだ。俺がアヤメを連れ戻すって。アヤメを連れ戻して貰うために、俺を呼んだのだから。

 じゃあ、ゆずるを襲った少女の霊はツバキだったのか。

 本当は俺ではなく、ゆずるにここに来て貰いたかったのだ。アヤメを連れ戻して貰うために。

 ゆずるはちゃんと知っていたから。

 いくら双子が同じ顔、同じ声を持っていても、それぞれ一人一人、違う人間だということを。

 いや、待てよ。アヤメを連れ戻して貰うために呼んだのなら、もう用はないはずだ。

 それなのに、なんで、まだ元の場所に戻れないんだ?

 まさか、と思って扉に駆け寄る。

「アヤメさん? ……アヤメさん、聞こえる?」

 扉の向こう側に向かって声をかけると、すぐに返事が返ってきた。

「直久? お願い、ここから出して!」

 重く頑丈な扉は、鍵無しでは、そうそう簡単には開きそうにはなかった。

「待ってて。鍵を取り戻してくるから」

 アヤメのすすり泣く声が聞こえる。

 俺を呼んだのがツバキだとしても、俺は必ず守ってやるって、アヤメさんと約束したんだ。

 助けてやる、って。だから絶対、助け出す!

「待ってて、アヤメさん。絶対、大丈夫だから」

「……うん。待ってる」



▲▽

 

 時刻は深夜0時を回っている。いつの間にか、日付けは、生け贄の儀式が行われる予定の日になっていた。

 アカネはベッドの上で、何度目か分からない寝返りを打った。

 大好きな姉――アヤメがツバキの身代わりにされ、生け贄にされてしまうなど、耐えられないことだった。

 だから、時也の計画をアヤメに教えたのだが、まさかそのことで、アヤメが時也と逃げるだなんて言い出すとは、思いもしなかったアカネだ。

 姉さんが遠くに行ってしまう。

 アカネにとって、アヤメが自分から離れてしまうことの方が、よほど耐え難いことだった。

 ゴロゴロとベッドの上を転がっているうちに、ようやく一つの答えにたどり着いた。

 ――お父さんに話してしまおう。そして、姉さんを連れ戻してもらうんだ!

 かくして、アカネの話を聞いた彼らの父親は、村人たちに時也とアヤメの行方を捜すように命令を下した。

 その手に銃を持って……。

 彼は、アカネの話を全て聞いていたので、この時、時也と一緒にいる少女はアヤメだと信じて疑わなかった。

「そのうち、どこかの金持ちに嫁がせようと思っていたが、なんて恥知らずな。よりによって画家なんかと駆け落ちするとは」

 と、苦々しく言い捨てたのだ。

 彼にとって、娘はツバキにしても、アヤメにしても、御家発展のための手駒だった。

 それでも、生け贄に捧げるツバキなら銃まで取り出さなかっただろう。 

 だが、絵描きなんかと駆け落ちしたという傷を負ったアヤメは、適当な家に嫁に出すという望みを失ってしまい、駒としては使い物にならなくなってしまったのだ。

 彼は白い服を着た人形のように美しい少女を見つけると、有無も言わせず引き金を引いた。



▲▽

 

 いくつかの銃声が痛々しく辺りに響いた。  

 雪に呑まれるように倒れ込んだ二人の回りに、幾重もの人垣ができていた。だが、誰一人として、その二人に手を貸そうとする者はなかった。

 ただ、じっと、二人が息絶えるのを見つめている。直久が駆けつけたのは、そんな時だった。

 重たい雪が二人を隠していく。

 ……な…お……ひ…さ……。

 ツバキの声が聞こえた気がして、直久は人垣をかき分け、彼女に駆け寄った。

 彼女の背中から血が噴き出し、流れ、彼女に白い服を赤く、赤く染めていく。

 それは、この白い雪の上に、妖しいほど美しい寒椿の花のようだった。

 美しく咲いた次の瞬間、ポトリと地面に落ちるその花を、人々は首が落ちるようだと気味悪がるが、本当にこの花は美しいのだ。

 白の上に浮き出るような鮮やかな朱。

 悲しくも、切なく、美しい色。

「なお……ひ…さ」

 ツバキの、紫色になってしまった唇が小さく動く。自分に伸ばされたツバキの手を直久は膝を着いて受け取った。優しく両手で包み込む。

 ――これでいいの。私はこれでいいの。

 ツバキの気持ちが直久に伝わってくる。

 ――幸せなの。これが私のハッピーエンドなの。分かるでしょ?

 自由を得たの。愛した人と死ねるの。ずっと一緒にいられるの。

 ツバキは、直久の手に鍵を押しつけた。それを受け取って、直久は、はっとする。

 ツバキの手の甲に火傷の傷があったのだ。数久の護符と同じ形の火傷の傷が!

 アヤメの手の甲にあった者よりも、ずっとひどい傷だった。

 どういうことだ?

 訳分からずツバキの顔を見ると、もはや死人のように血の気がない。

 直久は黙って頷くと、鍵を強く握り締め、その場から駆けだした。

 直久が遠くなっていくのを感じながら、ゆっくりとツバキは目を閉じた。

 確かに、私とアヤメは別の人格の人間。

 だけど、他人とは持ち得ない繋がりを持っている。自分と相方との区別をあやふやにしてしまうような何かを。

 そして、それが、相方を、もう一人の自分と呼ばせていた。

 ツバキは手の甲の傷のことを思う。

 だから、自分だけが幸せなのではいけない。

 もう一人の自分も幸せでなければ、本当に自分が幸せであるとは言えないのだ。

 

 アヤメも自由にしてあげて!

 アヤメを解き放って!

 アヤメを幸せにして欲しい。

 

 アヤメは私。

 私の光。

 私ではない私。

 私とはまるで違う少女。

 アヤメはアヤメ。

 

 どうか、彼女を見つけて。

 お願いだから、どうか、彼女だけを見つめて欲しい。


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