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寒椿  作者: 日向あおい(妹の方)
7/9

7.俺は何もしていない


 アヤメの部屋に戻った直久は、その扉の前で、アヤメの他に誰かいるということに気が付いた。ドアノブに伸ばした手を思わず引っ込める。

「最後の思い出を作って差し上げたいのです」

 部屋の中から聞こえてきた声は低く、明らかにアヤメのものではない。青年の声だ。 おそらく時也だろうと直久は推測する。

「ツバキさんのためにも、あなたのためにも、その方が絶対にいい」  

 力強く言い切った彼に、アヤメは飛び切りの笑顔で頷いていた。

「では、今晩」

「はい」

 直久が躊躇った扉が、時也の手によって開かれる。彼は直久を無視するように、すぐ側を通り過ぎていった。

 入れ替わるようにして部屋に入った直久は、先程の笑顔の『え』の字の欠片もなく、暗い顔を見せているアヤメに歩み寄る。

「彼は?」

「時也さんよ」

「やっぱり。で、なんだって?」

 アヤメは近寄ってきた直久に一瞥し、すぅっと離れるように歩き出す。

 一人で寝るにしては大きいベッドに腰掛けると、後を追ってきた直久を上目遣いに見つめた。

「深夜にお茶会ですって。あの部屋で、ツバキのために」

「お茶会?」

「深夜に二人きりで会うのは、さすがに気が引けたのでしょ。第一許しが出ないわ。二人で逃げるのではないか、ってね。私を引き込んで、許しを貰ったに違いないわ。ツバキと最後の別れを惜しむために。……ひどい人ね」

 ひどいと分かっていても、どんなに傷つけられても、彼の前では自然と笑顔で答えてしまうアヤメが、哀れだった。

 覚悟を決めたようで、アヤメはベッドから立ち上がると、タンスの中からお気に入りの服を何着が引っ張り出し、ベッドの上に並べた。

「どれがいいと思う?」

「どれでもいいんじゃん?」

 直久に言わせると、どの服も全部同じに見えるのである。どの服も鮮やかに赤い。

「なんで、赤い服しかないわけ?」

 直久は眉を歪ませ、開け放たれたタンスの中を見回した。

 似合わないことはないけど、赤ってイメージじゃないんだよねぇ。

「これ、これがいいよ」

 と、直久が引っ張り出した服は無地の白い服。

「それぇ〜?」

 アヤメはあからさまに不服そうな声を上げた。

「私のイメージとは違うわ。白はツバキの色、私は赤なのよ」

「何それ?」

「そう、時也さんが言ったの」

 直久にしては珍しく不機嫌丸出しの顔になる。

「だから、それは時也さんの勝手なイメージだろ! 確かに、俺が、アヤメさんは白だって言うのも勝手なイメージからだけど。だけど、今、アヤメさんは俺に意見を聞いただろ? アヤメさん自身の好みで断られるならまだしも、なんで時也さんの勝手で俺の意見が却下されちゃうわけ?」

「……分かったわ、着てみる」

 強い口調で言い張った直久に負け、アヤメは直久の方に手を伸ばした。

 手に持っていた白い服をアヤメに手渡そうとした時、直久は差し出された手に、はっとなった。

「何?」

 自分の手の甲に目を釘付けにされている直久にアヤメは不思議そうに見つめ返す。

 その瞳があまりにも澄んでいて、直久は口籠もる。

「なんでもない」

 だが、確かに見てしまったのだ。アヤメの手の甲にある火傷の痕を。

 まだ新しい傷らしく、赤く腫れ上がっていた。そして、その傷の形が、数久に描いてもらった直久の手のひらにある護符の模様とまるで同じであったのだ。

 白い服に着替えたアヤメは、直久の前でくるりと回って見せた。

「似合うよ」

 自分の顔が引きつってやいないかと不安になる。だが、アヤメは直久に目もくれず、鏡の中の自分をじっと睨んだ。

「私じゃない。これはツバキよ」

 そして、ため息をつく。

 扉が軽い音を鳴らせた。

「誰?」

 びくっと振り返ると、すぐにその答えが返ってきた。

「僕だよ」

「アカネ?」

「どうしたの?」

 さっと扉を開けたアヤメが、アカネと目線が合うようにかがむ。アカネは無言でアヤメの首に抱きついた。

「どうしたの?」

 背中を優しく叩きながら再び尋ねてやると、ようやくアカネの弱々しい声が返ってきた。

「お願いだから、お茶会に出ないで」

「え?」

「時也とツバキの奴が変なこと言っていたんだ。姉さんがツバキになって、ツバキが姉さんになるって。それで、逃げるんだって」

「どう……い…う…こと?」

 アヤメの目の前が暗くなる。

「僕、聞いちゃったんだ。二人が話しているところ。今晩のお茶会で姉さんに睡眠薬を飲ませて、姉さんが眠っているうちにツバキを連れて逃げるって。姉さんをツバキの代わりに、あの部屋に閉じ込めて、生け贄にするつもりなんだ!」

 直久はアカネの話しに、口元に拳を当てて考え込む。

 ――そう言えば、ツバキは絵描きと駆け落ちしたって妃緒ちゃんが言っていたっけ。

 そうか、アヤメをツバキの身代わりにして、人の目をごまかしている内に逃げてしまおうとしたわけかぁ。

「僕、嫌だよ。姉さんがツバキの代わりに生け贄にされちゃうなんて」

 アカネは見ればすぐ分かるように、同じ姉にしても、ツバキよりもアヤメのことの方が好きのようだ。

 いや、むしろツバキを姉とは思ってもいないような口振りである。

 おそらく、二人の話を聞いた彼は、何の考えもなく、即、アヤメの元へ駆けつけて来たに違いない。

 アヤメは、そんなアカネを力一杯に抱きしめた。

「大丈夫よ。絶対に逃がしやしないんだから。私に考えがあるの」

 その時、直久はアヤメの瞳に燃えるような光を見た。

「私が時也さんと逃げるわ」

 


▲▽

 

 同じような白い服を着た少女たちが、全く同じ顔立ちをして、そこに静かに座っていた。

「どうぞ」

 時也は、ほんわりと湯気が立ち上る紅茶を小さいカップに入れて、アヤメに差し出した。

 カップの中で紅茶がよい香りを振りまきながら、小さく波立つ。

 その、時也の優しげな微笑みに、直久を腹が煮えくり返る思いを覚えた。

 ――アヤメさんが可哀想そう。あんまりだ!

 おそらく、その紅茶の中に睡眠薬が入っているに違いない。

 ――よりによって好きな人に騙されるなんて。

 彼の偽りの微笑みを、偽りと知っているアヤメが、どのように受け取ったのかと考えるだけで、胸がつぶれそうだった。

 今更思うことだが、一卵性双生児は本当によく似ている。そっくりである。

 特に今のツバキとアヤメは同じ服装で、黙って座っていれば、おそらく互いにしか区別がつかないのではないかと思う程そっくりだ。

 その区別も、自分が自分であると信じることに基づいている。

 だから、自分が自分であると確かに言えなくなった時、自分ではなくなることもあり、また、片割れの存在をも疑わしくしてしまうこともある。

 ――つまり、アヤメが自分をツバキであると言い張った時、それを証明できるものがないのと同時に、ツバキがツバキだと確かに証明するものもないということ。

 アヤメがアヤメであるから、ツバキがツバキであり得る。

 周りにいる者たちは、2人が言ったことを信じるしかないのだから。

 そこまでそっくりな二人ならば、入れ替わることなど容易いだろう。

 マジでやる気なのか?

 ニコニコしながら、カップに口を付け飲む振りをするアヤメを横目に、直久はそっとため息をついた。

 自分と数久もよく入れ替わって周りの人を驚かせたものだ。

 だけど、それは長くても一日の間の話で、一生数久として生きようとは、直久は思わない。

 自分は自分だ。数久ではあり得ない。

 例え、元々は1つだったとしても、2つになってしまった以上、2つとして生きるしかない。

 そうと分かっていても、時々、自分ではあり得なくなってしまったもう一人の自分を取り戻したくなる。

 そう、だから、入れ替わるのだ。

 数久の振りをして、数久の世界を知る。数久が見ているものを知る。そして、改めて知る。自分は直久だ。

 個としての自分。数久との間に分厚い壁を感じる。他人と同様の分厚い壁を。

 アヤメは、今、その壁を破り、ツバキになろうとしているのだ。

 直久の目に、アヤメがツバキのカップに紅茶を注いでいるのが映る。睡眠薬を入れている手の動きまでも。

 


▲▽

 

 アカネが姿を見せたのは、その時だった。

「あら、どうしたの? アカネ」

「時也に用があるんだ」

「僕に?」

 なんだい? と歩み寄った時也の腕を、アカネが引っ張る。

「ちょっと来て。僕の部屋で変な音がするんだ」

「へんな音?」

 アカネのその行動は、アヤメの指示通りであった。 そして、その思惑通りに、時也が部屋を出ていってすぐに、ツバキの躰が傾いた。アヤメはツバキの側にしゃがみ込み、眠りに落ちていくツバキの服を脱がせる。

「私がツバキよ。アヤメの振りをして時也さんと逃げるの。あなたはアヤメ。ツバキに騙されて、身代わりにされた可哀想なアヤメ」

 最後の方は、堪えきれずに溢れた笑い声になっていた。

 ツバキの服を自分で着ると、自分の服をアヤメに着せる。

「アヤメさん」

 廊下に出ていた直久は、時也の戻ってくる姿を見つけ、アヤメにそのことを知らせる。

 アヤメはしずしずと部屋から出てきた。

 その表情は、アヤメに対してすまないことをしたというツバキの後悔の表情だった。

「……時也さん」

「ツバキ、アヤメさんは?」

 時也の問いかけにアヤメは、ゆっくりと首を縦に振る。これに頷き返し、時也は上着から銀色の鍵を取り出した。

 カチ。

 小さい音が鳴る。

「さあ、行こう」

 差し出された時也の手をアヤメは、本当に本当に、嬉しそうに受け取った。

 二人は駆けだした。

 すれ違いざまに、ありがとう、というアヤメの声が聞こえた気がして、直久の膝がガタガタと震えた。

 妙にその言葉が、その響きが、後を引く。

「ありがとうだなんて……」

 ――俺は何もしていない。

 複雑な想いで、アヤメと時也の、みるみる小さくなっていく後ろ姿を見つめる。

 本当にこれで良かったのだろうか? これで少女の霊の憂いを晴らすことができたのだろうか?

 でも、だったら、なぜ? どうして元の場所に戻れないんだ?

 ――憂いが晴れてないから?

 やっぱり俺はまだ何もしていないんだ!

 直久は爪が手のひらに食い込むくらいに強く拳を握りしめた。

 これからなんだよ。これから何かしなきゃいけないんだ! 俺が、きっと!

 直久の躰は、直久が何か考えるよりも早くアヤメの姿を追って駆けだしていた。

 アヤメさんはアヤメさんじゃないか。一生ツバキの振りをし続けるなんて無理に決まっている。アヤメさんはツバキじゃないのだから。

 やめさせよう、そんな馬鹿なこと。

 アヤメと時也を追い駆ける直久に、おそらく、この冬最後の雪がハラハラと舞い降りた。


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