3.ゆずる、しっかりしろ! 俺に掴まれ!
夕食後、数久は、この屋敷に集まった浮遊霊を追い払うのだと言って、狩衣に着替えている。
狩衣つーのは、平安時代の民間服で、動きやすいことから狩り時の服となり、後、公家の普段着になったもの。6位以下の正装でもあるんだ。
現在では神官なんかが着ているけど、それを数が着ているからって、数が神官か何かなのかというと、ちょっと違う。ハッキリ言って、狩衣を着ることに意味はない。
そこを敢えて着るのは、狩衣を着ることで依頼人が安心するから何だってさー。
普段着でヒョイヒョイと御祓いされても、何ら有難味がないというか。本当に祓ってくれたの? って、不安になるんだと。
やっぱり、一般的に神官=和服というイメージが強いらしい。数は、その期待に添っているわけだ。
そんで、浮遊霊というのは、特に悪さをするモノじゃなく、そこら中をふよふよ漂っているだけの霊。
それ自体に意志はなく、何か強い力に引き寄せられて集まってくることが多く、その強い力というのは大抵、悪霊だ。そして、ソレは引きつけた浮遊霊を吸収してますます力を持ち、かなりやっかいなことになったりする。
まぁ、要するに、浮遊霊は害がなくともいないことに越したことはない存在ってことで、まず、初めに追っ払ってしまうってわけだ。
――ちなみに、ゆずるに言わせると、浮遊霊は雑魚中の雑魚だそうで、消滅させるのなんて、寝ててもできるとか……。
それを、数が『消滅させる』ではなく、『追い払う』と言ったのは、数のポリシーが『霊に自ら成仏させる』なもんだからだ。自分はその手伝いをすれば良く、消滅させたりなどの強制的な除霊はしないのだと言う。だから、意志のない浮遊霊は、文字通り、その場から追い払うのだ。
はぁぁぁぁぁぁぁ〜。数ってば、なんて優しい奴なんだぁ。
し・か・も、和服がめっちゃ似合うし、すっげぇ、色っぽいの!
目の保養、目の保養と、食い入るように見つめていると、数は指を重ねたり、折ったり、立てたりしている。 印を結ぶってヤツらしい。ホラ、仏像がよくやってんじゃん。
O・Kのマークとか、影絵で言うキツネさんとか……って、ちょっと違ったかぁ?
と・に・か・く、印を結びながら、何かブツブツつぶやいている。
そうすると、数が所有している『式神』っていうのが現れて、数の命令を聞いてくれるらしい。
『式神』っていうのが何なのか?と言うと、コレが難しい説明になる。
『式神』って言うんだから神様なのかっと言うと、違うだろうし。
どちらかと言うと、西洋的に言って、魔女なんかが使用する『使い魔』に近いのではないかと思う。
そもそも古来日本では、何でもかんでも『神』として崇め奉る習慣があったわけで、雷とか自然現象はもちろん、石とか山とか自然物も、はたまた無念に死んでいった人間なんかも『神』だったのだ。
『神』と言うモノは、その怒りを恐れ、敬い、鎮めるモノであったという。
『触らぬ神にたたりなし』という言葉があるだろ?
つまり、日本人にとって『神』とは、人々を守ってくれるモノではなかったわけだ。
そりゃさぁ〜、気まぐれで助けてくれることもあっただろうけど、基本的には、『神様』の怒りに触れないようにしてきたわけだ。
そうすると、『神』は善、『魔』は悪という考えはなかったのだろうと思う。
そもそも、『魔』ってモノはなく、『悪い神』『意地悪な神』って感覚だろう。
平安時代には、西洋で言う悪魔的存在、つまり『神』の逆位置の存在として、『鬼』というモノがいる。
だが、鬼も、それより昔は『神』だったようだ。『鬼』と書いて『カミ』、または『シキ』と読んだのだから。
つまり、人にとって恐れの対象であった『悪い神』『意地悪な神』は『鬼』となり、都合の良い『神』こそ『神様』になったと考えられる。そんでもって、『人間に使役されている神』を『式神』と呼ぶのだ。
――ちなみに、一神教で言うと、神は唯一の存在で、絶対であるわけだから、『式神』なんぞ、神とは絶対に認められない。もちろん日本人の感覚からしても、人間の下にいる『神』を崇めることはできない。
よって、俺的には『式神』は、神ではないって結論になるってわけだ。
はぁ〜、長かったぁ。まぁ、サラッと聞き流してくれ。
で、数の場合、呪文を唱えると、蒼いオーラみたいなモノが数の全身を包み込んで、それが次第に大蛇の形になっていくんだそうだ。俺には全く見えないけどさ。
その大蛇つーのが、数の『式神』なんだ。たしか、名前は、雲居。
数はその式神を使って、浮遊霊を追い出すつもりらしい。
……で、数はよく、真っ白くって綺麗な蛇なんだぁ〜とか、人型になると超が百万個付くくらいの美女だよとかって、背景をピンクに染めながら俺に話してくれるんたけど、だ・か・ら、俺にはサッパリ見えないから! 俺の分からない話をする数は、可愛さ余って、憎さ百倍って感じだ。
なぁんてことをグチグチ考えているうちに、回りの空気が軽くなっているのを感じた。
それに、少し明るくなった気もする。オーナーたちも体が軽くなったとか言っているし、相当の量の霊が住み着いていたんだなぁ。
直久は汗だくになっている数久に、タオルを手渡した。
「ごくろー、ごくろー」
「ありがとう」
数久はニコッとしてそれを受け取ると、額を拭いた。
「――ったく、数がこんなにも頑張っているってーのに、ゆずるのヤツ」
ゆずるは気分が悪いとか言って、部屋に籠もっている。勝手なヤツだ。数だって、長時間バスに揺られ、疲れているはずなのにさ。浮遊霊を追い払うってだけでも、すぐに行動してあげるだけで依頼人は安心できるもんジャン。数はそのことをちゃんと分かっているから、疲れた体を引きずってやってのけたのに。
気分が悪いだぁぁぁぁ〜? 一々、貧弱ぶんなってーの!
「――ってわけなんだけど、……直ちゃん、聞いてる?」
「あ?」
「聞いてなかったんだね」
直久がゆずるへの怒りに燃えている間、数久は直久に何か話しかけていたらしい。
「ゴメン、数。ちょっと今、ゆずるのこと考えてた」
「そう……」
ふいっと数久は直久から目をそらす。
「直ちゃん、ゆずるのことで頭一杯だったんだね。それで、僕のことなんか、どうでも良くなっちゃたんだね」
だぁぁぁぁぁぁぁぁぁ〜。ちがぁぁぁぁぁぁうーっ。
「違う違う、数ぅ、違うんだ!」
首が引き千切れるってほど、頭を横に振ると、数はくすっと笑った。
「じゃあ、もう一度始めから話すね」
「ああ、うん」
話題転換の早さにやや面食らいながら、直久は頷き、数久の話を待った。その態度良さに満足しながら、数久は話し出した。
「浮遊霊が多くいる時は、霧がかかったように見えなかったモノが、追い払うことで、見えてきたんだ。そうして、本当に見えないところが浮き出て分かってきたってわけ。墨で真っ黒に塗り潰させたかのようにそこだけが全く見えないんだ。そういう所が、三カ所ある」
「三カ所も?」
数久は目を閉じて、拳を口元に持っていく。
「念のために護符をあげた方がいいかなぁ」
護符――要するに、お守りなんだけど。そんなにヤバイ相手なわけか?
数久の言葉にギョッとする。
「おいっ、数ぅ」
パチッと開いた大きな瞳を直久に向けて、
「念のためだよ」
と、笑顔で数久は答えた。そして、直久の手を取り、その手のひらに何やら絵文字っぽいものを指で描いた。 それをオーナー夫婦や、紫緒さん妃緒さんにもやる。それが済むと、
「念のためですから」
と、再び数久は笑顔を見せた。
▲▽
その後、時間的には少し早いとは思ったが、ゆずるも数久も疲れが思いっ切り顔に出ていたので、即、 寝床にGOすることとなった。言っとくが、俺はめちゃ元気だぜ。
あれくらいの道のりじゃあ、バスケットボール部エース大伴直久サマは疲れんのさ。
――っていうか、いつもと違うって感じが気を高ぶらせちゃって、眠れねぇ〜。
「数ぅ」
もう眠ってしまっているかも知れないと、遠慮がちに名前を呼ぶ。すると、数久はその身を少し起こした。
まだ眠ってなかったのだ。ホッと息を付く。
「何? 眠れないの?」
「数こそ」
「うん。ちょっと、ゆずるが気になって……」
「ゆずるが?」
数久は、具合が悪いらしいゆずるのことが気になって、眠れないのだと言う。
「早く寝ないと、明日辛いんじゃねぇの? 本格的に除霊すんだろ?」
「そうなんだけど……」
煮え切らない数久の答えに、直久は苛立つ。昔からそうだった。 数はやたらゆずるのことを気にする。
ゆずるの我が儘を何でも聞いてしまうし、命令なら犬みたいに忠実だ。
弱みでも握られているんだろうか?
んだったら、数を溺愛する兄として放っとけないっしょ!ゆずるに文句言ってやらねば!
直久のそんな決意も知らずに、数久は自分の掛け布団を少しめくり上げた。
「直ちゃん、こっち来ない?」
「え?」
「一緒に寝よ」
「……何? マジ怖いの?」
「もういいよ!」
数久は、ガバッと掛け布団を頭から被り、直久に背を向けて寝てしまう。
直久はあわてて自分のベッドから這い出ると、隣のベッドを覗き込んだ。
「数ぅ、直ちゃん、怖くって眠れなぁい」
情けない声を出すと、予想通り数久は振り向いてくれた。再び、掛け布団がめくり上げられると、今度はおとなしく直久はそこに滑り込んだ。
思えば、幼い頃はこうして一緒の布団でよく眠ったものだ。中学二年生ともなれば、お互い背も伸びるし、二人で一つの布団では窮屈になってしまった。
もしかしたら、全てのことがこういうことになっていくのかもしれない。
二人は一卵性の双子であり、元々一人の人間として生まれてくるはずだっだモノ。
受精卵の時に一つのモノが二つになることが始まり、ソレはこれからどんどん増えていく。
二人の人間の二つの布団、二つの人生。
生まれた時は二人一緒だったけれど、これからは?
それぞれ別の女の子に恋をして、家庭を持って、一人で死を迎えるんだ。
数は数で、俺ではないのだから、俺とは違う生き方をするのだろう。
急にしんみりとした直久を不思議そうな瞳が窺う。だが、直久であり得ない数久が、直久のこの気持ち知るよしもなく、
「ねぇ、直ちゃん。ゆずるのことなんだけど」
と言って、直久の顔をあからさまに曇らせる。
「ゆずる、明日が力を失っちゃう日なんだ。今日も相当弱まっていたけれど、明日はまるっきり使えないんだ。ゆずるってね、普段、力に頼りっぱなしだから、力が弱まると気まで弱くなっちゃうんだよ。凄く不安みたいで。――だから、直ちゃん。ゆずるのこと、気に掛けてあげてね」
「だけどよ、あいつ、俺のこと、嫌い……みたいだしさぁー」
直久は細切れに、吐き捨てるように言った。
「直ちゃんは、どうなの?」
「……」
「直ちゃん、あのね。直ちゃんは、自分は何の力も持っていないと思っているみたいだけど。僕たちは双子なんだよ、絶対にそんなことないと、僕は思うんだ。だって、直ちゃんがいるだけで、僕は凄く安心するんだもの。ゆずるだってそうだよ、きっと。――だから、直ちゃんはゆずるを嫌わないでね。助けてあげて」
言いたいことを言うと、数久はすぅーと眠りに落ちてしまった。
勝手なやつだ。俺が自分に逆らえないことを分かってて言うんだ、数は。
何気に酷いことを可愛い顔をして言うんだ。
▲▽
一人眠れないまま、どのくらいの時間が過ぎてしまっただろう?
直久は天井を睨みつけたまま、すぐ隣から聞こえてくる数久の規則正しい寝息に耳を傾けていた。
トイレ……にでも行ってこようかなぁ。
ベッドから抜け出したその時、小さい悲鳴のようなものを聞いた。隣の部屋、ゆずるの使っている部屋からだ。 一瞬どうしたものかと考えたが、次の瞬間にはゆずるの元に駆けだしていた。
「ゆずる?」
部屋の中に入った途端、普通ではないものを直久は感じ取った。未だかつて感じたことのない大きな不安に襲われる。鼓動が早くなる。息苦しい。
何だ? この感じ……?
部屋の中を、ゆずるの姿を探して見回した。すると、ゆずるはベッドの上で身を縮ませて座っていた。
「ゆずる?」
声をかけるが、返事はない。近寄ってみると、ゆずるはガタガタと何かに怯えるように震えている。
信じられなかった。ゆずるが恐怖に身を震わせているなんて。
つい先ほど数久に言われた言葉が脳裏に浮かび上がった。
守らねば! 守ってやりたい。
こんな感情をゆずるに対して抱いたのは、コレが初めてだった。
「な、直久」
ゆずるが直久に身を寄せてきた。
「誰かが見ている」
押し殺したような声を直久の耳元で出す。
「目がたくさん……ある」
どうやら、ゆずるには、この暗闇のいくつもの目玉が見えるらしい。
「俺を捜してる。今のところ、結界を張っているから、奴らには俺の姿が見えないけど、それも直に消える。俺の力がどんどん失われていくのが分かるんだ」
ゆずるは頭を抱え込んで、ますます身を縮めて震わせた。その様子を見ていて、居たたまれなくなった直久は、考えるより自然に体が動いていた。ゆずるを隠すように、その身に覆い被さった。
「大丈夫だ。結界が消えても、俺がお前を奴らから隠してやる」
普段は、直久に触れられることをひどく嫌うゆずるだったが、この時ばかりは何の抵抗も示さなかった。
こいつ、いつもこう素直なら、結構可愛いのにさ。
さすが、いとこ。数や俺と似た顔立ちだし。髪なんかもサラサラだ。躰の線も細いよなぁ。
数も細いけど、なんか、もっと……。
「消える」
「え?」
突然のゆずるの言葉に聞き返した時だ。
プツ。
糸が切れたような音だった。やっと聞き取れるような音で、それが結界が消えた音だと分かるまでに数秒の時間が必要だった。その途端、ひどい目眩がして、空気が重くなった。
何かいる。そうハッキリと直久は感じ取った。
何人もの人の気配。
いる!
ゆずるをしっかりと抱き寄せると直久は辺りをゆっくりと見回した。
「ゆずる、何か見えるか? 何かいるか? ゆずる?」
「わっ、わからない。見えない。何も、見えない」
ゆずるは本当に力を失っているらしい。完全に普通の人となってしまったのだと知る。
守らなければ、俺が!
そう決意した時、ゆずるの躰が直久の腕から、ずるりと抜けた。
何者かがゆずるを引っ張っていこうとするのだ。直久はあわてて引き戻した。
「ゆずる、しっかりしろ!俺に掴まれ!」
ゆずるの腕を自分の首に回させて、抱き寄せる。
「痛っ」
ゆずるが小さく呻いた。
「足を。足首を……」
細い声に、直久はゆずるの足首を見た。すると、その足にいくつもの手が絡み付いていた。
その手は青白く、暗闇にはっきりと浮き上がって見える。そう、見えるのだ。直久にも見えるのだ。
初めて見たものに放心しかけた直久だったが、再びゆずるの身体がその手に引っぱられて、我に返った。
今はまず、ゆずるだ。そう思い、腕に力を込める。腕の中で、ゆずるが躰を震わせている。直久は背後に人の気配を感じた。だが、振り向くことはできなかった。ゆずるを引き寄せるだけで精一杯だ。
ズルッ。
再び、いくつもの手が一斉に力込めてゆずるの足を引っ張った。 直久も引き戻すために、力を入れようとした。さっきの背後の気配がより強くなっているのに気付く。 すぐ後ろにいる。
直久の肩に長い黒髪がかかった。ずしっ、と体が重くなる。息苦しい。くっそう。なんて奴らだ。
さらに強い力がゆずるを引っ張る。直久の手は、もはやしびれて感覚がない。
今にも離してしまいそうだ。 意識も危うく、次第に薄れてく。
「かっ、」
最後の力を使い果たすとばかりに、その名を叫んだ。
「数!」
すると、けたたましい音を立てて扉が開き、数久が駆け込んできた。
「ゆずる! 直ちゃん!」
数久はすぐさま印を結んで式神を呼ぶ。蒼いオーラが数久から放出され、それは大蛇を形取った。
初めて目にした数久の式神は、話で聞いたよりもよほど綺麗だと、直久は思った。
霊たちの気配が消えると、直久は脱力して、抱き寄せていたゆずるの肩に額をもたれさせた。
「だぁぁぁぁぁぁぁーっ。疲れたぞ、俺は!」
「ごくろうさま」
「もっと早く来いよな」
直久の文句に、微笑みながら数久はスタンドの電気を付けた。ゆずるの無事を確認する。
直久の腕の中で気を失っていたが、どうやら無事のようだ。直久も数久もホッとして顔を見合わせた。
だが、すぐにその両足を見て青ざめる。
足首から脹ら脛にかけて、いくつもの手跡が赤紫色になって、ハッキリと残っていたのだ。