2.見えるのか? 見えないのか?
差し出された手から、マグカップを受け取り、その人物を見上げた。
ふわふわっとした感じの可愛い女の子で、年は俺たちと同じで、14歳。
この美少女の名前は、妃緒ちゃん。
妃緒ちゃんには、紫緒さんっていうお姉さんがいるんだけど、もう! これが儚い感じで、激!俺好み!
俺らより年上の16歳。俺ってば、ストライクゾーン広いから、年上でも全然OKさっ。
――だた、さっきから、ぼーっとしちゃっているのが気になるけど。
どこを見ているのか分からない瞳。さっきから全く身動きしてない。人形みたいだ。
色の白い肌や、黒く長い髪からして、さしずめ、日本人形と言うところか。
しばらく紫緒の方に気をとられていた直久だったが、妃緒の視線に気付き、彼女の方に振り返った。
妃緒は、直久と数久を見比べていたようだ。
「本当にそっくりなんですね」
しみじみといった風に話しかけてきた。
「珍しいですか? 双子は……」
彼女の遠慮のない視線に眉をひそめながら、数久が聞き返した。
「はい。初めて双子さんにお会いしました。感激です。――あのう、ゆずるさんは、よく見分けられますね」
その問いに、ゆずるは肩をすくめる。
「見分けるも何も、数と直久は別人ですから」
「でも、そっくりですよ」
「関係ないでしょう。数は数、直久は直久ですから」
「でも、私にはさっぱり」
元々、ゆずるは女の子を相手にするのが苦手で、特に、こうも食らい付いてくるような娘は大の苦手だった。次第に面倒臭いという表情が露わになってくる。そして、
「鉛筆って、いろんな種類があるじゃないですか。HとかHBとかBとか……。その違いって分かりますか?」
と、唐突にゆずるは問いかけた。そのあまりの唐突さに妃緒は耳を疑ったようだ。
直久はもちろん、数久でさえその意図がすぐには見えなかった。
「Hの中にも、H、2H、3Hと、8Hくらいまで種類があって、Bにも同じくらいあるんですよ。さらにHとBの間にFというのがあって、同じHとBの間に位置するHBとはまた別物なんです。さすがに8Hと8Bの区別は付くでしょうが、HBとFの違いは分からないでしょう。それでも存在するからには違いがあるってことで、その違いが分かる人がいるってことですよね。そういう人にとっては、HBはHBでしかないわけだし、FはFでしかないわけですよ。代わりに使うことはできないんです。だけど、違いなど分からない人にとって、HBもFも、HもBも、みんな同じなんです。どれを使ってもかまわない」
ゆずるはそこで一息ついて、妃緒の目を真っ直ぐに見つめた。 とたん、彼女の顔が赤くなる。
「――つまり何が言いたいかというと、二人のことを良く知る俺が見分けられるのは当然で、会ったばかりのあなたが彼らを見分けようなど、無理でも仕方がない、と言うことです」
きっぱり言い放ったゆずる。その横で、ため息をつく直久と数久。
もっと柔らかく言えないのかよ、こいつは……。
重い沈黙が辺りに広がった。
やばすぎる!
そう思った時、運良くと言うべきか、オーナーが姿を現せた。
「お待たせして申し訳ない」
話の途中で、電話がかかってきたため席を外していたのだが、それを済まし、戻ってきたようだ。
妃緒が席を立った。本来の話に戻るのなら、自分は邪魔だと思ったらしい。
つかさず、数久が直久の腕を引っ張った。
「直ちゃん、フォローしてきて」
「はぁ? 俺が?」
「あれじゃぁ、かわいそうだよ。お願い」
数久のすがるような目つきに、仕方なく直久は腰を上げた。数の頼みじゃあ、聞かないわけにはいかないしなぁ……と頭を掻いた。
妃緒を探してうろうろしていると、視線を感じて、その方を見る。
すると、階段に腰掛けて、ジッとこちらを見つめている妃緒の姿があった。
「なんだ、ここにいたのか」
そう声をかけると、妃緒は嬉しそうに笑った。
座って、と言うように、自分の隣をたたく。直久は同じように階段に腰掛けた。
「あのさー」
ゆずるや数久と違って、同い年だと思うと、ついタメ口になってしまう。
「ゆずるの言ったこと、気にすんなよ。――つーか、何か? 俺や数は鉛筆かよ! って感じだよな。ワケ分かんねぇーこと、グダグダ抜かしやがってさ」
「いいの。その通りだと思うから。だって、二人の区別がつかないって言うことは、二人の人格、個性を無視していることになるんだもんね。ごめんね」
「……お前、あったまいいなぁ、ああ、そうか!なるほど!そういうことになるのかぁ」
落ち込んでいた妃緒だったが、その明るい声に、思わず吹き出す。
「直久さんって、おもしろーい」
「そうか?」
彼女の笑顔に直久もホッとする。
「でも、いいんですか?」
「ん?」
「抜け出してきたりして」
「ああ、いいの、いいの。だって、俺、おまけだもん」
「おまけ?」
「そう、おまけ。俺ね、見えないんだ、霊とかって。力もないし……」
直久は自分の手のひらを、ジッと見つめる。
どういったわけか、うちの家系は妙な力の保持者が多く生まれる家系らしい。
俺は、自分自身に何の力もないから、なぜうちがそういう家系なのか? といった類のことに興味ない。
だから、誰にもちゃんと聞いたことがなくって、よく知らない。
――だけど、実際、数やゆずる、親や知っている限りの親戚には、そういう力があって、ごく普通に、当たり前のように力を使う。
要するに、うちの家系はそういう血を受け継いでいる……と言うか、遺伝子を持っているらしい。
けど、だけど、だったら、何で俺だけ?
直久は堅く拳を作った。だが、すぐに緩め、その手のひらを見つめ直した。
薄く爪の跡がついているのを知ると、苦笑を漏らした。
わずかに頭を左右に振り、直久は妃緒にニッと笑いかけた。
「でも、あいつら二人は、マジすげぇの。普通に見えるらしいから。生きている人間とあんまし変わんないくらいハッキリ見えるらしいぜ、幽霊が!」
妃緒の方に身を乗り出す。
「しかも、よくあるジャン。漫画とかでさぁー、霊気の塊を敵キャラに投げつけるのとかって、ああいうのもできるらしい」
「ウソ! 本当?」
あと、他にも、テレパシーとか、触れずに物を動かすとか。 瞬間移動やタイムスリップとか……は、疲れるからやらないらしいが。――って、できるんかい!
はぁぁぁぁぁぁ。マジ!人間離れしているよなぁー。
妃緒相手に弟たちの異様な力について、しゃべりまくっていると、誰かが近づいてくる気配がして顔を上げる。数久が柔らかく微笑んで立っていた。
「直ちゃん、部屋に案内してくれるって」
「もう話、終わったのかよ?」
「うん、だいたいね」
オーナーに連れられて、たどり着いた部屋は2階の南側に位置する部屋だった。
「他に客はおりませんから、お一人で一部屋使ってもかまいませんよ」
そうオーナーは言ってくれたが、数久はやんわりと断ってしまう。
で、結局、ゆずるが一人で一部屋使い、直久と数久は同部屋になった。
「なんで、ゆずるだけ……」
文句を言い出した直久に、数久はうるんだ瞳を上目使いにして、
「直ちゃん、僕と同じ部屋嫌なの?」
と、言う。
数久の必殺技である。 何だかんだ言って、俺はいつもコレにものすごく弱い。
「な、な、何を言ってんだよ、数!嫌なわけが……」
「僕とより、ゆずるとの方がいいんだね。それとも一人の方がいいの? ……僕…何だか、一人で寝るの、怖くって……」
「か、数ぅー」
数久のその可愛らしさに思わず、ぎゅうっと抱きしめる。
「く、苦しー」
「もぉう、数ぅってば、怖がり屋サン。いいさ、今晩はこのまま抱きしめて寝てあ・げ・る」
「けっ、結構ですっ」
「ああ、数ぅ〜」
一人いちゃっている直久は、肩越しに、数久がゆずるに向けて片目を閉じ、それに答えるようにして、ゆずるは肩をすくめてみせたことに気付かなかった。
▲▽
荷物を部屋に置き、1階のロビーにいく。
そこで、直久は数久から簡単に、この家の事情を説明して貰っていた。
それは、昔々、この家で1番初めに生まれた女の子が16歳になると生け贄にされていたという話だった。
だが、科学の栄える現代において、神様の祟りをおそれて、人身御供をしようと考える者はない。
いつしか、生け贄など必要とされなくなっていった。
そうして、忘れられたのだ。
人身御供のあったという事実も、生け贄にされた少女たちの存在も。
ところが、それらは、この家の者たちにとっては、遠い記憶のものにはならなかった。
人身御供をやめてからというもの、この家で生まれた1番初めの女の子たちは、かつて生け贄に出されていた年齢になると、生気が抜けたようになってしまうのだという。
何に対しても反応がなく、自ら動こうとしないのだと言う。それはまるで、人形のように……。
そうなって、だいたい1年が過ぎた頃、眠るように死んでしまう。
直久は紫緒を振り返った。
彼女は、さっき自分が見とれていた時と変わらぬ様子で、どこかをじっと眺めていた。
オーナーは、ペンションに客が来ないからということではなく、娘のことを想って、依頼してきたのだ。
このままでは、死んでしまうかもしれない娘のために。
「実は、私には妹がいました。が、やはり16になったその日から様子がおかしくなり、17の誕生日の数日後、死んでしまいました。その時の妹の症状と、紫緒の症状が同じなんです。医者にも見せたのですが、原因は分からないと言われ、もう、どうすることもできません。このままでは、紫緒は……」
それはゆずると数久にとって、オーナーに言われるまでもないことだった。
彼女を初めて目にした時から、彼女の回りに何とも言い表しがたい不気味な気配を感じていたからだ。
「――この家の見取り図を見せて頂きたいのですが」
娘の不憫さに涙を潤ませて黙り込んでしまったオーナーに、哀れんでいる暇はないのだと言いたげに、ゆずるは口が開いた。オーナーは無言で頷いた。手に持っていた見取り図を広げ、ゆずるたちに見せる。
「改築したと言っても、ほとんどいじっていません。昔と大して変わりません」
そう言うと、彼は妃緒を呼ぶ。
「案内して差し上げなさい」
「はい。では、どうぞこちらに」
にこっとして引き受けた妃緒を先頭に、ペンションを一回りすることとなった。
▲▽
大して変わらないってことは、昔からこんなでかい家かよっ、というのが直久の率直な感想だ。
この西洋風の屋敷が建ったのは、驚いたことに、明治初頭だという。
よほどの金持ちだったんだなぁ、と溜め息。
そんな直久のすぐ横で、数久が形のいい眉を少し歪ませる。
「どうしたんだ?」
「うん。ちょっと変だなぁ、っと思って」
「ああ?」
どれどれ、と数久の持つ見取り図を覗き込んだ。
二人の足が止まったのに、先を歩いていたゆずると妃緒も気付き、少し戻り、同じように覗き込んできた。
「ここが今いる位置なんだけど……」
細く長い数久の指が、見取り図の上を滑る。それから、目の前の扉を指した。
「この見取り図には、この扉がないんだ。描かれていないみたい」
確かに、その扉は見取り図にはないものだった。
「ゆずるは何か感じない?」
「嫌な感じがするな」
「うん、僕もそうだよ。それで、さっきから透視しようとしているんだけど、真っ暗になっちゃって、ダメなんだ」
「おいっ。ゆずる。お前はどうなんだよ。見えんのか? 見えないのか?」
「うるさい。パシリは、まず、黙れ!」
ゆずるが、すぅーと目を細める。だが、
「だめだ」
と短く言い放ち、ため息をついた。
聞くところによると、本当ならば、ゆずるは数よりも強い力を持っているらしい。
それはゆずるが、俺らの家である大伴家の本家筋にあたる九堂家の御曹司だからだ。
九堂家は妙な力をもっとも強く受け継ぐ御家なわけで、ゆずるはその九堂家を継ぐようにと定められている。そのため、幼い頃から、完璧に力を使いこなすための特別な教育を受けているのだという。
――な、なんじゃぁい、その教育って! 怪しい。かなりアヤシイ……。
ところが、だ。ゆずるの力はひどく不安定なものなんだと。
都市の一つや二つ、簡単にぶっ飛ばせるほどの力がある時もあれば、全くなくなってしまう時もあるらしい。数の話だと、それは月の満ち欠けに関係があるらしいとか……。
そう言えば、母さんや鈴加なんかも、そんなこと言っていたなぁ〜。
あっ、鈴加つーのは、俺らの姉貴ね。
――まぁ、そんなわけで、ゆずるは、力が弱まった時の依頼は、かならず数を連れている。
数のフォローが必要な程、使いもんにならない状態だからだ。
……ということで、今のゆずるには、数にできなかったことができるわけがなく、ゆずるは舌打ちをした。
「何かご存じですか?」
妃緒に問う。妃緒は頭を横に振った。
「私も、たぶん両親も分からないです。この扉はずっと以前から開けられていないのですから」
と、ノブに手をかける。 ノブはカチカチと小さい音を立てるものの、一向に回らない。
「何十年も前に鍵をなくしてしまったのだと聞いています。それ以来開かないのです。誰も扉を壊してまで開けようとは思わなかったようで、開かずの扉として放っておかれています」
「ミステリアス〜。――だけど、なんで開けようとしないんだ? 俺なら何が何でも開けたくなるけどなぁ」
「直ちゃん」
「ん?」
直久のご気楽な質問に数久は眉をひそめ、妃緒はわずかに強張った顔になった。
「この部屋は、生け贄にされた少女たちが使っていた部屋だったんです」
ああ、それでか。直久は息を呑んだ。何だかやるせない気持ちで、じっとその扉を見つめる。
しばらくあって、一行はその場を離れた。
それにしても、なんつぅー広い家だ!
1階はロビー、食堂や浴場などの他、オーナー一家の部屋がある。さっきの開かずの扉もこの階だ。2階は客室オンリーで、9部屋。3階もやはり客室が4部屋あり、この4部屋は2階のそれとは比べものにならないほど1部屋1部屋がバカ広い。つまり、とってもイイ部屋なわけだ。
イイ部屋過ぎて、未だかつて、それらを利用した客はいないんだとか。
そのせいもあるのか、掃除が行き届いていないような……。廊下の隅に埃がたまっているし、壁もザラついている。それに何だかカビ臭い。
数久が急に足を止めて廊下の壁に飾ってある絵を指差した。
「この絵は何ですか?」
見ると、3階の廊下の壁には、数メートル置きに、何枚もの絵が飾ってあった。それも、全て、同じぐらいの年の少女の絵だ。
「これらの絵は、生け贄になった少女たちの肖像画です。生け贄にされる前、その少女が生きていたという証に、必ず肖像画を描かれることになっていたそうです」
写真のように描かれている彼女たちは、今にも絵から出てきそうだった。何かを語りかけてきそうで、早くその場を立ち去りたくなる。
「あれは?」
直久の不安など気にも止めずに、ゆずるが指差すのは廊下の端。
「あの絵だけ、なぜ離れたところにあるんですか?」
日もあたらないような隅っこにポツンと一枚の絵が飾られている。 四人はその絵のもとに歩み寄った。
白い肌、長い黒髪、黒い瞳、赤い唇。日本人形みたいな少女。
「この少女は最後の生け贄の少女でした。いえ、そうなる予定でした」
妃緒はじっと絵の中の少女を見つめながら話し出した。
「明治時代に入って、人身御供などやめようと言うのが、大半の村人の声になりました。でも、この少女の父親は、人身御供をやめれば村人から金を集める理由がなくなってしまうと、それらの意見に耳を貸そうとせず、断固決行の意を示したのです。そうして、代々の生け贄の少女たちにそうしてきたように、この少女にも肖像画を描き残してやることにしたのです。――招かれた絵描きは、まだ若い青年で、絵を描いている長い時間の間、2人は、そのう、……恋に落ちてしまったそうなんです。ですが、絵が完成すると、少女は生け贄にならなければなりませんでした。それで、この絵が完成した翌晩、2人は逃げ出してしまったのだと聞いています」
「おおっ。手にぃ〜、手を〜、とってぇ〜。駆け落ちジャン」
格好いいと言わんばかりの直久に、妃緒は苦笑した。
「でも、すぐ見つかってしまって、2人ともその場で射殺されてしまったそうです」
「……」
妃緒はもう一度確認するかのようにその絵を見つめた。少女は白い椿の花が咲く庭で楽しそうに笑っている。その笑顔の先には、この絵を描く青年がいるのだろうか?
ふと、視線を下げると、その絵の下の方に『ツバキ』と書いてあった。
「ツバキって、この娘の名前かな?」
その部分を指しながら数久が妃緒に尋ねると、妃緒はあやふやに頷いた。そして、
「あの、そろそろ夕食の準備が整っていると思うので、食堂の方に行きませんか?」
と、穏やかな口調で促す。さっきから腹ぺこの直久は大賛成したのだが、数久はまたもや眉をひそめる。
「どうした?」
それに気付きゆずるが数久に声をかける。数久は今いる場所とは逆方向の廊下の端を指差した。扉がある。
「あの部屋は見ていないなぁ、と思って」
「そう言えば、見てないな」
長い廊下の端から端を見ているせいか、向こう側の端が何だか気味が悪い気がした。
妃緒の方に振り向くと、彼女は何やらずっと遠くを見るような目つきで、その扉をじっと見つめている。
この廊下が薄暗いせいかもしれないが、顔色が悪いように思えた。
「――実は、あの部屋に、私とは6つ違いの兄がいるんです。……舜と言います。兄は、生まれ持った奇病のため、自分の足で歩くことができません。立つことさえも。それで、ずっとあの部屋に籠もっているんです。人と会うのを極端に嫌がるもので、失礼ですけど、兄のことはそっとしておいてください」
必死な表情で頼まれては、どうすることもできない。仕方なく、その場は何も言わずに妃緒に従って階段を下りた。