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日陰者青春譚

作者: 満腹亭白米

 さて、これは僕が東北の野暮ったい高校生だった頃の話である。ゲームセンターやカラオケ、ボーリングといった娯楽施設に恵まれていない田舎の町で、僕は灰色の学生生活を送っていた。

 遊ぶ場所と言えば薄汚れた喫茶店やアニメのポスターが貼られた誰かの自室で、面子はいつも同じだった。刺激も無ければ知的な会話もなく、もちろん浮いた話も皆無の、世界一無意味な交友関係だったと言えるであろう。


 今回はその不毛な交友関係の中核を担っていた二人の学友と、一人の女の子のお話である。

 

 まずは冬野目百草。彼は枯れた枝を連想させるほど貧相な肉体をしている。そして独特な趣向の持ち主で、『豊かな乳周りは生粋のお嬢様に宿るべきだ』という持論をのべつ幕無しに撒き散らす癖がある。そして長年の小遣いを貯めて購入したノートパソコンで『巨乳 お嬢様』と検索し、表示された画像を顎に手を当てながら真剣に眺める。やがて至高の一枚を選別すると、おもむろに『秘蔵』と銘打たれたフォルダに保存し、一仕事を終えたとでも言わんばかりの表情でコーヒー牛乳を啜る。


 もう一人は藤堂喜八。彼は絡まった釣り糸を思わせる天然パーマを風に揺らし、運動部が練習をするグラウンドによく出かける。しかし彼と運動の関係性は全く無く、興味の対象は主に人間と、その分泌物だ。藤堂は『運動をして汗をかいている女子こそ至高』という矜持を持っており、寡黙にその素晴らしさを記録に収める。彼が親にねだって買ってもらったものはたった一つで、それは一眼レフのデジタルカメラだった。これを用いて、コートで爽やかにボールを追いかける女子を狙ったり、懸命にバトン練習をする陸上部の女子を狙ったりするのだ。


 僕と冬野目と藤堂の不毛な三銃士は、よく三人で集まり語らったものだ。その内容は想像にお任せするが、不毛であることは保障しよう。なぜなら、クラスの女子から冷徹な視線を突き刺されるのが常である二人に若干引かれるくらい、僕も変態だったからだ。

思い出すと懐かしい。冬野目と藤堂の偏った趣向を知った僕は、彼らになら自分の好みを打ち明けても大丈夫だと安心したものだ。我らは同じ十字架を背負ったキリストの弟子、何があってもお互いに糾弾なんてしないと確信したのだ。

 しかし、彼らに僕の性癖を告げた後、場の空気は生ぬるく淀んだ。そして冬野目は生気の無い目で、藤堂は自分を棚にあげて批難めいた目でこう言ったのだ。


「吉原って、変態なんだね」


この時の彼らの言葉を、僕は決して忘れない。




                ☆




 季節は寒気が満ちる冬である。二月も二週目に入り、身を切るような冷たい風が吹き抜ける。ただでさえ冷えた生活を送っている僕は瀕死状態で毎日を過ごしていた。

 田舎というのは人間関係がきわめて狭い領域で構築されているので、誰と誰が恋仲だとかという話は望んでなくとも耳に入る。

 僕が教室で一人、消しゴムのカスを練ってつくったネリケシで人形をつくり、それに「あんずちゃん」と名付けて全力で愛でていると、クラスメイトの会話が耳に入った。


「もーマナまた喧嘩したのー? 今度は何があったのー!」


 それを受けて、マナと呼ばれた女子は悲痛な顔で言う。


「タケルがね……他の女の子とライン交換してたの……もう私いや。いやああああっ!」


「しかもタケルの方も、満更でもなさそうにやり取りしてるし……うわあぁあああ!」


 机に突っ伏し、声を震わせるマナ。それを見ていた友人らしい女子数名が、机を囲んで口々に慰めの言葉をかける。


「大丈夫だよっ、マナは可愛いんだから自信もって!」


「そうだよ、でもタケルくんサイテー。なんでマナが悲しむことするかな」


「ねー、女の子の気持ちわかってない!」


 黒魔術の儀式のようにマナを囲み、呪文のように言葉を紡ぐ女子たち。このままでは何かよからぬものが召喚され、僕の住む町がめちゃくちゃにされてしまうかもしれない。そうなれば僕は「あんずちゃん」を守るために、そのよからぬものと戦わねばなるまい。

 そんなことを考えていると、教室の扉が開いて一人の男子生徒が入ってきた。この糞寒い時期だというのに制服のボタンを多めに開けている長身の彼は、マナの机に一直線に向かっていく。どうやら彼がタケルくんらしい。

 僕とは違い、彼は全身から爽やかなオーラを放っている。いや、それどころか女子が好きそうな要素をすべて備えている。

 整った顔、きちんとセットされた髪の毛、やんちゃな印象を与える耳のピアス。

 いかにも複数の女の子に手を出している雰囲気だ。ちなみにこれは偏見などではなく、あくまで冷静な観察の結果だ。

 優雅な歩調で歩み寄り、タケルくんは優しくマナの背中に声をかける。


「マナ……ごめん。俺が悪かった。でもあの子は何でもないんだ。向こうから一方的に連絡が来るだけさ。俺はマナが一番好きなんだ……」


 さっきまでこの世の終わりだとでも言いたげな表情をしていたマナは瞬時に頬を紅潮させ、潤んだ目で男子生徒を見上げる。


「タケルくん……」


 はにかみながらも、マナの手を取り立ち上がらせるタケルくん。そのまま二人は放課後の廊下へと消えていった。

 その場に残った黒魔導士達、もといマナを慰めていた女子たちは二人を見送り、まるで何事もなかったかのように芸能人の話を始めた。


「なんだったんだ」


 僕はそう呟き、大して親しくもないクラスメイトの痴話喧嘩の内容と解決の過程を知ることになった。


「それにしても……タケルくんはなんてやつだ」


 もう恋人がいるというのに、それとは別に女の子とコンタクトをとるとは何事だ。贅沢すぎる。一部の連中がそんなことをするから、女の子にあぶれる僕みたいな存在が出てきてしまうのだ。社会的弱者というやつだ。政治家は富の再分配を図り、僕らのような存在にも女の子を紹介してほしい。


「しかし……タケルくんに彼女がいるとわかっていながら、ちょっかいを出す方も出す方だな。けしからん」


 などと、歴史の授業よりも自分に関係のないことを考えながら僕は教室を出た。




 


              ☆



 帰り道の途中、ケータイが振動した。どうせいつもの通販サイトからのメールだろうと無視を決め込んでいたが、いつまでたっても振動は止まない。よもやと思い取り出してみると、我ら不毛な三銃士が一角、藤堂からの電話だった。

 通話ボタンを押して耳に当てると、いつもの陰気な声が一言、


「カプセルにて待つ」


 とだけ告げ、通話は終了した。

 僕はマフラーを顔半分まで引き上げ、冷えた外気に身を縮めながら一歩を踏み出した。

 あぁ、今日もまた不毛な会合が始まる。


 カプセルとは駅前にある純喫茶で、店内はいつも煙草の煙で白っぽく濁っている。客の数は常に片手で数えられるほどで、店主はいかがわしい新聞のいかがわしい記事を熱心に読んでいることが多い。

 もう少し歩けば、おしゃれで気の利いた明るいカフェもある。そこでは見眼麗しい乙女たちが淑やかにミルクティーなんかを飲んでいて、まさに桃源郷のような場所だ。

 しかし常々、僕たちは敢えてカプセルを使用していた。ここは客の数が少ないから気軽に話せるし、コーヒーも旨い。決して明るいカフェの雰囲気に気後れしていたわけではない。


 ちりん、と鈴を鳴らして店内に入った僕の目に飛び込んできたのは、木製の大きなテーブル、変色したメニュー表が貼られている壁、しなびた観葉植物、煙草の白い煙などだ。どれもこれもが経年劣化しており、くすんだ色合いをしている。マガジンラックに収まっている雑誌類はどれも二か月遅れのものだし、店主は客が来たというのに見向きもしない。

 藤堂の方が先に僕を見た。


「来たか」


「今日はどうした?」


 席につき、絡みがちな頭髪を抱えている藤堂を見る。明らかに考え事をしている。冬だというのに鼻の頭に汗をかいていて、実にキモチワルイ。


「吉原……最近、冬野目の様子がおかしいとは思わんか?」


「え、別に。どうして?」


「愚鈍なやつめ。いいか、実はあいつにな……」


 そこまで言いかけて、藤堂は俺の方へ顔を寄せた。相手が藤堂ではなく可憐な女子であれば望むところだが、世の中上手くはいかないものだ。


「……彼女ができたかもしれないのだ」


「はぁっ!?」


 驚いた僕の顔を見て、藤堂は満足気な様子で座りなおした。


「ありえないだろ、あの冬野目だぞ? 体力測定でA~Dまでの4ランクしかないのに、Gランクを叩き出した冬野目だぞ? 人間なのかも怪しいのに」


「そうだ。魑魅魍魎の類に近い冬野目のくせに、あろうことか恋人など……!」


「あいつに恋人なんて……そうだ、きっと相手の女の子は、人質をとられているんだ。脅されて仕方なく……」


「その線も否定できん。良いか吉原、今日お前を呼んだのは他でもない、頼みごとがあるのだ」


「頼み事……?」


 藤堂は険しい顔つきのまま立ち上がり、おもむろに拳を握った。その様子は奇妙な森の精のようでもあり、ただ単に天然パーマの妖怪のようでもある。


「俺は、仲間が人の道を外しかけているのを見過ごすわけにはいかん。冬野目には立派な大人になり、この国を背負ってもらわねばならんのだ」


「それは……僕ら三人の中で、冬野目だけが進学するから言ってるのか?」


「そうだ。大学という神聖な学問の場に進むあいつには、正しい道を歩んでほしいのだ」


「それで……具体的には何を企んでるの?」


「涙を飲んで、俺たちは高等警察にならねばならん。やつを拘束し、事の真相を聞き出す。荒事は好まないが、やむを得ない」


「そんな……仲間を拷問するとでも言うのか!」


 なんてことだ。僕たちはいつも、他人には言えない性癖を抱えて道の端を歩くしかない日陰者だ。同じ罪を抱え、お天道様に負い目を感じながらもなんとか生きている同志だと言うのに……。

 いつ崩壊してもかまわない不毛な同盟関係だとは思っていたけれど、まさかこんな形で終焉が訪れようとは……。

 しかしここは僕も鬼にならねばならない。冬野目は気の良い枯れ枝だが、時に不要な枝は折らねば幹が危ないのだ。


「……わかった。協力しよう」


「理解してくれたか。吉原……」


 僕たちはがっちり握手を交わした。藤堂の手は相変わらずの脂性だった。


「つまり、彼女ができた冬野目が羨ましいから悪戯するってことだよね?」


「みなまで言うな」


 そこで、漸く店主が注文を取りにきた。




         ☆



 カプセルにおける藤堂と僕の密会は、「冬野目粛清作戦・A」を企画したところでお開きとなった。ちなみに作戦Bは、この件が藤堂の勘違いだったときにどう謝るかというものだ。


 密会から三日後の土曜日、僕は黒っぽい服に全身を包んで目深に帽子をかぶり、とある路地裏に身を潜めていた。時刻は日付が変わろうかというあたりで、人気はない。

 空は紺色のキャンバスに白い絵の具を気まぐれに垂らしたようで、よく晴れていた。

 傍らには藤堂もいて、彼は黒い目出し帽という極めてクラシカルなものを着用している。誰かに見られでもしたら一巻の終わりだが、こんな僕たちならば二巻や三巻を望む読者は皆無だろうという気もする。

 外気は容赦なく僕らの体温を奪い、不毛な目標を掲げて路地裏に潜む田舎の高校生をあざ笑っているようでもある。

 僕は帽子を何度もかぶり直して目標の到着を待っていた。


「寒いな……」


「まったくだ。畜生、冬野目め。こんな目に遭わせやがって」


 藤堂の愚痴はまったくの言いがかりだが、あえて何も言わずにおいた。高校生において彼女ができるなどというイベントは一大事で、放っておくわけにはいかない。もし本当に冬野目に恋人ができたのであれば目出度いことではあるのだが、今度は相手について詳しく聞き出さなければならない。相手が仮に絶世の美女であっても、傾国の美女かもしれない。もしそうなのであれば、我々は友人としてしっかりと忠告しなければならない。そんな女やめておけ、と。

 となれば、既にこれは『抜け駆けして彼女をつくりやがった友達への八つ当たり』的な悪戯ではない。人としての公務であり、悪しきを罰する神事とも言える。僕はぎゅっと拳を握り、場合によってはこの鉄拳を友人の頬に叩き込まねばならんと強く誓った。


「しかし……なかなか来ないな。そろそろ来るはずなんだが……」


 アニメキャラがプリントされた腕時計を確認しつつ、藤堂が苛立った様子で言った。


「本当にこの道を通るのか?」


「間違いない。やつはこの先のコンビニでアルバイトをしていて、帰りはここを通るのだ」


「いつの間にそんなことを……」


「たまたまだ。この道は近所の中学校の陸上部女子がランニングに使う道になっていて、良い写真が撮れるからな。たびたび訪れるうちに、やつがバイトしているのを見たんだ」


「警察には言わないでおくよ」


「もちろんだ! 警察に引き渡す前に、我々でやつを尋問せねばならん!」


 瞳に炎を映しかねない勢いの藤堂を無視して、僕はじっとアスファルトの道を見つめる。街頭が白い明りを落としていて、寒々しい雰囲気だ。


「……来たッ!」


「なにっ」


 耳をすますと、遠くから自転車を漕ぐカラカラという音が近づいてくる。


「この阿呆丸出しの音……冬野目に間違いない!」

 

「や、待て。何かおかしい」


 今にも飛び出しそうな勢いの藤堂を制して、周囲の様子をうかがう。


「……自転車、二台分の音がする」


「なんだと? 冬野目ともう一人いるというのか……?」


「どうする藤堂。このままでは拉致に失敗するかもしれない」


「くそ……これは想定外だ」


 そうこうしているうちにも、自転車はどんどん近づいてくる。


「ええい……こうしていてもラチがあかん。あとは出たとこ勝負、いくぞ吉原!」


「えっ? 待てよ藤堂! おい!」


 闇夜に僕と藤堂は飛び出した。背中に冷たい何かを感じ、目が焼き付くのを感じる。口の中はカラカラに乾き、ひどく緊張しているのが自分でもわかる。


「天誅にござる! 冬野目百草、大人しくしろ!」


 藤堂の声が高々と響き、街頭の明りは頼りなく点滅している。自転車のブレーキ音が耳障りに通りぬけ、乗っている人物は僕らの登場に動揺したのか、目を白黒させていた。


「な、なんだね君たちは。我々になんの用だね」


 冬野目はもう一人をかばうように、僕らの前に一歩出てきてそう言った。

 彼にかばわれる格好になったもう一人は顔が見えない。しかし服装や髪の長さから察するに、おそらく女性だろう。恐らく僕たちに恐怖を抱き、冬野目の背後で小動物のように小刻みに震えているのだろう。

 これでは、まるで僕と藤堂が強盗か何かみたいではないか。天誅だと言っておきながら、天罰を下されるのはこちらの方ではないのか……。

 そんな不安を払拭するべく、僕は冷気で強ばる顔面の筋肉を総動員して口を開いた。


「冬野目、その子は誰?」


 僕の言葉に藤堂も続く。


「そなた達お二人は、恋仲であるか?」


 ひゅう、と風が吹いた。遠くでは焼き芋屋が出ているらしく、呑気な客引きの声が聞こえる。こんな真夜中に出てくる焼き芋なぞ奇妙だな、と考えていると、冬野目が口を開いた。


「おや、藤堂と吉原じゃないか。どうしたんだいこんな真夜中に」


 どうやら変装も空しく、声でばれてしまったらしい。

 呑気な口調の冬野目に藤堂が激昂した。


「何が、おや、だ! 貴様自分が何をしたのか理解しているのか!? こんな真夜中に若い女性と一緒にいるなんて重罪だぞ!」


 全身から湯気を漂わるような錯覚を覚える、藤堂の咆哮だった。それが仮にただの嫉妬からくる八つ当たりでも、僕はもう止めることができない。

 普段は盗撮くらいにしか情熱を注がないくせに、一度何かに噛みつくとすっぽんの如く離さない。彼はそんな男だ。


「何を心配しているのかわからないけど……この人は福島さんと言って、俺たちと同じ高校に通う三年生だ。つまり同い年だよ。バイト先が同じで、少し話していて遅くなったから、こうして送っているところなんだよ」


 冬野目が紳士を気取り、背後でおびえる女性を紹介する。彼女は恐怖と疑いがこもった目で僕たちを見て、ぺこりと頭を下げた。


「そういうわけで、もちろん福島さんは俺の恋人なんかじゃないよ」


 余裕綽々で弁明を重ねる冬野目に、僕も藤堂も戸惑った。まさか作戦Aの前提条件から間違っていようとは誰が思うというのだ。このまま謝罪を目的とした作戦Bに移行しても良いのだが、そうは簡単に卸しはしない。問屋がではなく、藤堂のちっぽけな誇りが、だ。


「では……その福島さんとはどのような話をしていたというのだ。その内容如何によっては、冬野目、お前を叩き斬るぞ」


 他人のプライベートを当たり前のように訊ね、言わないと危害を加えると宣言した藤堂。

 最低である。


「あぁ……そうか、あの話は俺よりもこの二人の方がいいかもしれない。福島さん、いいかな?」


「え……はい、それはもちろん良いのですが、大丈夫ですか?」


「大丈夫、この二人はおかしな連中だけど、きっと福島さんの役に立つよ。よし、そうと決まれば会議だ。これから俺の家に集まって説明会といこう」


 そう言うと、冬野目は自転車を押しながら自分の家の方に向かって移動を始めた。


「お、おい冬野目! それはどういうことだ!」


 と藤堂が尋ね、


「こんな時間にお邪魔してもいいの?」


 と僕が聞いた。


「構わないよ。どうせ明日は日曜だ。今日は朝方まで選別をするつもりだった。福島さんは? どうかな?」


「わ、私は……大丈夫ですけど……」


「よし、決まりだ。藤堂も吉原も、不審人物と間違われるからその帽子を取ったほうがいいよ」


 わけがわからないまま、僕と藤堂と福島さんは冬野目の自宅へ向かった。




          ☆



 冬野目の自宅へ向かいながら観察していて、福島さんについてわかったことがいくつかある。

 改めて見ると彼女はかなり小柄で、常にチワワのように震えている。気が弱いのか夜道に怯え、街頭の光が届かない暗闇を見つけると僕らの方へすり寄ってくる。そしておもむろに誰かの腕をつかみ、こちらを見上げてこう言うのだ。


「ごめんなさい……私、暗いのは駄目なの」


 藤堂はそれをやられ、頭の回路がショートしたのか完全に無口になってしまった。男というのは可憐な女子に弱いもので、それも年頃で経験も希薄となると尚更だ。

 当初の気迫はどこへやら。藤堂は大人しいパンダのようになってしまった。しかし僕にはそれが理解できない。福島さんは確かに魅力的な人ではあるけれど、今はコートを着込んでいる。藤堂にとって最大の弱点である、「汗をかいている女子」ではないはずだ。それなのにこんな反応では、まるで可愛い女の子なら誰でもいいみたいじゃないか。

 自分の特殊な趣向を唯一神とし、そのフェチズムを満たさない女子など眼中に無い。そんな僕にとって、福島さんはただ普通の女の子だ。

 藤堂は立派な同志ではあるが、やや情けないではないか。


「けっこう歩くんですね……あとどれくらいですか?」


 福島さんの問いかけに、冬野目は申し訳なさそうに答える。


「自転車に乗ればすぐなんだけどね、もう少し歩きます」


 それから20分ほど歩き、目的地である冬野目家に到着した。ご両親はすでに就寝しておられるのか、明りはついていない。

 『冬野目』と表札がかかっている立派な門を開け、先に進む。手入れの行き届いた庭が左右に広がり、目の前には業務用冷蔵庫ほどの大きさの扉がある。


「冬野目……君んち、お金持ちなんだね」


「そんなことないよ。それに俺は卒業したら東京の大学にいくつもりだから、これからお金がかかる」


 冬野目は手慣れた様子で鍵を開け、玄関に入る。右手側には大きな姿鏡が置いてあり、左手側の靴箱の上では木彫りの熊が僕らを出迎えてくれた。


「さぁ、あがってくれ。けっこう歩いたから疲れただろ、何か飲み物でも持っていくから。二階の突き当りの部屋にいってくれ」


 小さな声でお邪魔しますと口にし、我々は階段を上った。指示通りの部屋に入ると、そこにはたくさんの人がいた。

 否、よく見るとそれは人ではなくイラストだった。壁という壁に美少女のイラストポスターが貼られていて、様々な角度からこちらに微笑みかけている。


「冬野目、こういうの好きだもんなぁ」


 呆気にとられている福島さんを追い越し、部屋の中に入る。藤堂も慣れた様子で入り、僕らは適当なところに腰を下ろした。


「なっ……なんですかこれ……?」


 信じられないものを見たという様子の福島さん。それも無理はないだろう。この部屋は誰がどう見ても肌色や桃色が多すぎる。棚には一クラス分を構成できる数のフィギュアがあり、壁のポスターに描かれている女の子も、なぜか水着や下着姿なのだ。


「信じられないかもしれないけど、ひとまず座っては如何ですか」


 呆然と立ち尽くしている彼女に声をかけると、こくりと頷いて部屋の隅に座った。再び部屋の中を見渡し、まるで異文化の国に来たかのような顔をする福島さん。


「冬野目のやつ、この部屋に女子を入れるなんてどんな神経をしておるのだ……」


 藤堂の懸念は最もだが、ある一線を越えた猛者はそんなことを気にはしない。現実世界の、血が通い温かみを備えた女性とは縁が無いのだと割り切れば、なんてことはないのだ。

 そしてどうやら冬野目は、その一線をとうの昔に越えてしまったらしい。それは嘆かわしいことなのかもしれない。


「お待たせ。あれ、福島さん……どうしてそんな隅っこに?」


 お盆に四つのカップを乗せた冬野目がやってきた。部屋の主はテーブルにカップを置き、エアコンの電源を入れ暖房をつけた。そしておもむろにノートパソコンを立ち上げ、音楽を流しはじめた。


 流れてきた音楽はハードなドラムにうねるベース、メロディアスに疾走するギター。そして砂糖にあんこを足して生クリームを乗せたようなゲロ甘ボイスのボーカル。

 僕も藤堂もびくりと反応する。まさかこいつ、この場面でこの曲をかけるとは……。


「この作品は素晴らしかった」


 冬野目は独り言のように呟き、目を閉じて瞑想にふける。


「あ、あの……この曲はなんなんですか?」


 眉を寄せながら福島さんが尋ねる。僕はどう答えたものかと思案していると、冬野目が口を開いた。


「これはですね、ゲームのサントラです。『ぷるるん☆めいど』という作品で、良家のお嬢様が社会勉強のためにメイド業を経験するという内容なんですが、作画が素晴らしい。大きく揺れる乳回りが見事に表現されていて、まるで画面がおっぱいになったみたいです」


 ぽかんと口を開けたままの福島さんを無視して、冬野目は続ける。


「ヒロインの女の子も、きちんとお嬢様言葉で話してくれますからね。この曲はヒロインが歌っているんですが、ほら、今のところ! 歌詞がお嬢様口調なんです! ニクイ演出ですよねぇ!」


「は、はぁ……」


 完全に引いてしまっている福島さん。壁に背中をくっつけ、冬野目からなるべく距離を取ろうとしている。

 このままではまずい……幼気な一人の女学生にトラウマを植え付けてしまう。それが原因で将来、福島さんが妙な活動家にでもなったらどうしよう。もしくは妙な趣向を全て禁止し、男性を迫害するような政策を弄す政治家にでもなったらどうしよう。

 

「冬野目、それで、話ってのは何なんだ?」


 僕が話を逸らすべく発言すると、福島さんは安心したような表情で何度も頷いた。


「あぁ……それか。そうだね、その話をしよう」


 音楽の音量を下げ、僕らはテーブルを囲んだ。冬野目が用意したカップにはコーヒーが注がれていて、みんな無言でそれをすすった。

 一番に口を開いたのは福島さんだった。


「あの……冬野目君に頼みがあって、こんな時間まで付き合ってもらっていたんですが……ええっと……」


 それきり、福島さんは言いにくそうに黙ってしまった。


「それで? その頼みというのはどういうものなんですか?」

 

 しかし福島さんは僕の質問に答えず、ただ黙って下を向いている。よほど言いにくいのか、膝の上で手を組み弄んでいる。


「福島さんから言いにくいのであれば俺から説明しよう」


 冬野目はカップに口をつけ、液体を飲み下してから言った。


「ええとだね、福島さんの頼みというのは、ある人にあるものを渡してほしいというものだ」


「あるもの? 誰に?」


「おい冬野目、もったいぶらずに早く言わんか。福島さんが可哀相だろう」


「まぁそう焦らずに。いいかい、福島さんは……」


 冬野目がそこまで言いかけたところで、それまで下を向いていた福島さんが大げさな仕草でコートを脱いだ。


「あああ、暑いねぇ冬野目君! けっこう歩いてきたからかなぁ、あはは、あはははっ!」


 場の注目が彼女に集まる。僕の横で藤堂が目を見開くのがわかった。

 暖房が効いた部屋、長い時間の徒歩での移動、そして温かいコーヒー。それで体温が上がったのだろう、福島さんは肌にうっすらと汗の玉を浮かべている。

 カーディガンを腕まくりすると、細い腕にも微かに水分が乗っている。藤堂はこれを見逃さず、自らの網膜にその様子を焼き付けるかの如く凝視している。


「え、そう? 暖房弱めようか?」


「ふぇ? い、いやいや、そんなことしなくてもいいです! 私が脱げばいい話なので!」


 言葉をなくす藤堂をよそに、福島さんはカーディガンのボタンを開けて腕を引っ込め、さっさと脱ぎ去ってしまった。その下にはTシャツを着ており、今度は僕が目を見開くことになった。


「ッ!?」


 重ね着をしていたからだろう、福島さんの着ているTシャツは袖がすこしめくれ、きれいな腋が顔を出していた。

 僕はそれに目を奪われ、時間が止まったように眼球を動かせずにいた。


「……ほう」


 冬野目がそう呟き、僕の横に来た。そして耳元に口を寄せ、悪魔の手下じみた声音でこう言った。


「吉原、福島さんの頼みを聞いて好感度を上げれば、好きなだけ腋を鑑賞できるかもしれないよ」


 今の今まで全く意識していなかった福島さんが、とてつもなく魅力的に見える。彼女が暑そうに手で顔をあおぐたび、シャツの隙間から腋がコンニチワしている。

 ううむ、見事な腋だ。

 続けて冬野目はこう言った。


「吉原はあれだよね……女の子の腋フェチだったよね。福島さんはどうだい?」


「……文句のつけようがない」


「ふふふ、君の反応を見ていればわかるよ。どうやら藤堂も、福島さんのことがいたく気に入ったらしい」


 見ると藤堂はもじゃもじゃの髪の毛をかきむしりながら福島さんを見つめている。

 呼吸を忘れているのか、その顔には酸欠の色が浮かんでいる。


「さて……問題はだね、福島さんの頼みを引き受けられるのは、たった一人だけだということだ。吉原、君は引き受けたいかい?」


 耳元で冬野目が囁く。

 僕は間髪いれず頷く。


「そうかいそうかい……では藤堂、君はどうかな?」


 言葉にならない息遣いが返ってくる。たぶん、肯定の意味合いなのだろう。


「いやぁ……困ったなぁ。福島さんの頼みを聞きたいって人が二人、でも頼めるのは一人だけ……うぅむ。これではまとまらない」


 ニヤニヤと楽しそうな顔で、冬野目はそう言った。


「あ……そうだ、こうしよう。福島さん、耳を貸して」


「え? はい……」


 冬野目がコショコショと耳打ちをすると、福島さんは「はぁ……」とでも言いたげな顔で、


「それでいいです」


 と言った。


「よし、決まりだ」


 冬野目は改めて僕と藤堂の方へ向き直り、今にも折れそうなほど細い腰に手を当てた。


「これは男と男の決闘だ。腋に魅入られた吉原と、汗に魅入られた藤堂。業が深い二人には、福島さんの頼みを賭けて戦ってもらう」


 彼は僕と藤堂を交互に見て、ニヒルな笑みを浮かべて言った。


「君たち二人は今から殺し屋だ。相手を倒し、福島さんの頼みごとを引き受けてくれ」




             ☆



 今は二月、言うまでもなく真夜中は極寒である。歯の根が合わずガチガチと喧しく、冷たい風で耳がちぎれてしまいそうだ。

 そんな中、僕らはもう使われていない工場へとやってきた。それでも壁や天井があるので、外にいるよりは少しだけマシだ。

 明りがないので、男三人の携帯電話の照明機能を使用する。工場内は埃っぽく、打ち捨てられた機材や廃材がそこら中に散乱している。福島さんはその機材に腰掛け、一言も発さずに下をむいている。

 どこからか吹き込んだのか、床には微かに砂利が散らばっている。それを踏みしめる音が響き、異様な雰囲気を醸し出している。

 

「冬野目、ここで何をするんだ?」


 寒空の下を移動して、僕は若干冷静さを取り戻した。部屋で見た福島さんの腋は素晴らしい造形美だったが、人は常に地に足をつけていなければならない。


「言っただろう、ここで吉原と藤堂は決闘をするのさ。見届け人は福島さんと俺だ」


 隙間から吹き込んでくる風に髪を揺らして、藤堂も口を開く。


「しかし決闘といってもだな、俺たちは腕力に自信はないぞ。それにそもそも暴力は好まない」


「大丈夫だよ。これは暴力でもケンカでもない、純然たる決闘だ」


 そう言って彼が取り出したのは、二つの水鉄砲だった。


「これは……?」


 手に取ってみる。カラフルな本体は中身が透けて見える構造になっていて、おもちゃ売り場で見かける、よくあるタイプの水鉄砲だ。


「君と藤堂にはこれで戦ってもらう。ルールは簡単、先に戦意を喪失したほうか、もしくは先に水切れを起こした方の負けだ」


「むぅ……。しかし今は真冬だぞ、水を浴びるのは辛すぎる」


 藤堂から批難めいた意見が出る。確かに今の時期、野外で水浴びなど自殺行為だ。


「だからこそ、だろ? それとも二人は、福島さんの頼みを聞きたくないの?」


 冬野目は僕と藤堂の間に来て、顔を寄せるように指示をし、声を落として言った。


「福島さんは陸上部なんだ。ここで好感度を上げておけば、部活で汗をかいた彼女を撮影し放題なのではないかい?」


 藤堂の顔が引き締まる。


「吉原、想像してくれ。ここで好感度を上げておけば、福島さんの腋を春夏秋冬いつでも鑑賞できるかもしれない」


 僕の全身に電流が流れた。


「……二人とも、やるね?」


 言葉は無くとも、いつのまにか僕と藤堂はそれぞれ水鉄砲を手に持ち距離をあけて立っていた。

 視線と視線が交差する。男と男の、譲れないものを賭けた戦いが今、始まるのだ。


「あくまで肉弾戦は無しだ。使っていいのはその水鉄砲だけ。いいね?」

 

 少し高いところに立った冬野目がルールの確認をし、僕らは無言で頷く。

 福島さんは離れたところに腰かけ、この死闘を見ていられないのだろう、俯いている。気の毒に、彼女は『私のために争わないで!』の場面に遭遇したというわけだ。


 手には銃ではなく水鉄砲、心に秘めるのは血生臭い矜持ではなく各々のフェチ心。世界一みっともない殺し屋二人による決闘である。

 冬野目は今にも折れそうなほど貧相な右腕を上げ、やや間を置いてから振り下ろした。


「それでは……はじめっ!」





            ☆




 号令と共に、藤堂が右に走り出した。工場内に放置されている様々な機材を使い、死角に入る算段なのだろう。

 しかし条件は僕も同じだ。こちらは左に走り出し、手頃なコンテナに身を隠す。耳をすませて向こうの出方をうかがっていると、物音ひとつしない時間が続いた。


「吉原! ここは俺に華を持たせてはくれぬか!」


 工場の高い天井に藤堂の声が響く。


「それはできない! あの腋は……芸能人隠し撮りシリーズで見るものよりも素晴らしいのだ!」


「なるほど……互いに譲れぬというわけか」


「そう、らしいな」


「であれば……」


 そこの言葉を最後に、工場内に足音が響く。しかし音は壁に当たり天井で回り、藤堂の位置がつかめない。

 高い天井に反響して音が回るのだ。この薄暗い廃工場に、女性の汗に並々ならぬ情熱を注ぐ変態と一緒にいるのだと思うと気が重いが、それでも退くわけにはいかない。


「くっ……!」


 首を左右に振り、頼りない明りの中で藤堂を探す。しかし得られる情報は少なく、焦燥感だけが加速する。


「そこだぁっ!」


 背後から声がして、とっさに横に飛ぶ。僕が隠れていたコンテナに水がかかり、黒い染みになった。


「くそっ!」


 慌てて銃を構えると、もう人影はない。


「ヒット&アウェイか……」


 藤堂にしては機敏に動くじゃないか。あいつは運動部の女子は好きだけど、運動は嫌いだったはずだが。

 それくらい、福島さんは譲れないということか……。いや正確には、汗をかく福島さんを、か。


「とんだ変態め……!」


 仕入れた覚えのない正義感が、僕の中でむらむらと頭をもたげる。このまま藤堂に福島さんを渡してなるものか。

 あんなド変態に彼女を渡しては、何をするのかわからない。真夏に厚着をさせ、びっしょり汗をかいているところをカメラにおさめるといった非人道的な行動に出るかもしれない。

 だめだ。あんなやつに彼女は渡せない。僕なら、ただ毎日腋を眺めさせてもらうだけなのだ。それなら福島さんに害はない。

 これはボランティアであり、善行である。決して恋などではなく、人として当たり前の行動なのだ。

 福島さんを守るべく、僕は手に持った銃(水鉄砲)を強く握りなおした。

 しかし気持ちが高まるばかりで、相手の姿は見つからない。向こうも条件は同じなのだろう、互いに最初の交戦以降は緻密な駆け引きが続いている。


「こんな寒いところにずっといてたまるか」


 コンテナから離れ、周囲を窺う。離れた所では冬野目が高みの見物を決め込み、優雅に脚を組んで座っている。

 そこからさらに離れたところでは、福島さんが横になっている。気分でも悪いのか、身じろぎ一つしない。

 そうか……藤堂の発言やその他が気持ち悪すぎて気分を害したのだ。となれば、彼女のためにも長引かせるわけにはいかない。


「藤堂! 隠れていてもラチがあかない、ここは互いに姿を見ようじゃないか!」

 

 しかし返ってきたのは嘲笑だ。


「はっはっは、愚かな! これは競技ではないのだ吉原! 俺は長年の希望をかなえるために、どんな手を使ってでもお前を倒す!」


 く……野蛮人め。長年って、いったい何年間その性癖を温めてきたというのだ!

 だめだ、ここは力ずくでも……。


「隙ありいいいいいいいッ!」


 頭上から声がする。コンテナの上に立った藤堂が、勝ち誇った顔で銃(水鉄砲)を構えている。


「福島女史の汗は……俺のものだぁッ!」


 引き金が引かれ、冷水が噴出される。

 なんとかそれをかわし、僕も引き金を絞る。


「くそうッ! 女子の汗に興奮する変態めッ!」


「お互いさまだろ! 腋フェチとか玄人なやつめ!」


 僕が放った冷水は虚空を貫き、空しくコンテナを濡らした。

 僕と藤堂、二人の変態は互いに忌避するかのごとく距離を取り、にらみ合った。

 隙間風がひゅうっと歌い、無機質な機械たちが僕らを見つめている。

 コンテナの上には藤堂、下には僕。互いに珍しく真面目な雰囲気だ。


「よく考えろ藤堂、汗というのはただの分泌物だ。あれは体が不要だと判断したものを水分に混ぜて排出しているだけだ! そこまで拘るものか?」


「馬鹿者……だからこそだろうが! その昔、女性アイドルはトイレすらしないという神話がまかり通っていたのだ! それほどまでに女性というのは神聖なものなのだ!」


「それは愚かな偶像主義だ。いいか藤堂、女の子だってトイレにはいくし屁もする。汗だって、我々のようなむさくるしい男子高校生のそれと同じもので構成されている! 神聖化したところで空しいだけだ!」


「……吉原、お前は何もわかっていない。可憐な乙女と我々、同じ汗でも同じ価値があるわけではないのだ! ネット上では乙女の汗は高値で取引されている!」


「まさか藤堂、お前……やめろ! そっちに行ったら戻ってこれなくなるぞ! 警察とかいう無粋な組織の世話になる可能性もある!」


 藤堂は銃口を下げ、天然パーマをかきあげてニヒルな笑みを浮かべた。

 絶好の射撃機会であったが、僕には撃てなかった。そんなことよりも、この同志の言葉を待つほうが大事だと思われたのだ。


「俺はもう……駄目なんだよ。このままでは親や親戚、数少ない友人にも迷惑をかけるやもしれん。だからこそ今回、福島女史の好感度を上げて、自由に撮影をさせてもらう必要がある! そうすれば俺は、いかがわしい取引に手を染めることなく生きてゆけるのだ!」


「藤堂……」


「吉原……お前はまだ引き返せるのではないか? 女性の腋フェチというのは、けっこうメジャーなものだ。専門の雑誌もある。であれば、今回は俺に譲ってくれぬか」


「それは……できない」


「なぜだ! お前はまだ、まっとうなフェチに移ることもできるであろう! 俺はもう脳髄まで汗フェチなんだよ! 運動の熱で上気した肌と玉の汗がないと生きてはいけぬのだ!」


「藤堂、お前は大切なことを忘れている」


 薄暗いコンテナの上、藤堂は眉を寄せる。


「なん……だと?」


 砂利を踏みしめ、僕は一歩前へ出た。もはや手に持った武器のことなど意識の外だ。藤堂もそうなのだろう、じっと僕を見つめている。


「僕らのような女の子に縁が無い男は、何を糧に生きるのだ? 夏休みはお前たちと夏祭りへ、冬はお前たちとクリスマス会を、秋はお前たちと芋掘りに……」


 僕の言葉に藤堂は苦悶の表情を浮かべる。大方、ここ数年のイベントでの風景を思い出しているのだろう。

 僕と、藤堂と、冬野目。不毛三銃士で過ごした数々の日々。互いにプレゼントを交換し、良い焼き加減の芋を勧めあい、屋台で焼きそばを割り勘する……。

 そんな唾棄すべき日々をだ。


「やめろ……やめろおおぉぉぉぉぉッ!」


「現実を見ろ! 僕らには、女の子と過ごす夏休みもクリスマスも無い! これからも男同士でカラオケに行き、アニメソングを裏声で歌うだけの日々だ!」


「あぁ……ああああ……」


「現実はそうなんだ。お前がネットで何を入手しようとも、女の子がそばにいれくれるわけではない」


「そんなこと、先刻承知済みだ……」


「そんな我々のすさんだ心に芽吹いたのが、各々のフェチ心ではないのか?」


「それは……」


「クラスの女子に相手にされていなくとも! バレンタインは毎年母親からの一個だけでも! 遠足で長時間女子と歩いた結果、会話が『ムヒ持ってない?』の一言でも! 我々はそれぞれのフェチを愛でることで、なんとか自分という入れ物を維持してきたのではなかったのか!」


「…………」


「いわばフェチは、我々にとっての最終防波堤、安全装置なのだ。これを失えば、何が起こるのかわからん……僕だって、町行く女性の腋を手あたり次第舐めまわして歩くという失態を演じるかもしれん」


「それは……失態ではなく犯罪だ」


「そうだ。我々にとってそれほどまでに大切なものが、歯止めの役割を果たしているのが、フェチ心なのだ。これは社会に迷惑をかけないよう、日陰者として生きていくために必要なシステム……」


 僕はそこで言葉を切り、銃(水鉄砲)を構えた。

 照準は藤堂の頭部。

 

「それを譲れだと? 愚問だな……。いいか藤堂、これは……」


 引き金に指をかける。

 藤堂は呆然としたまま動かない。


「生存戦争なのだよ」


 引き金を引く。冷水が押し出される確かな感覚が手に伝い、埃っぽい空気を冷水が切り裂く。


「欲しいものは、ただ願っていても意味がない。欲しければ勝ち取るしかないんだ、藤堂」


 ぴちゃっ、という情けない音が響き、藤堂の天然パーマから水滴が垂れている。

 しかしそれにも気が付かない様子で、藤堂は口を開く。


「お前に譲ってくれと頼んだ時点で、俺の負けだったというわけか……」


 水も滴るイイ変態と相成った藤堂は銃を落とし、両手を上げた。


「認めよう。俺の負けだ」


 俺も藤堂も、もはや僅かな気力も残ってはいない。いくら深夜のテンションだからって、何をやっているのだろう。

 そんな僕らに、一部始終を見ていた冬野目が歩み寄る。


「お疲れさん。福島さんが我慢できずに寝ちゃったから、もう帰ろう」


 悲しき決闘はこれで幕となった。



      

            ☆



 

 場所は再び冬野目宅である。藤堂は頭からタオルをかぶり、うなだれている。

 暖房が効いた部屋では福島さんがすやすやと寝息を立てており、猫のように丸くなっている。


「いやぁ、良いものを見せてもらった。二人ともよく戦ってくれたね、こんな下らんことで」


 温かい紅茶を用意してくれた冬野目は満足そうな表情だ。

 福島さんがフェチ心を満たさなかったから、こいつは今回の決闘に関しては高みの見物を決め込んでいたというわけだ。


「それで……頼みというのは何だ? そろそろ教えてくれ」


 僕は紅茶をすすりながら、さすがに眠気に襲われていた。

 時計を見ると、そろそろ明け方だ。まさか貴重な週末をこんなことに使うとは思わなかった。


「それはだね、吉原君のクラスのタケルくんという男子がいるだろう?」


「ん? あぁ……いるけど、それが?」


「福島さんの頼み事というのは、バレンタインのチョコレートをタケル君に渡してほしいというものだ」


「え? でも彼には確か彼女が」


 マナとかいったかな。先日のケンカを目撃したので、記憶に残っている。


「それは福島さんも承知済みだ」


「それなら……」


 冬野目は顔を寄せ、内緒話をする格好を取った。僕もそれに付き合い、顔を寄せる。


「実は福島さん、ああ見えてけっこう肉食でね。タケル君を恋人から奪おうとしているんだ。誰かに頼んでチョコを渡してもらうのも、彼女にバレないようにちょっかいを出したいかららしい」


 なんてことだ……ということは、あの教室でのケンカの原因になったラインの交換相手は福島さんだったのか。


「だからまぁ、吉原が何を頼んでも福島さんは聞いてくれないと思う。彼女、自分の得にならないことはしないから」


「えっ……?」


 ということは……僕と藤堂は、彼女がいるタケル君にちょっかいを出すやっかいな女子のために、極寒の廃工場で水鉄砲を撃ち合っていたというわけか?

 不毛だ、不毛すぎる。


「で、でも好感度が上がるって言ったじゃないか!」


「あがるとは思うよ。これくらい」


 そう言って冬野目が指で示したのは、ほんの数センチの隙間だった。


「わ、腋を好きなだけ鑑賞させてくれるかもって!」


「鑑賞させてくれる『かもしれない』とは言ったけどね。絶対にとは言っていないよ」


「お前は悪い政治家かよ……こんなことがあって良いのか!」


 目に涙を浮かべ声を荒らげる僕をよそに、冬野目は上品に紅茶をすすった。


「実に……嘆かわしいね」

 

 涙で滲む視界の中、紅茶の湯気だけが呑気に揺れていた。

イメージソング 『Os-宇宙人』/エリオをかまってちゃん

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[良い点] 『男子高校生の日常』を良い意味で……いや、悪い意味で?パワーアップさせたような青春譚。 大真面目に馬鹿をやる――これぞ男子高校生の青春だ!!という情熱に似たものをひしひしと感じさせながらも…
[良い点] いやあ、笑わせてもらいました(笑) 何でしょう、この突き抜ける感じ。控え目に言って最高です。 一人ひとりのキャラ立てからして笑えました。脇役も濃いです。脇役なのに。 文章もするすると読めて…
[一言] 楽しい! この一言です(笑) いやあ、本当に面白かったです! 愛すべき日陰者の男子たちがとにかく微笑ましくて、ずっとニコニコしながら読んでしまいました。 前回のTKP作品『跳ねて、投げて、…
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