9話 予期せぬ来訪者
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9話 予期せぬ来訪者
天音たちの部屋のインターフォンは乾電池式の古いタイプのものだ。
引っ越してきた当初、女の二人暮らしとあってカメラ付きインターフォンに変えようかという話も出ていたが、何となく交換しないまま今に至る。
「え?ええ?」
一度切りではなく、鳴り続けているインターフォンの音は洞窟内によく響く。
あまりにも間抜けな様相に天音は気が抜けてしまう。
とはいえ、音の原因を確かめなければならない。
不安と緊張で鼓動が早くなるのを押さえつつ意を決してドアノブに手をかけた。
「フンゴッ」
生暖かい息が天音の顔に降りかかる。
ついでに唾のような液体が頬にかかるのも感じた。
あまりの衝撃に気持ちが付いて行けず、一瞬固まってしまう。
何だろう、この生き物。
天音は頭に疑問符を浮かべながら、静かにランプをかざした。
まず最初に視界に入ったのは、鼻面だ。
首は長いらしく、ドアの隙間にゴツンと頭をぶつけて必死に存在を主張している。
顔かたちは馬やキリンのような草食動物に近い。つぶらな瞳にはふさふさのまつ毛がかかっている。
「……こんばんは?」
肉食動物ではないことにひとまずほっとした天音は、恐る恐るあご下に手を伸ばす。
すると人に慣れているのか、指をペロペロと舐めだした。
相変わらず鼻息は荒いが危険性はないようだった。
舌はヤスリのようにざらついていて舐められると結構痛い。
野生だろうか…と考えたが、手綱らしき紐が掛けてあるので誰かに飼われている家畜のようだ。
(……!ってことは、近くに人がいる!?)
単なる思い付きだが可能性は高い。天音は期待を込めて動物の瞳を見つめた。
「ねえ、お前のご主人は何処にいるの?」
いい人だといいなぁ、と思いながら問い掛ける。
指先で顎を撫でてやると嬉しそうに顔を擦りつけてくる。
しばらくそうしていると、ふいに動物が踵を返した。
どうやら随分と大型のようだ。天音の身長の1,5倍ほどの体躯がのっそりと動かされていく。
そしてチェーンの隙間からさっぱり見えなくなった。
「ええ?」
天音の困惑をよそに、動物は少し離れたところで「ンエェエ……」と啼いた。
そのまま天音が動かずにいるとまた啼き声が聴こえる。
どうもこちらまで来い、ということらしい。
むくむくと好奇心が湧き上がって来る。
天音は身支度を整えて外に繰り出した。
草食動物はラクダのような生き物で、背中に2つの大きなコブがついていた。
ラクダと違うところは、長い毛に覆われ、背中のコブにはうっすら苔のようなものが生えているところぐらい。
尻尾もふさふさで温かそうだ。
天音が出て来たことを首を回して確認すると、ラクダは更に洞窟の入口方面へと足を運んだ。
足は太くしっかりとしている。荷運びに使われているのか、鞍には毛布のようなものや大小の袋が取り付けられてある。
そして、ラクダが止まった。
振り向いて、再び「ンエェ」と啼く。
ラクダの足元には、大きなボロ切れのかたまりがあった。
洞窟にシンとした空気が広がる。
手元の明かりを頼りにじわじわと近付いて行くと、かたまりの姿が顕になった。
(人だ!!)
天音は慌てて跪いて脈を確認した。
脈は正常だ。ただし、熱があるようで息が荒い。
そして、怪我をしている様子だった。
力なく崩れ落ちているボロ切れ、もとい怪我人は意識がないようだが生きている。
(早く暖かいところへ移動させてあげないと……)
これから深夜になるにつれて気温が下がる。そうなると凍死してしまう可能性が高い。
見たところ男性で、しかもガタイが良さそうだ。
引きずるにしても地面の凸凹で逆に怪我をしてしまうのではないか。
天音はすっと立ち上がり、家から折りたたんだダンボールを持ってくる。
怪我人の頭あたりにダンボールを置いて、身体をずりずりと滑らせ上に乗せる。
意識を失っているためか、かなり重量がある。
天音はダンボールごと玄関まで移動しはじめた。
「くぅ……重いっ!」
意識がないため、余計に重く感じられる。
顔も手も真っ赤になりながら、少しずつ足を進めて行く。
振動が伝わるのか、男性は時折うめき声を上げる。
だが流石に気にしている余裕はない。
やっとのことで男性を廊下に収納することが出来た頃には、天音は汗だくになっていた。
息を切らした天音は、へなへなと腰を下ろす。
ラクダには悪いが、家の中に入れるのは衛生上良くないため、外で待機してもらっている。
男性は相変わらず気を失っているままだ。天音は息を整えると手当てのため男性の衣服を脱がしにかかった。
改めて確認して驚いたことだが、男性は武装していた。
とはいっても現代人の天音が知る、軍隊のものではない。
男性が持っていたのは銃ではなく剣だった。更に、腰に短剣も差している。
胸部には胸当てと金属のプレートが付属されていた。
天音は詳しくないが、中世ヨーロッパ風のように見えなくもない。
そして、ボロ切れのように見えた外套は、血で汚れていただけで結構上質のものであることが判明した。
構造がわからないので、四苦八苦しながら取り外して行く。
ところどころ服が破れていたので、そちらも脱がせにかかると、裸の上半身が顕になる。
天音は佐波先輩の知人の筋骨隆々としたスポーツマンたちの上半身を思い浮かべていた。
彼らは毎日筋トレをかかしていないお陰でTシャツを着てもわかるぐらい筋肉が盛り上がっている。
けれど彼らと比べて目の前のけが人は、とても実践的な筋肉のつき方をしているように見える。
(うまく言えないけど、均等なつき方じゃない感じ……?)
上半身は元より、太ももの筋肉がかなり発達しているようだ。
そして特筆すべきは上半身に走っている無数の傷跡とあざ。
とそこまで一瞬で考えて頭を振った。今はそれどころではない。治療を優先しなければ。
幸いなことに、一番懸念していた凍傷こそなかったものの左腕に大きく腫れている箇所があり、これが熱の原因だと思われた。
出血の跡は見られなかったので、外套にあった血は恐らく……誰かの返り血。
(戦わなきゃいけない相手がいたってこと……?)
その事実に、天音は戦慄を覚えて思わず剣から目を背けた。
いずれにせよ、男性の治療を最優先して、意識が戻ったら事情を問い質す。それしかない。
だが、念のため、武装は納戸にしまっておくことにした。
家探しをすれば見つかってしまうが、武器を近くに置いておきたくない気持ちが強かった。
よくよく考えれば、何の躊躇もなく家にあげてしまったのは浅慮だったかもしれない。
相手がどんな人物かわからない上、家の中では鍵も閉められない。
かと言って、手当もせず放り出すようなことはしたくなかったので、天音は覚悟を決めることにした。
まず、手当をして経過観察。
男性の目が覚めたあとは、対話を試みて情報収集をする。
先ほどちらっと見た限りでは、人種が違うようだった。言葉が通じない可能性も大いにある。
敵対行動を取られた時は……正直なところ、対応策が思い浮かばない。
天音は佐波先輩と違って武道に長けているわけではない。運動神経も並だ。抵抗することすら難しいだろう。
こうなっては、男性の善意にかけるしかない。出来る事といったら天に祈るぐらいだ。
それでも、何があっても良いように心づもりだけはしておく。
(……ひとまず、消毒かな)
お湯を沸かして布で泥や血の汚れなどを拭い取ったあと、擦り傷部分を消毒して行く。
時折、男性が呻き声を上げるが構わず続ける。
左腕の腫れはおさまる様子がない。
折れているか、ヒビが入っているか。天音は医者ではないのでわからない。
こちらも汚れを拭き取ったあと、消毒を行い、炎症止めの冷湿布を貼った。
冷湿布は何時間かおきに貼りかえるとして、添え木になるようなものはあるだろうかと探したところ、定規が見つかったので代用することにした。
シーツを切り裂いたものを包帯代わりに固定させてぐるぐると巻いて行く。
「あとは……熱を下げないとね」
治療の最中何度か呼びかけていたものの、男性は結局目を覚まさなかった。
熱が高いので薬を飲んでもらいたいところだが、お腹に何もない状態というのはまずい。
手早く作った塩味のおかゆを男性の口に含ませると、ゆっくりと飲み下す音が聴こえる。何とかなりそうだ。
薬は解熱作用のあるものを用意した。
大人は2錠だが、薬慣れしてないことも考えて1錠にしておく。
おかゆをもう2~3口含ませて少し時間を置いたあと、薬を飲ませた。
そこまで済ませると、天音はやっと一息つくことが出来た。
叔母の薫子が看護師をしているので、応急の対応方法は知識としては知っている。
けれどやはり素人なのでやり方が正しいかどうかわからない。
命に関わる類の怪我じゃないことだけがせめてもの救いだ。
男性の怪我はともかく、格好は酷いものだった。全体的にドロドロで汚れている。
出来る限り布で拭いたが、バケツの中が真っ黒になったのには驚いた。
冬だから、あまりお風呂に入れなかったのかもしれない。と心の中でフォローしておく。
部屋の中も暖かいとは言えない気温なので、布団をどうするか迷いに迷った。
体調のことを考えれば布団を被せるのは必須だ。ただ、汚れるのは勘弁したい。
疲れがたまった身体にムチ打って、納戸の押入れを開ける。
古いタオルケットに客用布団を取り出す。ついでに、野外活動用のアルミシートも外に出しておいた。
これから汗をかくだろうから、タオルケットは必須だ。
洗濯に頭を悩ませることになるが、そこは諦めよう。
「あれ?」
タオルケットを被せようと男性に近づいたところ、様子がおかしいことに気が付いた。
冷や汗をかいてお腹を抑えている。
「ええ!?」
天音はびっくりして薬の箱裏を見た。
もちろん用法、容量ともに問題はない。
「ぅ…あ…」
だが、現に男性は痛みを訴えている。胃が痛むようだ。
薬を飲み慣れていないどころか、薬を飲んだことがないのではないか。
その可能性をもっと考えておくべきだった。
ここは地球ではないかもしれないのに、天音が普段使用している薬を飲ませて副作用が出たら……!
天音は申し訳ない気持ちでいっぱいになりながら、救急箱から胃痛薬を取り出した。
粉状のものしかなかったので、オブラートに包んで飲ませる。
しばらくすると薬が効いてきたのか、男性の息が整い始める。
冷や汗も止まったので、天音はほっと息をついた。
危うく副作用で長時間苦しませるところだった。
これから先は薬を処方するときは気を付けよう、と心に誓う。
タオルケット、それからアルミシートをかぶせたあと、客用布団をそっとかけた。
おでこには冷えたタオルをのせ、様子を見る。
今晩はこのまま天音も廊下で休むことになりそうだ。
夜中、時折湿布やタオルを替えながら、天音は物思いに沈んでいた。
人間と出会うことが出来たのは喜ばしい。けれどこれからどうなってしまうのか。
遭難してから表に出してこなかった気持ちが、一気に吹き出して行く。
(どうやって生きていけば良いんだろう……)
そもそもなぜ天音なのかもわからない。どうしてここに来てしまったのか、誰も教えてくれる人がいないのだ。
目の前の男性は、天音にとって救いとなるのだろうか。
相手にとっては迷惑かもしれないが、今の天音には手助けが必要だった。
誰かに迷惑を掛けない生き方がこんなにも難しいなんて、と自嘲気味に独りごちた。
……いつの間にか朝が来ていた。きんと冷えた空気が突き刺さる静かな朝だった。
天音は玄関のドアを開けてラクダの前に立つ。
「ほら、お食べ」
ラクダに差し出したのは、収穫を終えたラディッシュだった。
生野菜は貴重だが、ラクダを労りたい気持ちが強かったので、振舞うことにしたのだ。
美味しそうに頬張るラクダを見て、天音も思わず笑みを浮かべた。
10話は5月9日12時に投稿予定です。