72話 そのようなことは記憶にございません
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72話 そのようなことは記憶にございません
「ああ、それは誤解があるようですね。
昨晩は夜が更けるまで酒盛りが続いて、私も過ぎてしまって。
こちらのお酒に慣れていなかったので、悪酔いしてしまったんです。
それで弟さんに介抱してもらっていました」
天音の動揺をよそに、佐波先輩は淡々と釈明をした。
あまりにも冷静な佐波先輩の様子に、逆に天音は疑いの目を向けた。
もちろん色気のあることがあったとは思っていない。
それよりも、佐波先輩のしれっとしているところを見ると、ジャスティンに無理難題がふりかかったのではないか、と勘が働いたのだ。
ジャスティンも素知らぬ振りをしているが、ほんのり眉間に皺が寄っている。
事実は事実だろうが、色々と苦労があったのだろう、と天音は検討付ける。
「サヴァさんの言う通りです。
既に家人も寝静まっていたので、介抱していました」
「弟さんはたいへん紳士的でしたよ」
そう言って佐波先輩はにこりと微笑んだ。
堂々とした笑みには一点の曇りさえ感じられない。
朝食にジャスティンに抱えられていたのはそういうことだったのか、と天音は納得顔で頷いた。
解散が夜中になっていたとしたら、介抱していたのも数時間程度。
朝の佐波先輩の状態を考えると自然な成り行きに思える。
「ふうん………」
「なあんだ」
だが、佐波先輩とジャスティンの息のあった釈明に、ふたりはつまらなそうに唇を尖らせる。
面白くない。ふたりの顔にはありありと不満げな表情が浮かべられている。
「お姉さま方が弟さんの将来を案じておられるのはよくわかりますよ」
ふたりを宥めるように佐波先輩が口添えた。
ゆったりとした話しぶりに、ふたりの尖った空気も少し和らいだ様子だ。
「ですが、そもそも私はいき遅れと言われても否定できない年齢で……」
「佐波先輩、その単語は私にもグサッと来るのでやめてください」
「……ええと。そう、私たちにも実は弟妹がおりまして」
いちおう体裁としては天音は佐波先輩の姉役だ。つまり天音の方が年上ということになっている。
佐波先輩がいき遅れなら、天音はいったいどういう扱いになるのか、考えたくもない。
天音がこっそり佐波先輩に釘を刺すと、佐波先輩は路線変更を行うことにしたようだ。
姉妹役なので、佐波先輩の弟はつまり、天音の弟ということになる。たいへんややこしい。
「あら、あなたたちにも弟が?」
「どんな子なの?」
ふたりが話題に食いついてきた。
よし、これで話が逸れたぞと天音は拳を握る。
話の起点が佐波先輩とジャスティンにある以上、天音が打ち合わせもなしに口を出すと話がややこしくなる恐れがある。
迂闊なことが出来ない以上、ひとまず天音は佐波先輩のリード通りに、話を合わせる方針だ。
「ちょうど、弟さんと同じ年なんです。性格は……どうでしょうね。
少し甘えたですが、性根は悪くありません。
私によく懐いてくれていています」
「あら……それなら、今は離れ離れになっているのかしら?」
「異民族はふたりだけ、としか聞いていないものね」
「そうです。……弟は今は故郷に」
そう言い置いて、佐波先輩はしんみりとした雰囲気を演出した。
あるいは本当にしんみりとしているのかもしれない。
どちらなのか天音ははかりかねたが、今は静観だ。
「まあ……」
「それは寂しいわね」
「そうなんです。ですので、ジャスティンのことは本当の弟のように……」
ふたりの共感を得たことで、佐波先輩も話しやすくなったようだ。
少しほっとしたように頬を緩めたのを、天音は横目で見ていた。
いらぬ詮索を避けるためにも、クリーンで清潔感のあるイメージを持たせる。
(そういう方向性なんですね!?)
天音がなるほど、と納得仕掛けたところで、ガッと大きな音が鳴った。
「話もまとまってきたところで……そろそろ職務に戻ろうかと思います」
音はジャスティンが発信元のようだ。
椅子を引いた音が大きく聴こえてしまったのだろう。
だが、それにしてはジャスティンの顔つきが、やたらと厳しい。
先ほどの不機嫌さとはまた質が違うようだ。
「あら、そんなに急がなくてもいいんじゃない?」
「そうよ。お仕事って言っても、半分休暇扱いじゃないの、あなたたち」
商会では用心棒が雇われているため、従士たちのお役目はほとんどない。
例外は貴族への対応が出来るティムで、彼だけはお供役として連れ回されているようだ。
ここはジャスティンの実家なので、休暇扱いと言われればそうなのだろう。
だが本人は納得していない様子でただ頭を振った。
「俺には従士たちの監督責任もあります。ちょうど良い、今から訓練でもしてきましょう。
身体がなまってしまってはいけない」
そう宣言すると、おもむろに立ち上がったジャスティンは、何気なく佐波先輩を見た。
視線を置いていたのは一瞬だったが、ほんの少しだけ熱をはらんでいるように見えて、天音はぎょっとした。
「……また体調が回復したら、お手合せをお願いいたします」
「わかりました」
素っ気ない回答に鼻白むこともなく、ジャスティンは部屋から去っていった。
「そろそろ私たちもお暇するわね」
「突然来てしまってごめんなさい。
これから仲良くしてくれると嬉しいわ」
アビーとジリアンは、最初とは打って変わってしおらしく、しとやかなほほ笑みを浮かべて茶会の終わりを告げた。
ジャスティンがいなくなってから、佐波先輩は「弟あるある話」で場の空気を盛り上げて、ふたりを笑わせていた。
天音はと言うと、ふたりの愚痴話をうんうんと聞いていただけだったが、それはそれで気晴らしにもなったのだろう。
ふたりはそれぞれ、実家と付き合いのある商会の息子に嫁いだ。
最近ようやっと子供達が大きくなってきて、ほっと一息ついている時期だと言う。
こちらでは若いうちに結婚して子供を産むのが当たり前なので、20歳を過ぎても未婚を貫いている弟をいたく心配していたようだ。
特にジャスティンは従士長。命を失うこともある、危険な職業だ。
実家側としてはさっさと所帯を持って欲しいようだが、領主が妻帯していないので、とジャスティンが見合い話を受け取らない。
一時は男色の気をうわさされたようだ。
そこで今回はっぱをかけるために現れたようだが、ふたりの気が済んだのかどうかは天音にはわからない。
だが、なかなか良い関係を築けたのでは、と思っている。
「明日、イヴァンさまがお戻りになったら、一緒に買い物にでも出かけましょうよ」
「そうね。綺麗な布や、珍しい染料もあるから、服を仕立ててもらうのも良いわ」
そう言ってふたりが居なくなると、先程まで賑やかだった部屋がしんと静まり返った。
天音はおそるおそる佐波先輩に視線を向ける。
「……お疲れ様です?」
天音がそう問い掛けると、佐波先輩はぶすっとした表情で、机に突っ伏した。
後片付けは天音の担当になりそうだ。
体調が悪いところ客の歓待をしていたので、体力のある佐波先輩でもけっこう消耗しているらしい。
「………ぬかった」
「え?」
「やばい」
「何がですか?」
天音の質問には答えず、佐波先輩は椅子に座ったまま、ジタバタと足を動かした。
まるで子供のようだなと思いながら、天音は黙々と後片付けを行う。
頭の隅にあるのはジャスティンのあの視線だが、問い詰めて白状するタイプの人ではない。
気にならないといえば嘘になるが、佐波先輩の性格を考えると、ここは待ちの姿勢でいるのが一番だ。
食器についてはカゴの中に入れて部屋の前に置いておくように言われている。
掃除用具を借り受けて、お菓子のクズなどを綺麗にしたあと、ふたたび佐波先輩の元へ足を運んだ。
「……賭けを、したんだけど」
「ええと……ジャスティンさんと?」
結局佐波先輩はそのまま夕食まで一眠りすることにしたようだ。
寝台でウトウトしながら、ぼそりとそう呟いた。
天音はなるべく柔らかな声音で優しく佐波先輩に問いかける。
夕食は胃に負担が掛からないものが良いだろうか。
台所を借りられるのなら、天音が用意してもいいかもしれない。
「うん。それでね、手合わせで負けられなくなった」
「………今のところ、負けなしですよね?」
ジャスティンは戦闘慣れしているといっても、当たり前だが柔道や合気道はからっきしだ。
ルールややり方に慣れるために、今は勉強中といったところだが。
「今は負けてない。でも今後はどうなるかわかんない」
「佐波先輩にしては気弱な発言ですね」
「……聞き流して」
「はいはい」
それっきり、佐波先輩は寝入ってしまったようだった。
天音は一息ついてうつ伏せになって熟睡している佐波先輩にそっと毛布をかける。
表面上は平静につとめたつもりだったが、成功していただろうか。
天音は思案げにそっと頬に手を当ててため息をついた。
(………これから、どうなるんだろう)
もちろん、天から答えが降ってくることはなかった。
◆◆◆
天音が台所を貸して欲しいと申し出ると、番頭のデリックは快く了承してくれた。
人目につかない予備の台所の方へ案内してもらって、いくつか材料を伝えるとしばしのあと、机の上に即座に並べられた。
「ありがたいのですが、大丈夫なのですか?」
「問題ありませんよ。
ぼっちゃまにも言われておりますのでね!」
デリックは天音の遠慮がちな問いかけに対して、にこやかに答えた。
天音はほっとしつつ、持ってきてもらった材料を眺めみる。
佐波先輩には雑炊か何かを作るつもりだが、せっかくだからジャスティンを含めた従士たちにも食べてもらいたいところだ。
特にジャスティンは色々と便宜を図ってくれているようなので、お礼もしたい。
「豚バラのベーコン、葉野菜、芋……」
トゥレニーにはグリアンクルと違ってさまざまな食材が取り揃えられている。
芋の形状は細長いもので、山芋に近い。
すりおろすとトロミのある芋はないかと言ったところ、これが出て来た。
天音は持ち込んでいた調理器具の籠から道具を取り出していく。
そして革袋の中から乾物を取り出した。
出汁は何が良いかと考えたが、昆布で行くことにする。
ソースがないので味の濃さだけは不安だが、味付けで何とかするしかないだろう。
間近で興味深げに見つめているデリックをよそに、天音はえいやっと腕まくりをして気合を入れた。
まずは山芋のすりおろしだ。
おろし金を手に取り、天音は皮をむいた状態の山芋を斜めにかたむけた。