70話 泣かせる味じゃん
70話です。予定していた夜中を通り越して朝に(; ・`д・´)
次回の投稿ですが、本日ではなく13日になりそうです。また近くなりましたらアナウンスさせて頂きます。
70話 泣かせる味じゃん
ユーウェインが去ったあと仮眠を取ろうとしたものの、結局天音はまんじりともせず太陽が昇るのを待つことになった。
もちろん、眠れなかったからだ。
原因となったユーウェインはいなくなってしまったので、天音は整理のつかない不確かな感情を抱えるしかなかった。
天音は一気に詰まった距離に戸惑っていた。いや、ユーウェインが意図的に距離を詰めたのだ。
抱き締められた一瞬、あやふやな関係性を一歩進んだものに変えようという意思が感じられたのは、きっと天音の気のせいではないだろう。
(……こんな気持ちになるなんて、想像してなかった)
部屋の中で身支度を終えた天音は、寝台に座り、服の裾をきゅっと掴んで動揺を抑えていた。
そろそろ朝食の時間だ。
もう少ししたら、迎えの人間が来るだろう。
それまでに何とかして平静になっておきたかった。
だが、なかなか気持ちが落ち着いてくれない。
天音は気持ちの昂ぶりを自覚して、思わず顔を覆った。
頬には熱。指の腹を当てると、ひんやりとしているおかげで熱が逃げて行く。
どうにかして熱を冷まさなければと、天音は何度も頬に手を当てた。
◆◆◆
「ど、どうしたんですか!?」
食堂で佐波先輩を合わせた天音は、驚きの声をあげた。
というのも、佐波先輩の顔が真っ青だったからだ。
しかもどことなく憔悴している様子だ。一体何があったのだろうか。
天音の動揺をよそに、佐波先輩は淡々とした様子だった。
時折吐き気を堪えるような仕草をしているので、あるいは天音の反応など構っていられない、ということなのかもしれない。
「ふつかよい」
佐波先輩はそれだけ言うと、うっと口元を押さえてうなだれた。
端的な物言いに天音はさらに目を見開く。
酒好きの佐波先輩は、アルコールにとても強い。
どれだけ呑んでも翌日にはケロリとしている姿を一緒に暮らしていた天音はよく見ている。
そのため二日酔い状態の佐波先輩を見るのはこれがはじめてのことだった。
天音はおろおろとして、佐波先輩の身体を抱えているジャスティンにちらりと視線を向ける。
ジャスティンは相変わらず無表情で唇を引き結んでいたが、天音が目で問いかけると申し訳なさそうに眉尻を下げた。
ふたたび佐波先輩を見るが、これ以上人前で事情を話す気はないようだ。
食堂は住み込みの従業員や従士たちの姿でごった返している。
従士たちはともかくとして、知らない面々の中で興味本位の視線を向けられるのも気が引ける。
天音は嘆息して、ひとまず佐波先輩にスープをすすめた。
この様子では食欲もなさそうなので、のどごしの良いものを口に入れてもらって、そのあと薬を飲んだほうがいいだろう。
たしか、シミ・そばかす改善用の薬があったはずだ。
その薬は二日酔いにも効くという話を以前聞いたことがある。
胃が荒れている状態で薬を飲むのは宜しくない。少しでも、お腹にモノを入れておくべきだ。
そのように伝えると、佐波先輩は限界とばかりに言葉なく頷いた。
◆◆◆
「お酒が不味かった」
寝台の上で焦点の合わない瞳を天井に向けながら、佐波先輩はポツリとそう呟いた。
現在佐波先輩にあてがわれた部屋で天音は事情を聞いているところだ。
結論として、二日酔いの原因は酒の味に原因があったようだった。
「開拓村のお酒もちょっと呑んだことがあるけど、比べ物にならない。
たぶん、水がまずいんだと思う」
少ないながらも食事を取り、薬を飲んで人心地つくと、佐波先輩の具合の悪さは緩和されたらしい。
それでもまだ身体はふらついているようだ。
今日は一日予定が入っていないため、休息日となっている。
従士たちは外出して羽を伸ばすようだが、天音たちは事情が事情のため留守番をする流れとなった。
後日ユーウェインが戻って来次第、市場へ同行してくれるらしい、というのはジャスティンから聞いた話だ。
一瞬頭をもたげたユーウェインの姿に、天音は心臓がきゅっとなった。
そして自らの反応を誤魔化すかのように佐波先輩に続きを促した。
「……お酒って、たしか美味しい水じゃないと駄目って言いますよね」
酒を嗜まないにしても、一般常識としてその程度の知識は天音にもある。
特に身近に酒好きがいるので、雑学が耳に入ってくることも多い。
「うん。やっぱお水が美味しいところのお酒は絶品だよ。
開拓村の水も、泥臭くなくて美味しいでしょ?」
「そうですね、たしかに。お水で苦労したことはないかも」
実は開拓村を出てから、真水が飲めなくなっていた。
というのも、濁っているわけではないのだが、水自体がまずいのだ。
そこで持ち込んだ茶葉で舌を誤魔化している。
もともと、衛生面を考えて一度沸騰させたものを口にするように心がけているが、火を入れても味はあまり変わらない。
「ほんと不味くて泣きそうだった……」
(佐波先輩が泣き言を言うなんて珍しい………)
めそめそと顔を枕に埋めている佐波先輩は、普段とは考えられないくらい弱々しい印象を与える。
「そんなにショックだったんですね」
「うん。今回はじめて、こっちで暮らしていけるかどうか不安に思った」
「それほど!?」
「だって、お酒がまずいとか、耐えられない!」
佐波先輩は勢い込んでガバッと起き上がると、強く主張しだした。
「美味しいごはんはモリゾーがいればクリア出来る!
でもお酒はどうにもなんない!美味しいお酒、呑みたーい!」
「そんなに呑みたいなら、自分で作ってしまえばいいんじゃないですか?」
こぶしを握って天井へ突き出した佐波先輩に、天音はあっさりと言った。
美味しいごはんを作る要員として頭数に入れられていることには苦笑するが、悪い気はしていない。
天音自身、誰かにごはんを食べてもらうのは好きだ。
だが酒造りについてはやはり佐波先輩の言うようにどうにもならない。
「お酒を……造る?」
「佐波先輩はお酒のことに詳しいし、簡単な……芋焼酎とかなら作れるんじゃないかなぁと……」
佐波先輩の目つきがどんどんと鋭くなってきたので、ついつい天音は及び腰になりながらも言い終える。
さつまいもは今後増やす予定だし、こうじ菌もある。
お米があるためこうじ菌を増やすことも可能だ。問題は蒸留設備がないことぐらいだろうか。
それに、造るにしても思い通りの味になるかどうかはあやしいところだ。
念のためそう付け加えておいたものの、佐波先輩は深く考え込んだまま微動だにしない。
「よし、やろう」
「あ、はい………」
あまりにもしょげていたので言ってみたものの、実行に移すかどうかの確信が持てていなかった天音は、いとも簡単に前向きになった佐波先輩に戦慄していた。
(ほ、本気になってる………?)
「モリゾー。計画立てよう」
「ノートいります……?」
「うん。まず蒸留器つくる。材料揃えないと」
蒸留器、という単語に天音はハッとした。
そういえば、ラベンダー精油を作りたいと考えていたことを思い出したのだ。
「あ、蒸留器、私も欲しいです。作りたいものがあって」
「そうなの?」
「化粧水がそろそろ心もとなくなってきたので、ラベンダー精油を作ってみたいと思ってたんです」
そう天音が言うと、佐波先輩の目が一瞬泳いだ。
天音は気付かずに話を続ける。
「佐波先輩の化粧水もそろそろなくなるんじゃないですか?
フローラルウォーターでも問題ないと思うんですけど、精油作れるにこしたことはないですし………佐波先輩?聞いてます?」
「いやーうん。化粧水はこっちに来てからあんまり使ってないからまだ残ってて………」
「………正気ですか?お肌の曲がり角はとっくに過ぎてるんですよ!?」
「だって化粧の機会がないから、あんまりお肌も荒れてないし………」
「それでも、化粧水ぐらいはつけましょうよ!?
そりゃあ同年代の人に比べて、佐波先輩の肌は綺麗ですけど」
そう言って天音は佐波先輩のほっぺをぷにぷにとつねった。
ハリも弾力もある。肌の手入れをしていないとは考え難いくらい、綺麗だ。
肌年齢とは実年齢と比例しないのだろうか。こっそり落ち込んでいると、佐波先輩にポンポンと肩を叩かれる。
「まあまあ、私のお肌のことは置いといて。
蒸留器の話だけど、材料は自宅にあるものを使えないかな」
「鍋とかなら、持ち込んでますけど……」
「ん。でも冷やすための筒が必要になるし、こっちで代換品を買えるかどうかもわからないから。
……ホースか、水道管あたりが狙い目なんだけどなぁ」
「もしかして、解体する気ですか?」
「うん。他にも使えるものがありそうなら、解体しちゃおう」
思い切りの良い佐波先輩の態度に、天音は困惑していた。
もし、日本へ帰れるとしたら、どうする気なのだろう。
「帰ったときのことを考えて、現状維持をしておいたほうがいいのでは……」
「モリゾー。帰るときのことは、そのとき考えよう。
今は使えるものは何でも使って、生活を整える方が先じゃない?」
佐波先輩の考えは天音にも理解出来る。出来るのだが、釈然としない思いが頭を過ぎる。
もし帰るとなったら、天音はどうするのだろうか。
いまだ自分の気持ちさえはっきりと決められていない天音にとって、帰るときのことなんて想像もつかない。
覚悟だけはしておこうと思ったものの、それさえも帰る方法が見つからないかもしれないという不安の前に宙ぶらりんとなっている。
だが、結局のところ佐波先輩の言うとおり、やれることをやるしかない。
生活費も稼いでおかなければならないので、家の所有者である佐波先輩の言うとおりにしたほうが良さそうだ。
「……そうですね。
開拓村に戻ったら、そのあたりのことは相談しましょう」
「うん。んで、蒸留器の話に戻すけど、
こっちでもある程度材料を揃えたほうが良いと思う。
もちろんジャスティンに相談した上で、だけど」
「ですよね。蒸留器、形ってこんな感じですよね」
天音はノートに簡単な図を描いた。
四角い鍋にパイプのようなものを繋いで冷却部分を書き加えていく。
「うんうん。小さいタイプは自作出来るとしてもさ。
大量生産ってなると難しいし。
オイル用とお酒用、二種類は欲しいでしょう?」
「ですよね。となるとリッキーさんに相談して、パイプを……パイプって作れるんでしょうか?」
「訊いてみよう。こっちの技術はわたしもよくわからないし」
「じゃあ、質問内容にそれも追加して……」
そんな風に話し合っているところ、扉をノックする音が聞こえた。
計画が中断される形になるが、仕方がない。
天音は佐波先輩と一瞬目を見合わせたあと、扉の方へと向かった。
「……はい?どちらさまでしょうか?」
扉を開けると、目の前には同じ顔がふたつ。
年齢は天音と同年代くらいだろうか。人種が違うため、年齢の違いが今ひとつわからないが、そのくらいの検討はついた。
ふたりの女性はキョトンとした顔で天音を見つめていた。
まるっとした瞳はどこかで見たことがある……ような気がする。
天音は誰だっただろう、と心の中で思いを馳せて、ピンと来た。
ジャスティンだ。
ジャスティンに似た女性ふたりは、天音の顔を凝視しながらこそこそと話している。
そして意を決したように、ふたり同時に胸を張った。
「あなたがサヴァ!?」
「いえ、違います」
どうやらこのふたりは、佐波先輩に用があるらしい。天音は目の前の女性ふたりを興味深げに眺めた。