67話 おねだん以上のメープル
日付変わってしまいすみません(;´д`)67話になります。感想・拍手コメント返信は週末に行います。宜しくお願い致します。
67話 おねだん以上のメープル
「まず、先ほど召し上がっていただいたものは私が個人で制作したものです。
作り方も私ひとりしか知りません」
実際はカーラやドラにはある程度の作り方を教えているが、柑橘酵母や分量など、細かな部分は天音しか知らない。
ハドリーは皺の刻み込まれた頬をひとなでした。
先程は愛想笑いを浮かべていたハドリーだが、商人魂を刺激されたのか、表情の柔らかさとは打って変わって視線の方はナイフのように鋭い。
緊張しているとやけに喉が渇いてしょうがない。
天音は目の前に用意されている飲み物を口に含んで水分を補給すると、話を続ける。
「メープルシュガーの作成方法についても、我が一族が秘匿していた技術を使っています。
……イヴァン様にはいくつかお伝えしておりますが、口を噤むよう
申し伝えられておりますので、詳しくはジャスティン様に」
そう一息に言って天音は一歩下がった。
元から、交渉事はジャスティンに任せる予定で話し合っていた。
交渉の流れや言い回しは微に入り細にわたり、ジャスティンからの指示に寄るものだ。
しっかりとした法体制が整っていないので、こちらの世界では技術の秘匿性が高い。
金銭を支払っても手に入れられないものという認識が強く、守る力がなければ奪い取られるのも常だそうだ。
そのためしゃちほこばった言い回しになり、天音としては舌を噛まないようにするのが精一杯だった。
だがメインの交渉役はジャスティンだ。天音は、言われたとおりのセリフをしっかり伝えるだけで良い。
天音には商売のことはわからない。素人が目の前の大商人に太刀打ち出来るとも思えない。
そのため、商人の家に生まれ育ったジャスティンに全ての決定権を委ねている。
ジャスティンに寄れば、今回の場合に限って言えばこちらの要求はおおむね叶うだろう、とのことだ。
年季の入った大商人に対峙しているというのに、頼もしい限りだ。
ユーウェインという善き後ろ盾、善き商材、そして前提となる商売知識や伝手が全て揃っているため、前提条件はすこぶる良い。
グリアンクル側の主な要求は領地が離れているので隊商を寄越してもらうこと。
そして、価格だ。
「では、父さん。……いえ、商会長。価格交渉に入りましょう」
話し合いは終わってみれば呆気ないと感じるものだった。
事前にジャスティンが根回しを済ませていたからかもしれない。
だが血縁関係にあるとはいえ、ハドリーはごねたり怒ったふりをしたりと、実に多彩な手管を用いてジャスティンを翻弄しようとしていた。
ジャスティンはと言うと、素知らぬ顔でひとつひとつハドリーの疑問点を解消していった。
時折天音に話を向けて、補足説明をさせては、相手の欲望を刺激する。
特産品関係の詳細をチラチラと小出しにさせて、商材の利点をアピールしつつ、利益がどれくらい見込めるかを淡々と説明する。
そのような流れをジャスティンは作り出して、最終的に要求をのませた。
調味料はこちらではかなり貴重だ。
大陸の南方では盛んに生産が行われているが、距離が遠ければ遠いほど、原価は膨れ上がっていく。
特にトゥレニーで商売をするにあたって、使えるルートは限られている。
山や谷にはさまれて、迂回路を取るしかないそうだ。
その事実が身に染みている彼らにとって、砂糖の代わりとなるメープルシュガーは貴重な商材であるはずだった。
そしておそらく、塩も。
ハドリーの飛びつきようを眺めながら、天音は静かに考えていた。
『けっして知られぬように。気取られぬように』
ユーウェインから今朝方念入りに言われていた言葉が天音の脳裏をよぎる。
アプローチを変えてユーウェインは様々な注意を天音に促していたと今になってわかる。
けっして誇張ではなかった。
世界がこんなに違うなんて、と言いたくなる気持ちがどこかにあるが、天音は何とかその感情を心の内に押しとどめた。
◆◆◆
値段交渉が終わってほくほく顔のジャスティンのあとを追って倉庫へと向かう。
木箱の中の特産品をもう一度確認するためだ。
これから販売がはじまるので最終チェックを行ったのち、すぐさま梱包作業に入ることにした。
お昼時だが構っていられない。
天音は商品をデリックの口添えで借りた部屋で広げて、ううんと唸っていた。
「ん……ああ~。ビスケット、けっこう割れてるなぁ」
「スコーンの方も欠けてるものあるね」
「ある程度なら大丈夫みたいだけど、こうもぱっきり割れちゃってると……」
オーブンでの焼きムラが、振動で酷くなったようだ。
天音の手には真っ二つに割れたビスケットが数点。探せばもっと見つかるだろう。
「これどうするの?」
佐波先輩が袋詰めをしながら天音に問い掛けてきた。
天音は眉根を寄せて考えたあと、ふるふると首を振る。
「商品としては破損がひどいから使えないと思うんですよね」
頬に手を当てて天音は項垂れた。
確認した限りでは、破損や大きさがふぞろいのものは4分の1ほど。
何か使いではないものだろうか、と天音はひとりごちた。
そこへ佐波先輩が話しかけてくる。
「なら私が使ってもいい?宣材として」
佐波先輩の提案に天音は目を丸くした。
「宣伝材料?」
「そう、試食販売出来ないかなって」
「ああ」
なるほど、と呟いて、天音はさらに考えを巡らせた。
確かに宣伝材料として使うなら最終的には無駄にはならない。
(試食販売……あ、そうだ)
天音は佐波先輩のアイディアに上乗せする形で一つの考えを口に出す。
「なら、割れせんべいみたいに、ふぞろい品おまとめも売っちゃいましょうよ」
「価格設定変えれば問題なさそうだよね」
「うん。値段を正規のものより抑えて、売り切っちゃう」
「で、一部を試食販売」
「この話ジャスティンさんにしてきましょう」
「あ、なら私が行ってくる。頼みたいこともあるし」
「お願いできますか?私は袋詰め作業継続しますので」
「了解」
さくさくと話を進めて、佐波先輩は部屋を出て行った。
袋詰め作業はなかなか気を遣う作業だ。
特に柔らかめのケーク・サレは一度ナイフで切り分けてから表面の乾きを確かめて、必要とあらばかたくなりすぎた部分を削り取り、と手間がかかる
だがせっかくドラが作ってくれたのだから、と天音は神経を張り巡らせて丁寧に作業をしていった。
そうして集中していると、いつの間にか佐波先輩が戻って来ていた。
……珍妙な格好をして。
「な、なんですかそれ」
「これ?お面」
「いやそれはわかりますけど!」
佐波先輩はカラフルな塗料でペイントされたお面を頭につけていた。
頭頂部にはヒラヒラとした布がついている。
こちらにも染料が使われているようで、見た目がたいへん禍々しい。
「この辺で魔除けに使われているお面なんだって。
呪い師が、吉凶事にお祓いみたいなことをするってジャスティンが」
「それ、もしかして販売に使うんですか?」
「うん。素顔を見せれば目立っちゃうし、どうせならこういう目立ち方の方がいいかなって。
ちょうど良いと思って借りてきたんだ」
ぷはあ、とお面を外した佐波先輩はそう言ってにっこりと笑った。
度胸があるひとだとは思っていたが、まさかここまでとは思っていなかった。
天音は思わず吹き出しそうになるのをやっとのことで堪えて、佐波先輩にエールを送った。
「頑張ってくださいね。売り切って、祝杯あげましょう」
「お任せ!」
力こぶを作って気合を見せる佐波先輩を見て和みつつ、天音は気を引き締めた。
「ところで、ジャスティンさんは何て言ってました?」
「おっとそうだった。それがね……」
天音たちは手を動かしながら、値段の話を進めた。
◆◆◆
「さあさあ、本日限定!甘味のお試しはいかがでしょうか!」
商会の2階の窓から天音はこっそり下の屋台の様子をのぞき見ていた。
全開にしてしまえば外から見られてしまうため、あくまでこっそりだ。
佐波先輩はホレスの肩の上に仁王立ちして、声を上げている。
体型を隠すような長いローブを身に纏っているので、少年のような雰囲気になっていた。
円形の広場にはぐるりと屋台が出ていて、さながら市場の様相をていしている。商会の目の前に設置されている屋台で佐波先輩は売り子をしている。
勘定はもちろん別の人間なので呼び掛けだけだ。
そして手にはバスケットを持って、道行く人に声を掛けては、口の中にメープルビスケットの欠片を放り込んでいた。
半ば強制だ。だが、食べた人は目を丸くしてわなわなと震えだしたり、叫び声をあげたりと忙しい。
もちろん、反応には喜びと驚きが入り混じっている。
下街の住民たちは、当たり前だが一般庶民だ。
甘いものといえば果物ぐらいで、それさえも旬の時期にしか食べられない。
砂糖などは王侯貴族か金持ちが口にするもの、というのが常識になっている。
そんな彼らにとって、ひとかけらとはいえはじめて口にした甘味は、言葉では言い表せない感情の昂ぶりを与えたようだ。
ホレスを中心として周りには従士たちが盾を持った従士たちが控えている。
小柄な佐波先輩が試食販売を行えば、住民たちが押し寄せてくるだろう、というジャスティンの推測はあたっていたようだ。
佐波先輩の口上も冴えていた。
今しか買えない、1年に1度の贅沢品、一生かけても味わえるかどうかの幸運、などなど、しきりに客を煽りまくっている。
さらにはどこかで聞いたようなキャッチフレーズをそこはかとなく会話の中に練りこんでいる。
「おねだん以上のメープル~」
「あったらいいなをカタチにしてみました♪」
「あなたが幸せになっても誰も困りません!ひとくち食べて幸せになりましょう!」
脈絡がないように思える文句が、ラジオのように流れ続けている。
だが、佐波先輩の口から吐き出された言葉のうち、ほんの少しでも心に響けば客は惹きつけられる。
実際に商会の周りには徐々に人だかりが出来始めていた。
正規の値段はひと袋小銀貨1枚。不揃い品の方は、ひと袋大銅貨7枚。
それぞれ30袋と10袋分だ。
ケーク・サレやスコーンの方は破損は少なかったが、形が悪いものや端っこの硬い部分をおつとめ品として提供している。
やはり多めに作ってきておいて正解だった。
そう思いながら、天音は売れ行きを眺めている。
小銀貨1枚は庶民にとってはなかなかな金額だ。
街の物価は高いらしいので、おおよそ一週間分の食費といったところだろうか。
だが、出せない金額でもない。
砂糖と違って原価が高くないため、少しお金を貯めれば手が届くはずだ。
とはいえメープルシュガー自体は、富裕層向けの商品になるだろう、と天音は予想している。
トゥレニーだけでは市場規模があまりにも小さい。
ならば公都にまで足を伸ばして高く売りつけたほうが、儲けも多く出る。
さほどかさばらず、重くないのも利点だろう。
難点は定期的に供給出来ないところだ。
そのため、佐波先輩はしきりに「年に1度」「今日だけ」というフレーズを繰り返している。
「……あ」
佐波先輩と目があった。
こっそりお面をずらしてほかの人に顔を見られないように、こっそり佐波先輩は笑みを見せる。
掴みはバッチリ、売れ行きは確かだ。
試食した人の中のうち、数人が購入を決めて屋台の方へ向かい始めたのを機に、客が途切れない。
天音は佐波先輩に向かって笑顔で手を振った。