64話 上っ面に泣きっ面
大変お待たせ致しました。体調少し良くなりましたので投稿致します。コメント返信などは週末にまとめてさせてください。
64話 上っ面に泣きっ面
ここは日本とは違う世界だ。
場所が異なれば常識も異なる。
今回起きたことは瑣末な軋轢に過ぎない。
だから、あの件のあと、こんなことは屁でもない………という上っ面を、天音は必死に保とうとしていた。
子供たちが、従士たちのただならぬ気配に怯えていたのを、天音はしっかりと見ていたし、その上で取り乱すまいとしたのだ。
涙を流してしおしおと崩れ落ちてしまえる環境なら、天音もそうしていただろう。
子供のように泣いてしまえたらどんなに楽だったことか。
天音は、つらつらと就寝前のことを思い出す。
不安定になった子供たちは、寝入りばなにぐずってしまった。
佐波先輩とふたりで宥めているうちに、すっかりと天音は涙を流す機会を失ってしまったのだ。
佐波先輩はさとい人だから気付いていたかもしれない。
けれど、天音の意思を尊重してくれた。
天音はひとまえで涙を見せることをひどく嫌う。
両親が事故で亡くなってからはさらにその感情に磨きがかかっている。
そして、佐波先輩はそのことを知っていた。
天音は月明かりの下、焚き火の熱を感じながらただ静かに膝に顔をうずめている。
向かい側に座るユーウェインは、天音の礼に対して何も言わなかった。
けれど天音はそのことについて残念だとも思わなかった。
ふたりの間には焚き火分の距離が横たわっている。
異なる世界で育ったのだ。
仕方のないことだ、慰めを必要としてはいけない、そのように自分に言い聞かせて、でも顔を上げられなかったのは、頬に涙が伝っていたせいだ。
雨が振ると窓ガラスが水滴に覆われるように、視界がぼやけて滲む。
こんな日に雨が降っていたら良かった、と天音はひとりごちた。
そうすればどうとでも誤魔化せるのに。俯かなくても、きっと相手には伝わらないのに。
そこまで考えて、天音はふと気が付いた。
すでにユーウェインには泣き顔を見せていたのではなかっただろうか。
一瞬天音の気が緩む。
その瞬間、目の前のユーウェインが身動ぎをしたかと思えば、焚き火分の距離をひとまたぎ。
あっという間に天音の隣まで近寄って、どしり、と腰を落ち着けた。
天音は、呆気に取られた。
遠いと感じていた距離を詰めてきたユーウェインに対して、ただただ驚きの表情を浮かべる。
さらには、ユーウェインの妙に不機嫌な様子に困惑した。
ピリピリとした緊張感が隣に座っていても伝わってくる。
「……あのな」
「はい」
天音はユーウェインに隠れてこっそり涙を拭おうとした。
だが、ユーウェインの有無を言わさない声音に、身じろぎ一つ出来ない。
「俺は怒っている。お前を一人にした俺に対してはもちろん、
あの小狡く金を稼ごうとした老婆にも、
お前に触れようとした男に対しても、腹を立てている」
そう一息に言うと、ユーウェインはぎゅっと拳を握った。ように天音には見えた。
「立場がなければ、男を殴り倒していただろう。
老婆にも何をしていたかわからん。それぐらい腸が煮えくり返っている。
………今もだ。わかっているか?」
質問を投げかけられて、天音は内心首をかしげた。
ユーウェインの問い掛けは、わかりやすいようでいて、わかりにくい。
怒っているのはさすがに天音にもわかるのだが……。
「ええと……た、たぶん」
涙は少しだけ引っ込んでいる。
頬に伝った雫が乾き始めたので、天音はほっとしながらも顔を上げられなかった。
泣いていると知れば、何故かユーウェインはさらに怒る気がしたからだ。
「本当か?」
「えと、ごめんなさい、わからないかも……?」
曖昧な言葉で濁すと、ユーウェインはそうだろうな、とため息混じりにこたえた。
少々投げやりな態度だ。
眉間のしわをぐりぐりと指で押し当て、ユーウェインは次の言葉を探しているようだった。
「……どうにも調子が狂う。
腰を抜かすほど怯えていたのに、子供たちの前では平気な顔をしている。
かと思えば夜に出て来てひとりで泣こうとする」
「な、泣いてない」
「あやしいな……」
図星を指されて、天音は思わず反論した。
少なくともユーウェインにこの暗がりで俯き顔を確認できるはずがないではないか。
そう思って誤魔化そうとしたものの、ユーウェインは疑り深い視線を天音に向けている。
「いや、お前の強情な性格のことだ。
どうせ誰にも見られたくないとか考えていたんだろう。
いろんな意味で、見栄をはりすぎだ」
ぐ、と言葉に詰まった。見栄をはるという言葉に反発しつつも、納得する部分があるだけに、否定出来ない。
天音はいたたまれなくなりながら、ぎゅうと縮こまった。
考えられる限り、大人の対応をしたつもりだ。
とはいえ、物分りの良い振りをしたのは事実だった。
ユーウェインは天音に向き直って追撃を行うことにしたようだ。
「おい。顔を上げてみろ」
肘を膝の上に立てて頬に当て、ユーウェインは鷹揚にそう言った。
ゆったりとした物言いだが、なまじ命令形な分タチが悪い。
「やです」
「いいから、顔を上げて見せてみろ」
「やだ」
「おまえなぁ」
天音は子供のようにいやいやと首を振った。
図星を指されたあとでは恥ずかしさもひとしおだ。
ましてやユーウェインには見栄とまで言われてしまったのだ。
(子供みたい、って言われそう)
実際のところ今の天音は子供じみている。
けれど認めるのはさすがに気恥ずかしすぎた。
少なくとも天音はユーウェインよりも年上なわけだし、それこそ見栄をはりたいところだ。
ユーウェインの手がにゅっと伸びて来て、頬にひんやりとした感触が当てられる。
天音はぎょっとして思わず顔を上げた。
そして、目が合ってしまった。
「涙のあとがあるな。やっぱり泣いていたんじゃないか」
呆れ顔でそう言われると、天音は反論を引っ込めるしかない。
せめてもの抵抗として、身をよじるが、意味がなかった。
ユーウェインの指が涙のあとを辿る。
「……怖いか?」
ぽつりと呟かれた言葉には、労りが含まれているように天音には感じられた。
そしてかすかに複雑な感情も混じっている。
目の前の男性が怖いか。天音は自問自答した。
あのような目に遭って、心に傷を負っていないか。ユーウェインはそう問いたいのだろう。
天音はふるふると首を振った。
(………イヴァンは助けてくれたのに)
気をつかわせてしまっているのだろうか。それとも……。
ユーウェインは躊躇いがちに指の腹で頬を撫でる。
すると不思議なことに、天音の心の中で頑なになっていた部分が、溶けて消えた。
「怖くない……でも………」
「でも?」
「さっきは、怖かった…………」
ほろり、と大粒の涙が溢れた。
ユーウェインは目を見開いて、うんと大きく頷いた。
手が天音の首に回されて、いつの間にか頭をユーウェインの胸に抱きとめられる格好になる。
ばさりとユーウェインの外套がかけられ、天音の視界は真っ暗になった。
「こうすれば誰にも見えない」
そう言われては、我慢出来なかった。
天音は声を殺して泣き始めた。
声を出してしまえば、誰かに気付かれてしまうかもしれない。
だからひたすら押し殺した。そのせいで、肩が震えている。
ユーウェインはそんな天音の背中を時折優しく撫で付けた。
「……俺も、あの時は肝が冷えた。
もしお前がおそわれていたら……」
頭上でぽつりとつぶやかれて、天音は驚いた。
涙はとうにおさまって、感情の浮き沈みも緩やかになっている。
けれどどうにも離れがたかった。
「そんな風には、見えませんでした。
イヴァンは威風堂々としていて……自分が子供に見えてしまって」
「こども?」
ユーウェインがおうむ返しに質問した。
天音はこくりと頷く。
「おまえは十分大人に見えるが」
「……ううん。今も取り乱して……というか、イヴァンが私を子供扱いしているじゃないですか」
「は?いつ?」
「え……今とか」
天音は外套の中で息苦しそうに声を漏らした。
そろそろ、離れどきかもしれない。
こっそり残念に思いつつ、天音は外套からすっぽりと顔を出した。
すると呆気に取られたユーウェインの瞳とかち合う。
ユーウェインは形容しがたい、とでも言うように奇妙な表情を浮かべて、何度か口をパクパクと動かした。
そして長いため息をひとつ吐いたあと、天音に対してこう言った。
「おまえは、色々と勘違いをしている。
これは子供扱いではなくて、女扱いと言うのだ」
真剣な顔で諭される。
天音は言葉の意味を反芻して、思わず頬を朱に染めた。
◆◆◆
トゥレニーへの道すがらでは、農民たちがせっせと土を耕していた。
春撒きの黒麦用の畑を作っているのだと従士たちは言う。
黒麦は年に2回収穫が行われる。
春撒きの作業が終われば、初夏には昨年秋に植え付けたものが収穫出来るため、春から秋にかけて農家はかなり忙しい。
麦だけでなく、野菜の栽培もある。今頃開拓村でも同じような光景が見られることだろう。
天音は馬車の中からそっと外の様子を伺いつつ、御者台で話し合うユーウェインとジャスティンの会話に聞き耳を立てていた。
結局宿場では子供たちの親について大した情報は得られなかったらしい。
というよりも、情報を出すことを渋られた。
あげくの果てにこちらで処理するから子供たちを渡せと言ってくる始末。
ユーウェインたちの目尻がピクピクと動いていたのは記憶に新しい。
だが、そもそも他領の事情にやすやすと首を突っ込めるものではない。
そこでユーウェインは宿場での件の抗議を含めて、近隣領主に問い合わせをすることにしたようだ。
「まず、手を出すにしても上に抗議をしてからですね。
上手く交渉すれば子供たちの借金もチャラになるかもしれません」
そう言ってにやりとしたのはジャスティンだ。
ジャスティンは警護の網を掻い潜り勝手をしようとした老婆に対してたいそう腹を立てていた。
あるじへの侮辱でもあったし、許す気は毛頭ないようだ。
とはいえ、やり方を考えないと後々禍根を残すことになる。
「そのあたりの調整は任せる。徹底的にやれ」
「お任せください」
ジャスティンは夜明け頃、すでにティムを含めた従士3人を先発させている。
……従士たちの頭数が減っていたのに気がついたのは、宿場を出発してからのことだった。
天音は昨晩のことをつい思い出して、動揺してしまう。
「かお、あかい」
「何でだろーねー?」
エドとダディは元気が有り余っているらしい。
馬車の隣をダンやミックと一緒に並走している。
並走、と言っても彼らにしてみれば早歩きの状態だ。
道の状態がさほど良いわけではないのに苦もなく歩いているのを見ると、健脚振りに感心してしまう。
天音の赤面ぷりを指摘したのはシンディだ。そして、茶々を入れているのはもちろん佐波先輩だった。
からかいが含まれた声音を、あえて天音は聞かぬ振りをした。