63話 夜啼き鳥
お待たせいたしました。63話です。
63話 夜啼き鳥
異民族の女か、と問われて天音は目の前の老婆をまじまじと見遣った。
確かにそうなのだが素直に答えるのは憚られる。
初対面にも関わらず横暴な態度の老婆を、天音は警戒していた。
腰の曲がった老婆は、みすぼらしい粗末な服を着ていて、怪しげな雰囲気を身にまとっている。
体つきは骨と皮だけといった印象だ。
いつもの天音ならば憐憫を感じるところだが……。
「黙ってないでなんとかお言いよ。
アンタが異民族なのは丸わかりなんだ。
……せっかく、このアタシが仕事を紹介してやろうってのに
しつけのなっていない女だね!」
早口で一気にそう言い切った老婆に、天音は思わず呆気に取られた。
あんまりな言いようだったからだ。
呆然として口篭った天音の腕をさらに強く握ると、そのままスタスタと歩き出す。
やせ細った体つきからは考えられないほどの勢いに、天音は抵抗するよりも困惑が先立つ。
まず、この老婆がいったい誰なのか。
そして何を目的にして天音を連れて行こうとしているのか。
そこまで素早く思考を及ばせて、天音は老婆の言っていたことを思い出した。
(……仕事って、なに?)
あたりは既に薄暗くなっていて、足元をしっかりと見ていないと転げてしまいそうだ。
見知った人間はいないかと視線を泳がせてみるが、あいにくと姿が見えない。
視界が悪い中でも、足を進めれば目が慣れてくる。
進行方向の先にはあばら小屋が何件か建っていて、連れ込まれてしまう可能性に天音は戦慄した。
老婆につられてこのまま移動してしまうのはいかにも不味い。
そう思った天音は天音は唇を噛み締めて、やっとのことで抵抗を試みる。
「離して、ください!」
足を踏ん張って無理やり勢いを削ぐと、老婆はひどい形相で振り返った。
どうやら天音の態度が気に食わなかったらしい。
「口答えは許さないよ。
どうせアンタは身体を売って日銭を稼ごうって腹なんだろう?
客を紹介してやろうって言ってるんだ。
アンタにも得になる話なんだから、黙って従いな」
身体を売って日銭を稼ぐ、という老婆の台詞に、ぞわりと鳥肌がたった。
つまり老婆は天音を娼婦か何かと勘違いしているようだ。
天音はきっと鋭い視線を老婆へと向けた。
「私はそのようなことはしません。
何か誤解をされているようなので失礼します」
ぶんと腕を振るうと、さすがに若い女の力に押されたのか、老婆の手がぱっと離された。
老婆はあんぐりと口を開けている。
まさか口答えされるとも思っていなかったようだ。
「まちな!」
老婆が慌てたように叫ぶ。だが天音は返答をしない。
(どうして、この人はこんなことがまかり通ると思っているんだろう?)
疑問を抱いたものの、このまま対話を試みるよりはさっさと逃げてしまった方が賢明だ。
そう思った天音は老婆の返答を待たずにきびすを返そうとした。
しかし、ツンとアルコールの匂いが鼻腔をくすぐると同時に、目の前に見知らぬ男が現れる。
「……なんだ、商売女か。
貧相な体つきをしているが、まあ良い。
ババァ、いくらだ?」
「大銅貨10枚だ。
それ以下はまからないよ」
男は天音をいやらしい目つきで舐めるように見たあと、老婆に向き直って料金交渉に入った。
逃げようと試みるが、アルコールを摂取しているにも関わらず男は機敏だった。
先回りされてしまう。
そしてその隙に老婆に後ろに回り込まれて、天音は危機感を覚えていた。
汗がじっとりと背中を伝う。
夜はまだ肌寒いにも関わらず、緊張と恐怖で天音は汗に濡れていた。
男の後方にはうっすらと焚き火の灯りが見える。
おそらく天音がいたのはそちらの方向だろう。
「おりゃあ、もう少しふくよかなのが好みなんだがね」
「文句をお言いでないよ。
払うのか、払わないのか。
どっちなんだい!」
「ちっ。しょーがねぇなぁ。
ほらよ!」
そう言って男が老婆に大銅貨を小さな革袋から取り出し、代金を渡した。
天音にとっては最悪なことに、交渉が成立してしまったようだ。
どうにか逃げる隙をと思っていても、足が震えてしまっている。
こんな時のために佐波先輩からいくつか護身法を学んでいたが、まったく役に立っていない。
老婆がにやりと笑って硬直している天音の手に大銅貨1枚を無理やりのせる。
大銅貨1枚は、黒パン3日分だ。
「手付金だ。
残りはお楽しみのあとに渡してやるさね」
そう言って老婆がにたりと笑ったのを見て、天音の心に言い知れぬ程の怒りが宿った。
腸が煮えくり返るとはこのことだろうか。
そもそもこちらから頼んでもいないというのに、老婆の顔付きはやけに得意げだ。
(……くやしい)
男は天音に向き直ると手を取ろうとしてきたので、咄嗟に身をよじって交わした。
一歩二歩と後ずさって、何とか男と距離を取ろうとするが、あまり効果はないようだ。
そもそも歩幅が違いすぎるため、あっという間に距離を詰められてしまう。
そして、男には余裕があった。いつでも捕まえられるという自信が垣間見える。
(声を出せば、でも………)
じりじりと迫る危険に、天音は大声を出そうと試みた。
だが、果たせなかった。
喉が詰まったように声が出ない。
緊張と恐怖がそうさせているのだろうか。
「なあ、逃げても無駄だぜ。
さっさと済ましちまおうや」
男は赤ら顔で天音に手を伸ばしてきた。
天音は心臓の音がドクドクと鳴り響くのを感じながら、くやしげに唇を噛む。
(落ち着いて。手を伸ばしてきたら、しゃがんで目潰しをして、それから……)
天音が必死に対抗策を組み立てていると、焚き火の方向からざわついた気配が近付いてきた。
「何をしている」
怒りを帯びた声が夜も更けた街道沿いに響いた。
ユーウェインだ。天音は心底ほっとした面持ちでパッと顔を上げた。
ユーウェインが現れたのは、折しも赤ら顔の男が天音の手を乱暴に取ろうとした瞬間のことだった。
天音と男の間に割って入ったユーウェインの背中を見て、安心のあまり天音は気が緩みかけるのを我慢しなくてはいけなかった。
「ああ?……誰でぇ、おまえ」
赤ら顔の男は少し慌てつつも、虚勢を張っていたが、ユーウェインの後ろから松明を持った従士たちが現れると、あっという間に気勢が削がれたようだ。
従士たちの中からすっとジャスティンが姿を現す。
炎に照らされているだけだが、厳しい顔つきなのは傍目にもわかった。
「こちらの女性はグリアンクル領主ユーウェイン様より保護を受けている。
危害を加えることはまかり成らん」
「いや、俺ぁそこのババァから女を買おうとしただけですから……」
「お前の事情などどうでもいい。さっさと去れ!」
男はしどろもどろの言い訳をすると、後ろにいた老婆から大銅貨を奪い取ってすごすごと去って行く。
老婆は老婆で、卑屈な態度で謝罪をしつつも、天音の方を忌々しげに見たあと名残惜しそうに小屋の中へと足を進めた。
「大丈夫か」
いつの間にか頭の上から声がして、天音はそこではじめて自分が腰を抜かしていることに気が付いた。
いまだ恐怖はさめないが、ユーウェインたちのおかげで助かったようだ。
立ち上がれないと見てとったのか、ユーウェインが天音の脇に手をやりぐいっと持ち上げてくれる。
まるで子供のような扱いに、どこか天音はほっとしたような、そうでないような複雑な気持ちに駆られた。
◆◆◆
深夜近く。外では夜啼き鳥の声が静かな夜に響いている。
夜啼き鳥はこちらでは夜行性の鳥の名前だ。
ほうほうと切なげな声を夜毎あげている。
天音は、どうにも寝付けずにいた。
隣では佐波先輩と子供たちがくうくうと寝息を立てている。
佐波先輩には先ごろの件で、随分と慰めてもらった。
トラウマなどはないか、怪我をしてはいないか、と心配されたが、天音はどちらにも首を振った。
怖い思いをしたのは確かだ。老婆のいやらしげな笑みは一生忘れることが出来ないだろう。
男性への拒絶反応は、実害がなかったのでそれほど強くない。
どちらかというと、男への恐怖よりも老婆への嫌悪感があったので、印象が薄まっているだけかもしれないが。
旅の疲れがではじめる頃合なので、天音としてもぐっすり眠りたかったが、神経が尖ってしまってどうしようもない。
ため息を一つついて天音は水でも飲もうと起き上がった。
パチリと焚き火が爆ぜる音がする。夜番で誰かが外にいるらしい。
おそるおそる幌布をめくりあげると、驚いたことにユーウェインがいた。
「今日はユー……イヴァンが当番なんですか?」
ユーウェイン、と呼びかけそうになったが、あたりに誰もいないことを確認すると、天音は咄嗟に言い換えた。
天音の逡巡を気にした風もなく、ユーウェインは頷く。
「眠れないのか?」
「はい……少し、落ち着かなくて」
ユーウェインは焚き火の向かい側に席をすすめた。
天音は無言で大きめの岩に腰を落とす。
持ち込みのコップにペットボトルに入れていた水を注いで、ひとくち。
癒しにもならないが、喉の乾きは潤う。
そして、夜空を見上げてほうと息をついた。
こちらに来てから、日が落ちると就寝する癖がついてしまったもので、夜空を見上げることも少なくなっていた。
街中では見ることが出来ない満天の星空は、とても美しい。
「月が美しいな」
「はい。宝石のよう……」
3つに割れた月にももう慣れた。はじめて見た時はたいそう驚いたし、日本ではないことに絶望もした。
けれどこちらで生活の基盤が整うようになって、美しさを愛でる余裕も出てきていた。
薄ぼんやりと光を放つ3つの月のかけらたち。
それぞれに神が宿っていると誰かが言っていた。
カーラだっただろうか。天音は意識の隅で記憶をさらってみたが、答えは出て来ない。
「今日のことはすまなかった。
従士たちも男には警戒していたが、
まさか老婆があのような振る舞いをするとは思っていなかったらしい。
このあたりも治安が悪くなったものだ」
「……大丈夫です。助けてもらいましたから。
それよりも、異民族って、やっぱりああいう扱いをよく受けるものなんでしょうか……」
沈んだ声で天音がそう問い掛けると、ユーウェインは一瞬躊躇する素振りを見せたが、最終的には頷いた。
異民族は軽視される立場にあるらしい、というのが今回の結論だ。
女の旅人は基本的に身体を売って日銭を稼ぐしかない。
ましてや異民族なら後ろ盾もない分、そういう扱いを受けることが当たり前のようだ。
「俺の目の届く範囲内にいれば、大丈夫だ。
だから俺から離れるな。旅の途中は特にだ」
天音はこくりと頷いた。
ユーウェインの領主という立場が天音を守ってくれている。
そのことが今回いつにもまして浮き彫りになった。
「……イヴァン。ありがとう」
「………どうした、いきなり」
ぽつりと呟かれた礼の言葉に、ユーウェインが戸惑ったように声を上げた。
天音は三角座りをして膝に頭を埋める。
今は表情を見られたくなかった。
「言いたくなったから…………」
小さな声で天音はそう言った。取り繕っていない、素の言葉そのものだった。
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