番外編 とある騎士の名前
ご無沙汰しております。ユーウェインの番外編になります。来週頭の本編開始まで少しお待たせしますが、それまでに番外編を楽しんでいただければと思います。
とある騎士の名前
ユーウェイン・マク・ウリエンは騎士でありグリアンクルの領主だ。
しかし生まれた時からそう定められていたわけではない。
生まれたての彼はただの私生児だった。
継承権は元より遺産の相続権もない。
ただ片目に異能力があったことで興味をもたれた。
ただそれだけのことだった。
『武芸を磨いて、騎士として大成なさい』
そう言ってユーウェイン……当時はイヴァンを教育したのは養父だ。
私生児であるイヴァンは、養育当時、実の親に認知されていなかった。
ふつう、子供は親の跡目を継ぐ。
例外はない。実子、あるいは公都へ届出を出して相続を認められない限り、養子でさえ立場は危うい。
そしてイヴァンには後ろ盾が何もなかった。
あるといえば、定期的に送られてくる母方の祖父母からの食糧だろうか。
そんな経緯から、養父はイヴァンを厳しく養育した。
養父はもともと公都の門番の家系に生まれ、剣の腕は元より騎士としての立ち居振る舞いも見事だった。
長男で後継として期待もされていたという。
養父の家系とトゥレニー領主一族とは縁戚関係にある。
ウリエンスの母が養父の叔母にあたり、ふたりはいとこ同士だった。
あるとき養父はイヴァンの父、ウリエンスに従い出征することになった。
そして、戦で片足を失うほどの大怪我を負った。
養母から聞いた話によれば、ウリエンスをかばったらしい。
養父が助けなければ、ウリエンスの命は危なかった。
しかも養父は片足を失ってしまった。
そこで、ウリエンスは息子の養育者として雇うことにしたのだ。
◆◆◆
イヴァン少年は、ハイハイが出来るようになるとすぐに暴れん坊ぶりを発揮していたらしい。
らしい、というのは、当たり前のことだがイヴァンにはまったく覚えがないからだ。
けれど8歳にもなると多少なりとも分別がついてくる。
特に養父は礼儀には厳しかったので、暴れん坊ぶりはなりを潜めていた。
「……腹が減った」
「はいはい。お待ちくださいね、あなた。エイダ!」
毎朝の鍛錬を終えると、いつも養母が食事を準備してくれている。
養父がひとこと腹の具合を言えば、養母は即座に反応する。
そしてエイダが食器を並べ出す。いつもの光景だ。
エイダとは夫妻の娘で、イヴァンよりも5歳ほど年上だっただろうか。
エイダの上には兄と姉がいるが、姉はすでに嫁いでいて家にいない。
兄の方はウリエンスの親衛隊に所属していて、居を別にしている。
イヴァンはこのかしましい娘がとかく苦手だった。
弟がいないから、何かにつけてイヴァンの世話を焼くのだが、イヴァンにとっては目の上のたんこぶで、すこぶるうっとおしい。
「はい、イヴァン。ちゃんと食べるんだよ!」
大盛りの木椀を手渡され、イヴァンは無言でこくりと頷いた。
エイダは年齢のせいもあるが、料理の腕もイマイチだ。
今日のスープを一口飲んで、イヴァンは作り手が誰かわかってしまう。
塩が足りないし、切り分けられた野菜の大きさは不揃い。
だが作ってもらったものは最後まで食べないと養父にげんこつを食らってしまうので、イヴァンは黙って食べる。
そろそろ嫁に行く年齢なので、料理の腕については養母も頭を痛めているらしい。
だがイヴァンにはさしあたって関係がないことだった。
この頃のイヴァンは、養父の教えをどう吸収していくかで頭がいっぱいだったのだ。
養父のように、強くなりたい。イヴァンはそう思っていた。
片足になったとはいえ、養父の剣の腕は衰えるどころかさらに磨きがかかっている。
というのが周りの大人の意見だ。
イヴァンにはまだその事実はおぼろげで、養父の腕がどれほどのものなのかはっきりとはわからない。
養父のような立派な騎士になりたい。
そんなささやかな願いが幼いイヴァンの胸の内を占めていた。
そしてその願いはほどなく叶えられることとなる。
実態は、イヴァンの予想をはるかに越えていたが。
◆◆◆
騎士とはいかなるものか。
イヴァンが騎士ユーウェインとして戦場に出るようになってから数年が過ぎた。
勲功を上げ続けているので、騎士ユーウェインの世間での評価は高い。
妖精の眼を持っていることも幸いした。
対魔獣に置いて、騎士ユーウェインほど探知能力に優れている者がいなかったのだ。
国中をまわる羽目になったが、元より剣で身を立てると決めていたので、問題はなかった。
従士たちは随分ぼやいていたが。
功績を認められて、公王に名前を覚えられるほどになったイヴァンだったが、17歳にもなると将来について思い悩むことも多くなった。
騎士とはいかなるものか。
ユーウェインの頭の中にある騎士とは、養父そのものだ。
とはいえ、剣の腕はとうに養父を越えていた。
16歳のときのことだ。
養父の肉体の衰えと、イヴァンの伸び盛りの時期が重なったのだろう。
しかしイヴァンの理想は、やはり養父なのだった。
「イヴァン様はこれからどうなさるのですか」
何度目かの遠征を終えてイヴァンたちはトゥレニーへと戻っている最中だった。
舌っ足らずだが、こまっしゃくれた物言いをするのはジャスティンだ。
はじめて会った頃よりは大きくなったが、小柄なのは相変わらずで、そんなジャスティンが大人ぶっていると、どうにも笑えてくる。
これから、という言葉も実に曖昧だった。ジャスティン自身もはっきりとした質問内容があるわけではないのだろう。
「さあて。またぞろ、オヤジ殿が利用してくるのだろうよ」
イヴァンはトントンと片目脇に指を落とした。
実の父ではあるが、ウリエンスとイヴァンの仲は冷え切っている。
たまに帰省するのも、養父の家だった。
そして、ウリエンスの性格上、イヴァンの意思を確認する手間も惜しいと考えているに違いない。
つくづく領地のことしか頭にない男なのだ。
「そうですか……」
ジャスティンは不服そうに唇を尖らせた。
騎士ユーウェインとしてどう生きていくのか、と訊かれれば、オヤジ殿の仰る通りにとしか答えようがない。
だが、イヴァンとしての生き方はまた別だった。
あるいはジャスティンが訊きたかったのはそちらのほうかも知れない。
◆◆◆
信頼できる部下も出来て、これからどうやって身を立てようと頭を悩ませていた矢先に、領主代行の話が決まった。
もちろん、イヴァンには事後報告だ。
イヴァンの身の上はウリエンスが保証している。
つまりイヴァンが何をどう主張しようともウリエンスの手のひらの上ということだ。
イヴァンは怒るよりも先に困惑した。騎士ユーウェインとして領地を頂くのは悪いことではない。
しかし、開拓費用の捻出は難しい。借金が必要になる。
そのことを前提とした上で調べてみると、案の定裏があった。
長兄には領地継承権が与えられている。だが、次兄には受け継ぐべき領地がない。
このまま長兄の補佐をしていくのが関の山だ。
そこで新規領地の開拓の話が出て来る。
新しい領地はアンクルと言って、辺境地らしい。
以前にも開拓計画があったらしいが、頓挫している。
大森林が近くにあるようで、魔獣が多くいるようだ。
そのような危険地帯に戦闘経験がほぼないに等しい次兄を派遣するのは言語道断。
消去法でイヴァンが候補に挙げられた。
開拓費用はトゥレニー領主の名のもと、貸し付けられる話になっていたが、横槍が入った。
次兄の母親が実家に頼んで、すでに支度金を準備していたのだ。
「それで、そのまま引き下がったわけじゃあありませんよねぇ?」
「むろんだ。借金は返さねばならぬが、きちんと書面に残している。
どちらにしろ新規に開拓を行う場合は公王の許可が必要になるから
契約さえ成ればおいそれと口出しも出来まい」
そうぼやくと、ダリウスも困ったようにはぁとため息を一つ。
騎士ユーウェインは、今度は領主ユーウェインとなるらしい。しかも、期限付きで。
ただのイヴァンとしての生き方はもう望めそうになかった。
◆◆◆
怪我をしたイヴァンを助けたのは、異民族の女だった。
職務上国内のさまざまな領地を訪れることはあったが、見たこともない人種だ。
最初、黒っぽい髪の色と小柄な体格のおかげでジャスティンと間違ったが、押し倒した拍子に女とわかった。
名前をアマネと言うらしい。姓と思しき方は、発音がしづらかった。
民族衣装なのか、身につけている服装も変わった素材が使われていた。
そして部屋の中もイヴァンを驚かせるに十分だった。
ツヤのある木材で敷き詰められた床。
白亜の壁。触ってみると妙な手触りだ。
ところどころ目にする金属も、どのような技術を使っているのだろうか。
製鉄技術がイヴァンの知るものとはまるで違う気がした。
異質。そして、不審者。
それがイヴァンの初対面での認識だった。
「…………っ」
外で素振りをしながら、イヴァンは中の様子を横目で伺っている。
あまりにも怪しげな女の住まいは、洞窟内にある。
死の山の中腹にあるようで、その事実もまたイヴァンに疑問を抱かせた。
女の言うことを全て丸呑みにするのは危険だ。
そう思っていたものの、イヴァンは腹の音がぐうと鳴ったことに気が付く。
腹が減っては戦は出来ない。そして、不審人物が作ったものとはいえ、美味い飯に罪もない。
イヴァンは心の中でそう自分に言い聞かせた。
◆◆◆
「大事ないか」
イヴァンは御者台から幌布をぺらりとめくって声をかけた。
中にいるのはアマネとサヴァだ。
南に移動するにつれて、道の状態が悪くなってきている。
雪解けで泥混じりになっているためだ。
グリアンクルに比べて南に行けば行くほど春告げは早くなる。
案の定、サヴァはともかくアマネは少しグッタリとしているようだ。
旅の進行上、馬車の歩みを止めるわけにもいかない。
アマネもわかっているようで、力なく手を振ってイヴァンの問い掛けにこたえる。
「ジャスティン」
「はい」
イヴァンは馬車の隣で並走しているジャスティンに声をかけて御者役を代わってもらうことにする。
「……お優しいことで」
ぼそりと付け加えられた台詞にイヴァンはギクリとしたが、ふんと鼻を鳴らして誤魔化した。
昔に比べて声が太くなったものの、こまっしゃくれたところと小柄なところは変わりないようだ。
腰に取り付けていた小さな革袋から、乾燥させた香草を取り出す。
「これを噛んでいれば、少しはマシになるだろう」
「……ん。すーってしますね」
「ハッカっぽい匂いだね」
「サヴァに預けておく。効果が切れたらまた噛むと良い」
そう言ってイヴァンはサヴァに袋を預けた。
「………あの、これから危険性が高まるんですよね。
いざという時、どうすればいいんでしょうか」
少し気分がマシになってきたのか、アマネの声の調子が戻ってきた。
イヴァンは一瞬返答に迷う。
「……飛び道具を相手が持ち出した場合は厄介だが、
外に出なければまだ安心だろう。
なるべく幌馬車から出ないように。
女とわかればそちらに集中する可能性があるので
姿を見られないように注意しろ」
悩んだ末、イヴァンは包み隠さず答えることにした。
アマネとは短い付き合いになるが、その中でもいろいろと学んだことがある。
まず誠意を見せることだ。
アマネは神妙な顔でこくりと頷いた。
「幌馬車に入って来られたら、
まず、サヴァが牽制。
その隙に叫べ。俺の名前を呼べ」
「叫べばいいんですか?」
「そうだ。場合によっては馬車の近くにいない可能性もある。
だが、危険がわかれば駆けつけられる」
「わかりました」
イヴァンはサヴァにも視線をやった。
意図に気がついたのか、サヴァも無言で首を縦に振る。
「守ってやるから、安心しろ」
イヴァンはアマネにそう言った。イヴァンとして、そう言った。
次はダリウスの番外編を17日夕方に投稿予定です。
時間帯が夜にずれたらごめんなさい。