59話 あなたに贈るミートパイ
59話です。残り1話で、第2章が終了となります。
59話 あなたに贈るミートパイ
執務室の扉を開けると、ユーウェインが何か書きものをしていた。
人の気配で集中が途切れたらしい。
天音とダリウスの姿を確認して、びっくりしたような表情を浮かべている。
差し入れを手に、何を言ったらいいかわからないまま時は過ぎる。
ダリウスはいつの間にか退去していた。
気を利かせてくれたのだろうが、緊張している天音にとっては良いことだったのか判断がつかない。
ユーウェインは天音が訪れたことに対して驚いている様子だった。
「あの、こんにちは」
思わず挨拶からはじめてしまって、天音は内心慌てた。
先に言うべき事があったのではないか。そう、むしろ、お詫びの言葉を伝えるべきだったのでは。
そんな風にぐるぐると考え込んでいると、ユーウェインは困ったような顔で切り出した。
「……まあ、座れ」
ユーウェインの方でも、会話の糸口に悩んでいるようだった。
天音は近くの椅子を引いて、ユーウェインからちょうど1mほど離れた距離に腰を落ち着ける。
1mの距離。天音は焼きたてのパイが入っていることで温もりが残るカゴをぎゅっと腹部に押し付けた。
おそるおそるユーウェインの表情を覗き見ると、やはり困ったような瞳とかち合う。
お腹をパンチしてしまって、ごめんなさい。どうしてそのひとことが口から出て来ないのか。
天音は言葉の代わりにカゴからパイを取り出した。どちらか悩んだが、まずはミートパイの方だ。
ロゴは餃子の〇将だ。
形は似ているがそうではない。突っ込みたかったが、面白かったのでそのままにしておいた。
ぐっと唇を引き結んで無言でギョーザ型ミートパイをユーウェインに差し出す。
するとユーウェインは目を見開いたあと、訝しげに眉を寄せた。
いつもなら、我さきにと手に取るのに、今日のユーウーェインは黙ってじっとギョーザ型ミートパイを見つめている。
「……これは?」
「ギョーザ型ミートパイです」
「…………食べても良いのか?」
「はい。食べてください」
どちらとも堅い表情と声音だった。
天音は、まっすぐユーウェインを見つめていた。
ユーウェインの大きなてのひらがそっとミートパイに被さって、天音の手からミートパイ分の重みが消える。
そして、ギョーザ型ミートパイを口に含む。
さくりと音がした。パイ生地は成功していたようだ。
さくさくと咀嚼音が聞こえて、ユーウェインの喉が嚥下されるのを見て、天音は何故か喜ばしい気持ちが胸に生まれるのを感じていた。
ユーウェインに食べてもらうために作ったそれを、食べてもらえるのが嬉しい。
最初こそかたい態度だったユーウェインだが、ミートパイを食べている内に表情筋が柔らかくなってきたようだ。
頬は紅潮しているし、口は先程よりも大きくあいている。
わざわざ訊かなくてもわかる。美味しい、という感情がじわじわと伝わってくる。
「……先日は、怖がらせてすまなかった」
ぽそりとユーウェインが呟いた。天音ははっとして顔を上げる。
ユーウェインは明らかに気落ちした様子だった。
天音はしかし、ユーウェインの言葉にぷるぷると頭を振る。
「いえ。いいえ。私、怖かったんじゃありません」
「……?怖かったから殴ったんじゃないのか?
ダリウスから説教されてそうではないかと思ったのだが」
そういえば、あの時ダリウスとは部屋に戻る時にすれ違っていた。いろいろと気恥ずかしい思いで天音の心臓はどくんと高鳴る。
「いえ、だから。怖かったんじゃないんです。驚いただけで」
実際天音はちっともあの時のユーウェインが怖いなどと思っていなかった。
そういう感情が生まれなかったのは、根底にユーウェインへの信頼感があったからかもしれない。
まるで雛鳥の刷り込みのように、天音はユーウェインに対して全幅の信頼をいつの間にか置くようになっていた。
こちらの事情を耳に入れるにつれて、天音は自分がいかに幸運だったかを思い知っていた。
村人の隠しきれない視線、従士たちの厳重な警備、天音はユーウェインが立場を確かにしてくれたからこそ、この村で安寧と暮らしていられるのだ。
そして、さらにユーウェインは天音に無理強いすることはまずない。
あらかじめ意見を伺ってくれる。つまり天音をきちんと尊重してくれている。
「それならば、いい」
ユーウェインははあと息をついて、食べきっていないミートパイを片手に床へと視線を落とした。
「あの……お腹、ごめんなさい」
やっと絞り出した謝辞は、きちんとユーウェインに届いただろうか。
うつむいているため、ユーウェインの表情がうかがいしれないので、天音は少し不安になる。
「あれくらい、ものの数にも入らん。問題ない」
そう言って、ユーウェインは残りのミートパイにかぶりついた。
今度は先ほどと違って勢いが良い。あっという間に平らげてしまった。
「……足りん」
「あ、はい。どうぞ」
「こちらは形が違うな?」
「はい。中身も違いますよ」
ユーウェインがいつもの調子に戻ったのが天音にもわかった。
取り出したベーコンポテトパイをユーウェインに渡すと、そちらもあっという間になくなってしまう。
また太ったらどうしようという懸念が頭をもたげたが、今日だけは大目に見よう、と天音は思う。
ユーウェインが言ったように、距離が近付くというのが何を指すのか、天音にはさっぱりわからなかった。
だが今はこの関係性をゆっくり育てていけば良いのではないか、とも思えた。
こちらに来て形成された人間関係を崩してしまうのはいかにも勿体無い。
ゆっくりわかっていけばいいだろう。
……結局、かごの中のほとんどはユーウェインに食べられてしまったが、天音は満足していた。
このパイはユーウェインのために作ったのだから、問題ないのだ。
◆◆◆
「それでは、これから特産品制作班、作戦開始します!」
「よろしくお願いします!」
「は、はい……!」
台所に集まった女性3人は、清潔な格好でエプロンをしている。
これはあらかじめ天音が用意しておいたものだ。亡き母が使っていたお古2枚と自分のものを使っている。
午前中に悩み事を解消させたおかげで、午後からの天音はすっきりした気持ちで特産品制作に取り掛かることが出来た。
むしろ、いつもよりもはりきっているぐらいだ。
ひとまず材料の確認を行う。大量にあるので、台所の机だけではなく、隣の使用人部屋のものも移動させてある。
小麦粉と黒麦粉に、柑橘酵母……この酵母はあれから作り直したものだ。
メープルシロップにヤギ乳、バター、ナッツ。
材料だけで一つの机がいっぱいになる。
ヤギ乳とヤギバターについては、あらかじめ村人に発注をしていたので、ギリギリだったが何とか数を揃えることが出来た。
最近は使用量が多くなっているため渋られたが、賃金を多く渡すことで問題を解消させたようだ。
「まずは材料の下処理を行います」
粉物をふるいにかける。ふるいは、こちらのものを使う。
馬の尻尾の毛を洗ったものを丹念に貼り付けられたそれは、天音が持ち込んだものよりは精度が落ちる。
だが、こちらのものを使わないと意味がない。
台所の隅ではジャスティンが筆記を行っている。
訓練相手は手の空いた佐波先輩に任せて、こちらのサポートにまわったらしい。
ジャスティンは「やつらの相手をしていただけるのは助かります」と言っている。
筆記を行う理由は、レシピを明確化するためだ。
天音がいなくても作業が継続できるように差配してもらっている。
また、計量についてはいろいろ考えた結果、計量カップをテディに作ってもらうことにした。
今手元にある木製のカップがそうだ。
特産品制作については、今日のうちに全てを覚えてもらう必要はないと天音は考えている。
これから何度も制作の機会はあるわけだし、彼女たち以外にも村に女性が来れば作業を任せたい。
ただ、一度経験しておけば流れを把握出来る。
「出来ました!」
ふるいにかけられた粉ものに天音はOKを出す。
粉はどちらにも使うため、量が多かったが、若くて筋力もある彼女たちはあっという間に仕上げてしまった。
天音は思わず自分の二の腕を恨めしげに見る。そしていやいや、と首を振った。
ぷにぷにとした触感を気にしている場合ではない。
天音はふたりに次々と細かな指示を行い、その都度材料の状態を確かめた。
ナッツはすりこぎを使って荒い粒に。バターは計量してなめらかに。
そしてある程度の下処理を終えたあと、正確な計量を行う。
「計量はしっかり行ってくださいね」
「はーい」
「はい!」
実はテディの作ったカップは、それぞれ大きさが微妙に違う。
急造の手作り品のため、そのあたりはいたしかたない。
そこで天音は持ち込みの計量カップで一度はかったものをうつしてメモリを手書きしている。
あくまで目安だがないよりはマシだ。そのうちきっちりはかれるものをと思っている。
今はとにかくそちらの制作にかまけている余裕はない。
天音はふたりが計量している隙に、ナッツタイプの作業に入っていた。
まずはビスケット。
ビスケットとスコーンの違いについては、今回はヤギ乳が入っているか入っていないかで分ける。
そして、ビスケットのつくり方はそれほど難しくはない。
計量してある粉、くだいたナッツ、塩をボウルに入れて混ぜる。
しっかり混ざり終わったら溶かしたヤギバターを投入。
酵母菌もこの時点で入れる。
生地を手でこすり合わせながら混ぜたら、メイプルシロップと水を混ぜたものを加えて生地をひとまとめにする。
麺棒で生地を伸ばしたあとは、型を抜いて終わりだ。
だが、型抜きには思ったより時間がかかりそうだ。手が空いたふたりに任せることにする。
次はスコーンの制作だ。
天音はさすがに疲れてきているのを感じていたが、気を振り絞って続ける。
先ほどとは違うボウルに粉とメイプルシロップ、溶かしたヤギバター、塩、酵母菌を入れてゴムべらで混ぜ合わせる。
牛乳を少量ずつ足していき、最後にくだいたナッツを入れて手でひとまとめにする。
この生地を麺棒で2cm程度の分厚さに伸ばし、ナイフで最適なサイズに切り分けて完了だ。
ビスケットの方はすでに焼成に入っていた。
オーブンから香ばしい匂いが漂ってくる。
焼き加減に多少バラつきは出そうだが、匂いから判断する限りは問題ないようだ。
天音はにこりと微笑んで、ふたりに再度指示を出し始めた。
◆◆◆
無事特産品制作も完了して、積み込み作業が行われることとなった。
ビスケットのかたさを確かめたが、大きな圧力さえ加わらなければ割れることはなさそうだ。
スコーンの方も同じく。けれど、どちらも割れ物には違いない。
木箱の中にはオガ屑や日干しした清潔な藁を敷き詰めて、その中に袋詰めした商品を詰め込んだ。
車輪が浮いた拍子に箱の上部にぶつからないように、さらに藁などで防御させる。
そして、天音たちの私物も同じタイミングで積み込まれた。
今回の旅では幌馬車を3台使用することになっている。
販売する商品自体は1台で充分なのだが、帰りに買い物をするからだ。
ユーウェインには特産品計画に使えそうな原材料や道具などは思いつく限りリストアップしておけと言われている。
と言っても、まだ予算自体は確定していないので天音としては向こうに着いてから詳細を詰めようと思っていた。
滞在は一週間~二週間ほどになる予定だ。
宿に泊まるのかと思ったが、全員ではないようだ。
従士組は宿へ向かうが、ほかのメンバーはジャスティンたちの実家所有の物件に間借りさせてもらう。
1日があっという間に過ぎて、とうとう明日は出発だ。
天音は少しでも疲れを取っておこうと早めに就寝することにする。
佐波先輩も今日は色々と動き回っていたようだ。
寝顔が少し疲れているような気がした。
明日の早朝にはドラがケーク・サレを納品してくる手はずとなっている。
そちらのチェックもあるので、寝坊は出来ない。
天音は深く毛布を被ると、すぐに熟睡していった。
60話は10日12時に投稿予定となります。
第3章開始時期については、土日のうちに活動報告に予定を上げますので、チェックして頂ければ幸いですヽ(*´∀`)ノ