58話 人生いろいろ
58話です。感想返信は週末になります。拍手返信は、活動報告を本日か明日あたりに書けたらその際にと思っています。いつもありがとうございます!
58話 人生いろいろ
翌朝、夜が明けようという時間帯に天音は目を覚ました。
目覚ましをかけていないのによくぞ起きられるものだな、と天音はひとりごちる。
隣では佐波先輩がヨダレを垂らしてぐーすかぴーと寝息を立てている。
お肌は年齢の割にはツヤツヤ、羨ましい限りだ。やはり代謝が違うのだろうか。
それはそうとして、こういう状態だとこちらが何をどうしようとも起きないのが佐波先輩だ。
天音は枕元の棚に置いてあるハンカチを手に取って佐波先輩の口元を拭いたあと、ペットボトルに入れてる水を口に含む。
口の中が乾いていた。ごくりと二度三度飲み干すと、まだ肌寒い気温の中、寝台からそろりと抜け出した。
身支度を終えて台所に入る。当たり前だが、まだカーラの姿は見えない。
カーラが館に来るのは大抵夜が空けてしばらくしてからのことだ。
かまどには炭と灰しかない状態なので、天音は木桶を手に取って薪を取りに行くことにした。
冬の初期には山のように積まれていた薪だが、すでに残量は3分の2を割っている。
春になればテディが乾燥木材を納品する手はずになっているようだ。
はぁ、と息を吐くとまだ白い。
天音は軍手をはめて手を傷つけないように気を遣いつつ、木桶の中に手頃な薪を入れていく。
木桶がいっぱいになったあと天音はよいしょと立ち上がった。
実は天音はいまだに火打石の扱いを覚えていない。
ひとりで火をつける際は持ち込みの着火用ライターを使っているし、それ以外のときは何となくカーラに任せている。
しかし、着火用ライターはオイル残量が心配だ。いずれなくなるのは目に見えている。
(野営のときとか、どうするんだろうか)
とすれば、やはり火打石の取扱いを覚えておいたほうが良いだろう。
タイミング次第では教えてもらえるかもしれない。
天音は今後の予定にひとつ付け加えておいた。
まず木屑を集めて火をつける。
煙が出始めたらふうふうと息を吹きかけて、火が行き渡るのを待つ。
火が出始めたら、薪のうち、細くて簡単に燃えそうなものをかまどに入れる。
そしてそちらにも火が回り始めたら、太いものを。
次は水だ。
昨日の晩のうちに水瓶には水がはられていたのが幸いだった。
かまどに設置されている大なべに、たっぷりと水を貼っておく。
さて、せっかく早起きをしたのには理由がある。
昨晩作りかけだったミートパイを完成させなければならない。
午後からはカーラやイーニッドの手を借りてビスケットとスコーン作りの制作に入る。
ちなみに制作報酬は現物支給だ。
これはふたりと報酬の相談をした上で決めた。
やはり自分が作ったものを食べてみたいのだろう。
また、それぞれホレスとトレヴァーに持ち帰りたい、と言ったので、その分も込みだ。
そういう理由で、天音はさっそくミートパイの制作を再開させることにした。
台所の机は割と広めのサイズなので、お菓子作りにはありがたい。
あらかじめアルコールで拭いた机の上に、持ち込んだ新聞紙を敷いておく。
粉が飛び散るので掃除の手間を省くためだ。
パイ生地は冬場でのんびりしているとどんどん生地が柔らかくなってバターが溶ける。
中のバターが溶けると、べとついて成形がしずらくなってしまう。
折り込みパイの成形はのちのち焼き上がりに影響するので、温度調節には神経を払いたいところだ。
「ふう……っ」
折り込みと寝かす工程を何度か繰り返してあとは待つだけになったところで、いつの間にかカーラがやってきて朝食作りをしているのに気が付いた。
あまりにも集中しすぎていたようだ。
天音の視線に気が付くと、カーラは振り返ってにっこり笑った。
「ずいぶん集中していたんですね。
声を掛けたのですが、気がつかれませんでした?」
そう言われて、天音は思わず頬を朱に染めた。
照れ隠しに苦笑を浮かべつつ、天音は手についた粉を払う。
「手伝おうか?」
「大丈夫ですよ。手間もかかりませんし。
それより、そっち優先してください」
笑顔でそう言われてはかなわない。
カーラの言葉に甘えることにして、天音は作業に戻ることにした。
とはいえ、パイ生地を寝かせている間に出来ることと言えば具材の調達だ。
ミートパイ以外に何かないか……と考えたところで、ベーコンポテトパイを作ろうと思い立った。
以前、某有名ファーストフード店のベーコンポテトパイが食べたい、と佐波先輩が言い出したことがある。
確か原材料高騰で一時的に商品ラインナップから姿が消えていた頃だっただろうか。
仕方なしに天音は再現を試みたのだ。
材料は、ベーコンに親指大の芋、乾燥じゃがいも、玉ねぎっぽい野菜、ヤギ乳とバターに小麦粉、コンソメ、塩コショウ。
多少風味は違うだろうが、美味しければ問題なさそうだ。
天音はうんと頷いてベーコンポテトパイの具材制作に取り掛かった。
いつもの手順でクリームソースを作る。玉ねぎもどきはみじん切りしたものをラードで飴色に炒めておく。
炒めた玉ねぎ、蒸して潰した芋にラードで炙ったベーコンを刻んで、指で崩した乾燥じゃがいもを混ぜ込む。
さらにクリームソースを加えて塩コショウとコンソメを加えて具だねの完成だ。
また、隠し味に醤油を大さじ1ほど入れている。
作業をしている間にパイ生地の方も完成のようだ。
長い道のりだった。天音はほっと息をつく。
今回、ミートパイは大きめの餃子型。
そしてベーコンポテトパイは例の長方形だ。
こうなると、包装紙にもこだわりたいところだ。
そんな時、佐波先輩がやってきた。
「おはよー!」
「おはようございます、サヴァさん。
朝から元気ですね」
いつの間にやらカーラと仲良くなっている様子の佐波先輩は、天音の手元を見て喜色を満面に浮かべた。
「やば!!ベーコンポテトパイ作るの!?」
今にも飛び上がりそうな勢いの佐波先輩に天音はにんまりと頷いた。
天音の肯定に、佐波先輩はくるくると喜びのダンスを踊って、はたと何かに気付いた様子で固まった。
「形、形は!?」
「あの形ですよ。長方形の」
「わかった!!待ってて!!」
そう言って佐波先輩は台所からすごい勢いで出て行った。
何を待ってなのかよくわからなかったので、天音は首をかしげつつもスルーすることにする。
「……なにするつもりなんでしょうね?」
「さあ……」
カーラとふたりで苦笑しあう。
さて、作業の方も大詰めだ。
まずはミートパイを作ってしまう。具の量としては直径15cmのギョーザ型3つ分といったところだろうか。
パイ生地を小分けにして麺棒で伸ばす。
打粉は最低限にしないと焼くときにひび割れてしまうため注意が必要だ。
上半分に具を置いて、くるんとパイ生地で包む。
端っこをねじりながらギョーザを作る要領で閉じたあと、フォークでギュッとさらに力を加えて行く。
具の入っている部分にはフォークで穴を開けたあと、といた卵黄をハケで表面にぬっていく。
クッキングシートの上にミートパイを乗せる。火に近づけすぎると危ないので、最低限の面積分しか使っていない。
持ち込みのクッキングシートもそろそろなくなりそうだ。残念だが、仕方ない。
次はベーコンポテトパイだ。
こちらは、今度は長方形にパイ生地を伸ばして成形する。
1つあたり表裏二枚分作成して、こちらは十数個は作れるだろうか。
パイ生地に具を置いて、接触部分に卵黄を塗りこんでおく。
もう1枚のパイ生地で蓋をしたら、端っこをフォークで押さえて密封する。
先ほどと同じように小さな穴を開けたあとは卵黄を塗ってあとは焼くだけだ。
オーブンの火加減をカーラに頼んで休憩を取っていると、バタバタと佐波先輩が戻って来た。
「見てみてみて!」
「えっ……これわざわざ作ってきたんですか?」
佐波先輩が得意げに見せてきたのは……某有名ファーストフード店のロゴを入れた、厚紙のパッケージ。
裏紙は新聞紙を使ったようだ。
しそれにしても、わざわざマジックで塗り分けている。赤が目に痛い。
実際のベーコンポテトパイの包装デザインは別のものだが、雰囲気が大事、と佐波先輩は主張する。
「焼き上がりが楽しみですね~」
佐波先輩の熱意の方向性に呆れつつ、天音はひとまず無難な反応を示しておいた。
◆◆◆
かごにパイを詰め込んだ天音は、執務室に行こうとして、廊下で天音はダリウスとすれ違った。
「おや、アマネさん。
どうかされましたか?」
ダリウスは今とても忙しい。
ユーウェインとの引き継ぎはもちろん、春の畑仕事の采配、商会関係など、仕事が山積みのはずだ。
だというのに、疲れ一つ見せないところには頭が下がる。
なお、ユーウェインもユーウェインで決済仕事を処理しているので、決してダリウスに仕事を押し付けているわけではない。
天音はダリウスに何かを言おうとしてためらった。
中継ぎを頼むのもプライベートなことのなので気が引ける。
かといってひとりでユーウェインに会いにいくとなると勇気が必要だった。
困ったように眉尻を下げた天音は、意を決してひとこと「ユーウェインさんに、これを……」と呟いた。
ダリウスはまじまじと天音の様子を見て、ぽんとてのひらを叩いた。
「ちょうど良かった。
私も今から執務室に向かうところだったのです。
一緒に参りましょう」
もしかして、気を遣わせてしまったのだろうか。天音がはっと顔を上げると、ダリウスは既に執務室の方向へと足を向けていた。
天音は気後れしつつも素直についていく。ここは厚意に甘えよう。
「そういえば、ダリウスさんはどうしてユーウェインさんに仕えることになったんですか?」
「そうですねぇ……実家の商会で働いていたのですが、妻と子供を産褥で亡くしまして」
さらっと聞かされた事実に、天音の目が驚きに見開いた。
とはいえダリウスは正面を向いているので、天音の表情は見られていないはずだ。
天音は動揺をひた隠しにしつつ、そうなんですか、と答えた。
「あの頃は自暴自棄になっていましてねぇ。
そんなところ、ユーウェイン様の初出征と重なりまして。
実家からは止められましたが、志願したんですよ」
当時のダリウスは実家の後ろ盾もあって従士長の職についていたようだ。
半ば死ににいくようなものだと止められたが、構わなかったと言う。
「ところが、ユーウェイン様は当時からきかん坊で、
こちらが動くより先に敵に向かって突進される始末で。
まったく、恐れ知らずの子供でした」
くつくつと笑い声が廊下に響く。
天音は思わずくすりと笑った。ユーウェインらしいと思ったからだ。
「それでね、悲しんだり落ち込んだりする暇もなく忙しくしていたんですが、
あるときピタッとそれが止んだんですよ」
「どうしてでしょう?」
「どうだ、死にたいなどと考えている暇がないことを思い知っただろう、とユーウェイン様はおっしゃいました。
………どこからか、妻や子供のことを知ったのでしょうね」
そこでダリウスは昔を懐かしむように言葉を切った。
すでに執務室の前にはついている。
「そんな理由で、私はユーウェイン様にお仕えすることを誓うに至りました。
……………参考になりましたか?」
「はい。……はい。ありがとうございます」
天音は深く頷いた。
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