57話 誰かのために
57話です。
57話 誰かのために
佐波先輩とジャスティンが帰ってきてから、特産品計画は大詰めに入った。
ジャスティンは目が覚めてからしきりに申し訳なさそうにしていたが、体調不良については仕方がない部分もある。
ロバや馬車に乗り慣れてはいたものの、どうやらガソリンの臭いにあてられてしまったらしい。
確かに石油系の独特の臭いは天音も得意ではないので、納得だった。
メープルシュガーは従士たちの働きのおかげで、予定数量を無事用意することが出来た。
最近天音がこまめにお礼と称して食事を差し入れているためか、モチベーションが上がっているようだ。
良いことなのだが、時折勢いが良すぎてジャスティンに怒られているのを見ると、天音としても苦笑せざるを得ない。
今日は朝からイーニッドが布袋の納品に訪れていた。
佐波先輩は従士たちに混じって行動しているようで、館にはいない。
「こちらが布袋になります。
量と品質を確認してください」
イーニッドは緊張気味に机の上に布袋を並べた。
現在ユーウェインとダリウスが、領主不在の間のすり合わせを行っているため、チェックは天音に任された。
数は問題ないようだった。質も十分だ。
シュガーはあら粒なので、細かい縫い目であればこぼれることもないだろう。
シュガーの布袋サイズは、5×7cmのものと、倍のサイズ、2種類用意してもらった。
値段は向こうでの交渉次第になるが、サイズ違いがあったほうが望ましい、とダリウスに言われたからだ。
ビスケットとスコーンの袋は15×20cm程度になる。
こちらもさほど量を入れるわけではないので、小さめになっている。
「問題ありません。料金は後ほどダリウスさんがお届けに上がるとのことです」
「ダリウスさんが……わかりました」
イーニッドがほっとしたように笑顔を見せた。
天音は木箱に布袋を詰めると、イーニッドをお茶に誘った。
「カーラさんの結婚も決まりましたし、
小さな内祝いをしましょう」
昼食も一緒にということで最初イーニッドは遠慮がちだったが、祝いの会と伝えると素直に頷いた。
◆◆◆
カーラとホレスが今年の秋、収穫が終わったあとに夫婦になると聞いて、天音は喜んだ。
随分前から婚約していたようなので心配もしていたし、カーラの嬉しそうな笑顔になると天音も心が浮き立つ思いだ。
そこで時間は限られているが女三人で内祝いと称してこっそりお茶会の企画を立てることにした。
もう残り少なくなっているが、持ち込みの小麦粉やバター、砂糖に重曹にココアパウダーなどを使って、マフィンを作る。
卵やヤギ乳は物々交換で分けてもらった。手持ちのお金もそろそろ乏しくなっているので、トゥレニーである程度稼げれば良いのだが、と思っている。
出来上がったお菓子はダリウスに頼んでユーウェインにも渡してもらう手はずになっている。
やはりあの1件以来何かと気まずい気持ちがあって、天音は一方的にユーウェインを避けていた。
ワンクッションを置いて落ち着かない感情を鎮めたいところだ。
明日は半日ビスケットとスコーンの製作に入る。
そして翌日は朝にドラからの納品を待って荷台に積み込み、出発だ。
あまり大きな荷物は持ち込めないと言われていたが、ダリウスに頼んで折りたたみ式のマットレスだけは許可をもらった。
どれだけ振動が抑えられるかはわからないが、クッションとマットレスがあれば何とかなるのでは、と天音は甘い期待を抱いていた。
それはそうとして、マフィンだ。
室温で柔らかくなっているバターを泡立て器でホイップする。
砂糖、同じく室温に置いた溶き卵を何回かに分けて入れ、混ぜる。
重曹をあらかじめ入れておいた小麦粉をふるいにかけて半分。
そして、ヤギ乳を半分入れてダマが出来ないように手早くゴムベラで混ぜていく。
さらに残りの小麦粉とヤギ乳を順番に入れて混ぜ切ったあと、ココアパウダーを入れてタネの完成だ。
そのタネを焼型に入れてオーブンで焼いておいたものを、天音は机に並べた。
一連の作業は朝、イーニッドが訪れる前に済ませている。
お茶はいつものラベンダーティだが、サッパリとした口当たりなので問題ないだろう。
「美味しそう……!」
カーラとイーニッドは歓声を上げた。
先ほど軽い昼食を取ったばかりだが、別腹の様子だ。
ひとくち食べ始めるとあとは早い。
天音はカーラにおめでとう、と言いつつ、美味しそうに頬張るふたりを嬉しそうに見守る。
(……うん、食べてもらうのはけっこう好き)
喜んで貰えるとさらに嬉しい。行儀が悪いと思いながらも頬杖を付きながら天音はそんなことをつらつらと考える。
こちらに来て最初に喜んでくれたのはユーウェインだった。
……そして、一番喜んでくれているのもユーウェインだ。
その事実を思うと、やはりお腹にパンチはなかったかな、と思わなくもない。
(あとでお詫びを持っていこう……)
とたんに自分の行動が気恥ずかしく感じられて、天音はこっそりため息をついた。
◆◆◆
「なに作ってんのー?」
佐波先輩が帰って来た。既に汗は拭き終わったらしい。
服装も部屋着に戻っている。
天音は目の前の作業に集中していたので、視線を外さずにただ「ミートパイ」とだけ答えた。
今天音が作っているのはパイ生地のほうだ。折り込みパイの生地を作っている。
持ってきた小麦粉の内、薄力粉と強力粉を半分ずつ用意した。
ふるいにかけた粉類をボウルに入れて、よく冷やしたヤギバターを小分けにして入れる。
バターを指で潰しながら粉とこすり合わせてまとめていく。
バターには塩がもともと入っているため、水とヤギ乳に砂糖を混ぜたものを少し残してボウルに流し入れる。
「だーれに作ってるのかな~~」
佐波先輩はどうやら暇を持て余しているらしい。
椅子に座って興味津々といった様子だ。
天音は佐波先輩を無視しつつ、作業を進める。
ボロボロ状態の生地のうち、水分の足りないところに残りのものを入れたら、それを清潔な台の上にあげてまとめる。
「ユーなんとかさんかな~????」
「………ユーウェインさんです。
ちゃんと呼んであげてください」
わかりやすすぎる佐波先輩の煽りに、つい天音はのってしまった。
耳たぶぐらいの柔らかさにこねた生地をひとまとめにして、清潔な濡れ布巾にくるんだあと、持ち込みのラップに包んで涼しいところに寝かせる。
……手が開いてしまった。
「モリゾーって、何か悩み事があるときはパイ生地捏ねてるよね」
「そんなことは………」
ないと言いかけて、天音は口ごもってしまった。
もしかすると、佐波先輩の指摘通りかもしれない。
天音は考え事があるときは手の込んだものを作りたくなる性分だ。
「なんかあったって顔してる。あ、押し倒されたとか?」
「ありません!……ユーウェインさんは紳士なんですから、
そんなことはしません。……たぶん」
佐波先輩の直接的な言いように天音は思わず反射的に否定した。
「ふ~ん。しないんだ。ふぅ~~ん」
天音の苛立ちを感じたのか、佐波先輩はさんざんからかったと思えばさっとその場を去っていった。
怒りの矛先が突然いなくなったので、天音は行き場のない感情を持て余してしまう。
(もう!無責任なんだから!!)
天音は赤くなっている頬に気がつかない振りをしながら、唇を尖らせた。
佐波先輩の余計なひとことを頭の隅に追い出しつつ、天音は生地を寝かせている内に具材の準備をすることにした。
こんなときは、作業に没頭するのみだ。
◆◆◆
あらみじんにした鹿肉と玉ねぎもどき、そしてその他の野菜。
それらを外のかまどでフライパンに投入して炒める。
まずラードを入れて熱したあと、みじん切りにした野菜を飴色になるまで炒める。
そして肉を投入。味付けは塩コショウと、今日は特別にソースとケチャップを使う。
(そう、これはお詫びだから、特別)
そんな風に自分に言い聞かせながら天音は炒め終わった具材をフライパンごと持って台所に移動する。
次は再び生地の作業に戻る。
既に寝かせた生地は発泡スチロールの簡易冷蔵庫に残り雪とともに入れて冷やしてある。
また、折り込み用のバターも四角く伸ばして冷蔵済だ。
打粉をまぶして四方に広げた生地の上に、折り込み用のバターを斜めに置く。
必要に応じて打粉をふりかけながら、空気を入れないようにバターを生地で包む。
長方形に丁寧に伸ばした生地を三つ折りにしたあと90度回転させて、また同じ作業を何度か繰り返す。
パイ生地は寝かせる時間も含めて時間がかかる。
折り込み作業を終えたらまた寝かせて、寝かせたものをまた何度か……と繰り返してパイ生地の層を作っていった。
生地作成の作業を終えると、既に夕食の時間帯になっていた。
夕食については、作り置きのスープとパンを頂くことになっている。
天音は慌てて作業に使った道具を片付けると、ひとまず台所を退散する。
具材やパイ生地やしっかり発泡スチロールの中に入れて隠してあるので、誰かに使われることもないはずだ。
「ふぅ……」
「何よ辛気臭いなぁ」
自室で佐波先輩と食事を取っていると、ついついため息が口から出た。
佐波先輩にバッサリと言われて、天音は先ほどからかわれたことを思い出して頬を膨らませる。
「……佐波先輩は、近付きたいって言われたらどう反応返します?」
「シチュエーションと相手による」
「…………ですよね~」
何とはなしに訊いてみると、やはり端的な答えを返された。
「まあでも、興味持ってくれてるんなら、悪いことじゃないんじゃ。
というかユーなんとかさんでしょ?嫌ならそう言えばわかってくれるタイプだと思うけど」
さらに図星をさされて、天音はごふ、とスープを吹き出しそうになった。
どうしてばれているのか。いや、そもそもカマをかけられたのかもしれない。
「だから、ユーウェインさんってちゃんと!」
批判しつつも動揺して目を泳がせていると、佐波先輩はビシ、と天音に向かってひとさし指を向ける。
「嫌じゃなかったら、情があるってことダー」
「………情、ですか?」
「そう、情!愛情、友情、恋情、同情、いろいろあるけど、その中のどれかだと私は思ーう」
「情………」
天音はふむふむと頷いた。確かに、そのような気持ちがないわけではない。
まだ確かな形にはなっていないので、おぼろげでしかないが。
佐波先輩はそう言い終えると同時に空になった食器を片付け始める。
天音も慌てて残りを食べ終えた。
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