56話 知りたくないの
56話です。今週分の感想返信は週末にまとめて返信させて頂きます(๑´ڡ`๑)
56話 知りたくないの
佐波先輩とジャスティンがいつまで経っても帰って来ない。
そのことで呼び出されたのは、夕飯も終えてしばらくしてからのことだった。
何らかの事情で遅くなる場合は狼煙を上げる。
そういう手はずになっていたが、そのような知らせもなかったようだ。
執務室でユーウェインにそう告げられて、天音は驚いて一瞬言葉を失った。
たかだか片道数時間の距離でいったい何が起こったのだろうか。
事前にユーウェインが心配していたように、獣に襲われでもしたのだろうか。
居てもたってもいられなくなって、天音はユーウェインに詰め寄った。
「あの、捜索隊は……!」
「待て、落ち着け。
この時間帯に従士を動かすわけにはいかない。
捜索を出すにしても夜が明けてからだ」
日本の繁華街とはわけが違う。
こちらでは日が落ちると同時に夜の出歩きは控えるのが一般的だ。
村の中だけは夜であっても従士たちが見回りを行っているが、森に入るとなるとまた別の話だった。
灯りがない中で捜索に出るのは命を捨てる行為だ、とユーウェインは静かに天音を諭す。
天音は唇を噛み締めて頷くしかなかった。
それにしても佐波先輩が時間になっても帰って来ないとは、予想外だった。
いくら自由な性格をしているとはいっても、いっぱしの社会人だ。
時間にはある程度厳しい。
時計がないため正確な時間を調べることは出来ないものの、約束を破るタイプではない。
となると何か非常事態があったのだと考えるほうが自然だった。
天音は落ち着かなさげに瞳を揺らす。
「……おまえは本当に、サヴァのことになると
感情表現が豊かになるな」
ため息混じりにそう言ったのはユーウェインだ。
確かにそうかもしれない、と天音は気恥ずかしげに頬にてのひらをあてた。
「佐波先輩は、姉のようなものなので……」
「わかっている。家族と同等の存在ならばいたしかたなかろう。
……少々面白くはないが」
「面白くない?どうしてですか?」
「……どうしてだと思う?」
質問に質問で返されて、天音は至極困惑した。
そもそも深く考えてした質問ではなかったので、余計に理解が追いつかない。
ユーウェインは静かに天音を見ていた。
灰色がかった青い瞳には目の前のロウソクの炎がゆらゆらと映っている。
天音はふと、ユーウェインの顔をまじまじと見つめた。
鼻筋は通っていて、佐波先輩がイケメンと言っていたのも頷ける。
なかなかに整った顔立ちだ。
眉はきりりと弧をえがき、つり目がちな瞳は時折獣のような獰猛さを見せる。
(まつげ、けっこう長いんだな)
天音は羨ましげにそうひとりごちた。
そして、いつまで経っても答えない天音に対してユーウェインは苛立ち紛れにフンと鼻を鳴らした。
「言っておくが、俺は怒っているからな」
「へ?」
ユーウェインの思わぬ発言に、天音はすっとんきょうな声を上げた。
「とくに、おまえがサヴァのことを女だと言わなかったから、
俺はしばらく悩む羽目になった」
「え、え?言ってませんでしたっけ?
それにそれ、今更じゃないですか!?」
話を噛み砕くと、ユーウェインはどうやら佐波先輩のことを男性だと勘違いしていたようだが、佐波先輩が来てから一週間は経っている。
そういえば、佐波先輩が開拓村に来たその日、ユーウェインが叫んでいたことをふと天音は思い出した。
「……男性だと思ってたんですか?
それで、でも、どうして………」
ユーウェインが悩んで怒る必要があるのだろうか。
そのような戸惑いを含んだ問い掛けに、ユーウェインはさらに質問で返した。
「…………どうしてだと思う?」
天音はユーウェインの低い声に思わず後ずさった。
それを見たユーウェインは席を立って天音に一歩近付く。
すると天音の方もまた一歩後ろに下がる。
「……なんで逃げる」
「何となく……?」
ユーウェインは憮然とした表情で天音をとがめる。
天音はというと、妙な緊張感を抱えていた。
目の前のユーウェインがまるで知らない男性に見える。
場の雰囲気をごまかすように天音はにへらと笑った。
だが、それが不味かったようだ。
ユーウェインが大股で足を進めると、距離が一気に縮まってしまった。
あっという間に扉近くに追い詰められる。
(距離、近い)
近くで見るとユーウェインとの身長差で、天音は見上げるのに苦労しなければならなかった。
だが首の気だるさはさほど気にならない。
気になるのは、天音を見つめるユーウェインの瞳だ。
ちょうどユーウェインの影になっているため表情は見えないが、瞳だけがきらりと光っている。
「……あの、近いです」
「おまえが逃げるから悪い」
にべもない言いようだった。
目を逸らそうとしても逸らせない、緊迫した雰囲気がふたりの間に漂う。
天音がどう切り抜けようか悩んでいると、その隙にユーウェインのてのひらが天音の頬にそっと触れた。
「いえ、あの、だって」
……追いかけてくるから。そう言おうとしたが、言葉にならなかった。
「あん?聞こえん」
そう言ってユーウェインがさらに顔を近付けてきた。
天音の心臓はさっきからガンガンと鳴りっぱなしで、正直なところ少々困っていた。
ユーウェインは天音の口元に耳をそばだてるように顔を傾けたので、自然と目と目の距離も近くなり……視線が合わさった。
天音は、すっとユーウェインの顎に手をやった。
ひげはきちんとそっているらしく、それなりに整っている。
目を見開いたユーウェインをきっと睨みつけながら、そのまま手で押す。
天音の拒絶を感じたのかユーウェインは鼻白んだ様子ですっと身体を離す……かと思いきや、距離を取る素振りは見せない。
「……どうして、こんな近いんですか」
「おまえに近付きたいから」
ユーウェインの答えを待たず、天音は腰を落として右半身を後ろに傾けた。
ポケットの中に入れていた部屋の鍵を握り締めて、固く拳を握る。
そして、捻りを加えて拳をユーウェインの脇腹に叩き込んだ。
「……っっ」
「部屋に、戻ります。
捜索の件よろしくお願いします」
天音はぺこりと頭を下げて、足早に自室へと戻っていった。
頬のみならず顔全体が朱に染まっていたものの、ロウソクの灯りだけではわからなかっただろう。
途中、ダリウスとすれ違って目を丸くされた気がするが、天音は気にせず足をはやめた。
はやくひとりになりたい。ただそれだけの思いで自室の扉を開く。
『おまえに近付きたいから』
自室に戻って鍵を閉めると、天音は扉の前で崩れ落ちるように腰を落とした。
天音の耳にこだまするのは、先ほど聞かない振りをしたユーウェインの言葉だった。
打ち消しても打ち消しても頭の中に残ってどうしようもない。
佐波先輩のいない夜。
天音は悶々と寝台の中で眠れない夜を過ごすことになった。
◆◆◆
翌朝、天音たちの心配をよそに、佐波先輩はあっけらかんとした様子で帰ってきた。
………ぐったりしたジャスティンを背負って。
村の森側にある出入り口にユーウェインとふたりで慌てて迎えに行くと、元気そうに佐波先輩が手を振っている。
天音はほっとして息をついた。隣のユーウェインは何やら文句でも言いたげな視線を向けているが、無視だ。
バイクはすぐそばの茂みに隠してあるので、夜が更けてから移動させるそうだ。
佐波先輩は胸部にランドセルを回している。
このランドセルは佐波先輩愛用で、いつもスーパーカブ90に取り付けているもののひとつだ。
さすがにふたつは持ってこられなかったらしい。
臙脂色の渋い色合いで、選ぶときに天音も手伝わされた。
ちなみに、型紙はこのランドセルのものだ。残念ながら天音の手作りではなく、ネット販売を通じて手に入れたものだった。
気を失っているジャスティンを従士たちが大慌てで運んで行く。
「いったい何があったんですか?」
「それがさあ……」
佐波先輩の話によると、行きは問題なかったらしい。
問題は帰りで、佐波先輩は不可思議な鉄の乗り物に戸惑うジャスティンを後ろに乗せたそうだ。
歩きよりは確実に早いし、幸い道の状態も悪くなかったのだと言う。
だが、ジャスティンが乗り物酔いを起こしてしまった。
道程の半分ほどは進んだそうだが、ジャスティンの吐き気はやまず、仕方なく休憩を取ることになったそうだ。
近場の木のうろにジャスティンを苦労して寝かせたあと、佐波先輩は悩んだ。
酔い止めの薬は残念ながら持っていなかった。
食料については、おにぎりを多めに持って来ている。
ジャスティンの酔いっぷりは酷そうだ。
そんなことを考えているうちに、佐波先輩も朝が早かったので木のうろで寝てしまった。
……という流れらしい。
「でも、無事で良かった。燃料は大丈夫だったんですか?」
「うん。何とかね。予備も持ち込んでたし」
そう言って佐波先輩は部屋の中で着替え始めた。
泥と汗がこびりついているので、天音はお湯の準備をする。
「そっちは何かあった?」
天音の微妙な雰囲気の違いに気が付いたのだろうか。佐波先輩はあっさりとそう問い掛けた。
ひゅっと唇の隙間から息の音が漏れた。
天音は佐波先輩に何を話せば良いのかひとしきり迷ったあと、街に行くまでに魔術師への質問内容を考えておくように、とユーウェインに言われたことを思い出した。
「……ユーウェインさんはそう言ってました。
佐波先輩に訊こうと思っていて忘れてたんですが、
…………佐波先輩はどうしたいですか?」
「ん?どうしたいとは?」
「ええとつまり、日本へ帰りたいか、ってことなんですけど」
「……………帰れるのかなぁ?」
佐波先輩はすでに身体も拭き終わって新しい服に着替えている。
天音は洗濯の前に軽く泥をお湯で落としながら、返事をかえす。
「わかりません………」
「実際のところ、訳わかんない状況だよねー。
私はまあ、何とか生きていけると思うけど。うーん、日本へ帰りたいか、かぁ」
床に広げられたビニールシートの上に佐波先輩は荷物の中身を開けてチェックを行っていた。
そして、チェックが終わると靴も履き替えて登山用ブーツの泥を落とし始める。
「モリゾーに任せるよ」
「え?」
キュ、とブーツを磨く音が部屋に響いた。
天音は佐波先輩の一言に驚いて顔を上げる。
「帰りたいか帰りたくないかは、モリゾーが決めたらいい。
モリゾーに私はついて行くから」
佐波先輩の声には一切の迷いがなく、そのことがさらに天音の心を揺らす。
まるで元の世界にまったく頓着していない様子に、天音は思わず声を尖らせた。
「そんな重大なこと、どうして私が決めるんですか?
だいたい佐波先輩だって、向こうに家族が居るでしょう?」
「んー、うちは父親が再婚して弟妹も無事育ってるし、老後の心配がないからなー。
会えないのは確かに寂しいけど、実はあんまり執着心はない」
天音は絶句した。自分と同じ感情を共有していると思っていたわけではないが、佐波先輩のドライさにびっくりして、天音はまじまじと佐波先輩の顔を見つめた。
幼いように見える顔には、動揺のどの字も浮かんでいない。
あくまで飄々とした態度を崩さない佐波先輩に、天音は力を抜いて接することにする。
佐波先輩相手に力んでも仕方がない。
「それにさー。どっちかが離れることになったら、二度と会えないわけじゃない?
モリゾーは私と離れたら寂しいでしょ?」
天音はぐっと言葉に詰まった。図星だからだ。
けれどそれを言うなら、残った家族も寂しいはずだ。そう主張すると、佐波先輩は苦笑して黙った。
何とも言えないその表情は、天音に訊かないでくれと言っているかのようだった。
「まあ、だからさ。モリゾーが決めなよ」
そう言って佐波先輩は会話を切った。
天音は途方にくれたように肩を落とす。これ以上は話を続けられないようだ。
(私が決める……)
そうひとりごちると、昨晩のユーウェインの言葉を思い出しそうになって天音はぷるぷると首を振った。
57話は7月7日12時になります。七夕ですねー。