53話 狙った獲物ははずさない
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53話 狙った獲物ははずさない
試合は、あっという間にカタがついた。
最初のうち、ホレスは様子見しつつじりじりと距離を詰めていたが、佐波先輩は電光石火の勢いで懐に飛び込んだ。
何度か手のひらで牽制を行って追い詰めたあと、ホレスが掴みかかろうとして片足を上げた瞬間を狙ってタイミング良く出足払いをかけたのだ。
出足払いは柔道の足技で、小柄で軽量の女性向きの難易度が高い技だと言われている。
そもそも今回の試合は、女性である佐波先輩に配慮されたルールになっていた。
要は地面にお尻をついたら負けなので、
怪我をさせないようにと言われた結果、ホレスは力技で捕まえて態勢を崩させる作戦に出たが、佐波先輩の方が一枚上手だったようだ。
ごろんと後ろ向けに倒れ込んだホレスは、何が起こったかわからない様子で宙を見上げていた。
周りの従士たちも、何が起こったのかわからない様子で困惑げに顔を見合わせている。
ジャスティンはひとりだけ涼しい顔でチラリとホレスを一瞥したあと、腕を上げた。
「それまで!」
勝負はついたようで、ジャスティンの声で終いとなった。
天音がよいしょと立ち上がると、隣のユーウェインの肩がピクリと動いた。
「……なるほど、確かに強いな」
「でしょう?といっても、前提条件が佐波先輩に有利だったので
もたらされた結果だと思います。
……別の条件だったら、どうなっていたかわかりませんし」
「まあ、確かに、獣相手での戦いならば
武器防具がないと厳しい。
武器を持った人間にも言えることだが」
天音と話しながらもユーウェインの視線はジャスティンとホレス、そして佐波先輩に注がれていた。
立ち上がった天音も、昼食の用意をしながら会話を続けている。
薪を投入して火の勢いを強め、スープを煮立たせるのだ。
「モリゾー!勝ったよー!」
「おめでとうございます。
あ、調理中なので近付かないでくださいね?
そちらにお湯を用意してあるので、足の泥落としてください」
天音はさっと近くに置いてある大鍋を指さした。
事前に用意していたものだが、試合はすぐに終わったのでまだ冷めてはいないはずだ。
佐波先輩は喜び勇んで木桶にお湯を組んで温度を雪で調節したあと、足を入れてほぐし始めた。
ホレスはカーラが世話をしているようだ。
具を少し多めに入れた肉と野菜のスープに、山羊乳を投入していく。
絞りたての山羊乳は新鮮で栄養もたっぷりだろう。
ぐるりと鍋をかき混ぜつつ、こちらはしばらくぐつぐつと煮込むことにする。
おやきは既に随分と冷えているため、少しかたくなってしまっている。
そのため蒸し器で温め直すことにする。
隣のユーウェインは既に待機している。
佐波先輩もいつの間にか足を洗い終わって着替えも済んでいる。素早い。
その後ろでは従士たちがチラチラと天音の作業を覗いていて、天音としてはかなり居心地が悪い。
どうしてこんなに注目されているのだろう、と思いながらも作業を続ける。
お湯のはった大鍋の上に木を組み合わせて台座を作る。
そしておやきを入れた蒸し器を乗せると、ゴマ油と醤油の香りがあたりを漂い始めた。
既にパンは運び込まれていて、その場にいる全員に配られている。
「出来たかっ」
「あ、私が先っ!!」
出来上がったおやきを我先に奪い取ろうと、ユーウェインと佐波先輩が火花を散らした。
天音はため息をついてこう提言した。
「順番はジャンケンで決めてください」
どうにもユーウェインは佐波先輩に対抗意識を燃やしているようだ。
ジャンケンとは何だと訝しげに質問するユーウェインに、天音はグーチョキパーのサインを教え込む。
どうせ決着がつかなさそうだからこちらのほうが公平というものだ。
天音はどちらの味方もする気はなかった。
しいて気になることがあるとしたら、領主なのにこんなことで喧嘩をしていて大丈夫なのだろうか、ということぐらいだ。
幸い周りを見渡すと村人の姿はないし、身内だけだから気が緩んでいるのかもしれない。
天音はそれでも少し心配になってジャスティンに目を向けると、ジャスティンは処置なし、とでも言うように首を振った。
諦められているようだ。
ユーウェインと佐波先輩はさっそくジャンケン3本勝負をしていた。
結果は、2勝1敗で佐波先輩の勝ち。
手馴れたほうが勝利をもぎ取ったようだ。
「うわあああ負けたああああああ」
ユーウェインが全力で悔しがっているのは、何というか、見なかった振りをしたい。
天音はそっと視線をそらしつつ、佐波先輩を筆頭におやきを渡していく。
衛生的に心配だったので、ダリウスに頼んで木の皮を用意してもらっている。
表面を軽く燻してあるので、手で直接食べるよりはマシ……のはずだ。
もちろん手もしっかり洗ってもらった上での話だが。
おやきと山羊乳スープは従士たちにも好評で天音は大喝采を受けた。
特に従士たちの中でも3人ほどはテンションが上がりすぎてジャスティンに説教を受けていた。
いつものことだ。天音は苦笑いを浮かべながら自分もおやきを頬張って騒ぐ従士たちを見守った。
◆◆◆
午後からはメープルシロップを更に煮詰める作業に入った。
天音が昨日確認したところ、まだ少し味が薄かった。
出来るだけ水分を飛ばしたほうが長持ちする。
それに、どちらにしろ大部分はシュガーに加工するため、早めに行うことにしたのだ。
シュガーに加工するまでには数日かかる見込みだ。
あと3週間もすればトゥレニーに出発するので、今日と明日にかけて、もう一度試作品を作る予定だ。
前回と味はもちろん微妙に違うだろうし、分量の調節もしておきたいと天音は考えている。
大鍋は女手で運ぶには重すぎるため、今回も従士たちの手を借りることになる。
「鍋はこちらに運んでください」
天音は張り切る従士たちに次々と指示をしていく。
なぜ従士たちが張り切っているかと言うと、最近天音が従士たちにも食事を提供するようになったので、働けばご褒美がもらえると刷り込まれているようだ。
天音としてはいつものお礼のつもりだったので、従士たちの反応に正直ビックリしている。
「これは何をしているの?」
「メープルシロップとやらを作っている」
佐波先輩が不思議そうに天音に訊いてきた。さえぎるように答えたのはユーウェインだ。
ひとりだとすることがないので、基本的に佐波先輩は天音にべったりだ。
そしてなぜかユーウェインも芋づる式に天音のそばにいることが多くなった。
といっても彼の場合はどちらかと言うと責任者として現場を監督しているのだろう、と天音は判断している。
「あら、ご領主さまにわざわざご説明頂かなくとも大丈夫ですよ?」
「いやいや、客人に対して礼を失するわけにはいかんからな」
「ふたりとも。どうしてそこまで仲が悪いんですか……」
顔を合わせれば言葉で牽制しあうふたりに対して、天音は困ったように眉尻を下げる。
佐波先輩の物言いは立場のある人間に対して少々不遜だし、ユーウェインの方も領主としては子供っぽい反応だ。
そのことを指摘すると、ふたりはうーんと考え出す。
「……テリトリーがかぶってるんだよねぇ」
「言葉の意味はわからんが、何となく同意する。
狙う獲物が同じだと競争が起こるのは当たり前というか……」
ふたりの似通った答えに天音はなんと答えたら良いのかわからずに悟りの表情を浮かべた。
仲は悪いが気が合わないわけではないようだ。
そんな結論とも言えない答えが頭に思い浮かぶ。
◆◆◆
メープルシロップを煮詰める作業はその後従士たちが交代で行うことになった。
天音は翌日、煮詰めたシロップを瓶詰めにして、さっそく改めて試作品を作ることにする。
早朝の時間帯なので佐波先輩はまだ起きてきていない。
ユーウェインも先ほど顔は見せたが、訓練の日のようでそそくさと出て行った。
台所ではカーラが忙しく朝食を作っている。
最近では料理の腕も上がってきていて、作業にも熱が入っているようだ。
特にホレスに味付けを褒められるのがたまらなく嬉しいらしい。
塩はあまり大量に使えないが、ハーブの組み合わせや旨み成分のある出汁を使うことで味を濃くすることは出来る。
そういった知識を天音はカーラに教えていた。
天音は空いたスペースで試作品作りに励んだ。
メープルシロップ……実のところ名前に迷っていたが、何となくこの名前のまま通ってしまっている。
煮詰めたものを天音は味見してみたが、日本で食べていたものとはやはり風味が違う。
何というか、水飴が入っていない味だ。
今後、メープルシロップは冬季限定の味になりそうだが、水飴を足して嵩増しをしたものを安価で販売、というプロセスも考えてはいる。
水飴を作るには麦芽などの穀物糖にもち米や芋類を足す必要がある。
もち米があれば良いが、生憎とそのようなものはこちらにはない。
そして麦芽を作るには大量の麦が必要となるが、商品化出来るだけの量を確保できるかどうかがネックになってくる。
もち米の代わになるものとして、芋系ので代用する予定だが、そちらも収穫高が未知数だ。
計画は実行してみないと正確な数の調査も覚束無いので、結局のところ春から秋にかけて徐々に行うしかなかった。
(うーん。意外に、それほどシロップを入れなくてもいいかもしれない)
メープルクッキーではなく、メープルビスケットと言うべきか。
シロップの量を調節した試作品を食べ比べながら、天音はそんな風な感想を抱いた。
天音は砂糖と脂肪分が40%以上だとクッキーに分類される、とザックリとした知識を読んだ覚えがあった。
他にも条件があったはずだが、おおむねそのような認識で問題ないはずだ。
酵母菌を入れるとさっくりとした食感になるので、そちらはクラッカー。
バターの分量を多くするとサブレになる。
このあたりは国によって分類が難しくなるので、あくまで暫定とした知識だ。
英国でのビスケットはアメリカではスコーンと呼ばれたりもする。
(スコーンもありか……でも品数を増やしすぎるのは良くないよね)
バターの使える量はそれほど多くないため、候補としてはビスケットかクラッカーとなる。
今回はもともと保存食として作られていたビスケットを採用することにした天音は、メモに分量を書いていった。
少し多めに作ったので、それぞれあとで食べ比べて確認してもらう予定だ。
ある程度試作についての所感をノートにまとめ終わったところで、台所にジャスティンがやってきた。
ジャスティンがひとりでやってくるときは大抵真面目な話だったりするので、天音は何だろうと思って視線で問いかける。
「実は相談があるのです。サヴァさんのことなんですが」
天音は意外な相談事に目を見開いた。
佐波先輩はテンションも高いし暴走しがちなイメージが強いが、コミュニケーション能力が高いのでトラブルを起こすような人ではない。
ジャスティンとの接触は試合の時限りだった覚えがあるので、余計に天音は意外に思った。
「……わかりました。伺います。」
ひととおり頭の中でトラブルシミュレーションを行いつつ、天音は了承の返事をした。
54話は7月2日12時更新予定です。
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