5話 電気のない生活のススメ
5話 電気のない生活のススメ
佐波先輩の所有している部屋は、五階建てマンションの三階部分にある。
やや南向きの間取りでの納戸付き2LDKだ。
リビングキッチンは広く、十畳分。
天音が借りている部屋はちょうど真ん中で窓はないが押し入れは広い。
――遭難二日目。
やはり明け方は一段と冷え込む。
天音はベッドの上で布団にくるまっていた。
ひざを抱えて丸まる姿はまるで猫のようだ。
厚着をしているとはいえ、隙間から冷たい空気が入ってくる。
外より中のほうが暖かい。
それは当たり前としても、寒いことに変わりはない。
「ううーっ」
しばらくもぞもぞしていたが、我慢しきれなくなり、唸り声を上げて飛び起きた。
既に湯たんぽは冷え切っている。。
持続は6時間程度、これでも十分にもったほうだろう。
天音はしぶしぶと起き上がり、布団から出るのだった。
◆◆◆
昨日に引き続き、食材の加工作業を行う。
早めに終われば、次は脱出準備が待っている。
持っていけるものと残すもの。その選別も必要だ。
身支度を終えた天音はベランダの干し野菜を確認している。
実のところベランダはほとんど消失している。途中でプッツリ切れているのだ。
物干し竿と金具はかろうじて壁に設置されたままなのが幸いだ。
二人とも背が低い。入居の際に金具の位置を付け替えてもらった覚えがある。
それが原因とは思えないが、物干し竿が使える状態なのはラッキーだった。
人工芝やプランター、ホース、洗濯機等はそのままで、どういう基準でこうなっているのか天音にはさっぱりわからない。
「おお……結構乾くもんだ」
野菜の表面を裏返してみると、乾燥は8割方終わっていた。
部分的にパリパリしている。
調理用で冷蔵での保存が可能ならこれくらいの乾燥でも問題ないだろうが、旅程が何日かかるかわからない。
なのでなるべくカラカラになるまで乾燥させたいと天音は考えていた。
重量の問題もある。荷物は出来るだけ少なく軽くしておきたい。
水分を飛ばせば飛ばすだけ重量が軽減されることを思えば、二三日は乾燥に欲しいところだ。
お風呂場の雪は袋の口をきっちり占めていたせいかほとんど溶けていなかった。
部屋の温度は零下にはなっていないようだが、0℃前後と言うところか。
冷凍庫も確認してみたところ、ほとんど溶けていない。
「結構溶けないもんだなぁ」
冷凍庫内に氷を入れて、そのまま扉を閉めた。
野菜を処理する前に、雪を予め水に戻しておいた。
ボタン一つでお湯が沸くわけではないので時間がかかる。
「さて……」
ぶ厚めに剥いていたさつまいもの皮は、そのままラップをして冷蔵庫に入れていた。
今度は皮を薄く剥がす作業だ。
と言っても少し乾燥しているのでもう一度蒸す必要があった。
天音はせいろとちょうど良いサイズの両手鍋を取り出し火をかける。
一度蒸しているので、二度目は短時間で済んだ。
――あちちっ。
薄く皮を剥いて、軽く身を解していく。
少し時間はかかったが、ボール二杯の山となった。
そして冷めていたので再びこれを蒸す。こちらも数分のことだ。
ほくほくのサツマイモの身を、裏ごし器と木べらで濾す作業は、結構手間が掛かる。
特に皮の裏地は固いので骨が折れる。
それがボウル二杯分となれば、時間がかかるのも当たり前。
何度か蒸し作業をやり直す羽目になった。
「ああミキサーが懐かしい……」
電気が通っていたら、フードミキサーを使ってあっと言う間に終わる作業だ。
木べらを持つ手が震えているのはきっと寒さのせいだけではないはず。
苦労してペーストを作り終えたあとは、平らなアルミ製のトレイにラップをかけてペーストを塗りつけて行く。
フチまで平らに出来たら、ペリっと剥がしてまたラップを敷いての繰り返し。
出来上がったペーストシートは折りたたみ式の机の上に並べて乾かす準備をする。
この時点で部屋の中に湿気が篭っていたので、窓を開けて換気をすることにした。
一酸化中毒も気になるところだ。
「…………っ」
寒さで肌がピシピシするのを感じる。
空気の入れ替えのため、十分程度はこのまま窓を開けておく。
――昼食。
作り置きの味噌汁と漬物、オニギリで軽い昼食を取る。
以前から天音はガスコンロ用の羽釜炊飯器を使ってお米を炊いている。
3合炊きで容量が丁度良いのと、冷めても味が落ちないので重宝しているのだ。
カセットガスコンロでも問題なく炊飯が出来るのがとてもありがたい。
天音が持っているカセットガスコンロはシンプルな薄型タイプだ。
メモリがついていて火力調節も可能なので、このような状況だととても役に立つ。
炊飯の際は火を入れる時間も十~十五分ほどで済むので、燃料節約になるのもメリットだ。
――次は柿ジャムの制作。
実は完全には熟れていないので、触ると少し硬い。
フルーツナイフで皮剥きをはじめる。
柿皮と種を取り終え、身をサイコロ状に切ったあと、グラニュー糖とレモン汁と一緒に鍋に入れて軽くかき混ぜる。
ホコリ避けにラップをして、昼食の準備に入ることにした。
保存のために大量のグラニュー糖を入れたので、焦げ付かせないよう注意を払わなければいけない。
弱火~中火でコトコト煮詰めながら、出て来るアクを取り除く。
保存のためと割り切っているが、カセットガスの残量は少し心配になる。
脱出後でも使いたいので、家で使えるのは残り……。
――あっ。
天音は閃いた。
アルミガードを囲いにすれば、少しは燃費が良いかもしれない。
室内で行う際には弱火限定にするとしても、節約になりそうだ。
煮詰めていると、柿の身がほぐれてきて甘い香りがしてくる。
木べらで丹念に潰しながら、灰汁を取り除いていく。
(佐波先輩と楽しむ予定だったんだけどな……)
性格の違いもあって、佐波先輩と天音は常に行動を共にしているわけではなかった。
職種も別なので愚痴を言い合うことも少なく、帰宅の時間帯もずれているので顔を合わせずに就寝、なんてこともしょっちゅうだ。
だが、美味しいものを頂いたり買ってきたりする時はお互い共有したし、コミュニケーションは十分取っていたと思う。
(会いたいな……)
湯気に当てられてほんのり潤んだ目を拭いながら、天音は心の中で呟いた。
出来上がった柿ジャムは、煮沸消毒した瓶に次々と入れていく。
なるべく空気を入れないようにフチギリギリまで詰め込んでから蓋を閉める。
そして、最後にジャムを入れた瓶ごと煮沸消毒だ。
二度目の煮沸消毒を怠ると冷蔵庫に入れても二週間くらいでカビが生えてしまう。
少しでも空気が入ると菌が繁殖してしまうので、空気ごと煮沸消毒する必要がある。
作り終えたジャムは、水分が飛んで少し目減りしたものの最終的に10本の瓶に収められた。
「柿ジャムは完了、っと……」
流石に疲れてしまったので、休憩することにする。
まだ鍋の中にうっすらジャムが残っているので、これを使って柿ジャムティーを楽しもう。
叔母いわく、灰汁を入れても美味しいらしい。試してみよう。
残念ながら天音はこだわるタイプではないため、紅茶はインスタント。
だが、疲れているので最高のご褒美になる。
「あ、結構美味しい」
鍋の残りジャムはスプーンで救ってみると結構な量があったので、小皿に移しかけてラップに掛けておいた。
休憩時にジャム入り紅茶は有りかもしれない。
灰汁入りの方も、想像していたような渋みはなかった。
むしろ濃厚な甘味が口の中に広がって悪くない味だ。
泡がフワフワとしていて食感も面白いので、オススメされた理由がわかった。
「……温まる~」
このままずっとゆったりしていたいが、そうもいかない。
――豚ひき肉で肉味噌作り。
「豚ひき肉で肉味噌作って、今日は終わりかな?」
肉味噌はいろんなレシピがある。
天音は寒い時期にピッタリな、トウガラシ入り味噌ベースのものを作ることにした。
具材は生姜、ニンニク。調味料は砂糖に味噌とトウガラシを少々。挽肉は凍ったまま使う。
刻んでおいた生姜とニンニクを、薄く油を敷いたフライパンで炒めて香りを出す。
そしてトウガラシ粉末を入れる。
ひき肉を入れ、砂糖を入れる。
ジュワァと小気味良い音がしてにんにくとしょうがと肉の焼けるいいにおいが漂う。
油が出てくるので、更に絡めて炒める。
最後に味噌を混ぜて水気を飛ばして出来上がりだ。
耐熱性の保存容器に移し替えて蓋を開けてしばし冷めるのを待つ。
湯気が出ている状態で蓋を閉めると水分がまた入ってしまうため、少し乾燥させる必要があるのだ。
後片付けをしている内に、すっかり冷え切っていることを確認してから蓋を締めて冷蔵庫に入れた。
電気は通っていないものの、保冷性は高いと踏んでのことだ。
――一日の終わり。
「終わった……」
天音は疲れきった顔で呟いた。
保存食料の作成は大まかな部分は消化出来たものの、栗や冷凍庫の肉や魚、そしてお米をどうするか等課題は多い。
自室に篭って課題の整理を行う。
「野菜もまだ少し残ってるけど、あれは消費しちゃったほうがいいかも」
天音は柿ジャム入り紅茶を飲みながら、ノートに予定を書き連ねていく。
お米に関してはアイディアがひとつあった。
アルファ米、あるいは干飯だ。
炊きたてのご飯を乾燥させたもので、市販もされていて佐波先輩もアウトドアの際には必ず持ち込んでいる。
利点は、水分が抜けることで重さが軽減されること。
問題点は、お釜が3合炊きなのでまとめて炊けないこと。ガスを相当量使うと予想されること。
「明日考えよう」
保留マークをボールペンで入れてノートを閉じた天音は、ランタンを消して布団に入った。
明日もまだまだ、遭難生活。ため息をつきそうになるが、やれることをやるしかない。